石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -48ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 

 甲子園てのはお化け屋敷か?

 これは、あだち充先生の国民的野球漫画「タッチ」の登場人物、原田正平君の名言である。

 

人間離れした野球力を持つ高校生が出現するたび「怪物」だとか「化け物」だとか呼ばれ、ビックリするプレイが出ると「魔物」が棲んでいると騒がれる。それを皮肉ったわけだが、大笑いした。

 

 今年も大盛り上がりのうちに幕を閉じた高校野球。広陵の中村君が清原氏のホームラン記録を32年ぶりに更新した。これも「怪物」のうちに入るのだろう。

 が、自分が思ったのは別のことである。

 

 なぜ、こんなにも大逆転ができるのだろう。

 

 最近はプロ野球のひいきチームがふがいなくて、そういうどんでん試合から縁遠いせいもある。1点がとても遠い、というケースもよく見る。だから、もうあと1アウトで終了、でもランナーなしで点差は6点ある、なんて状況でひっくり返すのが信じられないのである。

 なのに、高校野球では珍しくない。

 

 諦めない。そういう土壇場でも絶対諦めていない。その集中しきった目が、その力一杯のスイングが、そう叫んでいる。一人が決死のファイトで一塁に生きると、次が同じように続き、またその次がつなげ、そうして奇跡がやってくるのだ。

 

 その現象を、一体どう思ったらいいのだろう。科学的に説明がつくものなのだろうか。

 

 高校生。その年代は、感情に左右される度合いが大人より大きいだろう。だから感受性はこちらの想像よりよっぽど大きくて、それがもたらす伝染力はとてつもなく強いのではなかろうか。


 そうしてチームに濃く漂った「勝ちたい」「勝てる」「できる」という思いが全員に深々と浸透する。たとえそれをできる実力が足りてなくとも、その伝染力は実力を2倍増し3倍増しにするのでは。

 

 結果。大人には信じがたい崖っぷちからの巻き返しが、大逆転が起こり得る。

 

 と、そんな風に思うしかない。もちろんしんどい練習をさんざん重ねた努力の結晶であることは間違いない。だけどそれを超えた、精神力というか、熱力というか、理屈じゃないものがある。

 もはや「超常現象」と言っちゃっていいのではないだろうか。これは個々の天才の「怪物」や「化け物」だけではなく、他の選手達にも表れる。一般に勢いとか流れとか言われる頼りないものだが、確かに存在している。

 

 つまり、やっぱり甲子園はお化け屋敷なのだ。なるほど、だから私達観客はこの2週間、絶叫するわけだ。

 

花咲徳栄、埼玉初優勝おめでとうございました。


(了)

 

 

 

 

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 大阪って、外国だと思う。


 それが、東京人の自分の素直な感想だ。常にユーモアを持ち、しゃべることによるコミュニケーションを大切にし、表情が豊かで、全くの初対面でも人見知りしない。自分がアメリカ人に持っている印象と似ているのである。


更にあの関西弁が、他人との距離を縮めている気がする。何か、そこまでいくのに結構苦労する自分からしてみると、労力80%くらい省エネなんじゃないかって、うらやましい。

 

 大阪へは何度か出かけたことがあるが、その度にそういう思いを抱く。

 あるときは、電車で隣り合わせたオバチャンに「昨日の××の○○はねえ」なんていきなりテレビの話をされて、私? 私なの? と周りをキョロキョロ見回してしまった。

 またあるときは「道頓堀ならこう行ってそう行って」と目指しても聞いてもいないのに丁寧に教えてくれて、そのフレンドリーさに脱帽した。

 

 そして先日である。

 その日私は、大阪城を見に行こうと広い公園をウロウロしていた。

 

部活らしき学生がたくさんトレーニングをしていた。その中で「趣味ランニング」みたいな気合い入ったウエアの大人の方々もいっぱい走ってくる――と思った瞬間、沿道から拍手と歓声が上がった。


