自由なテーマで物語を書く。
これはアマチュア作家の特権だという。プロになると、様々な制約により、書きたいことを書かせてもらえないとよく聞く。
要するに、読者ターゲットに対応した物を書けるのがプロだということだろう。
しかし、好きに自由に書ける身分だから大喜びで筆が進む、となるかというと、自分の場合そうでもなかったりする。
テーマ:自由。それが結構難しいのだ。
特異な経験、波瀾万丈の人生、の手持ちはない。ごくごく平凡な人間でしかない自分には、基本的に日常をすくい取って面白さを見出すことしかできない。そして、日常の中の面白さ、という些細なものは、時間と共に埋もれていく。忘れんぼの身としては、さあ書こう、と思っても、なかなか浮かんで来ないのである。
ところが最近、「お題」をいただいて書く、ということを繰り返しているうちに気付いた。どうも自分、「自由」より「お題」がある方が書きやすいタイプの人間らしい。
そんなんでいいのか、と必死で「自由」を模索していた時期もあった。
が、「特に書きたいことがあったわけでなく、書けと言われたことについて書いてきた」との、あるプロ脚本家さんのお話が、すとんと落ちた。その方は今も素晴らしいドラマをたくさん書いておられる。そういうタイプがいてもいいのだ、と思わせてくれたのである。
お題が、例えば「猫」だとする。なら、自分は猫について何を連想するか、どう思っているか、猫好きな友人がどんなことを話していたっけ、などと考える。岩合光昭さんの映像や写真集を見たり、「猫」がタイトルに入っている本を片っ端から読んだり。
そうしているうちに「自分は猫を飼ったことがないからリアルな猫の話を書くのは難しい。けれど猫に何らかの思い入れがあって追いかける人の話なら。その思い入れの部分を、昔なくしてしまった大切な宝物への思い入れにすり替えれば書ける」と、まさに豆電球が点る瞬間がやってくるのだ。
その時に驚く。ああ昔、こんな宝物を持っていてそうやって大切にしていたっけなあという記憶。それを引っ張り出せたこと。
そうやって「書ける」と思えるまでには時間がかかる。けれどそう思えたら、しめたもの。
その宝物への「思い」がテーマになるのである。
そんな風に「お題」をこなしているうちに、自分が些細な経験に対して何を考え、どう思っていたのかに改めて気付く。それが独自の色づけとなる手応えが面白くなってくる。そうなると、書くことを止められない。
だから今日も苦心しながらテーマ掘り起こしにトライしている。(了)
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