その6.心理学アラカルト(前編)

※この記事は常に新鮮なネタを提供すべく、随時、更新されています。

 

 §1.心理学ネタ編の最後は「心理学アラカルト」です。これまでのテーマを補足する内容が順不同で散りばめられております。これらのネタはその1からその5の中に位置付けてしまうと授業時間内に収まらなくなってしまうので割愛してきた内容ばかりですが、単独でなら授業の枕、「面白ネタ」として使えるタイミングが授業の展開によっては生ずるかもしれません。実は今回の中にも私の得意とした鉄板ネタが含まれております。使いようによっては「爆笑ネタ」にも化けるでしょう。

 ただし11と12は20年近く前に作られた教材なのでかなり古くなってしまったネタですので悪しからず。

 

1.ブラインド・スポット(盲点)の充てん

 100均で文房具コーナーにある色つきの円形のシール(直径8㎜ほどのもので色は黄か赤が良い)を生徒分用意しておくと面白い実験が出来ます。右手の親指の爪にシールを貼らせてください。左目をつむり、右目だけでまっすぐ前方に伸ばした右手の親指を見てみましょう。背景は白い壁が好ましいようです。親指を立てて右目の正面にまず固定し、親指の爪のシールに注目させましょう。次に視線は動かさずにまっすぐ見続けながら、ゆっくりと右手を右側に平行移動させます。視線を背景の一箇所に固定し、シールを追わないよう注意する必要があります。真正面から右に10cmを越えたくらいのところ突然、親指のシールが見えなくなるはずです。

 網膜には視神経の束が集まっている箇所(視神経乳頭)があり、そこには視細胞が無いため、いわゆる盲点となっています。しかしなぜか右目だけで見ていても視野にぽっかりと穴があいて見えたりはしません。盲点があること自体を普通は視認できないのです。実は視線が空を向いていれば盲点は空色、黒板なら黒板の色に充てんされてしまっているのです。脳は「面」を一様なものとして捉えようとするクセがあり、面の局所的な欠損を勝手に充てんしてしまうのだそうです。

 ※以上はその1「この世界は…」で触れたことの復習になります。

 色を感じる細胞(赤・緑・青)は網膜の中心部には濃密に存在しますが周辺にいくと密度が下がり、やがてゼロ状態になるそうです。すなわち視界の周縁部は本来、白黒の世界であるはずです。実際、視界の端にオレンジ色のマジックを見せても色の識別はできないといいます。ところがまず視野の中心にマジックを見せてから端にマジックをゆっくりと移動させるとオレンジ色は見え続けるのだそうです。脳が視界の周縁部、白黒の世界に対して記憶を元に色を埋め込んでいる…ということになります。こちらも被実験者となる生徒には見せないようにして予めポケットに色マジックを忍ばせておき、黒板を背景にして実験スペース(被実験者を椅子に座らせて黒板に正対させ、チョークでつけた黒板の印を見続けさせる)を確保しておけば簡単に追試できます。

 サービス精神旺盛な脳は本来見えていないものまで見えているように思わせてくれているのです。

 

2.目は口ほどにものを言い

 「目は心の窓」という言葉があります。実際、相手に目をじっと見られるとなかなかウソは言いにくいでしょう。目を見られているとき、あたかも自分の心の奥底をのぞかれてしまっているように感ずることもあります。

 ヒトは他の動物と比べて言葉という高度なコミュニケーションの道具を発達させてきました。しかし言葉によるコミュニケーションは操作性に富む分、「ウソ」という落とし穴があります。相手がどんなことを言っていてもそれが本心から出たものなのかどうか…セリフだけではなかなか判別できないでしょう。だから私達は言葉だけでなく、相手のしぐさやまなざしをも無意識的に観察しています。ノンバーバルコミュニケーションの世界に通じていない一般の人が自分のしぐさやまなざしで相手をだますことはかなり難しいはずです。

 特に目は重要な情報源となります。目はウソをつかない…と私達は信じているからです。そこで今回はまずヒトの「目」自体が持つ情報伝達機能に着目してみましょう。「目は口ほどにものを言い」とも言いますので。

ヒトの目とサルの目

 サルの目とヒトの目には視覚機能という点では共通する部分が非常に多く、人間の優れた視覚能力(色、奥行き、動体視力…)はほとんどがサルの時代に獲得したといってもよいようです。しかし目の外見をよく観察すると微妙な違いに気付かされます。サルの目は白目の部分がきわめて少ないのです。

