石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -49ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 いつの頃からか、毎正時ちょっと前には天気予報を見るようになった。朝6時にも7時にも8時にも。気付けば夕方帰ってから寝るまで1時間ごとに。

 おかげでチャンネルごとのお天気おじさんやお兄さんお姉さんを覚えてしまって、まるで知り合いかのように「○○さんが今日は雨だって」とか話している。


 もちろん、天気が気になるからであって、雨に遭いそうなら折り畳み傘、気温が高そうなら半袖、と持ち物服装を決めるために見ている。


 が、こんな頻度で見る必要もないはず、とあるとき思った。そして気付いた。

 見る番組が年々狭まって限定され、その中で残った究極が天気予報なのだ。


 かしましいアナウンサー、苦手なタレント、俳優が出ている情報番組やドラマは見なくなった。勢い、うなずけるなあ、ミニ知識がつくなあ、この人好感持てるなあ、などと、納得する物、性が合う物に偏ってくる。


 最終回を迎えるまでは、天気予報の次に習慣だったのが「いいとも」だった。気付くと「ミュージックステーション」とか「ボキャブラ天国」(古っ)とか、タモリばかりを見ていた頃がある。特にタモリが好きだったわけではなく、好きな番組にタモリがいたのだった。今もうっかりすると「ブラタモリ」。つまり、タモリと相性が合っている(ごめんなさい、一方的です)らしい。


 最近だと、あれっ、と思うと谷原章介が出ている。見る番組にやたらと彼がいて、何だか馴染んだお友達のようになってきた。この人、「ハンサムスーツ」のときのはじけっぷりを見てから大好きになってしまった。


 林先生もそうだ。「いつやるの? 今でしょ」のCMを初めて見た時は、この塾絶対行きたくない、と思ったものだが、バラエティに出るようになってから覆った。気さくで気取らなくて物知りで教えるのが上手い。


 林先生、「ネプリーグ」(フジ)も好きだが、一番好きなのが「グッド!モーニング」(テレ朝)の「知っているとちょっと得することば検定」という5分くらいのコーナー。「今日のことば」自体、毎日1つずつお利口になる気がして興味深いのだけど、三択の一つに必ずあり得ない「ボケ」がある。正解よりついそっちを先に考えてしまうほど気になるスベり加減。それを作ったスタッフへの「ツッコミ」や、ちょっと横道に逸れた方面への妙に力んだ解説も、先生の明るいお人柄が表れていて愉快。


 CSを入れてから、地上波はあまり見なくなった。余計なゲスト解説とか前振りが全くなくて、見たいもの自体を堪能できるからだ。これに慣れると地上波の番組の作り方について行けない。だから、厳選してしまう。


 というわけで、今日もお天気と谷原さんと林先生の番人です。(了)

 

 

 

 

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 夏休み、涼しい高原に数日避難。そこで湿原を散策したりしてみたのだが、そのときの出来事。

 

どしゃ降りの雨上がり、道は水溜まりだらけ。場所によっては端っこの、水はないけどかなりぬかるんだ細い泥の上をそろりそろり渡るような状況。

何回目かに、対面の男性がちょっと待って先を譲ってくれた。感謝しつつ、不安定な足取りでズルリ、「おわっ!?」みたいになった瞬間、彼は反射的にこちらを助けるように手を出した。

どうにか踏ん張ったのでその手を借りることはなかったのだが、欧米系の若い男性だった。さすがである。全くの自然体なのだ。

多分、幼少から「男子たるもの女子には常に手を貸すべし」とか育てられ、普通に身に付いている挨拶的な最低限のマナーなのだろう。

 

思い出したのが昔観た映画「フットルース」。高校生の男の子が、車から女の子が降りようとするのを制して運転席から降りるシーンがあった。グルリと車の後ろを急ぎ足で周り、女の子のためにドアを開けてあげる。それをやってみたくてしかたない、ジェントルマン準備生みたいな。

