石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -44ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

    学生の頃からよく捻挫した。スポーツだったり、階段踏み外したり、ただ歩いてるだけのときでも。


 捻挫までいかなくても、グキッとくじくことはしょっちゅうで、慣れっこになっていた。手当ては氷でがんがん冷やす。その後、湿布&固定。腫れと痛みが引いたらおしまい。と、ひどくても1ヶ月位でどうにかなっていた。

 

しかし3年前のこと。どうにもそんなもんじゃすまなかった。

 

そもそもはテニスで左足が地面に引っ掛かって捻った。足首はみるみる倍々に。歩行もままならぬ。何とか医者へたどり着くと、冷やして固定して、といつものパターン。けれどそれだけでは終わらなかった。

 

病気ではないので、いろいろマスト事項があり、出歩く。足首を固定した状態で妙な歩き方をする。それがたたってか、ふくらはぎの肉離れを引き起こした。これは初体験だった。

それ、一生知らないままでいたかったくらい痛い。毎朝ベッドから立ち上がるときに、ワニに噛みつかれたかと思うほど。松葉杖必須。足首自体はほとんど治ったのに、このやっかいな肉離れがおさまるまでに3ヶ月ほどを要した。

 

ようやく歩くのが苦にならなくなったので、飲みに出た。その飲み屋を一生恨みたい。洗面所までの廊下途中にあり得ない段差があって。足も治りかけ、気分も上々、ほどよく酔っていた自分、そこを見事に踏み外したのだった。

 

せっかく左足が治ったというのに、今度は右足。華やかにぐんぐん膨らんだ。再び医者にかかり、一からやり直しである。だけど今度は肉離れはないだろう、と高をくくっていたら、またもワニである。そんな初体験、二度も要らないから!

 

どちらかというとこの右足の方が重傷で、4ヶ月。その後も治ったんだか治ってないんだか、歩き方がわからなくなってしまい、何かがおかしい状態がしばらく続いた。

1年ほどかかってようやく気にならなくなり、おずおずとジョギングなどを始め、こわごわテニスを再開。現在に至る。

 

ところが、ここ今にいたって右の腰がおかしい。どうもあまりに長いこと変な歩き方をしていたのが飛び火したらしく、骨盤が歪んでしまったようで……2年経って発症。歩くと何かがひっかかり唐突に膝まで突き抜ける痛みパンチがやってくる。またもお医者通いである。

 

若い頃は、慣れすぎて捻挫を甘く見ていたが、この3年で見直した。躓く、滑る、踏み外す。捻挫様を招くこれらには要注意。

 

 これからの季節、星空とか花火とか上を見なくてはならない行事が目白押し。しかし心してかかるべし。足下には危険がいっぱいだ。今の自分、座右の銘は「下を向いて歩こう」となっている。

 

(了)

 

 

 

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 毎朝読んでいるお気に入りのブログがある。「なんでもいい」という、高校生のたろうくん、小学生のじろうくんの二人のお子さんを持つurashimaさんの、楽しい毎日を綴ったものだ。

 

 大笑いしたりクスッと笑えたり、ときにじーんとしたりする。ところが、こればかりは笑い話じゃない、と前のめりになった記事があった。

 今年4/27の「記憶力衰え系」という記事である。urashimaさんの悲しい行動のお話である。

 ↓こちら

 

 urashimaさんは、とあるスーパーでお買い物をしていたという。レシート合計2500円で500円のキャッシュバックがあると聞いて、ドラッグストアの方が安いシャンプーなどをそのスーパーで購入。後日また何か買い足してキャッシュバックを完成させようと思ったということで……

なのに、何を血迷ったか、サッカー台にてたまたま財布の中に溢れていたレシートを捨てる気になった。で、対象期間の物も捨てて帰ってしまった、と。

 

 魔が差したというか。どうしてこういう時に限って財布を整理したのか、と、とても切なかっただろうと想像する。

 

 で、これを読んで私も悲しい出来事を思い出したのである。「記憶力衰え系」というより、「思考回路迷走系」という感じだが。

 