へえ。マラソン大会か。知り合いの応援か。にぎやかだな、と思った。

だが。

やってきたオッサンランナーは、両手で力一杯「カモン!」のゼスチャーをしたかと思うと、「もっと応援盛大に来いや!」と更なる盛り上がりを要求したのであった。


その振り切れ方。こちらのつまらない悩みとか、むしゃくしゃした気分とか、どうでもよくなってしまいそうな突き抜けた感じ。

 

小雨が降ったり止んだり。豊富な木々がその湿り気の香りを漂わせている……などと詩人の気分でいたら、水の気配はそれじゃなかった。

ばちゃばちゃ音がするのでよく見たら、お堀である。まあお城だから。

いやいやでも。目をこらしたら、人が泳いでいるじゃんか? 何人も??

いやいやいや。こんな濁った水にまさか、と間の小道を渡ろうとしたら、緑のオバサン的に旗で止められた。そのウィンブレの文字。

「大阪城トライアスロン」???

そういえばそんなポスターを通りがかり見たような。

 

翌日の新聞に「大阪城スイスイ」なんて記事が載っていた。けどお城のお堀で泳いじゃって、しかもトライアスロン大会にしちゃうなんて。何というか、意表。あり得ない。最高に笑えてしまった。

いや、きっと、それも大阪人の求めているところなのかも。

 

 前日、はるばる観に来たひいきプロ野球チームがバカ負けした。でもそんな鬱鬱をも吹っ飛ばしてくれた大阪節だった。(了)

 

 

 

 

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 自由なテーマで物語を書く。

 これはアマチュア作家の特権だという。プロになると、様々な制約により、書きたいことを書かせてもらえないとよく聞く。

 要するに、読者ターゲットに対応した物を書けるのがプロだということだろう。

 

しかし、好きに自由に書ける身分だから大喜びで筆が進む、となるかというと、自分の場合そうでもなかったりする。

 

テーマ:自由。それが結構難しいのだ。

特異な経験、波瀾万丈の人生、の手持ちはない。ごくごく平凡な人間でしかない自分には、基本的に日常をすくい取って面白さを見出すことしかできない。そして、日常の中の面白さ、という些細なものは、時間と共に埋もれていく。忘れんぼの身としては、さあ書こう、と思っても、なかなか浮かんで来ないのである。

 

ところが最近、「お題」をいただいて書く、ということを繰り返しているうちに気付いた。どうも自分、「自由」より「お題」がある方が書きやすいタイプの人間らしい。


そんなんでいいのか、と必死で「自由」を模索していた時期もあった。

が、「特に書きたいことがあったわけでなく、書けと言われたことについて書いてきた」との、あるプロ脚本家さんのお話が、すとんと落ちた。その方は今も素晴らしいドラマをたくさん書いておられる。そういうタイプがいてもいいのだ、と思わせてくれたのである。

 

お題が、例えば「猫」だとする。なら、自分は猫について何を連想するか、どう思っているか、猫好きな友人がどんなことを話していたっけ、などと考える。岩合光昭さんの映像や写真集を見たり、「猫」がタイトルに入っている本を片っ端から読んだり。


そうしているうちに「自分は猫を飼ったことがないからリアルな猫の話を書くのは難しい。けれど猫に何らかの思い入れがあって追いかける人の話なら。その思い入れの部分を、昔なくしてしまった大切な宝物への思い入れにすり替えれば書ける」と、まさに豆電球が点る瞬間がやってくるのだ。


その時に驚く。ああ昔、こんな宝物を持っていてそうやって大切にしていたっけなあという記憶。それを引っ張り出せたこと。


 そうやって「書ける」と思えるまでには時間がかかる。けれどそう思えたら、しめたもの。

 その宝物への「思い」がテーマになるのである。


 そんな風に「お題」をこなしているうちに、自分が些細な経験に対して何を考え、どう思っていたのかに改めて気付く。それが独自の色づけとなる手応えが面白くなってくる。そうなると、書くことを止められない。


