日本人とお祭り・日本の伝統的食文化 和食とは?

 

 引き続き、カッパが授業で用いたプリント資料をご紹介いたします。

 

・日本人とお祭り

 今回は「祭り」をテーマに民俗学の成果を援用して日本人の信仰と魂の根源に迫ってみよう。

 

1.「祭り」の起源と信仰

 「祭り」とは言うまでも無く、「を祭ること」である。では「祭る」とはどういうことなのだろう。尊いお方のお側にいて仕え奉ることを意味する「まつろう」(柳田国男)、あるいは神霊に供物を捧げ献(たてまつ)ることを意味する「たてまつる」(折口信夫)、あるいは神が現れて神意が告げられるのを待つことを意味する「まつ」など、様々な語源が考えられている。これらをまとめて大雑把に言えば、「祭る」とは神をもてなし、神意を伺い、神の御心のままに奉仕するということであろうか。

 日本古来の信仰である神道には仏教やキリスト教、イスラム教のような体系的な「経典」は無い。それらの宗教のように人々が文書によって教義を教えられたり、信仰したりということが神道ではほとんどなかったのである。神道にはそもそも体系的な教義自体が存在しないし、当然、教義を説く説教者もいなかった。専門の神職が登場するのはかなり後の時代であり、元は神社の建物すら無かった。教祖もいなければ、教団組織も無かったのである。ただ「祭り」の際に祭主がいて、儀式の作法や心得を説く者がいたが、その教えはもっぱら行為と感覚によって伝達されるべきもので、普段はそうしたことを話題にすることすらはばかられていたという。つまり毎年繰り返される四季折々の祭りを体験するなかで個々人に感得され、共通体験として村人に共有されて伝承されてきたのが神道という信仰なのである。

 人が神意に背けば神の怒りを買い、病貧争災がもたらされる。反対に人が神意に応えれば神は人を愛で喜んで五穀豊穣、平和、繁栄といった様々な恵みを与えてくれる。だから人は神の意のままに生きていくべきであると説くのが「神ながらの道」と言われてきた神道の基本であった。とはいえ神意を伺い、神意に応えるには大変なエネルギーが必要とされた。だからこそ、もっともふさわしい日と特別な場所を選んで、集団で想いを一つにする「祭り」が営まれてきたと考えられる。政治も本来は「まつりごと」であったように神を祭ってお伺いを立て、神意に沿うことは、日本人の考え方、生き方から日々の生活、家庭、村、国家のあり方まで貫かれていた。つまり、日本人のすべてが「祭り」を中心に形作られていたといっても過言ではないのである。

 

2.「ケ(褻)」と「ハレ(晴れ)」

 民俗学では労働を中心とする日常の生活を「ケ」、「祭り」などの特別な日を「ハレ」と呼んで区別する。古来「ケ」の日々が続くとやがて「魂」=「気」という名の生命エネルギーは弱まり、枯れてくると考えられていた。この状態が「ケガレ」=「気枯れ」であり、新たなエネルギーを充填するためにも一年の節目、節目に「ハレ」の日=「祭り」を設けて、神の威力の更新をはかる必要があるとされていた。

 「祭り」の日は共同体にとってきわめて大切な日であったのである。したがって「ハレ」の日に働くことは「節句働き」という言葉があるように厳しく戒められており、逆に「ハレ」の日に「祭り」に参加しないことは許されざる怠慢とされた。古来、日本人は辛く長い「ケ」の日々に時折「ハレ」の日を刻むことによって「気晴らし」をし、単調になりがちな生活に変化とけじめをつけて農作業などの重労働に耐えてきたのである。

 

3.「祭り」の基礎知識

ア.「依代」(神霊が現れるときに宿ると考えられた物)

 「祭り」の場に不可欠なものが「ご神木」や幟(のぼり)である。特に「五穀豊穣」とか「…神社例大祭」などと書かれた幟が青空に高く掲げられている光景を目にするとお祭りムードが一気に盛り上がる。しかし幟を立てるのは中世以降のことで古くは高い柱に榊などを飾って立てたり、山から伐りだしたばかりの生木を立てていたらしい。死傷者が必ずといってよいほど出る7年に一度の諏訪大社の祭礼「御柱(おんばしら)祭り」はそうした古風な祭りの代表である。この柱や生木は神が降臨するための標識であり「依り代」 であった。今でも注連縄を張った「ご神木」がある神社は非常に多い。じつは正月に飾る「注連飾り」も同様に「依り代」であり、日本では木が様々な場面で依り代として多用されてきた。日本人が古来、木を神霊の宿るものとしていかに神聖視してきたかが伺えよう。

 本来、祭りはご神木や「ご神体」のもとで行われていたが、開墾などで人々の移動が激しくなると「ご神体」も移動を余儀なくされた。おそらくそうした事情から分霊という考え方が生まれてきたのだろう。分霊はたとえばご神木を挿し木して新しい土地に根付かせることで実現された。この分霊という考えは神様をより人間の身近なところにお迎えして「お祭り」する現象を生み出していった。神社でも伊勢神宮の正殿にある「心御柱(しんのみはしら)」のように霊山や鎮守の森から伐りだした一本の柱を依り代として神聖視していることが多い。諏訪大社の「御柱祭」はその柱立ての儀式そのものが祭りとなったものである。

 さらに神霊の移動を簡便にしたのは「御幣」であった。これは手に持てるほどの木の棒に「紙垂」を垂らしたもので「みてぐら」ともいい、文字通り手に持って移動できる「神の座」であり、自在に移動可能な依り代であった。この御幣を鎮座させた神の乗り物が「神輿(御輿)」である。また「山車」とか「山鉾」と呼ばれるものも本来山の模型であり、神そのものである霊山の移動可能となったものであった。いずれも神が氏子の住む地域を巡幸するタイプの祭りでは欠かせない存在となっている。なお神輿が乱暴に揺さぶられるほどに、神霊の威力が活発となり神様が喜ぶとする地方も多く(ケンカ神輿や大阪のダンジリetc)、神輿を壊してしまう地方まであるという。そもそも祭りの日に多少の羽目を外すことも、神霊が躍動しているから人も「血湧き、肉踊る」のだとされて容認されていた。人々の興奮、狂乱は神威の現れと受け取られていたのである。

 御幣の登場で神霊は一層移動させやすくなり、分社といって地方の神しか祭っていなかった神社に有名な大社の神を勧請(かんじょう)することが流行するようにもなった。その結果、多くの神社では複数の神を一つの社で祭ったり、本殿のほかに摂社・末社をいくつも設けて有名な神々を祭ることが全国的に見られるようになった。

イ.「お籠もり」

 祭りを行う側は祭りの前の一定期間(普通一週間ほど)、「物忌み」をすることになっている。けがれを嫌い清浄を好む神を招くには、けがれの無い清らかな者が主体とならなければならない。とはいえ誰しもが日常生活を送るなかで知らず知らずのうちに多少のけがれを積んでしまう。そこで祭りに携わる者は注連縄などで結界された神聖な特別の場所(「お籠もり堂」や拝殿、社務所など)に籠もり、けがれを祓(はら)い清める必要があると考えられた。お籠もりに入ると別火(べつび)生活をし、清浄な火で煮炊きした清浄な食べ物(動物の肉や生もの、臭気や刺激の強いものは禁じられた)だけを口にした。また朝夕「禊」をしてけがれを洗い流し、大声を出したり、歌ったり、笑うことも慎み、静かに過ごすことなどを要求された。ちなみにけがれを祓い、清める姿勢は祭り当日には祭礼を行う地域全体に拡大され、村境などに榊や注連縄を張ってその地域全体を神域にした。

ウ.「宵宮」

 祭日の前日を宵宮というが、かつてはこの宵宮こそが祭りの中心であり、神の降臨を仰ぐ、大切な儀式が行われた日であった。宵宮という言葉通り、祭りはそもそも夕方から始まり、翌日に及ぶのを基本パターンとしていたのである。本来は宵宮で氏子全員が水垢離(みずごり)などをして身を清め、清い装束を着て神社に集まり、夕御膳を供えて神の降臨を仰いだ。そして夜通し神に奉仕して翌朝、朝御前を供えた。この時神に酒食をささげておもてなしをするだけでなく、氏子一同も神の力にあずかるために神と共に同じものを食べ、楽しんだ。これは特に「直会(なおらい)」といい、祭りの中心的行事だったのである。

 祭りの主体たる宵宮の行事は氏子以外の外部には秘儀ともされていたが、最近では簡略化され、翌日の儀式(これは本来、宵宮という大切な神事がすんだ後の祝賀会のようなものに過ぎない)に力点が置かれるようになってきている。なお秋祭りの原型となった神嘗祭は宮中でその年一番に収穫された新米を伊勢の斎宮が神と共に食べるもので、稲と神の霊威にあやかろうとするものであった。また新嘗祭は稲刈りが終わる頃に天皇が神と共に食べる儀式で、これまでの神の労苦をねぎらう収穫感謝の儀式であった。現在は11月23日、勤労感謝の日として祝日になっている。

エ.お神楽

 宵宮における直会の儀で神霊に酒食を楽しんでいただくことに付随して、神にさらに喜んでいただくために催されるのが「お神楽」である。宵宮では酒宴のお慰みに歌舞音曲、劇など趣向を凝らした各種の催しが繰り広げられた。実は日本の伝統芸能の多くがこの神事から発展してきたものである。しかし「お神楽」は現在の芸能とは違って単なる余興ではなく、あくまで神事として執り行われた。基本的には神の面と装束を身に付けた演者は神迎え(神降ろし)の後に神の依りまし(あるいは依り坐=よりくら)として神の化身となり歌い舞う。神みずから人の肉体を借りて歌い、踊って楽しむと考えられたのである。正月の獅子舞も元々は「獅子神楽」と呼ばれ、神楽の一種であったし、秋田の男鹿半島の「なまはげ」もただの鬼ではなく、神がとりついた神の化身であるとされた。また最近のお祭りに欠かせなくなったひょっとこ踊りの「ひょっとこ」とは「火男」からきており、火の神様、かまどの神様のことである。 

 いずれにせよ神は演者に憑依(ひょうい)し、演者はそのために尋常ではない言動をすると考えられた。いわゆる「神懸かり」状態に入った演者は神そのものと見なされ、演者の歌う寿詞(よごと)は神からの託宣と受け取られた。したがって神懸かりした者の発する言葉には神の霊力が宿っていて、その言葉通りのことが実現するとも考えられていたのである。このために新年早々の祭りでは予祝という神事があり、あらかじめその年の豊作を祝ってしまい、神に感謝してしまうケースもある。

 翁(おきな)と媼(おうな)、「おかめ」と「ひょっとこ」のように男女一組でこっけいな踊りを演ずる所も多い。基本的には男側は「田の神」の化身であり、女側はその巫女(みこ)とされ、踊りは田の耕作の物まねと男女の交わり、妊娠、出産が演じられている。いわゆる「性交模擬儀礼」とでもいうべき、この手の祭礼にはさまざまなバリエーションがあり、興味深い。→右側資料参照

 「お神楽」は沖縄では「神遊び」と言われる通り、芸能のみならず古い遊びの源流でもあるという。たとえば子供遊びの「かごめ」は「籠目」のことであった。籠はそれ自体に容器としての呪力(物を入れる器には魂が宿りやすいと考えられ、呪物として利用されることが多かった)があるのに加えて、籠の編み目にも「邪視」という呪力(悪霊を払う)があるとされ、器のなかでも最高の呪物であった。童謡「かごめ」の歌詞の異様さは「籠目」が強力な呪物であり、古く「お神楽」に源流を辿れる秘儀的な神事であったことを物語る。

※「かごめ」の歌詞

   かぁごめ かぁごめ

   かぁごの中の鳥は

   いつ いつ 出やる

 夜明けの晩に

   鶴と亀とすぅべった

 「うしろの正面 だぁれ」

 

 なお神の依りまし役としては七歳以下の稚児があてられるケース(京都の祇園祭etc)も多いがこれは「七歳までは神のうち」といわれたように子供は純真無垢でけがれが無く、神に近い存在と考えられていたからである。これも「かごめ」や「はないちもんめ」などの子供の遊びが古い神事に由来することの傍証であろう。

 

オ.吉凶を占う神事

 見物客を集めて昼間に行われることが多いのが、その年の吉凶を占う神事である。競技的な儀礼が多く、「流鏑馬神事」や「奉納相撲」(力士が土俵に塩をまくのは清めの意味であり、行司の「はっけよい!」は占いの「八卦」からきているetc)、綱引きなど多種多様である。これらは単なる娯楽ではなく、その勝敗を通して神意が示される神事であった。

 競技性の薄い年占いとしては「粥(かゆ)占い」があり、葦や小竹などを管状にしてその一本一本に作物などの名を書き、粥と一緒に煮て中に入り込んだ飯粒の数で豊作を占ったりするものである。ほかに「水占い」「氷占い」等、多様な占いが各地で行われている。

 

参考文献

・「祭りと日本人 信仰と習俗のルーツを探る」宇野正人(監修)青春出版社

 2002

・「新しい日本史の授業 地域・民衆からみた歴史像」千葉県高等学校教育研究

 会歴史部会編 山川出版社 1992

・「陰陽の世界」別冊太陽 平凡社 2003

・「国民の祝日の由来がわかる小事典」所功 PHP新書 2003

・「神社と神々」井上順孝(監修) 実業之日本社 1999

・「日本神道がわかる本」本田総一郎 日文新書 2002

 

日本の伝統的食文化 和食とは?

  )組(  )番(          

始めに

 欧米で低カロリーの健康食として日本食が注目されるようになってから既に相当の年月が経った。「    」「とうふ」はもはや世界の共通語となりつつある。しかし当の日本ではマクドナルドやケンタッキーといった(     )フードや洋食冷凍食品の隆盛もあって、伝統的な和食文化は家庭の食卓から徐々に姿を消しつつあるのでは…と危惧する向きもある。しかも外食産業ではエスニックブーム以降、国際色豊かなメニューが目白押し。都会では無国籍を標榜する店まで出現する有様である。今や普段の食事からは日本らしさを見つけるのに一苦労する時代なのだ。さらには個食化に見られる人間関係の希薄化といった現代特有の社会病理現象、あるいは成人病=生活習慣病の低年齢化、メタボ問題、アレルギー性疾患の多発等、普段の食生活に由来すると考えられる健康上の問題も数多く指摘されてきた。

 近年、イタリアあたりからアメリカのファーストフード店の進出に対抗して

        」運動が提唱(1986年以降)されてきている。食文化はただの栄養補給と味だけの問題にとどまらない。食卓を囲む家族などとの関係性、社会性も問われる、まさに人の生き方そのものに関わるテーマであろう。さらに多様で豊かな地域文化の保存とも関わってくる。「早くて、安くて、うまい」がモットーのファーストフードの進出によってグローバル化の名の下に消滅の危機に追いやられている地域独特の伝統料理を守り、復活させることは、ただ単に昔のメニューを守り伝えること以上の意義があるという。

 食事に栄養を摂取すること以上の意味があるとすれば、和食においてそれは一体、どういう意味なのだろう?今回はこのことを念頭に置きながら、伝統的な和食文化にはどんな特色があるのか、探ってみたいと思う。

1.(    )文化

 海洋国家日本の食文化は魚食に支えられているといっても過言ではない。縄文時代の(   )を見ても、日本人と魚との関係の特別な深さが伝わってくる。日本の箸の先が細くなっているのも魚の骨と骨の間の肉を取るためという(中国、韓国では箸は長くてずんどう形、先は丸い)。同じ東洋でも神饌として神に捧げられるのはもっぱら生の魚介類と海藻であり、羊や豚を捧げる中国や韓国とは大きな違いがある。

 「さかな」という言葉は本来「酒菜」からきており、酒とともに食べる副食の一つであったが、やがて「真菜」(本当のおかずというほどの意味)と呼ばれて別格扱いされるようになった。「真菜」という言葉自体は廃れたが、「    」という言葉は残っている。日本人にとって魚は米と並んで最も大切な食材なのである。またこれだけ多くの海藻を食べるのも海洋国家日本の特色であると言われている。

・刺身とすし

      )の腐りやすい気候風土のなかで、日本では食品の新鮮さが強く要求され、生食できるほどに新鮮であることが最高の贅沢とされた。従って今でも

    )が魚の食べ方として最も高級ということになる。(ただし盆地で新鮮な魚が手に入れにくい京都では煮魚が好まれ、海に面した   では刺身が好まれたらしい。淡白な味の刺身には濃い口の醤油が一番合うため、刺身を好む江戸では関西に比べて味付けが濃くなったとも言われている。)

 一方で魚の保存方法にも工夫が重ねられた。古代からある「なれ鮨」は中国伝来の魚の保存法であった(琵琶湖の名産「鮒鮨」の場合、鮒に塩をしてしめ、米飯と一緒に木の桶に数ヶ月の間、漬け込む。米飯が乳酸菌によって発酵し、デンプンから乳酸が生じて、その作用で鮒の腐敗を防ぐ。米飯はドロドロになるため、食前には捨てられていた)。やがて15世紀以降、1・2週間漬けただけの「生なれ」(魚のタンパク質が熟成して独特の旨みが味わえた)が食べられるようになった。「生なれ」は米飯もまだドロドロになっていなかったので魚と一緒に食べられたため、「すし」の主流となっていった。

 江戸時代の後期になると漬け込んでから2・3日で酢を加えて食べる「早ずし」(鯖ずし等の「押しずし」や「箱ずし」として各地に伝来)が出現、さらに化成年間、気の短い江戸っ子を対象に江戸で「   ずし」が登場してきた(→華屋与兵衛)。当時は屋台でちょいとつまんで食べるという気軽な食事であり、江戸のファーストフードといえるものであった(従って正統な日本料理を謳う     料理のメニューに「握りずし」は今も登場しない)。本来、魚の保存法として伝来した「すし」がやがて刺身を乗せる「握りずし」として新鮮さを売りにするというすしの歴史を見ても日本人がいかに魚介類の生食にこだわってきたか、わかるだろう。

・鰹節と東西日本の差

今でも京料理ではハモなどの淡白な味の(   )魚が好まれているが、これは古代の貴族の趣味が反映したものであった。中世においても赤身のカツオなどは関西では下魚とされていた。しかし鎌倉時代の東国武士は激しい肉体労働を要する武芸に生きるために、高カロリーの赤身魚を食べる途を選んだ。特にカツオは「勝つ」に通じる戦勝魚としてもてはやされ、初鰹の風習も生まれた。さらに江戸中期、土佐で鰹節が発明されると、しょうゆ味の単調さを補い、引き立てる出汁(   )として江戸の町に鰹節も急速に普及。(    )だしにこだわる関西と味付けの面でも大きな違いが生まれていったのである。

2.仏教と食文化

 日本の食文化に決定的な影響を与えたのは(   )伝来であったという。それまで肉食に対するタブーが無かったのに、(   )天皇の時(7世紀後半)仏教の殺生禁断の教えによって獣の肉を食べることが禁じられていった。以後一部の貴族(後に武士も)らは「薬猟」と称して獣を狩り、「薬食い」と称してひそかに食べ続けていたが、それも例外的であった。この肉食禁止令によって日本の食文化は魚食と

   )を中心とするものになっていったのである。

・菜食

 古代、貴族の間で魚が「真菜」と呼ばれたのに対して野菜は「粗菜」(現在も「蔬菜」という表現が残っている)と呼ばれ、格下の扱いを受けていた。しかし中世に入ると、調味法(醤油や味噌などの調味料と「出汁」)や切る技術(四条流等)、あるいは保存法(漬物)の発達によって野菜は次第に魚と同等の地位を占めるようになっていった。しかし欧米の「サラダ」のように野菜を生食することは「大根    」以外はほとんど日本では見られなかった。魚の生食にこだわる日本人が野菜に関しては生食を避け、「煮る」か「漬ける」かして食べてきたのである。その理由はおそらく主食のご飯との絡みで、「    」としての使命から野菜は塩味等で強く味付けされねばならなかったことに求められよう。「サラダ」はパンには合うが、まさかご飯の「おかず」にはなるまい。

 ちなみに日本自生の野菜は「セリ、ミツバ、フキ、ゼンマイ、ウド、ミョウガ、ヤマイモ」などに限られ、今、野菜として知られている多くの品種は大陸等から伝来してきたものである。

3.米食文化

 縄文時代末期に伝来した水稲耕作の文化は5世紀頃、鉄器の普及などによってさらに進化を遂げ、湿田から(   )を中心とするものへと切り替わっていった。その結果、米の収穫高は飛躍的に高まり、米を(   )とする食文化が成立していったという。ちなみに主食と副食とを分ける発想は米文化圏特有のもので、(   )語には「主食、副食」に該当する言葉は無いという。

 米はしばらく煮て食べられていたが、弥生時代の終わり頃から蒸して食べることも始まった。その結果、もち米を蒸した「強飯(こわいい)」を握り飯にしたり、天日で干して「乾飯(ほしいい)」にして携行することもできるようになった。現在のようにうるち米を炊いたご飯は「姫飯(ひめいい)」と呼ばれ、平安時代に始まった。「姫飯」が一般にまで食べられるようになったのは高温で炊き上げることのできる鉄釜が普及した室町時代以降のことであるらしい。それまでは固いうるち米はもっぱらお粥として煮て食べられていたという。

 なお米の品種は江戸時代には何と3600種ほどもあったと言われるが、現在、実際に栽培されているのは約60種でそれも「ササニシキ」や「       」といったお金になるブランド米が主流らしい。この現状に対して地方の気候風土に適応した品種の栽培が廃れ、一握りのブランド米が地域の気候風土を無視して化学肥料や農薬の力を借りて栽培されていることに若干の気がかりが残るとする指摘もある。

4.調味料

・塩

 古代から塩は神への供え物であり、特別な扱いを受けてきた。これは日本だけでなく、キリスト教も別名「塩の宗教」と呼ばれたように塩は生命維持のための不可欠な食品として世界各地で尊重されてきたからである。岩塩の産出しない日本ではとりわけ塩は貴重で、海水から煮詰めたりして苦労しながら塩を得てきた。海から離れた山間部には「     」が古代から通じていたことが知られている。

 米を主食とする日本人はとりわけ塩味を好み、塩分を欲しがる。これは米や野菜にはカリウムが多く含まれており、カリウムが排出される際、塩分の元のナトリウムも一緒に排出されてしまうからだという。実際、塩は梅干などの保存食にもふんだんに使われている。

・酢

 7000年ほど前にバビロニアで酢が(  )から作られていたことが知られているが、日本では5世紀前後に中国から伝来したという。古代の上流階級にとって酢は塩や酒、醤(ひしお)と並んで重要な調味料であった。室町時代には酢味噌、ワサビ酢、カラシ酢など様々な和え酢が登場し、バラエティーに富んでくる。江戸時代には大量生産が始まり、一般にも普及。「塩梅(     )」という言葉にあるように塩辛さをまろやかなものにし、魚介類の臭みを消す効果が酢にはあるという。

・醤油

 中国伝来でもともとは肉や魚を塩に漬けて発酵させた塩辛のようなものであったという。やがて大豆、米、麦などを原料とするものが主流となった(秋田の「ショッツル」のように魚醤もわずかながら残存)。13世紀、味噌を作る過程で生ずる「溜り」を調味料にしたのが現在の「しょうゆ」の元である。17世紀以降、大消費都市江戸に近い野田(→        )や(   )(→ヤマサ)などで大量生産が始まり、普及していった。

・味噌

 古くは「未醤(みしょう)」と書き、未だ醤にならないものを指した。発酵分解して液状化する以前の半固形を調味料として用いていたのである。茹でた菜などの味付けとしてそのまま舐めていたのが、鎌倉時代から汁物にも利用されるようになった。醤油よりも簡単に作れて安価だったため、「味噌汁」は早くから庶民にも普及していったらしい。

5.保存の工夫

 高温多湿の気候風土は食品の保存技術を高度に発達させた。縄文時代には加曾利貝塚に見られるようにすでに貝を干して保存食にしていたことが知られている。かつて(    )屋という店が存在していたほど日本には乾物が数多くあったのである。

塩漬けも古くからの保存方法であった。また(  )で「〆る」という調理法も奈良時代からあった。さらに高温多湿をうまく利用した(    )食品も保存食品として忘れてはならないものである。既に触れた酢や醤油、味噌などの調味料に加えて

    )も代表的な発酵食品である。中国の塩納豆(大豆を塩に浸し、コウジカビを用いて発酵、熟成させたもの)が起源であるが、現在の糸引き納豆がいつ出現したかは不明であるらしい。おそらく煮豆を藁でくるんでいたら糸を引いて粘っこくなった(藁についている納豆菌=バクテリアの一種が繁殖)のを偶然、誰かが発見し、東国で食するようになったのが始まりであろう。

6.麺(うどんとそば)

 世界最古の麺食文化は(    )で7世紀頃にほぼ完成し、シルクロードを経由してアラブからさらに(      )へ伝播し、パスタ料理(スパゲッティやマカロニなど)として花開いた。日本へは鎌倉時代、(    )とともに伝来、当初は(     )とそうめんの二種であったと考えられている。当時は一日二食であったため、空腹と眠気で集中力を落とす僧侶が多かったので、昼頃にお茶を飲み、さらに軽い食事をとるようになった。この昼食に相当する食事において禅院では饅頭や豆腐などとともにうどんが好まれていったという。ちなみに空腹や寒さをまぎらわすために僧侶が懐に入れた温石(おんじゃく)から(    )料理の名が生まれている。鎌倉時代以降、西日本中心に米の裏作として(  )が作られる(二毛作の普及)ようになったことも麺食文化発展に大きく貢献した要因である。(       )の仏教弾圧以降、寺院の権威が低下すると、それまで禅院の秘伝となっていたうどんの製法が一般にも流布し、上方中心に町人の夜食として普及するようになったという。

 一方、(    )はヨーロッパでも栽培されているが、麺にして食べるのは日本と中国の一部だけと言われている。日本でも当初は粥などにして食べていたが、鎌倉時代以降、小麦粉を挽く石臼が普及したことによりそば粉を挽けるようになったため、練って団子状にして茹でたり、焼いたりする食べ方も始まった。しかし小麦粉と違ってグルテン(粘り気の元)が含まれていないそば粉はそれだけではなかなか麺にすることができなかった。(    )時代に入ってようやく小麦粉をつなぎ(小麦粉2割そば粉8割なので「二八そば」と言われた)麺を作る技術が開発された。もともと寒冷地に適し、備荒作物として東日本中心に栽培されていたため、うどん食の西日本に対して東日本はそば食が主流となっていった。特に独身者の多い江戸では屋台を含め、1万店近くのそば屋があったほど隆盛をきわめたという。

7.おせち料理

 「おせち」とは「御節供(おせちく)」のことだそうで、節会(1.1,3.3,5.5,7.7,9.9)に出されるご馳走を指していたという。しかしやがて正月料理だけを言うようになった。現在のような料理となったのは(   )時代であり、日本の伝統料理の代表であるかのごとく思われがちだが、歴史は意外と新しい。基本的には大晦日までに作って正月の三が日まで保存が効く料理であり、正月のめでたさを演出する祝儀物でもある。食材によく使われる海老、干し柿、梅干、とろろは

   )を願い、里芋、数の子は多産、勝ち栗は「勝つ」に通じ、昆布は「   」に通ずるとされた。他に田作り、なまこは豊作を願うものであった。新年を迎えるにあたり家族そろって食べる料理、そこには日本人の切実な願いが込められていたのであるが、現代人の口には合わなくなってきたため、最近では洋食を取り入れたおせち料理も目立ってきている。

8.和包丁と和食の伝統

 和食の料理人は武士が刀に対すると同様の真剣さと愛情を持って包丁を扱う。彼らの多くは自分専用の包丁を持ち、毎日、それらを砥石で磨き上げ、ただの道具以上に大切に付き合っていくのを常とする。両刃の欧米や中国などと違い、和包丁は

   )であることが最大の特色となっている。このため切り下ろすと左手の方へ少しずつずれて切れていく。そのおかげでキュウリの薄切りや大根の千六本などの際、切れたものが自然に右側へこぼれていくので素早く連続的に切ることが可能となる。しかも切り込む角度を一定に保たせやすいので、大根のかつらむきもできる。

 こうした和包丁の特色から「切る」ことに重点を置く日本料理の特性が生じてきた。料理を意味する「割烹(     )」の「割」は切ることを、「烹」は煮て味付けをすることを意味するが、和食の世界では「割主烹従」と言われていた。切り口などの(          )を重視し、刺身を第一とする傾向もそこから生まれてきたのである。室町時代には小笠原流、四条流などの流派が出て、「包丁式」と呼ばれる切り方から食べ方にいたるまでの作法が成立してきた。しかし見た目本位に走る傾向に疑問をもった(     )らは侘び茶の精神を料理の世界にも取り入れ、簡素でありながら見た目と味の調和をはかる懐石料理の基本を確立したと言われる。冷たいものは冷たいうちに、温かいものは温かいうちに召し上がってもらう「おもてなし」の発想からフランス料理のように一品ずつゆっくりと客に料理をふるまうのも千利休以後のことらしい。

9.日本食の味と香り

 日本食ブームのおかげで最近でこそ日本食を平気で食べられる欧米の人が増えてきたが、かつてはその特有の味と香りのせいで日本食を毛嫌いする欧米人も多かった。たとえば醤油は「ソイソース」として比較的早くから欧米になじまれてきた調味料だが、味噌はなかなか欧米人の口には合わないようである。「たくあん」や海苔もまずそのにおいから欧米人に嫌われてしまう代表的な日本食といわれている。納豆にいたってはいまだに多くの欧米人が最も苦手とする日本食である。これらの食品にほぼ共通するのは(    )化合物系の香りだそうで、米飯や醤油、日本酒にも含まれる、最も典型的な日本食の香りとされている。しかしこれは欧米では悪臭として分類されるのだそうだ。

 干し魚のにおいも欧米では嫌われてしまう。これは窒素化合物系の香りで魚を良く食べる日本人には苦にならないが、やはり欧米では悪臭とされてしまうようである。これらは魚食、菜食、藻食を伝統とする日本人ならではの嗅覚といえよう。ただし洋食に慣れきった最近の日本人のなかにもこれらのにおいを苦手にする人が増えてきているようであるが…

 日本人独特の味覚に「   」というのがある。欧米では「   い、塩辛い、酸っぱい、苦い」という四つの基本的味覚を前提に料理を考えるが、日本ではその四つには属さない「旨味」をさらに設けている。1908年、池田菊苗博士によって昆布の旨味成分の「グルタミン酸ソーダ」(後に「    」として製品化)が発見されて以降、日本人が出汁の旨味として愛好してきた味の成分(かつお節→イノシン酸、シイタケ→グアニル酸等)が化学的に立証され、日本食の味覚の多様性が明らかになってきた。これも魚食、菜食、藻食を伝統としてきた日本独特の食文化に由来するものであろう。

10.和食の特色―まとめ―

 以上の点を要約すると、和食は日本の高温多湿の風土から、まず新鮮さが追求され、「  」の素材を重視した、季節感あふれる料理を生み出してきた。そのため味付けも薄めで、目を楽しませる盛り付け等が重視された。また腐りやすい風土のため保存食も発達し、発酵技術などの進歩を招いた。さらに海に囲まれているため、料理に海産物の占める割合が高く、日本独特の味覚も生じてきた。しかし他方で海外との度重なる交流から多様な調理法や食材がもたらされ、日本人の食卓はきわめて国際色豊かな側面(カステラや天ぷらは16世紀に         から伝来etc)も持ち合わせてきた。

 

参考文献

 ・「食の文化史」:大塚滋 中公新書 1975

 ・「日本人のひるめし」酒井伸雄 中公新書 2001

 ・「和食の力」小泉和子 平凡社新書 2003

 ・「日本人は何を食べてきたのか」永山久夫 青春出版社 2003

 ・「食の変遷から日本の歴史を読む方法」武光誠 kawade夢新書 2001

 ・「世界地図から食の歴史を読む方法」辻原康夫 kawade夢新書 2002

 ・「本物を伝える日本のスローフード」金丸弘美 岩波アクティブ新書 2003

 ・「和の暮らし大事典」新谷尚紀監修 学習研究社 2004

生と死の文化史・神道とは何? 

 

 今回はカッパが実際に授業で用いた日本の伝統文化に関わる穴埋め形式のプリント資料を2点ご紹介しております。

 なかには20年以上前に作成したものもあるので内容的に古くなっている部分があることをなにとぞご了承ください。また空欄はご自分で埋めてみてください。

 

生と死の文化史

始めに

 縄文時代の屈葬や抜歯の風潮、土偶や石棒などの呪物から、原始日本人の信仰については様々に推測されてきた。縄文時代以降、かつての日本には「生と死」を巡って一体いかなる観念が存在し、いかなる風習が存在していたのか…これは日本の伝統文化を考える上で、非常に重要なテーマであるはずだ。しかし今や出産は病院で済ませ、死もまた病院で迎えて葬式までもが「…セレモニーホール」等の業者にまかせっきりになってしまった。病院での死者数が自宅でのそれを超えたのは1975年のことであるという。本来誰であれ何時いかなる時代においても切実であるはずのこのテーマ自体が、現代に生きる日本人にとってはきわめて縁遠い問題になりつつあるようだ。つい最近まで「生と死」に関わる独特の風習が日本各地に残っていたはずなのに…

 人間の生と死に関わる伝統的な儀礼や観念にはその国の伝統文化の核心ともいえる重要な特性がうかがえるはずである。日本の場合、仏教だけでは語れない固有の要素がそこには数多くあるといわれる。仏教が伝来して1500年近く経とうとしている現在でも、決して仏教だけでは括りきれない、独特の習俗がいまだに残されているのである。神道とも関わるそれらを概観してみれば日本人の「生と死」に対する独自の観念、姿勢が浮かび出てくるに違いない。今回は民俗学の知見を取り入れながら、「生と死」に深く関わる出産と育児及び老いと死をテーマに日本人の「魂」の核心に迫ってみよう。

1.産育の文化史

①「魂」とは?

