石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -45ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 うちの校舎が人気ドラマの撮影に使われた。高校時代のトピックだ。ウン十年も昔の話である。

 

最近、その再放送をたまたま見た。で、なぜロケに使われたのか、深く納得した。

建物がレトロで趣があるのである。良く言えばそうだが、フツーに言えばボロ。何せ、女子高生が屋上から転落死したという事件を探る刑事が、「こんなにあちこち塀が傷んでちゃ、落ちても仕方ないな」とかのたまうのである。近代的なお洒落な校舎では困るのだ。

 

そもそも自分、この学校の入試の時に、身をもってボロさを実感した記憶がある。

空調が悪かったか何だかで窓を開けようとした。しかし回転する形式の取っ手がめちゃくちゃ固い。やっとこさ開けられる位置まで回すことができたと思えば、今度はどう押してもビクともしない。若いので力で押し切ろうとする。120%のパワーでドついた瞬間、一気に向こう側へ跳ね開いた。危うくリアルに転落するところだった。

 

また、建物が古いので、廊下などを走ると足音が尋常ではない。遅刻ギリギリ、何とか滑り込まねばという事態になっても、気付かれないようそーっと潜り込む、などという芸当は不可能なのだった。

 

つまり当時の自分には、レトロだ何だと粋に感じる余裕はなかった。ただただオンボロの不自由さに翻弄されたことしか覚えていない。

 

近年の学園ドラマを見ていると、校舎が新しくてきれいで、キラキラ感にため息が出る。そんなところで毎日を送っていると、逆にレトロに憧れるのかもしれない。例のドラマ再放送を見たときの自分も、思わず他人事に「いい雰囲気の学校だったなあ」と、感じ入ってしまった。

 

ただ、新しいものはやっぱり進化している。最近旅行先で泊まったホテルは、バブル期に流行ったリゾートマンションの払い下げらしく、リフォームしてはあったが、とんでもなく動線が悪かった。有り得ないところに段差があってやたらに躓いたりもした。今の自分がいかに暮らしやすい環境にいるのかを痛感した。間取りにしてもバリアフリーにしても、格段に技術革新が進んでいるのだと。

 

年が嵩んでくると、何が大切かの優先順位は、体調と時間が急上昇する。それらの比重が高まれば高まるほど、怪我や手間を減らす技術があるなら、できる限り甘えたいと考えてしまう。

 

昔ながらの人情を匂わせる昭和ののどかな町並みには、確かに居心地の良さがあった。最近のそれを持ち上げる傾向もよくわかる。

けれど懐かしさはあっても、あの頃に戻りたいとは思えない自分は薄情者なのだろうか。

 

不便は不便なりにこなしていた。けれど一度便利さに慣れてしまうと、もうそうはいかない。そんなことを重ねていくたび、別の何かを置き忘れると気付いてはいても。

 

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 のび太じゃないが、昔から人をうらやましがってばかりいた。

 

子供の頃は「自分の部屋」。姉妹がいたのでずっと相部屋だった。だから友達がベッドの位置を変えるとかカーテンを春らしくしたいとか言うのが、夢のようで憧れた。けれど悲しいかなピンと来なかった。ベッドの向きをどうするとかカーテンの模様は花か葉っぱかと悩んでいる、と相談されても、イメージがさっぱりわいてこないのだった。

 

学生の時は成績や部活。自分は何百番というレベルの成績で、でも近しいクラスメイトが「今回順位が二桁に落ちちゃって」と悩んでいた。自分だって頑張ったつもりなときにそう愚痴られると、うらやましいを通り越してさめざめとしてしまった。

また、「あと少しで勝てた試合を、何が足りなかったか」と悔やんだり反省したりする部活仲間には、うらやましいは歪んで変形してひねくれた。そもそもレギュラーになれず試合にも出られなかった自分には、そんな悩みは雲の上、全く共感が涌かなくて「こっちに言うな、バカヤロー」だった。

 

