石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -45ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 たとえば、家族が使ったハサミを元の位置に戻さない。あるいは会社の上司に無理難題を押しつけられる。理不尽な理由で彼氏にフラれる。どれも度合いに差はあるだろうけど、イラッとくる腹立たしい一件である。

 

 どんな人でもムカツク状況を経験しない人はいない。そんなとき、皆さんはどうやって折り合いを付けているのだろうか。

 

自分の場合、実に単純明快である。

「ネタにしてやる」。この一言に尽きる。

 

自分で経験したことほどリアルに重みを持って書けるものはない。しかも腹が立ったことほど共感も得やすい。

 

そうなると、これほど胸がすく対処法はないと言える。自分で書く架空の世界なので、そういう輩にこてんぱんな天誅を下してやる展開が可能なのだ。いまだ実現はしていないが、その作品が多くの人の目に入る状況になれば、その本人が見て「自分がモデルだ」とわかり青くなる。そんな復讐もできるわけである。ざまあみろ、と高笑いである。

 

そうやって苛立つ案件を洗い出すようになってから、まあ出遭うこと出遭うこと。今の時代、おかしな人が多いし、おかしな出来事もおかしな制度もおかしな慣習もやたらにある。あらら、ネタの宝庫すぎ。物書きもどきにとってはこれほどオイシイことはない。

 

腹の立つことがある度、メモして「ふっふっふ」とにやける。そんな風にやり過ごしていると、まあ精神状態もよくなる。解決するために何か手を打たなくてはいけない場合は別として、お酒やらジムやらで憂さ晴らしをするよりも安上がりである。そして落ち着く。心が安定する。何があっても自分にはこれがある、と思える拠り所があると強い。不条理や不可思議と思えることに出遭っても、余裕を持っていられる。

 

だからなのか最近、「優しそう」とか「穏やかだね」と言われることが増えた。そのせいか、周りからの人当たりがよくなったような気がする。それに反射するように自分もそうそう殺伐とはしなくなった。つまり腹が立つことが減った。

 

あ。そしたらネタがなくなっちゃう。それはマズイぞ。

さあさあ。腹立たしいこと寄ってらっしゃい。

 

(了)


 

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 最近、二度手間三度手間になってイラッとすることがある。いや別にそんな大ごとではないので、流せば流せるのだけど。

 

 例えば、健康ランドとか温泉宿などの服や靴用ロッカーの鍵。鍵穴に差し込もうとして入らなくて上下ひっくり返してもう一度。これでも入らなくて、あれれ? と思いながらもう一度ひっくり返して(つまり元通りにして)ブスッと行く。初めにもっと思いきり差しときゃよかった、と後悔しながら。

 要は鍵のどっちを上にして入れればいいのかわからないのだ。ちなみに家の鍵は上下どっちでも大丈夫なのでこういうストレスはない。

 

この一見大したことのないちょっとしたもやもや、結構出くわす。

 

 USBがそれだ。メモリにバックアップするとき、マウスを繋ぐとき、スキャナーやプリンタを接続するとき、ブルートゥースのイヤホンを充電するとき。ケーブルの端をパソコンに差す際、上下をよ~く見ないと拒否される。こういった精密機器の場合、歪んだり何かが折れたりしたら被害が大きいと思われるので、とても気を遣う。ちなみに自分、USBメモリには上側に目印のシールを貼った。

 

カード類も怖い。SDカードは通常のものならまだしも。スマホに出し入れするマイクロSDなんか、どっち向けに入れていいのか本当に困る。最後に一押しする必要があるけれど、もし逆向きで強引にそれをしてしまったら。その後の煩雑なリカバー作業などを思うと、今からめんどくさくて憂鬱になる。不器用さに拍車のかかった最近は、そのちっこいカードを指でそっとつまむことすらなかなかの難題だというのに。

 

ああ世の中の物体が小さくなっていくからついて行けないんだわ……と嘆いていたら、そればっかりではなかった。

 