 まずは栃木県に伝わる興味深い伝承を一つ紹介しておこう。「昔々、ある人が占いをしてもらうと、何月何日の何時に死ぬと言われた。心配して家に閉じこもっていたが、その日になってもまだ死なない。馬鹿らしくなって遊びに出ようとすると、魂が体の外に出てしまった。魂となってフワリフワリ道をたどっていくと、一軒の家の前に人だかりがしている。何事だろうと覗き込んだが、戸が閉まっていて見えない。どうもその家ではお産の最中らしい。なおも覗き込もうとした拍子につい窪みに落ちてしまった。と同時に家の中では子供が生まれたらしく「生まれた、生まれた」という声がして赤子がオギャーオギャーと泣いている。ふと見ると魂はボロにくるまれていた。魂は「おれだ、おれだ」と叫んでも産婆さんは丈夫な赤子だと笑うばかり…」

 日本の生と死の文化史を考えるとき、「魂」のあり方を最初に取り上げなければなるまい。魂とはどういうものか?類話の多い上記の伝承は日本人の霊魂観をよく表したものだという。フワフワと肉体から遊離して肉体の死を招くとともに新たな肉体に宿り新しい生命の誕生に立ち会うもの…

平安時代の女流歌人和泉式部の有名な歌に「物思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」(「後拾遺集」)というのがある。古くから日本ではすばらしいものや美しいものがあるとその人の意志に関わらず、魂だけが勝手に体内から飛び出してその方へ行ってしまうことがあると考えられており、その結果魂の抜けた肉体は一種の放心状態になるとされた。こうしたことは睡眠中やくしゃみ(直後に「こんちくしょう」などと唱える風習は各地に残っている)でも起こりうると考えられた。また「7までは神のうち」という言葉があるとおり、乳幼児期の魂はまだ不安定であり、肉体から遊離しやすい=死にやすいとされていた。人は魂を宿すことで初めて人として振舞えるようになれるが、その魂は必ずしも己の肉体に安住してはくれないのである。

※魂は人の身体だけでなく、くぼんだ器物(お椀や枡、杓子etc)や丸い石、こん

 もり茂った森などにも宿るとされ、それらは呪物に使われたり崇拝の対象とされる

 ことも多い。

②出産・育児にともなう風習

 妊娠とは基本的には母体が夫の魂に触れて新しい魂を創造することとされたが、①の冒頭の伝承はその変形と見なされよう。ここで注意すべきは赤子の魂にとって重要なのは夫の魂であり、妻の魂ではないということである。血統を重んじる天皇家にあっても、母方の血は父方ほどには重視されなかった。天皇の母は「仮腹」と言われて天皇の神聖な魂を乗せる乗り物のようなものに過ぎず、極論すれば聖なる魂が受肉するための肉体でしかなかったという。この魂の継承という観点からすれば日本は典型的な男系社会といえよう。

 出産は医学の未発達な当時の女性にとっては生命の危険をともなう、きわめて過酷な出来事であった。多量の出血と死産の恐れ…中世に広まった穢れ=「気枯れ」の観念によって妊婦と出産の場も穢れたものという意識が生じ、産屋(うぶや)を設けて一定期間妊婦を隔離したり、別火(べつび)と称して妊婦と他の家族とは煮炊きの火を分ける風習も地方によっては存在した。ただしこれによって妊婦が村落共同体や家族から排除されるというわけでなく、むしろ胎児と母親を皆で守ろうという考えに基づいて行われた風習であるという。そうした発想は臨月を迎えた妊婦に対して餅をついて贈る風習にもあらわれていよう。

 安産の守護神は犬や子安地蔵だったりするが、犬は出産が軽いことに加え、悪霊を追い払う力があるとされて安産の神となった。妊娠5ヶ月目の戌(いぬ)の日に腹帯(はらおび)を締める風習(「帯祝い」などと言われる)もそこから生じている。なお不幸にも流産した場合には「水子」(間引きされた子も含む)として墓場ではなく川に流されたり、土間や縁の下などに埋められることもあった。いずれも現世と他界との境界とされた場所にあたり、魂の再生復活を期すための処置と考えられた。この処置は「水子」だけでなく、乳幼児の死にも適用されていたようである。実際多くの地方では7歳までは子供が死んでも魂の再生を期し仏にさせないために普通の葬式を施さなかったという。間引きを「おっかえし」とか「ひっかえし」というのも他界からきた子の魂を再び他界に返すという観念から生じた言葉に違いない。当時の人々は魂の再生復活を信じるからこそ、堕胎や死産にもさほど罪の意識を覚えないで済んだのであろう。

 無事生まれた赤子は不安定な霊魂を落ち着かせるよう産湯で清められて真っ白な産着を着せられた。出産及び生まれた子の運命をつかさどるのが産神(うぶがみ)であるが、産神は山の神であったり、水神や便所神、道祖神、荒神、かまど神などであったりとその出自は多種多様である。御神体は丸い小石であることが多く、出産直後に盛り上げた米飯=「産飯;うぶめし」(米飯そのものに呪力があるとされていた)を供えて祀られた。まだ不安定な赤子の霊を強化するのが狙いで、供えられた産飯は産婦や産婆、見舞いの人にご馳走され、ともに産神の加護を得ようとしたという。

※ちなみに分娩体位は江戸中期まで座産が多く、天井からつるした力綱につかまり、背後から抱いてもらう形で介助された。西洋の分娩椅子による出産に比べ介助が難しいことなどからやがて仰臥位(ぎょうがい)に移行。

 生後七日目に名付けの祝いである「お七夜」を行う。出産に伴う血の穢れも父親に限り七日目には消滅すると考えられたらしく、神主や近隣の人達の意見をもとに父親が名付けて赤子の社会的な認知を求めるならわしであった。もっとも父親以外に名付け親がいる場合も多く、名付け親はその子の生涯にわたって関係を持つとされ、仮親の一つとして地位も高かった。母子ともに血の穢れが消滅し、忌明けを示すのが生後三週間から一ヶ月後頃に行われた初宮参りである。初宮参りは氏神、産土神(うぶすながみ)に氏子として公認してもらう機会であるため、わざと神前でつねって泣かせることで赤子の存在をアピールさせる地方もあった。

 生後百日頃にはお食い初め(おくいぞめ)という儀式を行い、一人前に成長して一生食べ物に困らぬよう願った。通常、子供のために新しいお膳や茶碗、箸が用意され、正式なものになると一の膳には握り飯、鯉か鯛などの焼き魚、それに梅干と小石を添え、二の膳には紅白の餅を添えるらしい。小石は産神の依代(よりしろ)であるとともに歯固めの意も込められている場合もあるという。もちろん子供はまだ歯が生えてきていないので食べる真似だけで儀式は終わった。

③子育て

 幕末から明治初期に来日した欧米の人々は一様に日本人の子育てを驚嘆の目で眺めている。大森貝塚の発見で知られるアメリカ人のモースは「日本は確かに子どもの天国である。…世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供の為に深い注意が払われる国は無い」と書いた。またロシアの海軍中佐ゴロヴニンも「日本人は自分の子弟を立派に育てる能力を持っている。…日本人は天下を通じて最も教育の進んだ国である。…読み書きのできない人間や、祖国の法律を知らない人間は一人もいない」と日本の民度の高さと子育ての熱心さを絶賛していた。19世紀の日本は世界でもトップクラスの教育熱心な国であったらしい。実際寺子屋の普及によって江戸時代後期には民衆レベルでも「読み書きそろばん」程度の基礎知識は相当広範囲に習得されていた。およそ200年前には国民の識字率で日本はおそらく世界トップレベルに達していたと考えられている。このことが明治維新等の急速な近代化を可能とした重要な要因の一つだと指摘する学者(R.P.ドーアら)もいる位である。

 産業革命、市民革命を経て当時全盛を誇ったイギリスでさえ、19世紀前半までは民衆レベルの教育に関してはまだまだお粗末なものに過ぎなかった。特に民衆の子供の置かれた環境は劣悪で、工場や炭鉱での児童労働も平然と行われていたという。近代学校教育の成立は親が強いる過酷な労働から児童を守ることを大きな目的として欧米で発足したことも考え合わせると、19世紀の中頃、欧米の人々が見た日本の「溺愛」ともとれるほどに濃密な子育ては驚き以外の何ものでもなかったであろう。

 日本人の子供に対する深い愛情は「銀(しろがね)も金(くがね)も玉もなにせむにまされる宝子にしかめやも」(山上憶良)と万葉集の昔から歌に残されているが、もちろん親子の情愛自体は人類普遍のものであって日本の専売特許ではない。注目すべきは子育てのあり方である。日本では古くから親は子が幼いうちは添い寝をし、時には子供を挟んで「」の字になって寝るのが普通であった。今は日本でも万事において欧米風となり、子供部屋を早くから利用させる家も増えてきたが、100年以上前の日本には子供部屋のある家などほとんど無かったのである。しかし欧米では自立心を早いうちに養うためにスペースさえあれば幼児期から子供と親の寝室を分けてきた。親への依存は早目に断たれ、個としての人格の形成を幼児期から促していくのが欧米流の子育ての基本なのである。さらに18世紀頃のヨーロッパの都市部では乳幼児を乳母に預けたり、里子に出すのが普通に行われていたから、日本のような親子の密接な情愛の交流など望むべくも無かったらしい。

 欧米と違い日本では親からの自立をせきたてるような子育てはほとんどせず、むしろ親への依存を強めさせるような、欧米からは羨ましがられるほどの親子密着型の子育てが目立っていたのである。他方でそのことが、甘えん坊でなかなか自立できず、自己主張が乏しいなどと言われがちな日本人の欠点の主な原因として槍玉にも挙げられてきた。

 しかし日本人の「溺愛」の弊害については実は江戸時代から繰り返し指摘されてきたという。江戸時代の代表的な教育論者でもあった貝原益軒はただの溺愛は子の成長を損なうとして退け、早い時期からの厳しい躾と教育を唱えた。もっとも江戸時代の育児に大きな影響を与えた石田梅岩に始まる心学の立場は益軒と同様「溺愛」を否定しながらも一貫して厳しすぎる躾の弊害に触れ、優しく教え諭す形での躾を提唱している。育児にはまず親子間の親密な睦まじい感情を必要不可欠とするのが、この頃の育児論の大勢であったらしい。江戸時代は前述したように識字率も急上昇し、育児論、教育論の出版が相次いでいた。儒学者や心学者の育児論の持つ影響力は決して小さなものではなかったとすると、日本人の伝統的子育ては江戸時代に普及し、完成していったことがうかがえる。明治期以降も戦前までは日本の子育てスタイルはさほど大きな変容はなく、旧民法の家父長制のもと「厳父慈母」といわれたような夫婦間での子育てにおける役割分担が進んでいった程度の変化しか認められない。この伝統的な子育てが急激に崩れるのは1960年代から1970年代のいわゆる高度経済成長期であった。

2.老いと死の文化史

①老いるとは

 現代の日本では老いることに対し、ひたすら心身ともに醜くく衰えてやがて死を迎えるだけの、人生の辛い終末期に過ぎないかのようなイメージが強いようである。しかしかつての日本では老いをただの老衰ではなく、魂があの世にいって神の子として生まれかわるための大切な通過点として捉えていた。江戸の町人たちは老いを楽しむことに余念がなく、「死光り(しにびかり)」といって死に際を立派に飾れるよう努力したという。若さが失われていくことに焦点をあわせた引き算の「老い」ではなく、若さに加算されていくものとしての目出度い「老い」であったのである。臨終に際しては「何も思い残すことはない」と言う最期の言葉とおだやかな死に顔こそが理想とされた。したがって死に関わる儀礼も魂の新しい旅立ちに関わると言う点で出産の儀礼と多くの面で共通しており、両者には以下で触れるように随所で似通った要素があることになる。老いと死は決して人生の悲劇的結末などではなかったのである。

②魂呼ばい(たまよばい)

 古代では死と仮死状態との区別はつけていなかったため、生理的には死んでしまっていてもなお死に切っているとは考えず、呪術的な作法を施せばよみがえらせることもできると信じられていた。古くは天皇の死後、数年もの間葬らずに仮宮に安置しておく「もがり」の風習もあった。平安時代には「もがり」の風習のかわりに死者の家の屋根に上り(死者の魂はしばらく自分の家の屋根のあたりをさまよっていると考えられていた)死者の名を呼ぶ「魂呼ばい」をしたことが記されている。この「魂呼ばい」は形態に様々なバリエーション(枕元で叫ぶ、井戸の底に向かって叫ぶ、杓子で招く、枡やお椀をたたいて叫ぶ、米を口に入れたり、米の音を聞かせる…)が見られるものの近年まで各地で行われていた。死者の名を呼んで魂を再び肉体に戻し、「死者」の復活を願うこの招魂の呪術でも生き返らないときに初めて肉親は本人の死を受け入れ、次の葬送の儀礼に移ることになる。

③葬送の儀礼

 死が確認されれば直ちに葬送の儀礼に入る。まず「死に水(しにみず)あるいは末期の水」と言って普通は筆などに水を含ませて死者の唇を潤すことが行われる。この風習に関しては生理的に重篤の患者が水をほしがることが多いためという説明もあるが、民俗学的には水が「魂呼ばい」にも使われることがあり(秋田の例;難産で気を失った女性に対し、盥に水を汲んで髪の毛を水にひたして名前を呼ぶ)本来は②の儀礼に属していたと推定されている。またお椀に飯を盛り切りにして箸を突き立てた枕飯(あるいは枕団子、産飯に対応)を急いで作り、死者に供えることも全国的に見られる風習である。米の呪力でいまだ不安定な死者の魂をつなぎとめ、悪霊などがよりつかぬようにする狙いがあったらしい。これも本来は②の儀礼に属していたと考えられる。

 枕飯と同様の狙いで死者の近くにはローソクや線香が絶やすことなく焚かれ、死者の布団の上には魔除けの小刀が置かれる。なお死体を北枕西向きにするという風習は仏教の影響(釈迦の入滅をまねたもの)でさほど古い風習ではないらしい。

死体は入棺に先立って湯灌(現在、病院では清拭(せいしき)と言われることもある。産湯に対応)が施された。死体は裸にされてお湯の入った(たらい)に入れられ、近親者によって洗い清められたのである。そして男の場合にはひげを剃り、女の場合には薄く死化粧を施し、死装束(たいてい装束であり、産着に対応)に着替えさせた。欧米ではエンバーミングといって消毒や防腐処理まで遺体に施す(静脈から血を抜き、動脈から防腐剤を注入)ことがあるが、湯かんでは遺体の保全までは考慮されていなかった。あくまで死者を清め、荘厳することが狙いであったようで、浄土信仰の広まった1000年ほど前から始まったと考えられている。やがて極楽浄土に旅立つ死者のために手甲、脚絆、草鞋に杖を持たせ、六文銭(三途の川の渡し賃)や穀物などを入れた頭陀袋をかけることも一般化した。なお死者の額や野辺送りの際に近親者の額へ白い三角紙を付ける風習はさほど古いものではなく、穢れた者が日にあたることを慎むために頭にかぶったものが簡略化されたものと考えられている。

 湯かん等が済むと入棺となるが、かつては桶棺が多かったため、遺体はしゃがんだ姿勢をとらせる必要があった。その際、極楽縄とか往生縄と呼ばれる縄で首と両膝を固く結ぶ地方(青森、新潟、石川、岐阜…)もあった。死後硬直が始まっていると首の骨が折れる場合もあるほど、傍から見ると凄惨な風習ではあるが、招魂の呪術を施しても魂の戻らぬ死体はもはやただの抜け殻に等しいという捉え方もあり、古風な地方ほど死体の扱いはぞんざいなものになりがちだという。どうやら大切なのは霊魂のほうであり、霊魂だけを祭れば十分というのが古来の考え方であったようである。ただし死体を縛り付けるのは無縁の死霊が死体にとりつくことを恐れてのことだという考えもあったようで、死者の胸の上を猫が跳び越えると猫魂(=無縁の霊魂?)が入って死人が立ち上がるというよく知られた伝承もそうした考えが存在した傍証となろう。また「お通夜」も本来は死者に死霊がとりつかぬよう、近親者が火を絶やさずに遺体とともに一夜を明かすのが古来の習わしであった。

④他界観

 仏教では極楽と地獄が代表的な「あの世」であり、日本の他界観も仏教の影響を強く受けてきたが、各地に残された伝統的な習俗からは山上他界観がほぼ共通してうかがえるという。死後しばらく近くをさまよっていた霊魂は祭られて清められる。やがて祖霊と融合した霊はまず近くの山や丘の頂に登り、そこでさらに清まると天に昇ると考えられていた。しかし霊魂の行方と山の神等とのつながりはもはや明確ではなく、そもそも古代の日本に明確な体系をもった他界観があったのかどうかさえあやしいようである。結局今もってはっきりしたことはわからないというのが現状のようだ。

 なお「古事記」には死の神話としてイザナミの死と死後の世界についての記述がある。ギリシア神話にも良く似た話しがあり、興味深いのであらましを紹介しておこう。男神のイザナギと女神のイザナミは夫婦協力して国を生み、多くの神々を生み出したが、最後にイザナミは火の神を産んで大火傷で死んでしまった。イザナミは死後の世界で地底にある黄泉国(「よみがえる」の語源)に行ってしまう。これを嘆き悲しんだ夫のイザナギは妻のいる黄泉国へ行くがそこで亡き妻に「私の体を見るな」と言われる。しかし妻の恐ろしい体を見た彼は追いかけてくる妻を尻目に一目散に逃げることになる。彼はこの世との境まで追いかけてきたイザナミに「一日に千人の人間をくびり殺す」と呪いの言葉をかけられる。一方イザナギも「それなら私は一日に千五百の産屋を建てよう」と言い返す。いわゆる人間の生と死の起源を示した神話である。女神が生と死の両方をつかさどる神話は世界最古の神話であるシュメールの叙事詩(約6000年前、妹のイナンナが天上と地上を支配し、姉のエレシュキガルが地下の死の世界に君臨する)にも共通する点がさらに興味深い。

 

3.参考文献

 「お産の歴史」杉立義一 集英社新書 2002

 「冠婚葬祭」宮田登 岩波新書 1999

 「日本人のしきたり」飯倉晴武(編) 青春出版社 2003

 「なぜ日本人は賽銭を投げるのか」新谷尚紀 文春新書 2003

 「江戸の子育て」中江和恵 文春新書 2003 

 「日本の葬式」井之口章次 ちくま学芸文庫 2002

 「お葬式の日本史」新谷尚紀(監修) 青春出版 2003 

 

 

神道とは何?

はじめに

 近年、「歴史」とか「伝統」という言葉はすっかり魅力を失ってしまった。もはやどうでもよい過去の残骸…?なにしろ今や激動の時代である。今さえ良ければ…あるいはせいぜい自分の近い将来だけ考えればそれで十分。多くの人々は目先の流れを追うので精一杯なのだろう。実際、現代という時代はわずかばかりの「新しさ」に価値を求め、過去を悠然と振り返る心のゆとりが欠けている、それゆえ心が消耗しがちな時代のように思えてならない。

 とりわけ神道の場合、戦時中の国家政策に積極的に関わってしまったため、戦後はその責任が問われ、歴史の授業でも影がすっかり薄くなってしまった。しかし日本の伝統を考えると、日本史の時間に日本固有の宗教である神道を無視するわけにはいくまい。私たちのすぐ近くにもたくさんの神社がある。そのくせ私たちの多くはその神社にどんな由来があり、地域とどう関わってきたのか、まったくといっていいほど知らないのである。実際に神社に行ってみると、境内にはいくつもの石碑があって、かつての地域の人々の生活と信仰のあり方の一端を今に伝えてくれている。普段、「初詣」や「お祭り」でしかふれることのない神社が、実はその地域の重要な歴史の証言者なのだ。

 今回は地元の歴史を学ぶ上でも欠かすことのできない神道を取り上げ、日本の歴史を身近に理解することを目的に特集を組んでみた。これを機にぜひ近所の神社に行って地元の歴史に触れてみよう。

1.基礎知識の確認;以下の質問に答えてみよう。

 ①日本にはいったいいくつの神社が存在するのだろう?        約11万

 ②千葉県で古来最も格式の高い神社とされてきたのは?       香取神宮

 ③全国で古来最も格式の高い神社とされてきたのは?        伊勢神宮 

 ④「天照大神」でなんと読む?            アマテラスオオミカミ

 ⑤雷と稲妻の語源は?

  雷:「神が鳴る」からきており、神が地上に来臨する際の現象と考えられた。

  稲妻:稲を実らす穀霊として雷は捉えられていたため。

 ⑥「日本武尊」でなんと読む?            ヤマトタケルノミコト

 ⑦日本の神々を知るうえで欠かせない書物で8世紀に成立したものとは?

                           古事記と日本書紀

 ⑧ねずみは「一匹、二匹…」では神様はどう数える?          ~柱 

 ⑨「天神様」は神様に祭られる前は誰?              菅原道真 

 ⑩全国で最も多い神社は何神社?                 稲荷神社

 

2.日本の神々と信仰

 日本の神々は「八百万(やおよろず)の神」と言われるように、「あらゆるものの霊魂が神」とも考えられるほど数が多いのが大きな特色であろう。そもそも原始日本人は人をはじめとする生き物だけでなく、山や川、あるいは雨や風といった自然現象までもが霊魂を持っていると考えていたらしい。「神」とはそうした霊魂のなかで特に人によって祭られた霊魂を指していたようである。

 また日本の神は人並みはずれた力を持つが、人々を威圧して支配することはないとされ、人間も神々も平等な価値を持つ霊魂と考えられていた。したがってキリスト教やイスラム教のように唯一絶対の神が人間世界に君臨して法で人々を縛るようなこともなく、「聖書」や「コーラン」のような体系的書物=経典も残していない。そのため欧米の価値観からみると日本には「ちゃんとした」宗教が無いように見えてしまう。しかし同じ宗教といえども西洋の一神教と同じ土俵で日本の神道を比較することは乱暴に過ぎよう。へたに比較すると神道がキリスト教などよりも劣っているといったような誤った印象を残してしまうおそれもある。

 そもそも神道の特色は日本固有のものというより、東アジアの民族宗教にも共通するものである。多神教としての特色自体は東アジアだけでなく、世界各地の民族宗教にも見られ、様々な自然物や自然現象にも霊の存在を認めるアニミズムも神道固有のものではない。祖先を祖霊、祖神として祭ることも東アジア全体に共通している。古来、大陸や南の島々から様々な影響を受け続けてきた日本の歴史から見ても、神道から純粋な日本らしさを取り出すことは不可能といってよい。むしろ「東アジアの一員としての日本」を念頭に置いて、神道と神社の歴史を見ていくべきであろう。

 

3.神道の歴史

 神道の起源が縄文時代にまでさかのぼれるかどうかは未だに不明である。おそらく様々な自然現象に対して科学的な説明のできなかった当時の人々が、霊的な存在を仮定してすべてを霊=神の働きで説明しようとし、霊=神への畏怖と崇拝を作り出していったのだろう。そこに大陸から金属器と水稲耕作を中心とする文化が伝来するとともに農耕儀礼としての新しい信仰も加わってきたということか。

 弥生時代には村から国へと社会の規模も拡大し、集落間や小国間の抗争が激化するなかで、リーダーには大勢の人をより一層強力に統率する必要性が強まった。彼らは自らの権威と指導力を補強するために新たな農耕儀礼を主催し、祭祀の中心ともなっていったと考えられる。3世紀に入り、大和政権が突出した地位を築いていくと、それまでの小国ごとの信仰も統合され、大和政権によって再編成されていった。大和政権の王自身もかつては本拠地の大和三輪山の神(大物主神;蛇身で水源をつかさどる穀霊神)を祭っていたが、地方を征服していく過程で軍神を祭るようになった(鹿島神宮と香取神宮)。そして九州から東国までを支配下に置く5世紀後半には、唯一の太陽神(天照大神=アマテラスオオミカミ)を祭ることで、祭祀の上でも全国に君臨しようとした。しかし538年、仏教が百済から伝来し、仏教推進派の蘇我氏が実権を握るようになると造寺造仏が盛んになる一方、巨大な古墳を築いて祭祀を行う伝統的な信仰の見直しも始まった。仏教という異教を前にこれまでの伝統的な信仰が日本固有の「神道」としてあらためて意識されだしたのである。

 この頃、王権も動揺し始めたが、7世紀に入り、律令体制を柱とする中国の強力な中央集権体制を取り入れて王権の強化が図られていった。特に壬申の乱を勝ち抜いて王位についた天武天皇は神祇官制度を確立させて、祭祀全体を国家の強力な統制下に置いた。当時、寺院建築の影響を受けて社殿が造営され始めたが、そうした神社の主なものは官社として神祇官が統制(官社の総数は「延喜式」によると2861)するようになったのである。また「古事記」の編纂(完成は712年)も始まり、天皇は天つ神の中心天照大神の直系の子孫とされて神格化が図られたのに対して他の豪族の祭る神は天つ神の格下の国つ神とする神話が作られていった。さらに天照大神を祭る伊勢神宮が国家において最も重要な神社とされ、皇居に準ずる待遇を受けるようになった(やがて多くの神々に対して神位や神階を授与して皇祖神を頂点に神々の序列化が進められていく;例「正一位稲荷大明神」)のも天武天皇の頃である。

 ただし記紀神話にもうかがえる様に中国の陰陽五行説や道教の神道に対する影響は甚大で、後の各種神事にも大きな影響を及ぼし続けた。中央集権体制の確立に伴って神道は天皇を権威付ける教えとして政治的な意図を持って整備されたが、その際、仏教や道教等の要素も取り入れられるなどして、それまで地方や民間にあった素朴な信仰とは整合性が欠けていく側面もあった点は見逃せない。

 奈良時代に入ると仏教が国家鎮護のために一層手厚い保護を受け、国分寺・国分尼寺と大仏の造営がなされた聖武天皇の治世を中心に本格的な仏教文化が花開いた。この仏教優勢の流れのなかで生じた道鏡を巡る一連の事件は劣勢に置かれた神道にも若干の影響を与えた。いったん譲位して尼でありながら再び皇位に就いた称徳天皇は仏教主義をとるとともに道鏡を寵愛してついには彼に皇位を譲ろうとしたが、血統主義を軽んじた称徳の方針に危機感を抱いた貴族たちによって称徳の狙いは不発に終わる。この事件で改めて貴族たちの政治権力が天皇家との神話的絆と血統にあることを再確認することとなったのである。その結果、天皇の祭祀に関しては神仏分離の原則が確立したが、一般には仏教優位の形勢が強まるなかで神仏習合が進んでいき、次の平安時代には神は仏の仮の姿に過ぎないとする本地垂迹説(例;天照大神=大日如来)まで説かれるようになっていった。また平安時代には御霊信仰も広まり、非業の死を遂げた人々の霊の「たたり」を恐れて神として祭り上げることが相次ぎ、八坂神社や北野天満宮などが造営された。

 さらに密教が持っていた山岳仏教的側面と神道とが習合し、修験道と呼ばれる独特の信仰も発展していった。

 古代における祭祀は血族単位あるいは村単位であり、あくまで共同体の繁栄や平和を祈るもので、個人的な祈願を主目的とはしていなかった。しかし平安時代以降、本地垂迹説が広まり、さらに国家鎮護だけでなく個人的願望にも応える密教の教えが広まると、神もまた個人の救済者としての役割を期待されるようになった。加えて神祇官のもと統制されていた神社も律令体制の崩壊とともに国家の保護を期待できなくなったため、中世にはそれぞれ経済的自立を迫られた。多くの神社は個人的祈願の成就を謳い、地域や氏族を越えて参拝者数の確保を図らなければならなくなり、それまで営々と共同体を支えてきた神道は中世において一大転機を迎えたのである。

 仏教との習合が進んでほとんど区別できないほどであった中世と比べ、近世には神道としての独自性が強調されてくる。仏教とは共存共栄を図りつつも、ある程度の住み分けと差異化が進んでいくのである。日本の古き伝統を探り、儒学や仏教を排して神道に着目した国学の成立と発展はそうした動きを一層助長することになった。加えて寺請制度によって民衆の支配に加担した寺院への反発も次第に高まっていき、これらが追い風となって、黒船来航の衝撃を機に神道は尊皇攘夷の名のもとに過激なまでの盛り上がりを見せることになったのである。この流れは明治維新期にも続いていき、廃仏毀釈運動に発展していった。

 また町人を中心とする民衆の成長によって神道もまた大衆性を持つにいたった。江戸時代には民衆がこぞって寺社参詣を繰り返し、その費用捻出のために様々な「講」が組織された。代表的なものに「富士講」や「伊勢講」「大山講」がある。特に伊勢参りはブームになると一時に百万人を越える大量の参詣が行われ、「お蔭参り」とも呼ばれた。一方、江戸期に多くの人の信仰を集めた「お稲荷」などの流行神もたびたび出現した。さらに興業的な性格を持つ御開帳も数多く行われ、寺社が秘蔵する御本尊や御神体などが一定期間、公開されて人気を集めた。人気歌舞伎俳優の市川団十郎が篤く信仰した「成田山」で知られる新勝寺の不動尊は江戸でも大人気となり、幾度も江戸まで運ばれて公開された(これを「出開帳」という)。すでに中世において個人的願望に応えるようになっていた神道側の変質がこうした江戸期における神道の民衆化に大きな役割を果たしたことは間違いあるまい。

 近代以降になると1873年からそれまでの太陰太陽暦(旧暦)にかわって太陽暦が採用されたことで年中行事における農作業のリズムと暦とのズレが目立ち始め、季節感もぼやけてしまった。また文明開化の名のもと、科学的思考法が定着する一方で従来の神仏への信仰を迷信と捉える傾向を強めたことなどにより、伝統的な信仰に基づく各種の習俗が衰退に向かっていった。さらにかつて共同体の儀礼としての性格を色濃く持っていた初宮参りや七五三などの通過 儀礼も一族や村社会から切り離されて、個人ないしは家族の儀礼という側面が強まった。

 今や神道は次第に宗教としての性格を薄め、信仰上の意味がぼやけていくなか、形式だけが踏襲されていく、ただの習俗に過ぎなくなったかのような状況であろう。本来、初詣は氏子として地元の神社にお参りするのが筋であるが、今や明治神宮や川崎大師など有名な神社に人は集まるようになってきた。従って正月三が日の初詣は確かに毎年多くの人ごみで神社も賑わうが、お参りする人々にどれだけ神への信仰心があるのか、かなり疑わしいのも事実である。

 民衆レベルでは熱気を失っていく神道であるが、政治的には一時期まで重要な役割を果たすことになる。幕末以降、欧米列強への脅威から高まった尊皇攘夷論を近代国家日本の統合原理に仕立て上げるために明治政府は天皇の神格 化を図り、神道を国教として保護した。「現人神(あらひとがみ)」である天皇の命令という形で国民を「富国強兵」という国家目的実現のために有無を言わさずに駆り立てていったのである。そしてついに1945年、アジア太平洋戦争の敗戦を迎えることになってしまった。戦後はその反省から政教分離と公教育における宗教への中立性が強調されるようになり、神道は戦争をもたらした迷信であるかのような印象も強まった。戦前、国家神道として戦争等の国策に協力した神社側の責任は確かに重いといえよう。しかし民衆レベルで神道が果たしてきた様々な役割(地域共同体や一族・家族の絆を強め、正直に礼儀正しく、謙虚に生活するetc)までが軽く見られるようになってしまったのは残念であるにようにも思える。

 

参考文献

・「神道 日本生まれの宗教システム」井上順孝編 新曜社 1998

・「神社と神々」井上順孝監修 実業之日本社 1999

・「日本人なら知っておきたい神道」武光誠 KAWADE夢新書 2003

その2.イジメ事件をめぐる学校の隠蔽体質(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

・原点となった大津イジメ事件:ウィキペディアより抜粋・引用

 大津市の中学校で発生した出来事で、複数の同級生(加害生徒3名)が2011年9月29日に体育館で男子生徒(被害生徒)の手足を鉢巻きで縛り、口を粘着テープで塞ぐなどの行為を行った。10月8日にも被害者宅を訪れ、自宅から貴金属や財布を盗んだ。被害者は自殺前日に自殺を仄めかすメールを加害者らに送ったが、加害者らは相手にしなかった。男子生徒は10月11日、自宅マンションから飛び降り自殺した。被害者の自殺後も加害者らは自殺した生徒の顔写真に穴を空けたり落書きをしたりしていた。学校と教育委員会は自殺後に、担任を含めて誰もいじめの事態に気付いていなかった、知らなかったと一貫して主張していた。後の報道機関の取材で、学校側は生徒が自殺する6日前に「生徒がいじめを受けている」との報告を受け、担任らが対応を検討した事は認めたが、当時はいじめではなく喧嘩と認識していたと説明した。学校側と監督する教育委員会も当初自殺の原因はいじめではなく家庭環境が問題と説明していた。

 クラス担当の担任は、自殺した生徒より相談や暴力行為の報告を受けていたが、適切な対応をとらなかった。自殺後の保護者説明会にも姿を見せず、在校生徒に取材を避ける旨の放送とプリントの配布が行われ、事件直後より2013年3月まで休職してしまい、教育委員会や第三者調査委員会の調査にも支障をきたした。また遺族には謝罪を行わなかった。

 大津市教育委員会はのちに、「いじめた側にも人権がある」として、『教育的配慮』より加害者の生徒に聞き取り調査は実施しなかったことが明らかとなった。また調査自体も3週間で打ち切っていた。特に「いじめた側にも人権がある」とする大津市教育委員会の姿勢に対しては非難が殺到した。2回目のアンケート調査には、「男子生徒が先生に泣きながら電話でいじめを訴えたが、あまり対応してくれなかったらしい」との指摘や、「先生もいじめのことを知っていた」、「いじめをみて一緒に笑っていた」などの記述も15件あったが、それらを拾い上げていなかった。その理由として学校側は、「記載を見落としていた」とした。

 2013年1月29日、生徒が自殺前に「死にたい」と同級生に相談していたことを、学校側が自殺直後の調査で把握していたことが同市教育委員会への取材で分かった。校長は調査を受け、自殺の6日後の2011年10月17日にあった職員会議で、いじめとの因果関係がある可能性を認めていた。学校は同日、全校生徒を対象にしたアンケートを開始。市教委は同年11月、いじめがあったと認定したが、自殺との因果関係は認めていなかった。しかし、この時点で、学校側が行った調査の存在は遺族には伝えられていなかった。市教委によると、学校側は自殺翌日から在校生20人近くに聞き取り調査を実施し、その中に自殺前の11年9月、塾で男子生徒から相談を受けた同級生の証言があった。男子生徒は「死にたい」と言っていたが、理由については言及しなかったという。また他の生徒への調査で、いじめがあったことが判明した。

 学校側は、それまで「男子生徒が自殺するまでいじめを認識していた教諭はいなかった」としていたが、校長が9月18日に緊急記者会見を開き、「少なくとも教諭3人がいじめを認識していた可能性が高い」と従来の説明を一転させた。また、複数の教諭が男子生徒への「いじめ」を自殺前から認識していたとする内容を生徒指導担当教諭が文書に記録し、校長に提出していたことも判明した。この文書は、男子生徒が自殺した日に作成された「生徒指導連絡書」で、同校の生徒指導担当教諭が問題の経過を教諭らに聞き取って纏め、校長に提出した。それによると、自殺6日前の同月5日、男子生徒が同級生から校内のトイレで暴力行為を受けたことについて「被害生徒を呼びつけ、殴る」「加害生徒の身勝手な行動を『いじめ行為』ととらえ、被害生徒と加害生徒を呼んで指導」などと経緯を記し、自殺前から2年生を担当する複数の教諭が「いじめ」を認識して対応にあたっていたことが示されていた。市教委によるとこの連絡書は県警が加害者の暴行容疑の関係先として学校を捜索した際に押収したうちの一つで、事実確認のため関係資料を探していた市がコピーを受け取り、18日に遺族による損害賠償請求訴訟の第3回口頭弁論で証拠として提出した。

 大津市の越直美市長は、市長の下に第三者調査委員会を設立し、独自調査を依頼した。5人の委員は元裁判官や弁護士、大学教授らで構成され、今後のためのモデルにしたいと述べた。副委員長には明石花火大会歩道橋事故の遺族側代理人を務めた弁護士の渡部吉泰が選ばれた。委員の選出については大津市側のみならず、遺族側からの推薦で選任が行われた。市や教育委員会からは段ボール箱10箱分の資料が提出された。越市長は「学校や市教委の調査は不十分で、杜撰だった。再調査で事実を徹底的に明らかにしてほしい」と述べ、真相解明への期待感を示した。2012年8月25日から8月26日にかけ初会合が開催された。

 2012年12月22日、大津市役所での第11回会合で最終報告書を2013年1月20日を目処に纏める方針を決めた。当初は年内を目指していたが、関係者への聞き取り調査が難航し遅延した。会合後、記者会見した横山巌委員長は「20日に完成させて、1月末には市長に提出したい」との意向を示した。また、県警が加害者らを書類送検するなどの方針を固めたとの動向については、「警察の動きに関係なく、淡々とやるべきことをやる」と話した。

 2013年1月31日、調査委員会は自殺の直接の原因は同級生らによるいじめであると結論付けた。また大津市教育委員会やいじめ側の家族らが主張した「家庭環境も自殺の原因となった」という点については「自死の要因と認められなかった」と否定した。滋賀県警は7月11日夜、被害者への暴行容疑の関連先として市教育委員会と学校に対して強制捜査を実施した。いじめが背景にある事件の場合、学校や教育委員会から証拠の任意提出を受けるのが一般的で強制捜索に至るのは異例とされた。学校では7月12日に緊急保護者会が開催され、学校側より強制捜査を受けるまで至った一連の経緯が保護者に説明された。保護者からは「納得いく説明がない」などと厳しい批判が噴出し、保護者会は3時間を越えて続けられた。保護者らが求めた担任からの説明もなく、学校側の保身と、それに対する保護者らの不信感が増したとされた。校長は、担任教師が会場に姿を見せなかったことに関しては、「私の判断で出席させていない」とした。

 滋賀県警が強制捜査に入ったことを受け、それまで学校名を他紙同様匿名としてきた中日新聞(東京新聞)は翌12日の朝刊から実名報道に切り替えた(新聞各社で学校名の実名報道に踏み切ったのは中日のみ)。

 2014年(平成26年)3月14日、大津家庭裁判所は加害者3人の内、2人保護観察処分、1人を不処分とした。捜査の過程で、加害者の1人が2012年5月下旬に女性教師への暴力事件を起こしていたことも、同年7月に学校などを家宅捜索して押収した資料や学校関係者への聞き取りにより発覚した。捜査関係者などによれば、事件は体育館での修学旅行の事前指導中にあった。少年が理由もなく帰宅しようとしたため女性教諭が制止したところ、少年が複数回殴る蹴るの暴行を加えた。この事件の直前にはいじめに関する民事訴訟の第1回口頭弁論が開かれており、捜査関係者は、学校側が訴訟への影響に配慮し県警に相談をしなかった可能性もあるとみている。

 教育委員会は当初、報道機関の取材に「暴れる生徒を教師が止めようとして小指を負傷した」と説明していたが、実際は小指骨折のほか、顔や胸、脇腹など計5カ所に打撲やすり傷を負い、病院で全治1カ月の重傷の診断を受けたという。学校側は当初県警に事件の相談はしなかったが、市教委により県警へ被害届を出すよう指導された9月以降、大津署に被害届を提出した。