思春期になると一番盛り上がるのが恋バナ。ところが自分に発信できる話は全くなし。聴くだけでも楽しいが、正直、ドラマか漫画かどっか遠くのファンタジー? てな感覚でしか捉えられなかった。だから、クリスマスどこ行くなどのワクワク感も、彼氏の不誠実やら失恋やらを悩んで泣いてやつれるのも、連発されるとイヤになる。こっちからしてみれば「そんなの関係ねー!」としか思えない。狭い心の持ち主だった。

 

思えばいつも、世の中でその年齢でメジャーなことが、自分には欠けていた。だからそのレベルにいる人の愚痴を、「レベル一つ上の悩み」と名付けて羨み僻んでいた。そういうレベル差があって「その気持ちわかるわかる」などとは慰めることができないこちらに、悩み相談してくる相手が腹立たしかった。「自慢なの? 自慢したいだけ?」と思わせられ、ぎくしゃくして関係が終わった友人もいる。

 

そうして気が遠くなるような年月が過ぎてから、「あの人の気持ち、これだったんだ」と腑に落ちることがある。今更ながら「わかるわかる」と言えるようになったことが少しは増えたのかもしれない。それにしても世間一般の人からしてみれば、大幅に遅れている。未だに欠けている「当たり前」なことも自分にはまだまだある。

 

経験が乏しいということは、相談されて嫌な思いをしたり狭い心しか持てなかったりと、とても寂しい人間になってしまうのだろうと思った。

自分自身を振り返ってみても、躓いた時に相談するのはその分野で豊かな経験がある人だ。人として人に温かく接することができるのはそういう方なのだとつくづく思う。

 

そういう意味で、自分はいつになっても嫌な人間を脱しないのではと切なくなる。これなら自分に相談して、と胸を張れる分野がない。


ああ、1つだけ。

本人がどれだけ純粋に悩み相談のつもりでいても、相手によっては自慢話にしか聞こえないことがある。「あなたにはわからないでしょうけど、私ってこんなに大変なのよ」と。それがどんな気がするか。それだけはわかる。それなら経験豊富だから。

 

(了)

 

 

 

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 ここに、近所のパン屋さんの割引券がある。

 100円分。これは、年末に先着△名様○○円以上買ったお客に配られたカレンダーにくっついているものだ。毎月1~2枚ずつあるから結構お得。ただし、1回につき1枚しか使えないとの条件付き。

 

 その券を使いたいがために、律儀に1月に2回そのパン屋さんへ行く。そこで○○円以上たくさんとか特典対象のパンなどを買ったりすると、更にまた割引券がついたりする。そうするとそのパン屋さんに行く頻度は月4とか5とかに増えていく。自動的に券も増え、ますます行かなくてはならない、という、追い立てられるようなマスト事項となる。期限付きなので、その月末までには何としても達せなくてはならぬ、という強迫感で雪ダルマ式にこうなってしまうのだ。

 

 もしも行かなければ買うこともないであろう何とかデニッシュとか何たらパイも、現場で見るとつい欲しくなって買っちゃう。100円安くするために行って、有り余るほど余計な散財をして帰ってくる。
 つまり実際、もはやお得なのかどうかよくわからない……。

 

 何かに似てるなあ、と思い当たったのが駐車券。スーパーやデパートにマイカーで出かけた時のあれである。

 

 場所にもよるが、2000円以上2時間無料とかそんな感じ。これ、必要もない物を無理矢理買って2000円にしようと結構必死になる。また、2時間が迫るギリギリで各駅停車のエレベータに当たったりすると、叫びたくなったりもする。

 

 よく考えれば、2000円に足らずとも駐車料金はせいぜい200~300円くらいだろう。時間過ぎても超過料金だって店によっては端数扱いで0円のこともある。

 

 薬局とかネット通販でも同様だ。「今月あと○○円買うとあなたのランクはゴールドにアップしてポイントが倍増します」とか、「今○○ポイント貯まっているので○月中ならその分割引になります」とかのお誘いが。これも無理矢理その金額、その期限に合わせようとして頑張ってしまう。

 

