5/23の日経新聞のエッセイを読んだ。ああ私と真逆だな……と自分の殺風景な感覚を改めて悲しく思った。
岸本葉子さんのそのエッセイは、歯ブラシについて語ったものだ。
毛先の細さといい当たりの柔らかさといい、理想の使用感の歯ブラシに既に出会っている。が、別のを買ってきて試してみては落胆するそう。
なぜなら、その理想の歯ブラシ、欲しい色のものがないから。リフォームで洗面所を白のタイル張りにしたので、それに合わせて白か透明にしたいのだという。
これだ。私にはこのお洒落感が足りないのである。
季節の行事ごとに部屋の飾り付けに凝る友人がいる。四季を楽しむ感性がとても豊かでうらやましい。
対して我が家の内装は1年中殆ど変わることはない。小物も元々あまり置かない。掃除の手間が嫌なのである。感性とか色の統一感より、埃→掃除→面倒の重みが勝つ。
良く言えば「見た目より実の重視」……になるのかどうか。
最近新調したテニスラケットを握ったときに、同じことを感じた。
テニス歴は一応もう○十年になる私だが、衝撃の事実に気付いた。自分でラケットを買うのは初めてだ!
ウッドしかなかった時代に始めてから今まで、持ったマイラケットは何とたったの2本。最初は親に買ってもらい、次は親のお下がりをもらった。
別に不服はなかった。初心者の下手くそがカッコイイ最新のラケットを振っていても様にならないと思っていたのだ。いつか上手くなったら買えばいいやと。つまり大して上手くならなかったのでその機会もなく、ウエアにしても同じ。Tシャツにジャージで平気だった。
世の中の女子は「あたしカッコから入るタチで」と初心者でもプロ顔負けのスタイリッシュな出で立ちな方が多く、自分、女子ではないな、と思ったものだった。
でもこれも、精一杯良く言えば「見た目より実の重視」の性格と思っておく。
以前、転居に当たって、それまで仲良くしてくれた方からお餞別をいただいたことがある。薬箱だった。今でも愛用していて、素敵な贈り物だったと感謝している。
ただその時に「あなた、流行り物とかブランドとかより中身重視の人だから、こういうのがいいと思って」と言われた。
私をよくわかってくれていてとても嬉しかったと同時に、ちょっと情けなさを感じたのも覚えている。洒落っ気や飾り気や潤いの全くないこのまんまでいいのか、と。
冒頭のエッセイを読んで思ったのは、私なら迷わず色より理想の使用感を取るということ。
結局「実を重視」は変わらずにきてしまったようなので、取り敢えず花でも飾ろうかと思う今日この頃である。(了)
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