石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -50ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 子供の頃、江戸川乱歩原作のテレビドラマ「少年探偵団」を見ていた。

 

 もう記憶はいい加減であやしいけれど、いつもラストは「わはははは、君の負けだよ、明智君」と二十面相が捨てゼリフを吐いて消える、といった感じだったと思う。

 だから最終回、その正体がわかるとあって、それはそれは超真剣にテレビ画面に向かった。ちなみに原作は読んではいなかった。

 

 そしてその時がやってきた。二十面相がいつものセリフか違うセリフだったか、とにかく高笑いしながらそのマスクを取る。そして正体がわかる――。

 

 この時。まさにちょうどこの時に、テレビの画面がシュウウ~と小さくなって、プチンと消えてしまったのである。映らなくなったのである。

 

 家族全員が「ぎゃー!」と悲鳴を上げ、慌ててテレビを叩いたり揺すったり。当時はそうすることで直すのが一般的だった。そうしてどうにかもう一度画像と音声が出た時には、もちろん二十面相が正体を現す場面はとっくに終わっていた。

 

嘘のようだが本当の話である。自分で作る物語にこんなシーンを登場させたら、「作りすぎ。ベタ。リアリティがない」と却下されるに決まっている。だけど本当の話なのである。

 

その後その正体をあちこち聞き回ったか、原作を読んだのか、何も覚えていない。でも「わかって満足した」という記憶がないので、おそらく知ることはないままだったのだろう。

 

それから気が遠くなるほどの時間が過ぎてから、最近になって突然その正体がわかった。昔見たドラマの話になったときに、「あれはないよね」と言った知り合いがいたのだった。

 

もう役柄も人物関係もほとんど忘れている。だから今更正体の名前やキャラを言われても「ふうん」てなものだ。だけど、その知り合いの話は興味をひいた。「正体は『団時朗さん』だなんてさ」と言ったのだ。

 

ドラマで怪人二十面相を演じていたのが団時朗さん。その名前の登場人物が出てきて、それが二十面相の正体だった……という、笑って良いのかどうかよくわからないギャグ?だったというのである。一応「へえボタン」押し、である。

 

ようやく真相がわかった。ずいぶんかかったものである。数十年である。

 

でも、今の世の中、すぐに結果を求められる。すぐに答えや続きを知りたがる。だからすぐにそれに応える仕組みや関係ができていく。ときどきそれについていけなかったり、息苦しさを感じることもある。

 

だから、謎が解けるまでこのくらいゆっくりしたものがあってもいいのかもしれない。

……「横着者のほったらかし」の言い訳に過ぎない、ただの戯言です。(了)

 

 

 

(注)団時朗さんのお名前は、当時旧芸名だったかもしれませんが、今のお名前で表記致しました。

 

 

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 映画のセリフで一番好きなのはどれ? と聞かれたら迷う。

でも、覚えている中では、この映画の中の掛け合いがすごく好き。

 

「アフリカンダンク」という、簡単に言えば、アフリカまで選手をスカウトに行くバスケットのコーチの物語である。目当ての選手の住む村がとても奥地にあって、そこへのバスの便を尋ねたシーン。

 

「バスはまだ?」すると係員が答える。

「残念だね、出ちゃったよ」

「ちっ、間に合わなかったか。いつ?」

「10年前」

 

 細かくは違ったかも知れないが、大体こんな感じだった。筋にもあまり関係ないし、役名すらないだろう係員が放ったこのセリフ。時間感覚のズレが笑えて気に入っている。

 

 有名なところでは、「ターミネーター」シリーズ。

 シュワちゃんの「I’ll be back」=「また来る」。こう言われたら、明日とか1週間後とかだと思うじゃないですか。それが一瞬後にとんぼ返りの大襲撃、という……これも時間感覚のズレが面白くて。

 

 ここまで考えて、自分は「時間差」が好きなのかな、と思った。

 

 そういえばバレーボールが好きで、昔ちょっとかじったことがある。自分ではできなかったが、間近で生のクイックA、B、C、Dを見た。唖然とするほどの大迫力だった。時間差ってマジックだなと思ったものだ。

 

 野球を観ていても、ディレイドスチールなんていう時間差攻撃がある。1,3塁のチャンスで1塁ランナーが走るのだ。盗塁阻止しようと2塁へ球が投げられたら、その隙に3塁ランナーがホームを狙う。うん、これも好き。

 

 やっぱり自分はそういう好みなのだ。

 

実は結構前から温めてきたアイディアがあって、それは交差点を見ていて思いついた。同じ場所なのに、車が行き交う時間と人が渡る時間がズレている。だからお互い交差点を渡ることができるのだ。時間差だ。それが同一時間でしかできなくなったらどうなるのだろう、と。

 