冷静になれば、もしやむしろ損してるかも? という無駄な増殖買い。振り回されずにマイペースに買いたい物だけ、好きな期間に、好きなだけ時間をかけて。その方が精神衛生上もよろしいような気はする。

 

でもでもでも。

やっぱりちゃんと期間中にちゃんと割引を受けた、という満足感でちょっとの幸せを得る。それだってお買い物の醍醐味だ。だからせっせと割引券を集め、せっせと期間内に出かける。それがパン屋さん達の策略でうまく引っかかってるとわかっていても。

 

けれど、そこのパン、大変に美味しいのだ。美味しくなければこうはならない(はず)。策略通りにハマってるよなあと思ってはいても、「ま、いいか」となるわけである。

 

消費者心理学とか購買心理学なんて名前の学問もある。ちょっと興味出てきた。(了)

 

 

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 甲子園てのはお化け屋敷か?

 これは、あだち充先生の国民的野球漫画「タッチ」の登場人物、原田正平君の名言である。

 

人間離れした野球力を持つ高校生が出現するたび「怪物」だとか「化け物」だとか呼ばれ、ビックリするプレイが出ると「魔物」が棲んでいると騒がれる。それを皮肉ったわけだが、大笑いした。

 

 今年も大盛り上がりのうちに幕を閉じた高校野球。広陵の中村君が清原氏のホームラン記録を32年ぶりに更新した。これも「怪物」のうちに入るのだろう。

 が、自分が思ったのは別のことである。

 

 なぜ、こんなにも大逆転ができるのだろう。

 

 最近はプロ野球のひいきチームがふがいなくて、そういうどんでん試合から縁遠いせいもある。1点がとても遠い、というケースもよく見る。だから、もうあと1アウトで終了、でもランナーなしで点差は6点ある、なんて状況でひっくり返すのが信じられないのである。

 なのに、高校野球では珍しくない。

 

 諦めない。そういう土壇場でも絶対諦めていない。その集中しきった目が、その力一杯のスイングが、そう叫んでいる。一人が決死のファイトで一塁に生きると、次が同じように続き、またその次がつなげ、そうして奇跡がやってくるのだ。

 

 その現象を、一体どう思ったらいいのだろう。科学的に説明がつくものなのだろうか。

 

 高校生。その年代は、感情に左右される度合いが大人より大きいだろう。だから感受性はこちらの想像よりよっぽど大きくて、それがもたらす伝染力はとてつもなく強いのではなかろうか。


 そうしてチームに濃く漂った「勝ちたい」「勝てる」「できる」という思いが全員に深々と浸透する。たとえそれをできる実力が足りてなくとも、その伝染力は実力を2倍増し3倍増しにするのでは。

 

 結果。大人には信じがたい崖っぷちからの巻き返しが、大逆転が起こり得る。

 

 と、そんな風に思うしかない。もちろんしんどい練習をさんざん重ねた努力の結晶であることは間違いない。だけどそれを超えた、精神力というか、熱力というか、理屈じゃないものがある。

 もはや「超常現象」と言っちゃっていいのではないだろうか。これは個々の天才の「怪物」や「化け物」だけではなく、他の選手達にも表れる。一般に勢いとか流れとか言われる頼りないものだが、確かに存在している。

 

 つまり、やっぱり甲子園はお化け屋敷なのだ。なるほど、だから私達観客はこの2週間、絶叫するわけだ。

 

花咲徳栄、埼玉初優勝おめでとうございました。


(了)

 

 

 

 

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 大阪って、外国だと思う。


 それが、東京人の自分の素直な感想だ。常にユーモアを持ち、しゃべることによるコミュニケーションを大切にし、表情が豊かで、全くの初対面でも人見知りしない。自分がアメリカ人に持っている印象と似ているのである。


更にあの関西弁が、他人との距離を縮めている気がする。何か、そこまでいくのに結構苦労する自分からしてみると、労力80%くらい省エネなんじゃないかって、うらやましい。

 