あれを観た時の衝撃といったら。だって普通の高校生でしょ? 未成年でしょ? 要はガキんちょだよね? そんな子供が、ケンカはしたってエスコートなんて、日本じゃ全く見たことないし。

 

何かのバラエティーでの実験を見たことがある。年配男性に、奥さんが座るとき椅子を引いてやるというもの。

これがダメダメ。やり慣れていないのでタイミングが計れない。奥さんが「どうしたの? 何か忘れ物?」とか心配し出す始末。奥さんの方もそんなことに慣れていないので、いぶかしんでしまうのである。

 

何年か前、電車で気分が悪くなって、駅でしゃがみ込んでいたことがあった。その時真っ先に心配してくれたのが外国人の方。当たり前のように立ち止まり、「Are  you  ok?」と聞いてくれた。とてもありがたくて涙が出た。

それは女性だったが、同じことだろう。男性が女性を大事に扱う、ということは、弱者、困っている人への親切に通じるんじゃないだろうか。席を譲ったりの小さな親切ですら、照れが入ってしまう日本人。文化的な問題なのか、初等教育に違いがあるのか。

 

まあとにかく。

自分がくだんの湿原の彼にほわんとなったのは言うまでもない。

しかし、それがもしうちの旦那だったら? それこそいぶかしみ、内緒の借金でもあるんかい? と勘繰ってしまうこと間違いなし。

 

 悲しいほど日本人。

 男性側がこなれていなければ、女性側も居心地が悪いのだ。

 けれど、大事扱いされることは嬉しいのだと、たまに王子様に出くわした時に気付く。(了)

 

 

 

 

 

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 巷では「一芸家電」が人気らしい。ゆで卵だけを作る器械、ピザ窯、ヌードルメーカー、アイスクリーム専用スプーン、USB電動うちわ等々。


 確かに魅力的だけど、一度使ったら満足して放置し、機能細分化に一対一となる機器の置き場所に四苦八苦、という危険は大。


 だから多機能がよい、と思う。コンパクトで場所を取らず一台であれもこれもこなしてもらえれば、便利便利。

 ……と思って失敗した人は大勢いると想像する。自分もその一人。


 うちのイエデンの話である。

 FAX、スキャナー、プリンター、コピー、そして電話を兼ねた画期的なお利口家電。大きさは、大体35×40×10のコンパクトさで、お値段も手頃だったため飛びついた。しかしそんな数年前の自分を愚かだったと笑える。


 最初はその多機能にうっとりしていた。しかし目が覚めたのはプリンターのインクが切れたとき。結構な頻度で訪れるこの状況のたびに全ての機能がストップするのである。留守電も聴けない(これに関してはまもなく裏技ボタン押しで何とか打開した)。


 とにかく「インクを変えて下さい」表示が画面に出っぱなしで、他のボタン操作をさせてくれないのだ。

 それでもプリンターが使えた時は渋々従ったが、紙送りの型が壊れた。しかもその部品はもう生産されていないという。

 紙送りがダメなんだからコピーもダメ。で、別のプリンターを買いに走った。


 プリンターとしては使わなくなったというのにインクなしでは他の機能まで使えない。お利口どころか融通の利かないあほんだら。

 FAXはコンビニに走り、そのうちメールの発達につき、ほとんど不要になった。

 残るはスキャナーだが、裏技ボタンを駆使すれば何とか、というレベルで、それがめんどくさくなり、これも単品で買い直した。


 結局、どでかい電話と化しただけである。しかも最近は子機の液晶が壊れて映らなくなり、プッシュした番号の確認もリダイヤルもままならない。


 ーー要らないな、これ。


「インクを変えて下さい」表示を見るたびそう思う。なのになぜイエデンを残しているかというと、メールと連動しているから。

 長年使い続けたパソコンのメアドは、NTTを解約すると解除となる。友達や勤めの連絡先ならスマホにも登録してあるが、ネットショッピングやメールマガジン、何らかの会員、ブログのあれこれ連絡、などが全部このメアドなのである。把握しきれてないものも絶対あって、移行するのが億劫……。