 比較行動学で有名なデズモンド・モリスはここに注目し、サルと違ってヒトの目に白目が目立つのはヒトの場合、「まなざし」自体に一定の重要なメッセージがあり、「どこを見ているか」相手に知らせる役割から白目が目立つようになった(まぶたが切れ長になった)という考えを示しました。

 彼によると直立二足歩行をするようになった人類は対面的コミュニケーションを主に行うようになり、相手の目を見て話すことを重視するようになったといいます。目の向けられている方向こそがその人の興味関心の対象であることを意味するわけですから、相手との円滑なコミュニケーションを成立させるには相手を注視していることを積極的にアピールする必要があるでしょう。白目の真中に瞳があることでかなり明確に人は注視する方向=関心のある方向をアピールできるのです。

※視線の方向と心理:ど忘れしてしまった友人の名前を必死で思い出そうとするとき人はどんなまなざ

 しになるでしょうか。一時的ではありますが必ずといってよいほど視線は上の方向にさまようはずで

 す。では何か悪いことをして先生に厳しく問い詰められた場面。何とか本心は隠してウソをつきとお

 したいと思っているならば視線は左右をさまよいだすでしょう。後ろめたい気持ちを抱えながら人に

 ウソや自信の無いことを話すときも同様ではないでしょうか。やがて観念して白状しようか迷い始め

 ると視線は下がり始めます。しかし相手に対して不信感や憎しみがあるときには傲然と相手を睨み返

 しながら、ウソをつきとおそうとするかもしれません。

瞳の魅力

 乳幼児のチャーミングポイントの一つは何といってもあのつぶらな瞳です。もし赤ちゃんなのに白目がちの目をしていたら私達はどう感じるでしょう。赤ちゃんの魅力は半減してしまうかもしれません。パンダでも目の周りの黒い部分を白く塗ってしまうと印象はかなり悪くなってしまいます。

 圧倒的に瞳の大きい方が魅力的なのです。夏祭りの夜に出合った同級生がやけに魅力的に見えてしまう理由は何も浴衣姿だったから…だけではありません。それも多少はあるでしょうが、やはり暗い夜のせいなのです。夜、暗くて私たちの瞳は乏しくなった光を少しでも採り入れようとして拡大します。すなわち黒目がちになるのです。プロの写真家は女優を美しく撮ろうとするなら、白昼、日差しをもろに受けた顔を決して大写しにしないといいます。まぶしさを感じたとき瞳は縮小してしまい、顔の魅力も台無しになりかねないからだそうです。瞳の効果は絶大なのであります。

※「ベラドンナ」と「裁きの豆」:目の瞳孔を開いたり、閉じたりは神経伝達物質の一つアセチルコリ

 ンの働きによるといいます。猛毒のサリンはアセチルコリンを分解するアセチルコリンエステラーゼ

 を阻害するのでアセチルコリンが働きすぎてしまい、吸引すると瞳孔が狭まって視界が暗くなるとい

 う症状がでるようです。またアセチルコリンの働きによって記憶力が亢進し、昔の記憶が走馬灯のよ

 うによみがえって収拾がつかなくなり、寝付けなくなるといいます。

  チョウセンアサガオの毒は逆にアセチルコリンの働きを阻害し、瞳孔を開かせるようです。ヨーロ

 ッパでは昔、これを目薬に用いて黒目を大きくし、女性を魅力的に見せたのだそうです。イタリア語

 でチョウセンアサガオは「ベラドンナ」(=「美女」)と呼ばれていたといいます。

  サリンと同じ働きをする薬で昔から用いられていたのがカラバル豆。古代アフリカでは「裁きの

 豆」といい、容疑者の有罪、無罪を決める手段に使われていたそうです。無罪、有罪の結論が出ない

 場合、容疑者にはこの豆を致死量与え、死んだら有罪、生き延びたら無罪にしたといいます。この豆

 を一気に大量に飲むとアセチルコリンの働きで気持ち悪くなり、すぐ吐いてしまうのでむしろ助かる

 ことが多いのだそうです。逆に怖がって少しずつ摂取すると吐くことができずに毒が体中に回ってし

 まい、死んでしまうといいます。無実のものは自分の無実を信じて一気に豆を飲み、吐くことで救わ

 れるが、罪を犯したものは怖がって少しずつ食べてしまう…とすればこれもまったく根拠のないやり

 方とは決め付けられないでしょう。

見つめあうことと睨みあうこと

 「にらめっこ」という遊びは世界各地に存在するようです。「にらめっこ」をしていると誰もが気恥ずかしさに襲われるため、相手がそれほどこっけいな表情をしていなくともすぐに耐えられなくなり、吹き出しそうになります。なぜならお互いに目と目を見つめ合う…というシチュエーションは日常的にあるものではないからです。

