かめ新聞 -124ページ目

続・剣持勇と親父の椅子


 かめ研修旅行の途中、ようやくと言っていいのか念願だった剣持勇「籐丸椅子」の日本でたった一人の製作者佐野さんの仕事場を訪れる事ができた。毎月10個程度の丸椅子を製作しているとのことで、伺った時も骨組みの段階や編み始めた段階から完成した椅子までいろいろな制作過程を目にする事が出来た。子どもの頃から見慣れた仕事場の風景だが、佐野さんの表情や仕草までも昔の親父によく似ていて実に不思議な感覚を味わった。

 以前紹介した親父作の丸椅子も見ていただくことができた。本家に真似事の椅子を見せる訳だから心配もあったが、話している間ずっとその椅子を手に取って見て下さり「なかなかよく出来てる」と笑顔で言っていただいた事は何よりもうれしかった。写真のように親子で記念撮影!

 籐職人は日本にはもう数える程しかいない。それもほとんどは高齢者となった。籐自体が日本には生育していないうえに、圧倒的に東南アジアの手間が安いから、残念ながら日本の職人は淘汰されてしまう。微力ではあるが、これから少しずつブログで籐製品を取り上げつつ、籐という素材の可能性を紹介していきたい。家具はもちろんだが、建築の素材としても籐を活かしていく道を探っていきたいと思う。

町のひとと旅人の湯 西山温泉体験レポート


山が赤く染まる11月、紅葉を期待しつつ山梨県早川町西山温泉に見学に行ってきました!

図面や模型、現場進行写真で出来上がるまでの姿を追ってきたので実物をみるのを楽しみにしていた。夕暮れの時間を狙って現地に到着。思っていた通り、いやそれ以上にこじんまりとした姿。かわいらしいさくら色の受付の小屋がちょこんとこちらをむいて迎えてくれている。そのうしろには、ぽん、ぽんと配置された、もみじとおんなじ色をした脱衣小屋と洗い場。
これらが放射状に散らばり、その合間をあか色の幕で仕切っている。色づいた山と渓流という贅沢な景色をちょっとお借りしますという感じに。
わたしたちは温泉ですっかり暖まり裸の姿で渓谷をのぞいたり、モミジを愛でたり、芝生にころがったりと楽しんだのでした。

日も暮れてくると地元の人たちが連れ立ってやってきて世間話をしながらこの場所を利用している。もみじが綺麗ネ~、あら去年のほうがすごかったのよ~、なんて。来年も再来年もこの場所で紅葉を見ることができるなんて少し羨ましいです。
なん

久田子の集落 秋の小旅行レポート

早川に沿う道をはずれて山を越え谷を越え、さらに深い山の奥を進んでいくと、すり鉢のようなお椀型の土地に小さな集落があった。この集落へ行くためには「久田子四十七曲がり」と呼ばれているらしい絶壁の山に沿う細い道だけ。

周りをぐるりと山に囲われた小さな小さな盆地にわずか数件のトタン屋根の家がポツポツと存在する。集落の大きさはおよそ直径が100メートルほど。

先祖代々耕されただろう畑に家族必要なだけの野菜の種を撒き茶の木を育てて暮らしているようす。完全に自給自足は無理だろうけどこのお世辞にも便利とは言えない土地で彼らなりに暮らしが丸く納まっているのかな。家の周りにはその家族のための小さな畑があって家族の食べる分だけの白菜やお茶やネギやキャベツ、いろんなものが植えられていた。ちいさなおばあちゃんがせっせと畑を耕している。こうやって春や夏や秋や冬が回っているんだろう。

どうしたってこの山奥で暮らしていくのは不便だろうし過酷に思うのだけどなぜだか惹かれるものがある。
勝手だけどここでの暮らしはいつまでも変わらないでほしいと思ってしまう。