けれど、傑作物語が作れると思ったこのアイディアは、話した相手に一言で蹴散らされた。「それ、お互い譲り合おうね、ってだけの話だよね」と。

まあ確かに、それだけといえばそれだけだけど。

 

そういえば、バレーをやっていたとき、誰かが言った。「今、一人時間差やったのに、誰も気付いてくれなかった」と。「アタックのタイミングが合わなかった下手くそにしか見えなかっただろうなあ」って。

 

 私のアイディアも、気付いてもらえなかった一人時間差的な……いや、見てろ。いつか、傑作にしてやる。(了)

 

 

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 WBC=ワールド・ベースボール・クラシック。3~4年ごとに各国が選りすぐりの選手を揃えて競う野球の世界大会である。

 

野球好きの私は、ドキドキワクワクして開催日を待ちわびてた――はずなのに。どうしてか今回、自分の中で期待値があまり上がらずにいた。前回も前々回もかぶりつきで観ていたのに、……なぜだろう?

 

 始まってからわかった。壮行試合とか強化試合とか、大会前の試合から観ていたからだ。投手は打たれ、打者は打てない。負けがこむ。全然面白くない。

 でも、考えてみれば、練習試合なんだからそれでいいのだ。

 

シーズン前のオープン戦と一緒である。ここでは、相手の戦力や得意不得意の分析、自分の実力がどれだけ通用するか、何が足りないか、などを試したり確認したりする。シーズンという本番で勝つために。

だからオープン戦に勝った負けたはどうでもいい。侍ジャパンの壮行試合もそんな位置づけだったはず。

 

 そんな風に行き当たって思い出したのが、自分が、とある資格を取ろうと勉強していた頃のこと。

 

年一回のその試験の為に、毎回の講義にミニテストというのがあった。ここで目標とするのは、もちろん出題範囲をどれだけ理解しているかを試すこと。

答えを間違えても、自分のどこが弱点なのかを確認できるわけで、だから点数が悪くても気にする必要はない。

 

 なのに、この成績にやたらこだわる同じ講座の受講生がいた。

 良い成績は貼り出されるので、私が貼られると「すごい!」と褒められ、彼女が貼られるとドヤ顔をされた。

 

 いや、褒めてくれるのは嬉しいけど、いや別に嬉しくもなく、とても違和感を感じたものだった。

 この結果を見て弱点を潰していき、最終的には本試験での間違いを最小にすることが大事なのだと……彼女はわかっていなかったのだろう。

 つまり壮行試合での勝ち負けしか見えていなかったということだ。

 

ちなみにその試験に私は受かったが、燃え尽き症候群に近く、結局資格を全く生かしていないので、彼女を笑えない。本当の本番は、その本試験よりももっと先にあったわけだから。

 

 

 侍ジャパンの本戦は面白かった。そうそうこれだ。ああ前回も前々回も、だから夢中になったんだった。

 

 練習試合と違う。本番の本気の「勝ちたい」気合い。息をするのも憚られるほどの緊迫感。

 一球、一打、一投足に、勝つために重ねてきた試行錯誤の上での「最高」が表れている。日本の最も上手い人達がこんな風に試合をするとこんなに面白いんだって、前回も前々回も思ったじゃないか。

 

 負けたけど、勝負事だからそれもある。でも本番の本気が伝わったこの敢闘は、何かのスイッチを入れてくれた気がする。(了)

 

 

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 忘れんぼである。太古の大昔からである。

 

 細かいことを言ったらきりがないが、たとえば大学のとき。

 同じゼミを取った後輩にノートを貸した。すると真面目な後輩は、疑問点や言葉足らずな箇所を質問してくる。

 

 しかし私はその内容をきれいサッパリ忘れている。で、「覚えてないな~」と言う。何回かそれを繰り返すと、しまいには「先輩って意地悪なんだもん。めんどくさがって何も教えてくれない」と後輩が怒り出す。

 

 いや、意地悪とかめんどうとか、そういうレベルではなく、本当に覚えてないんだってば。……と言っても信じてもらえなかった。

 

 社会人になりたての頃。

 たくさんの指示をもらい、やり方を教わり。自分の頭のメモリがちっちゃいのはわかりすぎるほとわかっていたので、外付けディスクの活用=メモを取る癖はしっかりついていた。

 

 なのにである。

「これ、この前教えたよね?」と聞かれて、私は堂々と「いいえ、初めてです!」と100%の自信を持って言い切った。

 

 が、後でメモのノートを見直すと、ほんの数ページ前に書いてある。しかも赤で花丸してあったりして。 先輩に見られたらどうしようと冷や汗もので隠したっけ。

 

 あるいはデートにおいて。

 まあいろんなステキな場所に行ったり、楽しい思い出が出来たりするわけである。

 