 加害者の1人で、事件後に京都府内の市立中学校に転校した生徒が、2012年6月12日に同級生に対して殴ったり所持品を燃やすなどの行為を行っていた。被害者からの被害届をうけ京都府警はこの生徒を傷害容疑で書類送検した。

 事件に関連して学校で5人、教育委員会で2人の処分が行われた。事件発生時の校長は、2013年2月26日に男子生徒へのいじめに適切に対応するための体制づくりを怠ったこと、教員らへの指導・監督を怠ったこと、保護者や社会に説明責任を果たさなかったこと、以上の責任に対して減給10分の1(1カ月)の懲戒処分を受け、同日に依願退職した。事件当時の教頭2名が文書訓告、被害者の在籍していた学年主任が厳重注意処分となった。

 教育長および教育部長は減給相当の処分と判断されたが、すでに退職していたので処分は実施されなかった。退職金は規約通り満額支給されたが、これに対して遺族は強い不満を表明した。また教育長が『自殺の原因は家庭環境が問題であり、いじめが原因ではない』と当初表明したことについても未だに謝罪も説明もないとして、退職金の公庫返納を求めた。

 2013年5月17日、教育委員会は男子生徒の担任であった男性教諭に対して、「教員としての職務上の義務を怠り、教育公務員としての信用を著しく失墜させた」として、減給1/10とする1カ月間の処分とした。第三者調査委員会は、担任が意図的にいじめの認知を回避しようとしていた感があるとして、報告書で担任の対応のまずさを指摘した。これに対しては遺族側の家族が「学校、教育現場に、よりよい教育現場を作ろうとする意欲が感じられないことを改めて思い知らされ、愕然とする思いだ」と県の教育委員会を批判した。教諭は2013年3月より職場復帰しているが、事件から1年半経過した時点でも、遺族には説明や謝罪を行っておらず、遺族は「男性教諭からまだ謝罪を受けていない。本人の口から、この問題をどう思っているか聞きたい」と述べた。

 大津市の越直美市長は、2012年7月6日の定例会見で、学校と教育委員会の調査が不十分であったことを認め、再調査を明言した。その後、遺族推薦の委員含む第三者調査委員会を市長直轄として立ち上げ、徹底した原因調査に取り組んだ。これにより市長に不信感を抱いていた遺族も、越市長の対応に感謝と信頼を示した。第三者調査委員会の報告書を受け、市長部局としていじめ対策推進室を新設、常設第三者機関として、大津の子どもをいじめから守る委員会を設置等、積極的な教育改革に取り組んでいる。

 県教育委員会による担当の教師についての処罰が、僅か数万円の減給1カ月間のみに終わったことについて強い不快感を表明し、教育委員会に対しても改めて不信感を表明した。また、教員の処分を始めとする人事上の任免権を県の教育委員会が持っており、行政が関与できない制度は問題があるという見解を表明した。教職員の処分が甘すぎるという大津市長の指摘に対して、河原恵滋賀県教育長や嘉田由紀子滋賀県知事は、相応の処分だと反論した。

 東京新聞は、「いじめ自殺 隠すことが教育なのか」と題する社説を掲載した。調査を3週間しかせず、その結果も自主的公表もせず、加害者への聞き取り調査もせず、「自殺といじめの因果関係は判断できない」と結論づけたのはあまりに拙速で無責任すぎると批判した。また学校や教育委員会が組織を守ることを優先し、子供の立場に立てなかった不明を深く反省すべきだと指摘した。

 広島県の中国新聞は「大津の第三者委 いじめ解明のモデルに」と題する社説を掲載し、教育委員会が調査に加わった場合、「身内」である学校側への追及は甘くなりがちであり「事なかれ主義」で事実に看過することが繰り返される恐れがあるので、外部の識者だけで構成された調査委員会が必要であると訴えた。

 教育評論家の尾木直樹氏は、「生徒からこれだけいじめの報告が出てくるケースは珍しいですが先生方の感覚が麻痺している。加害者側と一緒になって笑っていることなど感性が教師のレベルに達していない」とコメントした。また、教育委員会は戦後日本の教育における「癌」になっており緊張感が足りないとして学校と教育委員会が相互に評価しあうシステムなどが必要だと提言した。

 藤原和博東京学芸大学客員教授も、本事件では教員集団の「隠蔽体質」や「事なかれ主義」が感じられ、そのことは2006年に自分が文部科学省の対策チームに加わって感じたものと同じものであるとし、それらの背後にあるのは教員集団での強固な「親分-子分関係」であると述べた。また、それらを打破するためには、校長に民間人を大量投入して学校や教育委員会で身内だけの論理を通用させなくする必要があると主張した。

 2013年4月、与野党6党によって「いじめ防止対策推進法案」が国会に提出された。自民党・公明党は、保護者には子供の規範意識指導が求められることを明記し、自治体や学校には、加害生徒に懲戒や出席停止措置を講じるよう求めたが、野党側は「国が家庭教育に介入すべきではない」「厳罰化では解決しない」と批判的で協議は難航。一時は成立が危ぶまれた。2013年6月21日、参議院本会議で賛成多数により可決成立した。社民党、共産党は、教育現場の意見が十分に反映されていないとして反対した。本事件では、教育現場での隠蔽体質が問題視されたので、重大ないじめの場合には自治体や文部科学省への報告義務が課せられた。また、いじめへの対応がなされず自殺に至ったことより、各学校にいじめ対策の為の組織を常設するよう定められた。インターネット上でのいじめについても対策が強化された。いじめが犯罪行為を伴う場合は、ただちに警察への届出を行うことも明記された。

参考資料

いじめ防止対策推進法(H.25)

第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

(学校及び学校の教職員の責務)

 第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

 

・旭川イジメ事件

参考動画

ドキュメンタリー「告白~旭川中2女子いじめ問題~」(43分)2022年3月26日

 放送 2022/03/28 HBCニュース 北海道放送 44:15

徹底検証・旭川いじめ①学校はなぜ?【報道特集】

 TBS NEWS 2021/12/05 31:09

 旭川いじめ事件の全体像が見えてくる。

徹底検証・旭川いじめ②広がる衝撃【報道特集】

 TBS NEWS 2021/12/05 12:20

 繰り返されるイジメと隠蔽

【全音声3】「あのおぞましいものを見て涙が出た」「児童ポルノだ」Y中学校は保

 護者の声に本当に向き合ったのか?《旭川14歳少女イジメ凍死》

 文春オンライン2021/05/21

【旭川女子中学生いじめ凍死事件】ー文春も報じない旭川市立北星中学校 教職

 員の腐敗についてーYASU先生の学び場 2021/08/21

旭川中2女子凍死 市教委が緊急会見 真相解明どこまで? 2021年8月30日放送 

 HBCニュース 2021/08/30

旭川市の女子中学生いじめ疑いで遺族が「名誉棄損」を訴え SNS投稿を開示

 請求 HBCニュース 2021/09/16

旭川中2女子凍死 爽彩さん“肉声”が語るいじめの苦悩 2021年10月1日放送 

 HBCニュース 2021/10/01

【密着】"変人"と呼ばれ突き抜けた才能もつ少年画家 不登校からの再出発|

 ABEMAドキュメンタリー 2022/08/11 ABEMAニュース 40:44

 彼の絵と廣瀬さんの絵に類似点を感じる。学習障害や発達障害への理解を深めることがイジメを減らすポイントの一つかもしれない。

旭川中2凍死 市長が“異例”言及「いじめと認識」(2021年10月29日)

 ANNnewsCH 2021/10/29

旭川・凍死の女子中学生 学校に「死にたい」と電話(2021年11月5日)

 ANNnewsCH 2021/11/05

川で見た娘の姿…母が語る胸中 旭川中2"いじめ疑い" 「何されたら」認められるの

 か  進まぬ調査に疑問  北海道ニュースUHB 2021/11/05

【教育】いじめ防止法はなぜ機能不全に?隠ぺい&責任逃れの学校や教育委員会の 

 課題は?子どもたちを守るために今必要なことを考える【EXIT】【いじめ探偵】|

 #アベプラ 2021/05/08

【特集】旭川中2凍死 母親語る「何があったのか知りたい」 

 2021年11月12日HBCニュース 11:09 

 これまでの経緯がまとめられている。

旭川中2凍死 調査対象生徒と〝接触〟第三者委メンバー2人調査から除外(もう

 ひとホリ)2021年11月26日 HBC放送 2021/11/26 9:32

旭川いじめ凍死問題/学校教育委員会の隠蔽 事件の再調査求め100万人署名活動も

 妨害され…街録chあなたの人生、教えて下さい2021/11/28 36:20

旭川中2女子凍死…調査10か月 第三者委員会「いじめ」を認める (もうひとホ

 リ)2022年3月28日放送 HBCニュース 北海道放送 8:13

ドキュメンタリー「告白~旭川中2女子いじめ問題~」(43分)2022年3月26日

 放送 2022/03/28 HBCニュース 北海道放送 44:15

ギャラクシー賞受賞『空白~旭川いじめ問題 問われる社会~』2022年4月30日放

 送 2022/05/01 HBCニュース 北海道放送 47:03

旭川中2女子凍死 学校内でもいじめか アンケート調査に複数の生徒が回答 遺族

 側が市教委に説明求める 2022/06/21 HTB北海道ニュース 0:31

【いじめ】田村淳「どう解決したかを評価基準に」なぜ隠ぺい体質?子どもの責任

 は親に?学校に?2022/08/17 ABEMA 【公式】16:51

【旭川いじめ問題】SOSはなぜ届かなったのか 最終報告書を公表 自殺の

 背景は不明 STVニュース北海道 2022/09/20 11:44

 学校内でのイジメが認定されなかった点は大問題であろう。これこそが自殺とイジメとの因果関係を特定できなかった最大のポイントである。つまりこの結論は中学校側が校内でのイジメを見逃してきた事に加え、隠蔽してきたことの問題を第三者委員会が十分に追求できなかったという事だろう。そもそもこの事件が世論を賑わすまでに多くの時間が経過していた。しかも警察のような強制的捜査権のない委員会が調べられる事には最初から限界があったはず。裏を返すと闇の奥まで知っている学校内部の職員の情報提供がこれまでほとんど無かったということであり、強力な同調圧力を用いた組織ぐるみの隠蔽工作が行われていた可能性が極めて高い。この地域の学校組織が持つ異様なまでの閉鎖性がうかがわれよう。

なぜ防げなかった?旭川いじめ問題…再三の訴えを放置 上司と部下の関係、そん

 たく、隠蔽は? HBCニュース 北海道放送 2022/10/05 9:09

 六稜会(北海道教育大学旭川分校の卒業生からなる団体で旭川市内の小中学校教師の多くが所属している)のメンバー同士による忖度、なれ合いといった旭川独特の教育村の風土が隠蔽体質の背景にあるようだ。しかしこうした特定大学卒業生からなる団体が教員人事をこれまで一定程度左右してきたことは多かれ少なかれ全国各地で見られた現象である。それだけでは旭川特有というほどのものではないだろうが、わずか一つの大学が教員の供給をほぼ独占しているという過激な状態は確かに珍しいケースかもしれない。

 いずれにせよ大学における教員養成や教育委員会による教員採用の在り方において大きな問題があるといえよう。なお、第三者委員会の報告書に不十分さを感じた旭川市長が新たな第三者委員会の設置を決めている。中心となるのは大津のイジメ事件でも活躍した「尾木ママ」こと尾木直樹氏とされるようで、今回はかなり期待できそうだ。

参考記事

“任意”のいじめ調査には限界も。学校関係者も含まれる「調査委員会」の問題点と

   事実認定の3原則を元調査委員が解説

   FNNプライムオンライン によるストーリー  2023.10.26

 刑事事件として警察が捜査に乗り出した場合にはその捜査には強制力が働き、ある程度までは証言や証拠を集める事が出来る。しかし「イジメ」の重大事態として調査委員会(教育関係者が加わる可能性あり)や第三者委員会が調査に乗り出したとしてもその調査に協力するか否かはあくまでも任意とされる。このため証言や証拠を提出することを拒否されてしまうケースでは調査が先に進まなくなることも起こりうる。

こうした場合には被害者側が刑事・民事事件として警察及び裁判所に訴え出ないと埒が明かない。加害者の特定やイジメの事実確認自体が困難なケースは決して少なくあるまい。

 「教育的配慮」の名のもとに加害者側の人権ばかりが守られ、被害者側が泣き寝入りする印象がこの問題には常にまといつく。しかしその背景に教師や教育委員会の調査がどうしても不十分になってしまう、教師側の法的な限界があることは予め知っておかねばなるまい。授業では早めにこのことを周知させておかないと、議論が深まるのに余分な時間がかかってしまうかもしれない。

旭川いじめ「黒塗りない報告書」流出疑惑 小川泰平氏が懸念「指紋など証拠の採取

 は行っているのか?」 デイリースポーツ によるストーリー 2023.10.13

 この件に関して早くから繰り返し発言してきた小川氏が指摘するように故人への尊厳を踏みにじるような、極めて悪質な人権侵害が事件後も旭川で続発してきた流れの中で捉えるべき事案であろう。特に今回の漏洩事件は断じて許されないレベルの悪質さを感じるとともにこの事件の底知れぬ闇の深さを痛感させるものとなっている。

 この犯罪的行為が実行できるのは被害者の関係者以外では、政府、北海道教育委員会、旧第三者委員会、旭川市教育委員会しか考えられないという。被害者の関係者が黒塗りしていないプライベートにかかわる極秘資料を自ら旭川市議宅に投函する可能性は極めて低いだろう。肝心の動機が見当たらない。政府や北海道教育委員会もわざわざそんなことをする動機はほぼ無いと見てよい。そもそも守秘義務違反にあたる危険な行為を敢えて行う動機がこれらの関係者にあるとはどうしても思えない。

 したがってこれまでのこの事件の極めて残念な経緯からすればこれは尾木直樹氏が主導する新第三者委員会の報告が出る前に、事件の責任者たちへの追及をかく乱しようと画策した旭川市関係者の犯罪的行為と必然的に推理されるだろう。すなわち旧第三者委員会か旭川教育委員会に属する者の犯行の可能性が極めて高いということだ。 

 実際、この組織はこれまでも事件の誤魔化し、隠蔽に深く関わってきた張本人たちと深いつながりのある人たちが含まれていると疑ってかかった方が良い。つまりこの一連の行為は被害者遺族への脅迫的意図を持って行われている可能性があるだろう。

 さらに特定の旭川市議宅に投函した動機が疑われる。この市議がさらなる資料の漏洩に関わっていないか、捜査する必要も当然、あるだろう。市議に何を期待して投函したかが疑われるからである。

 また小川氏によると旭川市議の中には元校長がいるらしく、市議会にも極めて疑わしいメンバーがいるようである。しかも黒塗りしていない報告書は市議によってたちまち破棄されており、投函されたとSNSでこれ見よがしに発信した市議自身がそもそも相当、疑わしい人物であるらしい。

 以上のようなことから小川氏は今回の犯人を探し出す上で欠かせない証拠となる流出書類、特に封筒の指紋採取を行ったのかどうか、警察に確認すべきだと指摘されているのだと思われる。

 旭川の教育界、市議会における恐ろしいほどの闇の深さ…これは神戸市で連発する闇深い学校事件と双璧をなす、日本の学校教育事件史上、最悪なケースとして長く記憶されるに違いない。

旭川いじめ防止条例を可決 中2凍死巡り、即日施行へ

 共同通信社 によるストーリー 2023.6.30

“女子中学生凍死”を受け 旭川市がいじめ相談ダイヤルを開設 いじめ防止条例案も公

 表 HTB北海道ニュース によるストーリー 2023.6.9

 学校側の隠蔽を明確に禁止し、隠蔽への罰則規定を設ける条文は条例案の中にあるのだろうか。いつものように表面的な対症療法に終始し、きれいごとの努力義務ばかりが並んでいるとしたら効果は期待薄。そもそもあれだけ全国に衝撃を与えた大津イジメ事件の反省すら教師たちには周知されず、せっかく制定されたいじめ防止対策推進法などをまったく指導に生かすことが出来なかった日本の学校現場の深刻なゆがみ、本質的問題点をあまりにも甘く見過ぎてはいないか。その暗部の多くを見逃してはいないか。

 本質的な問題は上意下達に走る教育行政や教育委員会の在り方、学校管理職の人事や資質、ブラック化した職場、旧態依然の学校風土、穴だらけの教員養成と無駄だらけの教員研修などに求められるはず。それらの改革を棚上げしておいて、このような形で行政府による教育への政治介入ばかりが強まってしまえば今後、取り返しのつかない事態をも招きかねないだろう。本来、改革の主体はあくまでも教育行政でなければなるまい。しかし残念ながら肝心の教育行政本体が機能不全に陥っており、自浄能力までも失ってきている。従って徹底的に攻め込むべき本丸は現状維持ばかりを目指す日本の教育行政、教育法制全体である。これは政府と国会が責任を負うべき国政レベルの課題。地方行政で何とかなるレベルの問題ではない。もちろん旭川の取り組みは地方行政レベルでできる努力として旭川市民の立場からは一定程度、評価すべきであるが、国民としては真の敵を見失うことがあってはならない。

旭川いじめ加害者扱い、投稿者に賠償命令

 共同通信社 によるストーリー 2023.6.7

 ネット上での公開処刑のような投稿が相次いでしまった原因の一つに当該中学校と旭川市教育委員会の隠蔽、対応の遅さ等の問題があったと考えられる。それが無関係な生徒への被害拡大を招いたとするならば、中学校側と教育委員会の賠償責任も本来は問われるべきだろう。

旭川女子中学生凍死は「イジメではなく、性犯罪」…脅迫、強制わいせつ、殺人未

 遂など、小川泰平氏が罪名を想定 

 2021.8/21(土) YAHOO!ニュース16:32配信

旭川の女子中学生イジメ凍死事件、元校長の被害者への信じられない反応とは?

 小川泰平氏が直撃 2021.8/20(金) YAHOO!ニュース 20:30配信

加害・生徒と「親しい」と認識、いじめと認めず 中2死亡で旭川市教委

 朝日新聞社 2022/04/22 08:13

【速報】「子どもたちの"勇気ある声"無視した」旭川中学生いじめ 死亡の広瀬さん

 に校内でもいじめ疑い 6/21(火) 10:17配信 北海道ニュースUHB

「正直何も思ってなかった」自慰行為強要、わいせつ画像拡散のイジメ加害生徒ら

 を直撃【旭川14歳女子凍死】《遺族が手記を公開》

 2021年8月19日 11時0分 文春オンライン

旭川中2凍死 「市長直属で再調査」表明 市教委調査では不十分

 毎日新聞 – 2022.9.20

 今の今となってもいじめと死亡の因果関係については「いじめ事件がどの程度の割合で関与していたかまでは不明」として責任を回避しようとする旭川市教育委員会の頑なな姿勢にはもはや絶望的なものしか感じられない。そもそも黒蕨氏ら重い責任を負うべき人々がいまだに学校教育の世界に止まっていること自体、異常というほかあるまい。自浄能力の欠片すら感じられない。

 なお、2022.9.24、黒蕨氏はようやく本件の責任を感じて教育長を辞職することとなった。凍死事件から1年半も経ってからの辞職であった。この異常なまでの無恥厚顔さ、鈍感さ・・・今後は旭川市における学校や教育委員会側の硬直化しきった無責任体制が一体何によって成立してきたのかを厳しく問うべきだろう。

「イジメはなかった。彼女の中には以前から死にたいって気持ちがあったんだと思

 います」旭川14歳女子凍死 中学校長を直撃《被害者母が悲痛告白》

 「文春オンライン」特集班 2022/09/24 18:33

《旭川14歳少女凍死》「ゆがんだ性知識を持つ生徒が野放しに」「彼女には希死念

 慮があった」ようやく開いた保護者会で学校と市教委が見せた“当事者意識ロ”【音

 声データ入手】 「文春オンライン」特集班 2022.11.20

 廣瀬さんの自殺から1年半をとっくに過ぎた段階でようやくこの事件に関する2度目の説明会としての保護者会が当該中学校で開かれた。しかし教育委員会や学校側は第三者委員会の報告を楯にして自殺の原因とイジメとの関係性を不明とし、いまだに責任逃れを続けている。黒蕨氏一人が教育長を辞したものの、その隠蔽体質と無責任体質に変化はまったく見られない。実際、説明の仕方や内容には学校側の厚顔無恥な姿勢ばかりが突出していて誠実さや反省の色の欠片も見られないのだ。資料棒読みの国会答弁と同じで、これでは説明責任をまっとうに果たしたとは言えまい。自己保身の程度にも限度があろう。ほとんど呆れてものが言えない、というのが素直な感想である。

旭川いじめ 「加害生徒にも未来」発言教頭が否定

 テレ朝news -2022.11.22
 

  中編、後編に続く

その6.心理学アラカルト(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 §1.心理学ネタ編の最後は「心理学アラカルト」です。これまでのテーマを補足する内容が順不同で散りばめられております。これらのネタはその1からその5の中に位置付けてしまうと授業時間内に収まらなくなってしまうので割愛してきた内容ばかりですが、単独でなら授業の枕、「面白ネタ」として使えるタイミングが授業の展開によっては生ずるかもしれません。実は今回の中にも私の得意とした鉄板ネタが含まれております。使いようによっては「爆笑ネタ」にも化けるでしょう。

 ただし11と12は20年近く前に作られた教材なのでかなり古くなってしまったネタですので悪しからず。

 

1.ブラインド・スポット(盲点)の充てん

 100均で文房具コーナーにある色つきの円形のシール(直径8㎜ほどのもので色は黄か赤が良い)を生徒分用意しておくと面白い実験が出来ます。右手の親指の爪にシールを貼らせてください。左目をつむり、右目だけでまっすぐ前方に伸ばした右手の親指を見てみましょう。背景は白い壁が好ましいようです。親指を立てて右目の正面にまず固定し、親指の爪のシールに注目させましょう。次に視線は動かさずにまっすぐ見続けながら、ゆっくりと右手を右側に平行移動させます。視線を背景の一箇所に固定し、シールを追わないよう注意する必要があります。真正面から右に10cmを越えたくらいのところ突然、親指のシールが見えなくなるはずです。

 網膜には視神経の束が集まっている箇所(視神経乳頭)があり、そこには視細胞が無いため、いわゆる盲点となっています。しかしなぜか右目だけで見ていても視野にぽっかりと穴があいて見えたりはしません。盲点があること自体を普通は視認できないのです。実は視線が空を向いていれば盲点は空色、黒板なら黒板の色に充てんされてしまっているのです。脳は「面」を一様なものとして捉えようとするクセがあり、面の局所的な欠損を勝手に充てんしてしまうのだそうです。

 ※以上はその1「この世界は…」で触れたことの復習になります。

 色を感じる細胞(赤・緑・青)は網膜の中心部には濃密に存在しますが周辺にいくと密度が下がり、やがてゼロ状態になるそうです。すなわち視界の周縁部は本来、白黒の世界であるはずです。実際、視界の端にオレンジ色のマジックを見せても色の識別はできないといいます。ところがまず視野の中心にマジックを見せてから端にマジックをゆっくりと移動させるとオレンジ色は見え続けるのだそうです。脳が視界の周縁部、白黒の世界に対して記憶を元に色を埋め込んでいる…ということになります。こちらも被実験者となる生徒には見せないようにして予めポケットに色マジックを忍ばせておき、黒板を背景にして実験スペース(被実験者を椅子に座らせて黒板に正対させ、チョークでつけた黒板の印を見続けさせる)を確保しておけば簡単に追試できます。

 サービス精神旺盛な脳は本来見えていないものまで見えているように思わせてくれているのです。

 

2.目は口ほどにものを言い

 「目は心の窓」という言葉があります。実際、相手に目をじっと見られるとなかなかウソは言いにくいでしょう。目を見られているとき、あたかも自分の心の奥底をのぞかれてしまっているように感ずることもあります。

 ヒトは他の動物と比べて言葉という高度なコミュニケーションの道具を発達させてきました。しかし言葉によるコミュニケーションは操作性に富む分、「ウソ」という落とし穴があります。相手がどんなことを言っていてもそれが本心から出たものなのかどうか…セリフだけではなかなか判別できないでしょう。だから私達は言葉だけでなく、相手のしぐさやまなざしをも無意識的に観察しています。ノンバーバルコミュニケーションの世界に通じていない一般の人が自分のしぐさやまなざしで相手をだますことはかなり難しいはずです。

 特に目は重要な情報源となります。目はウソをつかない…と私達は信じているからです。そこで今回はまずヒトの「目」自体が持つ情報伝達機能に着目してみましょう。「目は口ほどにものを言い」とも言いますので。

ヒトの目とサルの目

 サルの目とヒトの目には視覚機能という点では共通する部分が非常に多く、人間の優れた視覚能力(色、奥行き、動体視力…)はほとんどがサルの時代に獲得したといってもよいようです。しかし目の外見をよく観察すると微妙な違いに気付かされます。サルの目は白目の部分がきわめて少ないのです。

 比較行動学で有名なデズモンド・モリスはここに注目し、サルと違ってヒトの目に白目が目立つのはヒトの場合、「まなざし」自体に一定の重要なメッセージがあり、「どこを見ているか」相手に知らせる役割から白目が目立つようになった(まぶたが切れ長になった)という考えを示しました。

 彼によると直立二足歩行をするようになった人類は対面的コミュニケーションを主に行うようになり、相手の目を見て話すことを重視するようになったといいます。目の向けられている方向こそがその人の興味関心の対象であることを意味するわけですから、相手との円滑なコミュニケーションを成立させるには相手を注視していることを積極的にアピールする必要があるでしょう。白目の真中に瞳があることでかなり明確に人は注視する方向=関心のある方向をアピールできるのです。

※視線の方向と心理:ど忘れしてしまった友人の名前を必死で思い出そうとするとき人はどんなまなざ

 しになるでしょうか。一時的ではありますが必ずといってよいほど視線は上の方向にさまようはずで

 す。では何か悪いことをして先生に厳しく問い詰められた場面。何とか本心は隠してウソをつきとお

 したいと思っているならば視線は左右をさまよいだすでしょう。後ろめたい気持ちを抱えながら人に

 ウソや自信の無いことを話すときも同様ではないでしょうか。やがて観念して白状しようか迷い始め

 ると視線は下がり始めます。しかし相手に対して不信感や憎しみがあるときには傲然と相手を睨み返

 しながら、ウソをつきとおそうとするかもしれません。

瞳の魅力

 乳幼児のチャーミングポイントの一つは何といってもあのつぶらな瞳です。もし赤ちゃんなのに白目がちの目をしていたら私達はどう感じるでしょう。赤ちゃんの魅力は半減してしまうかもしれません。パンダでも目の周りの黒い部分を白く塗ってしまうと印象はかなり悪くなってしまいます。

 圧倒的に瞳の大きい方が魅力的なのです。夏祭りの夜に出合った同級生がやけに魅力的に見えてしまう理由は何も浴衣姿だったから…だけではありません。それも多少はあるでしょうが、やはり暗い夜のせいなのです。夜、暗くて私たちの瞳は乏しくなった光を少しでも採り入れようとして拡大します。すなわち黒目がちになるのです。プロの写真家は女優を美しく撮ろうとするなら、白昼、日差しをもろに受けた顔を決して大写しにしないといいます。まぶしさを感じたとき瞳は縮小してしまい、顔の魅力も台無しになりかねないからだそうです。瞳の効果は絶大なのであります。

※「ベラドンナ」と「裁きの豆」:目の瞳孔を開いたり、閉じたりは神経伝達物質の一つアセチルコリ

 ンの働きによるといいます。猛毒のサリンはアセチルコリンを分解するアセチルコリンエステラーゼ

 を阻害するのでアセチルコリンが働きすぎてしまい、吸引すると瞳孔が狭まって視界が暗くなるとい

 う症状がでるようです。またアセチルコリンの働きによって記憶力が亢進し、昔の記憶が走馬灯のよ

 うによみがえって収拾がつかなくなり、寝付けなくなるといいます。

  チョウセンアサガオの毒は逆にアセチルコリンの働きを阻害し、瞳孔を開かせるようです。ヨーロ

 ッパでは昔、これを目薬に用いて黒目を大きくし、女性を魅力的に見せたのだそうです。イタリア語

 でチョウセンアサガオは「ベラドンナ」(=「美女」)と呼ばれていたといいます。

  サリンと同じ働きをする薬で昔から用いられていたのがカラバル豆。古代アフリカでは「裁きの

 豆」といい、容疑者の有罪、無罪を決める手段に使われていたそうです。無罪、有罪の結論が出ない

 場合、容疑者にはこの豆を致死量与え、死んだら有罪、生き延びたら無罪にしたといいます。この豆

 を一気に大量に飲むとアセチルコリンの働きで気持ち悪くなり、すぐ吐いてしまうのでむしろ助かる

 ことが多いのだそうです。逆に怖がって少しずつ摂取すると吐くことができずに毒が体中に回ってし

 まい、死んでしまうといいます。無実のものは自分の無実を信じて一気に豆を飲み、吐くことで救わ

 れるが、罪を犯したものは怖がって少しずつ食べてしまう…とすればこれもまったく根拠のないやり

 方とは決め付けられないでしょう。

見つめあうことと睨みあうこと

 「にらめっこ」という遊びは世界各地に存在するようです。「にらめっこ」をしていると誰もが気恥ずかしさに襲われるため、相手がそれほどこっけいな表情をしていなくともすぐに耐えられなくなり、吹き出しそうになります。なぜならお互いに目と目を見つめ合う…というシチュエーションは日常的にあるものではないからです。

 普通、長時間、目と目を見つめ合うのは関係の親密なカップルに限られます。愛し合う二人だけに許される行為とも言えるのです。だから恋人同士でもない二人が見つめ合うと気恥ずかしくなります。もちろん、会話の際には短時間ですが赤の他人同士でも目と目を見つめ合う機会が生じます。しかし恋人同士でないならば視線がぶつかり合う時間は一瞬に過ぎないはずです。相手が話し出した瞬間と自分が話し出した瞬間とは礼儀としてもお互いに見つめ合うでしょう(もしその瞬間、視線が交錯しないとすればお互い、相当無関心であります)。しかしたちまち視線はあちこちに逸れていき、見つめ合うことから生ずるドギマギ感から誰もが逃れようとするのです。

※丹波哲郎という名優がかつていました。相手を睨み付ける悪役もよくこなしていました。しかし彼は

 睨み合う場面での演技や見つめ合う場面の演技が当初は苦手であったといいます。相手の目を見て演

 技すると確かにドギマギしてセリフをとちってしまうのですが、相手の額を見ればドギマギしないで

 済むことにやがて気付いてからは落ち着いて演技できるようになったとあるテレビ番組で語っていま

 した。彼は実際には相手の目を睨んでいたのではなかったのです。

 

 実は愛する対象を見るときに瞳は拡大することが分かっています。通常の大人の女性はたとえ他人の赤ちゃんであっても本能的に瞳を大きくして赤ちゃんを見つめてしまうようです。瞳の拡大は相互作用を生むといいます。先ほど指摘したように瞳の大きい人は魅力的に見えるのですから、大きな瞳で見られた人も自分を見つめる相手を魅力的に感じてしまう傾向があるということです。見つめ合えば見つめ合うあうほどお互いの瞳が拡大し、好印象が増す…だから本物の恋人同士なら見つめ合ってもドギマギするどころか飽きもせずに見つめあい、一層親密さを増していくのでしょう。  

 逆に嫌悪している相手を見るとき、瞳は縮小します。瞳の縮小も相互作用を生み出します。よく「ガンを飛ばす」といいますが、睨み合いの場合にはお互いの瞳が縮小して火花を散らします。この場合、「見つめ合う」という表現は似つかわしくありません。「睨み合う」二人の関係は険悪であり、競争状態にあるのです。もし顔が青ざめているようなら一足触発。何時殴りあいが始まってもおかしくないはずです。

 閑話休題。

 

3.脳の自動的画像処理能力

世界が安定して見える条件:「恒常性」

 眼球が高速で微細に動いていることを私達は認識できません。もしも認識できてしまうとカメラでいう「手ぶれ」が生じてしまい、私達の視界(特に背景)は激しく揺れ続けることになります。脳はカメラでいうところの「手ぶれ補正」を自動的に施して私達の視界を安定させてくれているのです。実際、走っている時の視界は体の動きに伴って激しく揺れて見えるはずですが、比較的安定して見えるのも脳の「ブレ補正」機能のお蔭であるのです。この機能を「位置の恒常性」といいます。

 またトンネルに入って多少暗くなっても前の自動車の色は見え続けたりします。これは「色の恒常性」と呼ばれます。

 自分から4m先にいる人は8m先にいる人よりも約二倍の大きさで網膜に映っているはずです。しかし私たちの知覚はそれほどの違いを感じずに済んでおり、ある程度離れていても誰であるかが分かるように見えているはずです。「大きさの恒常性」と呼ばれる現象です。

 位置や色、大きさ、以外にも明るさ(→チェッカーシャドウ錯視)、形などの恒常性が知られています。脳は変化をともなう知覚対象を認識するため、自動的に様々な補正を加えてしまうと考えられています。知覚の恒常性のおかげでいいつの間にかろいろと補正されることによって私たちの視界は安定し、通常の認識が可能となっているのです。

奥行き・遠近感・立体感を検知する仕組み

 いったん網膜上で二次元平面に還元された情報を脳は様々な手掛かりを基にして立体的な空間に再構築しています。その手掛かりとは両眼視差、運動視差(手前のものは遠くのものよりも移動量が大きい)、陰影、重なり、きめの勾配、大小遠近法、線遠近法、大気遠近法などです。逆に画家やアニメーターは平面的な画面を立体的に見せるためにこれらの手掛かりを描く必要があるでしょう。

※両眼視差と眼球の位置:草食動物では動かない物を食すために奥行き知覚はさほど重要ではない代わ 

 りに肉食獣から身を守るため、広い視野を持つ必要から両眼は頭部の両側に位置しています。ウサギ

 は水平方向の視野が360度以上あるといいますが、その分、立体視は苦手のようです。他方、ネコ科

 の肉食獣などは動く相手を素早く捕食するために距離感が重要となり、両眼は頭部の前方に位置して

 います。これにより両眼視野の重複部分を大きくとることで目測だけで空間的な距離感を正確に測れ

 ているようです

知覚は未来を先取りする

 「早とちり」(良く言えば「予測」)は人の生存戦略の一つです。野生の世界ではじっくりと考えているうちに手遅れになって命を落とすくらいならば早とちりした方がはるかにマシでしょう。多くの場合は有効な「予測」であり、生存戦略として有利に働くはずです。つまり脳のこうした「早とちり」が危機一髪の非常時に命を救ってくれる、俊敏な行動をもたらしてくれるのです。

 少しでも未来を先取りしようとして脳は自動的な補正・補完機能を働かせていますが、一方でこれが錯覚の原因ともなります。緑→黄→赤と円の色を徐々に変化させて提示(残効をなくすため)してみます。その円が黄色になった瞬間、左隣にも黄色の円を一瞬見せます。これを続けると左側に黄色の円が表れた瞬間、何と右側にはオレンジ色の円が見えてしまうのです。脳が未来を先取り(=「早とちり」)してしまった…ということになります。

 脳は常に未来を予測しようと無意識下で懸命に努力しています。ある実験では、脳が「動いた」と感じた後に体が動く、という奇妙なズレの現象も観察されております。これも「早とちり」の一種でしょうか?