 車で出かけようと、家から5分ほど離れた駐車場に向かい、ちょうど半分くらい来た時。キーを忘れたことに気が付いた。めんどくさがりの私、もう一度道を引き返すのがとてつもなく億劫だった。そして名案がひらめいたのだった。

「このまま駐車場まで行っちゃって、車で家の前に乗り付けて取りに行けばいいじゃん!」と。

 

 何を勘違いしたんだか。

 車の前まで行ってドアが開かない、という事態になって初めてようやく自分のおバカさに気付いた……。

 

 この思考回路。メビウスというかクラインというか、迷走……どっか故障している。もともとあちこち不具合がある不良品ではあったが、最近とみにオンボロになったと感じる。

 そして、それは確実に「記憶力衰え系」にも通じている。

 

何年か前のこと。出かける時に家の鍵がない。いつも同じ場所に置いているはずなのに……と真っ青になって家中探し回った。それでもない。クタクタになって座り込み、鼻をかんでゴミ箱に捨てた。と、そこに入ってるではないですか、鍵!

 

ええええー? 一歩間違えたらゴミに出してたよ。いつなんどきどうして捨てたんだ自分! 全く記憶にない~危険極まりないじゃないか、バカバカバカ。といった経験。

 

他にも、最近届いた謎の郵便物。映画の試写会招待券だった。「当選」とのことだが応募した覚えが全くない。全くないが、しなきゃ来ない。……したんだろう。たぶん、した。したような気がする。

 

 ま、これについてはちょっと嬉しかったからいいか。

 

(了)

 

 

 

 

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  物書きというと、一般的には小説を書く人のことを思い浮かべると思う。

 

 でも自分の場合、最初に勉強したのがテレビドラマのシナリオ講座。それまではシナリオというものを読んだことがなかった。その講座で紹介された「月刊シナリオ」「月刊ドラマ」等の雑誌で初読。正直な感想としては、「読みにくい」だった……。

 

 小説に慣れていると、シナリオというのは形式も表現も違う。その違和感が読みにくいと感じさせるのだろう。

 

シナリオというのは設計図であって、俳優さんが演じて、スタッフさんの演出や編集を経て、ドラマ(または漫画)になって初めて完成形。だから、俳優さんの表情や表現、構図やテンポや音楽。そういうのが揃っていないので、読み手にはまだまだ不親切な状態なのである。

 

 具体的には、ト書きとセリフで構成されているのがシナリオ。シーンは柱と呼ばれる○で始まる場所を記す行から始まる。

例としてはこんな感じ。

 

○学校(夜)

   はるかと旬、恐る恐る一歩を踏み出す。

   木造の廊下がミシリと音を立てる。

はるか「しっ、静かに」

旬「えっ、オレ?」

 

 ト書きには、「はるかは、ドキドキしていた。旬は、怖がっていると思われたくなかった」みたいに絵で表せないことは書かない。ト書きは、景色とか人物の動きとか、客観的事実を書くものなのである。気持ちを表したければこんな感じ。

 

床が音を立てるたびに小さく悲鳴を上げるはるか。

旬「な、何怖がってんだよ、お前」

声が裏返っている旬。

 

のように、セリフとアクションでその心情を読み手に伝えるような書き方をする。

 

初心者の頃は、ここに結構躓いたのだが、慣れてくるとこれが面白い。

 「怖い」「寒い」「嬉しい」を、「ビクビク歩く」「腕を何度もさする」「両手を挙げて雄叫びを上げる」などと書いて読み手に人物の感情を想像させる。この間接的な感じがクセになる。


 もちろん、きっと書き手により様々で、自分が漫画原作をやっていた頃は、とにかく漫画家さんに意図が伝わる書き方ならよいとされた。

 ただ、コンクールなら、これを守らないと「こいつシナリオってものを知らない、基礎知識がない」とか判断される可能性が高く、損になるだろうと思われる。

 