 普通、長時間、目と目を見つめ合うのは関係の親密なカップルに限られます。愛し合う二人だけに許される行為とも言えるのです。だから恋人同士でもない二人が見つめ合うと気恥ずかしくなります。もちろん、会話の際には短時間ですが赤の他人同士でも目と目を見つめ合う機会が生じます。しかし恋人同士でないならば視線がぶつかり合う時間は一瞬に過ぎないはずです。相手が話し出した瞬間と自分が話し出した瞬間とは礼儀としてもお互いに見つめ合うでしょう(もしその瞬間、視線が交錯しないとすればお互い、相当無関心であります)。しかしたちまち視線はあちこちに逸れていき、見つめ合うことから生ずるドギマギ感から誰もが逃れようとするのです。

※丹波哲郎という名優がかつていました。相手を睨み付ける悪役もよくこなしていました。しかし彼は

 睨み合う場面での演技や見つめ合う場面の演技が当初は苦手であったといいます。相手の目を見て演

 技すると確かにドギマギしてセリフをとちってしまうのですが、相手の額を見ればドギマギしないで

 済むことにやがて気付いてからは落ち着いて演技できるようになったとあるテレビ番組で語っていま

 した。彼は実際には相手の目を睨んでいたのではなかったのです。

 

 実は愛する対象を見るときに瞳は拡大することが分かっています。通常の大人の女性はたとえ他人の赤ちゃんであっても本能的に瞳を大きくして赤ちゃんを見つめてしまうようです。瞳の拡大は相互作用を生むといいます。先ほど指摘したように瞳の大きい人は魅力的に見えるのですから、大きな瞳で見られた人も自分を見つめる相手を魅力的に感じてしまう傾向があるということです。見つめ合えば見つめ合うあうほどお互いの瞳が拡大し、好印象が増す…だから本物の恋人同士なら見つめ合ってもドギマギするどころか飽きもせずに見つめあい、一層親密さを増していくのでしょう。  

 逆に嫌悪している相手を見るとき、瞳は縮小します。瞳の縮小も相互作用を生み出します。よく「ガンを飛ばす」といいますが、睨み合いの場合にはお互いの瞳が縮小して火花を散らします。この場合、「見つめ合う」という表現は似つかわしくありません。「睨み合う」二人の関係は険悪であり、競争状態にあるのです。もし顔が青ざめているようなら一足触発。何時殴りあいが始まってもおかしくないはずです。

 閑話休題。

 

3.脳の自動的画像処理能力

世界が安定して見える条件:「恒常性」

 眼球が高速で微細に動いていることを私達は認識できません。もしも認識できてしまうとカメラでいう「手ぶれ」が生じてしまい、私達の視界(特に背景)は激しく揺れ続けることになります。脳はカメラでいうところの「手ぶれ補正」を自動的に施して私達の視界を安定させてくれているのです。実際、走っている時の視界は体の動きに伴って激しく揺れて見えるはずですが、比較的安定して見えるのも脳の「ブレ補正」機能のお蔭であるのです。この機能を「位置の恒常性」といいます。

 またトンネルに入って多少暗くなっても前の自動車の色は見え続けたりします。これは「色の恒常性」と呼ばれます。

 自分から4m先にいる人は8m先にいる人よりも約二倍の大きさで網膜に映っているはずです。しかし私たちの知覚はそれほどの違いを感じずに済んでおり、ある程度離れていても誰であるかが分かるように見えているはずです。「大きさの恒常性」と呼ばれる現象です。

 位置や色、大きさ、以外にも明るさ(→チェッカーシャドウ錯視)、形などの恒常性が知られています。脳は変化をともなう知覚対象を認識するため、自動的に様々な補正を加えてしまうと考えられています。知覚の恒常性のおかげでいいつの間にかろいろと補正されることによって私たちの視界は安定し、通常の認識が可能となっているのです。