 さて「サブリミナル効果」と呼ばれるものをご存知でしょうか?100分の5秒以下で瞬間的に提示すると意識の上では「見た」とは思えませんが、脳は感知し、メッセージをちゃんと受け取っています。握力の実験では「握れ」という指示が出される直前にサブリミナル映像で「頑張れ!」を提示すると倍の力で握るとともに握り始める反射スピードもアップするようです。しかし「頑張れ!」というメッセージは意識上に想起できないのです。すべては無意識下で進行しています。

 私達が「意識」と呼ぶものは表層の現象に過ぎず、水面下の無意識界が圧倒的に私達を支え、動かし続けている…あらためてそのことに気付かされます。

 

4.脳の柔軟性

 発達の初期に左半球の言語中枢に損傷を受けると言語中枢が右半球に移ることがあるといいます。また後天的に視力を失ったヒトは視覚野で点字を「読む」ようになるといいます。生まれながらにして二本の指がくっつきあい、指が四本の人は五本目に対応する脳の部位が存在していないようです。しかし分離手術によって五本にするとわずか一週間後には五本目に対応する脳の部位が形成されるといいます。 

 手術で網膜の視覚情報を聴覚野につないでもある程度は「見える」という実験もあります。脳の過剰なまでの発達はこうした「柔軟性」を生み出すためにあるのでしょう。環境の変化にも即応できる柔軟性を確保するため、ヒトの脳はかなりの無駄ともいえる能力を潜在させているようです。たとえば水頭症によって脳の成長が妨げられたヒトでも知能障害に至るケースは意外に少ないようです。脳の95%が空洞状態となった患者のうち、ひどい障害があらわれるケースは10%にも満たず、患者の約半分は知能指数が100を超えていたともいいます(ただし大人になってから脳を90%も削ってしまえば大変なことになりますが)。つまりヒトがヒトらしくあるために必要な大きさ以上にヒトの脳は大きい、といえるのです。

※なお大脳辺縁系に属する大脳基底核はサブリミナル効果に関わるとともに直感と意欲を司り、手続き

 記憶の中枢(体を動かすことに関連したプログラムを保存している部位)でもあります。スポーツや

 楽器の演奏等で必要となる手続き記憶は「無意識的、自動的でかつ正確」であることが大きな特徴

 なっています。手続き記憶は繰り返し訓練しないと身に付かない、努力の賜物でもあります。さらに

 大脳基底核は大人になっても成長し続ける脳の部位の一つ(もう一つは前頭葉)であり、人の柔軟性

 と学習可能性の土台となる部分に大きく関わっているようです。

 

 言語は「表現を選択できる」という点で意識の産物にふさわしいでしょう。チンパンジーも100くらいの単語を覚えますが、文法までは無理だそうです。つまりチンパンジーが覚えた単語はシグナル(記号)にとどまり、言葉には達していないといえます。ところが言語といえどもヒトの発する言葉のすべてが意識下にはおかれてはいないようです。話し言葉は一秒間にだいたい2文字から5文字くらい発せられております。意識的に一字一字選択しているとは思えません。反射的に発している要素も多いでしょう。ヒトの意識できる世界はまさに「氷山の一角」に過ぎません。最も意識的に行っていると思えた言葉の世界ですらほとんどは無意識的な機能に支えられて成立できているのです。

 言語の進化的起源は「ジェスチャー」と「ヴォーカル」の二つに求められるようです。指差しのようなしぐさと動物の発声、鳴き声から進化したものと考えられます。赤ちゃんの言語習得は大人のしぐさや声の模倣によって進みますが、おそらく声を聞くことや声を出すことがもともと「快」となるように遺伝的に仕組まれていると思われ、そのことが音楽の成立と関わっているようです。言葉には意味内容を伝えるだけでなく、情動を伝える機能もあります。情動を伝えることに特化していったのが音楽だと考えられています。

 表情:顔の表情は人類特有のものといわれ、脳には表情を司る部位があります。しかし表情もまた呼吸と同じで意識と無意識の中間にあるようです。表情は「喜び」「悲しみ」「怒り」「驚き」「不安」「嫌悪」の六種類に分けられ、人種や民族を超えて人類共通のものです。赤ちゃんでもすでに六つの表情を表すことができるといいます。つまり表情は遺伝子に書き込まれた人類共通の財産ともいえ、俳優のように様々な表情を演ずることはできても自然に生じてしまう表情はほとんど無意識的な機能に支えられているのです。

「恐怖」は感情の中では喜びや悲しみよりも起源が古いと思われます。「扁桃体」が活動するとその

 情報が大脳皮質に送られて「怖い」という感情が生まれます。一方で恐怖は記憶力を促進し、二度と

 恐怖の対象となったものへ近付かぬよう、学習させるようです。扁桃体を失うと「恐怖」の感情が失

 われ、欲望のままに動き出してしまうといいます。

 

 池谷裕二氏は「心が痛む」「胸が痛む」時には、身体的な苦痛を感じる脳の部位が活動しているといいます。痛覚は生存にとって重要な感覚であり、痛覚の無い人は長生きできないそうです。進化を遂げてきわめて敏感になった痛覚システムは「前適応」(ある生物学的形質が本来の目的と違う目的に転用される場合)して「社会的な痛み」(≒「悲しみ」)にも機能するようになったと考えられます。たとえば相手の痛みは自分の痛みとして感知しているようなのです。

 なお共感能力に関しては「ミラーニューロン」(1996年発見)の働きによるものという考えも有力です。他人が泣くのを見ただけで、泣く表情をつくる筋肉の動きに対応する神経が興奮したり、悲しみの感情を作り出す神経が興奮するといった現象が確認されているといいます。姿勢反響(仲良し同士が近くで向かい合っていると同じような姿勢や動作をほぼ同時にとっていることが多い)の現象も「ミラーニューロン」系の働きによるものかもしれません。

 

5.曖昧な記憶と意識

 耳の真上にある部分を電気刺激すると記憶の「フラッシュバック」が生じます。このことから一時期、記憶は消え去ることなく脳内の特定の回路に保存されているという誤解が生じました。しかし同じ部位を刺激しても次から次へと違う事柄が想起されることがわかってきました。記憶は特定の部位に局在しておらず、しかもその都度の状況によって新たに構成されてしまうようなのです。退行催眠によって確かに多くのことを想起できるようにはなりますが、正確さの点では向上しておらず、想起した内容を鵜呑みにはできないといいます(ただ本人の想起した内容に対する確信度は高くなるため、余計に紛らわしくなるようです)。

 実際には記憶は様々な情報にもたれかかるかたちで保存されます。したがってもたれかかられている様々な情報が変化すれば記憶自体も変容を余儀なくされます。情報自体がゆらめく蜃気楼のような記憶体であり、記憶と夢の中の出来事やイリュージョンとを区別することは本来難しいのです。

 そもそも完璧な記憶力は人間にとっては役立たないという指摘があります。完璧な記憶は対象の同一性を損ない、認識能力を低下させる(Aさんが顔の向きやネクタイを変えた瞬間、「Aさん」と認識できなくなる…)のだそうです。曖昧な記憶から普遍的な法則性を抽出し、後日、役立てるためにヒトは無意識的に記憶内容を取捨選択し、「汎化」させているようです。記憶が曖昧なために別々の記憶が結び合わされて新しい発見もできるわけです。逆に鳥は写真のように覚えることができます。下等な動物ほど記憶は正確らしいのですが、融通がきかないという欠点があります。ヒトの記憶力は他の動物に例を見ないほどにいい加減であいまいな分、臨機応変な適応力を支えているのでしょう。

 またヒトは特徴を抽出するために学習速度を遅くしているようです。たとえば「記憶の留保」を行い、じっくりと特徴を抽出します。学習のスピードが速いと表面的な情報に振り回されて本質を捉えそこなうからだと考えられます。ヒトに言葉と心がある理由はそれらを活用して周囲の環境から基底ルールを抽出し、基底ルールを将来に向けて蓄え、応用し、変化する環境に適応しようとするためではないかと考えられるのです。

 ですから記憶力は良ければ良いほどヒトは生きていく上で有利になるのか、と言うとそうではない、と池谷裕二氏は指摘しています(「寝る脳は風邪をひかない」P.28~29)。記憶が強固すぎると時間の流れが分かりにくくなってしまうようなのです。「記憶が色褪せるからこそ、情報に遠近感が生じ、私たちの心の中に現在という瞬間が立ち現れるのです」・・・鳥肌が立つほどに見事で深いご指摘ですね。

参考動画

過去(記憶)を上書きする方法 / How to overwrite memories

 精神科医がこころの病気を解説するCh 2021/11/04 7:33

 

6. 皮膚感覚の不思議

参考動画

【VR最前線】触りたいものに触れる夢の装置? 医療分野への応用も期待 

 宮城  NNNセレクション 日テレNEWS 2022/02/08 7:03

 

はじめに

 かつてテレビを見ていたら「カンガルー抱っこ(?)」という抱き方が新生児を落ち着かせる点で有効であることが宣伝されていた。胸の上に乗せて抱っこすると親の肌のぬくもりとと心臓の拍動音で赤ちゃんの機嫌がよくなるというのだ。最近では水の流れる音が胎内における母親の拍動音に近く、より効果的ともいう。いずれにせよ、赤ちゃんの激しい夜泣きで寝不足に陥っている夫婦も多かろう。どうやったら赤ちゃんの機嫌がよくなるのか…いや、親の寝不足解消の観点以上に子育て成否のカギを握るのが親と子のスキンシップだとはかなり以前から指摘されていた。そういえばスキンシップの基礎となる皮膚感覚ってヒトの場合、どうなっているのだろう?ちょっとマイナーで目立たないテーマに思えるこの問題、実は意外と奥が深く、深淵なテーマのようである。

皮膚とは?

 発生的には皮膚と脳は兄弟関係といわれる。おそらく神経系統の起源は生体と外界との境目で接近―回避の判断基準となる快―不快の検知が原点であろう。快―不快は感情が枝分かれする以前の基本となる感覚でもあったと思われる。だからこそ「皮膚は露出した脳」ともいわれ、皮膚と心との密接な関係が説かれてきた。皮膚感覚は原始的であるとともに、根源的でもある。皮膚感覚は自己と外界との境界上に生じ、自己と環境との関係を直感的に捉える。鳥肌が立つ、身の毛がよだつ、とげとげした…といった表現からも皮膚感覚がただの知覚にとどまらず、対人関係のアンテナとしての役割も務めてきたことが分かる。なお皮膚は最大の臓器ともいわれ、体重の約16%をも占めている。皮膚を薄っぺらな表面に過ぎない…と甘く見てはいけない。

 感覚全体を分類すると以下のように整理できる。

 

 特殊感覚―視覚・聴覚・味覚・嗅覚・平衡感覚…専用の特殊器官で知覚

 体性感覚―表面感覚=皮膚感覚:触覚・圧覚・痛覚・温度感覚

      深部感覚:位置感覚・筋肉(運動感覚)

 内臓感覚―空腹満腹感・尿意・便意・内臓痛覚

 

 皮膚感覚では指先が最も敏感であり、神経が集中的に存在している。これは人類が直立二足歩行を始めてから指先で細かい作業をすることが多くなったからで、指先作業の必要性から派生的に生じたのだろう。皮膚感覚は他の感覚に比べて順応が起りやすく、順応によりすぐに感じられなくなるという特色を持つ。したがって触覚で物を検知しようとする場合にはなでたり、圧してみたりを繰り返す必要がある。また視覚や聴覚と違い、外界の刺激を直接的に知覚するのではなく、皮膚の変形や熱伝導による皮膚温の変化など皮膚自体の状態を検知している。したがって外界の刺激がなくなっても皮膚自体が変化していれば皮膚感覚は残り続けることになる。氷を10秒あて続ければ「冷たい」という感覚は氷を離した後でもしばらくは残る(皮膚温がしばらく下がったままだから)。つまり刺激対象が消えたとしても刺激信号はしばらく脳に送り続けられるということだ。

 深部感覚と皮膚感覚では皮膚感覚が優位である。双方の感覚が矛盾している場合は皮膚感覚が優先される。そのことによって「後ろ手の錯覚」も生ずる。手の甲の位置感覚が触覚に引きずられ、手の位置を誤認してしまうのである。

皮膚感覚:痛みとくすぐったさ

・痛みとは何か

 痛点は全身に100万~400万存在するという。痛点は痛みだけを感じるのではなく神経が枝分かれして密集している部分をいう。痛みには二種類あるらしい。ファースト・ペインとセカンド・ペイン。前者は高温や強い機械的刺激などでひきおこされた鋭い痛みで素早い逃避行動が生じる。当然刺激のあった部位をすぐに特定できる。後者は鈍い痛みで、刺激のあった後に痛みを起こす化学物質(ブラジキニン、ヒスタミン、アセチルコリン等)が作られ、これらが皮膚や粘膜の神経を刺激。さらに大脳に届いて大脳辺縁系の様々な不快感情をひきおこして痛みの原因を記憶に残し、危険回避の学習を促す。また安静を保つために行動を抑制する。強い刺激の場合には両方生ずる。なおセカンド・ペインが脳に達すると脳下垂体や視床下部などからβ・エンドルフィンなどが分泌され、痛みが抑制される

 痛みは主観性が強く、個人差も大きいらしい。子どもの痛みは親など周囲の反応が大きな影響を与えるという。また痛む部位へ意識が集中すればするほど痛みは増す傾向あり。ある実験では痛みを与える際に、見せる、拡大鏡で見せる、見えないように他の物体で注意を逸らせる…の三グループに分けて痛み刺激への反応を比べたところ、拡大鏡で見たときに反応が最大になり、見せないときに最小となった。注射を打たれるときには目をそらせたほうが一般的にはよいといえよう。

 第二次世界大戦中、イタリア戦線でアメリカ軍の軍医ビーチャーは野戦病院に運ばれた兵士たちが大怪我を負っていても痛みをそれほど感じていないことに気付いた。多くの兵士は怪我をしたことで戦場から離れられ、故郷に戻れることへの安堵感、喜びで一杯になり、痛みをそれほど感じずに済んだようだ。逆に痛みが大きいと思い込むと実際に感じる痛みよりも1.5倍も痛さを感じてしまうという実験もある。

 痛さの忍耐力に関しては民族差が大きいらしい。ラテン系の人は痛みに弱く、ネイティブアメリカンや日本人は痛みに強いらしい(痛みを我慢できることが勇気や忍耐力を示す美徳とされているからで、ネイティブアメリカンは痛みが限界を越えると人目の付かないところへ行って一人きりになってから呻くという)。またアメリカでは痛み=悪者と割り切っているので鎮痛剤の使用(一人当たり)は日本人の三倍もあるという。出産も95%、無痛分娩。ところが日本では「腹を痛めた子こそかわいい」いう考えが根強く、無痛分娩はなかなか普及しないらしい。また痛みには性差もある。女性のほうが痛みへの感受性が強く、他者への表現も多い。また男は痛みを認知して分析することに関わる「島」で、女は感情に関わる前帯状回で捉える傾向があるという。おそらく子育てに従事する女性は危機に際してそれを表情に出し、他者に対応してもらうことで子どもをも守ろうとし、男は危機に際して戦うのか回避するのかの選択を迫られることが多いからだろう。

くすぐったいとは

 もっとも謎の多い感覚。ヨーロッパ中世には拷問として足の裏(塩をぬる)をヤギに延々と舐めさせたり、徹底的にくすぐって死なせるという刑罰も存在。触覚と圧覚、痛覚などがブレンドされて生まれる感覚か?お笑い番組で笑うのとくすぐったくて笑うのは顔の表情が違うという指摘もある。くすぐったい場合、鼻にしわがよったり、上唇が上に上がったり、目の周りの筋肉がこわばったりする。これは不快を感じたときの表情に共通。快と不快の両方の感情が混じりあっているようだ。おそらく痒みと同様に皮膚に付いた寄生虫やノミなどの害虫の存在をいち早く知らせるために進化してきた感覚であろう。ただサルに見られるグルーミングのように、コミュニケーション手段としてのくすぐりもある。だから単なる不快ではなく、快の要素もやはり混じっている。エジプトのハトシェプト女王(3500年前)は足裏を孔雀の羽でくすぐらせてセックスに備えたといわれ、中世ヨーロッパでも「足裏くすぐり女」が宮廷に雇われており、エカテリーナ女帝などは専門の侍女もいたという。

皮膚と心

 アメリカの社会学者の実験で身体接触だけ(目隠しして話はしない)、見るだけ(話も接触もなし)、言葉だけ(目隠しして接触なし)の三グループに被験者を分けて同じ人物に会わせ、印象を評定させてみた。接触だけだと「信頼できる、暖かい」、見るだけだと「冷たい」、話すだけだと「距離がある」という印象が強くなるという。触覚は親愛的感覚をも伝達するのだ。その原点を新生児の反射行動に見てみよう。以下の二つがポイントとなりそうだ。

口唇探索反射…頬や唇に触れるとその方へ口を向ける

吸啜―嚥下反射…口に指などを入れると吸い付き飲み込もうとする

 赤ん坊が何でも口に含むのはまず物を認識するためという。生まれたての赤ん坊は極端に視力が弱く、そのかわりに手や指、舌や唇の触覚を通じて物を認識する基盤を形成していくと考えられている。もちろん、上記の反射はいずれも新生児が母親の乳房をまさぐり、母乳を摂るための生得的な反射である。そしてこれらの行動の副産物として赤ちゃんは母乳だけでなく、母親の乳房の柔らかさや肌のぬくもり、乳の匂い、抱きしめられた際の安心感…といった快感を獲得する。この快感が親との親愛的な関係の原点になるのだという。

※皮膚感覚における気持ちよさとは?:触れる速度は一秒に5cmがベスト。顔、特に口唇部はベルベ

 ットで触られると気持ちよい。指や手のひらも気持ちよさを感じる部位。また性感に通ずる感覚とし

 て人間が最も快く感じる振動刺激は心拍に近い0.8秒間隔の振動。ゆっくりとした圧刺激も快だとい

 う。

 ハーロー(アメリカの発達心理学者)の代理母実験(1961年)がこの点に関しては有名となった。彼は生まれたばかりのサルの赤ちゃんの檻に針金でできた母親の模型と、同型だが毛布を巻いた模型の二体を入れて観察してみた。すると仔ザルは毛布を巻いた模型から片時も離れようとしなかったという。さらにミルクは出るが針金でできた母親のもとでしばらく暮らしたサルは神経症的な行動が目立つようになったという。スキンシップの重要性が世界的に喧伝された実験であった。

 世界各地で「スウォドリング」と呼ばれる風習がある。乳幼児を布でグルグル巻きにして包み込んでおく。すると赤ちゃんは触覚的な刺激が増えて軽く抱きしめられているような感覚になり、ストレスが減少するらしい。親とのスキンシップなどによって赤ちゃんの体内ではドーパミンという神経伝達物質が分泌される。ドーパミンは快感を生み出すだけでなく、親子を結びつける働きをするホルモンのオキシトシンを視床下部で分泌させる。オキシトシンも神経伝達物質で、近年、他人との信頼を高めたり、親密な行動を生み出す物質だと判明してきている。一方、不安や恐れも扁桃体の判断によって視床下部から生み出される原始的な情動であり、他人との接触が快となるか、不快となるか…は乳幼児期からのスキンシップのあり方に関わっているようだ。各種の調査などから乳幼児期に親とのスキンシップが十分な子どもは、本来不安をもたらす人との触れ合いを快く感じるようになると推察されている。

 参考文献:「皮膚感覚の不思議」山口創 講談社ブルーバックス 2006

 

 後編に続く

 

 

 

その6 .教師の下位文化に関する私的考察(後編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

2.教科別教員文化論

はじめに

 「1.学校間格差と教師の準拠集団」において学校の直面する状況、学校間格差によって初任の準拠集団が学年室に置かれる場合(=学年室常駐体制)、教科準備室に置かれる場合(=教科準備室体制)、さらに大職員室に置かれる場合(=大職員室体制)の三つの在り方を紹介した。ただし高校の場合にはかなりの学校が教科準備室体制を取っている。したがって最も注目すべきは教科間の違いになる。事実、種々の学校教育に対する教科間の取り組みの違いはどの学校種でも乗り越えるべき大きな課題ともなりうる。もちろん学校間格差の問題は小さくはなく、無視できないが、各教科における教員文化の違いは学年や分掌、学校行事などの学校全体の取り組み等、様々な場面において支障を来す場合があり、どの学校においても看過できない大きな課題となるだろう。当然、テスト問題の作成と評価の在り方も教科間の違いは相当、考慮すべき問題となると考えられる。ここでは社会学の用語である下位文化=サブカルチャーの概念に基づいて高校における教科別教員の下位文化を検討し、教科別、科目別の違いに留意した授業、学びの在り方に若干の考察を加えていこう。

 

①   共通テストの有無による教科別教員文化の差異

 従来、学校の外部からはあまり指摘されてこなかった大きなポイントが教科別教員文化の違いであろう。とりわけ教科間の違いを様々に際立たせているのは定期考査においての統一問題、共通テスト実施の有無であると思われる。基本的に共通テストを作成する教科なのか、それとも各教員の独自問題に評価をすべて委ねる教科なのか、この違いは同じ教科内での教員間における評価の主眼の違いや授業内容の違いをどこまで許容するのか…各教員の授業での自由度を大きく左右する決定的な要因の一つとなると私は考えてきた。当然、自由度が低い教科では授業内容や授業方法に対する教員独自の工夫の余地も少なくなるに違いない。そしてその自由度の差は教科別教員の下位文化の差異をも生み出す最大のポイントとなる部分だと考えられる。ここでは共通テストの有無を基準にして教科を二つのグループに大別し、分かりやすくするために敢えて対立的に描写することでそれぞれの特色の違いを浮かび上がらせていこうと思う。

 ただし予め断っておくが、これらの考察は特定教科の教員に対する批判や攻撃を意図したものではない。日本の高校教師に関しては未だに本格的な教員養成教育をほとんどの大学では施してこなかったという驚くべき、政策上、制度上の手抜きがあり、しかも未だに教科書検定制度を採っていて相変わらず教科書がバイブルのように扱われていたりする。こうした古色蒼然たる日本の学校教育の状況が続く限りは多くの教科において以下に述べるような歪な力学が作用し、大勢の教員の価値観が一定の方向に誘導されてしまいがちな点に是非注目していただきたいのだ。問題の本質は個々の教員の資質にあるわけではなく、その多くは教員養成や学習指導要領、教科書検定制を含めた日本の教育制度の重大な欠陥に求められる、と私が考えている点にご理解いただきたい。

 

② 共通テストを課す教科:国語・英語・数学・保健体育・・・

 もちろんこれらの教科でも少人数の選択科目の場合には共通テストを課さないことがある。が、必修科目の場合にはほぼ例外なくどの学校でも共通テストを実施している。その前提として生徒の成績に対する個々人の教員の恣意的影響力を出来るだけ排除することによって評価の公平性が保たれると教師間で考えられているからである。当然のことながら、様々な教育評価の在り方がある中で評価の公平性こそが最優先されるべきポイントだという教育評価への理解がこの背景にはあるだろう。到達度評価、形成的評価などの観点からすればもっぱら相対評価の観点だけに止まるこの古くさい日本の考え方自体も十分再検討される余地はあるが、ここでは深く追求しないことにする。

 定期考査で共通テストを課す教科の場合、次のような教員の下位文化が生じていく傾向が観察できよう。まずこれらの教科内では授業内容やテスト問題、採点基準において教科内における教師全員の足並みをそろえさせようとする同調圧力が極めて強くなる。初任教師には同質性を強いる方向での指導が何人もの先輩教師から丁寧にかつ執拗に行われる反面、足並みを乱すとされた教員への陰湿なイジメ・イジリまでも生じかねないほどの強い圧が存在している可能性は無きにしも非ず。教員間での教える内容や方法の違いによって生じた生徒達の学習状況の違いはその結果の良し悪しにかかわらず生徒達に対してあまり好ましくない不公平な指導の結果であると捉える傾向がこれらの教科ではとりわけ強いだろう。したがって教員個人の授業内容や方法に対する個性的な取り組み、工夫はただの目立ちたがりのワガママであるとされてしまい、教師個人の「恣意性」をできるだけ排除しようとする力が教科集団内で強くなる危険性がある。教員個人の工夫は授業中の説明に使われる「例え話」、例題、発問の頻度の違いなどに矮小化されがちである。

 基本的には多くの教員が「テキスト主義」に陥るため、教科書のどの部分をどの程度、授業で教えるのか、教えないのかに関してまで学年別に統一され、授業内容のどこを注意してどの程度強調するのかも、ある程度まで予め決められていると言って良い。板書内容も字の巧拙を除けば誰もが似たり寄ったりとなりがち。そもそも教科書を金科玉条のごとく教えることへの疑念自体がこれらの教科の、とりわけ年配教員には少なく、何を教えるかに関しての若手教員の自由度は限りなくゼロに近いといってよい。

 これらの教科での授業力は説明の仕方や模範解答、板書の見やすさ分かりやすさ、あるいは提出物の添削、朱書き、質問に対する丁寧な対応といった比較的些細な工夫が圧倒的に重要視される。説明の際の例え話の巧みさや余談でのユーモアがあればそれだけで授業技術として十分な評価が得られるだろう。たとえば国語科の授業で小説のような主観性の強い教材を扱う場合でも、その解釈はかなり画一的であり、統一的解釈が可能な範囲内でしかテスト問題は作成されない。すなわちテスト問題もまた画一的で制約の大きい没個性的なものになりがちである。このためこれらの教科において授業方法における革新的進歩は日本の場合、ほとんど見られない。達筆でびっしりと縦書きされた板書を生徒たちがノートにひたすら書き写す国語の授業風景は百年以上前から延々と続いてきた、すっかりおなじみのものとなっている。何一つ変わらぬ、だからこそ恐ろしいほどに異様な授業風景…個人的創意工夫の余地が極めて小さいため、授業での工夫が部分的なものに限定されてきたからこその光景である。

参考記事

 「読書習慣のある子」が“国語が得意な子”ではない…国語講師が語る「納得の理由」

  Yahoo!Japan ニュース 2024.6.13

      読書量の多さが必ずしも国語科の好成績を約束しない、ということは近年、よく指摘されている。

  詩や小説など、文章や物語の主観的な味わいを重視して豊富な読書量を誇る人は少なくあるまい。

  しかし客観的で論理的な分析を土台とする読解問題に関してはいったん、自分の主観的印象を脇に

  置き、あくまでも論理的に考察する冷静さを要する。つまり学問的な追及を可能とするある種の

  欲性が読解問題を解くためには欠かせない要件なのだ。

   確かに他人に自分の思いを伝えたい時に自分の感情、印象をあまりにも表に出してしまうのは押

  しつけがましさをにおせてしまい、双方向のコミュニケーションとしてよろしくないだろう。し

  かし人は誰でも自己表現欲求持っていて、作品に対する自分の主観的感想を思う存分述べたい時

  があるはずだ。読解力の養成をあまりにも前面に押し出してしまうと、児童生徒たちの主観的な自

  己表欲求を抑圧してしまう危険性が強まるのではあるまいか。

   児童生徒の中で国語の授業を苦手に思う人は少なくないらしい。それはあたかも教師から一方的

  に与えられた正解を覚え込むだけの暗記学習に陥りがちな社会科への嫌悪感と似て、読解重視の国

  語の授業がある種の息苦しさを児童生徒に与えてしまう危険性を私も生徒として感じてきた。

   授業の手順としてまずは作品への主観的印象を問うことから始めても良いのではないか。作品の

  読解を後回しにして、自分なりの感想を述べさせ、それからおもむろに問を深めていくべきなので

  はないか。問深めていく過程で初めて深い読解力が必要となるのではあるまいか。

   とりわけ感情を揺さぶるような教材の場合、読解よりも揺さぶられた感情の表現をまずは優先さ

  せるべきだと思うが、いかがだろう。いずれにせよ教科の如何を問わず、苦手意識、嫌悪感を持た

  せるような授業展開だけは避けるべきではあると私は考える。

  

 ・日本と米国の「国語教科書」を比較すればわかる…日本人が「世界最高水準の学力」を生かせない根本

  原因 プレジデントオンライン 竹内 明日香 によるストーリー  2024.1.6

※もし多少の変化があるとすれば英語科。英語教育では近年、会話能力重視の傾向が強まり、発音や聞

 き取りなどの比重が高まっていて実務英語重視に移行している点が目立つ。その反面、英語科では英

 文法や英文学の読解力などが軽視され、言語学や文学としての学問的色彩はかなり後退しつつある。

 つまり英語という教科は現在、実用的価値に主軸を置き始めたことで技術的鍛錬を主とする技能教科

 に接近してきていると言えよう。

 

 これらの教科では内容、方法面での様々な縛りが強く、授業内容における教師間の差異、個性はまったく重視されない。授業内容にそれほどの個性や創意工夫が問われない分、自己責任の領域は極めて狭いといえよう。何を教えるべきか、という厄介ではあるが授業のキモとなるべき大問題がほぼ完全にスルーされているため、些細なテクニックとしての表面的な授業方法しか追求されない。このため、生徒側も授業中の教員に対しては外見の良し悪しとユーモアのセンス、生徒への気遣い、教え方の丁寧さ以外は授業中、ほとんど気にもとめなくなっているに違いない。おそらくこれらの教科の多くは授業の進め方において小学校、中学校からほとんど本質的な変化が見られないため、生徒達の授業への期待値が当初からかなり低く設定されていると考えてよいだろう。

※ただし数学科は生徒の学力のバラツキが大きく目立つために授業中も演習中心で机間巡視が重視され

 る。個々の生徒のツマヅキに一人一人丁寧に対応する必要に迫られる機会が多いことから比較的、画

 一的指導に対しては抵抗力のある教科と言えよう。ただ、教える内容に関しては公平性を保つ上で全

 員共通であるべきとの考えは数学科にも強く見られる。なお共通テストを課すことの多い情報科の場

 合は、そもそもコンピュータ学習が教育の個別化を推進する役割の中心を担うものであるため、本質

 的にはこのグループに入らないと考える。また共通テストであってもテスト点をさほど重視せず、情

 報科と同様に実習中心の授業からなる家庭科もまたこのグループからは除外して良いだろう。

 

 こうした教科としての特性ゆえにこれらの教科の教員、特に国語科教師には次のような傾向が見られがちである。意見が分かれやすい読解問題における採点基準のブレを恐れるあまり、教科内での同調圧力が極めて強く働きかねない。作者及び出題者の意図を読み取る力を問う傾向があるため、結果的に周囲の意向を忖度する傾向も生じやすい。他方で突出した個性、アクの強さは嫌われ、一定の集団内でのバランス感覚の良さが尊ばれる。基本的には伝統を固守する、無難で保守的な体質を持つ教師たちの集団的特質が観察されよう。

 年功序列がいまだに重視される体育科の場合には教科内だけではなく、分掌、学年、全校職員が足並みをそろえることに執着し、「チーム□△」を謳うスローガンに弱い。教科指導だけではなく生徒指導でも画一的で足並みをそろえることに執着する余り、管理主義に走る教員が少なからず見受けられるのは周知の事実である。少なくとも画一的指導に表立って異を唱える教員はそう多くない。

 またスポーツ体験を主とする体育の授業は保健体育とは違って生徒たちの人気度はもともと高い。しかし体育の授業の人気が高いのは必ずしも教師の指導力の高さや教師の努力の結果を意味しないだろう。多くの場合、生徒たちは体育の授業が好きなわけではなく、多くの生徒がスポーツ好きなだけに過ぎない。

 勢い体育科教師の場合、教材や教え方の工夫を準備する労力は他の教科と比べればさほど多くない。このため他教科の授業準備にかかる重い負担をまっとうには評価できず、運動部や生徒指導の負担を当然のことと見なす教師が少なからず存在する。つまり学校のブラック化へ積極的に加担してしまいがちな教科の一つと言えよう。

 とはいえ、もちろん体育科の教師が楽をしているわけではない。普段の授業準備はともかくとして、運動部の指導が必須となるため、そこでは手抜きが許されない。放課後や土日の部活指導に加えて各スポーツの専門部を任され、各種大会の運営などにも関わるため、膨大な時間と労力が割かれてしまう。部活指導に専念するということは、下手をすれば過労死、離婚など、心身の健康や家庭生活の安寧を脅かす危険を覚悟することでもある。近年、中学校での部活指導が地域社会へ委ねられつつあるが、おそらくこの先、高校でも同様の動きが本格化するだろう。ただし体育科教師とすればそれは自身の生きがいを奪われることにもつながりかねず、単純には移行できない側面がある。

 管理職における体育科教師が占める割合は他教科と比べてかなり多い、とのぬぐいがたい印象はおそらく全国共通のものだろうが、なぜ、こうまでも学校の管理主義化、ブラック化が進んでしまったのか、その背景に管理主義的人材、すなわち管理職を多く輩出してきた体育科独特の下位文化が横たわっていると私は推察している。逆に芸術科の管理職が異様に少ないことも全国共通の現象だろう。芸術科(音楽を除く)が画一的管理主義に最もなじまない教科であることは明白であり、芸術科の真反対に位置するのが体育科なのである。

 こうした教科の教員はよく言えば空気を読むことに敏感であり、和を乱さない組織への順応性を何よりも優先するため、教員集団としてのチームワーク力は決して低くない。チームワークの良さが求められる生徒指導重視の教育困難校では特にこれらの教科に属する教員は(もちろん例外はあるものの)適応力がある方だと言えよう。しかもこれらの教科に属する教員の総数はどこの学校でも少なくはない。むしろ困難校では管理職から優遇される傾向があるため、主流派を形成する可能性が高い。従って日本の多くの学校が保守的で変化を好まない体質と言われがちであるのはある意味、当然のことなのである。

※高校に限らず、日本の学校全体が「ガラパゴス化」に近い状況に陥っていると思われる。日本の教員

 の多くは相変わらず前近代的な古い意識レベルに止まっているのではあるまいか。実際、これまでの

 運動部を中心とした部活指導の過熱した勝利至上主義やブラック校則のおかしさ、イジメ事件の隠蔽

 体質に教員自体がいつまで経っても改めることができないなど、自分たちの指導の在り方にあまり疑

 問を持たない教員達は教科や学校種を越えて広く普遍的に見られるだろう。

  特に大学における教員養成教育が極めて不十分な日本の高校教師には世界の教育の潮流に無関心な

 傾向が随所に見られる。本格的な教員養成教育を受けないまま高校教師となった初任の多くは世界の

 教育の趨勢を知らず、ほぼ免疫力を欠いた状態で因習にまみれた問題だらけの高校の教壇に立つ。こ

 のため、古臭い体質の先輩教師の指導が良くも悪くも若手に大きな影響力を与えてしまう。これでは

 若い教員が新しいことにチャレンジする折角の機会を奪い、閉鎖的で保守的な古い体質をそのまま引

 き継いでしまうことになりかねない。こうして何時までたっても自らの力では変革できなくなった日

 本の高校教育界の体質こそが日本社会の停滞を招いた大きな原因の一つであるとさえ私は考えるが、

 これは大袈裟な暴論であろうか・・・

  ただし体育科の若手教師の中には近年、心理学、リラクゼーション、コーチングなどの理論に通じ

 ていて保健体育での見事な授業が出来、なおかつ従来支配的だった管理主義や精神論から距離を置い

 て新たな原理に基づく運動部の指導を試みる有為な教師も目立つようになってきた。世代交代までま

 だ多少の時間は要するだろうが、いずれ体育科でも従来とはまったく異なる下位文化が見られるよう

 になることは十分期待してよい。

 

 これらの教科の教員は良くも悪くも体制派であり、学校を支える主流派である。そのため、中には自由と個性を多少とも尊重する他の教科の特性をほとんど理解できず、反感すら示す教師が少なからず存在する。彼ら、彼女らが教務主任、生徒指導部長、学年主任などになってしまうと自分たちが得意とする画一的で一方的な指導を「公平・公正」という理念を楯にして生徒達のみならず、教員集団にまで一律に押しつけてしまいがちである。多くの場合、彼ら、彼女らにとって生徒や教員の個性、教科の差異とは、画一的集団の醸し出すべき統一的ハーモニーをひたすらかき乱す不公平、不平等の源泉に過ぎず、あえて極端に表現すれば、ただひたすら面倒で不愉快な雑音、不協和音のようなものでしかないのだろう。しかし上から一方的に押し付けられた「公平・公正」はもしかしたら人権抑圧そのものであるのかもしれない。

 

② 共通テストを課さない(重視しない)教科:理科・社会・芸術

 そもそも理科と芸術は教科準備室が少人数の科目ごとに置かれているために集団的な同調圧力からほぼ免れている点で個性的な在り方が担保されており、自由度が極めて高い。しかも教科書以外の教材選択の幅が広く、どれをどの程度まで扱うかも個々の教師の判断に相当程度、委ねられている。各科目はせいぜい2~3人程度の小集団に過ぎず、考査が共通問題となったとしてもそれなりに授業における教師個人の自由度は保障されている。他教科に比べて教師の専門性が重視されており、専門外の科目を担当することは極めて稀である。

 ただしその反面、生徒指導などで足並みそろえてチーメワークで臨む必要が高い、荒れた教育困難校では身勝手な言動によってチームワークを乱し、非協力的な姿勢に傾く教員が出てしまうのもこれらの教科であったりする。学年室常駐に加わらず、教科準備室に籠もってしまって当番の時間にも中々姿を見せない・・・これでは生徒指導の成果は不十分になるだろう。学校全体の課題と個人的な課題とをバランス良く把握し、対応していくのは誰であっても難しいが、学校教育を俯瞰できるだけの視野の広さが少しでもあれば妥当な落としどころが見つかるはずである。問題はその教科、科目に視野の広さを持つ教員がいるかいないか、であろう。

 なお、芸術科の場合、特に音楽科は体育科と同様、部活指導の負担が重い場合が少なくない。稀ではあるが書道科でも運動部なみの活動をしている学校が存在する。一見、教科準備室における一人当たりのスペースが広く、自由気ままに過ごせるように思われたりするが、部活指導の過酷さは見過ごせないだろう。