 でも、その間接的な感じが、読みにくさに繋がっている気がする。それで気後れしてしまうことがある。

 コンクール応募作を書き上げるたび、自分以外の誰かに読んでもらいたい。視野が狭くなって気付かなかったことを第三者の目で指摘してもらいたい。そう思うのに「シナリオって読みにくいからなあ……」と申し訳ない気持ちがあるので躊躇する。ただでさえ忙しい皆さんに時間を取ってもらうのに、小説ならまだしも、と思ってしまうのだ。

 

J、おずおずと分厚い紙の束をAに差し出す。が、すぐにひっこめる。

Aさん「なあに? どうしたの?」

J「あ、いや何でもない……」

 

 なんて……思わせぶりに読んで欲しいオーラを発するJの1シーンでした。

 

(注)スミマセン、ト書きは三文字空けで書くと習っています。このblog、ちょっとうまく書式がハマらなくてずれてしまっていることをご了承ください……。


(了)

 

 

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 たとえば、家族が使ったハサミを元の位置に戻さない。あるいは会社の上司に無理難題を押しつけられる。理不尽な理由で彼氏にフラれる。どれも度合いに差はあるだろうけど、イラッとくる腹立たしい一件である。

 

 どんな人でもムカツク状況を経験しない人はいない。そんなとき、皆さんはどうやって折り合いを付けているのだろうか。

 

自分の場合、実に単純明快である。

「ネタにしてやる」。この一言に尽きる。

 

自分で経験したことほどリアルに重みを持って書けるものはない。しかも腹が立ったことほど共感も得やすい。

 

そうなると、これほど胸がすく対処法はないと言える。自分で書く架空の世界なので、そういう輩にこてんぱんな天誅を下してやる展開が可能なのだ。いまだ実現はしていないが、その作品が多くの人の目に入る状況になれば、その本人が見て「自分がモデルだ」とわかり青くなる。そんな復讐もできるわけである。ざまあみろ、と高笑いである。

 

そうやって苛立つ案件を洗い出すようになってから、まあ出遭うこと出遭うこと。今の時代、おかしな人が多いし、おかしな出来事もおかしな制度もおかしな慣習もやたらにある。あらら、ネタの宝庫すぎ。物書きもどきにとってはこれほどオイシイことはない。

 

腹の立つことがある度、メモして「ふっふっふ」とにやける。そんな風にやり過ごしていると、まあ精神状態もよくなる。解決するために何か手を打たなくてはいけない場合は別として、お酒やらジムやらで憂さ晴らしをするよりも安上がりである。そして落ち着く。心が安定する。何があっても自分にはこれがある、と思える拠り所があると強い。不条理や不可思議と思えることに出遭っても、余裕を持っていられる。

 

だからなのか最近、「優しそう」とか「穏やかだね」と言われることが増えた。そのせいか、周りからの人当たりがよくなったような気がする。それに反射するように自分もそうそう殺伐とはしなくなった。つまり腹が立つことが減った。

 

あ。そしたらネタがなくなっちゃう。それはマズイぞ。

さあさあ。腹立たしいこと寄ってらっしゃい。

 

(了)


 

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 最近、二度手間三度手間になってイラッとすることがある。いや別にそんな大ごとではないので、流せば流せるのだけど。

 

 例えば、健康ランドとか温泉宿などの服や靴用ロッカーの鍵。鍵穴に差し込もうとして入らなくて上下ひっくり返してもう一度。これでも入らなくて、あれれ? と思いながらもう一度ひっくり返して(つまり元通りにして)ブスッと行く。初めにもっと思いきり差しときゃよかった、と後悔しながら。

 要は鍵のどっちを上にして入れればいいのかわからないのだ。ちなみに家の鍵は上下どっちでも大丈夫なのでこういうストレスはない。

 

この一見大したことのないちょっとしたもやもや、結構出くわす。

 

 USBがそれだ。メモリにバックアップするとき、マウスを繋ぐとき、スキャナーやプリンタを接続するとき、ブルートゥースのイヤホンを充電するとき。ケーブルの端をパソコンに差す際、上下をよ~く見ないと拒否される。こういった精密機器の場合、歪んだり何かが折れたりしたら被害が大きいと思われるので、とても気を遣う。ちなみに自分、USBメモリには上側に目印のシールを貼った。

