石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと -44ページ目

石の上にも○○年~物書き志望女のひとりごと

日常で気になったことや、長い物書き志望歴で思ったことをランダムに綴ります。

 子供の頃から現在に至るまで、不思議で仕方ないことがある。

 どうしてその場所に真っ直ぐ着くの?

 

 ある人は、太陽の位置から方向がわかるじゃないかと言う。またある人は、駅を出たら西方面へ○○メートルほどのはずだから、こっちへ歩けばいいと言う。

 

 何じゃ、それ。

 ハッキリ言って、自分の感覚ではこの一言しか出てこない。

 

 西と言われても自分が立っている場所からどっちのことなのか皆目見当もつかないし、太陽は地下に入ったら見えないし、見えてもだからどうなんだ、って話。

 

 初めて行く場所はもちろん、二度目三度目のところでも、久し振りじゃないつい昨日訪れたはずの目的地でも、必ず迷う。ホームを歩く時さえ、途中で進行方向なのか逆向きなのかがわからなくなる。○○メートルなんて距離感覚、自分の中には露ほども存在しない。

 

 これを、世間的には方向音痴という。

 

 人に連れていってもらうから行けないんだ、と思った時もあった。その目的地を知っている誰かが一緒にいて、その人についていけばいいという安心感から周りも道も何にも見ていない。もう一度一人で行き直すと、全く見知らぬ土地であり、初訪問と断言できるくらい何も覚えていない。

 

 が、連れてってもらう云々は関係なかった。

 実家さえ、移転のタイミングが自分が家を出る寸前で半年しか住んでいなかったとはいえ、しかも最寄り駅が改築したとはいえ、……未だに北口を出るか南口なのか迷うほどなのである……。

 

 方向感覚とは、れっきとした才能だ。これに苦慮しない人は天性を持っているということ。自分にはそれが著しく欠落しているのだ……。

 

と自覚してからは、ミニ地図を持参するようになった。分かれ道ごとにいちいち止まっては確認する。東京育ちとは思えないほどお上りさんである。

 こんな自分が車を運転すると、百メートルごとにいちいち路駐して地図を確認。そんな大変迷惑な行為をさんざんやった。近年のカーナビの普及が、涙が出るほど嬉しかったことは言うまでもない。

 

 が、カーナビによっては案内が非常にわかりにくく、よけい迷うという類もある。地図は地図でもGoogleマップはどうも苦手。位置情報も嫌い。

 

 そんなこんなで、何度も迷い、行きつ戻りつして、えらく時間と労力をかけて、時には冷や汗をかきつつ、何とか目的地に辿り着くこともあれば、あきらめたこともある。

 

何だか人生と似てないか。未だに方向音痴であっちへ行って迷い、こっちへ行けなくて止まる。

 

まあ辿り着かなかったらそれまで。迷い道も方向転換も悪くないんじゃないか、と、近年は負け犬の遠吠え的な境地にいる。

 

 

了)

 

 

 

 

 

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 物語を作ることに関して、長い年月の間に自分の中の取り決めになっていることがいくつかある。


 その1 

設定枚数の1.1倍~1.2倍の長さで書いてから削る。


コンクールの応募や学校の課題などでは必ず制限枚数がある。それに収まろうとするためには、大体このパターンだ。

0.7~8倍の量で書いて付け加えていく、という手もある。が、内容が薄くなって引き延ばし感が見え見えになるので、自分の場合はとにかく持ちネタをガンガンぶち込み、後から不要な部分を捨てたり表現を変えたりして短くするようになった。


ただ、削る方が伸ばすよりしんどい。このセリフは気に入っている、あっちのエピソードをなくすと辻褄が合わなくなる、とかで悩みに悩む。

でも、何とか枚数内に収まったときは爽快だ。それ以前よりずっと明快でテンポもよくなっている……はずだ。


その2

書き上がったらしばらく放っておく。一週間は見ない読まない触らない。締切が迫っている場合でも、最低一日は置きたい。


何故なら、どうしてかエンドマークをつけた後すぐに読み返しても気付かないからだ。明らかな齟齬とか簡単な言い違い、あり得ない変換間違いなどに。視野がグンと狭くなっているのか、どっぷりひとりよがりにハマっているのか、自分で自分を殴り倒したくなるレベルである。