 社会科は国数英などとほぼ同規模の集団になるが、共通テストを行う高校は稀であり、授業や考査における教師個々人の自由度はそこそこ高い。また公民科の場合、教える内容まで含めた自由度の高い科目が存在するため、教科内での同調圧力はかなり弱いと言えよう。教科準備室において稀に同じ科目の教員からアドバイスを受けることはあっても、授業内容やテスト問題に深く介入されることは滅多にないといってよい。

 ただし芸術科や理科と比べて科目の専門性はあまり重視されず、専門外どころか複数の科目を担当することもなぜか多い。おそらく2単位ものの選択科目群に設定されやすいからだろう。結果的には授業準備に最も苦労を強いられる教科となっている。ただし、一度、授業用に作成したノートを何年も使いまわして一斉講義形式の授業を繰り返す、手抜きの教師の存在を一定数生み出してしまう教科でもある。こうした授業が少なからず残存するため、残念ながら生徒から最も嫌われがちな教科の一つとなってしまうことがままある。たとえ自由度の高い公民科であっても下手に受験を意識し過ぎたため、暗記中心の一斉講義形式を続けてしまう教師が散見される。この場合には受験に無関係な生徒から最悪の授業評価が与えられる可能性は十分にあるだろう。

※歴史科目は受験科目に選ばれることが多いため、進学校の場合、授業進度や授業内容が複数の教員間

 で余りにもズレが酷くなると生徒からのクレームが出る恐れがある。度が過ぎれば公平性に欠けてし

 まう点は確かに否めない。授業展開もほとんど教科書に沿うことの多い歴史科目は社会科の科目とし

 ては最も自由度が低いと言える。したがって地歴科の教師は国語科とかなり類似する下位文化を持つ

 傾向があろう。結果的に世界史や日本史は社会科の中でも生徒から最も眠気を誘われる科目となりが

 ちであることも否めない。歴史科目は本来、内容に加えて授業方法にも相当の工夫が必要とされるだ

 ろう。

 

 授業における自由度が高い分、公平さや内容の偏りが問題視されやすいのがこれらの教科の弱点でもある。確かに受験に大きく関わる科目の授業の不公平さは教師にとって致命的になり得るが、受験のための補習授業などを別個に設けることである程度は不公平感を解消できるだろう。従って補習さえ行えれば、正規の授業での多少の逸脱は許されるに違いない。いや、むしろ高校教育の完成教育としての役割を踏まえれば、生徒達の個性を引き出し、育てる上でもこれらの教科は折に触れては積極的に教科書的、画一的な内容から時宜にかなう内容へ勇気をもって逸脱すべき義務すら背負っているとさえ考える。

 そもそも「画一的で公平な授業」が最重要視されるのは義務教育段階までである。高校卒業後、個別に進路先が異なる高校教育では教育の画一性よりも、教育の個性化、個別化の方がより大切になってくる。全員一斉に同じ事を行う意義は高校では義務教育ほど重くはない。生徒一人一人の進路が異なるように、授業もまた一人一人の個性、興味関心に応じてその内容を時宜にかなった形で多彩にしていかなければならないのは社会科における当然の義務といってよいだろう。

 いかにして授業の中で生徒個々人の異なる個性に丁寧に寄り添い、多様な要望に応えていけるのか、その工夫がこれらの教科では厳しく問われよう。そのための授業改善は日々、怠ることができない。古くさい一斉講義形式、板書やプリントの穴埋めが中心となりがちな授業を続けていては授業の個性化を進めるのは至難の業である。無論、旧態依然の日本の教科書にしがみついていては決して個性化は実現できない。中学校で生徒たちから最も不人気な教科として毎年のように英語科や社会科が挙げられてしまうのはもっぱらお上から与えられた知識の丸暗記を強要する一斉講義形式に起因するだろう。

 生徒の実態に合わせた教師独自の教材、授業構成、独自の方法論が必要とされているのだ。これは一朝一夕には到達できない目標であるが、理科、社会科、芸術科といった教科は他の教科の教師がたとえやりたくともあまりにも障害が大き過ぎて容易に実現出来ない授業の「個性化」という重要な任務を背負っている。その恵まれた環境の中でひたすら授業改善に取り組む必要がある教科なのだ。実際、社会科や理科、芸術科には極めて個性的で優れた授業の実践家が少なくないように思えるのは気のせいだろうか。

 さてそれでは授業の個性化を進め、受け身になりがちな生徒達の主体的な授業参加を促すには今、どのような工夫が考えられるだろうか。理科では以前から仮説実験方式の授業が行われてきた。こうした実験や観察という生徒参加型の授業を比較的数多く行いやすい理科と違い、生徒が受け身になりがちな一斉講義形式に傾く社会科にとって生徒参加型授業の実践は極めてハードルが高いように思える。しかしそれでも幾つかの工夫は考えられよう。

 授業の最後でアンケートをとり、アンケートの結果を受けて次回の授業展開に活かしていくという方法は授業のどの分野であってもかなり有効である。この手法で「自衛隊は必要か、否か」といった議論の分かれやすいテーマのアンケートをとって次回にその結果を発表し、面白い意見をピックアップしてそれへの賛否を問うようなアンケートを再びとり、次回の授業へとつなげていくという試みを一ヶ月ほど続けたことがある。「紙上討論」と題してこのやり取りをしばらく続けてみたが、様々な意見が活発に飛び交って面白かった。こちらが発問しても率先して手を挙げて応えてくれるような積極性があまり見られなかった学校、クラスだったが、アンケートでは意欲的に意見交換が行えた。こうした授業展開が可能となれば、アンケートで問うたテーマに関して400字程度の論述問題を出すことも可能となり、定期考査自体、生徒参加型の色彩を帯びてこよう。さらには自己表現の訓練にもつながる点でアンケートや論述問題は生徒の授業参加度を高める、極めて有効な手立てとなると考える。

 もう一つの工夫としては理科の手法を参考にして社会科の授業でも実験や調査、観察を導入することが考えられる。これも個人的な工夫になるが、過去二十年近くにわたって現代社会や倫理では心理学における錯視の実験や性格検査、リラクゼーションとしての呼吸法の実践などを通じて理科的な手法と内容を繰り返し授業に取り入れてきた。社会科の授業で理科的な授業をするアングルの斬新さに生徒は素直に驚き、喜んでくれた記憶がある。

 他にも教科書的な内容ばかりになりがちな日本史では「地名・人名の由来」や「和食の特徴」、「お祭りの由来と意味」、「西欧と日本との美意識の違い」など、文化史的な側面から切り込んでいく工夫も行ってきた。文化史は他教科の内容とかなり交わるため、生徒たちの興味、関心をある程度は高めることにつながったようだ。また定時制にいた時には生徒の多くが不登校や貧困問題などに直面していたので政治経済や現代社会、倫理では授業の多くを貧困問題や就職問題、結婚や介護、欧米との比較を軸とした学校教育問題、ウツ対策のカウンセリング理論の紹介などにも時間を費やしてきた。さらにアニメ「千と千尋の神隠し」のもつメッセージ性について1か月以上をつぎ込み、いろいろな角度から検討を加えたことが幾度かある。必ずしも生徒からの反応は良かったわけではなかったが、教科書一辺倒の授業よりはマシな反応が得られたと思う。

 いずれにせよ教科書にはない教師独自のネタやユニークな授業構成を数多く持つことが、生徒の関心と意欲を継続的に高め、授業への自発的参加を活発にする大きなポイントとなる。ただでさえ勉強嫌いの生徒は多い。普段、見ることすら嫌な教科書をただ順番通りに工夫もなく教えて暗記を強いるような授業ではいつまで経っても生徒は「冷淡な傍観者」にとどまるだろう。特に学習意欲の低い生徒が多い教育困難校にあっては通常の講義形式の授業が成り立つはずはない。これまでドンヨリとして重苦しかった授業を一新し、少しでも生徒たちの目の輝きを取り戻す上での思い切った工夫、チャレンジがこれらの教科では絶対的に欠かせないのである。

 教師達が教科書から離れて独自のネタで悪戦苦闘しながら真剣勝負している姿を生徒達に見せる事が出来ればいつしかそれだけでも教師を見る生徒達の眼差しは変わってくるはず。最初から芸術的な仕上がりを見せる必要は無いし、それはどだい無理である。完成度を高めるためには手痛い失敗も避けては通れない。一つのネタを完成させるために何年もの月日を要するのは当たり前のことである。たとえ授業が無惨な「脱線転覆」に終わろうとも、教師のチャレンジする心意気に生徒達はいつの日にかプラスの反応をしてくれるようになる。「ウケ狙い」との周囲からのからかいに耳を貸す必要は無い。大切なのはあきらめずにチャレンジし続ける姿を率先垂範、生徒に示し続けること。続けていればいつかブレイクスルーできる瞬間が来ると少なくとも私は確信してきた。

 独自の工夫を凝らした授業を成立させるための準備に費やす時間と労力はもちろん膨大なものになる。しかし理科、社会科、芸術科は生徒の興味関心に応えてくれる可能性のある数少ない教科として、多くの生徒達が実は密かに期待を寄せている教科でもあると感じてきた。学校生活の最後ともなりかねない完成教育の段階で彼らの秘めてきた期待をあっさりと裏切ることは絶対に許されないことだろう。とすれば授業準備は何にもまして優先されるべき、教師の本務となる。特に理科、社会科の教師は授業準備を優先すべく、部活動への取り組みはほどほどにしておくべきだろう。海外の学校を見てみよう。実際、分掌の仕事、クラス経営は授業準備の次に来る副次的な任務に過ぎない。欧米で最も強く問われる教師の力量は圧倒的に授業力であることを忘れてはならない。

 とりわけ理科、社会科の教員の責任は画一的で管理主義に走る日本の高校教育のお寒い現状を踏まえたとき、突出して重大なのだと考えている。ぜひその誇りと責任を持ってユニークな授業を通じて生徒の目の輝きを取り戻し、その輝きを我々教員が見失わないためにも日々、終わりなき授業準備に邁進してくれることを後に続く若き教師たちに願ってやまない。

 

その6 .教師の下位文化に関する私的考察(中編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

④   学級運営の基本~学校や学年の違いを考慮した重点目標の設定~

 学級運営もまた学校間格差と教師の準拠集団の違いに大きく左右される。ここでは最も数の多い、しかも意外なほどに煩雑で勤務条件が厳しい進路多様校を前提に学級運営のあり方を考えてみたい。学校が学年室常駐体制ではなく、教科準備室体制であるとした場合、学級運営はかなり教師の個性が反映されやすくなる。初任の場合、今は皆、原則として副担任なのでベテランの担任の学級運営をじっくり観察できる機会は十分にあるだろう。ベテランの先生が何をどう話すのかも重要ではあるが、何をどういう手順で進めているのか、そのために最も心を砕いているのは何なのか、観察してみよう。

 以下、クラス担任となった高校教師が実際、どのタイミングでどんなことに心を砕き、どんなクラス経営をしているのか、学校関係者でない方でもある程度はイメージできるよう、ベテランのクラス担任目線で記述してみよう。

 

ア.新入生を迎える際の心構えと1年生の学級運営

 新入生は入学したての頃、期待と不安で一杯であり、しばらくの間は緊張で疲れてしまうことが多い。当然、クラスの人間関係はまだまだぎこちない段階。そうした中での最初のホームルーム。初対面の印象はもちろん重要。ここで1年生の担任にまず必要とされるのは段取りの良さである。やるべき事、伝達すべき事が目白押しなのでテキパキと作業をこなしていかないと新入生の混乱と不安はなかなか解消できない。ただでさえ不慣れな環境で次から次へと課題、配布物が配られ、緊張の連続となる。当日のきめ細かな指示が口頭だけでなく、予めわかりやすく整理されて板書されていると生徒は動きやすい。また当面の日程や提出物、座席表、時間割表、掃除分担表などをコンパクトにまとめ一枚のプリントにして生徒に配布すると共にクラス掲示しておく。時間割表は特に別途、大判の紙でクラス掲示しておく。中学時代の級友がどのクラスにいるのか分かるように学年名表も掲示しておくとかなり喜ばれる。また学校全体の年間計画も掲示しておこう。先の見通しを少しでも明示しておけば新入生の不安は多少なりとも軽減される。

 遠足や文化祭の日程は4月早々から告げておくと生徒に目標を持たせやすくなる。クラスを活性化させる上で4月の中頃までには文化祭の企画を大雑把で良いから話し合いを通じてまとめてしまうのも有効。楽しい行事を待ち遠しくさせるとともに、クラス全体に今後の学校生活への期待感をもたらし、不安と緊張に満ちた雰囲気を一気に軽くすることが出来る。新入生は多くの場合、お互いの様子をうかがって言動が慎重となっており、なかなか率先して動こうとはしない傾向がある。文化祭の話し合いを通じていち早くリラックスさせ、生徒の自主的な動きを自然に誘い出すこともできよう。

 ただしリラックスさせすぎてしまい、ケジメがつかずにだらしないような状況を作り出してしまうのはもちろん良くない。そこで多くの生徒達がサボリがちな掃除に関しては予め出欠表を作っておくなど、最初からキッチリとやらせる工夫が必要。担任も教室掃除はテキパキと指示しながら、黒板と教壇だけは自らの責任で常にきれいにしておく。ずるい生徒が楽をして威張り散らし、真面目な子ばかりが損をする・・・といった最低のクラスにしてはなるまい。

 経験上、朝のホームルームの時から黒板や教壇がチョークの粉などで汚れているクラスは授業でも反応がイマイチのクラスになってしまう。また座席が始終、縦横乱れているクラスは生徒間にやがて不公平感が醸成されのか、人間関係のもめ事が多いクラスになりがちであるという印象が個人的にはある。折り目正しさと清潔感と公平感を演出するのはあくまでも清潔できちんと整理された教室であろう。教室の環境と担任の普段からの言動は生徒たちへの影響力が決して小さくないことに留意すべき。そのどちらも欠けていてはダメ。教室が雑然としている中で担任が生徒に向かってどんなにきちんと勉強しろ、きちんと掃除しろと怒鳴っても大した効果は期待できまい。口から発せられる言葉よりも無言の行為と無言のモノたち、つまり教師の背中と教室自体に語らせる方が生徒達への説得力ははるかに勝ると私は考える。

 昔から反社会的な生徒は教師の目を引きがちだが、今や非社会的生徒への気配りは極めて大切である。中学校で幾度もイジメを目撃し、自らも体験して憂鬱な気分を散々味わってきた生徒たちは、その存在感が控え目であるせいか、教室では大勢に埋もれてしまったようで目立たない。しかしその数は実際にはかなり多いと感じてきた。察するに多くの生徒達は立場の弱い生徒への気配りを担任の教師が行えるのかどうか、密かに、しっかりと観察していると思われる。だからこそ担任は無口で孤立している生徒への意識的な働きかけが上手に出来なければならない。遠足でのバスの座席決め、文化祭での役割分担でなかなかグループに入れない生徒へのフォローが上手に出来ないと、本来、クラスの役に立とうと思っている真面目な生徒の心までもが担任から離れていってしまうかもしれない。逆に目立ちたがり屋で弱者への思いやりに欠ける生徒達がその派手な積極性でグループを形成し、いつの間にか遠足や文化祭などの主導権を握ってしまうと、クラスは学年の後半、まったく収拾がつかなくなるほどに乱れ、挙句の果てに不登校の生徒を複数生み出してしまうかもしれない。

 1年生の文化祭では初めての体験が多いため、なかなかスムーズに事は運ばない。最初から最後までギクシャクしがちである。意欲のある生徒、真面目な生徒を腐らせないためにも担任のリーダーシップ、テコ入れが1年ではどうしても必要である。自主的な行事だからといって何でも生徒任せにすると大変な事態を招きかねない。1年生の場合、大成功する必要はまったく無い。逆にやや悔しい思いで終わる方が次年度につながる、と思うべきだろう。重要なのは結果以上に文化祭当日に至るまでのプロセスである。実際、文化祭終了後に「先生、来年はもっと楽しい、凄い企画をみんなでやりたい!」と生徒達が声をそろえて言ってくれれば1年生としてはむしろ大成功の部類なのである。

 繰り返しになるが、大切なのはずるい生徒が楽をして真面目な子ばかりが損をする・・・という最悪の不公平感を出来るだけ生み出さない工夫。部活や塾を理由にしてろくろく手伝わず放課後すぐにいなくなる一定数の生徒、放課後は残ってくれるが無駄話ばかりしていて教室に居残ること自体を目的にしてしまっている女子、無意味に外出し徒にダンボールだけ集め、それで事足れりとばかりに教室で遊んでばかりの男子、無謀な企画を押しつけておきながら思い通りに動いてくれない生徒達にイライラを募らせているクラス代表、文化委員・・・そのどれもが1年生にはありがちな光景である。

 彼らをまとめ上げてチームワークを作り、できるだけ多くの生徒を巻き込んで生き生きと動かしていけるかどうかはひとえに担任の力量にかかっている。まずは文化祭の楽しさを4月早々からアピールしておくこと。折に触れてはこれまでの楽しかった様々な文化祭での経験を担任が目を輝かせて語る必要がある。役割分担とそれぞれの責任を早めに明確にしておこう。文化祭が近づいてきたら班ごとに「本日のスケジュール」を印刷し、こまめに配布して一日の目標と作業手順などを簡単に示してあげるとクラス代表、文化委員のイライラは多少なりとも解消されるはずである。

 文化祭の出来不出来は年度の後半、クラスの雰囲気を一変させてしまうことがある。文化祭を軽く見てはなるまい。一見、文化祭に対してクールで協力的に見えず、やる気も無さそうな生徒達ほど、実は心の中で文化祭の盛り上がりに期待していたりする。多数派でもあるそのような生徒達の期待が裏切られたとき、今まで真面目だった生徒、協力的だった生徒までもが根こそぎ、クラスや担任に背を向けてしまうかもしれない。

 文化祭に消極的な彼らを他力本願の「自己中」と馬鹿にしてはいけない。進路多様校での生徒は中学校時代、リーダーシップを発揮した経験を持つ子の数が限られている。基本的にはフォロワーだった生徒が多いだろう。そもそも仲間から叩かれるのが怖くて目立ちたくない生徒が圧倒的に多い。面倒くさそうな事には大抵腰が引けている。そうした生徒達をもグイグイと巻き込んでいく、担任のアイデアと情熱が問われている。

 

イ.2年生の学級運営

 2年生になると生徒達は学校生活にも慣れてきてある程度まで自主的に動けるようになってきている。1年生の時と違って手取り足取りの指導は不要となってくるだろう。しかし多くの学校は2年の秋に体育祭(球技大会)、修学旅行が連続する。さらに部活動の大会(新人戦)も重なってくるので担任にとっても過密なスケジュールになることを見越した、早めの計画性が必要とされる。2年生もまた文化祭の準備は4月早々から始めた方が良い。

 大抵は学年の前半に楽しい行事が続くのでクラスの雰囲気が暗くなる心配はほとんど不要。1年生の時の経験が活かされれば行事は大きな失敗をしない。だからこそ1年生での文化祭の体験は貴重であり、1年での担任の役割も大きい。逆に1年生の時に文化祭などがイマイチの結果に終わり、ギクシャクしてしまったクラスの生徒が多くいる場合、担任は1年生の時と近い働きかけをする必要が出てくる。3年間の文化祭の成否は1年生での体験にかかっていると言っても過言ではない。学校生活の一番の楽しい思い出として生徒達が挙げるのは何と言っても修学旅行や文化祭、体育祭、そして部活動である。その中でクラスの雰囲気を決定的に左右するのはクラス単位で行われる学校行事。クラスを協力的でイジメの少ない、明朗快活な雰囲気にしていく上で文化祭などの学校行事が果たす役割は極めて大きい。

 問題は修学旅行を終えた後半戦。楽しい行事が続いたのでクラスの雰囲気は明るいだろうが、そろそろ進路という厄介で大切な課題に目を向けさせる必要が出てくる。2年の11月に就職指導を始める学校があるくらい、この時期はあらゆる面で大きなターニングポイントになる。就職する生徒はあと一年半ほどでそれまで長かった学校生活に別れを告げて社会に出て働く・・・経済的自立という人生上の大きな飛躍が課されるのだから、気持ちの面でひるんでしまう生徒は多い。しかし学校生活と労働社会とは連結する要素が沢山あったことにまずは気付かせたい。遅刻せずに通学する、部活で心身を鍛える、多少退屈であっても授業などでの学習を地道に重ねる、学校行事でチームワークを作る・・・これらの経験はすべて社会に出て働いていく上でも役立つ事である。

 まずは2度経験してきた文化祭での共同作業を出来るだけアリアリと思い出させてみよう。それぞれの個性を活かした役割分担、作業の手順、共同作業の難しさ、必要とされるコミュニケーション能力、装飾やプレゼンの工夫、接客や会計の煩雑さ等・・・「働く」ということを文化祭での体験を通じて出来るだけ具体的にイメージさせ、箇条書きでまとめさせたい。この課題は就職希望者に限らず3年生でのAO入試や推薦入試での面接対策にもつながる。もちろん就職試験での作文や面接に向けての準備にもなる。できれば成功体験だけではなく、失敗した、苦労した、反省したこともしっかり思い出し、その時にどのようにして困難を乗り越えようとしたのか、時間をかけて考えておくことは極めて重要である。進路を考えるための材料はまず身近な事柄、自分の経験から探し出すことが肝要。これが十分に出来ていないと後々、面接試験の際に具体的で説得力のある話が出来ずに困るだろう。

※面接試験では抽象的なきれい事を暗記してスラスラ話せる生徒が必ずしも高い評価を得られるわけで

 はない。自分の体験に根ざした、具体的で説得力のある話が生き生きと語れるかどうかが合否の分か

 れ目になることも多いと考える。

 

 学校行事への取り組みは高校生活の前半を振り返り、良かったこと悪かったことを整理して他人に説明するための重要な土台となる。面接試験で頻出の「あなたが高校時代に最も力を入れて取り組んだことは何ですか?」、「あなたの高校生活で最も印象に残ったことは何ですか?」、「あなたの長所と短所を教えてください」といった質問への具体的で個性的な答えを用意することにもつながる。進路を決めるという人生の重大な岐路に差し掛かる生徒達にとって高校生活の意義を2年生の後半でしっかりと見直しをさせることは残り一年余りとなった高校生活をより一層有意義なものにしたいという意欲をもかきたてる事につながるだろう。よく言われる「中だるみの2年生」と形容されるような状況が年度末まで続くようでは自他共に納得できる進路決定は難しくなる。2年の後半は冬休み、LHR、総合学習の時間等をフルに使い、じっくり時間をかけて真剣に自分の進路を考えさせておきたい。

 

ウ.3年生の学級運営

 学級担任としては進路希望の実現が3年生における最大のテーマとなる。もちろん部活では最後の大会で最高の結果を出すという、大きな目標がある。多くの生徒は最終学年として総体、夏の大会までは部活に専念したくなるだろう。しかし進路決定は確実に人生の岐路となる。夏まで進路のことには見向きもせず、準備不足のまま部活動での引退の時を迎えてしまい、とどのつまり保護者や部活の先輩のアドバイスを鵜呑みにして進路を決めてしまう残念な運動部員をこれまでに沢山見てきた。浪人覚悟の四大進学希望者ならば多少の出遅れも許されるが、就職や専門学校進学、現役での四大進学となるとそうはいかない。特に野球部で就職を希望する生徒は夏の大会と就職準備が重なる点(どちらも7月が最大のヤマ場となる)は早めに予告しておくべき。就職試験で野球部が有利なのは事実だが、野球部員であるが故に自分の個性と合わない職場、職種になまじ内定をとれてしまう事は後日、本人にとってむしろ大きな悲劇となりかねない。

 実は3年生になってから就職指導を始めても遅すぎる。遅くとも部活の最後の大会までにまだ間がある2年生の1月から就職希望者への手厚いガイダンスが数回分は用意されているべきである。その段階から7月の日程の厳しさは周知徹底させておきたい。そもそも進路決定の歩みは部活動と違って、孤独な歩みである。どんなに親しい友人であっても同じ職場、同じ大学、同じ専門学校に行ける事はほとんど無い。しかし同調圧力が基本的に強い日本の部活では自分だけが進路に向けて動き出すわけにはいかないと感じてしまう。お互いに様子をうかがいながらも結局は進路を二の次にしてチームワークを盾に部活に専念してしまうのは自然の流れであろう。ここでも教師の果たす役割は大きい。まず部の顧問の協力が無ければ放課後の就職ガイダンスは成り立たない。さらには学年団が一致団結して進路指導に邁進する必要がある。

 高校生最後の体育祭が秋に行われる場合、9月から10月にかけては就職試験や推薦入試のシーズンと重なる点も早く予告しておくべきである。運動部顧問の担任であるならばさらに新人戦の予選まで重なってくる。生徒側も3年生として学校行事で「最後の花道」を飾りたいのはよく分かるが、運の悪い人は就職や推薦入試の試験日などと重なり、そもそも最後の花道を飾れない場合もあることは予め覚悟させておく必要がある。3年では進路希望の実現が何よりも最優先されなければならない事を早めに生徒に周知徹底させておくべきだろう。

 確かにAOや一般入試で四大にチャレンジする生徒の合否はかなりの部分、自己責任が大きい。学校以外でも塾や予備校などがある程度は受験指導してくれる。しかし専門学校への進学や推薦入試、とりわけ就職は生徒個人の資質や努力ばかりに責任を転嫁できない要素がかなり多い。どうしても教師によるテコ入れがものを言う。ほとんどの教員は高卒で働いた経験が無いため、自分の大学進学時の体験をベースに進路指導を捉えがちである。しかし高校生の就活は世間の常識とはかなりズレており、通常では受け入れがたいほどの特殊ルールがある。就職指導を経験したことのない教師と就職指導のベテランとの認識の差はこの点でかなり大きい。就職指導したことのない教師が3年生担任になった時、下手をするとそのクラスの生徒は大きなハンデを背負ってしまいかねない。進路指導は生徒の人生を左右しかねない、重大な案件であることの共通理解がまずは3学年職員全員に必須となる。

 担任への精神的プレッシャーは3年間を通じて3年の秋が最大、最強となる。秋は学校行事が目白押しで極めて忙しい時期にあたるため、仕事に漏れやポカが生じやすい。担任や進路指導部のちょっとしたミスから法的、民事的な責任を問われるような深刻な事態に発展するケースもある。特に就職と推薦入試、AOが重なる9月から10月にかけては推薦書と調査書の発行手続き、面接指導の希望が各担任のもとへと殺到する。

 進学用の調査書と就職用の調査書では書式が違うので取り違えは許されない。推薦入試の場合には字数400字を超える推薦文をほぼ同時に何枚も書かなければならない。進学用の調査書の場合、数値等の間違いは命取りになりかねないので学年、進路指導部、教頭と、最終的に職印が捺されるまでに何度もチェックが行われる。印鑑漏れはもってのほかである。もちろん生徒から預かった推薦願いを一旦引き出しにしまったことでうっかり出し忘れ、受験先への提出が出願期間に間に合わなかった・・・といった教師側のミスはあっという間に裁判沙汰、新聞沙汰となりうる重大事。担任や進路担当者にとってまさに薄氷の上を歩くような慎重さが受験手続きには求められるのである。

 誰の何を何日までに担任に提出させ、担任は何を何日までに本人に手渡すべきなのか、本人は何日までに出願書類一式を受験先に送らなければならないのか・・・逐一クラス名表を使って一覧表にして整理し、常に自分の目の前にさらしておく位の工夫を担任はすべきだろう。残念ながら生徒の一部はこちらから繰り返し声を掛けないと期限通りに推薦願いや調査書発行願いすらなかなか担任に提出してくれない。しかも締め切りギリギリで提出してくる生徒はかなり多い。様々な理由から出願書類を自力で書き終えてすべて取り揃えることすら危うい生徒、ご家庭も少なからず存在している。

担任はやかましいほど毎日繰り返し、手続き上の見落としはないか、期限は大丈夫か、生徒達に確認させる事が必要となる。特に郵送の際、簡易書留などの説明はしておくべきである。

 調査書や推薦書は所定の封筒に入れて緘印を捺すのだが、この封筒をそのまま郵便ポストに入れてしまった生徒が実際にいる。出願手続きに関しては生徒に相応の常識を期待するのはもはや無謀とも言える時代となってしまったのだ。まずは「キチンと出来るわけはない」という教師側の諦めが肝心。生徒が出そうとしていた就職予定の企業に送る郵送物をふと見てみると宛名の住所が何と高校の住所、それも自分のクラス宛であった・・・こうした普通ならあり得ない間違いを見つけるためにも本来、生徒には常識など無いのだからきっと間違えるはずである、と思っていた方が担任の身のためでもある。

 以上、強調してきたように3年の担任にとっては秋が正念場。若くして3年の担任となった場合、もしも交代できる人がいるならば運動部の第一顧問をその時(秋)だけは下りた方があらゆる意味で無難である。進路多様校の場合は推薦入試希望者が多く、しかも就職希望者も多いのでとりわけ大変。9月末から10月にかけてはほぼ徹夜状態で推薦書などを書く日があることも覚悟しなければならない。生徒が書いた出願書類、作文等には間違いが多いので念入りなチェックが必要である。たとえベテランであったとしてもこの時期、3年担任でありつつ同時に部活指導に専念するのは相当危険なチャレンジと言えるくらいに責任重大な仕事が山積してくる。多くの場合、仕事の期限も待ったなしである。進路指導に関してはちょっとした油断、うっかりミスが身の破滅につながりかねないことを重々、覚悟しておきたい。

 晴れ晴れとした気分で生徒と担任とで喜びを分かち合い、感動の卒業式を迎えるためにも、教え子達の高校生活のフィナーレをしっかりと飾ってあげるためにも、担任は生徒達の進路実現という最大の難所、ヤマ場を細心の注意を払って無事乗り越えていかなければならないのだ。

その6 .教師の下位文化に関する私的考察(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

はじめに

 高校教師の下位文化を二つの観点に絞って簡単に考察してみたい。一つは教科別の観点でみた各教科に特有の教師の価値観、行動特性、組織としての態様などである。もう一つは教師が属する高校のタイプ別にみた特有の教師の価値観、行動特性、組織としての態様などである。特定の集団内における高校教師たちの間で一定程度共有されている考え方、価値観、行動様式などはこの二つの観点に分けて考えると自分なりの納得感が出てくるのだ。とはいえわずか35年間に8校という限られた数の学校に勤務してきただけ…極めて狭い個人的経験や観察が基本となる考察であるため、どのタイプの学校にもすべてきっちりと当てはまる考察とはなっていない。しかも私には定時制の一校を除けば他7校はすべて県立の全日制高校普通科の経験しかない。当然、都道府県別にも教員文化の違いが多少はあるだろうし、特に職業高校や通信制高校には独特の下位文化が見られるに違いないが、勤務したことの無いタイプの高校を語ることは避けるべきだろう。したがってここでの考察はもっぱら千葉県における全日制普通科高校を対象とするものであり、安易な一般化が極めて困難なものであることは予めご了承いただきたい。

   そもそも、どんな集団に属していても個性の強い教師は一定数いて、良かれ悪しかれ郷に入れども郷に従わない人がいてもおかしくは無い。あるいはどんな人でもどんなに努力し、時間をかけたとしても最後まで郷になじめないことはままある。いずれにせよこの考察にほとんど合致しない教師たちがどの学校でも少なからずいることは間違いない。ただし私がここで試みたいのはあくまでも各学校や各教科、各職員室では「郷」=「場」の力のようなものが必ず発生し、教師集団に作用するため、その場にいる教師たちをある程度までは意識無意識のうちに一定方向へと突き動かす力を持っているであろうこと、そしてそれぞれに場の力がどういうベクトルを持ってどのように働くのか、そのメカニズムをわずかでも明らかにしたい、ということである。

   もちろん以下に示される考察はきちんとした学問的実験や調査、観察に基づいてはいないので、あくまでも主観的な仮説の提示にとどまる。加えて参照した先行研究がさほどあるわけでもない。このため客観性に欠けるただの個人的思いつき、限られた経験に基づくただの憶測に過ぎないと言われても反論の余地はない。にもかかわらず、なぜこんな駄文を今になってわざわざ書くのか…

   最大の理由は学校が伝統的に抱えてきた隠蔽体質と近年、苛烈さを増す労働環境などによってこの20年余りの間に学校全体がかなりの程度、ブラックボックス化してしまい、教師に関して世間からの理解と共感を十分には得られなくなってきたからである。結果的に学校のブラック化が一気に加速し、とうとう教師を志望する若者が激減してしまった。実際に全国各地で深刻な教員不足が表面化していて、他方で学校に行かない、行けない児童生徒は増える一方となっている。すなわちサービスを提供する側とそれを受け取る顧客側の双方とも同時に人員が急減していることになる。これは学校教育にとって本来は存亡の危機が迫っているといっても良いほどの非常事態に他ならない。しかもこのピンチを加速させてきた主因はおそらく文科省や教育委員会が矢継ぎ早に繰り出してくる数々の「教育改革」と称する施策の中に見いだされよう。その過半は学校現場への偏見や無理解に基づく、見当はずれの施策であると思われ、ひたすら教師の体力と意欲を奪うものばかりであったと私は考えている。

   学校改革は多くの場合、教師たちがその成否のカギを握っている。肝心の教師たちが普段、何を考え、どう感じているのか、どのような力にもっぱら突き動かされているのかを探ることは改革を構想し、進めていく上で本来ならば極めて重要であったはず。しかし政治家や官僚はこれまで冷淡にも学校現場への理解をほぼ完全に欠いたまま、無謀な政策を一方的に強行し続けてきたと私は考える。しかも学校で問題が生じるとすべて学校の責任、とりわけ教師の責任とされ、教師への処罰と労働強化を柱とする対症療法的な「教育改革」が続々と実施されてきた。それがまた事態の悪化を招き、再び現場の理解を欠く無慈悲な「教育改革」が施され、更なる事態の悪化を招く…この絶望的状況がこの20年余りのうちに怒涛の如く押し寄せてきたのではなかったか。

   いい加減、私たちはこの悪循環を断たねばなるまい。しかし疲弊しきった学校現場からは最早呻き声を上げる力すら失われつつある。私も現役の時には声を上げる気力などありはしなかった。この程度のブログですら、退職してからブログ開設までに3年近くを要してしまっている。そもそも疲弊しきった自分の心身回復にかなりの時間がとられていたのだ。しかし事態は切迫してきており、どうやら一刻の猶予も許されないように見える。まずは今、声を上げられるゆとりのある誰かが声を上げなければ…実際、YouTubeでは中途退職した少なからぬ数の元教師たちが動画を通じて盛んに学校の過酷な現状に関する声を上げ始めている。ならば私はブログで…

 以上がこの考察を公にすることになった私なりの経緯である。

 ただし以下の論考に入る前にどうしても予めお断りしておきたい重大なポイントが一つある。政治家や官僚を含め、学校に対する外部からの論調はどうみても学校や教師たちを乱暴にも十把一からげにして決めつける、偏見に満ちた粗雑な認識が目立っているように思う。確かに多様性や個性の尊重が叫ばれる時代に、日本の学校だけが教師や児童生徒の個性を軽視し、軍隊的な画一性と管理主義的統制がいまだに広くはびこって見えるだろう。そのためもあって、外部からすれば金太郎アメのようにどの学校もすべて同じように見えてしまうのは日本の場合、ある程度は仕方あるまい。それは良く言えばある程度まで全国どこでも「公平で公正」な公教育が実現できているということでもある。

   ところが学校現場に長期間、身を置き、こっそりと参与観察を続けてきた自分から見れば日本の学校間格差は悪い意味でも良い意味でも意外なほどに大きく、学年間格差、学級間格差、教科間格差、教師の個人的格差なども実際には無視できないほどに大きい。実はこれらの差異を無視してはどんな学校改革であっても一歩も前に進めないと思えるほどの重大な差異が学校特有の隠蔽体質の下に隠されているのだ。過去のあまりにも粗雑すぎる学校改革の残念な歩みは学校の随所に深く埋め込まれた、外部からは極めて見えにくい格差問題に十分な目を向けられなかったことに少しは由来する側面があると私は考えている。

   したがってここでは教師の息遣いまで聞こえてくるほどに学校のリアルな現場に立ち入って、実際の教師目線に沿いつつ、学校の内外における格差問題、とりわけ外部からは見えにくい諸問題を出来る限り表へあぶり出していこうと思う。この論考に対しては種々の批判や反論が学校現場からも寄せられるだろう。が、少なくとも公正や中立を盾にして教育から自由と活気を奪い続けた日本の文科省を頂点とする教育行政に対してはこのあたりで一矢を報いておこうと思う。またお粗末な学校教育を飽きることなく延命させてきた頑迷固陋な管理職、都道府県教育委員会、いわゆる「老害」教師の一群にも一矢を報いるものとなることを願っている。