奥行き・遠近感・立体感を検知する仕組み

 いったん網膜上で二次元平面に還元された情報を脳は様々な手掛かりを基にして立体的な空間に再構築しています。その手掛かりとは両眼視差、運動視差(手前のものは遠くのものよりも移動量が大きい)、陰影、重なり、きめの勾配、大小遠近法、線遠近法、大気遠近法などです。逆に画家やアニメーターは平面的な画面を立体的に見せるためにこれらの手掛かりを描く必要があるでしょう。

※両眼視差と眼球の位置:草食動物では動かない物を食すために奥行き知覚はさほど重要ではない代わ 

 りに肉食獣から身を守るため、広い視野を持つ必要から両眼は頭部の両側に位置しています。ウサギ

 は水平方向の視野が360度以上あるといいますが、その分、立体視は苦手のようです。他方、ネコ科

 の肉食獣などは動く相手を素早く捕食するために距離感が重要となり、両眼は頭部の前方に位置して

 います。これにより両眼視野の重複部分を大きくとることで目測だけで空間的な距離感を正確に測れ

 ているようです

知覚は未来を先取りする

 「早とちり」(良く言えば「予測」)は人の生存戦略の一つです。野生の世界ではじっくりと考えているうちに手遅れになって命を落とすくらいならば早とちりした方がはるかにマシでしょう。多くの場合は有効な「予測」であり、生存戦略として有利に働くはずです。つまり脳のこうした「早とちり」が危機一髪の非常時に命を救ってくれる、俊敏な行動をもたらしてくれるのです。

 少しでも未来を先取りしようとして脳は自動的な補正・補完機能を働かせていますが、一方でこれが錯覚の原因ともなります。緑→黄→赤と円の色を徐々に変化させて提示(残効をなくすため)してみます。その円が黄色になった瞬間、左隣にも黄色の円を一瞬見せます。これを続けると左側に黄色の円が表れた瞬間、何と右側にはオレンジ色の円が見えてしまうのです。脳が未来を先取り(=「早とちり」)してしまった…ということになります。

 脳は常に未来を予測しようと無意識下で懸命に努力しています。ある実験では、脳が「動いた」と感じた後に体が動く、という奇妙なズレの現象も観察されております。これも「早とちり」の一種でしょうか?

 さて「サブリミナル効果」と呼ばれるものをご存知でしょうか?100分の5秒以下で瞬間的に提示すると意識の上では「見た」とは思えませんが、脳は感知し、メッセージをちゃんと受け取っています。握力の実験では「握れ」という指示が出される直前にサブリミナル映像で「頑張れ!」を提示すると倍の力で握るとともに握り始める反射スピードもアップするようです。しかし「頑張れ!」というメッセージは意識上に想起できないのです。すべては無意識下で進行しています。

 私達が「意識」と呼ぶものは表層の現象に過ぎず、水面下の無意識界が圧倒的に私達を支え、動かし続けている…あらためてそのことに気付かされます。

 

4.脳の柔軟性

 発達の初期に左半球の言語中枢に損傷を受けると言語中枢が右半球に移ることがあるといいます。また後天的に視力を失ったヒトは視覚野で点字を「読む」ようになるといいます。生まれながらにして二本の指がくっつきあい、指が四本の人は五本目に対応する脳の部位が存在していないようです。しかし分離手術によって五本にするとわずか一週間後には五本目に対応する脳の部位が形成されるといいます。 

 手術で網膜の視覚情報を聴覚野につないでもある程度は「見える」という実験もあります。脳の過剰なまでの発達はこうした「柔軟性」を生み出すためにあるのでしょう。環境の変化にも即応できる柔軟性を確保するため、ヒトの脳はかなりの無駄ともいえる能力を潜在させているようです。たとえば水頭症によって脳の成長が妨げられたヒトでも知能障害に至るケースは意外に少ないようです。脳の95%が空洞状態となった患者のうち、ひどい障害があらわれるケースは10%にも満たず、患者の約半分は知能指数が100を超えていたともいいます(ただし大人になってから脳を90%も削ってしまえば大変なことになりますが)。つまりヒトがヒトらしくあるために必要な大きさ以上にヒトの脳は大きい、といえるのです。

※なお大脳辺縁系に属する大脳基底核はサブリミナル効果に関わるとともに直感と意欲を司り、手続き

 記憶の中枢(体を動かすことに関連したプログラムを保存している部位)でもあります。スポーツや

 楽器の演奏等で必要となる手続き記憶は「無意識的、自動的でかつ正確」であることが大きな特徴

 なっています。手続き記憶は繰り返し訓練しないと身に付かない、努力の賜物でもあります。さらに

 大脳基底核は大人になっても成長し続ける脳の部位の一つ(もう一つは前頭葉)であり、人の柔軟性

 と学習可能性の土台となる部分に大きく関わっているようです。

 