つまり、スポーツでも仕草でもそう。他人目線で見るとすぐにわかる欠点が、自分では見えなくなっている。だからなるべく第三者の目に近くなるように、書き上げた後間を空けてから読み直すことにしているわけである。


すると、ああら不思議。出てくる出てくる、細かなミスから致命的な筋違いまで、OhMyGod! 見なきゃよかった。じゃなくて、こんな物を提出しなくて良かった、と、ちまちま直し始めるのが常である。


ちなみに、一週間と言わず一月も空くと、既にオチすらすっかり忘れている自分に、逆にびっくりする。


その3

寝る前に直しを考え始めない。


布団に入ってから、「あそこはこうじゃないか?」「主人公のセリフはこっちの方が」などと思い始め、「こんなシーンを入れてみたらどうだろう。それに繋げるには……次は旅に出るシーンだっけ?」とか復習したりに至ると、もう止めどもない。そこから派生してああでもないこうでもない、と頭の芯が妙な感じに活性化してしまうのだ。


結果、眠いのに眠れなくなってしまい、その割にウトウトしてるのでメモも取らず、翌日には忘れている。そしてその日1日(または数日)大変な差し障りが出る。特に創作において全くの鈍さの固まりとなって、恐ろしいまでの本末転倒になっちゃうのである。



思い起こしてみればこの3つの他にも法則っぽくなっているものが色々ある。それはまた後日、整理してみたいと思う。


 (了)

 

 


 

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 ソフトバンクホークスのサヨナラ勝ちをもって、今年の野球シーズンが終わった。

 
 ロッテファンの自分としては、そんなものは夏が来る前にとっとと終わってしまっていた。ので、日本シリーズは正直、どっちが勝とうが構わないスタンスであった。判官びいきで「どちらかというと横浜ベイ、まあ頑張れ」くらいな感じ。
 
 ただ、気になったのが「下克上再現!」とのマスコミのあおりである。横浜がクライマックスを突破した時点で連呼され、どうにも違和感があった。
 
 今やすっかり定着したその言葉だが、言い出しっぺの里崎智也さんもおっしゃっている。
 あれは最後まで勝ちきる=3位からの日本シリーズ制覇、という意味合いのつもりだった。だから、横浜がセ・リーグ1位の広島をくだしたというだけでは成ったとは言わないんじゃないかな~、と。
 里崎さんが現役の時に成し遂げたそれこそが、スッキリと「下克上」だと自分も思っているわけである。
 
 そこからパッパと連想が起こる。あれもこれも一言言いたくなる最近の野球用語?が色々。
 
「ノーヒッター」? 無安打に抑えた投手を指すらしい。ピアノを弾く人はピアニスト、スケートする人はスケーター。との認識なので、ノーヒッターというと全く打てないバッターのことに思えてしまう、自分には。
 
「マルチヒット」? 複数安打とイコールな気がしない。2本のヒットでそう言われると盛ってるような。マルチというと多方面に才能のある人が浮かび、従って3本以上の猛打賞くらいのレベルに感じてしまうのだ。

「グランドスラム」? そりゃテニスの四大大会を制することでしょ! 「すごいこと」を指すのは確かだが、満塁ホームランとはどうも趣旨違いな気がしてならない。なら、ハットトリックと言ったっていいように思う。

「選んだ」? 見事四球を勝ち取ったあかつきにこそ「ボールを4つ選んだ」と言えよう。ボール1個見逃す度にいちいち「選んだ」と言われると、どうも腑に落ちない。
 
 更には、CS放送の特定のアナウンサーに限るが。「ロクヨンサンのダブルプレー」をわざわざ「シックスフォースリー」、2-2の「平行カウント」を「トゥートゥーピッチ」との言い換えまでは100万歩譲って理解できるとして、、、カウント3-2を「ペイオフ」と叫ばれた日には、銀行の話でもしてるのかと真面目に考え込んでしまったくらいである。
 
 楽しければ、盛り上がれば何でもいいじゃないか、というご意見もあろう。ゴチャゴチャケチをつけるな的存在になっててごめんなさい。

 結局、こういう違和感にツッコミを入れることも楽しみの一つになっていると気付いた。完全に昭和の頑固オヤジ化している。「オヤジギャル」なんて言葉が昔あったが、今の自分に使うと、それこそ多方面からツッコミの嵐が来そうなのでやめておきます。
 
 ソフトバンクホークスの皆様、ファンの皆様、おめでとうございました。来年こそは井口ロッテが立ちはだかりますよ!
 