我が家のお風呂の給湯口。別に小さくはない。たぶんよくあるタイプの、丸いステンレスのカバーがあるやつ。それを取り外して掃除した。

さてお風呂を焚こう、とはめ込もうとしたら……入らない。丸いからどこが正常位置なのかがわからない。グルグルグルグル回す。ああもうテキトーでいっか! と力づくでバコッと押し込んだら……湯張りを始めた途端に激烈噴水状態に。あちこち飛び散って湯船にお湯が溜まらない。でも外そうとしても無理無理はめ込んだのでビクともしない。

……水道屋さんに来てもらった。やっぱりちゃんとした定位置があるということだった。

 

てわけで、今の時代、上下がわからない物が溢れ返っている。それをちゃんと確かめる手間、しくじって原状復帰にかかる時間、積もり積もって結構なことになっている気がする。

上下色分けするとかハッキリ「上」「下」と書いてくれるとか……何かないですかね。

 

 

(了)

 

 

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 書くに当たって一番苦しい時期。それは何もやることがないとき。あくまで自分の場合だが。

 

 今まさにそれである。並行で書いていた複数の物語に、どれもほぼエンドマークが付いた。ホッとして達成感にしばし浸っていた。

 が、その間も次を書かねば、と思ってはいた。なのに期限があるものがしばらくないのでダラダラしてしまっている。

 

 ぐっちゃぐっちゃだった部屋の書類を整理したり、溜まりまくった録画を見まくったり、接骨院や目医者で体のメンテナンスに励んだり。

その合間でもいいから何かネタを考えろ。頭はそう命じるのだが、これが全く何も浮かんでこない。

 

以前このブログで、時間を効率よく使うためには細切れ時間にネタを膨らませ、アイディアをまとめ、まとまった時間が取れた暁には叩き台の何十枚をガンガン進めるのだ、と書いた。書いておきながら、今、まとまった時間があるのにやることがない。アイディアが出ない。出ないのよ~~!!! 叫びたくなる。

 

おかしいな。一月前には課題やら卒業制作やらでめっちゃ書く時間が足りなかった。その上バイトが決算期で忙しいわ、体調崩すわ、唐突に遠出の予定が入るわ。でもその隙間を縫って、3つも書き上げたのだ。直しはこれからするとしても、取り敢えず叩き台が書けたのだ。よくやった、自分。拍手。と思えるほど。

 

今はヒマである。全くアイディアが出ないので、やることがないのである。

 

書きたい思いはあるのにネタがない。いや、ないわけじゃないけれど、最近気付いた。


自分が「これを絶対書きたい」というヒリヒリするような飢餓感、追い立てられ感。そういうネタでないと、書き上がった後にあまりの不出来にガッカリする。気持ちが入っていないことがこれほど見え見えになるものなのかと唖然とする。

自分に取って、気持ちを込められるネタは何なのか。それを掘り起こすのに苦労する時期が定期的にやってくる。今回は1年ぶりくらいか。

 

日常で、不思議だったり腹が立ったりしたこと。通りすがりに聞こえてきた面白いセリフ。新聞で読んだ社会問題。そんなことを書き留めたメモはあるのだが、それがどうにも機能しない。膨らんでいかない。自分の何かとシンクロしてこない。これが、一番苦しい。

 

もちろん、書いているときに進まなかったり時間がなくなったり扱える度量がないことに気付いてグッタリするのはとても辛い。

でも、何を始めていいのかわからないのはもっと辛い。始めることさえできれば、何を調べようか、どんな切り口にしようか、どう展開しようかと、芋づる式にやることがうじゃうじゃ出てくるのに。そうやって勢いづいて書いている最中は、しんどくても楽しいのだ。

 

早く行きたい、その境地へ。

……ああ、ネタ何にしよ。早く出てこ~い。

 

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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 球春到来して早一ヶ月ほど。今年は少し、前のめりである。

 