 言語は「表現を選択できる」という点で意識の産物にふさわしいでしょう。チンパンジーも100くらいの単語を覚えますが、文法までは無理だそうです。つまりチンパンジーが覚えた単語はシグナル(記号)にとどまり、言葉には達していないといえます。ところが言語といえどもヒトの発する言葉のすべてが意識下にはおかれてはいないようです。話し言葉は一秒間にだいたい2文字から5文字くらい発せられております。意識的に一字一字選択しているとは思えません。反射的に発している要素も多いでしょう。ヒトの意識できる世界はまさに「氷山の一角」に過ぎません。最も意識的に行っていると思えた言葉の世界ですらほとんどは無意識的な機能に支えられて成立できているのです。

 言語の進化的起源は「ジェスチャー」と「ヴォーカル」の二つに求められるようです。指差しのようなしぐさと動物の発声、鳴き声から進化したものと考えられます。赤ちゃんの言語習得は大人のしぐさや声の模倣によって進みますが、おそらく声を聞くことや声を出すことがもともと「快」となるように遺伝的に仕組まれていると思われ、そのことが音楽の成立と関わっているようです。言葉には意味内容を伝えるだけでなく、情動を伝える機能もあります。情動を伝えることに特化していったのが音楽だと考えられています。

 表情:顔の表情は人類特有のものといわれ、脳には表情を司る部位があります。しかし表情もまた呼吸と同じで意識と無意識の中間にあるようです。表情は「喜び」「悲しみ」「怒り」「驚き」「不安」「嫌悪」の六種類に分けられ、人種や民族を超えて人類共通のものです。赤ちゃんでもすでに六つの表情を表すことができるといいます。つまり表情は遺伝子に書き込まれた人類共通の財産ともいえ、俳優のように様々な表情を演ずることはできても自然に生じてしまう表情はほとんど無意識的な機能に支えられているのです。

「恐怖」は感情の中では喜びや悲しみよりも起源が古いと思われます。「扁桃体」が活動するとその

 情報が大脳皮質に送られて「怖い」という感情が生まれます。一方で恐怖は記憶力を促進し、二度と

 恐怖の対象となったものへ近付かぬよう、学習させるようです。扁桃体を失うと「恐怖」の感情が失

 われ、欲望のままに動き出してしまうといいます。

 

 池谷裕二氏は「心が痛む」「胸が痛む」時には、身体的な苦痛を感じる脳の部位が活動しているといいます。痛覚は生存にとって重要な感覚であり、痛覚の無い人は長生きできないそうです。進化を遂げてきわめて敏感になった痛覚システムは「前適応」(ある生物学的形質が本来の目的と違う目的に転用される場合)して「社会的な痛み」(≒「悲しみ」)にも機能するようになったと考えられます。たとえば相手の痛みは自分の痛みとして感知しているようなのです。

 なお共感能力に関しては「ミラーニューロン」(1996年発見)の働きによるものという考えも有力です。他人が泣くのを見ただけで、泣く表情をつくる筋肉の動きに対応する神経が興奮したり、悲しみの感情を作り出す神経が興奮するといった現象が確認されているといいます。姿勢反響(仲良し同士が近くで向かい合っていると同じような姿勢や動作をほぼ同時にとっていることが多い)の現象も「ミラーニューロン」系の働きによるものかもしれません。

 

5.曖昧な記憶と意識

 耳の真上にある部分を電気刺激すると記憶の「フラッシュバック」が生じます。このことから一時期、記憶は消え去ることなく脳内の特定の回路に保存されているという誤解が生じました。しかし同じ部位を刺激しても次から次へと違う事柄が想起されることがわかってきました。記憶は特定の部位に局在しておらず、しかもその都度の状況によって新たに構成されてしまうようなのです。退行催眠によって確かに多くのことを想起できるようにはなりますが、正確さの点では向上しておらず、想起した内容を鵜呑みにはできないといいます(ただ本人の想起した内容に対する確信度は高くなるため、余計に紛らわしくなるようです)。

 実際には記憶は様々な情報にもたれかかるかたちで保存されます。したがってもたれかかられている様々な情報が変化すれば記憶自体も変容を余儀なくされます。情報自体がゆらめく蜃気楼のような記憶体であり、記憶と夢の中の出来事やイリュージョンとを区別することは本来難しいのです。