(了)
 
 
 
 

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 シナリオを書く勉強を初めて2,3年目くらいの頃。よくやった失敗が、「せっかくこんなに書いたんだからもったいない」と、とりあえずどんどん書き進んでしまうことだった。

 

 例えば、「人前で話すのが苦手な主人公が上手く話せるようになるまで」という話を書き始めたときのこと。人前が苦手、言葉のセンスもない、だから想い人に気持ちも伝わらない。みたいな展開になり、どうやったら恋がうまくいくか、てな悩みを解決しようと奔走し……。

 

ーーあれ? 書きたいと思っていたこととズレてる。違うぞ。そう思った時には既に30枚とか40枚とか書いてしまっていた。

いやいや、せっかくこんなに書いたんだし、もったいない。このまま頑張って最後まで書こう。書くんだ。

そう思って続けてしまう。が、一度芽生えた違和感は消えない。どころか大きくなるばかりで、ついには行き詰まってビクとも進まなくなった。

 

この場合、「人前で話すことが苦手」と「想い人に気持ちを伝えるのが苦手」が根本的に違うということを、自分の中できちんと区別できずに進んだのが間違い。何十枚も書いてから気付いたが、後戻りするのが嫌で無理無理進み、どうにもならなくなった。

 

こういうことが何度もあって身に染みた。方向性を間違ったまま突き進むと、どこかで必ず詰まる。たくさんの時間と労力をかけたものを無駄にしたくなくて、結局更なる大無駄を呼び込むのだ。

 

それがわかってから、違和感を覚えたらすぐに見直すようにした。何がいけないのか。書きたいことからずれていないか。キャラが分裂していないか。設定に無理はないか。

 

本当は書き始める前にそれができればいいのだろう。けれどいまだに未熟な身。大体の方向性を決め、背景や環境を定め、キャラを大雑把に設定したところで始めてしまう。ある程度書いてみないとわからないのである。

だから、いまだに途中まで書いちゃったけど思惑と全然違って途方にくれる、なんてことがざら。書き終わってしまってから、ワケわかんない出来に愕然とすることも少なくない。

 

ダメだと思ったら直す。どれだけ枚数を書いたとしても、終了マークをつけてしまった後だとしても、必要なら全部ボツにして最初から書き直す。失敗を何百回と繰り返した末、その方がより良いものになるという確信を得た。自分の場合、そうやって書きながら整えていくというやり方になった。

 

くどくど長々と書いたが、要するにやってみないと気付けないポンコツ頭なのである。間違った方向性にガシガシ進み続けるのを、「根性がある」という長所と勘違いしていたこともあったおバカなのだ。それは「あきらめが悪い」と言うのに、である。とにかく軌道修正が大事だということだけはよーくわかった。

 

で、今も、直すべきことがひとつある、と気付いた。というか、薄々無理があるかな~、と思っていたけれど、もしかして大丈夫かも~、などと突き進みかけていた。でもやっぱり訂正するしかないと判断。

 

このブログの参加ジャンルのことである。

10/1の記事から理系女子のジャンルに混ぜてもらってまだ1ヵ月ちょいだけど。エセリケジョなんだから、そうそう書けないし、書いちゃいけない。真のリケジョに失礼でもある。あきらめて出直すべし。要軌道修正。

よって脱落、「日記」へ移動します。


以上でした。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

 

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 自分は、エセリケジョである。けれども世間的には数字が不得意ではないということになり、よって経理よりなアルバイトなどをやっている。

 そのせいで、お金関係の勘定を任されてしまうことがある。この間もそうだった。

 