 自分のひいきチーム、昨年は酷かった。先制されればズッシリ重く、追いつけないうちに引き離される。点を取る気配すら漂わず、たとえ取れても焼け石に水程度の反撃。

 珍しくもこっちが先制すれば、必ずと言っていいほど逆転され。だから先発ピッチャーは1点も取られちゃならない重圧から崩れ、すると勝ちパターンの中継ぎは使えないのでぼかすか打たれる。エラーもてんこ盛りで大敗。

 

 ……みたいなパターンばかりだったので、開始15分ほどで「今日も終わった……」とテレビを消すことが殆どだった。ちなみにこの予測が覆ったことはほぼなかったシーズンだった。「どこが筋書きのないドラマなんだ!」と世界の中心でもないところから叫びまくった。

 毎年足を運んだスタジアムも、去年は一度も訪れることなく。全くもってつまらない一年だった。

 

 が、今年は何だか違うぞ。

 

 新人が二人スタメンに名を連ね、活きがよい。触発された従来メンバーも負けじと打つ、守る、走る。

 まだ4月なのに去年の勝ち星に並んだ投手もいる。抑え陣も機能している。

 4,5点くらいのビハインドなら、ひょっとしてひっくり返すかも、との期待感で目を離せない。

 

 いいなあ、こんな風にワクワクできるのって。疲れて帰ってきてもチャンネルを合わせて勝利を信じる楽しみ。結果的に勝てなかったとしても、「もしかして」と思わせてくれるドキドキ。そういうのがあるのとないのじゃ、毎日がまるで違う。

 

 たかが野球、されど野球。

 

 それが野球じゃなくても、サッカーでもカーリングでも、ドラマ鑑賞でもあるいはケーキやお酒でもいい。誰だって不満やストレスのない人はいない。マスト事項だけの毎日じゃ辛い。一見無駄に見えても、これがあるから乗り切れる、っていう趣味は大事だと思う。

 

 自分にとっては野球がそれ。

 ちなみにCS加入やグッズの購入、スタジアム入場代、現場での飲食等々、結構お金かかります。しかも一試合3時間平均。自分のひいきチームはどうやら野球大好きらしく、4,5時間の長丁場もざら。結構時間も取られます。

 

 でもこんなにワクワクしてガッカリして、大声出して毒も吐ける。ストレス発散には最高だ。ちなみに不甲斐ない去年のような負け方をされると逆にストレス倍増というリスクはある。

 

 ま、喜怒哀楽がギッチリ詰まっていることは間違いない。しばらくそのうちの怒哀しか感じさせてもらえなかったので、今年はその分倍の喜と楽をいただきたいと思います。


 ……と、きれいに終わるつもりが、ただいま4連敗の怒哀中。今にもテレビを叩き壊しそうです……(泣)。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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 ヒモ、◎、パンチ。これが投稿準備のための自分の三種の神器。

 

 シナリオや小説のコンクールに応募しようとする場合、もちろん原稿を仕上げるのが最も大事。でもその後、発送するまでの作業が、意外と手間暇がかかる。

 

 まずやっかいなのが、本文以外の添付事項である。

 氏名住所経歴などの個人情報は今までの投稿分からコピペすればよいが、梗概=あらすじは難敵。

 大体が800字制限だが、50~60枚のシナリオなどの内容をその長さにコンパクトにインパクトをもって収めるのはなかなか手強い作業なのだ。

 時間を置いて見直すとひどい出来なことが多いので、直す時間を確保するため早めに作っておくようにしている。大体が本文がラストまで辿り着いた時点でざっくりあらすじを書き殴る。で、本文にああだこうだと直しを入れてどうにか提出できるな、と思った後にもう一度それを見直す。これだと一から書き始めるわけじゃないので心の負担がまるで違う。

  

 で、やれやれ提出物が揃った、と思うわけだが、その後がまためんどくさい。

 

自分の場合、まずページ設定を詰め詰めで下書きしているので、募集要項の書式に直す。そのときに、「っ」「々」などが行頭に来ないよう禁則処理してあるか確認。改行などでの崩れがないかもチェック。