 だから今日も苦心しながらテーマ掘り起こしにトライしている。(了)

 

 

 

 

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 いつの頃からか、毎正時ちょっと前には天気予報を見るようになった。朝6時にも7時にも8時にも。気付けば夕方帰ってから寝るまで1時間ごとに。

 おかげでチャンネルごとのお天気おじさんやお兄さんお姉さんを覚えてしまって、まるで知り合いかのように「○○さんが今日は雨だって」とか話している。


 もちろん、天気が気になるからであって、雨に遭いそうなら折り畳み傘、気温が高そうなら半袖、と持ち物服装を決めるために見ている。


 が、こんな頻度で見る必要もないはず、とあるとき思った。そして気付いた。

 見る番組が年々狭まって限定され、その中で残った究極が天気予報なのだ。


 かしましいアナウンサー、苦手なタレント、俳優が出ている情報番組やドラマは見なくなった。勢い、うなずけるなあ、ミニ知識がつくなあ、この人好感持てるなあ、などと、納得する物、性が合う物に偏ってくる。


 最終回を迎えるまでは、天気予報の次に習慣だったのが「いいとも」だった。気付くと「ミュージックステーション」とか「ボキャブラ天国」(古っ)とか、タモリばかりを見ていた頃がある。特にタモリが好きだったわけではなく、好きな番組にタモリがいたのだった。今もうっかりすると「ブラタモリ」。つまり、タモリと相性が合っている(ごめんなさい、一方的です)らしい。


 最近だと、あれっ、と思うと谷原章介が出ている。見る番組にやたらと彼がいて、何だか馴染んだお友達のようになってきた。この人、「ハンサムスーツ」のときのはじけっぷりを見てから大好きになってしまった。


 林先生もそうだ。「いつやるの? 今でしょ」のCMを初めて見た時は、この塾絶対行きたくない、と思ったものだが、バラエティに出るようになってから覆った。気さくで気取らなくて物知りで教えるのが上手い。


 林先生、「ネプリーグ」(フジ)も好きだが、一番好きなのが「グッド!モーニング」(テレ朝)の「知っているとちょっと得することば検定」という5分くらいのコーナー。「今日のことば」自体、毎日1つずつお利口になる気がして興味深いのだけど、三択の一つに必ずあり得ない「ボケ」がある。正解よりついそっちを先に考えてしまうほど気になるスベり加減。それを作ったスタッフへの「ツッコミ」や、ちょっと横道に逸れた方面への妙に力んだ解説も、先生の明るいお人柄が表れていて愉快。


 CSを入れてから、地上波はあまり見なくなった。余計なゲスト解説とか前振りが全くなくて、見たいもの自体を堪能できるからだ。これに慣れると地上波の番組の作り方について行けない。だから、厳選してしまう。


 というわけで、今日もお天気と谷原さんと林先生の番人です。(了)

 

 

 

 

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 夏休み、涼しい高原に数日避難。そこで湿原を散策したりしてみたのだが、そのときの出来事。

 

どしゃ降りの雨上がり、道は水溜まりだらけ。場所によっては端っこの、水はないけどかなりぬかるんだ細い泥の上をそろりそろり渡るような状況。

何回目かに、対面の男性がちょっと待って先を譲ってくれた。感謝しつつ、不安定な足取りでズルリ、「おわっ!?」みたいになった瞬間、彼は反射的にこちらを助けるように手を出した。

どうにか踏ん張ったのでその手を借りることはなかったのだが、欧米系の若い男性だった。さすがである。全くの自然体なのだ。

多分、幼少から「男子たるもの女子には常に手を貸すべし」とか育てられ、普通に身に付いている挨拶的な最低限のマナーなのだろう。

 

思い出したのが昔観た映画「フットルース」。高校生の男の子が、車から女の子が降りようとするのを制して運転席から降りるシーンがあった。グルリと車の後ろを急ぎ足で周り、女の子のためにドアを開けてあげる。それをやってみたくてしかたない、ジェントルマン準備生みたいな。