 何を隠そう、お葬式。これほど大勢が少しずつ持ち寄って、大金が集まることはあまりない。当日のご遺族はお忙しいし、かといって知らない人に任せるのも不用心。だから遠すぎず近すぎず、の関係のときにお鉢が回ってくることが多い。


 今回は、屋内の結構広々した一室と文具全般を貸していただいて、お茶までつけてもらえた。外は季節外れの凍える雨だったので助かった。以前頼まれた中には、外のテントの下、受付の後ろで薄暗さ&雨風寒さと戦いながら、という場合もあったので、かなり恵まれていたと言える。

 

 けれども。

 個別は三千円とか五千円とか一万円とか。全体で百万を超える量である。それを、香典袋一つずつ開けて、中の封筒を開けてお金を取り出す。受付で書いてもらったお名前と照らし合わせ、封に書かれた金額と中身のお金が合っているかどうか確認。慌てたのか訃報のショックのせいなのか、相違があったり入っていないこともある。もちろん来て下さっただけでありがたいわけなので、指摘したりはしない(できんわ)。こっそりご遺族に伝えておくにとどめる。

 

 ということを百人近く分繰り返していると、指先がつるつるになってくる。指紋もなくなる勢い。用意された文具の中に、メクールはあったが指サックはなかった。自前のを持参しなかったのが敗因だ。

そうなってくると香典袋を開けるのさえ面倒になる。そんな中で最も腹が立つのがあれ。

水引きである。

 

お香典を差し上げたことがある方ならわかると思うが、親しかったりお世話になったりした方宛だと、ちょっと良い目の袋ーー水引きのついたものを選ぼうという気になる。

これは、封にお金を入れ、香典袋でそれを包み、それを上から輪ゴムのように留める仕様。が。水引きの大きさが封筒ピッタリすぎて、しかも伸び縮みするものではないので、留めるのも外すのも結構な力とコツがいる。

 

で、それだけの量をこなしていると、封を開けてお金を出して、封筒だけ戻して香典袋に包み直す、の前後に水引きをぐいぐい引いて外し、水引きを力任せに押し込んで留める――という二手間が加わるのが、相当苛つく。一つ終わって次の封を手にした時、水引き付きだと殺意さえ芽生えてくる(いえ、ため息の間違い)。最後にはもう戻す気力がなくなり、セロテープで留めてしまうという罰当たりに及んだ。

 

 マナー的に何が一番上等かは知らない。けれど、経理係的に言えば、水引きなどない、香典袋の中に封筒さえない、お金がそのまま入っているパターンが最も輝いて見えた。

 自分が次、ご焼香する場合は、絶対にそうする。ここに固く決意致します。

 

                                 (了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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 誰でも一度は見たことがあるんじゃないだろうか。

 街中のカップル。女性は手ぶら、男が女物のちっちゃいバッグを持っている、の図。


 自分にはあれの意味がわからない。外国のように、見知らぬ女性にも網棚の荷物下ろしなどを普通に手伝う、というマナーにも見えない。重たいから持ってあげているようでもなさそうだし。


 以前、キムタクが言っていた。

 俺はそういうことはしない、なぜならバッグもその女の子のファッションの一部だろうから、というようなこと。著しく同感だ。


自分はそうお洒落が上手な方ではないが、それでも服に合わせたバッグを考える。暗い服なら差し色に赤、荷物が少なそうならちょっと小粋なポシェット、とか。


それを、きっと自分なんかよりよっぽどお洒落であろう今時の女の子が。彼氏とのデートのために気合い入れてめかしこんできたであろう彼女が。


というか、貴重品入ってるでしょ、その中に。いくら一番心を許している相手だって、渡しちゃっていいの? 途中ケンカ別れしたりしたら、財布その中でしょ? 交通費も何も残らないよ? 