 

1.学校間格差と教師の準拠集団

 高校は大雑把に言って生徒指導に重点を置く教育困難校と学習指導を重点に置く進学校とにまずは大別される。若い教師が校内において最も影響を受けるのは普段から接する事の多い教師達の集団=準拠集団であるが、学校の状態によって準拠集団のタイプが異なることには留意する必要がある。少なくとも教師が最初に過ごす職員室のあり方が良きにつけ悪しきにつけその後の教師生活に大きな影響を長く及ぼしていくことはぜひ知っておきたい。

  進学校において初任教員が影響を受けるのは多くの場合、同じ教科の先輩教師であり、その先輩の授業内容の素晴らしさや生徒との当意即妙のやりとりに圧倒されたりする。初任は自然と自分の授業力向上に専念するようになり、暇さえあれば専ら高度な教材研究に励むようになる。

  他方、教育困難校において影響を受けがちなのは同じ学年で担任をしている先輩教師である。始めのうちは反抗的だった生徒達が次第に生き生きと協力し合いながら文化祭などに取り組んでいく先輩のクラス運営に感銘を受けたりもするだろう。したがって初任は自らの学級経営に工夫を凝らすべく、学校行事や生徒指導に主軸を置いて教職に勤しむようになる。

※もちろん「部活命」の体育科教師などにおいては同じ部活の先輩顧問がロールモデルとして影響は大

   きいに違いないが、ここでは部活動の件を割愛する。

 

  教師としてのロールモデルを誰にしていたのか、については2校目の転勤を前にした時、常に意識的である必要があるだろう。そのモデルが別の学校でも果たして有効であるのかどうか、転勤先では冷静に省みることが出来なければならない。学校が違えば教師の価値観や方法論、生徒へのスタンスなどに無視できないほどの差異があることは予め肝に銘じておくべきである。

 

①   教育困難校の場合

   荒れていた学校の多くは生徒達の沈静化を目指して厳しい生徒指導をとる傾向が強い。「ゼロ・トレランス」と呼ばれた、妥協しない指導を続けることで学校全体の平静さを取り戻していったケースは少なくない。こうした学校では生徒指導を強化するために学年室を設け、時間割に応じて特定の学年職員を当番に割り振り、指導の中核となる学年主任を軸に何人かの学年職員を常駐させるのが原則となる(学年室常駐体制)。もちろん理科や芸術、家庭、体育など、教科によっては自分の教科準備室を長時間、留守にはできない事情があるので多少、学年室にいる職員に教科の偏りが出てしまうのは避けられない。また学年職員の教科別構成によっては学年室運営に厳しさが出てしまう場合も少なくない。

   遅刻者や頭髪服装の乱れ、授業中の悪しき態度を指導するのは生徒をよく知る学年職員が中心となるべきである。職員が学年室に常駐することでクラスを超えた情報交換がスムーズとなり、担任も自分のクラスの他教科での授業中の様子をうかがい知る機会が増える。実際、1学年だけで毎日数十人にも達する遅刻者の指導は大職員室では行えず、きめの細かい指導は不可能と言って良い。各学年の職員室が無ければ遅刻指導も、頭髪服装指導も難しくなってしまうだろう。また学年室のロケーションは当然、学年のホームルームがあるフロアが原則。生徒達のホームルームから学年室が遠く離れていては授業中に頻発する緊急事態に後れを取り、機動力に欠けてしまう。まれに生徒棟に学年室を置かない学校があるが、それでは生徒指導上の意味をなさなくなるだろう。

   一方で学年ごとに指導の温度差が出てしまっては学校全体の足並みが揃わず、反抗的な生徒達につけ込まれてしまう。指導を成り立たせるためにはどうしても学年を超えた、指導上の共通理解が職員全体にある程度まで共有されていなければならなくなる。そこで生徒指導部を中心に学年を超えた一斉指導の機会を定期的に設けることがこうした学校では多く見られる。すなわち一定期間一定の時間を設定し、朝、生徒昇降口で遅刻や頭髪服装に関して学年を超えた職員団による一斉指導を行うのである。ただしこうした集団主義的な指導体制が自由で個性的な指導を好む教師にとっては精神的な圧迫感を強く覚えることにつながり、自身のストレス蓄積の一因となってしまう事は避けられないだろう。

   盗難や授業妨害、火災報知機のイタズラ、消火器の噴霧など、授業中の荒れが目立つ時には特定の時間を設定して校内の巡回を行う必要が生じる。ただでさえ授業担当者は普段から1対40の劣勢に置かれている。中学生の時から勉強嫌いで教師に反抗的だった生徒達は時間が経てばたちまち一部の教師を見くびり始め、様々な悪知恵を駆使して教師を挑発し、授業の崩壊を目論んでくる。したがって通常の指導体制のままでは授業中、クラスによってはほぼ無政府状態となりかねない状況が頻発する。

   困難を極めるのはすでに荒れてしまったクラスでの授業、あるいはクラスを超えて問題生徒が集まりがちな家庭科や芸術、理科の授業(困難校では体育を除き、移動教室の教科では授業の成立がかなり難しい)、生徒へのあたりの弱い教師の授業…こうした授業では第三者が授業を中断してでも介入せざるを得ないケースがある。そこで学年別に常駐メンバーが複数からなるチームを組んで当該学年の授業を定期的に巡回することになる。学校によっては学年を超えたチームで校舎内外を見回ることもある。廊下から眺めてスマホを見ている生徒、寝ている生徒、奇声を上げて立ち歩いている生徒などをチェックし、注意する。「ゼロ・トレランス」を標榜する学校では「違反切符」をその場で切り、枚数や点数などによって停学等の特別指導に持って行く手法をとることもある。

   さて授業中の指導が厳しくなれば今度は一部の生徒が校外で喧嘩をしたり、煙草を吸ったり、暴走行為に走ったり、万引きや恐喝を繰り返すなど、学校の外で様々な問題行動を起こす可能性も考慮しなければならない。したがってひどく荒れている高校では校内に加えて校外でも巡回を行う必要が生じる。当然、巡回指導に「空き時間」が奪われた教師は十分な授業準備も出来ず、疲弊しがちになる。特に押しが弱く腕力の無い教員には辛い日々が続くだろう。精神的にも相当追い込まれるので残念ながら特定の困難校では心身を病む教師が続出する。

   かつて校内暴力が吹き荒れた時代のように運動部を指導できるこわもての教師をかき集めてきて生徒指導を強化し、ゼロ・トレランスで沈静化を図ったケースは高校でも少なくないだろう。結局、教育困難校はこわもての指導や運動部の指導が苦手な教師にとっては極めて居心地が悪い場所になる。ただ、教育困難校としての歴史が長い学校では普段から生徒への指導が大変な分、教師同士の団結力は強くなり、お互いに助け合う場面も頻繁に見られる。既に実践的指導体制が整っているのでいざという時の対応が早い。実際、下手な進学校よりも困難校の方が担任としては居心地が良かった、と回想する教師は少なくなかった。

   千葉県ではかつて「等高線トレード」と呼ばれる人事異動が頻繁に行われ、困難校ばかりを異動している教師たちが数多くいた時代があった(進学校ばかりを異動する教師も少なくなかった)。つまり困難校での経験豊富なベテランたちが困難校の教育を支える中核として多くの場合、有効に機能していたのである。

   ただし「等高線トレード」には負の側面もあった。一旦、困難校に転勤してしまうとその学校、あるいは同程度の困難校から脱出したい状況が生じても、なかなか異動出来ないケースが少なからず見られたのである。実際、ある困難校では県に「10年条項」(同じ学校に原則として10年を超えて勤務できない…)が存在していたにも関わらず、毎年、転勤希望を出し続けても11年以上転勤できなかった教師は10人近くにのぼっていた。なかには同一校勤務14年目の方までいたのだ。当たり前のことだが、わざわざ進学校から困難校に転勤希望を出す教師は当時も極めて稀である。本音ではそれなりの進学校に転勤したいと思う教師がおそらく過半を占めていたと思うのだが、その本音は多くの場合、ただの夢か愚痴で終わっていた。

   こうしたことから「等高線トレード」は多くの教師にとって不公平な人事であると批判され、県教委もこれを20年余り前から本腰を入れて見直していくことになった。しかしこの見直しの結果も手伝って、一部の困難校では皮肉にも深刻な混乱が生じてしまったと思われる。困難校のベテランが転出していく一方で困難校の経験が無い、あるいは浅い教師が続々と困難校へ転勤してきたため、一時的にせよ、それまでの生徒指導、学習指導体制が崩れてしまい、ついには生徒の間から逮捕者や退学者が続出するとともに、入試での大幅な定員割れが恒例となってしまう学校まで出現したのだ。

   この混乱はなかなか終息しないまま、各学校で様々な問題を引き起こしていったように思う。残念なことに教師間でのチームワークが崩れ、組織的なバックアップすら期待できないブラックそのものの学校まで登場してしまったのだ。そうした学校では問題生徒たちと直面するのを可能な限り避けるべく、生徒棟ではなく特別棟ばかりに籠もる、あるいは教科準備室にしがみついて離れない進学校出身の教師がすこぶる多くなる。ついには噴出する生徒たちの問題行動で心身を病み、2~3年で異動を希望する、そんな教師が続出するようになる。

   ただし、幸いなことにかつての校内暴力世代やそのジュニア世代と違って、現在の高校生たちは自己顕示的な集団非行に走る者が極めて少ない。校舎の窓ガラスが何十枚も割られたり、校庭をこれ見よがしにバイクが走り回るようなことは当分の間、滅多に起きることはないように思う。他方で不登校の数がここ数年、急増してきている。実は今の生徒たちの不気味なまでの大人しさが、本来ならばとっくに危機的段階へ突入していたはずの高校を上辺だけでも今日まで学校として支えてきたのだと私は考えている。

※小中高校生の暴力行為、過去最多の9万5千件 20年前の2.8倍に

   朝日新聞社 によるストーリー 2023.10.4

   2022年度の統計は今後の学校が直面する危機的な事態を予測させるに十分だろう。既に同年度の統計

 により 小中高校などでのイジメ件数、不登校者数、自殺者数が過去最高の数値を記録している。加え

 て暴力行為の激増となれば一体何が起きてしまうのかはだれがどう見ても明白である。

  ただでさえ高齢化し、数的、質的にも不足している教師集団の急激な弱体化という現状からみて、

 もはや地域によっては次々と「学校崩壊」が生じてしまうのは不可避であろう。

  校内暴力第三世代…やはり侮るべきではなかったか…

  この論考(特に下線部)、やや楽観的過ぎたようである。

 

   今や非行を中心とした生徒指導上での問題を引き金にして公立高校の崩壊が生ずる可能性はほぼなくなったと考える。したがってかつてのような学年室常駐体制にこだわり続ける必要性も多くの高校では消滅してきた。今やほとんどの高校は授業中心の教科準備室体制を軸にして授業改革に専念すべき時だろう。これは高校本来の姿に立ち返る、絶好のチャンスが到来してきたということでもあろうか。しかし一方で公立高校の危機は教員不足の進展に象徴されるように、一層、深刻度を増してきているように見受けられる。

   ならば今後、何が原因となって公立高校の崩壊が起こりうるのだろうか。それは2022年度における千葉県の公立高校での入試採点ミスが1000件近くの数に上ったことで明確に示されてしまったのではないか。学校の危機は生徒側よりもおそらく教師集団側の要因、教師集団の組織的自壊によって本格化していく可能性が高まってきたと私は危惧している。以前から精神的疾患などで中途退職や休職に追い込まれる教師が目立っていた。加えて近年の教師志望者の減少はこれからの学校現場を二重に追い詰めていくだろう。当然のことながら学校を支えるべき人材の質と量の両面にわたる決定的不足は、学校の危機を招く最大の要因とならざるをえない。

   私が将来的に予想する学校教育の危機の真因はこれまでの教育改革と称する施策がまともに反省されることもなく徒に繰り返され、教師たちをひたすら疲弊させ、絶望させてきた点に求められるだろう。それは現場の実情を何一つ知ろうとしない独断専行の政治家や官僚によって強行され、長い間、無意味な迷走を繰り返してきたお粗末な教育政策がとどのつまり招いてしまった、当然の帰結なのだと思うが、いかがか。

   県教委が進めるその場しのぎの安易な再任用雇用策や非常勤講師採用の拡大などによって極度に深刻化した教師集団の高齢化と組織の弱体化…教員採用試験での倍率低下が加速させる教師の集団的劣化に起因する学校の自壊現象は決して入試採点ミスの多発だけで済ませられる性格のものではあるまい。かつて教師集団が持ち得ていた能力の限界ギリギリの状況の中でこれまでかろうじて破綻なく遂行されてきた様々な教育的営為全般においても、このままの状況が放置されるのであるならば、いずれ教師集団の勤労意欲の喪失と能力的破綻が一気に表面化する日が来てしまうだろう。そうなれば全学校のあらゆる局面で同時多発的に不祥事が連発し、ついには学校教育活動を麻痺させてしまうような破滅的な結末に発展していくかもしれない。学校のブラック化の放置がいずれ招き寄せる危機的事態を私たちは断じて軽く見てはなるまい。

 

②   学力中位層の学校(=進路多様校)の場合

   最も数多く存在している中間層の学校の場合、大会議室とは別個に大職員室を置く学校が少なからず存在している。そして大職員室に常駐するのを原則としている学校は多いが、学校が荒れている状態では生徒への指導が難しくなり、個別指導を前提とする進路指導の面でもあまり適切な職員室体制とは言えないだろう。こうした学校での大職員室体制はどちらかと言えば管理職が教員全体を監視しやすくするためのものであり、義務教育段階に適合的な体制と言える。教科の専門性が高く、進路指導など次第に個別指導が多くなる高校段階では多くの場合、あまり適合的とは思えない。実際、大職員室があったとしても教科指導の比重が困難校よりは重いため、結局は教科準備室に常駐する教員が圧倒的に多く、大職員室はほぼ朝の打ち合わせの時にしか使われないケースもある。

   今や多くのベテラン教師は教育困難校での経験を一度は経験してきているので中位校へ転勤しても学校を荒れさせないよう、遅刻指導と頭髪服装指導では妥協しない(=ゼロ・トレランス)スタンスを個人的にとろうとする傾向がある。ベテランであるがゆえにそうした教員は主任となることも多く、校内での発言力は相対的に強い。したがってとっくの昔に荒れを克服した学校であるにも関わらず、生徒指導中心の管理主義的指導体制をいつまでも保持して変えようとしない学校が数多く見られる。本来ならばそろそろ学習指導や進路指導に重点をシフトしていく段階にあるにも関わらず、荒れた時代への恐怖感からか、生徒指導中心のスタンスをなかなか変えられないのである。

   中位校では、容易に軽減できない生徒指導に加えて進路指導も進学、就職と多岐にわたっていてかなり煩雑である。結局、生徒の多様性、生徒間の格差が大きいゆえに学習指導も進学補習から赤点補習に至るまで多岐にわたり、学校行事や部活動にも教師がかなり手を掛けないと成立し難い。つまりいろいろな分野に渡って生徒達に手間暇を掛ける必要が大きく感じられる分、どれかに焦点を絞りきれない中途半端な辛さが進路多様校特有の苦しさ、難しさであろう。

   学年職員室を持たない、あるいは学年室がまともに機能していない進路多様校はかなり多い。結果的に多くの教師にとって教科準備室が準拠集団となり、生徒指導や進路指導において学年としての一丸となったチームワークを作るのはかなり難しくなる。実際、こうした学校では学年集団による生徒指導が徹底できない分、油断するとたちまち教育困難校に転落してしまう危険性は確かに侮れない。進学校へ闇雲にランクアップを図ろうとしてもバランスが崩れ、かえって転落しかねない悩ましさもある。近隣の学校の動きによっては現状維持すら難しい。そして一部の活発な部活動を除けば全体的な印象としてどれをとっても「中途半端」な学校、というイメージや評価が中位校にはしつこくつきまとってしまう。初任の教師にとって生徒がさほど荒れていない割には仕事の多様性、煩雑さが大きいため、進路多様校=教師の負荷が大きい学校、となりかねない。

 なお進路決定を迫られる3年生に対してはどうしても進路指導に重点を置いた指導が必要となってくる。特に就職希望者が多い学校では人手不足に陥りがちな就職指導に学年職員からの強力なてこ入れが必要不可欠となる。したがって一部の学校のように3学年職員室を進路指導室に併設して、学年と進路指導部との連携を強めようとする例がある。このシステムは進路多様校以外でも2年生までに退学者が続出し、3年生では落ち着きが見られるようになった比較的軽めの教育困難校あたりではかなり有効かもしれない。

 

③   進学校の場合

 私には進学校と言えるほどの高校に一度も勤務経験が無いため、ここではきわめてザックリとしか記述できない点、何卒ご容赦願いたい。またそのため、進学校の特色を詳述できないので、進学校出身の教師、あるいは初任校が進学校だった教師が直面しがちな難しさに焦点を絞って述べるにとどめよう。

 明確に授業と進学指導に重点を置く進学上位校の場合、教師の準拠集団はほぼ自分が所属する教科となる。いわゆる教科準備室体制である。多くの教師は自身が進学校出身であるため、どうしても高校の職員室は教科準備室(=教科研究室)であるとのイメージが強い。しかし教科準備室体制は学習指導中心の体制が成り立つ、生徒指導上、極めて平和な学校にしか本来は適合しない。そしてそうした公立高校の数は千葉県の場合、かなり限られている。つまり進学校での経験はほとんどの場合、他の多くの学校では十分に生かせないのが現実である。

 生徒たちがひどく荒れているにも関わらず、学年室が無い、あるいは学年室が形骸化している学校の場合、いずれ生徒指導や授業が破綻してしまう危険性は小さくないだろう。しかし自身が進学校出身者である教師の多くは教科準備室こそが自分の居場所であるとしていつまでも教科準備室に強いこだわりを持ってしまいがちである。生徒指導上、相当の困難を抱える学校であるにも関わらず、教科準備室に籠もり続け、学年室常駐を出来るだけ避ける傾向を持つ教師は少なくない。またたとえ自分の授業が崩壊していたとしても高いプライドが邪魔して他教科の教師が教室内に介入してくることを嫌がる教師は極めて多い。特に進学校で初任を経験してしまった教師にその傾向は強いだろう。

 また理科や芸術科、家庭科ではどの学校においても1~3人分の教科準備室を用意されるため、学年室の意義を理解できない教師がたまにいたりする。学校や生徒の実情に応じた職員室体制の違いを予め教師が理解しておかないと将来、転勤先の学校でトンチンカンな行動をしかねない点はぜひ留意しておきたい。

※参考記事

 「ヒト」を切り捨て衰退した日本、じつは「2023年後半」から流れが一変していた 

  現代ビジネス 石戸 諭 によるストーリー  2024.2.14

  「経営」の発想がいかに学校現場においても必要不可欠となっているのかが、納得できるだろう。

 

 

 

 

その5.私的覚え書き⑤

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 改めて寺脇氏と義家氏の業績を振り返って見ると活躍のタイミングこそ少しだけずれているが、彼らが学校教師に与えた被害はいずれも甚大であったと考えられる。もちろん、教師に「先生、死ぬかも」とつぶやかせ、教師のなり手を劇的に減らしてしまった原因を創り出したのはこの二人だけではない。教師の責任を問う以上に、この二人を含めた日本の政治家や官僚全体の質がより厳しく問われなければならないと考えるがいかがだろう。

 現場では以上のような不満が渦巻いているにもかかわらず、2021年、文科省は「これからの社会と教員に求められる資質能力」の中で「地球的視野に立って行動するための資質能力(地球、国家、人間等に関する適切な理解、豊かな人間性、国際社会で必要とされる基本的資質能力)、変化の時代を生きる社会人に求められる資質能力(課題探求能力等に関わるもの、人間関係に関わるもの、社会の変化に適応するための知識及び技術)、教員の職務から必然的に求められる資質能力(幼児・児童・生徒や教育の在り方に関する適切な理解、教職に対する愛着、誇り、一体感、教科指導、生徒指導等のための知識、技能及び態度)」及び「画一的な教員像を求めることは避け、生涯にわたり資質能力の向上を図るという前提に立って、全教員に共通に求められる基礎的・基本的な資質能力を確保するとともに、積極的に各人の得意分野づくりや個性の伸長を図ることが大切であること」などと教員に対して過剰なまでの総花的な要求をこれでもかというばかりに列挙している。

 学校現場への無理解にも程がある。もうウンザリである。妹尾氏が指摘しているように教員は決して超能力者でもスーパーマンでもない。しかもこれまで長いこと教師の個性をひたすら圧殺し、教科書検定を通じて教える内容の自由を制限し、増やせるだけ仕事を増やす事で教員から資質能力伸長の自主的機会を奪い続けてきたのはどこのどなただろう。盗人猛々しくも上から目線で一方的に教師の資質能力の不足ばかりを言い募ってくるこの厚かましさ、まれに見る鈍感さ・・・呆れるほかない。

 辛うじて現場に止まってきた教師達の教育行政への不満や不信感は既に沸点に達しているといっても過言ではあるまい。教師達の教育行政への不信は「諦め」を通り越し、とっくの昔に「絶望」の域に達しつつある。その事を心ある官僚のせめて一人くらいはこの際、是非ともご理解していただきたい。

※参考動画

  ◎学校の裏側:藤原和博】なぜ学校はウソくさいか/できる子とできない子の二極化/鬼門は小学3

  年の算数/2020年代に教員退職ラッシュ/教員の偏差値低下/校長・知事・市長がカギを握る/

  山梨県の文書0運動 PIVOT 公式チャンネル  2023/08/31  27:39

 ◎新時代の教育ルール:藤原和博】学校はどう変わるべきか/YouTubeを認めよ/学校の支配力は2

  割/オンラインの3つの活用法/新時代の5つのリテラシー/中学受験の是非/10歳までとことん

  遊ばせる PIVOT 公式チャンネル  2023/09/01  42:29

    〇書類業務に追われる保育士たち…知っていますか?書かなきゃならない“年間案”→“月案”→“週

  案”→“日案” てぃ先生の訴え【久保田智子編集長のSHARE #14】抜粋|

  TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/01/14  21:46

  「てぃ先生」の指摘を通じて保育士の問題と高校教師の問題とが妙に共通することに気付く。事務

  仕事の合理化を通じて仕事量を減らすこと、待遇改善、養成教育の充実…変えていくべきことはも

  はや明白ではないのか。分かっていてやろうとしない怠惰な政治のあり方こそがまっとうな学校教

  育を実現していく上で最大の障害物となっているのだ。

 〇ブラック過ぎる教員の労働環境について【せやろがいおじさん 】

  ワラしがみ  2019/01/29 7:41

  やや古い動画だが、この時からほとんど何の進歩も見られない現状に歯がゆい思いが募ってくる。

 〇ツッコミどころ満載!教員の働き方改革について ワラしがみ 2023/05/30 3:44

※参考記事 

 ○教員採用試験、6割が前倒し 24年度、全国68教委調査

  共同通信 によるストーリー 2024.5.4

  教師志望者減少の原因の一つに民間企業の採用よりも遅い教員採用の日程を文科省は繰り返し挙げ

  ているが、それはいかがなものか。急がれるのは学校のブラック化への対策と画一的、管理主義的

  教育行政の見直し、教員人事の公平性や透明性の確保、隠蔽体質の改善などであろう。課題が山積

  している中でたいした効果を見込めない小手先の弥縫策を繰り返し、いかにも「やってます」感を

  演出しているこうしたお役所仕事こそが、学校を追い詰め、教員志望者を減少させてきた大きな原

  因ではあるまいか。

   教員採用試験 一次選考筆記試験について全国共同実施へ具体的な検討始まる

  TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2024.1.31

  またまた文科省の非常に恐ろしい動きが始まっている。これは文科省において大学入試における共通

    一次、センター試験、共通テスト…といった取り組みへの反省がまともにされていない証拠でもある

    だろうが、大学入試と同様に教員採用試験の国家統制を招く点で危険極まりない動きである。

       この動きはたちまち大学での教員養成教育の内容にも反映され、教員養成教育へも国家統制を強化

    することにつながるに違いない。おそらく教員採用試験の二次試験はコネを重視して教育のへの国家

    統制に従順な人材確保へ向かう可能性すらある。

       教員採用において重要な評価ポイントは授業力でなければならず、それは単一のペーパーテストな

    どで測れるはずのない能力である。統一されたペーパーテストの危険性はどうしても評価の公正さが

    最重要視されるために客観テスト中心になりがちで、結果的には教育法規を中心とした狭い分野の知

    識や理解力が試される傾向が強くなってしまうことにある。しかしこうしたテストで本当に授業力が

    測定出来るだろうか、どうみてもはなはだ怪しい。

     受験生の授業力の高さを評価するにはまず大学での教員養成教育段階で授業力向上を軸とする講座

    を数多く設け、そこで良好な評価を得たものにのみ教員免許を与える教員養成システムの再構築が先

    行すべきではあるまいか。教員志望者の足切りは医師や看護師、薬剤師などと同様、本来、大学での

    厳しい教員養成教育と免許状の付与の段階で行われるべきだろう。ところが現状における教員養成教

    育のシステム上の貧弱さには手を付けずに採用試験だけを変える安易な文科省のプランには不信と疑

    念ばかりが募る。これでは知識詰込み型の試験で良い成績をとれる教員ばかりを採用してしまい、改

    善されるべき画一的一斉講義形式の知識詰め込み型授業を温存させるだけであろう。

       そもそも教員採用試験の「改革」だけでは教師の授業力向上は望めまい。授業力の有無を短時間の

    試験で測ること自体が不可能に近いはず。それでも時間をかけて丁寧に教師志望者たちの授業力向上

 を図るならば、もはや大学での教員養成教育の充実しか手は思い浮かばないのだが、いかがだろう。

    〇「1週間の教育実習で体動かなくなった」学生への調査から浮かぶ危機

  朝日新聞社 によるストーリー  2023.11.6

  学校や教師によっては教育実習生をただのお手伝い、臨時の補助教員としてろくな指導、助言もせ 

  ずに授業外の仕事をひたすら丸投げする、残念なケースもある。確かに学校現場の過酷さを体験さ

  せておいた方が実習生の将来にとっては身のためかもしれないが、本来は授業準備に専念させる期

  間が一定期間、用意されていなければなるまい。指導する教師の考え方にも問題がある場合は決し

  て少なくない。総じて教員養成のあり方にはかなりの杜撰さが目立ってきているようだ。

   ○先生の「ウェルビーイング向上」は何が必要? 収入、仕事の負担などから読み解く

      マイナビニュース 宮崎新之 によるストーリー 2024.5.2

    質問内容としては非常に興味深いものが多いのだが、記事では有効回答数が学校種別、性別等に分

      けて示されておらず、この調査にどの程度の妥当性、信頼性があるのか、読者側が判断できない点

      はきわめて残念。

         記事では部活動が教師の意欲を引き出している点をプラスに評価しているが、それははたして妥

      当なものだろうか、個人的にはかなり疑問に感じる。私の経験ではこの手の調査に協力できる余裕

  のある教師は実際、かなり限られている。つまりこの調査の回答者集団自体に大きな偏りがあるこ

  とが懸念されるのだ。言い換えるとこの結果が教師集団全体の意見をさほど反映してはいない可能

  性が低くはないと私はみている。

   たとえば部活動に力を入れるあまり、肝心の授業準備が疎かになっている教員は少なくない、と

  いう印象が私にはある。そもそも私自身、そうした傾向がかなりあった。つまり教師が持つ部活動

  への熱意はその教師が担当する授業に対する児童生徒たちの高評価を必ずしも約束しないに違いな

  い。ならば授業における教師の充実感と児童生徒による授業への評価もまた必ずしも一致しないだ

  ろう。当然、教師のウェルビーイング向上と児童生徒の学校におけるウェルビーイング向上とが緊

  密に相関するとは限るまい。

   教師のみを対象とする意識調査の限界を踏まえて論説しないと、現状からズレたトンチンカンな

  分析をしかねない点、ぜひ留意していただきたい。

   

   ◎労働者の「成長意欲」、日本は8カ国中で最下位 -「ウェルビーイング」って何? 

  マイナビニュース CHIGAKO によるストーリー 2023.919

  ことは学校だけの問題ではなく、日本社会全体のあり方の問題であろう。 

   ◎4年制大学でも教員「2種免許」取得可能に…単位数4割減、2025年度にも2年課程開設へ

  読売新聞 によるストーリー 2023.9.28

  恐ろしいほどの逆噴射政策。これで日本の学校教育の悲劇的墜落は不可避になるだろう。こんな泥

  縄式の間に合わせ対応では教師への社会的評価までもが奈落の底まで墜落してしまいかねない。教

  育行政に関して政府のやることなすことほとんどが真逆を向いている。こんなトンチンカンな教育

  行政に期待できるものは一つもない。

   ◎教員の志願者、減少続く 過去最低の地域も 全国68機関を朝日調査

  朝日新聞社 によるストーリー 2023.9.19

  少なくとも今年度は教員不足解消の取り組みがことごとく「既に手遅れ」か「的外れ」に終わり、

  地域によっては深刻な事態を招いていくであろう。相変わらず、来年度も沢山の問題が教育現場か

  ら噴出するに違いない。そろそろまともなかじ取りを期待出来る政府と官僚が登場してくれないと

  破滅的な状況が出来してしまうかもしれない…

 ◎教師の残業100時間!子どもの教育の質を左右する「危機的な実態」を専門家が解説

  コクリコ編集部 によるストーリー 2023.8.16

   なぜ私たちは「誰も見ない書類作成」「文書の体裁をいい感じにする仕事」に忙殺されるのか 

      現代ビジネス 酒井 隆史 の意見 2023.12.23

 ◎日本には「クソどうでもいい仕事」が多すぎる…もうすぐ韓国にも抜かれる日本のヤバい現実 

  現代ビジネス 池田 清彦 2022/11/13 06:00

   研究者を苦しめる「不合理な現実」…「論文」ではなく「誰にも読まれない管理書類」ばかり増え

      るワケ 現代ビジネス 岩尾 俊兵 の意見 2024.4.7

    大学の教員と同じ悩みを高校以下の教師たちも抱えてきた。文科省の官僚たちが得意とする、もっ

      ぱらアリバイ作りのための膨大な文書作成を文科省は矢継ぎ早に教育現場に押し付けて教師たちの

      時間と意欲を奪い続けてきた。その犯罪性こそ、最も問われるべき問題ではないのか。

   なぜ多くの人が「仕事を苦痛」に思うのか…世界中で増える「クソどうでもいい仕事」の全容 

      現代ビジネス 酒井 隆史 の意見 2023.12。

      ブルシットジョブに携わる人の5類型として「取り巻き」、「脅し屋」、「尻ぬぐい」、「書類穴

      埋め人」、「タスクマスター」が挙げられているが、学校でもこの5類型に当てはまる人がいるよう

      だ。教頭は校長の、教務主任は教頭の、それぞれ取り巻きであることが多く、当然、教頭も教務主

      任もストレスのきつい激務である。「脅し屋」は管理職や教育委員会、文科省がきっちりと努めて

      いるが、教員の不祥事多発により、必ずしも功を奏していない。「尻ぬぐい」は下らない教育政策

      を強要してくる政府の犠牲となっている教育委員会以下の教育現場全員が我慢しながら務めてきた

      最悪のブルシットジョブである。そして政策を遂行したフリ、成果を挙げたフリをするための「書

      類穴埋め人」も教育現場が担当している。こうした教育現場の末端にいる人々の不毛な仕事の山を

      築くきっかけづくりに生きがいを見出し、精を出してきたのが諸悪の根源、日本政府という最悪の

      「タスクマスター」であろう。

        「失敗が予見できる計画を、専門家をふくむさまざまな批判にもかかわらず、無視して突っ走っ

     て、しわよせが現場の下請けに押しつけられるなどということは、失敗が大きな確率で予測できる

     のに、あるいは失敗があきらかになってからすらも構造的に計画を途中でやめることがきわめて困

     難である日本では、深刻なレベルで蔓延しているだろうからです。」という指摘に首を折れてしま

     うほど激しく頷いてしまうのだが、皆さんはいかがだろう。

 

 〇イメージは「しんどそう」だけど…将来の夢を「先生」にしてね 兵庫県教委が高校に職員派遣、や

  りがい語る 神戸新聞NEXT/神戸新聞社 によるストーリー 2023.7.7

  学校のブラック化を主因とする教師不足が深刻化する中で若者の教職離れを食い止めようと各地の

  教育委員会が躍起になるあまり、恥も外聞もなく教員採用試験のハードルをひたすら下げてしまお

  うとしている。これは言ってみれば教職の大安売り、たたき売りを全国規模で展開しているような

  ものであろう。

   この状況がどんなに酷く、みっともない話なのか、極端な例だが、分かりやすいので医者で例え

  てみよう。仮に深刻な医師不足を理由に医師会の判断で医師の免許を持たない人が医師として病院

  に勤められるようになったとしたらどうだろう。さて、免許を持たない人が今、あなたの目の前で

  不安げにメスを握っていて、これから震える手であなたの心臓を手術する…患者の立場からすれば

  身震いするほどおぞましい光景ではないか。

   実際、地方によってはほとんど教師養成教育を受けておらず、免許すら持たない人まで教壇に立

  たせる動きが出ているのだ。医者ほどの高度な専門性を要求されない教職ではあるが、それでも児

  童生徒の命を預かり、将来の進路にまで深く関わってしまう仕事ではある。「国家百年の大計」を

  委ねられた教師が今や希望すれば誰でもなれてしまう…どう見ても正常な事態とは思えない。しか

  しうがった見方をすれば現在の教職価値の暴落は軍拡のために教育予算を削減すべく、教師の賃金

  を低く抑え、待遇をさらに悪化させる口実には利用できるだろう。案外、政府や文科省、県教委の

  狙いもそこにあるのかもしれない。ただし教師に将来を左右されかねない児童生徒の立場から見れ

  ばこの新規採用を巡る人事はまさに噴飯物となる。今、教育委員会に蔑ろにされ、心底馬鹿にされ

  ているのは現場の教師だけではない。むしろ児童生徒やその保護者側なのである。

   しかも教師間のイジメやイジメ自殺事件の隠蔽などの悪質な不祥事が繰り返されてきた兵庫県で

  は「やりがい搾取」の実態を放置してきた張本人の県教委がついに自ら高校へ乗り込み、無反省に

  も教職の「やりがい」をエサにして生徒たちをブラック職場に勧誘するという詐欺まがいの行為を

  行っているらしい。おそらく彼らからすれば学校というブラック職場は悪意ある第三者が作り出す

  間違った「イメージ」、すなわちマスコミが作り出した幻想に過ぎないのだ。現在の教師不足は無

  責任なマスコミが垂れ流した風評のもたらした被害の一つであり、我々はその後始末に追われてい

  る可哀そうな被害者…しかしもういい加減、騙されてはなるまい。これは有為な青少年の将来を徒

  に毀損し、人生をブラック化させかねない、まさに教育の名をかたる詐欺的犯罪行為そのものと見

  るべきなのである。これまで学校というブラック職場で心身を破壊され、命まで奪われた数多くの

  教師や生徒たち、その遺族の痛みを、実際、彼らはこれまでずぅーっと世間から見えないよう、巧

  妙に隠蔽してきたのだから。

 

 さて、今、私の手元には「高校教師放課後ノート」(石郷岡知子 平凡社 1993)という本がある。著者は私と同じ1958年生まれで東京近郊の公立高校に勤務して当時10年余り、まだ30代半ばで世に問うた本である。この本の後書きにこうある。

 

・・・もののはずみ、なりゆきで教師になった。これといった主義主張もなく、また、そのぶん何の気負いもなかった。かつては自分も高校にいたのだから、なんとかなるだろう、と甘く考えていた・・・その甘さを思い知らされ、愕然とし、茫然とするのに三日とかからなかった。それこそなんとなく頭の中にあった高校生のイメージはことごとくくつがえされ、教師の仕事は予想外の多さ、細かさで押し寄せてきた。が、泣き言をいう間もなかった。・・・そして五、六年を過ぎる頃、私はこの仕事が苦しくてたまらなくなってきた。・・・教科指導、生活指導、その「指導する」ということに、私はどこかひっかかる。生徒を指導する中で、ふっと私は何をしているのだろう、こんなことをしていていいんだろうか、と思ってしまう。「こんなこと」とは、指導の内容や姿勢のようでもあり、指導すること自体のようでもあり。・・・何がどうひっかかるのだろう。何がこんなにつらいのだろう。そもそも高校とは、教育とは何なのか。そのなかで私はどうすればいいのか・・・

 

 彼女と同じ年頃の教師でも義務教育の学校教師ならば少し違った感想を持つに違いない。小学校や中学校の教員免許状を取得するためにはかなり多くの教職単位を取る必要がある。とりわけ小学校教諭の場合には原則として教育学部でしか免許状は取得できなかった(但し2005年以降、規制緩和)のだから教育や学校のことをほとんど知らないまま大学を卒業するなんてことはまずあり得ない。従って現場に教師として赴任する前に教育学や心理学等の基礎的な学習は済ませているはずである。とくに教育実習は義務教育の場合、一ヶ月近くに及び、学校教師の辛さも小中学校の実態も少しは理解できていたはずである。すなわち義務教育諸学校の教師は初任校に赴任する前からある程度は現場の厳しさを経験出来ている分、初任であっても多少の準備と覚悟が備わっていると考えられよう。つまり「もののはずみ、なりゆき」で義務教育の学校教師になることは現実にはほとんどあり得ないのだ。この後書きに違和感を覚えるのはおそらく私だけではあるまい。

 義務教育と違って高校教師の免許状を取得するために必要とされる単位数は極めて少ない。医師や薬剤師、看護師のように免許を取得するための国家試験すら存在しない。加えて免許取得に必修の教育実習は高校の状況によって差があるものの、実質的にはせいぜい2~3週間ほどで終了。高校によっては3年生での実習の場合、生徒達の受験に支障が出かねない、との理由から実習生にはわずか数時間程度しか授業させない学校も少なくない。そして実習する学校は多くの場合、自分の母校であり、ほとんどがそれなりの進学校である。つまり何としたことか、高校の場合には一定の学力と運、あるいはコネ(?)さえあれば「もののはずみ、なりゆき」でいとも簡単に教師になれてしまうのだ。

 しかし実際に教員採用試験に合格した初任者が赴く高校は公立の場合、およそ6~7割方はいわゆる教育困難校と言われる学校であることがどの都道府県でも一般的である。このような「若い内には苦労を買ってでもしろ」的人事では、大学での貧弱な教員養成教育しか受けてこなかった新人教師が戸惑ってしまうのも当然のことであろうし、人事政策としては実に無責任で惨い仕打ちである。

 ならば、なぜ、高校教師の免許状取得条件の見直し、大学での教員養成制度の改革を文科省や政府は進めないのだろうか。もちろん私はかつての画一的で国家主義的な師範学校の復活を望んでいるわけではない。むしろ戦後、師範学校による教員養成教育を廃止した代わりに日本は一体どんな教員養成教育を新たに創出し得たのか、を問いたいのだ。特に高校教員の養成教育はどう見ても杜撰なまま、現在に至るまで十分な整備をされずに放置されてきたと私は感じている。とりわけ余りにも貧弱で不十分な教育実習期間と大学での授業実践力の向上に関わる講義の圧倒的な不足は戦後日本の教員養成教育における致命的な欠陥であろう。

※参考記事

 ・国立教育大・人気ランキング2023受験者数・倍率・辞退率 リセマム 2023.7.28

  かつては地方の学力上位艘の高校生が自分の地元で就職することを念頭に置いた時、地元の国公立

  大学、中でもその教育学部や教育系大学に入学して地元の教員になることがもっとも確実で堅実な

  進路であった。そうした高校生の需要にこたえてきたはずの国立教育大における実質の入試倍率が

  今は平均して2倍前後しかないという。この低さが意味するものとは何なのか、きちんと考えた方が

  良いだろう。もちろん最大の原因は学校のブラック化にともなう教職の魅力低下である。しかし学

  校の魅力はそこで行われている授業の魅力と相関する面があることも無視できまい。はたして教育

  大とよばれる大学での教員養成講座が学生にとってどれほど魅力のある実践的で充実したものなの

  かが問われるはず。現今の学校における不祥事の多発を考えると、教育系大学の責任も多少なりと

  も問われるべきだと考えるが、いかがか。

 ・文科省「地域枠」で教員確保支援 大学と教委連携、地元定着を促進

  共同通信社 によるストーリー 2023.8.17

  これが実際に教員養成教育の充実につながるのなら一つの改善策にはなるだろう。しかし目的を教

  員数確保とする限り、結果は危うくなるかもしれない。旭川女子中学生凍死事件を例にとれば分か

  りやすいだろう。特定の地元大学出身者が特定の地域で圧倒的な派閥を形成してしまった場合、人

  事を含めて派閥政治的な力学が働くことで様々な腐敗が進む可能性は高まるだろう。年功序列的人

  事が横行し、同調圧力の高まりによる隠蔽体質の強化が進むかもしれないのだ。やはり文科省は完

  全にズレている、というほかない。

 ・「教師」は誰でもできる仕事!?(下)40年間も試験内容・待遇が変わらないことに物申す!