 

カード類も怖い。SDカードは通常のものならまだしも。スマホに出し入れするマイクロSDなんか、どっち向けに入れていいのか本当に困る。最後に一押しする必要があるけれど、もし逆向きで強引にそれをしてしまったら。その後の煩雑なリカバー作業などを思うと、今からめんどくさくて憂鬱になる。不器用さに拍車のかかった最近は、そのちっこいカードを指でそっとつまむことすらなかなかの難題だというのに。

 

ああ世の中の物体が小さくなっていくからついて行けないんだわ……と嘆いていたら、そればっかりではなかった。

 

我が家のお風呂の給湯口。別に小さくはない。たぶんよくあるタイプの、丸いステンレスのカバーがあるやつ。それを取り外して掃除した。

さてお風呂を焚こう、とはめ込もうとしたら……入らない。丸いからどこが正常位置なのかがわからない。グルグルグルグル回す。ああもうテキトーでいっか! と力づくでバコッと押し込んだら……湯張りを始めた途端に激烈噴水状態に。あちこち飛び散って湯船にお湯が溜まらない。でも外そうとしても無理無理はめ込んだのでビクともしない。

……水道屋さんに来てもらった。やっぱりちゃんとした定位置があるということだった。

 

てわけで、今の時代、上下がわからない物が溢れ返っている。それをちゃんと確かめる手間、しくじって原状復帰にかかる時間、積もり積もって結構なことになっている気がする。

上下色分けするとかハッキリ「上」「下」と書いてくれるとか……何かないですかね。

 

 

了)

 

 

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 書くに当たって一番苦しい時期。それは何もやることがないとき。あくまで自分の場合だが。

 

 今まさにそれである。並行で書いていた複数の物語に、どれもほぼエンドマークが付いた。ホッとして達成感にしばし浸っていた。

 が、その間も次を書かねば、と思ってはいた。なのに期限があるものがしばらくないのでダラダラしてしまっている。

 

 ぐっちゃぐっちゃだった部屋の書類を整理したり、溜まりまくった録画を見まくったり、接骨院や目医者で体のメンテナンスに励んだり。

その合間でもいいから何かネタを考えろ。頭はそう命じるのだが、これが全く何も浮かんでこない。

 

以前このブログで、時間を効率よく使うためには細切れ時間にネタを膨らませ、アイディアをまとめ、まとまった時間が取れた暁には叩き台の何十枚をガンガン進めるのだ、と書いた。書いておきながら、今、まとまった時間があるのにやることがない。アイディアが出ない。出ないのよ~~!!! 叫びたくなる。

 

おかしいな。一月前には課題やら卒業制作やらでめっちゃ書く時間が足りなかった。その上バイトが決算期で忙しいわ、体調崩すわ、唐突に遠出の予定が入るわ。でもその隙間を縫って、3つも書き上げたのだ。直しはこれからするとしても、取り敢えず叩き台が書けたのだ。よくやった、自分。拍手。と思えるほど。

 

今はヒマである。全くアイディアが出ないので、やることがないのである。

 

書きたい思いはあるのにネタがない。いや、ないわけじゃないけれど、最近気付いた。


自分が「これを絶対書きたい」というヒリヒリするような飢餓感、追い立てられ感。そういうネタでないと、書き上がった後にあまりの不出来にガッカリする。気持ちが入っていないことがこれほど見え見えになるものなのかと唖然とする。

自分に取って、気持ちを込められるネタは何なのか。それを掘り起こすのに苦労する時期が定期的にやってくる。今回は1年ぶりくらいか。

 

日常で、不思議だったり腹が立ったりしたこと。通りすがりに聞こえてきた面白いセリフ。新聞で読んだ社会問題。そんなことを書き留めたメモはあるのだが、それがどうにも機能しない。膨らんでいかない。自分の何かとシンクロしてこない。これが、一番苦しい。

 