あれを観た時の衝撃といったら。だって普通の高校生でしょ? 未成年でしょ? 要はガキんちょだよね? そんな子供が、ケンカはしたってエスコートなんて、日本じゃ全く見たことないし。

 

何かのバラエティーでの実験を見たことがある。年配男性に、奥さんが座るとき椅子を引いてやるというもの。

これがダメダメ。やり慣れていないのでタイミングが計れない。奥さんが「どうしたの? 何か忘れ物?」とか心配し出す始末。奥さんの方もそんなことに慣れていないので、いぶかしんでしまうのである。

 

何年か前、電車で気分が悪くなって、駅でしゃがみ込んでいたことがあった。その時真っ先に心配してくれたのが外国人の方。当たり前のように立ち止まり、「Are  you  ok?」と聞いてくれた。とてもありがたくて涙が出た。

それは女性だったが、同じことだろう。男性が女性を大事に扱う、ということは、弱者、困っている人への親切に通じるんじゃないだろうか。席を譲ったりの小さな親切ですら、照れが入ってしまう日本人。文化的な問題なのか、初等教育に違いがあるのか。

 

まあとにかく。

自分がくだんの湿原の彼にほわんとなったのは言うまでもない。

しかし、それがもしうちの旦那だったら? それこそいぶかしみ、内緒の借金でもあるんかい? と勘繰ってしまうこと間違いなし。

 

 悲しいほど日本人。

 男性側がこなれていなければ、女性側も居心地が悪いのだ。

 けれど、大事扱いされることは嬉しいのだと、たまに王子様に出くわした時に気付く。(了)

 

 

 

 

 

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 巷では「一芸家電」が人気らしい。ゆで卵だけを作る器械、ピザ窯、ヌードルメーカー、アイスクリーム専用スプーン、USB電動うちわ等々。


 確かに魅力的だけど、一度使ったら満足して放置し、機能細分化に一対一となる機器の置き場所に四苦八苦、という危険は大。


 だから多機能がよい、と思う。コンパクトで場所を取らず一台であれもこれもこなしてもらえれば、便利便利。

 ……と思って失敗した人は大勢いると想像する。自分もその一人。


 うちのイエデンの話である。

 FAX、スキャナー、プリンター、コピー、そして電話を兼ねた画期的なお利口家電。大きさは、大体35×40×10のコンパクトさで、お値段も手頃だったため飛びついた。しかしそんな数年前の自分を愚かだったと笑える。


 最初はその多機能にうっとりしていた。しかし目が覚めたのはプリンターのインクが切れたとき。結構な頻度で訪れるこの状況のたびに全ての機能がストップするのである。留守電も聴けない(これに関してはまもなく裏技ボタン押しで何とか打開した)。


 とにかく「インクを変えて下さい」表示が画面に出っぱなしで、他のボタン操作をさせてくれないのだ。

 それでもプリンターが使えた時は渋々従ったが、紙送りの型が壊れた。しかもその部品はもう生産されていないという。

 紙送りがダメなんだからコピーもダメ。で、別のプリンターを買いに走った。


 プリンターとしては使わなくなったというのにインクなしでは他の機能まで使えない。お利口どころか融通の利かないあほんだら。

 FAXはコンビニに走り、そのうちメールの発達につき、ほとんど不要になった。

 残るはスキャナーだが、裏技ボタンを駆使すれば何とか、というレベルで、それがめんどくさくなり、これも単品で買い直した。


 結局、どでかい電話と化しただけである。しかも最近は子機の液晶が壊れて映らなくなり、プッシュした番号の確認もリダイヤルもままならない。


 ーー要らないな、これ。


「インクを変えて下さい」表示を見るたびそう思う。なのになぜイエデンを残しているかというと、メールと連動しているから。

 長年使い続けたパソコンのメアドは、NTTを解約すると解除となる。友達や勤めの連絡先ならスマホにも登録してあるが、ネットショッピングやメールマガジン、何らかの会員、ブログのあれこれ連絡、などが全部このメアドなのである。把握しきれてないものも絶対あって、移行するのが億劫……。