自分なら、トータルコーディネートを「きれいだね」と言ってくれる彼氏の方がいい。もっと大荷物の時に自然とそれを手伝ってくれる方がグッと来る。


と、ここまでは女性の視点。自分も一応女性なのだが、ホントに????だ。


男性側はどうなのだろう。やっぱりそれがジェントルなのか? 本気で彼女の負担を減らそうと思ってそうしているのだろうか。


最近は男の子もお洒落だ。彼女のそのバッグが、彼の服装とマッチしなくても平気なのだろうか。

それとも隙を見て、そのバッグを持ち去り彼女の持ち金を我が物に、バッグがブランドなら売り飛ばして小遣い稼ぎ……てなことを考えているとも思えないし。


自分がもし男なら、そんなちっちゃいバッグを持ってくれと言ってくる女の子には困るだろう。それをスマートに断る言葉を考えるだけで疲弊しそうだと思ってしまう。


 これが若者の文化なのだ! と言われたらぐうの音も出ない。頭の硬い年寄りだと思われるのは愉快ではないが。でもこの現象に関しては、硬いまんまでいいや、と思ってしまう。


もしかして、あれなんでしょうか。カップルなんだぞ、という意思表示(見せびらかしとも言う)。

女ならバッグを持ってくれる男がいるんだぞ、と、男なら持ってあげちゃう彼女がいるんだぞ、と。


まあ、そういう優越感みたいな意味なら、どの世代でもある。それがこういう形になるのが今風なのかあ。……という納得の仕方で……合ってる?



(了)

 

 

 

 

 

 

 

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 ギックリ腰をやった。


 と言ってもかなりのプチで、よく言われる「何をしてもどんな姿勢でも痛くてどうしようもない」というほどではなかった。


 不安定な姿勢で重い物を持ち上げたとか、不用意なクシャミとかが引き金になることが多いらしい。

 けれど自分の場合、今回に限っては原因がよくわからない。


 急ぎ足でもなく躓いたわけでもなく、フツーに歩いていて「あれっ?」と何か違和感を抱いた。だからちょっと腰を回したり前屈したりでなだめておいてそのうち忘れるのを期待、という、普段通りの対処をしたのだったが。

 その後何度腰を回しても前屈しても、そこには頑として痛みの元が居座っていた。


 プチでなくなるのが怖くてすぐに整形外科へ。ところが連休明けというタイミングの悪さで、待合室の堅い椅子で2時間待たされた。ここで悪化したような気さえする。

 そして整形外科ではレントゲンを撮って骨折なしと診断すると、湿布と痛み止めをくれるだけなのだった。


 これじゃいかんと接骨院を訪れる。ここなら電気をかけたりツボや針で患部を直接何とかしてくれる……と思ったら、骨盤矯正とかの歩く訓練をちょこっとやっただけ。それにちょこっとストレッチめいたものをやっただけ。それで保険は利きません、と言われ、四千円払った。


 結局一週間、湿布を貼るだけでヨタヨタどうにかやり過ごす、という、医者に行っても行かなくても同じ生活を送ったわけで。

 まあそれでも治ったので、次回からは医者要らずでいきたいと思います。。。


 このプチギックリに限らず、首が回らない(比喩じゃなく)、肘が突っ張る、膝や肩や股関節が固まる、などと、激しい運動や大コケとかの覚えが全くなく、ある日突然そうなる、という不調が最近増えた。


 トシと言えば全て収まるのかも知れないが、これが結構厄介だ。

 自分の感覚として、以下のように法則化されてはいる。


 久し振りにスポーツをした、とか、転んで膝や手を捻った打ったとか、ハッキリ原因が思い当たる筋肉痛や怪我なら強くても割と早く治る。

 けれど、何故だかわからないいつのまにか生じた痛みというのは、弱くてもなかなか治らない。


 悔しいので名付けてみる。「音もなくやって来ると長引くぞの法則」……、ネーミングセンスゼロ……ごめんなさい。


 とにかく、原因がわからないから冷やせばいいのか温めればいいのかすらわからないまま、ひたすら痛い。何かするたび痛い。


 そして、どうしてかそういう痛い時に限って、大掃除だとか遠出だとかの用事があるのである。

 更にそんなときに限って電車を乗り越し、戻るのにやたらに階段を上り下りしなくてはならない羽目に陥る。


 ……こっちは「泣きっ面法則」とでも名付けようか。もうヤケクソ的。マーフィーの法則に追加して欲しい。


 いや、でもいつか何かの話を作るときに使えるかもしれない。「法則作った」ってことでようやく理系っぽいと思ってもらえるかもしれない。

 それだけで得したと思おう。


(了)