 結局はプリンターもスキャナーも二台ずつ、電話はスマホですませていることになり、全然場所の節約にもなってないし、全然便利遣いもしていない。


 電話は電話。プリンターはプリンター。使いこなせる器量のない自分には「一芸家電」が一番だ。壊れた時に、それだけですむ。いまだ部屋の真ん中にどっかり居座る「インクを変えて下さい」ボックスを見るたび思う。(了)

 

 

 

 

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 これが悩む。恐らく物を書く人はみんなそうだと思う。

よく言われるのが、内容が集約されていて、かつネタバレしない、お? 何だろう? と興味をひくもの。

難しい。

ジャンルにもよるけれど、私がもらったアドバイスは、それに加えて7~8文字以内、正反対の言葉の組み合わせ、普通は漢字で表記するものをひらがなにして柔らかさを出してみる、とか。

 

私の場合、タイトルが先に決まっている方が断然書きやすい。

テーマもキャラも作り込んで、ハコにエピソードが並び、ベタ書きが8割進んでもまだ浮かばない……となると、相当苦しい。

その前後にタイトルが決まったとしても、それに合わせたエピソードやテーマとの繋がりを書き直したり加えたりする必要が出てくる。そうすると、大抵流れが悪くなり、また悩むことになる。

 

物語を書き終わってしまってもまだ決まらず、アホなことになった経験がある。

上がり症で人前のスピーチが苦手な人が、それを克服していく話だった。

悩みに悩んだあげく、スピーチを歌に見立てた象徴として「カナリア」を入れ、開眼するわけだから「夜明け」かな、でも片仮名が入ると固いかな、とか迷走し、「かなりあの夜明け」となる。

考えすぎて何だかもうわかんないけど、ま、いっか、と友人に見せたら、「かなり、あの夜明け、って何?」と首をひねられた。

日本語って難しい……。懲りすぎてもいかんのです。

 

人によって好みがあるだろうが、私は「フォレスト・ガンプ」など、名前そのもののタイトルはあまり好きではない。

 

少女マンガの往年の名作、「ガラスの仮面」「ベルサイユのばら」などは秀逸だと思う。

前者は仮面が演劇を示しているし、役者本人の感情がガラスの繊細さで隠されているという意味もわかる。

後者はフランス革命の中の女性達の話だということが、鮮やかに表れている。

そしてどちらも語呂がいい。

 

かなり前の映画だが、うまいと思ったのが、「ヒーローインタビュー」。野球選手と記者の恋という話の骨格が一言で表されている。

 

小説ならば「八日目の蝉」。蝉が地上で七日しか生きられないことはよく知られているので、八日目って何? と思わせるし、もの悲しさやしんどさまでも感じ取れる。

 

個人的に目指しているのは、何年か前の「PA」という少女漫画。読みきり連載で、毎回副題があった。

「そのときロミオは16だった」「ショパンの正しい楽しみ方」「吉宗とティータイム」「ジャック・ザ・リパーへの伝言」「サロメの口づけ」。

毎回有名人の名前を入れることにしたというが、どれもしゃれていて、内容の集約なのにネタバレせず、かつ何だろうと思わせる。

タイトルが浮かばなくて悶え死にしそうなときは、ここへ立ち返ってみる。(了)

 

 

 

 

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 朝の眠気を振り払うためにコーヒーを一杯。仕事あるいは書き物の作業に集中力が切れてコーヒーを一杯。お酒の酔いを覚ますためにコーヒーを一杯。

 

 どれもよくやる。ただし私の場合、胃がもたれる&トイレが近くなり過ぎるといった理由により、一日二杯までと決めている。どのタイミングでその二杯を取るか、非常に悩むところだ。

 

「違いがわかる」ような舌を持っている訳じゃない。コンビニの百円コーヒー、もしくはスーパーにある一人用ドリップコーヒーでも全然大丈夫な人間だ。だから、本当に眠気を払っているか? 本当に集中力の回復に繋がっているか? 酔い覚ましになっているか? と聞かれれば、そんな気になる、という程度の答えしか返せない。