更にヘッダフッタを消す。「――」「……」などの二マスで一組の物の間が空かないよう変換。そうして印刷。誤字脱字の確認。

 

 ここで三種の神器その1のパンチが登場。しかし自分のはちゃちい代物なので、一度に10枚以上の穴空けができない。地味に9枚ずつガッコンガッコン空けてゆく。

 そしてその2、◎の出番。空いた穴の補強シールである。ただ、50枚以上ある紙全ての裏表に貼るのはさすがに面倒なので、上から5枚下から5枚だけに貼る(根がケチなせいもある)。

 そしてその3、ヒモを通す。その結び方も、投稿初心者だった頃はテキトーだったのだが、最近ではハウツー動画が出回っていて、その通りに二重にかっちりやるようになった。

 

 こうして仕上がった応募作品一式を、レターパックに封入。大体360円のもので収まる。昔は簡易書留で送っていたが、この方が安いしポストで出せる。

 ただし、応募要項に「書留に限る」と注意書きがある場合はそうする。レターパックが書留の要件を満たすのかどうかわからないので。郵便局の人に訊いてはみたが「そう注意書きがあるなら書留をお薦めします」とのお返事だった。そうすると郵便局へ出向く必要があるので、更に時間の余裕を見ておかなくてはならない。

 その投函をもってようやく投稿が完了するわけである。ーー脱力。

 

 この作業に、毎回半日は費やす。だからあまりギリギリまで原稿に手を入れていると、せっかく書き上げたのに発送する時間がなくなってしまう、という悲しい事態になることを、長い経験の中で覚えた。

 今ではこの作業、ルーチンと言えるほど普通にこなせる。それほどに投稿慣れ(だけ)してしまっていていいのか……との疑問がありつつ。


 でも最近ではネット投稿というところも増えた。これまで述べてきた印刷以降の作業が全てパス出来るのだ。

 何て楽なのだろう。出し終えたポストに思わず一礼二拍手してしまう解放感がないのは寂しくもあるけれど。

 

      (了)

 

 

 

 

 

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 去年の暮れ近く、体調を崩して病院へ行った。時期的に同じような人々で待合室は溢れ、席さえ確保できないくらい。具合が悪い上に座ることも出来ず、空気は澱み、延々と待たされる中。ハズレに当たった……。

 

 ようやく座れた席の、すぐ横に立っているお母さんと小学生に向かい、どこの奥からやってきたのか、「ああら○○さん!」と、同級生の父兄らしきオバちゃんが。「どうしたの? 風邪?」とそこまではよい。お母さんが「そうなの」とたった一言答えるや否や。「うちはねえ、今朝起きてごはん作ってたら調子悪いけど学校行くって言うからそのまま行かせたのよお。でも結局熱っぽくて帰されるっていうからじいちゃんが迎えに行って、あ、私は仕事に行っちゃってて、仕事っていうのは××で△△のパートなんだけど、それが10時からだから、家には年寄りしかいなくて、で、子供は帰ってきたら吐いたっていうの、それがサラサラじゃなくてドロドロの――」と、その長々しい話は止まらない。

 

 子供の朝一番からの描写、必要ですか? あなたのお仕事がどんななのかは別に興味ないです。病人の事細かな病状は、医者だけに話してくれ。

 と、思いながら延々と続く話を聞くしかない。なぜなら席を立てばもう二度と座れないだろうし。聞かされている母子も、会計の呼び出し待ちらしくそこを動くわけにいかない模様。

 

 その話、一から十まで聞きたいと思いますか? との暴言が喉まで出かかるほど、具合の悪さが倍増される事件であった。

 恐らくそのオバちゃんは親切なのだろう。相手がわからないといけないので、なぜ自分が迎えにいけなかったか、どれだけ子供の病状が悪いのかを事細かにお話してくれた、と。

 

