みなさん、お久しぶりです‼️ よしの なほです☺️💕
2022年の年末に「ブログ引退します」と書いてから、もうすぐ4年…!
それなのに、今でも毎日たくさんの方がこのブログに遊びに来てくださっていて、
アクセス解析を見てびっくりしました😭🙏
本当に本当にありがとうございます🫶✨
あれから私は、溺愛女子サロンPlusの仲間が500名を超えて、
憧れの街にお家を買って、
いま、第二子をお腹に抱えています🤰💓
今日は、noteに書いた「私の人生が変わった日」のお話を、
こちらにもお届けしますね📖✨
20代からの私の口癖は、
「何でもいいよ」「別にいいよ」だった。
恋愛や婚活で初めて会う男性に、
「何食べたい?」
「どこ行きたい?」
と聞かれても、
「何でもいいよ〜☺️」と答えていた。
なんなら、
「サイゼとかでいいよ」
「居酒屋でいいよ」なんて、
相手にもお店にも超失礼だなと今なら分かるけど、
当時は本気でそれが「健気な良い彼女なんだ」と、信じてやまない受け答えをしていた。
「で」いいよ、ってなんだよ。
「が」いい、しか言われたくないでしょ、この世に存在しているすべての人やもの、ブランドは。
まぁそんな私だったので、デート相手が自分よりも年下の男性だった場合なんかは、
割り勘どころかなんなら相手よりも多めに払う、みたいなことに度々なっていた。
それから初めて商社マンのハイスペ彼氏ができた時なんかは、
「ごめん、今日接待で会えるの深夜過ぎそう」とか、
「急に出張が入って今週末会えない」とか言われても、
「別にいいよ」と理解ある女性を演じた。
でもそういうことの一つ一つが、
そのたび、自分の中の自尊心みたいなものを少しずつ削っていってる気がした。
「いい女」というのは、
・ワガママを言わない
・相手に合わせられる
・相手の要求を受け入れる
・相手に甘えさせてあげられる
そんな女性だと思っていた。
「私はいいよ、あなたの好きなようにして♡」という雰囲気の、気が優しい、控えめな女性。
それが素直で、かわいくて、人から愛される女だと、そう本気で思っていた。
だから必死でそれを演じていた。
実際はどんどん「どうでもいい女」だと思われ、扱われていった。
33歳ごろ。「いい女」でいようと、必死だった頃。結婚式の衣装合わせなのに悲壮感が漂う。
ちなみに仕事ではもっとそうだった。
本当は嫌なのに、頼まれた仕事を断れない。
休日出勤を頼まれても、「はい、喜んで!」と引き受ける。
文句を言わず、波風を立てず、会社が求めることを淡々と、一生懸命やっている…「風」だった。
それが会社が求めている「いい社員」像だと思っていた。
会社でのキャリアアップを望んでいる「風」を演じていた。
そうすると、どんどんハードワークを強いられる。
そしてなんだかんだ、課題を達成してそこそこ評価される。
そしたらまた「もっと」頑張る環境が用意された。
実際は早く結婚して子どもを産んで、産休育休だけ貰って、スッと辞めたかった。
だから社内恋愛を経て結婚したのに、
「仕事を断らない、文句も言わない」姿勢のせいで、
「プライベートよりも仕事優先」っぽい姿勢のせいで、
最初の4年間は遠距離の別居婚になり、
そして入籍から5年が経ち、やっと同居する頃には家庭内別居の仮面夫婦と化していた。
33歳になる頃には、
私の心の中はいつも不満でいっぱいだった。
仕事も、生活も、お金も。
生きてはいける。
ご飯も食べられてる。
家庭内別居の夫には気づかれないように推し活もしているし、Twitterやリアルにオタク友達もいっぱいいる。
だけどいつも渇いたコップみたいに、なんか心が満たされない。
推しにファンサを貰って「夢みたい!」と有頂天になっても、
また日常に戻ると「これが現実か…」となる。
どんな刺激を注入しても満杯にならないで、
日々の疲れやイライラに消費されていき、心がすぐ渇いてしまう。
33歳ごろ。このころは写真に映るのが嫌いで、口角が下がっている写真しかない。旅に出ても、心はすぐに渇いていった。
ずっと心のどこかに、
「私の人生、このままでいいの?」
というモヤモヤがあった。
いつしかそれは、
「私の人生、こんなもんじゃないはずだったのに」という後悔に変わった。
その時私は初めて、
ずっと、自分自身の手で「自分がどうしたいか?」に蓋をしてきたことに気がついた。
「何でもいいよ」の正体
「何でもいい」は、優しさだと思っていた。
もちろん、本当に何でもいいときはある。
今日のランチなんて、和食でもイタリアンでも、本当にどっちでもいいやって日もある。