 

 学生時代は紅茶しか飲まなかった。それが、いつのまにか外食では必ずコーヒーを頼むようになった。休憩のたび自分で淹れるのも必ずコーヒーで、紅茶だと刺激不足と思うようになったのはいつからだったろう。

 

 ここ10数年、カフェ巡りが趣味の一つになっている。我が家の近所、カフェ天国なのだ。

 ゴージャスなパンケーキが売りのA店、ワッフルがイケてるB店、ハワイアンカフェC店、本格コーヒー&タルトタタンがイチオシのD店、新装のオーガニックカフェE店、こだわりの牛乳を使った絶品ソフトクリームのあるF店など、ローテに困るほどだ。

 

更に最近、自治体が「カフェ特集」なるスタンプラリー的な冊子を出しているのを発見した。で、早速昨日、その中でまだ行ったことのない店を訪ねてみた。

住宅の一角の、洞窟のようなおしゃれな外装。それを見ただけで小躍りしてしまった。中はコーヒー豆の袋がそのままインテリアになっていたりする、居心地の良いスペース。トマトカレーランチが酷暑にものすごくマッチして蘇った。これにコーヒーが合う。即座にリピーターになる決意を固めた。

 

 もしかするとこの趣味は、「コーヒーを飲みたい」というよりは、そういう素敵な空間に身を置きたい、ということなのかも知れない。「カフェ」なる分類にはそういう雰囲気を感じる。パリとか外国のオープンカフェに憧れるのもその延長かも。「美味しいコーヒーを出してくれるお店は素敵におしゃれで落ち着く」気がするのだ。

 

なわけで、いわゆる「コーヒー好き」を自称するにはおこがましいレベル。「恋に恋する」じゃないが、仕事中の一服にしても「コーヒーを飲むと頭が冴える」気がするので、「コーヒーを飲みたくなる自分はすごく頑張っている」気がする……だけなんじゃ?

 

けれど、あの苦み、あの香り、あのほっこり感。こんなエセコーヒー好きでも、欠かすことは考えられない飲み物である。(了)

 

 

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 今、パソコンで文章を書く人は、やっぱり大多数がワードを使うのだろうか。


私は一太郎派である。もしかしたら絶滅危惧人種かもしれないが、どうしてもワードに乗り換えきれずにいる。


メール添付で送るときなど、大抵一太郎は断られるので、そこそこワードも使う。でも、どうも使い勝手が嫌いで、完全移行ができない。


たとえばページ設定。20字×20行で設定しているのに自動的に勝手に19とかになったり、急にページ最後の1、2行が空行になったりする。

私はそんなことは望んでいないのに、よかれとワケわかんない調整をしてくださる。


今何行目の何文字目かを知りたい時がある。でもワードは全体の文字数を示してくれるだけで、一見してそれがわかる表示はない。


三文字下げをよく使うのだが、そのたびにインデントをマウスで操作しなくちゃならない。キーで何とかならんのか。


一太郎ならそんな嫌がらせをされることはない。ワードに慣れている方からみれば、初心者レベルの、ちょっとしたことですぐ解決できる悩みなのかもしれない。が、ワードというのはこれらをどうにかしようといろいろトライするときに、ものすごく当たりがつけにくいのだ。


パソコン内蔵の一太郎の前は、ワープロ機器を使っていた。一太郎は、ページ設定にしろ、タブにしろ、他社であろうとワープロというものを使い慣れていたら「この辺をいじってみればどうにかなるだろう」という想像がしやすかった。当たりがつきやすかった。だから移行してもそんなに戸惑わなかったのだ。


そういうわけで、結局いまだ基本は一太郎で打って、それからワードに変換する。修正があれば一太郎で直してからワードに変換して上書き。そして細かいズレをそのたび直す。これがめちゃくちゃめんどくさい。