 大阪へは何度か出かけたことがあるが、その度にそういう思いを抱く。

 あるときは、電車で隣り合わせたオバチャンに「昨日の××の○○はねえ」なんていきなりテレビの話をされて、私? 私なの? と周りをキョロキョロ見回してしまった。

 またあるときは「道頓堀ならこう行ってそう行って」と目指しても聞いてもいないのに丁寧に教えてくれて、そのフレンドリーさに脱帽した。

 

 そして先日である。

 その日私は、大阪城を見に行こうと広い公園をウロウロしていた。

 

部活らしき学生がたくさんトレーニングをしていた。その中で「趣味ランニング」みたいな気合い入ったウエアの大人の方々もいっぱい走ってくる――と思った瞬間、沿道から拍手と歓声が上がった。


へえ。マラソン大会か。知り合いの応援か。にぎやかだな、と思った。

だが。

やってきたオッサンランナーは、両手で力一杯「カモン!」のゼスチャーをしたかと思うと、「もっと応援盛大に来いや!」と更なる盛り上がりを要求したのであった。


その振り切れ方。こちらのつまらない悩みとか、むしゃくしゃした気分とか、どうでもよくなってしまいそうな突き抜けた感じ。

 

小雨が降ったり止んだり。豊富な木々がその湿り気の香りを漂わせている……などと詩人の気分でいたら、水の気配はそれじゃなかった。

ばちゃばちゃ音がするのでよく見たら、お堀である。まあお城だから。

いやいやでも。目をこらしたら、人が泳いでいるじゃんか? 何人も??

いやいやいや。こんな濁った水にまさか、と間の小道を渡ろうとしたら、緑のオバサン的に旗で止められた。そのウィンブレの文字。

「大阪城トライアスロン」???

そういえばそんなポスターを通りがかり見たような。

 

翌日の新聞に「大阪城スイスイ」なんて記事が載っていた。けどお城のお堀で泳いじゃって、しかもトライアスロン大会にしちゃうなんて。何というか、意表。あり得ない。最高に笑えてしまった。

いや、きっと、それも大阪人の求めているところなのかも。

 

 前日、はるばる観に来たひいきプロ野球チームがバカ負けした。でもそんな鬱鬱をも吹っ飛ばしてくれた大阪節だった。(了)

 

 

 

 

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 自由なテーマで物語を書く。

 これはアマチュア作家の特権だという。プロになると、様々な制約により、書きたいことを書かせてもらえないとよく聞く。

 要するに、読者ターゲットに対応した物を書けるのがプロだということだろう。

 

しかし、好きに自由に書ける身分だから大喜びで筆が進む、となるかというと、自分の場合そうでもなかったりする。

 

テーマ:自由。それが結構難しいのだ。

特異な経験、波瀾万丈の人生、の手持ちはない。ごくごく平凡な人間でしかない自分には、基本的に日常をすくい取って面白さを見出すことしかできない。そして、日常の中の面白さ、という些細なものは、時間と共に埋もれていく。忘れんぼの身としては、さあ書こう、と思っても、なかなか浮かんで来ないのである。

 

ところが最近、「お題」をいただいて書く、ということを繰り返しているうちに気付いた。どうも自分、「自由」より「お題」がある方が書きやすいタイプの人間らしい。


そんなんでいいのか、と必死で「自由」を模索していた時期もあった。

が、「特に書きたいことがあったわけでなく、書けと言われたことについて書いてきた」との、あるプロ脚本家さんのお話が、すとんと落ちた。その方は今も素晴らしいドラマをたくさん書いておられる。そういうタイプがいてもいいのだ、と思わせてくれたのである。

 

お題が、例えば「猫」だとする。なら、自分は猫について何を連想するか、どう思っているか、猫好きな友人がどんなことを話していたっけ、などと考える。岩合光昭さんの映像や写真集を見たり、「猫」がタイトルに入っている本を片っ端から読んだり。