なん
 

流行建築通信8/うそ


 折れた煙草の 吸いがらで
 あなたの嘘が わかるのよ

 子どもだった頃、この歌の世界が、僕にとってのあこがれの大人そのものだった。中条きよしの名曲「うそ」(1974年)の歌いだしである。こうして時代は徐々にさかのぼっていってしまう。
 JIA(建築家協会)主催の「かつて住宅には思想があった・大高正人が語る前川國男の住宅(自邸)」を聴講した。前川國男は戦中戦後を生き抜いた数少ない本物の建築家である。この歌と同じように、この時代の建築家にも大人の世界をいつも感じる。別にノスタルジーではない、ロマンティックなのかと言えばよくわからない。
 このあこがれは何だろうと思う。僕がその時代を知らないというどうしようもない事実。自分の知らない世界、体験できない世界はどうにも魅力的なのだから仕方ない。
 この講演会のタイトルに反して、大高さんの次の言葉が印象に残った。「前川自邸は前川さんそのものなんです」。これには進行役の阿部仁史氏も言葉を失った。つまり前川自邸は思想なんぞではなく、前川自身なのだと。これはよかった。以前、忌野清志郎が「清志郎さんにとってロックとは何ですか?」と聞かれた時に「俺そのものです」と答えていた。そう言い切れるだけの人間や建築がひとつの到達点かもしれないし、その態度にあこがれを感じているのかもしれない。

かめ研修旅行・秋

 

夏に続き、秋のかめ研修旅行に行きました。スタッフ3人に友人が参加し、4人での1泊2日の旅でした。新宿~本栖湖~下部温泉~西山温泉~富士山5合目~新宿と、秋の紅葉を楽しみつつ、人と風景を巡る旅となりました。

 A 念願!剣持勇「籐丸椅子」のルーツをたどる
 B 早川町の世にも珍しい集落を訪れる
 C 夏に竣工した「西山温泉湯島の湯」に入る
 D 温泉現場の棟梁の家にみんなで泊まる
 E  富士山をぐるりと巡り、5合目に立つ

では、研修レポートをおおくりしていきます。
なんちゃん、はじめましょう。

グッドデザイン賞


 今年も1000件を超えるグッドデザイン賞GOOD DESIGN AWARDが発表されました。世界遺産登録のように受賞作品が増えれば増えるほど当然賞の価値は薄らぐ。薄らいだ頃にはそのものの価値が一般化されたのだと納得すればいいのでしょうか。

 さて、自分の身の回りに長く愛用している持ち物はありますか? 実家で暮らしている人には多いかもしれません。漫画や小説、レコードなら押入や本棚に、そうじゃなく、いつも身の回りにあって使っているようなものの話です。

 そう考えて見回してみると、あるある。結構物持ちがいいのかもしれない。
 1位)目覚し時計(SEIKO)これはたぶん23年
 2位)レコードプレーヤー(DENON)これは21年
 3位)電気シェーバー(TOSHIBA)これは19年
 これまで何度も引っ越しをしていますが、その度よくついてきたもんです。シェーバーに至っては、刃も一度も換えた記憶がありません。刃の掃除だけはかかさずやっていた気はします。TOSHIBAに話したら喜ぶだろうな。

 同じ機器でも、今身の回りには携帯電話やデジカメ、パソコンなど愛用の物は増えた。でもそれらを20年後まで使い続けているとはとても思えません。なんだか、わざわざ新機種を出し、買い換えをせかされているような時代です。まぁ、安いヒゲそりを20年も使われては、企業は商売にならないんだろうけど・・・
 エコロジーなどと騒がしい世の中ですが、「リサイクル」よりは「リユース」がいいし、できれば「リペア(手入れ)」がいちばんいい。でもやっぱり「修理するより買った方が安いよ~」なんて店員に言われると考え込んでしまいます。

赤ちょうちん横丁

 

酒場の迫力という意味で、北海道の道東に残る小路は身も心にもしみる。冬の寒さがさらに客の気分を盛り上げる。迫力というのは、生活の迫力である。店の人はどこか孤独をかかえながら、明るい、哀愁なんて安っぽいものでもなく、そんな雰囲気がとても好きだった。憧れかもしれない。

 もう8年がたつ。建設現場に常駐していた頃の話になる。釧路に「赤ちょうちん横丁」という横丁がたぶん今もある。70歳を超えた現役のママがいたりもした。横丁の入り口に「赤天狗」という焼き鳥屋があった。店は2坪あったかどうか。トリケラトプスにそっくりな80歳を超えた親父だった。