 結局はプリンターもスキャナーも二台ずつ、電話はスマホですませていることになり、全然場所の節約にもなってないし、全然便利遣いもしていない。


 電話は電話。プリンターはプリンター。使いこなせる器量のない自分には「一芸家電」が一番だ。壊れた時に、それだけですむ。いまだ部屋の真ん中にどっかり居座る「インクを変えて下さい」ボックスを見るたび思う。(了)

 

 

 

 

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 これが悩む。恐らく物を書く人はみんなそうだと思う。

よく言われるのが、内容が集約されていて、かつネタバレしない、お? 何だろう? と興味をひくもの。

難しい。

ジャンルにもよるけれど、私がもらったアドバイスは、それに加えて7~8文字以内、正反対の言葉の組み合わせ、普通は漢字で表記するものをひらがなにして柔らかさを出してみる、とか。

 

私の場合、タイトルが先に決まっている方が断然書きやすい。

テーマもキャラも作り込んで、ハコにエピソードが並び、ベタ書きが8割進んでもまだ浮かばない……となると、相当苦しい。

その前後にタイトルが決まったとしても、それに合わせたエピソードやテーマとの繋がりを書き直したり加えたりする必要が出てくる。そうすると、大抵流れが悪くなり、また悩むことになる。

 

物語を書き終わってしまってもまだ決まらず、アホなことになった経験がある。

上がり症で人前のスピーチが苦手な人が、それを克服していく話だった。

悩みに悩んだあげく、スピーチを歌に見立てた象徴として「カナリア」を入れ、開眼するわけだから「夜明け」かな、でも片仮名が入ると固いかな、とか迷走し、「かなりあの夜明け」となる。

考えすぎて何だかもうわかんないけど、ま、いっか、と友人に見せたら、「かなり、あの夜明け、って何?」と首をひねられた。

日本語って難しい……。懲りすぎてもいかんのです。

 

人によって好みがあるだろうが、私は「フォレスト・ガンプ」など、名前そのもののタイトルはあまり好きではない。

 

少女マンガの往年の名作、「ガラスの仮面」「ベルサイユのばら」などは秀逸だと思う。

前者は仮面が演劇を示しているし、役者本人の感情がガラスの繊細さで隠されているという意味もわかる。

後者はフランス革命の中の女性達の話だということが、鮮やかに表れている。

そしてどちらも語呂がいい。

 

かなり前の映画だが、うまいと思ったのが、「ヒーローインタビュー」。野球選手と記者の恋という話の骨格が一言で表されている。

 

小説ならば「八日目の蝉」。蝉が地上で七日しか生きられないことはよく知られているので、八日目って何? と思わせるし、もの悲しさやしんどさまでも感じ取れる。

 

個人的に目指しているのは、何年か前の「PA」という少女漫画。読みきり連載で、毎回副題があった。

「そのときロミオは16だった」「ショパンの正しい楽しみ方」「吉宗とティータイム」「ジャック・ザ・リパーへの伝言」「サロメの口づけ」。

毎回有名人の名前を入れることにしたというが、どれもしゃれていて、内容の集約なのにネタバレせず、かつ何だろうと思わせる。

タイトルが浮かばなくて悶え死にしそうなときは、ここへ立ち返ってみる。(了)

 

 

 

 

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 朝の眠気を振り払うためにコーヒーを一杯。仕事あるいは書き物の作業に集中力が切れてコーヒーを一杯。お酒の酔いを覚ますためにコーヒーを一杯。

 

 どれもよくやる。ただし私の場合、胃がもたれる&トイレが近くなり過ぎるといった理由により、一日二杯までと決めている。どのタイミングでその二杯を取るか、非常に悩むところだ。

 