でも当時の私の「何でもいい」は、ちょっと違った。
・自分が何を食べたいか
・どこに住みたいか
・どんな服を着たいか
・どんな人と一緒にいたいか
・どんな働き方をしたいか
・どんな人生を送りたいか
そんな自分の望みや願いみたいなことを、
真剣に考えてみることさえしていなかった。
人やそのときの状況に流されて、いつも出たとこ勝負でフラフラと漂っていて、
「別に、これでいいや」を選ぶ度に、
その結果として返ってくる“現実”に絶望していた。
そんなことを私は毎日毎日、何年も積み重ねていた。
そして離婚して何もかも失った時に、気づいた。
人生って結局、
今日食べるランチから、結婚する相手まで、
「何を選ぶか」の積み重ねでできている。
だとしたら、
「別にこれでいい」で選び続けた先に、
「これが私の最高の人生です!🥹」
が突然現れるわけがない。絶対に。
当たり前なんだけど、
34歳の私には、けっこう衝撃だった。
自分にとっての「最高」は、自分にしか分からないのだ。
「もうお先真っ暗…」ドン底の中で
離婚して、仕事でもつまずいて、
人生を一度ぜんぶリセットして、
私は代官山蔦屋書店の近くに引っ越した。
そして、とにかく本を読んだ。
これから私は、どう生きればいいんだろう?
幸せってなんだろう?
人生ってどうしたら変わるんだろう?
そんな答えを探すみたいに、たくさんの本を読んだ。
その中で、少しずつ分かってきたこと。
世間的な「幸せ」が、私にとっての幸せとは限らない。
誰かが羨む人生が、私にとって最高の人生とも限らない。
逆に、人から見たら些細なことでも、
私にとっては絶対に譲れないものがある。
つまり、
私にとっての「最高」は、この世界でたった一人、私にしか分からない。
だったら、まずは他ならぬ私が、それを知らなくちゃいけない。
34歳、はじめて「10年後」を書いた
私は手帳を開いて、それまでほとんど自分に聞いたことのなかった質問をした。
「私は、本当はどう生きたい?」
「10年後、どうなっていたら最高?」
現実はいったん、横に置いた。
できるかどうかも、置いておいた。
お金があるか?
年齢的に間に合うか?
自分にそんな能力があるか?
そんな「現実的なこと」を考える前に、
ただ、「私はどうしたい?」と聞いた。
どこに住みたい?
どんな家で暮らしたい?
どんな人と結婚したい?
夫婦でどんな関係を築きたい?
子どもは欲しい?欲しいなら何人?
どんな仕事がしたい?
いくらくらい稼ぎたい?
休日はどう過ごしたい?
私はどんな顔で、朝起きたい?
ひとつずつ、書いた。
34歳のとき、iPhoneのメモに書いた「10年後の自分」。
今振り返ると、
私の人生が変わり始めたのは、
起業した日でも、
今の夫に出会った日でも、
子どもを産んだ日でもない。
あの日、手帳を開いて「私はどうしたい?」と自分に聞いた瞬間からだった。
人生を変える練習は、初デートのお店から
そうは言っても、いきなり人生を変えられたわけじゃない。
最初は本当に小さなことだった。
人生を変える練習は、初デートのお店から始まった。
「何食べたい?」と聞かれたら、
「何でもいいよ」ではなく、「私はこれが食べたい」と言ってみる。
「どこ行きたい?」と聞かれたら、相手が喜びそうな(程よくお手頃な)場所を考える前に、
「私は本当はどこに行きたい?」と一度、自分に聞く。
モノを買うときも、
「これでいい」ではなく、
「これがいい」を選んでみる。
仕事でも、
「頼まれたからやる」ではなく、
「私は本当はどう働きたい?」を考える。
そんな小さな選択のたびに、
人生のハンドルを少しずつ自分の手に取り戻していった。
それから9年…
私は会社員を辞めて、起業して、
大好きな人と結婚して、
子どもを授かって、
今、第二子をお腹に抱えている。
好きなときに、好きなだけ仕事をして、
憧れの街にマイホームを買って、一度売却して、
今度はもっと憧れの街に買って、住んでいる。
仕事も、夫婦のパートナーシップも、家族も、
お金も、時間も、家も。
34歳の私がノートに書いた「こんな人生だったら最高だな…」の人生を、
42歳の私は生きている🥹
42歳の今。あの頃の私が、喉から手が出るほど欲しかった日常の中にいる。
もちろん、手帳に書いたから魔法みたいに叶った、なんて話ではない。
その間には、たくさんの失敗も、怖い決断も、絶望で泣いた日も、
「本当にこれでいいのかな?」と迷った日も、星の数ほどあった。
でも一つだけ、34歳から変わったことがある。
迷ったときは何度でも、
「私はどうしたい?」と自分に聞くようになった。