 だけどこの件で、注意しなくてはとつくづく思った。

 物を書く時は説明しすぎてはいけない。リズムが悪くなるし読み手に「そんなことはわかってるよ」と思わせては残念だ。説明が少なすぎてもいけない。読み手がわからなくて途中で放り投げる恐れがある。一から十まで語らずして伝えきるには五くらい? 七? それとも三でいい? この過不足の加減が難しい、といつも思うのだ。

 

 テレビドラマで、いつからか、最終回とかで10分延長という特別措置をするのが氾濫するようになった。それを見ると、「この10分必要?」と思うことが多い。60分の内容を70分に希釈しているに過ぎない場合、テンポが悪くて惰性感ありあり、になるのがよくわかる。


 それを反面教師に、だらだら長すぎてはいけない、と自戒しつつ、必要な部分まで削ってしまって「わからない」とぶった切られる。

 そんな感じで長年に渡り試行錯誤中の、物書きもどきです。


(了)

 


 

 

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  もう半年以上前になるが、愛車を買い替えた。ハイブリッドにしたので、ガソリンの補充頻度が減って家計にも優しい。更にものすごく静かで振動も少なく、乗り心地抜群の優等生である。

 

 しかし、この「ものすごく静か」というのが、逆によろしくないと最近わかった。

 

 静か過ぎるのである。発進する時も、普通に走っている時も、スピードを上げる時も。運転する立場でもほとんどストレスを感じないくらいで、だから歩行者からしてみれば、全く気付かないほどのおとなしさ。

 

これってめちゃくちゃ優秀。車の騒音が問題になって、開発者の方々がおそらく大変な工夫と努力をもって解決した、素晴らしい技術であるはず。

 

けれどそもそも、車=うるさいという認識が、誰にでも普通に刻み込まれている。だから音もなく近づくなんて思いもしないのだ。

自分が歩行者になって思った。その車が10センチ横を通り抜けようとするのも、すぐ後ろでエンジンをかけられても何の気配も感じない。これがとても危険だということは子供でもわかる。だから嘘かホントか少しは音が出るように改良された、との話も聞いた。

 

 ふと自分の子供時代のことを思い出した。

 

 決して優等生ではなかったが、はみ出したり誰かを困らせたりすることのない、親や教師にとってはたぶん楽な子供だったと思う。勉強もスポーツも友達付き合いも平均的で、大人の手を患わせるような大きな問題は起こさなかった(はず)。

 

 けれどこの「手のかからない」ということが、逆にネックだった。大人は手のかかる子供に注目する。そちらにかける時間の方が圧倒的に多くなる。それだけでも少し寂しさを感じたが、一番理不尽に思ったのはそこじゃなく。

 

 例えば宿題を期限までに出す。やりたくはないのだけれど、小心者だから泣く泣く遊ぶ時間を減らしてでもとにかくやる。当たり前のことだから誉められはしない。でもそれよりすごいことが出来る訳じゃないので、結果誉められる機会は全くないわけである。

 ところがそういう当たり前のことをやらない輩がいる。親も教師も怒る。何とかしようと闘いになる。そしてその果てにその子がちゃんと宿題を出した暁には、大喜びで褒めちぎる。

 こちらは遊びたいのを我慢した。そっちは遊びたいだけ遊んでいた上にそれだ。

 

 そんなことをたくさん横目で見てきた。自分がやっても褒められないことを、やらないでいた子が褒められるというモヤモヤ。見放されているような孤独感。

 

 大人になった今ならわかるが、子供は一人一人違う。長所を見つけてやることが大事。見つけにくい子に時間がかかるのは仕方ない。わかるが自分は教師にはなれないな、と思う。ちゃんとやった子を放っておく事態にならざるを得ないのはどうしても忍びない。

 

 うちの愛車、大事にしよう。静かなのを誉めてあげよう。やることやってるのにそのせいで肩身が狭いなんて、切ないから。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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  学生の頃、部活にしろ、読書にしろ、うだうだするにしろ、やりたいことをしようとするとよく邪魔が入った。

