うちの校舎が人気ドラマの撮影に使われた。高校時代のトピックだ。ウン十年も昔の話である。
最近、その再放送をたまたま見た。で、なぜロケに使われたのか、深く納得した。
建物がレトロで趣があるのである。良く言えばそうだが、フツーに言えばボロ。何せ、女子高生が屋上から転落死したという事件を探る刑事が、「こんなにあちこち塀が傷んでちゃ、落ちても仕方ないな」とかのたまうのである。近代的なお洒落な校舎では困るのだ。
そもそも自分、この学校の入試の時に、身をもってボロさを実感した記憶がある。
空調が悪かったか何だかで窓を開けようとした。しかし回転する形式の取っ手がめちゃくちゃ固い。やっとこさ開けられる位置まで回すことができたと思えば、今度はどう押してもビクともしない。若いので力で押し切ろうとする。120%のパワーでドついた瞬間、一気に向こう側へ跳ね開いた。危うくリアルに転落するところだった。
また、建物が古いので、廊下などを走ると足音が尋常ではない。遅刻ギリギリ、何とか滑り込まねばという事態になっても、気付かれないようそーっと潜り込む、などという芸当は不可能なのだった。
つまり当時の自分には、レトロだ何だと粋に感じる余裕はなかった。ただただオンボロの不自由さに翻弄されたことしか覚えていない。
近年の学園ドラマを見ていると、校舎が新しくてきれいで、キラキラ感にため息が出る。そんなところで毎日を送っていると、逆にレトロに憧れるのかもしれない。例のドラマ再放送を見たときの自分も、思わず他人事に「いい雰囲気の学校だったなあ」と、感じ入ってしまった。
ただ、新しいものはやっぱり進化している。最近旅行先で泊まったホテルは、バブル期に流行ったリゾートマンションの払い下げらしく、リフォームしてはあったが、とんでもなく動線が悪かった。有り得ないところに段差があってやたらに躓いたりもした。今の自分がいかに暮らしやすい環境にいるのかを痛感した。間取りにしてもバリアフリーにしても、格段に技術革新が進んでいるのだと。
年が嵩んでくると、何が大切かの優先順位は、体調と時間が急上昇する。それらの比重が高まれば高まるほど、怪我や手間を減らす技術があるなら、できる限り甘えたいと考えてしまう。
昔ながらの人情を匂わせる昭和ののどかな町並みには、確かに居心地の良さがあった。最近のそれを持ち上げる傾向もよくわかる。
けれど懐かしさはあっても、あの頃に戻りたいとは思えない自分は薄情者なのだろうか。
不便は不便なりにこなしていた。けれど一度便利さに慣れてしまうと、もうそうはいかない。そんなことを重ねていくたび、別の何かを置き忘れると気付いてはいても。
(了)
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