そうしているうちに「自分は猫を飼ったことがないからリアルな猫の話を書くのは難しい。けれど猫に何らかの思い入れがあって追いかける人の話なら。その思い入れの部分を、昔なくしてしまった大切な宝物への思い入れにすり替えれば書ける」と、まさに豆電球が点る瞬間がやってくるのだ。


その時に驚く。ああ昔、こんな宝物を持っていてそうやって大切にしていたっけなあという記憶。それを引っ張り出せたこと。


 そうやって「書ける」と思えるまでには時間がかかる。けれどそう思えたら、しめたもの。

 その宝物への「思い」がテーマになるのである。


 そんな風に「お題」をこなしているうちに、自分が些細な経験に対して何を考え、どう思っていたのかに改めて気付く。それが独自の色づけとなる手応えが面白くなってくる。そうなると、書くことを止められない。


 だから今日も苦心しながらテーマ掘り起こしにトライしている。(了)

 

 

 

 

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 いつの頃からか、毎正時ちょっと前には天気予報を見るようになった。朝6時にも7時にも8時にも。気付けば夕方帰ってから寝るまで1時間ごとに。

 おかげでチャンネルごとのお天気おじさんやお兄さんお姉さんを覚えてしまって、まるで知り合いかのように「○○さんが今日は雨だって」とか話している。


 もちろん、天気が気になるからであって、雨に遭いそうなら折り畳み傘、気温が高そうなら半袖、と持ち物服装を決めるために見ている。


 が、こんな頻度で見る必要もないはず、とあるとき思った。そして気付いた。

 見る番組が年々狭まって限定され、その中で残った究極が天気予報なのだ。


 かしましいアナウンサー、苦手なタレント、俳優が出ている情報番組やドラマは見なくなった。勢い、うなずけるなあ、ミニ知識がつくなあ、この人好感持てるなあ、などと、納得する物、性が合う物に偏ってくる。


 最終回を迎えるまでは、天気予報の次に習慣だったのが「いいとも」だった。気付くと「ミュージックステーション」とか「ボキャブラ天国」(古っ)とか、タモリばかりを見ていた頃がある。特にタモリが好きだったわけではなく、好きな番組にタモリがいたのだった。今もうっかりすると「ブラタモリ」。つまり、タモリと相性が合っている(ごめんなさい、一方的です)らしい。


 最近だと、あれっ、と思うと谷原章介が出ている。見る番組にやたらと彼がいて、何だか馴染んだお友達のようになってきた。この人、「ハンサムスーツ」のときのはじけっぷりを見てから大好きになってしまった。


 林先生もそうだ。「いつやるの? 今でしょ」のCMを初めて見た時は、この塾絶対行きたくない、と思ったものだが、バラエティに出るようになってから覆った。気さくで気取らなくて物知りで教えるのが上手い。


 林先生、「ネプリーグ」(フジ)も好きだが、一番好きなのが「グッド!モーニング」(テレ朝)の「知っているとちょっと得することば検定」という5分くらいのコーナー。「今日のことば」自体、毎日1つずつお利口になる気がして興味深いのだけど、三択の一つに必ずあり得ない「ボケ」がある。正解よりついそっちを先に考えてしまうほど気になるスベり加減。それを作ったスタッフへの「ツッコミ」や、ちょっと横道に逸れた方面への妙に力んだ解説も、先生の明るいお人柄が表れていて愉快。


 CSを入れてから、地上波はあまり見なくなった。余計なゲスト解説とか前振りが全くなくて、見たいもの自体を堪能できるからだ。これに慣れると地上波の番組の作り方について行けない。だから、厳選してしまう。


 というわけで、今日もお天気と谷原さんと林先生の番人です。(了)

 

 

 

 

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 夏休み、涼しい高原に数日避難。そこで湿原を散策したりしてみたのだが、そのときの出来事。

 

どしゃ降りの雨上がり、道は水溜まりだらけ。場所によっては端っこの、水はないけどかなりぬかるんだ細い泥の上をそろりそろり渡るような状況。

何回目かに、対面の男性がちょっと待って先を譲ってくれた。感謝しつつ、不安定な足取りでズルリ、「おわっ!?」みたいになった瞬間、彼は反射的にこちらを助けるように手を出した。