  2022.10/22(土) 7:00配信 教員養成セミナー

 ・教員不足で懸念される公教育の「質の低下」ニューズウィーク日本版

  舞田敏彦(教育社会学者) 1/18(水) 11:20配信

 ・公立学校教員採用セミナー「TOKYO教育Festa!」 リシード 2023.7.6

  深刻な教員不足によってついに教職のバーゲンセールが全国各地で始まったようである。都道府県

  によっては年齢や免許の有無すら問わず、無恥厚顔にも人材の青田買いに走っている。こうした教

  育委員会の節操のなさはひたすら醜いばかり…東京都のビラなんかはまるでバーゲンセールのチラ

  シのように安っぽい。なぜ教員不足が生じているのか、その根本を見直す努力を怠ってきた報い

  が、まさにコレなのだ。

 

 文科省が大学における高校教員の養成教育の充実をサボってきた理由が私にはまったく理解できない。これまで極めて安易な条件で大勢の学生に気前よく教員免許を与えてきたくせに、教員の不祥事が発生すると問われるのは教育委員会や管理職の管理責任と教師個人の自己責任ばかり・・・これって何か変ではあるまいか。

 この問題を他の職種を例にして考えてみよう。もし医師の国家試験を高校入試レベルの易しい内容にしてしまったなら、様々な医療事故が多発してしまうのは目に見えている。また自動車運転免許を実技試験無しで免許取得を希望する人全員に配布してしまったなら、交通事故は激増するに違いない。果たして我々は数多の事件事故が生じたとき、事件事故を起こした医者や運転手ばかりを責めるのだろうか。いや、むしろ免許付与をめぐる様々な制度設計の過ち自体を問うべきではないだろうか。

 今、教員の不祥事が多発しているとするなら、真っ先に問われるべきは教員養成教育や教員免許制度、教員採用のあり方であるはず。ところが大学における養成教育や免許制度の問題は指摘されないばかりか、現在、文科省は教員の不足を補うために高校での教員免許のハードルをもっと下げることすら検討しているという。他の職種と比べた時、このチグハグ感は半端なく大きい。

 そして安易に教師に採用してしまってからの、後手後手に回った泥縄式の免許更新制度や経験者研、校内研修の充実、管理職や教員への厳罰主義など、見当外れの不祥事対策ばかり。最早十分過ぎるほどブラック化した学校現場において、こうした対症療法は問題解決に結びつくことなく、逆効果ばかりを招いてしまうのは火を見るよりも明らか。一体全体なぜ、こんな簡単な理屈が文科省のエリート官僚に理解されないのか、私としてはそちらの方こそ理解不能と言うほかない。

 もちろん小学校、中学校にも問題が山積しているのだから、高校に限らず教育行政、及び大学での教員養成教育全体に大きな問題があることは間違いあるまい。また教員採用試験の方法や内容にも疑問は大いにある。特にこれからは教師志望者の授業力の養成に大学はもっともっと力を入れるべきであろう。また教員採用試験では表面的な学力やコネ、あるいは教育委員会への忠誠心ばかり問うのは止めて、専ら授業力の高低で合格者を決めるべきではないのか?

※参考記事

 ・教員の不祥事根絶へガイドライン作り 静岡県教育長「現場出向き思い伝えるべきだった」と謝罪 

  SBS NEWS によるストーリー 2023.6.17

  なぜ、静岡県で教師の不祥事が続発するのか…それは教育長たる自分の思いが現場に十分伝わって

  いないからだと池上重弘氏は考えているようだ。この方、もしかすると相当、勘違いされているの

  ではあるまいか。現場の理解力を向上させ、県の方針に対する忠実な協力体制の構築を急いでい

  る、とすれば思い上がりも甚だしい。小中高の教育現場を知らない、知ろうともしない人間が自分

  の思いを一方通行的に教師たちに伝えようとする高圧的で上から目線の姿勢は現場の反発と混乱を

  招くだけだろう。これでは一部の教育改革好きの政治家や文科省の官僚と大差あるまい。まずはブ

  ラックな学校体質の改善こそが急務のはず。大学の先生に過ぎない人物が、しかも学校教育の専門

  家ですらない人物が県の教育長であること自体が静岡県における不祥事連発の土壌を作り出してい

  るというよりほかないように思えるのだが、いかがか。

 ・「定額働かせ放題」給特法の見直しを…現役教諭らが会見「公教育が生きるか死ぬかの瀬戸際」

  TBS NEWS DIG_Microsoft によるストーリー 2023.5.26

 ・教員の待遇改善策検討を諮問 「残業代」、手当創設など論点

  共同通信社 によるストーリー 2023.5.22

   ・時間外勤務「改ざんされた」 130→78時間 小学校教諭が訴え

  朝日新聞社 2022/10/31 19:00

  管理する側にとって不都合な記録はことごとく改竄され、破棄される。これでは学校のブラックな

  体質が変化する訳はない。

 ・教員の奨学金減免へ 文科省、概算要求方針 人手不足解消に

  朝日新聞社 によるストーリー 2023.8.4

  教職の魅力をせっせと殺いできたのは一体、誰だったのだろう。きちんと過去の政策を振り返るこ

  ともしないまま、金銭面での待遇を改善すればそれで良しとする安易な政府の対応に期待できるも

  のなど何もない。根本的には教師の専門性を蔑ろにしてひたすら教職の社会的地位を貶め、無制限

  に学校の仕事を増やしてきたこれまでの「教育改革」の流れ自体を根本から見直していくべき。付

  け焼刃の場当たり的な改革の連打にはもうウンザリである。そもそも教育に関しての専門職にふさ

  わしい教師養成教育の充実と免許制度、採用の在り方、勤務評定などの見直しが無ければ、教職に

  対する社会的評価は高まるはずがない。すなわち待遇改善にふさわしいそれなりの専門性を伴った

  教職の在り方をその養成段階から再構築しなければなるまい。目先の教員不足におびえ、慌てて小

  手先の策を弄することはかえって日本の学校教育の遅れ、前近代的な体質を延命させ、教職の社会

  的地位を一層貶める。すなわち将来に取り返しのつかない禍根を残すだけである。

 ・<社説>教員の働き過ぎ 抜本的改善に踏み込め 東京新聞 2023.5.24

  「抜本的改善に踏み込め」と主張はするものの、具体的な改善のポイントが示されていないのは残

  念。ここにも学校現場から社会に向けての発信力の低下ぶりが伺われよう。最早、学校自体がほぼ

  ブラックボックスと化してしまい、第三者からは現場の実情が全くと言ってよいほどに見えていな

  いように感じる。

 ・【先生の質は低下しているのか?(1)】 2倍、3倍を切る採用倍率の影響、背景を考える

  妹尾昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザーYAHOO!ニュース JAPAN

  2020/7/11(土) 12:05

 ・学力に不安があっても教師になれる時代に!?【先生の質は低下しているのか?(2)】

  妹尾昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザーYAHOO!ニュース JAPAN

  2020/7/17(金) 15:01

 ・このままでは、メンタルを病む先生は確実に増える 【行政、学校は教職員を大事にしているの

  か?(3)】妹尾昌俊教育研究家、学校・行政向けアドバイザー

  YAHOO!ニュース JAPAN 2020/6/30(火) 15:14

 ・心の病で休職の公立校教員、最多5897人 若い世代ほど高い割合

  朝日新聞社 2022.12.27

 ・相次ぐ「警察官の拳銃自殺」――過酷な現場と対峙する若手警官が抱える「使命感とストレス」と

  いう解決困難な難問 週刊現代 によるストーリー 2023.5.11

  その職種が持つ社会的使命の高さに反比例して職場の環境がブラックだといわれるのは教員だけで

  はない。警察官、消防官、自衛官、市役所の福祉課などもストレスが多く、精神的に追い詰められ

  てしまうケースが多発しているらしい。

 ・600億のムダな公共事業を削減したら「殺すぞ」と殺害予告され……泉房穂前明石市長が明かす

  「市役所という伏魔殿」 現代ビジネス 鮫島 浩,泉 房穂 2023.5.15

  「お上至上主義」「横並び主義」「前例主義」の三つが元明石市長泉氏の体験した役人体質だとい

  う。つまり行き過ぎた官僚主義の弊害としてこれまでもよく指摘されてきた大きな組織が抱えがち

  な欠点が明石市役所にもはびこっていたわけであるが、この欠点のほとんどは当然、学校組織にも

  当てはまる部分が多いだろう。三つ挙げられた組織の弱点は組織の役割次第によっては仕事の安定

  性、効率性の面で必ずしも排除すべきものではない側面があったに違いない。特に現状維持の保守

  性、安定性を重んじる組織ならばそれらこそが組織を効率的に運営していく上での長所にもなりう

  る。だからこそ多くの組織が抱えてしまう弱点なわけだ。

   学校の場合、この30年あまり、お上から改革を矢継ぎ早に迫られてきた。「お上至上主義」の教

  育委員会は種々の改革の実施を各学校に迫るが、「横並び主義」「前例主義」の校長以下職員はそ

  れらを批判的に押し返す余力を奪われ、ひたすら「改革」への、あくまでも表面的な対応に忙殺さ

  れていく。こうして教職員もまた警察官や消防官などと同様の、心身をすり減らすストレスフルな

  日々を過ごすようになったのではあるまいか。

 ・世界人材ランキング、日本は“過去最悪43位”に転落「管理職の国際経験」は64カ国で最下位 

  BUSINESS INSIDER JAPAN 横山耕太郎 によるストーリー  2023.9.21

    「ヒト」を切り捨て衰退した日本、じつは「2023年後半」から流れが一変していた 

      現代ビジネス 石戸 諭 によるストーリー 2024.2.14

      「経営」の発想の欠如が今日の学校の停滞を招いてしまったのでは?「経営」という言葉から金儲

  けばかりを連想しがちな教師たちにとっては必読の記事。     

参考動画

 【Z世代がたった数年で会社を見切る理由】「いても無駄」と「言っても無駄」/キャリア安全性の

  欠如/生存者バイアスの横行/悪しきマネジメントの継承/コンサルが人気の理由

  【Momentor代表 坂井風太】 PIVOT 公式チャンネル  2023/06/07  28:36

 ◎【Z世代育成はスラムダンクに学べ】組織効力感を高める方法/成長の踊り場の乗り越え方/「生存

  者バイアス」を捨てよ/1on1面談のコツ/強要ではなく挑戦を促す

  【Momentor代表 坂井風太】 PIVOT 公式チャンネル  2023/06/08  31:05

 ◎【組織崩壊のメカニズム】元DeNA人材育成責任者が日本のマネジメントに警鐘/大企業・メガベ

  ンチャーに共通する凡庸化すごろく/優秀なリーダーはこうして潰される

  【MANAGEMENT SKILL SET】 PIVOT 公式チャンネル  2023/12/06  55:57

 ◎【南場智子も出資】最近の若者はすぐ辞めるは本当?世代別で見る3年で早期離職するワケ

  【坂井風太】 ReHacQ−リハック【公式】  2024/01/09  38:51

 ◎【坂井風太】「生存者バイアス問題」と若手の不本意離職を防ぐには【ReHacQキャリア塾】 

  ReHacQ−リハック【公式】  2024/01/17  52:35

 ◎【人事の“処方箋”】Z世代が3年以内に退職するワケ 優秀な若手社員が会社に見切りをつける生

  存者バイアスの横行と組織の弱体化ループとは【経済の話で困った時にみるやつ】

  TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/12/02 46:03

 ◎【成長の人事戦略】マイクロソフトを急浮上させた“成長思考”とは / スタートアップ神話の真実 /

   社会人1年目からできる組織を強くするリテラシー【経済の話で困った時にみるやつ】

  TBS NEWS DIG Powered by JNN  2023/12/03 46:50

  坂井氏が登場する以上7つの動画はもっぱら企業の経営論、人材育成論を扱っているが、学校の組織

  論、学校経営論、学級経営論、学年経営論としても非常に有意義な内容であり、教員集団や生徒集

  団を考える上でも必見の動画と考える。

   教師集団の歪みがなぜ、どのようなメカニズムで生じているのか、なぜ公立学校が停滞しがちな

  のか、どうすれば教師集団を活気ある建設的な集団、組織にしていけるのか、そうした問いの答え

  に結び付く豊富なヒントが散りばめられている。また生徒たちへの進路指導の資料としても大いに

  利用できるだろう。

   残念ながら学校の管理職が本来、管理職として必須の内容であるこうした組織経営の理論をどこ

  まで深く学んでいるのかは極めて疑わしい。学校と言う組織がどのようにして腐敗していくのか、

  時代の流れに取り残されていくのか、根強い隠蔽体質や強権的指導体質がどんなメカニズムで温存

  されてしまうのか…こうした疑問は「生存者バイアス」、「心理的安全性」、「心理的柔軟性」、

  「自己効力感」、「組織効力感」などのキーワードを理解できればある程度まで解決できるはず。

 

その5.私的覚え書き③

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 小学校教師では向山洋一(1943~)氏が中心となった1980年代半ばからの教育技術法則化運動が注目されよう。しかし私は教育技術よりもまずは教育内容そのものを問うべきであるとの観点でこの運動にはまったく関心が無かった。確かに体育や算数、理科などは教える技術が強く問われる教科であるが、自分が受け持つ高校社会科に関しては「どう教えるか」を問う以前にまず「何を目的にして何を教えるか」の方が優先的に解決すべき問題だと当時は考えていたのである。

 1990年代に入るとさらに学校教師からの発言が拡大していく。特に注目すべきは別冊宝島第183号「日本の教育改造案~こうすれば日本の学校はガラリと変わる!~」(1993)で臨教審路線に反発し、学校改革への持論を展開した論者達であろう。その中には既に登場した松田博公氏(ジャーナリスト)、佐々木賢氏以外に1990年代以降の学校教育に関する言説をリードしていった名前が何人か登場している。

 彼らの言説は管理教育を唱えるプロ教師の会とは一線を画する側面と現場のリアイティを重視する点でプロ教師の会に接続する部分とを併せ持っているように感じる。総じて言えるのは「子どもより先生が大事」と主張し、教師を守る(⇒生徒を守る)ためには「速やかに公教育の機能を縮小せよ」という点を共通して訴えたグループと捉えられる。この視点は当然イリイチの影響もあるが、世間的に当時理想とされていた熱血教師像が普通の教師に強いてしまいがちな過酷な労働を問題視することにも繋がる。すなわち教師が置かれた劣悪な職場環境、労働実態の一面をいち早く世間に訴えた点で、学校のブラック化が社会的に問題視されている現在から見ればかなり先見性に富む画期的な主張であったと評価することができるだろう。

 以下、別冊宝島第183号で新たに登場した論者河原巧氏、夏木智氏、由紀草一氏、佐藤通雅氏、小浜逸郎氏の、私が所有する著作を列挙しておく。

河原巧(1934~:大阪府の中学校教師)氏の著作

・「学校はなぜ変わらないか」(JICC出版局 1991)

・「学校についての常識とウソ」(宝島社 1993)

夏木智(1955~:茨城県公立高校教師)氏の著作

・「誰が学校を殺したか」(JICC出版局 1992)

・「誰が教育を殺したか」(日本評論社 2006)

 他には由紀草一氏との共著に「学校の現在」(大和書房 1989)

由紀草一(1954~同じく茨城県公立高校教師)氏の著作

・「学校はいかに語られたか」(JICC出版局 1992)

佐藤通雅(1943~:宮城県立高校教師)氏の著作

・「生徒―教師の場所」(学藝書林 1988)

・「子どもの磁場へ」(北斗出版 1990)

・「学校はどうなるのか」(学藝書林 1991)

・「宮沢賢治から<宮沢賢治>へ」(学藝書林 1993)

小浜逸郎(1947~2023:当時は横浜で学習塾経営)氏の著作

・「学校の現象学のために」(大和書房 1985)

・「症状としての学校言説」(JICC出版局 1991)

・「先生の現象学」(世織書房 1995)

・「子どもは親が教育しろ!」(草思社 1997)

・「大人への条件」(ちくま新書 1997)

・「弱者とはだれか」(PHP新書 1999)

 この中では小浜氏の本が一番多い。小浜氏は当時、塾経営者という第三者の立場で学校教育を突き放し、やや批判的な論調を特色としていたと感じる。まだイリイチの影響下にあって学校教育に対するラディカルな批判を好んでいた私はその流の中で小浜氏を読み進めていたが、教育困難校に赴任した辺りから山本哲士氏の著作と同様、現場感覚が乏しく妙に観念的過ぎる危うさを薄々、小浜氏の著作に感じるようになっていた。他方で私が次第に惹かれていったのは著作数が少ないものの、佐藤氏の控え目で地に足の付いた穏やかな言説であった。

 1980年代前半まではほとんど目立つことのなかった高校教師による発信は前述したように1980年代の後半から臨教審の動きに触発された形で目に付くようになり、1990年代になると急激に増えてきた印象がある。この時期は「ゆとり教育」の導入が検討されており、学校の特色化も入試改革を伴って進められつつあった(例:岐阜県の「特色化選抜」2002~2012)。

 岐阜県が始めた特色化選抜は直ちに千葉県も採用している。この入試改革によって千葉県の公立高校入試は1年間に「特色」と「一般」の二度も行われるようになり、ただでさえ忙しい学年末の教師達を瀬戸際まで追い込んでいった。さらに「ゆとり教育」の余波からか、特色化選抜においては部活枠が導入され、生徒の個性、多様性を尊重すべく学力以外の能力も適正に評価する、などという美名に隠れて実際には学業よりも部活動を重視する風潮が多くの中学校や高校で強まっていった。土日は遠征試合に明け暮れ、下手をすれば教師も生徒も授業は二の次・・・当然、中学、高校のブラック化が加速していく。それは以下のようなメカニズムが働くからであると考える。

※参考動画

 ◎公立高校から最難関大学へ合格者が減ったのはなぜか。公立復活はあるのか?歴史から考えてみ

  る。中学受験のrestart  2021/05/15 21:46

  高校入試と大学入試の歴史的経過が非常に分かりやすく見事に整理されていて、中学校、高校の教

  師必見の動画。やや古いが、今のところこれほど簡略で完璧に近い説明は無いように思う。入試改

  革から見た公立高校の凋落ぶりを理解するのはこの動画がイチオシ。

※参考記事

 ◎部活実技以外冷遇か 千葉県教委「透明・公平性に問題も」 幕張総合高入試

  千葉日報 2017年3月24日 10:58 |

 ○【知りたい!】高校入試 謎の内申書 部活動はどう評価?

  NHK 2022年6月29日 19時06分

 ○部活の過熱化、内申書反映への過度な期待も一因…高校入試での評価基準明示を文科省要望 

  読売新聞 2022/10/25 09:55

 

 まずは部活動の実績を今まで以上に学校の宣伝材料にしようとする安易な発想から部活動の強化を推進するという一点に過半数の学校が「特色化」の目標を定めてしまい、結果的に高校間で有望選手の奪い合い、青田買いを招いてしまった。夏休みには高校の顧問が相次いで中学校を訪問し、めぼしい選手を物色しては推薦枠を用いて自校への受験を促す。管理職としては入試での定員割れを防ぐ上でも早めに一人でも多くの入学希望者をおさえておきたいので末端でのこの動きに異論は無い。そして中学校の顧問と高校の顧問との密接な関係を築くため、中高の合同練習や練習試合が盛んになる。どの中学生が有望か、早めに知っておくことが選手獲得の第一歩であるからだ。

 また一定レベル以上の選手を一人でも多く確実に獲得するために、教育困難校では中学生の学業成績をこれまで以上に軽視していく。中学校側でも成績の振るわない生徒は部活動に専念させ、試合で一定の成果をあげさせてから推薦枠で高校進学を実現させようとする。こうした動きが加速すると授業時間をきちんと送ろうとする姿勢は教師、生徒共に崩れていきかねない。実際、高校によっては運動部の推薦枠で合格となった生徒の多いクラスほど授業が成り立たなくなる。授業は最早、教師や生徒の本業ではなくなり、ほとんど消化試合となってしまう。したがって生徒の中には放課後になってからようやく登校し、部活だけ参加する者まで出てくる。私の四校目の学校がまさにそうした状況に直面していた。

 運動が苦手で部活動には入らないが真面目に授業を受けたい生徒や、部活動の指導を苦手とする教師にとっては一部の学校がいよいよ辛い場所となっていった。また部活動を片手間にこなしてきた教師達は授業準備よりも部活指導に本腰を入れざるを得なくなり、時間的、体力的なゆとりを失っていく。こうして高校教師の世界にも臨教審以降、くすぶり続けていた新自由主義的「改革」の火の粉がついに情け容赦なく降り注ぎ始めたのである。それは高校のブラック化が一気に加速した瞬間でもあった。

※参考記事

 「同質化の罠」にはまらないために大切な、たった1つのものとは

  ダイヤモンド・オンライン 仁藤安久 によるストーリー 2024.4.18

  千葉県の特色化選抜もまた多くが「同質化の罠」にはまってしまったようである。

 ◎「中体連は全国大会に反対するために作られた組織なんですよ」ブラック部活を生む“全中”は廃止

  できるのか 70年間で中体連の方針が「真逆」になった理由

  文春オンライン 早稲田大学教授・中澤篤史氏インタビュー 2022.8.12 

  日大成績改ざん、ジャニーズ問題…諸問題を「なあなあ」で処理してきた日本型社会に変革が迫ら

      れているという事実 集英社オンライン 2023.10.14

  

 

 これらの動きに先立って出された進ゼミエコール臨時増刊「高校サバイバル戦略」(保坂展人&S・I戦略研究グループ編 日本ドリコム1992)は様々な観点から注目すべき冊子であった。まず編者の一人保坂展人(1955~)氏は麹町中学校内申書裁判の原告として知られ、当時は教育ジャーナリストであった。著書として「学校が消える日」(晶文社 1986)などがある。以後、衆議院議員を歴任し、現在は東京都世田谷区長となっている。しかし30年ほど前は管理主義教育批判の急先鋒であった。この冊子は学校の多様化、自由化を目指して企業の経営戦略である「C・I」を学校に応用した「S・I(スクールアイデンティティ)」戦略の導入を公立学校にも浸透させようという狙いで編集されている。

 「S・I」の狙いは1996年の第15期中央教育審議会第一次答申によって提唱された「特色ある学校づくり」を先取りしたものとして評価できるだろう。1998年の教育課程審議会答申でも学習指導要領において各学校が創意工夫を生かし、特色ある教育活動を展開することが繰り返し強調されている。ただし夏野剛氏の「N高等学校」レベルならばともかく、学校が企業の発想の上面だけ真似ただけで根本から改革されていくのかどうかは多くの学校の現状を見れば一目瞭然であろう。

 「S・I」からはいわゆる「ネオリベ」(新自由主義)の臭いが強烈に漂ってくるのだ。金太郎飴のように画一的で硬直化した公教育の弊害は確かに大きいに違いないが、優先して尊重されるべきは学校の個性よりもむしろ一人一人の児童・生徒や教師の個性の方ではなかったかと思うのである。

 またこの冊子で個性ある取り組みとして紹介されている北星学園余市高校は全国から高校中退者や不登校者などを含む多様な生徒を受け入れていることで一時期、全国的にその名を馳せていた。「ヤンキー先生」の活躍ぶりもテレビ等で有名になった。しかしあれだけ成功事例として当時は有名になった学校ですら、2015年以降、入学生徒数の減少によってしばらくの間、存続の危機を迎えてしまっている。

 「S・I」という発想はそこにいる教師や生徒達の一体感をほどほどに醸成する程度ならば何らかの意味を感じる事が出来るが、それが行き過ぎて過剰なまでの一体感を生み出してしまうと、「チーム学校」の掛け声と同様に教師や生徒達を一定の枠内に縛り付け、窒息させてしまう虞のある概念ではないか。

 そもそも公立学校は利益追求を旨とする企業とは違う側面を持つべきであり、そうでなければ「公立」にする意味が無くなるはずである。企業と同様、競争原理の下で公立学校の多様化、個性化と改革を推し進めようとの意図は分からぬでもないが、公立学校が「公立」であることの意義、価値をも見失ってはなるまい。第一義的に競争させるべきは教師の授業内容と授業技術であり、学校の知名度アップを狙うだけの、見かけ倒しの個性や部活動の成果、進路実績に関する、なりふり構わぬ宣伝広告の巧拙ではあるまい。当時、特に売名行為に露骨だったある県立高校では「生徒棟、冷房完備!」などと謳った気色悪い垂れ幕を恥ずかしげも無く校舎から垂らしていた。ネオリベに屈して生徒、保護者の人気取りに汲々とし、商品化の波に公立学校が丸ごと押し流されることがあってはならないのだ。

※参考記事

 〇山内省二の「一筆両断」 公立高校の独立行政法人化?進行する静かな革命

  産経新聞 2023.5.2

 ○学校が「サービス業化」教師が直面する受難の正体 ペアレントクラシーのもとで起きていること 

  志水 宏吉 2022/09/04 13:00 東洋経済オンライン

 ◎アメリカを真似したらガチガチに社会主義国化してしまった日本の大学 昭和以上に画一化が進んだ

  平成という時代 現代ビジネス 與那覇 潤,朝倉 祐介 2022/10/12 06:00

 ◎山内省二の一筆両断 公立高校の独立行政法人化? 変化し過ぎた「何でもあり」を危惧

  産経新聞 2023.7.24

  公立中学校や公立高校の独立行政法人化を構想する政治家グループがいるらしい。明らかに少子高

  齢化に直面する地方の実情を無視する暴論である。これでは地域間格差の更なる拡大は不可避とな

  るに違いない。かつて国公立大学で実施した政策をきちんと検証し、まともに反省しないうちに中

  等教育段階にも適用するという極めて無責任で安易極まりなく、かつ危険な構想。これ以上、学校

  現場を混乱させ、学校のブラック化を推し進めて何をしようというのだろう。競争原理を公立学校

  に導入して学校の淘汰を推進する試みの一部は大阪府で進められているが、大阪府での隠蔽問題を

  中心とする学校の不祥事は相変わらず続発している。特に表では学校の業績ばかりを喧伝する裏側

  で不祥事の隠蔽を進めかねないのが「人気取り政策」の大きな欠点だと思われる。

   そもそも学校教育の質を向上させるにはまず教師養成教育の見直しを先行させる必要があるは

  ず。それに仕事量の軽減と教師の授業力向上こそが喫緊の課題なのであり、余分な仕事を増やしか

  ねない構想は百害あって一利無し。また山内氏は学校を保守的な任務を帯びるものと決めつけてい

  るが、大切なのは保守と革新のバランスであり、保守的機能ばかりを強調するのは合点がいかな

  い。こんな珍妙な議論が存在していること自体、今の日本の教育が腐敗しきっていて、まさに存亡

  の危機にあることを示しているのだろう。

   ○東京都教委が250人大量「雇い止め」 スクールカウンセラーを3月末 契約更新の選考基準も不透明 

      東京新聞 2024.3.6

      スクールカウンセラーの立場の弱さは教育行政が不登校や児童生徒の引きこもり、自殺問題に対す

      る取り組みへの消極さを表しているだろう。実際、不登校の多かった定時制でもスクールカウンラ

  ーの待遇の悪さは既に数年前から取りざたされていた。もはや私たちは公教育にまともな対応を期

  待する事はやめた方が良いのかもしれない。国鉄民営化や郵政民営化の時のように、高校段階にお

  いても公教育の民営化を進める方が遅滞なく学校改革を実現できそうな気がしてきたのだが、いか

  がだろう。

   今後も義務教育の民営化はこれまでと同様に国家統制上、政府として厳しく歯止めをかけていく

  に違いあるまい。しかし義務教育ではない高校教育では民活導入を推進して市場経済の競争原理を

  機能させていく方が学校改革を実現する上でより効率的ではあるまいか。文科省の力不足、教育予

  算の貧弱さ、教育行政の硬直化による機能不全の現状を考えると公立高校の大幅な削減こそが一石

  二鳥の良策に思えてならない。

   もしかすると維新の会による大阪府の私立高校授業料無償化策も、それによって生ずる府立高校

  の人気低落に乗じて高校教育の民営化を一気に推進する心づもりなのかもしれない。だとすれば東

  京都もまた大阪府を見習って人心の公立離れを促進すべく、今回の措置をとったと捉えるのは余り

  にもうがち過ぎだろうか…かつて政界で「 公立高校の独立行政法人化」(産経新聞 2023.5.2)

  の動きがあったことを踏まえると十分にありうる構想だと思えるのだが…

   ○大阪府 公立高入試 全日制倍率は1.05倍 志願者数は前年度比2000人以上減 「私学無償化」

      影響か ABCテレビ によるストーリー 2024.3.7

   ○私学無償化の影響か…大阪府の公立高校『定員割れ』75校中32校で去年の2倍以上 統廃合が加速

      する可能性も 毎日放送 によるストーリー 2024.3.19

 

 近年、どの高校でも「~部全国大会出場」などと書かれた宣伝用横断幕や垂れ幕を普通に見かけるようになった。しかし部活動に熱心な高校がすべての生徒達にとって良い高校であるという保証はまったく無い。ただし部活動とは無関係に「面白い、分かりやすい、役立つ授業をする先生が多い」との口コミ、評判がある高校はほぼ間違いなく多くの生徒達にとって良い高校であると確信する。授業の質こそが第一に追求されるべき、本来の学校の魅力ではなかったか。

 過度な献身性を賛美しがちな教員社会独特の精神的風土もまた教師の疲弊を自ら強めてきた一因であっただろう。これまでの自分の教師としての活動を改めて振り返ってみて痛感するのは教師自ら自分達の過重労働を賛美し、教師の「働き過ぎ」体質を助長すらしてきたのではなかったか、と言う疑念である。学校のブラック化は学校の内側から見れば皮肉にも多くの教師が持つ善意の発露によってもたらされた「負の遺産」の一つでもあった・・・つまり「やり甲斐搾取」と揶揄される現状は教師自らが招いてしまった側面があると私には思えるのだ。かつて教員社会に蔓延していた「教職」を「聖職」と見なす論調はとっくの昔に学者や組合によって否定されてきたはずであった。しかし組合加入率の低下、学校のブラック化もあってか、いつのまにか聖職論的な価値観に基づく無私の献身性が教師一人一人に強く求められる空気感が教員世界にジワジワと広く深く浸透し始めていたのではあるまいか。

 そもそも職場の労働環境の改善に取り組むべき組合員が率先して過剰労働を担い、職場のブラック化の先頭に立ち続けていたのではなかったか。組合活動自体が職場のブラック化に加担していた側面を私は否定できない。放課後の地区集会、土日の動員、資料の配布…部活動や学校行事の合間に行ってきた組合活動の多くが献身的自己犠牲を強いるものであった。普段の教師としての仕事が容赦なく山積していく中で組合活動との両立を諦めていった教師は私を含めて数多くいたであろう。組合員の減少は自己犠牲を当然とする組合の価値観そのものにも胚胎していたのではあるまいか。

 組合活動だけではない。教師をしていれば否が応でも相当の自己犠牲を強いられるような雑多な仕事の数々を学校のそこかしこに見出すことになる。たとえば困難校では学校内の清掃が行き届くことは極めて稀である。そもそも通常の清掃をしていてもたちまちゴミが散乱してしまう。場合によってはその清掃すら監督者が諦めてしまい、まともに掃除されない状況が時折見られるようになる。教室によっては黒板がジュースの染みだらけで字がどこにも書けないようなことがよく生じてしまう。つまり黒板消しではなく、濡れ雑巾を使わないと授業にはならないレベルの黒板となっている。足下、教壇の上には黒板に向かって投げつけられたジュースの紙パックや缶、丸められた配布物の切れ端が幾つも落ちている。第一、黒板消しもチョークの粉だらけ、黒板クリーナーはかえって粉を吹き出すだけでまったく使用不能。チョークが置かれるべき黒板の溝にも粉が山のように積もっている。この様では授業を始めるために一体どこから手を付けたら良いのか・・・誰であってもしばらくは途方に暮れてしまうだろう。