もちろん、書いているときに進まなかったり時間がなくなったり扱える度量がないことに気付いてグッタリするのはとても辛い。

でも、何を始めていいのかわからないのはもっと辛い。始めることさえできれば、何を調べようか、どんな切り口にしようか、どう展開しようかと、芋づる式にやることがうじゃうじゃ出てくるのに。そうやって勢いづいて書いている最中は、しんどくても楽しいのだ。

 

早く行きたい、その境地へ。

……ああ、ネタ何にしよ。早く出てこ~い。

 

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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 球春到来して早一ヶ月ほど。今年は少し、前のめりである。

 

 自分のひいきチーム、昨年は酷かった。先制されればズッシリ重く、追いつけないうちに引き離される。点を取る気配すら漂わず、たとえ取れても焼け石に水程度の反撃。

 珍しくもこっちが先制すれば、必ずと言っていいほど逆転され。だから先発ピッチャーは1点も取られちゃならない重圧から崩れ、すると勝ちパターンの中継ぎは使えないのでぼかすか打たれる。エラーもてんこ盛りで大敗。

 

 ……みたいなパターンばかりだったので、開始15分ほどで「今日も終わった……」とテレビを消すことが殆どだった。ちなみにこの予測が覆ったことはほぼなかったシーズンだった。「どこが筋書きのないドラマなんだ!」と世界の中心でもないところから叫びまくった。

 毎年足を運んだスタジアムも、去年は一度も訪れることなく。全くもってつまらない一年だった。

 

 が、今年は何だか違うぞ。

 

 新人が二人スタメンに名を連ね、活きがよい。触発された従来メンバーも負けじと打つ、守る、走る。

 まだ4月なのに去年の勝ち星に並んだ投手もいる。抑え陣も機能している。

 4,5点くらいのビハインドなら、ひょっとしてひっくり返すかも、との期待感で目を離せない。

 

 いいなあ、こんな風にワクワクできるのって。疲れて帰ってきてもチャンネルを合わせて勝利を信じる楽しみ。結果的に勝てなかったとしても、「もしかして」と思わせてくれるドキドキ。そういうのがあるのとないのじゃ、毎日がまるで違う。

 

 たかが野球、されど野球。

 

 それが野球じゃなくても、サッカーでもカーリングでも、ドラマ鑑賞でもあるいはケーキやお酒でもいい。誰だって不満やストレスのない人はいない。マスト事項だけの毎日じゃ辛い。一見無駄に見えても、これがあるから乗り切れる、っていう趣味は大事だと思う。

 

 自分にとっては野球がそれ。

 ちなみにCS加入やグッズの購入、スタジアム入場代、現場での飲食等々、結構お金かかります。しかも一試合3時間平均。自分のひいきチームはどうやら野球大好きらしく、4,5時間の長丁場もざら。結構時間も取られます。

 

 でもこんなにワクワクしてガッカリして、大声出して毒も吐ける。ストレス発散には最高だ。ちなみに不甲斐ない去年のような負け方をされると逆にストレス倍増というリスクはある。

 

 ま、喜怒哀楽がギッチリ詰まっていることは間違いない。しばらくそのうちの怒哀しか感じさせてもらえなかったので、今年はその分倍の喜と楽をいただきたいと思います。


 ……と、きれいに終わるつもりが、ただいま4連敗の怒哀中。今にもテレビを叩き壊しそうです……(泣)。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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 ヒモ、◎、パンチ。これが投稿準備のための自分の三種の神器。

 

 シナリオや小説のコンクールに応募しようとする場合、もちろん原稿を仕上げるのが最も大事。でもその後、発送するまでの作業が、意外と手間暇がかかる。

 

 まずやっかいなのが、本文以外の添付事項である。

 氏名住所経歴などの個人情報は今までの投稿分からコピペすればよいが、梗概=あらすじは難敵。

 大体が800字制限だが、50~60枚のシナリオなどの内容をその長さにコンパクトにインパクトをもって収めるのはなかなか手強い作業なのだ。

 時間を置いて見直すとひどい出来なことが多いので、直す時間を確保するため早めに作っておくようにしている。大体が本文がラストまで辿り着いた時点でざっくりあらすじを書き殴る。で、本文にああだこうだと直しを入れてどうにか提出できるな、と思った後にもう一度それを見直す。これだと一から書き始めるわけじゃないので心の負担がまるで違う。