 そもそも完璧な記憶力は人間にとっては役立たないという指摘があります。完璧な記憶は対象の同一性を損ない、認識能力を低下させる(Aさんが顔の向きやネクタイを変えた瞬間、「Aさん」と認識できなくなる…)のだそうです。曖昧な記憶から普遍的な法則性を抽出し、後日、役立てるためにヒトは無意識的に記憶内容を取捨選択し、「汎化」させているようです。記憶が曖昧なために別々の記憶が結び合わされて新しい発見もできるわけです。逆に鳥は写真のように覚えることができます。下等な動物ほど記憶は正確らしいのですが、融通がきかないという欠点があります。ヒトの記憶力は他の動物に例を見ないほどにいい加減であいまいな分、臨機応変な適応力を支えているのでしょう。

 またヒトは特徴を抽出するために学習速度を遅くしているようです。たとえば「記憶の留保」を行い、じっくりと特徴を抽出します。学習のスピードが速いと表面的な情報に振り回されて本質を捉えそこなうからだと考えられます。ヒトに言葉と心がある理由はそれらを活用して周囲の環境から基底ルールを抽出し、基底ルールを将来に向けて蓄え、応用し、変化する環境に適応しようとするためではないかと考えられるのです。

 ですから記憶力は良ければ良いほどヒトは生きていく上で有利になるのか、と言うとそうではない、と池谷裕二氏は指摘しています(「寝る脳は風邪をひかない」P.28~29)。記憶が強固すぎると時間の流れが分かりにくくなってしまうようなのです。「記憶が色褪せるからこそ、情報に遠近感が生じ、私たちの心の中に現在という瞬間が立ち現れるのです」・・・鳥肌が立つほどに見事で深いご指摘ですね。

参考動画

過去(記憶)を上書きする方法 / How to overwrite memories

 精神科医がこころの病気を解説するCh 2021/11/04 7:33

 

6. 皮膚感覚の不思議

参考動画

【VR最前線】触りたいものに触れる夢の装置? 医療分野への応用も期待 

 宮城  NNNセレクション 日テレNEWS 2022/02/08 7:03

 

はじめに

 かつてテレビを見ていたら「カンガルー抱っこ(?)」という抱き方が新生児を落ち着かせる点で有効であることが宣伝されていた。胸の上に乗せて抱っこすると親の肌のぬくもりとと心臓の拍動音で赤ちゃんの機嫌がよくなるというのだ。最近では水の流れる音が胎内における母親の拍動音に近く、より効果的ともいう。いずれにせよ、赤ちゃんの激しい夜泣きで寝不足に陥っている夫婦も多かろう。どうやったら赤ちゃんの機嫌がよくなるのか…いや、親の寝不足解消の観点以上に子育て成否のカギを握るのが親と子のスキンシップだとはかなり以前から指摘されていた。そういえばスキンシップの基礎となる皮膚感覚ってヒトの場合、どうなっているのだろう?ちょっとマイナーで目立たないテーマに思えるこの問題、実は意外と奥が深く、深淵なテーマのようである。

皮膚とは?

 発生的には皮膚と脳は兄弟関係といわれる。おそらく神経系統の起源は生体と外界との境目で接近―回避の判断基準となる快―不快の検知が原点であろう。快―不快は感情が枝分かれする以前の基本となる感覚でもあったと思われる。だからこそ「皮膚は露出した脳」ともいわれ、皮膚と心との密接な関係が説かれてきた。皮膚感覚は原始的であるとともに、根源的でもある。皮膚感覚は自己と外界との境界上に生じ、自己と環境との関係を直感的に捉える。鳥肌が立つ、身の毛がよだつ、とげとげした…といった表現からも皮膚感覚がただの知覚にとどまらず、対人関係のアンテナとしての役割も務めてきたことが分かる。なお皮膚は最大の臓器ともいわれ、体重の約16%をも占めている。皮膚を薄っぺらな表面に過ぎない…と甘く見てはいけない。

 感覚全体を分類すると以下のように整理できる。

 

 特殊感覚―視覚・聴覚・味覚・嗅覚・平衡感覚…専用の特殊器官で知覚

 体性感覚―表面感覚=皮膚感覚:触覚・圧覚・痛覚・温度感覚

      深部感覚:位置感覚・筋肉(運動感覚)

 内臓感覚―空腹満腹感・尿意・便意・内臓痛覚

 