 

 

 

 

 

 

 

 

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  理系に進みながらも、理系的才能も適性もなかったことは、前回書いた。文系的才能もないくせに、物書きになりたいな、と思ったことも。一般的には妙な分類の人間なのかもしれない。

 

 要するに、理科へも文科へも、どちらも秀でていない。平均的に低めだったので、どう進めばいいのかわからなかったのである。


 で、だから物書きを目指せるか、というと、ウン十年いろいろ書いて、いろいろ弾かれたりして思ったのは、「売り」の必要性である。

 

理系だから物語を書けないかというと、全然そんなことはない。

手塚治虫はお医者だし、東野圭吾は工学系である。エセでない正真正銘理系出身の彼らが書く物を面白いと思う私は、畏れ多くも、リケジョでももしかしてそういうことができるのでは? と希望を持ったわけで。 

 

おまけに東野さんがどこかで言った言葉を支えにしちゃっている。ミステリーを書くことは理系には向いている、というようなことだった。

これはつまり、ラストを決めてから書くミステリーの場合、あちこちに伏線やヒントをパズルのようにはめ込む。そういう図形的な感覚は、理系なら得意なはず、といった意味に捉えた覚えがある。こういうときばっかり自分は「理系」だと思い込む。

 

と、そこまでは都合良く解釈したのはいいとして。手塚さんにしても東野さんにしても、理科系の専門性がガッツリと「売り」になっているじゃあないですか。

 

作品を読めば明らか。エセでない理系の方は、半端無い「手に職」的技術をお持ちだ。それを物語のリアルな背景に据えられるのが強みだと言える。

そういうのがなくて、元々文系的描写力もなくて、自分、我ながら無謀な挑戦だと思う。

 

 そう言えば、以前、理系の才女菊川怜が言っていた。「ブラックジャック」と「ガラスの仮面」に心酔して、医者になるか女優を目指すか迷ったと。

 私もその2つは愛読書だったが、全くそんな発想は出なかった。リアルな将来に反映しなかった。その辺りが平々凡々なただのエセリケジョでしかない悲しさ。

 彼女は「ブラックジャック」の影響で東大理系へ進み、「ガラスの仮面」を諦められずに女優になった。


 せめてその思いの強さの端っこだけでも真似したい。

 平々凡々の平均的人間にしか書けない何かがある……そう思いたい。エセリケジョっていう、肩身の狭い立場も、きっといつかキャラ作りなどに役に立つ、とも。

 

 そういう前向き思考は、この長い物書き志望歴の間に身に付いたものである。それだけでも進歩かな。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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  自分の理系出身という経歴、実は内緒である。

 

 なぜなら、ノーベル賞の山中教授や田中さん、ガリレオ先生(架空)などを思い浮かべられ、「すごーい」「頭良いんだね」と言われるのが常だからである。

 しかしその実態は、全然すごくないし、頭良いどころかヤバいレベルなのに、だ。イメージとは恐ろしい。

 

 単にこのブログもどっかの公式ジャンルに混ざりたいと思った。けれど毎度フラフラと思いつきを書いているもので、はまりにくい。結局恥をしのんで「理系女子」に登録してみた。そのためにこうして内緒の話をしているわけである。

 

 自分の思う、「ザ・理系」というのがある。学生時代にはハードな実験を重ね、難しく厳しい卒論を完成させ、理詰めが得意で、仮説を地道に調査し立証する努力をいとわない。

 ……そのどれもが自分にはない。

 

 そもそも昔から暗記がダメなもんで、社会全般がめちゃくちゃ苦手だった。だから最低限の公式を覚えて使い回せば何とかなる、という理由で理系を選んだに過ぎない。

 けれど、物理は電流の説明になぜ滝とかダムが出てくるのかどうしても理解できず、その時点で挫折。生物、地学は暗記だし、化学はカメノコがこんがらがって触りたくなくなった。

 