どうにか踏ん張ったのでその手を借りることはなかったのだが、欧米系の若い男性だった。さすがである。全くの自然体なのだ。

多分、幼少から「男子たるもの女子には常に手を貸すべし」とか育てられ、普通に身に付いている挨拶的な最低限のマナーなのだろう。

 

思い出したのが昔観た映画「フットルース」。高校生の男の子が、車から女の子が降りようとするのを制して運転席から降りるシーンがあった。グルリと車の後ろを急ぎ足で周り、女の子のためにドアを開けてあげる。それをやってみたくてしかたない、ジェントルマン準備生みたいな。

あれを観た時の衝撃といったら。だって普通の高校生でしょ? 未成年でしょ? 要はガキんちょだよね? そんな子供が、ケンカはしたってエスコートなんて、日本じゃ全く見たことないし。

 

何かのバラエティーでの実験を見たことがある。年配男性に、奥さんが座るとき椅子を引いてやるというもの。

これがダメダメ。やり慣れていないのでタイミングが計れない。奥さんが「どうしたの? 何か忘れ物?」とか心配し出す始末。奥さんの方もそんなことに慣れていないので、いぶかしんでしまうのである。

 

何年か前、電車で気分が悪くなって、駅でしゃがみ込んでいたことがあった。その時真っ先に心配してくれたのが外国人の方。当たり前のように立ち止まり、「Are  you  ok?」と聞いてくれた。とてもありがたくて涙が出た。

それは女性だったが、同じことだろう。男性が女性を大事に扱う、ということは、弱者、困っている人への親切に通じるんじゃないだろうか。席を譲ったりの小さな親切ですら、照れが入ってしまう日本人。文化的な問題なのか、初等教育に違いがあるのか。

 

まあとにかく。

自分がくだんの湿原の彼にほわんとなったのは言うまでもない。

しかし、それがもしうちの旦那だったら? それこそいぶかしみ、内緒の借金でもあるんかい? と勘繰ってしまうこと間違いなし。

 

 悲しいほど日本人。

 男性側がこなれていなければ、女性側も居心地が悪いのだ。

 けれど、大事扱いされることは嬉しいのだと、たまに王子様に出くわした時に気付く。(了)

 

 

 

 

 

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 巷では「一芸家電」が人気らしい。ゆで卵だけを作る器械、ピザ窯、ヌードルメーカー、アイスクリーム専用スプーン、USB電動うちわ等々。


 確かに魅力的だけど、一度使ったら満足して放置し、機能細分化に一対一となる機器の置き場所に四苦八苦、という危険は大。


 だから多機能がよい、と思う。コンパクトで場所を取らず一台であれもこれもこなしてもらえれば、便利便利。

 ……と思って失敗した人は大勢いると想像する。自分もその一人。


 うちのイエデンの話である。

 FAX、スキャナー、プリンター、コピー、そして電話を兼ねた画期的なお利口家電。大きさは、大体35×40×10のコンパクトさで、お値段も手頃だったため飛びついた。しかしそんな数年前の自分を愚かだったと笑える。


 最初はその多機能にうっとりしていた。しかし目が覚めたのはプリンターのインクが切れたとき。結構な頻度で訪れるこの状況のたびに全ての機能がストップするのである。留守電も聴けない(これに関してはまもなく裏技ボタン押しで何とか打開した)。