 まずは黒板のクリーナーを清掃し、濡れ雑巾で黒板をキレイにして教壇のゴミを捨てる・・・といった段取りが頭に思い浮かぶかもしれない。ところが大抵の場合、そうした教室では雑巾が見当たらず、ゴミ箱もチョークの粉すら捨てる余裕が無いほど沢山のゴミで溢れかえっている。結果的に教室内に何匹かのハエがしょっちゅう飛び交っている事だって稀ではない。ゴミ箱近くに座る生徒の悲しげな目を見てしまうと、授業中だが教師が遠くまでゴミ捨てに行かないわけにもいくまい・・・そんな学校では授業を始めるために20分以上を要する場合だってザラにある。ところが面白いことに教師がそうした仕事に取りかかっている間、実は掃除をさぼってきた当の生徒達の一部が決まり悪そうにしてくれる事がある。場合によっては清掃後、通常の授業中ほど騒がしくはならないクラスがあったりする。そうした事に教師は少し気を良くしてか、授業中や自習監督中であってもせっせと清掃に専念してしまう事すらあるのだ。

 確かに教室、とりわけ黒板が新品のようにキレイになると(それなりの時間は要するが)ほぼそれだけで不思議なほどにクラスが静かになってくる場合がある。それまで荒れていたり、無気力だったりした生徒達が何だか観念したかのように俯いて大人しくなってくる事もある。こうした経験を重ねていくとせめて自分が担任するクラスの教室だけは黒板を中心に徹底的にキレイにしたいと思うようになるのが学級担任としてのごく自然な心情である。生徒の状況によっては最早、教室の清掃を生徒任せには出来なくなる。少なくとも黒板と教壇付近は教師の独壇場で、教師自ら徹底的にキレイにするように努めてしまうのは困難校のクラス運営上、ありがちな成り行きとも言えるだろう。

 ところが折角キレイにした教室が翌朝、悔しくなるほど汚され、乱雑にされてしまう事がよくある。運動部の生徒達が部活終了後、あるいは夜間部の生徒達が清掃後、教室で飲食し、ゴミをまき散らした挙げ句、黒板にいたずら書きをしたりするのだ。そこで教師は仕方なく生徒が誰もおらず、しかもせめて午前中だけでも教室のキレイさを保てることを可能とする清掃時間帯を探すことになる。すなわち毎朝7時頃から教室の掃除に取りかかるのだ。キレイな教室で毎朝、一日のスタートが切れる・・・確かになんという清々しさだろう。

 本来、黒板は濡れ雑巾を使うとチョークの付きが悪くなるため、黒板消しで何度も繰り返して汚れを拭き取る必要がある。だから黒板の清掃だけで少なくとも20分は要するだろう。実はある時期、教室の清掃に私は毎朝40分前後を費やしてきた・・・ただしこれは明らかにやり過ぎである。どう見ても自分の首を絞めているに違いない。ところが朝早く来るような真面目で大人しい生徒が偶然、そんな教師を目撃して感謝の思いを述べ、手伝ってくれたりすると彼は嬉しさのあまり有頂天となってしまい、この愚行をやめられなくなる。しかも実際、これでクラスの荒れが沈静化していったと思えるケースは自分の経験上、決して少なくなかった。だからこそ、一度この悪循環の沼にはまってしまうと私だけではなく、普通の教師ならばその多くが自ら沈み込んでいく過重労働のブラック沼から容易には抜け出せなくなるのだ。

 以上の例は私が実際に経験してきた「献身性のワナ=沼」の一例に過ぎず、同じようなワナの話は枚挙に暇が無いはずである。そしてこんな些細な作業一つだけでも毎朝繰り返してしまうと山積する他の仕事が疎かになるのはもちろん、遂には自分自身の心身を極限まで疲弊させてしまう原因の一つにもなろう。しかしこうした事は多分、自分だけに限るものではないはず。困難校に勤務する多くの教師が似たり寄ったりの献身性のワナ、沼に繰り返し、性懲りも無くずっぽりとはまってきたのではあるまいか。

 運動部の顧問ならば普段の練習のみならず、朝練や合宿、遠征、部員のお誕生会、グランドの整備(草取りと石拾いなど)、ルールや作戦の講習会、炎天下での審判、特に大会の関係者になれば部員達の指導に加えて会場の確保、早朝からの準備、日が落ちてからの更衣室の清掃、顧問や審判の昼食の準備・・・教職員組合の学校におけるまとめ役ともなれば毎月の資料の配付、種々の会合への参加(夜遅くか休日)や教育委員会との交渉、駅前でのビラ配り・・・いずれも本来の職務ではなく、自発的なボランティア的活動であったはずの取り組みなのに、いつの間にか有無を言わせぬ重苦しい義務と責任がズッシリとのしかかってくる、ある種の「職務」にすり替えられてしまう。教師集団の同調圧力は極めて強い。従ってこうした事に運悪く個人的な事情(介護等の家庭の問題など)が重なった場合、あるいは勤務校が急激に荒れてきた場合、一体誰が自分の仕事を代替してくれるのだろう。そんな時、「昔からみんな文句も言わずにやって来た事だ、個人的事情を楯にして今更ワガママを言うな」という声が頭の中で反響してしまうのは私だけではあるまい。授業という本務を差し置いて、本来は強制されないはずの自主的取り組みを最も重い不可避の職務にすら変質させてしまうのが、村社会化してしまった学校をギリギリで機能させてきた猛烈にストレスフルな教師集団の、強烈に歪んだ集団心理のなせる業なのである。

 20年近く前、ある学校で美化清掃を担当する管理部長の教師はとあるスポーツ種目の専門家として県の仕事を任される一方で、近隣からの苦情もあって自分の空き時間を見つけては大きなゴミ袋を肩に学校内外を歩き回り、せっせとゴミ拾いをしていた。何と学校から数百メートルも離れた場所でも、である。私も当時は近隣からの苦情と変質者の出没などで雨天時以外は学校の周辺を2~3㎞ほどしつこく歩き回っていたので彼の姿を時折見かけていた。その時、私もまた組合のまとめ役として県教委との人事交渉などにも当たっていた。さて、こうした苦労談はただの個人的な自慢話なのだろうか、はたまた素晴らしい美談なのであろうか。

 当時、他校の野球部顧問だった方は激務の中、組合の支部役員をも引き受けていた。実はそうした教師の中には分掌の主任まで同時に引き受けている方が少なからずいた。その多くはまさに「体力モンスター」でなければ務まるはずの無い膨大な仕事量に直面していたであろう。こうした無謀なまでの献身性こそが教師として持つべき当然の美徳である、とするような教員社会の歪んだ滅私奉公的価値観は教育行政側から巧妙につけ込まれて「やり甲斐搾取」を招く一方で、特定の教師を追い込み、深刻なレベルまで心身を疲弊させてはこなかっただろうか。心身の破綻や家庭での修正不能な軋轢を生み出してこなかっただろうか。

 私を含め、ベテラン教師の多くは今こそ胸に手を当てて学校におけるかつての自分自身と同僚達の仕事への献身ぶりを、絶対に美談化することなしに、虚心坦懐に反省してみてはいかがだろう。果たして誰のための、一体何のための仕事だったのか、今やそれが招いた正の側面だけではなく、負の側面をも直視すべき時ではあるまいか。現在のブラックな状況の進展にこれまで私たちは何一つ関与してこなかったのだろうか。むしろもう少し早く自分達の負の役割に気付くべきではなかったのか・・・反省すべき点は数多いと思うが、さて、皆さんはいかがだろう。

※参考記事

   ◎「プールの水垂れ流し弁償」で分かった、学校組織の「異常性」…教師はどこまでが「仕事」なの

  か 現代ビジネス 大原 みはる の意見 2023.9.26

  学校現場のブラック化が招いた教員のミスに対して本来、管理責任を負うべき文科省、教育委員会

  がこれまで一方的に学校現場に責任転嫁してきたツケがここにきて多くの事件、事故を生み出して

  いる。2022年度千葉県高校入試の採点ミスが千件近くも発生した件はその最たるものであるが、相

  変わらず現場責任のみを問う風潮は消えていない。

   川崎市の判断は行政側の、疲弊しきった学校現場への理解力を疑わせるものであった。本来、重

  い責任を負うべき側が「トカゲの尻尾切り」に終始してきたからこそ、何か学校での不祥事があれ

  ばたちまち「教師がたるんでいるのはけしからん」とばかりに教師叩きが繰り返されるのだ。

   ただでさえ教師全員を罰するが如き「教員免許更新制」の導入が現場にもたらした教育行政への

  根強い不信感…当然の結果としての深刻な教員不足の現状。どれもが学校現場の実情への無理解が

  最大の原因である。

   教師への研修をさらに増やす暇があるならば、文科省の官僚こそ、学校現場への理解を深める研

  修をしっかりと受けていただきたい。それが出来ないならば、これまで通り無能な政府の言いなり

  になって官僚としての仕事を続けること自体が犯罪的行為にあたる…

   「教育改革、学校改革、教師改革」の垂れ流しによって教師が溺死寸前にある…ここまで学校を

  ブラック化させた責任は一体、誰が負ってくれるのだろう。

 ◎「あった方がいい病」が組織の生産性を低下させる 優秀な管理職は「引き算」発想で仕事を取捨する

  東洋経済オンライン 櫻田 毅 の意見 2023.5.11

  「日本人は人のサイフは盗らないが、人の時間は平気で盗む」―時間価値の意識が乏しい日本人

  を、こう揶揄する外国人も…との指摘はむしろ学校現場や教育行政の世界に最もよく当てはまるの

  ではあるまいか。

 〇学校の先生は大変…給食を“64秒で食べる日も やりがいに依存した教育現場 何を変えれば負担

  は減るのか?【大阪発】 関西テレビ によるストーリー 2023.6.10   

   ◎日本の深刻実態が露呈…3兆円以上がばらまかれた東京五輪に見る「クソどうでもいい仕事」の実

      態 現代ビジネス 酒井 隆史 の意見 2023.9.9

  成田氏が指摘した、あたかもミルフィーユのように層をなして少数派の若者の上にのしかかってく

  る高齢者集団の「老害」こそがおそらく社会の中に次々と「クソどうでもいい仕事」を増やし、時

  間とお金の無駄遣いを強いる「クソどうでもいい肩書」を増やすことと密接に繋がっているのだろ

  う。オリンピックや万博は「老害」がはびこる絶好のフィールドを提供しているのかもしれない。

 

1980年代以降の学校教育を巡る言説に関する私的覚え書き①

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

はじめに

 これまでに購入した日本の学校教育を論じている書籍を自分の本棚に整理する上で私は「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別してきた。この二つに分けた理由は極めて単純である。日本の学校教育研究は実証的な研究を進める上で極めて難しい課題に直面してきたため、有効で客観的なデータを獲得することが常に困難であり、学校問題の深層部分、核心部分には十分に迫りきれないまま、今日まで来てしまったという印象がかなり強かったからである。私が思うに学校教育を専門とする学者達でさえ、教育委員会や学校組織の強固な排他的閉鎖性、隠蔽体質に阻まれてしまい、学校現場の内実、実相を十分には踏み込んで調査、研究できていないという残念な状況が長らく続いてきたのではないか・・・従って学校の外部にいる人が学校の本当の実態を知るためには学校の内情に通じた現職教員達による継続的発信、内部告発的情報がどうしても必要不可欠であると私は考えてきたのだ。またそのような発信が学校内部にいる若い教師の成長においてもかつては極めて大きな比重を占めてきていたと推察している。

 しかし「現場からの発信」が本当に学校の実情を踏まえた適切なものなのかに関しては当然、異論があるだろうし、実際かなり疑わしい論考もあるだろうことには留意する必要がある。大学における高校教員養成の致命的欠陥も手伝ってか、日本の学校教師が自分の勤める学校現場をどれだけ広い視野に立って客観的、公平な観点から記述できているのか、に関してはどうかと思われるケースが時折目につくことはあるのだ。

 すなわち単なる主観的印象論ではなく、できるだけ客観的なデータに基づいて学校教育は論じられなければならない。ところが学校現場における客観的で核心に迫れるデータを得ること自体が難しい日本では学校改革の議論をするための土台となるべき共通認識を確立することすら非常に困難なのである。

 新卒で学校教育への十分な予備知識を持たぬまま学校現場に放り込まれた場合、多くの教師は自身の青少年期における児童生徒の立場での学校体験、さらに教師になってからの初任校の学校風土とそこにいる身近な先輩教師からの影響を大きく受けがちになる。が、当然、初任校で受けた影響の中身が広い視野に立った、適正で客観的な内容である保証は一つもない。つまり初任教師の少なからぬ人達が瞬く間に自身が勤める学校の、下手をすると旧態依然な日本的学校文化に残念ながらすっかり取り込まれてしまう、汚染されてしまう、という印象は決して無きにしもあらず、なのだ。

 そもそも若手に限らず日本の高校教師の場合、自身の学校体験(多くは進学校に偏りがちな自身の生徒時代の記憶)と初任校での教師としての経験とが、教師としてのアイデンティティーを生涯、方向づけてしまうような傾向が強くあると私は学校現場にいながら幾度も感じてきた。そしてたとえその経験が偏った経験だったとしても、その偏りを相対化する理論、視点を獲得することは多くの教師にとって極めて難しい。相対化出来るとしても多くの時間と労力を要するだろう。とりわけ若手の場合、自己を顧みる余裕すら与えられないブラック化した現在の学校現場に出てからでは大抵の場合、偏りを是正するわずかのゆとりすら持てないまま、そのチャンスを逸してしまいがちなのではあるまいか。

 かくいう私自身もその例外ではない。私は幼少期から幼稚園、小学校共にまったく学校での集団生活に適応できず、学校では一言も発することのできない子供であった。いわゆるこの場面緘黙症の状態を小学校5年生までの5年間、続けてきたため、学校不信、教師嫌いの信念が骨の髄にまで染み込んでいた人間である。そして自分の辛く苦しかった幼少期を振り返り、なぜ学校では沈黙を余儀なくされていたのか、なぜ人は自殺をするのか、など心の奥底を知りたくて大学では心理学を専攻した。さらに学校とはどういう場所なのかを知るために教育社会学を大学院(修士課程)で学んできた。したがって自分は決して伝統的な学校文化に染まることなく、学校への客観的で批判的な観点を保ちつつ、教師を続けられるはずだと当たり前のように思い込んでいた。初任当時は自分の大嫌いな学校を舞台に「獅子身中の虫」となって暴れてやる…などという、初任教師にふさわしからぬ大胆不敵な心構えでいたのだ。

 ところが高校の現場に出た途端にその心構えはたちまちくじかれてしまった。初任でありながら4月から凄まじい量の校務分担に追われる。生徒会会計と文化祭担当(文化祭前日は午前様)、教育相談(全校生徒対象のいじめ調査実施、その分析を学校の紀要に発表)と落とし物担当(毎日のように仕事があった)、授業は日本史5単位もの3クラスに選択日本史2単位もの1クラスで週17時間。剣道部副顧問に2学年の理系2クラスの副担で修学旅行の引率にも参加。授業の合間に初任研が入る。授業準備は自転車操業でまさにその日暮らし状態。通勤は当初、電車とバスを乗り継いでいたので片道90分近くを要していた。家を出るのが朝6時半、家に帰るのは夜11時を過ぎたあたりが平均。すでに9月ごろにはストレスと疲労が重なり、体重が3~4㎏ほど減少していた。目の回るようなあまりの忙しさの中で自分を見失いがちな日々が延々と続いていたのだ。

 当時の生徒たちは校内暴力全盛期の名残が見られる生徒たちがたまにいて、数は多くないが教師に正面から反抗するケースも散見されていた。授業中、騒がしくなり、私自身が怒鳴り散らすなど威圧的な指導を繰り返すような場面も少なからずあった。生徒会と教育相談は生徒指導部に属していたため、早朝の遅刻指導、頭髪服装指導なども定期的に行なわれていた。生徒会指導で育むべき自治の精神や教育相談で発揮されるべきカウンセリングマインドとは真反対の、管理主義的・強権的指導の最前線にも私は立たされていたのだ。

 加えて言い訳になるが、あまりの忙しさと疲労とストレスのなかで自分の気持ちにゆとりが失われ、普段からちょっとしたことでも生徒に対して切れやすくなっていたのも間違いない。理不尽なほどの忙しさと余裕の無さ…鍛錬主義が染みついた運動部では自分自身がスポ根アニメの影響を強く受けていたことも加わり、ほとんど体罰まがいの指導をすることすら稀ではなかった。学校文化への免疫がしっかりと身についていた…という自負は錯覚に過ぎず、思い上がりであった。もはや「獅子身中の虫」になるどころか、自分の体内には大量の寄生虫のように悪しき学校文化が続々と棲みついていったのである。

 一旦、棲みついた寄生虫は教師としての自分との共生的関係をも作り出しつつさらに繁殖していく。そのため、頑固に染みついた悪しき学校文化を自力では退治できぬまま、2校目、3校目と異動を繰り返していた。そして本務であるはずの授業から逃れるようにして終いには運動部の指導に多くの力を注いでいく。まさに自分で自分の首を絞めるようにして私の教員人生はいつの間にかひたすらわき道へ、しかも最悪の方向へとそれていた。

 こうした過ちだらけの教師としての歩みに何とか気付き、長い迷妄からようやく目覚めるきっかけをつかめたのは三部制の定時制高校に異動した50代半ばのことであった。最大の転機は運動部の指導から初めて解放された事を境に訪れた。部活から解放されたことでまず目の前の生徒たちの実態にしっかりと向き合えるだけの肉体的、精神的ゆとりを持てたのだ。クラスは不登校だった生徒や日本語を母語としない生徒、貧困に直面している生徒たちであふれていた。本質的に学校嫌いの私がなぜ大嫌いな教師を目指すようになったのか…私は退職目前になってようやく自分の原点に戻り、過去の自分を顧みる絶好の機会を手にすることができたのだ。

 そもそもの学校嫌いに加えて学校を批判的に捉える土台となりうる心理学や教育社会学を大学で学んできた…そんな自分ですら、学校を相対化し、学校教育の現状の異様さに教師としてしっかりと向き合えるようになれるまでには30年以上に及ぶ多くの時間と多くの回り道をすることが必要だった。

 ただでさえ「教育」という営みは「聖職」という古いイメージがまとわりついてしまい、人を酔わせやすい。また教壇に立ち、大勢の生徒を前にしただけで人は独特の高揚感に包まれてしまう。教師は常時、まさに「オンステージ」状態に置かれているといっても過言ではあるまい。結果的に教師の多くは時折自分自身を見失い、肝心の生徒達をも見失いがちになる。「現場からの発信」が自己肯定を遙かに超えて自己賛美、自己陶酔に陥りがちになるのは心理的にも十分根拠のあることであろう。

 そうした意味も含めて私たちは「現場からの発信」を丸ごと鵜呑みにするわけにはいくまい。だからこそ学者やジャーナリストといった外部の、比較的、冷静で客観的な立場からの鋭い論考が時に必要とされるわけだ。しかし学校教育を冷静な観点から調査分析しようとする教育社会学者達の試みが、分厚い岩盤のような日本の学校の閉鎖的体質によって絶えず侵入を阻まれてきた経緯は私も現場にいながら幾度も目の当たりにしてきた。ただでさえ忙しく、かつアラ探しをされたくない管理職や教師達にとって一見何のメリットも約束しない学校研究者の介入は基本的に煩わしく、できれば回避したいに違いない。しかし研究者が本気で学校改革に役立つ研究をしようとするのならば、日本の学校の問題だらけの現状から見てそれが結果的に学校の「アラ探し」となる可能性を避けては通れまい。しかし…むしろだからこそ多くの学校はそうした研究者に固く門戸を閉ざしてきたのである。

 減点ばかりを恐れる管理職が仮に研究を受け入れるとすれば、おそらくそれは無難なアンケート調査への協力でしかない。しかし通り一遍のアンケート調査などで問題が山積する、閉鎖的な学校現場の実態を暴くことなど出来るわけがないのである。現場での困難や課題が多くなればなるほど学校の隠蔽体質は強化される傾向があると見てよいだろう。結果的に最も詳らかにされるべき学校教育の本質的問題点の多くが学者や世間から見えにくくされてしまうのは日本の場合、現実的にどうしても避けられないことと思われる。

※参考動画

 ○「GINZA CROSSING Talk ~時代の開拓者たち~」 ゲスト:成田悠輔さん【前編】 2022年9

  月1日 2022/09/05 日経CNBC 19:04

   ◎個人情報丸見え社会のスウェーデン|どこまでマイナンバー管理?犯罪は?| 北欧在住ゆるトーク

    Nord-Labo 北欧研究室  2023/09/23  16:52

    やや視聴時間は長いが、考えさせられる場面が多く、討論にもっていくにはうってつけの動画。情

      報公開の原則、知る権利の保障と個人情報保護、プライバシーの保護との調整は難しい問題だが、

      スウェーデンでは200年以上も昔から取り組んできた大きなテーマの一つだったことに驚かされ

      る。政府や政治家、学校などでの各種隠蔽、改ざん、金銭面での不透明さ…が目立ってきた日本社

      会を変えるには参考とすべき部分が多いと感じた。

※参考記事

   〇なぜ盛った?「児童相談所の成果」 自治体「今後も最高記録を出し続けるしか」 各地で数え方バラ

      バラ 東京新聞 2023.10.4

    学校と同様に児童相談所も深刻な人手不足に直面している。相談件数を「盛る」ことで職員の増員

      配置と予算拡大を狙う意図は元教師として心情的にはよく分かる。自治体や相談所ごとにカウント

      する基準が異なる点は修正すべきであるが、学校と同様、児相の置かれている厳しい状況を改善す

      ることが急がれるだろう。

     若者と子供、特に女性に無関心な男ばかりの老害政治家たちこそが日本社会の改善を阻む最大の

      抵抗勢力なのではあるまいか。

   〇実は誰も知らない、虐待児童の実人数 調べなくていいの? こども政策担当相に聞いてみた 

      東京新聞 2023.10.7

    国が統一基準を示さないがためにまともな統計が得られない、というお粗末な実態は児童虐待にも

      みられるらしい。イジメ、不登校や自殺に関する統計もしかり。日本政治の死角がいかに大きく、

      それが致命的なものであるのか、今になって気付く。

   ◎「不登校の原因はいじめ=0.2%」という文科省と学校を信用できないワケ

  JBpress 石井 志昂,湯浅 大輝 によるストーリー 2023.8.18

  現場にいた人間からすれば、この手の調査結果は全くと言って良いほど信用できない。

 ◎不登校児童の8割「前兆あった」原因はいじめが最多

  リセマム 2023.9.21

  当然だが文科省のデータよりもこちらの方がはるかに信頼できる。注目すべきは文科省の調査結果

  と現実、学校現場との認識面における凄まじいほどの乖離の方であろう。これも教育行政自体が実

  質的な機能不全に陥っている証拠なのであり、「現実、現場を見ることが出来ない」官僚と政治家

  が招いた、絶望的な状況なのであろう。

   〇子どもの自殺411人で最多水準 「望ましい」はずの詳細調査は少数

      朝日新聞社 によるストーリー 2023.10.4

    文科省調査の411人と警察庁調査の485人とでは74人もの差が生じている。厚生労働省の514人と

  では何と103人もの開きがある。私たちは一体、どちらを信用してよいのだろうか。

   加えて「指導死」やイジメが原因の可能性がある中高生の自殺では責任官庁である文科省を中心

  に徹底した原因究明が必須であるはず。しかし全体のわずか4.6%、19件しか行われていないのは

  なぜだろう。やはり何もかもが地方に丸投げで、本気で取り組もうとしていないからである。

   文科省以下、教育委員会や学校の隠蔽体質をここでも厳しく追求すべきだろう。

 〇小中学生の自殺“過去最多” 近年増加「市販薬のオーバードーズ」による死が統計に含まれない事情 

    弁護士JPニュース によるストーリー 2023.10.5

  「全国の精神科医療施設における薬物関連精神疾患実態調査」によると、10代の薬物使用における

    「市販薬」の割合は14年には0%だったが、16年には25%、18年には41.2%、20年には56.4% 、

   22年には65.2%と増加している。その結果として、市販薬のオーバードーズによる死亡が後を絶た

    ない…という。しかもオーバードーズによる死亡は自殺としてはカウントされていない可能性がある

    らしい。とすれば児童生徒たちの「自殺」件数は厚生労働省のものですら信用できない。

  不登校 茨城県内8577人 小中生最多、33%増

     茨城新聞社 によるストーリー 2023.10.2

  〇不登校の小中学生33%増 茨城県内22年度 千人当たり全国最多

     東京新聞 2023.10.7

     この記事が学校の置かれた悲惨な実情、その裏側を余すところなく示している。学校のブラック化

     とブラックボックス化、そしてそれらが必然的にもたらす学校の教育力の低下。

  これらは茨城県に限ったことではない。2022年度の不登校発生率で全国最多を記録した茨城県教委

  の的外れの言い訳めいた分析がこの問題に対する教育行政の無能ぶりと無責任ぶりをさらけ出して

  いるのではあるまいか。

   茨城新聞の記事によると県教委は「コロナ禍のほか、無理して学校に行く必要がないとの考えが

  保護者間で増えたことが要因」と分析している。県内の不登校児童生徒は前年度から2166人増え

  た。増加は11年連続。小学校が46・8%増の3288人で7年連続、中学校が26・8%増の5289人で

  10年連続だった。県義務教育課によると、学校が判断した不登校理由は「無気力、不安」が小学生

  で5割、中学生で6割を占めた。コロナ禍の制限で「交友関係を築く難しさなどが影響したのではな

  いか…不登校の急増に、同課は「登校が難しい児童生徒の学びの場の確保が重要」と指摘。不安や

  悩み解消へ交流サイトの相談窓口や24時間相談「子どもホットライン」などでも対応する。

   いじめの認知件数は、国公私立小中高校と特別支援学校を合わせ、7・8%増の2万4650件。

  「冷やかし、からかい」が5割を占めた。心身に大きな被害が生じるなど、いじめ防止対策推進法の

  「重大事態」は2件増の21件だった。…」と分析する…

   いかがだろうか。私はこの分析に強い違和感を覚える。不登校増加の原因をもっぱらコロナ禍に

  結び付けて説明しているが、これでは「10年連続」で増えている理由を十分には説明できていな

  い。不登校数の増加はコロナ禍のはるか前から始まっているのである。また不登校の原因を児童生

  徒側の「無気力、不安」に帰している学校側の判断を皆さんは素直に信じるだろうか。信じてしま

  うとしたらかなりのお人好し、というほかあるまい。私もこの調査に何度も答えてきたが、不登校

  の原因の多くは生徒間のトラブルに由来すると考えるのが世間の相場であり、児童生徒と真面目に

  向き合ってきた教師たちの一般的な印象でもある。

   しかし教育行政側、管理職側、実は学級担任すら不登校の原因究明にまったくといって良いほど

  無関心であり、たとえ関心があったとしても原因究明するゆとりがまったく無い。したがって多く

  の学級担任はしつこく繰り返されるこの調査を本音では面倒くさがり、「無気力、不安」(この調

  査は記号選択となっていて、もともと「授業が分からない、楽しくない」といった学校側の原因を

  しっかりと選択肢に入れていない、きわめて恣意的で出来の悪い調査であり、「やってる」感を演

  出するための調査に過ぎない)を原因として安易に選択しがちである。そのため、イジメ認知件数

  が増加している結果と不登校が増加している現象とを結びつけて説明することができないように巧

  妙に細工されている、見せかけだけの「エセ調査」となっているのだ。

   とはいえ、誰が見ても茨城県での急速な状況悪化がコロナ禍だけで説明できないことはもはや一

  目瞭然なのだが、それでも鉄面皮のごとく堂々とごまかそうとする、この頑固な無責任さ、責任逃

  れのための隠蔽体質は文科省からの天下りばかりが県の教育長となっている都道府県では普遍的に

  見られるものなのだと思うが、いかがか。

   教育行政に携わる人たちはいい加減、下手なごまかしをやめて、学校現場の現実にきちんと向き

  合う一層の努力をお願いしたいものである。

 〇“Fラン大学と揶揄されるけれど掛け算割り算ができぬまま高校を卒業する学生が少なからず存

  在している怖い事実 集英社オンライン オピニオン 2023.7.29

  この記事にはビックリ。高校では一桁の足し算が出来ない、南極が熱帯だと勘違いしている、東と

  西の方角を指さすことが出来ない、日本地図を一つの円としてしか描けない、ひらがなが読めな

  い…といった生徒が入学し、ほとんど特別な指導を受けずに何も分からないまま、出来ないまま卒

  業しているケースが少なくない。これは周知の事実であり、「怖い事実」などではない。本来なら

  ばマンツーマンの手厚い指導を必要とする生徒たちに対応するだけのゆとりと能力を今の教師に期

  待するのは間違いである。同様のことはもっと頻繁に小学校、中学校でも起きていて、実際にはど

  の学校段階でも「形式卒業」が繰り返されている。大学だけが例外なわけがない、という当たり前

  の事に過ぎない。

 ○成田悠輔氏 日本人のデータリテラシー不足に嘆き「教育の失敗であり、社会の失敗」

  東スポWEB 2022/11/17 18:48

  日本の場合、学校や教育行政に限らず、様々な政策がDXの遅れや情報公開の大きな制約ゆえに実

  際には政策の有効性、成否をきちんと検証されることなく、時の政権の思惑に左右される形で、ま

  さに「垂れ流し」状態のまま、次々と実行に移されてきたと考えられる。

 〇「うちらは捨てられてる」先生が教室に現れず、授業を受けられない子どもが増加…教育現場で今

  起きている“非常事態” 文春オンライン いしい しんじ によるストーリー 2023.6.19

  学校教育の隠蔽体質は、ただでさえブラック化した学校において正規教員の不足という最悪の事態

  の進行をも招いてしまった。学校自らが教師不足という致命的な事態を世間一般からは見えにくく

  していたのだ。それが社会問題と化し、表面化してきた現段階に至ってしまっては最早、手遅れに

  近いほどに学校の病巣は進行し、肥大化しているのではあるまいか。もはや手の施しようのない末

  期患者と同様、日本の公教育は大げさに言えば存亡の危機に直面しているのではないのか。垂れ流

  し状態の「教育改革」の連打がいかに学校現場を疲弊させ、限界まで追い詰めてきたか、改めて教

  育行政の責任を問いたい。

 〇公立小・中学でのいじめ認知件数 自治体間で最大30倍の格差

  毎日新聞 によるストーリー 2023.6.21

  学校によってはイジメ認知件数がゼロのところもあったという。もちろん現実的に見て「ゼロ」は

  ありえない数字である。といっても別に驚くことはあるまい。市町村によっては学校からの報告に

  虚偽が含まれるのは当たり前であり、むしろ普通のことではないのか。管理職が自らを不利にする

  ような報告をお上にあげるわけがない、と思うのが教育界の常識。全国学力テストの結果がほぼほ

  ぼ信用できないのと同様に、学校の上っ面をフワッとなでる程度の安易な手法による報告や調査で

  学校現場の実態がつかめる、と思う方が今やあまりにも能天気なのだ。

   いや、もとより調査を命じた側も「やってます」感を演出するためだけに嫌々、調査を行なわせ

  ているに過ぎないはず。でなければ神戸市のようにイジメ事件の隠蔽が学校や教育委員会の中で執

  拗に繰り返されるはずがないのである。逆に文科省が各教育委員会や学校の牢固な隠蔽体質を知ら

  ぬわけがあるまい。所詮は「同じ穴のむじな」、この調査自体が国民を欺くだけの、ただの茶番だ

  と思うべきだろう。

   しかし、こうしたアリバイ作りを主な目的とする虚しいだけの仕事だからといって決して侮って

  はいけない。学校のブラック化はお上から送り付けてくる文書の山が生み出している側面もあるか

  らだ。教員不足が問題視される以前から指摘されていたのが、学校における管理職希望者の減少で

  あった。実際、傍から見ていても教頭や教務主任の仕事量は異常なほど多く、多岐にわたってきて

  いる。管理職として必要とされる能力はもはや学校教育への深い理解や豊富な経験、授業の力など

  ではなく、膨大な事務仕事を滞りなく表面的にスマートにこなす事務処理能力の高さに特化してき

  ているという印象が強い。

   形骸化した事務仕事の削減は文科省以下、すべての部署に共通した切実な願いとなっているはず

  だ。そしてこの願いが実現するためには予算と人員の増大が必要不可欠であることは言うまでもな

  く、しかも予算増の可能性は現政権下、限りなくゼロに近い。これに由来する先の見えない絶望感

  こそが現今、多くの教師の心身を追い詰めている最大の元凶なのではあるまいか。

 〇「毎週100枚の書類が教育委員会から届く」藤原和博が見たベテラン教員を忙殺する"いらない書類仕

  事"の実態 プレジデントオンライン 藤原 和博 の意見 2023.6.21

 〇「教育再生」の象徴、なぜ年に一度も開かれない?…4都県232市区町村で会議がゼロ

  東京新聞 2023.6.25

 

 ただし、学者達が日本の学校教育を諸外国と比較して制度的に俯瞰して論ずることは教師が自分の立ち位置を冷静に眺められるという点で役立つ。また一部の学者が試みた生徒と教師間でのやりとりを分析するようなミクロな視点も授業技術や教師及び児童生徒理解の向上という点では有効である。他にも若者文化論や教師文化論の研究は自分としては現場に臨む上で有益だったと感じる。とは言え現場の実態を調査することを本分とする教育社会学者ですら、学校教師や児童生徒に寄り添った、現場感覚に近いデータを獲得することは極めて難しい。このことをほぼ断言できるほどに、今の学校を覆う隠蔽体質は既に強化され、普遍化されてしまっている。

 要するにいずれの立場からの発信も限界があり、どちらにも偏るわけにはいかないということであり、二つの立場からの発信を総合的に捉えるといった、学者ですらかなり難易度の高い努力が日本の教師達には常に求められてきた、と私は考えているのだ。

 以上のような観点から「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つに大別して私の教員時代に相当する過去40年近くの学校教育に関わる言説を概観してみようと思い立ったわけである。ただし私は学者の調査上の限界を踏まえ、どちらかと言えば学者からの発信よりも「現場からの発信」を重視してきた。また学問的には自分の専攻もあるが、実証性と学校現場を重視する教育社会学の成果を偏重してきた。決して教育学全体を見渡してはいない点をご了承頂きたい。しかも教員生活の後半は勤務先が教育困難校続きであったこと、さらには学校教師全体の労働環境の悪化などが重なり、教材研究以外の読書がままならなくなっている。結果的に本を買っても読めないことが続いたために、教職最後の10年間はわずかの本を読むことすら出来なくなっていた点をご容赦願いたい。

※読書時間は次第に減ってしまったが、読書しなければならないという義務感だけは背負い続けていた

 ため、同じ本を2冊、3冊と買ってしまうことが40代、50代で徐々に増えていった。つまり本を買っ

 てはみたものの、ほとんど読めていなかったため、本の題名や買った事自体覚えられずにひたすら強

 迫観念、義務感に駆られて同じ本を繰り返し購入していたのである。

 

 また「現場からの発信」と「学者からの発信」の二つの観点はいずれも大学時代に教育社会学を少しだけかじった経験に基づく、自分なりの謬見に満ちた選択であり、あらゆる言説を公平な観点から網羅できているわけではない。私は基本的に怠け者であり、理解力、読解力に乏しいので、以下の文章はあくまでも自分の狭い了見から、結局は主観的に「チラ見」した程度のものに過ぎない点も何卒ご容赦願いたい。

 もちろん、教育社会学以外に心理学、それも臨床心理学を少しだけかじった経験から青少年期の心理、カウンセリング、子供・青年文化、非行や不登校、イジメ、若者の自殺関係なども浅く、つまみ食い程度に読み散らかしてきた。これらのテーマも広い意味では教育を巡る言説に含まれる。しかし自分の能力上の限界はあまりにも大きい。ここでは自分が教師となった1980年代以降の約40年間にたまたま自分の目に映じ、自分なりに気付くことの出来た(と思えた)日本の学校教育を巡る言説のザックリとした流れ、変遷にまずは的を絞ることにしたい。

 繰り返しになるが怠け者の私が読んだ本は極めて数が少ない。「現場からの発信」でこれから紹介する論者達は自分からすれば驚異的な読書量と高い読解力、分析力に基づいて自身の著作を世に問うている。当然のことながら私はそれらを逐一論評するだけの力量を持ち合わせていない。したがってここではこの40年近くの学校を巡る言説の変化の一部を教育改革の動きと絡め、独断と偏見に基づいて指摘しつつ、同時に自分の教員生活を振り返ることに留めたい。

 また「学者による発信」に関しては尚更、私の勉強不足、能力不足が露呈している。従って以下の考察はあくまで私の一教師としての回想録という性質を併せ持つ。実際には学校教育に関する言説へのほぼ個人的印象論のようなものに過ぎない点を予めご理解頂き、至らぬ点が多々あることを是非ご寛恕頂きたい。


②に続く(なお表題が長すぎるので②以降は「私的覚書②」等、略記していきます