 勉強が主たるそれ。終わったと思ったらすぐ次の定期テスト。あっという間に次の受験。「勉強しなさい」と言われるのも嫌だが、言われなくても心の半分にひっかかって、さぼってやりたいことをやっていても集中できなくてモヤモヤした。

 

 それが大人になって変わったかというと。全くというか、更に格付けが下がった。つまり優先順位がどんどん落ちていく。仕事がある。家事がある。しがらみの付き合いがある。体のあちこちが故障する。冠婚葬祭が飛び込む……。やりたいことなんてもう、最後の最後という後回しになってしまうのだ。

 

 自分の場合、一番やりたいのは物語を作ること。そのために仕事も時間の融通が利くものを渡り歩いたし、他のTODOもなるべくゆるめに設定して、書く時間を確保しようとしてきた。

 

 なのに。

 仕事も長く続けていると情がわく。もう少しシフト入れないかと頼まれれば、時間空いていない訳じゃないので断れなくなったり。

 何かの人数合わせで誘われると、実際時間がない人よりかは行けないことないわけで。

 暇だと思われていろいろ振ってくる輩もいて、あれこれ言い訳をつけて断ったりもするのだが、家にいるのがバレたりすると大変気まずい。

 

 そして、始末の悪いことに、いざ時間を堂々と「物語を作る」ことに費やせる番がきたとき、さて何もアイディアが浮かばないぞ、どうしよう、となったりするのだ。

 で、だらだらゲームに終始したり、たまっていた録画が結構片付いてしまったりと……嗚呼、大人になるとどうしてこう、やりたいことが全く出来ないのだろう……。

 

 工夫はしてるんだよ、と言い訳してみる。細切れの通勤時間にアイディアをメモったり、15分しかないならざっとあらすじだけ書き上げるとか、待ち合わせまでの空いた時間に資料探ししてみたり。少しずつでも進めようと。

 だけど叩き台のベタ書き何十枚となると、どうしてもまとまった時間が必要になる。

 

 昔読んだ「ドラえもん」に、時間貯金箱というのがあった。すごく欲しかったけど、現代にはそれと同じようなことを可能にするツールがある。細切れ時間を上手いこと繋ぎ合わせられるはずなのだ。

 

 大人になるほど、年がいくほど、目先の切羽詰まった必須事項や避けられない突発事項が増えていく。急がない自分の「やりたいこと」は、ズルズルと後回しになってしまう。

 だから、いざ実際丸一日まとまった時間が取れた時に、いかに最初からトップギアで進められるかが勝負。そのためにツールを駆使し、どれだけ事前準備を整えられるかが、今の自分の課題になっている。

 

(了)

 

 

 

 

 

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  「ビバリーヒルズ高校白書」という海外ドラマがはやっていたことがある。華やかなセレブ地区に越してきた双子高校生を取り巻く青春群像劇なのだが、ずっぽりハマッた。自分は、一歳年下のくせしてこのグループに混ざっていたデビッド君のファンだった。


 このドラマ、自分の高校生活からは考えられない、と、ぶっ飛んだっけ。


 まず、私服があまりにおしゃれ。制服で三年間過ごした身としては、うらやましくもあったが、あそこまでファッショナブルだとついていけないだろうと、日本でよかった、なんて少しホッとした本音もある。


 それから授業中の行儀の悪さ。肘を突いて上目遣いだったり、女子がミニスカートで足を組んでたり、先生とタメ口だったり。日本じゃすぐに要注意人物になってしまうだろうことが、普通の感覚らしいのが不思議だった。

 でも、先生に対しても生徒同士でも、きっぱり意見を言い合う。それが新鮮に思えたのは、そういう面が日本に(自分に?)足りないところなのかなと感じていたからだろう。


 「ビバヒル」で初めて思ったわけではないが、高校生が車通学をするという状況に、ええっ、と思った覚えがある。あれだけ大きな国だから、交通事情によりそうなるのだろう。州によっても違うらしいが、16歳くらいで免許が取れるところもあるらしい。