 なのに後日、「○○(店の名前)の料理は美味しかったよね」と言われても思い出せない。で、相手が怒り出す。大事な思い出じゃないから覚えていないと判断する訳だ。

 

 いや、そうじゃなくて。

 例えば、前菜に華やかな模様のソースのかかったテリーヌがあって、それを出してくれた給仕の方がちょっと粋に「今日のお召し物と色が合ってますね」と言ってくれて、凝った内装の話で盛り上がったことなんかに触れてくれれば、「ああ、あのお店はこだわりがあったよね。また行きたい」と、イメージを蘇らせて適切な会話が出来るわけである。

 

 思うに私の脳は記憶できないのではなく、単独の単語とか事柄だけで検索するのに難があるだけなのだ。他の関連事項との合わせ技で辿ればちゃんと残っている。

 うん、忘れているだけで抹消されたわけではない。

 

 で、子供の頃からこんな状態なので、歳を食っても大して変わらないだろうと安心していた。ところがちゃんと進化(退化?)する。

 人や物の名前、時間の感覚、捜し物のありか。昔はこれほどひどくはなかった(はず)。

 

 朝、何を食べたかを忘れるレベルならまだ大丈夫。が、ごはんを食べたこと自体忘れるとまずいという。

 

 そのとき妹が一言言った。

「自分で作れば忘れないでしょ」

 

 はい。今のところ一応、そう心がけております。(了)

 

 

 

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 営業が苦手である。

 

 最近、ハンドメイド作家の方から聞いたのだが、私と同じような悩みを抱えていた。作るのは好きだけど、作品をアピールする営業活動が難しいと。

 

 たとえば有名人に「私の作品(アクセサリーなど)を付けて写真を撮らせて下さい」と片っ端からメール営業する人がいるそうだ。確率はそうよくないらしいけど、なるほど現代ツールを上手く使った効率的なやり方かと思う。

 が、そういうことに二の足を踏む作家さんも多いらしい。とてもわかる。

 

 私の場合、幸運にも単発のマンガ原作を何作か作らせていただいたことがある。けれどそれは、向こうからやってきたものではなかった。

 

 同じ立場の仲間が、雑誌に「持ち込み」をしに行ったというので真似をして、それでどうにかこうにか実現した。「持ち込み」という言葉すら知らなかったというお粗末な物書き志望だった。

 

 大御所さんや人気作家なら依頼の嵐であろうが、私は自分の「売り」すら何なのかわからないド素人。従って「こういうものをやりたい!」と熱く語るべきものもなく、そうなると「持ち込み」を続けてもなかなか掲載というところにまで話が進まない。

 やはりというか、結局、掲載側の求める方向性がつかめなくて、連載を取れるところまでいけなかった。

 

 最近は、営業の代行という仕組みもあると聞く。いわゆる職人肌さんは、売り込みがうまくない方が多いという。それをフォローしてくれるんだとしたら、利用価値のあることだと思う。

 

 ただし私の場合、その営業代行の方にさえ、思うところが伝えられるだろうか、との不安がある。

 そこからして自信がないのだ。自分で自分を整理できてない奴の言うことなんか、他人がわかるわけがない。たとえ親兄弟にだって真意は伝わらないだろう。

 

 それでもありがたいことに、欠点や修正点のアドバイスを下さる方もいる。しかし私にはその意図を汲み取りきれず、読み違えて別方向へ走ったりするおバカなのだ。

 

  つまり、たとえば主人公AがライバルBを助けるために走りまくるメロスと化する話を作ったとする。「Bが走ってくれたからAも走り返す」ところが欠点だと指摘され、「迷子になったBをAが見つけ出す」展開に変えた。

 けれどアドバイスの真意は「AがBを助ける」展開自体が不要という……本当に自分の理解力のなさを痛感した経験で。

 

 そういうのを含めて営業力というのかもしれないと思う。

 自分の「売り」を把握する能力、それを相手に伝えられる能力、アドバイスを生かせる能力。ステップアップしていく方はきっとそれらをお持ちなのだ。

 

もちろん筆力を養うのが一番大切だけど、そういったコミュニケーション力を鍛える努力も必要不可欠。

頑張りたいと思います。(了)

 

 

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 スマホに変えた。

 けれど、ゲームアプリは見ない。触らない。手を出さない。これに限る。

 

 もう20年近くの前のことだが、友人宅で初めてファミコンに触った。確かスーパーマリオシリーズのどれかだ。敵と戦いながらアイテムを手に入れ障害物を避けつつマリオを前進させる。

 

 このとき知った。私はゲームドハマリ体質なのだと。

 

 その友人宅に伺うたび、話もそこそこにずーーーっとゲームをやっていた。あまりに延々とやっているので、その友人はゲーム本体を持っていない私にハードごと貸してくれた。

 