  

 で、やれやれ提出物が揃った、と思うわけだが、その後がまためんどくさい。

 

自分の場合、まずページ設定を詰め詰めで下書きしているので、募集要項の書式に直す。そのときに、「っ」「々」などが行頭に来ないよう禁則処理してあるか確認。改行などでの崩れがないかもチェック。

更にヘッダフッタを消す。「――」「……」などの二マスで一組の物の間が空かないよう変換。そうして印刷。誤字脱字の確認。

 

 ここで三種の神器その1のパンチが登場。しかし自分のはちゃちい代物なので、一度に10枚以上の穴空けができない。地味に9枚ずつガッコンガッコン空けてゆく。

 そしてその2、◎の出番。空いた穴の補強シールである。ただ、50枚以上ある紙全ての裏表に貼るのはさすがに面倒なので、上から5枚下から5枚だけに貼る(根がケチなせいもある)。

 そしてその3、ヒモを通す。その結び方も、投稿初心者だった頃はテキトーだったのだが、最近ではハウツー動画が出回っていて、その通りに二重にかっちりやるようになった。

 

 こうして仕上がった応募作品一式を、レターパックに封入。大体360円のもので収まる。昔は簡易書留で送っていたが、この方が安いしポストで出せる。

 ただし、応募要項に「書留に限る」と注意書きがある場合はそうする。レターパックが書留の要件を満たすのかどうかわからないので。郵便局の人に訊いてはみたが「そう注意書きがあるなら書留をお薦めします」とのお返事だった。そうすると郵便局へ出向く必要があるので、更に時間の余裕を見ておかなくてはならない。

 その投函をもってようやく投稿が完了するわけである。ーー脱力。

 

 この作業に、毎回半日は費やす。だからあまりギリギリまで原稿に手を入れていると、せっかく書き上げたのに発送する時間がなくなってしまう、という悲しい事態になることを、長い経験の中で覚えた。

 今ではこの作業、ルーチンと言えるほど普通にこなせる。それほどに投稿慣れ(だけ)してしまっていていいのか……との疑問がありつつ。


 でも最近ではネット投稿というところも増えた。これまで述べてきた印刷以降の作業が全てパス出来るのだ。

 何て楽なのだろう。出し終えたポストに思わず一礼二拍手してしまう解放感がないのは寂しくもあるけれど。

 

      (了)

 

 

 

 

 

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 去年の暮れ近く、体調を崩して病院へ行った。時期的に同じような人々で待合室は溢れ、席さえ確保できないくらい。具合が悪い上に座ることも出来ず、空気は澱み、延々と待たされる中。ハズレに当たった……。

 

 ようやく座れた席の、すぐ横に立っているお母さんと小学生に向かい、どこの奥からやってきたのか、「ああら○○さん!」と、同級生の父兄らしきオバちゃんが。「どうしたの? 風邪?」とそこまではよい。お母さんが「そうなの」とたった一言答えるや否や。「うちはねえ、今朝起きてごはん作ってたら調子悪いけど学校行くって言うからそのまま行かせたのよお。でも結局熱っぽくて帰されるっていうからじいちゃんが迎えに行って、あ、私は仕事に行っちゃってて、仕事っていうのは××で△△のパートなんだけど、それが10時からだから、家には年寄りしかいなくて、で、子供は帰ってきたら吐いたっていうの、それがサラサラじゃなくてドロドロの――」と、その長々しい話は止まらない。

 

 子供の朝一番からの描写、必要ですか? あなたのお仕事がどんななのかは別に興味ないです。病人の事細かな病状は、医者だけに話してくれ。

 と、思いながら延々と続く話を聞くしかない。なぜなら席を立てばもう二度と座れないだろうし。聞かされている母子も、会計の呼び出し待ちらしくそこを動くわけにいかない模様。

 