 「摩周の水」という謎なカクテルが名物だった。グラスの底でカウンターをダンと叩く、大きく叩く。そうしないと親父は注いでくれない。この仕草の気恥ずかしさに慣れた頃に常連となる。これを飲むとなぜか1、2杯でフラフラになる。現場の帰りにひとり足が向かった。あの親父は今どうしているだろうか。そろそろ釧路はシバレルね。

ところで、住宅は余っている

 

 日本に建っている住宅の数は、世帯数よりも多いという事実をご存知だろうか。 

 総務省統計局は5年に一度国勢調査を実施しているが、土地・家屋についても5年に一度調査を行なっている。これによると、2003(平成15)年10月1日現在の総世帯数は4,716万世帯、総住宅数は5,387万戸とある。つまり住宅の数は世帯数の1.14倍、空き家の数は約670万戸ということか。空き家の数が総住宅数に占める割合(いわゆる空き家率)は12.5%にもなるから驚きだ。仲間同士で身銭を切れば、好きな田舎に別荘のように一軒家だって持てるかもしれないぞ。

 それでも新築工事はあとを絶たない。近所では、コンクリートの大邸宅が壊されたかと思ったら、そこに強引に5棟のハウスメーカー建売住宅が建った。こんな調子だから住宅は余るはずだ。でも庭の一つも取れないこんな建売では売れるわけないよ、と思っていたが、最近とうとう5棟全てに明かりがともった。量から質の時代へ、なんてどこ吹く風?日本人のセンスを時々理解しきれなくなる。

流行建築通信7/六本木心中


 だけど こころなんて
 お天気で変るのさ
 長いまつ毛がヒワイね あなた

 メールだって、だ、で終わるか、だよ、で終わるか、消したり付けたりするじゃないか。いい歌詞は一字一句吟味され、尽くしている。限られた言葉数の中で伝えきるためには、聞き手の想像力を利用するし、言葉を限るほど、読み違えを許してしまうこともおこるんだろう。あえて、いろんな解釈を取れるように作られた歌もある(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」はその典型か)だろうが。言葉を気安く並べる説明的な歌詞には想像力も働かないし心は動かない。ただ、読み違えるギリギリまでも言葉を落とし残った言葉には力がある。

 「だけど」
 このいかにもな唐突、せわしなさこそが、時代の気分だったろう。
 「ヒワイ」
 この言葉にこの曲の全てがある。ピッタリだ。つまりこの言葉があると無しでは、曲が違ってくるということ。

 建築はディテールで決まる。たった言葉一つが、曲の全体を左右してしまうのと同じように、ディテール(部分)が、建築(全体)を決定することが起こるだろうし、その逆に、建築(全体)を台無しにする事もあるだろう。これしかないっ!というディテールまで詰めきれていない自分に帰り、今夜も酒を少々、浅川マキを聴き、歌から建築を学んでいる。

ニッポンイチの風景/西新宿5丁目編

 東京都の一世帯当たりの人数は減少し続けており、2005年現在で2.2人になるという。少子化が要因になっていることはもちろんだろうが、東京の場合、単身世帯が全体の4割を占めていることが影響している。この割合はもちろん日本一。したがって東京は至る所ワンルームマンションなのだ。最近では独身の人が、家を建てたりマンションを買ったりする話を耳にする。一生独身と開き直ったわけでもないだろうが、家の一つでもないと嫁も来てくれないという思いもあるらしい。

 首都圏の昨年のワンルームマンションの駅別供給戸数では、かめ設計室の最寄り駅である「西新宿5丁目」が堂々の第一位なのだという。近所を歩いている人の半分くらいは独身なのかなぁと想像がはたらく。そういえば、夜のコンビニはかなり繁盛しているし、至る所マンション建設ラッシュである。昨年だけでこの辺りには3000戸以上が供給されたらしい。どうやら近所にこそ仕事の種がいっぱいあるのかもな。

 ちなみに首都圏に立地する平均的なワンルームマンションは分譲価格が2186万円、坪単価が321万円、専有面積が22.53平方メートルとなる。これを賃料約9万5000円で貸し、5.22%の表面利回り(年間賃料を分譲価格で割った割合)を得ているとのこと。これは僕たちには関係のない不動産投資家の話。せめてせめて設計できたらと願っている。