 皮膚感覚では指先が最も敏感であり、神経が集中的に存在している。これは人類が直立二足歩行を始めてから指先で細かい作業をすることが多くなったからで、指先作業の必要性から派生的に生じたのだろう。皮膚感覚は他の感覚に比べて順応が起りやすく、順応によりすぐに感じられなくなるという特色を持つ。したがって触覚で物を検知しようとする場合にはなでたり、圧してみたりを繰り返す必要がある。また視覚や聴覚と違い、外界の刺激を直接的に知覚するのではなく、皮膚の変形や熱伝導による皮膚温の変化など皮膚自体の状態を検知している。したがって外界の刺激がなくなっても皮膚自体が変化していれば皮膚感覚は残り続けることになる。氷を10秒あて続ければ「冷たい」という感覚は氷を離した後でもしばらくは残る(皮膚温がしばらく下がったままだから)。つまり刺激対象が消えたとしても刺激信号はしばらく脳に送り続けられるということだ。

 深部感覚と皮膚感覚では皮膚感覚が優位である。双方の感覚が矛盾している場合は皮膚感覚が優先される。そのことによって「後ろ手の錯覚」も生ずる。手の甲の位置感覚が触覚に引きずられ、手の位置を誤認してしまうのである。

皮膚感覚:痛みとくすぐったさ

・痛みとは何か

 痛点は全身に100万~400万存在するという。痛点は痛みだけを感じるのではなく神経が枝分かれして密集している部分をいう。痛みには二種類あるらしい。ファースト・ペインとセカンド・ペイン。前者は高温や強い機械的刺激などでひきおこされた鋭い痛みで素早い逃避行動が生じる。当然刺激のあった部位をすぐに特定できる。後者は鈍い痛みで、刺激のあった後に痛みを起こす化学物質(ブラジキニン、ヒスタミン、アセチルコリン等)が作られ、これらが皮膚や粘膜の神経を刺激。さらに大脳に届いて大脳辺縁系の様々な不快感情をひきおこして痛みの原因を記憶に残し、危険回避の学習を促す。また安静を保つために行動を抑制する。強い刺激の場合には両方生ずる。なおセカンド・ペインが脳に達すると脳下垂体や視床下部などからβ・エンドルフィンなどが分泌され、痛みが抑制される

 痛みは主観性が強く、個人差も大きいらしい。子どもの痛みは親など周囲の反応が大きな影響を与えるという。また痛む部位へ意識が集中すればするほど痛みは増す傾向あり。ある実験では痛みを与える際に、見せる、拡大鏡で見せる、見えないように他の物体で注意を逸らせる…の三グループに分けて痛み刺激への反応を比べたところ、拡大鏡で見たときに反応が最大になり、見せないときに最小となった。注射を打たれるときには目をそらせたほうが一般的にはよいといえよう。

 第二次世界大戦中、イタリア戦線でアメリカ軍の軍医ビーチャーは野戦病院に運ばれた兵士たちが大怪我を負っていても痛みをそれほど感じていないことに気付いた。多くの兵士は怪我をしたことで戦場から離れられ、故郷に戻れることへの安堵感、喜びで一杯になり、痛みをそれほど感じずに済んだようだ。逆に痛みが大きいと思い込むと実際に感じる痛みよりも1.5倍も痛さを感じてしまうという実験もある。

 痛さの忍耐力に関しては民族差が大きいらしい。ラテン系の人は痛みに弱く、ネイティブアメリカンや日本人は痛みに強いらしい(痛みを我慢できることが勇気や忍耐力を示す美徳とされているからで、ネイティブアメリカンは痛みが限界を越えると人目の付かないところへ行って一人きりになってから呻くという)。またアメリカでは痛み=悪者と割り切っているので鎮痛剤の使用(一人当たり)は日本人の三倍もあるという。出産も95%、無痛分娩。ところが日本では「腹を痛めた子こそかわいい」いう考えが根強く、無痛分娩はなかなか普及しないらしい。また痛みには性差もある。女性のほうが痛みへの感受性が強く、他者への表現も多い。また男は痛みを認知して分析することに関わる「島」で、女は感情に関わる前帯状回で捉える傾向があるという。おそらく子育てに従事する女性は危機に際してそれを表情に出し、他者に対応してもらうことで子どもをも守ろうとし、男は危機に際して戦うのか回避するのかの選択を迫られることが多いからだろう。