そんな理由で残ったのが数学。数字に苦手意識はなかったので、高校時代前半までは結構好きだった。答えは一つだけっていうのがスカッとするし明快だ。

そう思っていたのに、数学という分野は先に行くと殆ど「証明」になる。背理法とか数学的帰納法とかの、どうも腑に落ちないやり方で何やらを導いてQED。

……全然スカッとしないどころか、何で証明できたことになるのか自分にはさっぱりわからなかった。未だに謎のままである。


結局要領だけで卒業はしたものの、断言できる。自分に専門課程で身に付いたと言える物は何一つない(涙)。

 

 ならば文系を志すべきだったか、というと何とも言えない。国語や英語も嫌いではなかった。だけど成績は低空。よって多少それよりマシだった数学寄りに進んだだけの話である。

 

 世の中の「文系理系」という分け方が、自分には物の見事に合わなくてどっち付かず。一応理系側にコッソリ混ぜてもらった、というのが正しい。

 

 リケジョと言えば、白衣の似合う女医さん、化学反応を熟知した薬剤師さん、金銭感覚ばっちりの公認会計士さん、空間認識に強い建築士さん、理論的な学者さん等々。世の中にはそういった素晴らしい理科系女子がたくさんいるというのに。

 だから申し訳なさすぎる。こんな自分が理系だと公言するのは。

 

 そんな元リケジョが物書きを目指す。それはありか?

 「だけど文系になれなかったわけでしょ?」って声が聞こえてきそうだが。

 

 そういう感じでこのブログ、進めたいと思います。

 

(了)

 

 

 

 

 

 

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  アメニモマケズ、カゼニモマケズ。日々の忙しさにも怠け者の虫にも負けそうになりながら。何年も物書きの真似事を続けてきた。

 

 物語を作る作業の骨格として、「起承転結」というものがある。その長い年月の間、私は書いた物全てこの基礎を守っている。


何でもありの昨今、そんなものは必要ない、自由に書けばよいと言い切る指南書もある。けれど私自身が読み手視聴者として言うなら欲しい口。


個人的好みとして、ただ散文的に何の関連もない事項が並んで、日記的に行き過ぎるだけの物語にはあまり引き込まれない。フィクションの物語なら、ノせられる流れが欲しい。


何かとっかかりがあって(起)、それが転がって(承)、とんでもないクライマックスに発展して(転)、そして何かが変わる結末(結)。私はそういう物語が好きなのだ。おそらく、他はエセでもその辺りの感覚は理系的……だからなのだと思う(エセでない理系の方から苦情が来ませんように)。

 

まあ好みの問題だから、無視してもいいっちゃいいのかもしれないけど、まず基礎を抑え、抑えることができてから応用的に変えていく方がいいのではないかと思っている(だから未だに基礎で止まってるのか、自分……)。

 

とにかく「起承転結」に沿って書いている、つもり。……ちゃんと書けてるかどうかは別として……はい、よく「転」が弱いと言われるし自覚もある。その弱点は致命的だから、日々必死で「転」にインパクトをつけることに腐心している……。

 

そうは言っても、いろいろこねくり回しすぎて壁にぶつかることもある。そんなときに必ずこの基本に立ち返る。


私の教科書は「恋はデジャ・ヴ」(1993年、出演:ビル・マーレイ、アンディ・マクダウェル)という映画である。これは話自体も面白いし、個人的に「起承転結」のお手本だと思っている作品である。以下ネタバレあり。

 

まず、主人公があるとき同じ一日を繰り返すハメに陥る「起」。

最初はそれを利用して下心を満たそうとズルばかりする。が、何度やり直してもうまくいかなくて気が変になり、様々な方法で自殺を試みる。だがその度その一日の始めに戻ってしまい、クリアゼロ。それが「承」。

やがて悟りの境地に達した主人公は、この特性を人助けに役立てることにする。それが想い人の心を打って恋が叶うという「転」。

心を入れ替えて人に認められたことで、彼にようやく「次の日」が訪れる。そういう「結」。

 

良作なのに、意外とメジャーでない映画かも知れない。けれど、大好きな作品の一つ。物を書く上でとっても勉強になる作品の一つ。役者さんもみんな素敵で、観た後にスッキリ楽しかったと言い切れる作品の一つ。

 

 ソウイウサクヒンヲ、ワタシハカキタイ。

 

(了)

 

 

 

 

 

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