大好きな映画に「フットルース」というのがあるが、卒業パーティに女子を迎えに行くシーンがあった。目的地について、すぐに降りようとする彼女を制して、主人公が運転席から助手席に周り、ドアを開けてあげる。そういう仕草を大人の真似してやりたがる、という高校男子の初々しさを、微笑ましく思えたものだった。


他にもこの「ビバヒル」、学生なのに新聞部の社会への糾弾が鋭かったり、自己の目線がしっかりしていて物怖じしなかったり。狭い中ですぐ別れたりくっついたり(これは果たしてリアルなのか、ドラマとしての創作なのかわからんが)。


とにかくカルチャーショックの連続。高校生活は勉強に部活、ときどき恋愛。みたいなのが常識と思っていた自分。世界は広いんだな~、と思ったわけで。

だからもう少し早くこういうドラマを見たら人生変わったかも、と、10年以上も前に見た時に思った。こういう高校生活をちょっとのぞいてみたかった。


自由すぎてその分責任も背負うことになるから、日本にいるより大変かも知れない。ドラマを見るだけでそう思ったりするのだから、実地研修したら得るものは計り知れないだろう。

最近はあまり人気がないと聞く留学だけど、お子さんにそれを勧める親御さんの気持ちがわかる。まずこういったドラマを見てみるのも、行きたいと思うきっかけとして悪くないと思う。


(了)

 

 

 

 

 

 

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 台所の水栓が外れた! トイレの水が流れっぱなしで止まらない! お風呂のシャワーノズルが絶不調! 等々、これまで襲われた水回りのトラブル。

 

 でも心配なし。我が家には心強い味方がいるのだ。名付けて「水回りのデスパイネ」。とある大手の修理屋さんなのだが、これが頼りになるのである。

 

ちなみにデスパイネとは、プロ野球チームのロッテに一昨年まで在籍した助っ人外国人である。昨年からソフトバンクに移籍、ホームラン王と打点王の二冠となった強打者だ。腕っ節の強い頑強な強面の、でもどっか愛嬌のあるキューバ出身選手。

 

そのデスパイネによく似ているのだ、その水回り助っ人さん。

そこの会社は、依頼主の近所から手の空いている修理屋さんを派遣する仕組みらしいのだが、だからうちが依頼すると、彼に当たる確率が高い。最初にやってきたときに一発で覚えた。物覚えや人の顔の覚えが悪い自分がそうなったのには訳がある。

 

その方、見かけはデスパイネのごとく大きくて頑強そう。なのにである。なのに、声が。声がソプラノなのである。

玄関に迎えに出た自分が居間に戻ると、オットが「事務の女性も一緒に来たの?」と訊いてきたくらいだ。その見かけと声とのギャップがあまりにすごくて、インパクト大。一瞬で記憶に刻まれたというわけである。

 

でも、仕事はまさにデスパイネ。丁寧でしっかり、説明もわかりやすい、の三冠王。何より電話するとすぐに飛んできてくれるのだ。「すぐにはちょっと……」と一度口ごもられたことがあったのだが、「どのくらいかかりますか?」と訊くと「あと30分はかかっちゃいます」と申し訳なさそうに。いやいや、夜とか明日とか言われるのかと思ったんで、全然OKです。むしろ申し訳なく思ってもらうのが申し訳ない。……といった具合に親切度も花丸。

 

ここに辿り着くまでには、いろいろな修理屋さんを渡った。来るのに一週間かかったかと思えば、状況を見ただけで「来週道具持ってきます」と言い放った業者には二度と電話しなかった。ああでもないこうでもないとさまよった末に大金の見積もりを出したところも同様。マンション管理提携先には、「適用外」とか軽く言い渡された。

けど今はデスパイネがいるから安心。水回りは緊急を要するし精神的にパニックになりやすいので、これはとても大きい。

 

そしてもう一つ。物語を書く時の大事な要素に「キャラ創り」というのがある。それは「ギャップ」というものが一つのキーになる。このデスパイネのキャラ、いつか使えるのではないかと、密かに創作メモに書き留めてある。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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