 とにかく「インクを変えて下さい」表示が画面に出っぱなしで、他のボタン操作をさせてくれないのだ。

 それでもプリンターが使えた時は渋々従ったが、紙送りの型が壊れた。しかもその部品はもう生産されていないという。

 紙送りがダメなんだからコピーもダメ。で、別のプリンターを買いに走った。


 プリンターとしては使わなくなったというのにインクなしでは他の機能まで使えない。お利口どころか融通の利かないあほんだら。

 FAXはコンビニに走り、そのうちメールの発達につき、ほとんど不要になった。

 残るはスキャナーだが、裏技ボタンを駆使すれば何とか、というレベルで、それがめんどくさくなり、これも単品で買い直した。


 結局、どでかい電話と化しただけである。しかも最近は子機の液晶が壊れて映らなくなり、プッシュした番号の確認もリダイヤルもままならない。


 ーー要らないな、これ。


「インクを変えて下さい」表示を見るたびそう思う。なのになぜイエデンを残しているかというと、メールと連動しているから。

 長年使い続けたパソコンのメアドは、NTTを解約すると解除となる。友達や勤めの連絡先ならスマホにも登録してあるが、ネットショッピングやメールマガジン、何らかの会員、ブログのあれこれ連絡、などが全部このメアドなのである。把握しきれてないものも絶対あって、移行するのが億劫……。


 結局はプリンターもスキャナーも二台ずつ、電話はスマホですませていることになり、全然場所の節約にもなってないし、全然便利遣いもしていない。


 電話は電話。プリンターはプリンター。使いこなせる器量のない自分には「一芸家電」が一番だ。壊れた時に、それだけですむ。いまだ部屋の真ん中にどっかり居座る「インクを変えて下さい」ボックスを見るたび思う。(了)

 

 

 

 

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 これが悩む。恐らく物を書く人はみんなそうだと思う。

よく言われるのが、内容が集約されていて、かつネタバレしない、お? 何だろう? と興味をひくもの。

難しい。

ジャンルにもよるけれど、私がもらったアドバイスは、それに加えて7~8文字以内、正反対の言葉の組み合わせ、普通は漢字で表記するものをひらがなにして柔らかさを出してみる、とか。

 

私の場合、タイトルが先に決まっている方が断然書きやすい。

テーマもキャラも作り込んで、ハコにエピソードが並び、ベタ書きが8割進んでもまだ浮かばない……となると、相当苦しい。

その前後にタイトルが決まったとしても、それに合わせたエピソードやテーマとの繋がりを書き直したり加えたりする必要が出てくる。そうすると、大抵流れが悪くなり、また悩むことになる。

 

物語を書き終わってしまってもまだ決まらず、アホなことになった経験がある。

上がり症で人前のスピーチが苦手な人が、それを克服していく話だった。

悩みに悩んだあげく、スピーチを歌に見立てた象徴として「カナリア」を入れ、開眼するわけだから「夜明け」かな、でも片仮名が入ると固いかな、とか迷走し、「かなりあの夜明け」となる。

考えすぎて何だかもうわかんないけど、ま、いっか、と友人に見せたら、「かなり、あの夜明け、って何?」と首をひねられた。

日本語って難しい……。懲りすぎてもいかんのです。

 

人によって好みがあるだろうが、私は「フォレスト・ガンプ」など、名前そのもののタイトルはあまり好きではない。

 

少女マンガの往年の名作、「ガラスの仮面」「ベルサイユのばら」などは秀逸だと思う。

前者は仮面が演劇を示しているし、役者本人の感情がガラスの繊細さで隠されているという意味もわかる。

後者はフランス革命の中の女性達の話だということが、鮮やかに表れている。

そしてどちらも語呂がいい。

 

かなり前の映画だが、うまいと思ったのが、「ヒーローインタビュー」。野球選手と記者の恋という話の骨格が一言で表されている。

 

小説ならば「八日目の蝉」。蝉が地上で七日しか生きられないことはよく知られているので、八日目って何? と思わせるし、もの悲しさやしんどさまでも感じ取れる。

 

個人的に目指しているのは、何年か前の「PA」という少女漫画。読みきり連載で、毎回副題があった。

「そのときロミオは16だった」「ショパンの正しい楽しみ方」「吉宗とティータイム」「ジャック・ザ・リパーへの伝言」「サロメの口づけ」。

毎回有名人の名前を入れることにしたというが、どれもしゃれていて、内容の集約なのにネタバレせず、かつ何だろうと思わせる。

タイトルが浮かばなくて悶え死にしそうなときは、ここへ立ち返ってみる。(了)

 

 

 

 

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