「違いがわかる」ような舌を持っている訳じゃない。コンビニの百円コーヒー、もしくはスーパーにある一人用ドリップコーヒーでも全然大丈夫な人間だ。だから、本当に眠気を払っているか? 本当に集中力の回復に繋がっているか? 酔い覚ましになっているか? と聞かれれば、そんな気になる、という程度の答えしか返せない。

 

 学生時代は紅茶しか飲まなかった。それが、いつのまにか外食では必ずコーヒーを頼むようになった。休憩のたび自分で淹れるのも必ずコーヒーで、紅茶だと刺激不足と思うようになったのはいつからだったろう。

 

 ここ10数年、カフェ巡りが趣味の一つになっている。我が家の近所、カフェ天国なのだ。

 ゴージャスなパンケーキが売りのA店、ワッフルがイケてるB店、ハワイアンカフェC店、本格コーヒー&タルトタタンがイチオシのD店、新装のオーガニックカフェE店、こだわりの牛乳を使った絶品ソフトクリームのあるF店など、ローテに困るほどだ。

 

更に最近、自治体が「カフェ特集」なるスタンプラリー的な冊子を出しているのを発見した。で、早速昨日、その中でまだ行ったことのない店を訪ねてみた。

住宅の一角の、洞窟のようなおしゃれな外装。それを見ただけで小躍りしてしまった。中はコーヒー豆の袋がそのままインテリアになっていたりする、居心地の良いスペース。トマトカレーランチが酷暑にものすごくマッチして蘇った。これにコーヒーが合う。即座にリピーターになる決意を固めた。

 

 もしかするとこの趣味は、「コーヒーを飲みたい」というよりは、そういう素敵な空間に身を置きたい、ということなのかも知れない。「カフェ」なる分類にはそういう雰囲気を感じる。パリとか外国のオープンカフェに憧れるのもその延長かも。「美味しいコーヒーを出してくれるお店は素敵におしゃれで落ち着く」気がするのだ。

 

なわけで、いわゆる「コーヒー好き」を自称するにはおこがましいレベル。「恋に恋する」じゃないが、仕事中の一服にしても「コーヒーを飲むと頭が冴える」気がするので、「コーヒーを飲みたくなる自分はすごく頑張っている」気がする……だけなんじゃ?

 

けれど、あの苦み、あの香り、あのほっこり感。こんなエセコーヒー好きでも、欠かすことは考えられない飲み物である。(了)

 

 

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 今、パソコンで文章を書く人は、やっぱり大多数がワードを使うのだろうか。


私は一太郎派である。もしかしたら絶滅危惧人種かもしれないが、どうしてもワードに乗り換えきれずにいる。


メール添付で送るときなど、大抵一太郎は断られるので、そこそこワードも使う。でも、どうも使い勝手が嫌いで、完全移行ができない。


たとえばページ設定。20×20行で設定しているのに自動的に勝手に19とかになったり、急にページ最後の12行が空行になったりする。

私はそんなことは望んでいないのに、よかれとワケわかんない調整をしてくださる。


今何行目の何文字目かを知りたい時がある。でもワードは全体の文字数を示してくれるだけで、一見してそれがわかる表示はない。


三文字下げをよく使うのだが、そのたびにインデントをマウスで操作しなくちゃならない。キーで何とかならんのか。


一太郎ならそんな嫌がらせをされることはない。ワードに慣れている方からみれば、初心者レベルの、ちょっとしたことですぐ解決できる悩みなのかもしれない。が、ワードというのはこれらをどうにかしようといろいろトライするときに、ものすごく当たりがつけにくいのだ。


パソコン内蔵の一太郎の前は、ワープロ機器を使っていた。一太郎は、ページ設定にしろ、タブにしろ、他社であろうとワープロというものを使い慣れていたら「この辺をいじってみればどうにかなるだろう」という想像がしやすかった。当たりがつきやすかった。だから移行してもそんなに戸惑わなかったのだ。


そういうわけで、結局いまだ基本は一太郎で打って、それからワードに変換する。修正があれば一太郎で直してからワードに変換して上書き。そして細かいズレをそのたび直す。これがめちゃくちゃめんどくさい。