コピペすればいいかと一太郎→ワード、ワード→一太郎と両方やってみたが、前者はまあまあうまくいく。けど、後者。どうもワードは何やら文字裏の設定まで持って行くような感じ(実際はどうなのか知らないが、そんな重たさ)で、一太郎へのペースト作業自体にも時間がかかるし、やっとできたと思ったらページ設定は崩れるし文字の大きさは変わっちゃうし、散々。


だから一言二言の修正なら直接ワードを直してしまったりして、時間をおいてから一太郎を開いたら、その修正が反映されてないバージョンでビックリすることもある。


やっぱりワード一本にしぼれば一番楽なのだ。管理も修正も。

でも、ものすごくキライ。

よくセットになっているExcelはとっても使いやすく好きな表計算ソフトである。パワポも大好きだ。

なのに、なぜこうもワードとは相性悪いのか、私。そういう方、他にもいませんか。。。


(了)

 


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 今更だけど、漫画「ちはやふる」にハマっている。百人一首のカルタ取りで、主人公の千早が天性の「耳の良さ」(=「感じがいい」というらしい)を生かして強くなってゆく話である。

 

 こういう部活が高校にあって、その大会なるものも結構体系立っているというのを初めて知った。ちょっと驚きである。毎年かるたクイーンの決まる中継は見ていたが、それは特別な試合だと思っていた。

 

それでも実は自分、経験者なのである。エッヘン。

 

とは言っても、希望者だけがそれらしく学内で勝負、という、つつましい感じの、まあ高校時代の思い出作り的なものであるが。一応、ペアで源平合戦という形で、作戦を練って臨んだ。いやあ懐かしい。

もちろん、一応百首覚えた。いや、百首の、上の句の出だしと下の句の出だしだけだけど。これだけでも今考えると自分自身を尊敬してしまう。

 

「ちはやふる」のコミックスには、表紙の返しに毎巻一首が挙げられ、解説がある。それで巻ごとにその上の句だけを見て下の句が出てくるだろうか、と試してみた。すると……。

驚くべきことに、結構覚えていた。もちろん瞬発力もないし、他の句とごっちゃになってるのが大半だが、「むすめふさほせ」の一字決まりと自分の好きだった何枚かは、ちゃんと出てきたのである。

へえ。やるじゃん、私。

 

昔から記憶力には自信がなかったので、意外だった。しかも、意味を抑えて覚えたのならともかく、「立ち別れ」→「まつとし」とか、「風そよぐ」→「みそぎぞ」とか、全く歌は分断、ただただ記号のように暗記。よくぞまあ頭に入ったものだ。

逆に下の句を見て上の句を連想、なんて練習もしたっけ。今は棒暗記なんて世界で最も嫌いなものであるが、このときは結構楽しかった覚えがあるので、若さとは不思議である。

 

歌謡曲でも、その年齢の頃までのなら歌詞をソラで歌えたりする。2番だってそこそこ大丈夫。ベスト盤ブームの今、じっくり聴いてみて今更「こんな歌詞だったのか」と知ってビックリすることもある。

 

社会とか理科とか、嫌いだった科目の、歴史の年号だとかナントカの法則とかもそうだ。さっぱり意味を思い出せなくても、言葉だけは結構出てくる。

 

何歳かを過ぎた頃から、これが全くダメになった。意味を考えながらでなくちゃ頭に入らない。で、そういう風に理屈で覚えたものはあっという間に抜けていく。欠片も残らない(涙)。

 

そう思うと、若い頃の「詰め込み教育」はそう悪くないと思うのだ。もちろん行き過ぎは問題だが、あの年頃には入る。入ったら残る。

 

 だから、学生のみんな、今のうちたくさん勉強しておきなさいね……と、親なら言うだろう。自分が言われてた頃は「うるさいなア」としか思っていなかったけどね。(了)

 

 

 

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 先週の訃報が信じられなかった。出演作が多いせいか、テレビを点ければいつでも会える、と思える女優さんだったから。