くすぐったいとは

 もっとも謎の多い感覚。ヨーロッパ中世には拷問として足の裏(塩をぬる)をヤギに延々と舐めさせたり、徹底的にくすぐって死なせるという刑罰も存在。触覚と圧覚、痛覚などがブレンドされて生まれる感覚か?お笑い番組で笑うのとくすぐったくて笑うのは顔の表情が違うという指摘もある。くすぐったい場合、鼻にしわがよったり、上唇が上に上がったり、目の周りの筋肉がこわばったりする。これは不快を感じたときの表情に共通。快と不快の両方の感情が混じりあっているようだ。おそらく痒みと同様に皮膚に付いた寄生虫やノミなどの害虫の存在をいち早く知らせるために進化してきた感覚であろう。ただサルに見られるグルーミングのように、コミュニケーション手段としてのくすぐりもある。だから単なる不快ではなく、快の要素もやはり混じっている。エジプトのハトシェプト女王(3500年前)は足裏を孔雀の羽でくすぐらせてセックスに備えたといわれ、中世ヨーロッパでも「足裏くすぐり女」が宮廷に雇われており、エカテリーナ女帝などは専門の侍女もいたという。

皮膚と心

 アメリカの社会学者の実験で身体接触だけ(目隠しして話はしない)、見るだけ(話も接触もなし)、言葉だけ(目隠しして接触なし)の三グループに被験者を分けて同じ人物に会わせ、印象を評定させてみた。接触だけだと「信頼できる、暖かい」、見るだけだと「冷たい」、話すだけだと「距離がある」という印象が強くなるという。触覚は親愛的感覚をも伝達するのだ。その原点を新生児の反射行動に見てみよう。以下の二つがポイントとなりそうだ。

口唇探索反射…頬や唇に触れるとその方へ口を向ける

吸啜―嚥下反射…口に指などを入れると吸い付き飲み込もうとする

 赤ん坊が何でも口に含むのはまず物を認識するためという。生まれたての赤ん坊は極端に視力が弱く、そのかわりに手や指、舌や唇の触覚を通じて物を認識する基盤を形成していくと考えられている。もちろん、上記の反射はいずれも新生児が母親の乳房をまさぐり、母乳を摂るための生得的な反射である。そしてこれらの行動の副産物として赤ちゃんは母乳だけでなく、母親の乳房の柔らかさや肌のぬくもり、乳の匂い、抱きしめられた際の安心感…といった快感を獲得する。この快感が親との親愛的な関係の原点になるのだという。

※皮膚感覚における気持ちよさとは?:触れる速度は一秒に5cmがベスト。顔、特に口唇部はベルベ

 ットで触られると気持ちよい。指や手のひらも気持ちよさを感じる部位。また性感に通ずる感覚とし

 て人間が最も快く感じる振動刺激は心拍に近い0.8秒間隔の振動。ゆっくりとした圧刺激も快だとい

 う。

 ハーロー(アメリカの発達心理学者)の代理母実験(1961年)がこの点に関しては有名となった。彼は生まれたばかりのサルの赤ちゃんの檻に針金でできた母親の模型と、同型だが毛布を巻いた模型の二体を入れて観察してみた。すると仔ザルは毛布を巻いた模型から片時も離れようとしなかったという。さらにミルクは出るが針金でできた母親のもとでしばらく暮らしたサルは神経症的な行動が目立つようになったという。スキンシップの重要性が世界的に喧伝された実験であった。

 世界各地で「スウォドリング」と呼ばれる風習がある。乳幼児を布でグルグル巻きにして包み込んでおく。すると赤ちゃんは触覚的な刺激が増えて軽く抱きしめられているような感覚になり、ストレスが減少するらしい。親とのスキンシップなどによって赤ちゃんの体内ではドーパミンという神経伝達物質が分泌される。ドーパミンは快感を生み出すだけでなく、親子を結びつける働きをするホルモンのオキシトシンを視床下部で分泌させる。オキシトシンも神経伝達物質で、近年、他人との信頼を高めたり、親密な行動を生み出す物質だと判明してきている。一方、不安や恐れも扁桃体の判断によって視床下部から生み出される原始的な情動であり、他人との接触が快となるか、不快となるか…は乳幼児期からのスキンシップのあり方に関わっているようだ。各種の調査などから乳幼児期に親とのスキンシップが十分な子どもは、本来不安をもたらす人との触れ合いを快く感じるようになると推察されている。

 参考文献:「皮膚感覚の不思議」山口創 講談社ブルーバックス 2006

 

 後編に続く