コピペすればいいかと一太郎→ワード、ワード→一太郎と両方やってみたが、前者はまあまあうまくいく。けど、後者。どうもワードは何やら文字裏の設定まで持って行くような感じ(実際はどうなのか知らないが、そんな重たさ)で、一太郎へのペースト作業自体にも時間がかかるし、やっとできたと思ったらページ設定は崩れるし文字の大きさは変わっちゃうし、散々。


だから一言二言の修正なら直接ワードを直してしまったりして、時間をおいてから一太郎を開いたら、その修正が反映されてないバージョンでビックリすることもある。


やっぱりワード一本にしぼれば一番楽なのだ。管理も修正も。

でも、ものすごくキライ。

よくセットになっているExcelはとっても使いやすく好きな表計算ソフトである。パワポも大好きだ。

なのに、なぜこうもワードとは相性悪いのか、私。そういう方、他にもいませんか。。。


(了)

 


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 今更だけど、漫画「ちはやふる」にハマっている。百人一首のカルタ取りで、主人公の千早が天性の「耳の良さ」(=「感じがいい」というらしい)を生かして強くなってゆく話である。

 

 こういう部活が高校にあって、その大会なるものも結構体系立っているというのを初めて知った。ちょっと驚きである。毎年かるたクイーンの決まる中継は見ていたが、それは特別な試合だと思っていた。

 

それでも実は自分、経験者なのである。エッヘン。

 

とは言っても、希望者だけがそれらしく学内で勝負、という、つつましい感じの、まあ高校時代の思い出作り的なものであるが。一応、ペアで源平合戦という形で、作戦を練って臨んだ。いやあ懐かしい。

もちろん、一応百首覚えた。いや、百首の、上の句の出だしと下の句の出だしだけだけど。これだけでも今考えると自分自身を尊敬してしまう。

 

「ちはやふる」のコミックスには、表紙の返しに毎巻一首が挙げられ、解説がある。それで巻ごとにその上の句だけを見て下の句が出てくるだろうか、と試してみた。すると……。

驚くべきことに、結構覚えていた。もちろん瞬発力もないし、他の句とごっちゃになってるのが大半だが、「むすめふさほせ」の一字決まりと自分の好きだった何枚かは、ちゃんと出てきたのである。

へえ。やるじゃん、私。

 

昔から記憶力には自信がなかったので、意外だった。しかも、意味を抑えて覚えたのならともかく、「立ち別れ」→「まつとし」とか、「風そよぐ」→「みそぎぞ」とか、全く歌は分断、ただただ記号のように暗記。よくぞまあ頭に入ったものだ。

逆に下の句を見て上の句を連想、なんて練習もしたっけ。今は棒暗記なんて世界で最も嫌いなものであるが、このときは結構楽しかった覚えがあるので、若さとは不思議である。

 

歌謡曲でも、その年齢の頃までのなら歌詞をソラで歌えたりする。2番だってそこそこ大丈夫。ベスト盤ブームの今、じっくり聴いてみて今更「こんな歌詞だったのか」と知ってビックリすることもある。

 

社会とか理科とか、嫌いだった科目の、歴史の年号だとかナントカの法則とかもそうだ。さっぱり意味を思い出せなくても、言葉だけは結構出てくる。

 

何歳かを過ぎた頃から、これが全くダメになった。意味を考えながらでなくちゃ頭に入らない。で、そういう風に理屈で覚えたものはあっという間に抜けていく。欠片も残らない(涙)。

 

そう思うと、若い頃の「詰め込み教育」はそう悪くないと思うのだ。もちろん行き過ぎは問題だが、あの年頃には入る。入ったら残る。

 

 だから、学生のみんな、今のうちたくさん勉強しておきなさいね……と、親なら言うだろう。自分が言われてた頃は「うるさいなア」としか思っていなかったけどね。(了)

 

 

 

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