 野際さんの印象は、いつだって有り余るくらいのパワーと輝き。享年81歳と聞いて、そのギャップに愕然とした。


 おそらく私と同じ人は多いだろうが、野際さんを初めて認識したのは、「ずっとあなたが好きだった」の冬彦さんの母親役である。


 着物を優雅に着こなし、その装いに合う上品な立ち居振る舞い、言葉遣い。だからこそ、息子可愛さの余り嫁へ向けられる憎悪が、どれだけ恐ろしく見えたことか。見た目がとても素敵な分、内面の歪みを際立たせたのである。


 57歳という歳で「見た目が素敵」を演じられるのは、内から出る魅力をも放つ役者さんだからだろう。この年頃は、上っ面だけきれいにしても「素敵」にはならないだろうと思うから。


 その後も「ダブル・キッチン」「誰にも言えない」「スイートホーム」「私の運命」など、最近の「やすらぎの郷」に至るまで、そういうインパクトがどの役にもあった。

 元アナウンサーということもあってインテリな面も出せるし滑舌も良く。頭の硬い役でもコミカルな愛嬌がのぞいたりして、ご自身の性格が表れていたのではないかと思う。


でも、私が一番覚えているのは、「SMAP×SMAP」のビストロのゲスト。

調べてみたら、もう20年以上も前のことだった。これは、希望の料理をオーダーし、SMAPのメンバーに作ってもらうというコーナー。


野際さんは、ハンバーガーを注文。お皿に載っていてナイフとフォークで食べるタイプの。記憶があやふやだが、海外で食べたそれが忘れられないとかいう話だったように思う。


この時点で「さすが野際陽子」と思ったものだ。この年代で、こんなおしゃれなこんなカッコイイ、そしてこれほど似合う注文をできる女性はそういない。


それがあまりに印象的だったため、私はその後「ナイフとフォークで食べるハンバーガー」のお店を探しまくった。

マックやロッテリアでなく、お皿の上に、パンの上半分がひっくり返されてオニオンリングやサラダと共に添えられた、お肉がステーキみたいなやつである。


今ほどネット検索も充実してなく、扱う店も多くなかった。それでもどうしても食べたい一念で見つけたそのお店、今もお気に入りで通っている。訪れるたび野際さんを思い出す。


近々また食べに行こう。そうしたらきっと思う。

こういうものを何十年も前に、海外がそう近くもなかった中で、現地で口にした。

野際さんの演じた役から発せられる芯の強さは、そういうことと無関係じゃないだろうと。


 心からお悔やみ申し上げます。(了)

 

 

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  年々、時間の経つのが速まる。最近じゃもう単位はマッハである。


週ごと、月ごと、季節ごと、やりたいことが半分もできないうちに過ぎていく。こないだ夏が終わったと思っていたらもう梅雨入り? なんてことばかり。嫌になる。


時間の感じ方に違和感があるのは、気まぐれな「時間の女神」が、楽しい時間や退屈な時間の長さを操作したり、時間の使い方がこなれてきた年齢順に持ち時間を減らしたりしているからだ、という話を書いたことがある。→ 「時間の女神」(エブリスタ投稿)


が、そういうファンタジックな理由ではない、ということに最近気付いた。


先日、人間ドッグで引っ掛かった項目の再検査を受けた時のこと。予約したにも関わらず、2時間待たされた。

そこでうつされたのか、気管の調子が悪くなって咳が止まらなくなりまた病院へ。ここでは大して待たされはしなかったが、それでも検査、治療、会計、ドラッグストアへ回って薬の購入、と、通院の往復合わせて3時間はかかった。それで疲れて仮眠……結局どちらの日も丸1日潰れてしまったのだった。


歳がいくにしたがって、細かい雑事とでもいうべきことにかかる時間が増えている。なのにこういったちょいちょいの面倒が積もり積もって圧迫されていることが計算に入っていないのである。


例えばスポーツしようとしても、若い頃は始めて終えるまでがかかる時間だった。それが今は、準備運動、整理体操、アフターケア(マッサージやらアイシングなど)全部合わせて倍はかかる。


どこかへ出掛けるときも、忘れ物やガスの消し忘れが気になって帰ってきたりする時間が余分。出がけのハプニング、例えば予定の服がほつれていたなどの事態にも弱くなり、替えの服をさっと選べずに時間が過ぎて行く。