そうするといつも、「やっぱり私はこうしたい!」に戻る。
たぶん、違うのはそれだけ。
でも、その「それだけ」の積み重ねが、9年後の人生をこんなにも変えたのだ。
私は「人生ドン底」と思えるときほど、未来を決める方がいいと思う。
だって今の人生は、
自分がそれまで何を選び、何を選ばなかったかの
積み重ねでもあるからだ。
誰だって、一つ一つの選択の結果が、今の人生なのだ。
「今の現実が理想とほど遠いと、
未来のことなんて考えられなくなります。」
うん、分かるよ。何度も経験した。
「まず現実をどうにかしなきゃ!」と思うんです。
そこでもがいて、頑張っていれば、なんとか状況を打破できるはずだと…。
…でも私は、それが逆で、遠回りだと思っている。
離婚して、貯金もほとんどなくて、
仕事もうまくいかなくて左遷させられた34歳のあのときこそ、
「じゃあ私は、ここからどうなったら最高?」
を決めたことが、最大の逆転策だった。
その時に、人生が変わった。
今の自分から未来を考えたら、今の延長線上の未来しか描けない。
だから、今どうなのかではなく、「私はどうしたいのか」から未来を決める。そして未来から今が一本の線で繋がることを意識する。
つまり「今」から「未来」に時間が流れているんじゃなくて、
「未来」から「今」の方に時間が流れてきているんだと。
それが「今」なんだとしたら?
未来を決めたら、今日の選択が少し変わる。
今日の選択が変われば、明日の自分が少し変わる。
それを何年も積み重ねた先に、ある日ふと、
昔の自分から見たら「まるでファンタジー」みたいな日常が現れる🥹💕
人生の逆転劇って、ある日突然起きる奇跡じゃない。
「何でもいい」をやめて、
「私はこれがいい」を選び始めること。
最高の10年後を決めること。
それが目的地なんだと書いて、自分でちゃんと認識することから、
逆転劇は始まるのだ。
2027年、あなたはどうしたい?
だから私は、5年間手帳を作っている。
予定を管理するための手帳じゃない。
「やること」をたくさん詰め込むためでもない。
忙しい毎日の中で、
誰かの期待でもなく、世間の正解でもなく、
「私はどうしたい?」
と、自分に戻ってくる時間を作るため。
その環境を、自分にちゃんと用意してあげるため。
それが『溺愛手帳』だ。
2026年1月、溺愛手帳に書いたwish。2つ目の家は叶い、1つ目は11月、もうすぐ叶う。
そして今年の予約受付も、残りあと5日。
もし今、
「別に不幸じゃない。でも、このままでいいのかな?」と思っている人。
あるいは、
叶えたいものがたくさんあるのに年齢やお金や今の状況を見て、
「まあ、全部は無理だよね」と諦めそうになっている人。
そんな人がいたら、
一度だけ、34歳当時の私のように現実を横に置いて、溺愛手帳を開いてみてほしい。
溺愛手帳2027。表紙はベビーミント。
そして自分に聞いてみて欲しい。
「2027年、私はどうしたい?」
「10年後、私はどんな毎日を生きていたら最高?」
今の現実がどうであれ、未来は、今日ここから意図し始めることができる。
34歳の私がそうだったように。
「何でもいいよ」と自分の人生を自分以外の誰かに預けるのをやめて、
「私は、これがいい。」を選ぶ一年にしよう。
あなたにとっての「最高」は、世界であなたにしか分からないから🫶
そしてそれを、世界でいちばん大切にしてあげられるのも、きっと、あなた自身だから‼️🔥
2027年。
自分の人生のハンドルを、自分の手に🌈
『溺愛手帳2027』と一緒に、
ここから始めてもらえたら嬉しいです😆❤️🔥
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『溺愛女子サロンPlus』の次回募集も、LINEで先行案内します💌
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▼よしの なほ公式LINE
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久しぶりのアメブロ、読んでくださってありがとうございました🥹💓
またここでも、お話しさせてくださいね〜‼️
















































































































