 その話、一から十まで聞きたいと思いますか? との暴言が喉まで出かかるほど、具合の悪さが倍増される事件であった。

 恐らくそのオバちゃんは親切なのだろう。相手がわからないといけないので、なぜ自分が迎えにいけなかったか、どれだけ子供の病状が悪いのかを事細かにお話してくれた、と。

 

 だけどこの件で、注意しなくてはとつくづく思った

 物を書く時は説明しすぎてはいけない。リズムが悪くなるし読み手に「そんなことはわかってるよ」と思わせては残念だ。説明が少なすぎてもいけない。読み手がわからなくて途中で放り投げる恐れがある。一から十まで語らずして伝えきるには五くらい? 七? それとも三でいい? この過不足の加減が難しい、といつも思うのだ。

 

 テレビドラマで、いつからか、最終回とかで10分延長という特別措置をするのが氾濫するようになった。それを見ると、「この10分必要?」と思うことが多い。60分の内容を70分に希釈しているに過ぎない場合、テンポが悪くて惰性感ありあり、になるのがよくわかる。


 それを反面教師に、だらだら長すぎてはいけない、と自戒しつつ、必要な部分まで削ってしまって「わからない」とぶった切られる

 そんな感じで長年に渡り試行錯誤中の、物書きもどきです。


(了)

 


 

 

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  もう半年以上前になるが、愛車を買い替えた。ハイブリッドにしたので、ガソリンの補充頻度が減って家計にも優しい。更にものすごく静かで振動も少なく、乗り心地抜群の優等生である。

 

 しかし、この「ものすごく静か」というのが、逆によろしくないと最近わかった。

 

 静か過ぎるのである。発進する時も、普通に走っている時も、スピードを上げる時も。運転する立場でもほとんどストレスを感じないくらいで、だから歩行者からしてみれば、全く気付かないほどのおとなしさ。

 

これってめちゃくちゃ優秀。車の騒音が問題になって、開発者の方々がおそらく大変な工夫と努力をもって解決した、素晴らしい技術であるはず。

 

けれどそもそも、車=うるさいという認識が、誰にでも普通に刻み込まれている。だから音もなく近づくなんて思いもしないのだ。

自分が歩行者になって思った。その車が10センチ横を通り抜けようとするのも、すぐ後ろでエンジンをかけられても何の気配も感じない。これがとても危険だということは子供でもわかる。だから嘘かホントか少しは音が出るように改良された、との話も聞いた。

 

 ふと自分の子供時代のことを思い出した。

 

 決して優等生ではなかったが、はみ出したり誰かを困らせたりすることのない、親や教師にとってはたぶん楽な子供だったと思う。勉強もスポーツも友達付き合いも平均的で、大人の手を患わせるような大きな問題は起こさなかった(はず)。

 

 けれどこの「手のかからない」ということが、逆にネックだった。大人は手のかかる子供に注目する。そちらにかける時間の方が圧倒的に多くなる。それだけでも少し寂しさを感じたが、一番理不尽に思ったのはそこじゃなく。

 

 例えば宿題を期限までに出す。やりたくはないのだけれど、小心者だから泣く泣く遊ぶ時間を減らしてでもとにかくやる。当たり前のことだから誉められはしない。でもそれよりすごいことが出来る訳じゃないので、結果誉められる機会は全くないわけである。

 ところがそういう当たり前のことをやらない輩がいる。親も教師も怒る。何とかしようと闘いになる。そしてその果てにその子がちゃんと宿題を出した暁には、大喜びで褒めちぎる。

 こちらは遊びたいのを我慢した。そっちは遊びたいだけ遊んでいた上にそれだ。

 

 そんなことをたくさん横目で見てきた。自分がやっても褒められないことを、やらないでいた子が褒められるというモヤモヤ。見放されているような孤独感。

 

 大人になった今ならわかるが、子供は一人一人違う。長所を見つけてやることが大事。見つけにくい子に時間がかかるのは仕方ない。わかるが自分は教師にはなれないな、と思う。ちゃんとやった子を放っておく事態にならざるを得ないのはどうしても忍びない。

 

 うちの愛車、大事にしよう。静かなのを誉めてあげよう。やることやってるのにそのせいで肩身が狭いなんて、切ないから。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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