 その頃仕事も辞めて家にいた私は、朝も早くからマリオを始め、ごはんを食べる間も惜しんで操作ボタンを押し続けた。腰が痛くなって周りを見ると日が暮れかけていて愕然とする、という日が続いた。

 

友人にハードを返してからはすぐに購入し、再びのめり込んだ。

そして別のソフトにも手を出した。コズモザギャングというパズルゲームだ。これは、テトリスの原理で、落ちてくるブロックにコズモというキャラクターとボールが含まれていて、上手く並べるとボールがコズモを弾き飛ばすという単純なものである。

 

それに相方と共にハマッた。トイレやドアホンでは休止ボタン、お風呂のときは交替で継続し夜更かし。休日は朝から晩までぶっ通し。

 

これはまずい。

 

ビデオは溜まるし家の中も片付かない。肩腰目にくるし外にも出ないし、何より我に返ると「他にあれもこれもできたのに」という深い後悔と虚無感に襲われる。

結局引越の際に全て捨てた。

 

しかしパソコンという物がある。お節介なことに、わざわざ取り込まなくても買った当初からいくつかゲームが入っているのである。

私はその中のMahjong Titansという、山になった麻雀パイを崩すゲームにハマリ、延々とやり続けた。

 

他のTODOがどんどん溜まっていく。私は泣く泣く麻雀ゲームをパソコンから消した。

するとフリーセルだのハーツだのに手を出す。これらはすぐに終わるトランプゲームだが、一回負ければ何くそ、勝てば良い気分でもう一回、と繰り返してしまう。

ついにこれも消去である。

 

出かける用事があれば忘れてるし、手が震えることも頭から離れない訳でもないから、中毒というほどではない。

 

思うに、家事とか課題とか書類整理とか、やりたくないことがあるときの逃避先なのだ。

昔、試験前になるとやたらに部屋の整理をしたくなったものだった。机の回り、引き出しの中、普段開けもしない押し入れの段ボールまで。

部屋はそう広くない。いずれ整理は終わる。

 

けれどゲームはエンドレスである。だから、私はもう新しいゲームに手は出さない。ゲームは嫌いなのである。(了)

 

 

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昨日、ずっと憧れ続けていた人と初めて会えた。その人を知ったときから、25年が経っていた。

 

いわゆるOLだった。当時私はコンピュータを扱う仕事をしていたが、無償残業や男性社員との給料差など、今なら大問題なことがまかり通る女性特有の職種にいた。転勤必須という男性と同じ職種へ転換を薦められるも腑に落ちない。そしてそれを受けた途端、同じ待遇で転勤のない職種ができ、右往左往した。

 

男にはないそんなゴタゴタに疲れ切っていたとき、「切ないOLに捧ぐ」というエッセイ集に出会った。以来この本は私のバイブルであり続ける。

 

時代や環境こそ違え、共感する強い思い。著者の内館牧子さんに一方的に想いを寄せた。そして私は内館さんの通ったシナリオ学校に入学したのだった。

内館さんと同じように映画を毎日観て宿題を欠かさずこなし――はさすがに無理で、この方はすごいと尊敬を新たにした。

 

それでも及ばずながら8割を目標に真似をした。内館さんのドラマも書かれた本も殆ど全てを観たし読んだし、私物の展示会にまで足を運んだ。

こうなると想い人というよりアイドルの追っかけである。

 

やがて私は、マンガ原作の仕事に携わる機会を得た。なかなかページをもらえなかったが、「輝く女性」を取り上げる企画があったとき、私は思い切って声を上げた。内館さんを取材したいと。

 

残念ながら実現しなかったが、おかげで別の方の素敵な半生の物語を描く機会を得、とても貴重な体験ができた。私にはやっぱり内館さんしかないと想い人であり続けた。

もう殆ど神様扱いである。

 

けれど原作の仕事はそうそうもらえなかった。諦めようかと別の勉強に浮気したりもしたが、書くことはやめられなかった。季節の風物詩的にコンクールに応募しては落ち続けた。

そして、意を決してもう一度基礎から勉強し直そうと思い立ったのだ。

 

その大学で、内館さんの特別講義があったのが昨日。私は前の日から眠れず落ち着かず心ここにあらず。勝手に人物像をでっち上げていたが、……思った通りの方だった。

気っ風が良く思いやりや気遣いに溢れ温かい。「必ず必ず陽は昇る」とのサインをいただき、私は思わず泣けてしまった。やっぱり想い続けてよかった。

 

私は諦めないと決めた。いつか内館さんの百分の一でも軽やかに前に向かっていく物書きになる夢を。

 

講義で内館さんは仰った。文字制限をつけたエッセイを週に一本書き続けると構成力がつく、と。だから私はこれを書いている。

25年間想い続けた人のアドバイスである。守らないという選択肢はない。(了)

 

 

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