 化粧にしてもノリの悪さや隠したいもののために余計に時間がかかり、手や肌のかさつきやかゆみの実害に対応するためのハンドクリーム塗りにも要する時間は増え……(え、若くてもフツーにそのくらいやりますか。そうですか……)

髪や歯や目のメンテナンス頻度も若い頃の倍々だ。


簡単な原理。

要するに、使える時間の絶対量が絶望的に減っているのだ。だからできると思っていたマスト事項が未遂のまま過ぎてしまう。そして時間だけがトップガンの飛行機のごとく飛び去っていって焦るばかり。


ならば同じ絶対時間があれば同じくらいの成果があげられるはず。


……とも言い切れない。

 能率も集中力も、昔より格段に落ちている。気分転換のお茶やコーヒーの回数が目に見えて増えた。ついでにドラマ録画を見たり本を読んでしまったり。

ああ、バカ。私ってバカ。

「時間の女神」のせいでも何でもない。


こうなると……年初に今年の目標を掲げるなどするときは、自分の頭で思う1年ではなく半年または3か月でできることを掲げる……くらいしか対策を思い付かない。(了)

 

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 5/23の日経新聞のエッセイを読んだ。ああ私と真逆だな……と自分の殺風景な感覚を改めて悲しく思った。

 

 岸本葉子さんのそのエッセイは、歯ブラシについて語ったものだ。

 毛先の細さといい当たりの柔らかさといい、理想の使用感の歯ブラシに既に出会っている。が、別のを買ってきて試してみては落胆するそう。

 なぜなら、その理想の歯ブラシ、欲しい色のものがないから。リフォームで洗面所を白のタイル張りにしたので、それに合わせて白か透明にしたいのだという。

 

 これだ。私にはこのお洒落感が足りないのである。

 

 季節の行事ごとに部屋の飾り付けに凝る友人がいる。四季を楽しむ感性がとても豊かでうらやましい。


 対して我が家の内装は1年中殆ど変わることはない。小物も元々あまり置かない。掃除の手間が嫌なのである。感性とか色の統一感より、埃→掃除→面倒の重みが勝つ。

 良く言えば「見た目より実の重視」……になるのかどうか。

 

 最近新調したテニスラケットを握ったときに、同じことを感じた。

 テニス歴は一応もう○十年になる私だが、衝撃の事実に気付いた。自分でラケットを買うのは初めてだ!

 

 ウッドしかなかった時代に始めてから今まで、持ったマイラケットは何とたったの2本。最初は親に買ってもらい、次は親のお下がりをもらった。

 

 別に不服はなかった。初心者の下手くそがカッコイイ最新のラケットを振っていても様にならないと思っていたのだ。いつか上手くなったら買えばいいやと。つまり大して上手くならなかったのでその機会もなく、ウエアにしても同じ。Tシャツにジャージで平気だった。

 

 世の中の女子は「あたしカッコから入るタチで」と初心者でもプロ顔負けのスタイリッシュな出で立ちな方が多く、自分、女子ではないな、と思ったものだった。

 でもこれも、精一杯良く言えば「見た目より実の重視」の性格と思っておく。

 

 以前、転居に当たって、それまで仲良くしてくれた方からお餞別をいただいたことがある。薬箱だった。今でも愛用していて、素敵な贈り物だったと感謝している。

 

 ただその時に「あなた、流行り物とかブランドとかより中身重視の人だから、こういうのがいいと思って」と言われた。

 私をよくわかってくれていてとても嬉しかったと同時に、ちょっと情けなさを感じたのも覚えている。洒落っ気や飾り気や潤いの全くないこのまんまでいいのか、と。

 

 冒頭のエッセイを読んで思ったのは、私なら迷わず色より理想の使用感を取るということ。

 結局「実を重視」は変わらずにきてしまったようなので、取り敢えず花でも飾ろうかと思う今日この頃である。(了)

 

 

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