東京駅前の丸の内の一角に日本工業倶楽部会館というレトロな外観を残したビルが建っておりますな。

1920年(大正9年)に竣工した会館は「実業家の親睦を目的とした社交クラブの建物」(千代田区観光協会「VISIT CHIYODA」HP)だそうですが、倶楽部の初代理事長は三井の総帥・団琢磨だったとは、三菱村という場所柄からして、はて?とも。

 

 

今では旧来の建物を残しつつ裏側に高層ビルを入れ込むという、あちこちに見られる建築手法で新しくなっておりまして、三菱UFJ信託銀行本社ビルとなっているそうですが、その建物の1階部分の片隅に同社の企業ミュージアムがあるということで覗いてみた次第でありますよ。

 

 

「信託」なるものについてひろく理解を深めてもらいたいという趣旨である「信託博物館」、ありていに言えば経済とそれに関連する経済法の知識がおよそ無い者にとっては、懇切に説明されてはいたのだろうと思うも、なかなかにすっと入って来るものではなかったですなあ。

 

ちなみに館内は一切撮影不可でしたので、展示のようすを画像掲載することはできませんけれど、その代わりに展示解説を詳細に収録したガイドブックがもらえましたので、これを眺めやりつつ「信託」の歴史のあたりをさらっと振り返っておくといたしましょうかね。

 

そも「信託」という言葉の意味合いとして、「信じて託す」ものであるということでして、制度的な起源と思しき「ユース(Use)と呼ばれた仕組みは中世イングランドにありと。財産(当時は主に土地)の相続は当時、長子総どりだったところを妻や他の子供たちにも分与したいといったときに、信頼に足る人に一時的に譲り渡したそうですが、その具体例として「ジョン・オブ・ゴーントの遺言」が紹介されておりました。

 

プランタジネット朝イングランドの王エドワード3世の息子にして、ランカスター朝を開くヘンリー4世の父親というこの人物、秘蔵っ子だったのか、三男に財産を遺すべく遺言でユースを設定したそうな。

 

ですが、のちに「こうした譲渡方法を使うと相続税に見入りが悪い」とユースを禁止する法律を作ってしまったのがヘンリー8世であったとか。結果、裁判沙汰が数多く起こることになり、判断を委ねられた大法官ノッティンガム卿は信頼(trust)重視で弱者救済を図ったことから、ユースそのものが「トラスト」と呼ばれるようになっていったということで。

 

てなふうに、当初の「信託」は個人間取引だったようですなあ。今では「信託」と言って真っ先に思い浮かぶのは信託銀行でもあろうかと。また、初期の個人間取引では資産を管理・保全する要素が強かったものと思いますが、いつしか資産の運用・形成に関わるものという認識が一般化しているのではないですかね。

 

ですから、信託銀行が扱う商品にしても「信じて託す」てな話では済まないものもいろいろあるわけでして、その点ではそもそも信託とは「信じて託す」ことなんですよと言われましても、「なんだかなあ」と思ったり、まあ、世の中変わったと見るしかないのかもしれませんが。

 

今では(個人間ではともあれ)無報酬で預かり何の果実も無しに受け取るだけという関係では捉えられなくなってきていて、どうも利殖の最前線のひとつとも思えてしまうところではないですかねえ。といって、個人的に信託銀行と全く取引が無いではないので、あまりとやかく言えたものでもありませんけれど…。

 

ところで、ひところの経済動向の変化に伴って各種企業に統合再編の波がありましたですね。銀行でもかつては大手都銀13行と言われていたのがかなり集約されていますな。では、信託銀行は?と思えば、一般顧客向けとしては三菱、三井、みずほのメガバンク系が残るばかりでしょうか。かつては、日本信託銀行とか、中央信託銀行とか、東洋信託銀行とか、安田信託銀行とか、いろいろあったように記憶しますが。

 

と、話は信託博物館の展示から逸れ気味になっておりますけれど、最後に「ああ、そうであったか」ということをひとつ。信託博物館を運営する三菱UFJ信託銀行は「ピーターラビット」の世界をイメージキャラクターとして使っているのですよね。これは、世の中によくある、縁もゆかりもないながら有名なものに頼る作戦かとばかり思っておりましたが、信託博物館を訪ねてそうではないことがようやく分かったのでありますよ。

 

ピーターラビットの作者ビアトリクス・ポターが「信託を活用して大切な湖水地方の景観を今に遺し」たことに因んでいると。ポターが託したのはいわゆる「ナショナル・トラスト」ですので、営利企業の理念とはいささか(かなり?)異なるものとは思いますが、一応の関わりがあり、安直なネームバリュー頼みではなかったことが分かりました。志たるや良しとは言えるかもしれませんですね。

 


 

 

先週に毎度恒例、父親の通院介助で一日お休みを頂戴したですが、実はその折も折、その父親が救急搬送されて、通院先の病院にそのまま入院するてなことになっておったのでして…。まあ、年齢が年齢ですので救急車騒ぎは何度かあったりもしたですが、そのまま入院とは稀なことで。ではありますが、その後は元気になってきて、明日(6/18)晴れて?退院という運びになったものですから、母親ひとりでは手に負えず、またまた手伝いに出かけてまいります。つうことで、また明後日(6/19)にお目にかかることに。ではでは。

 

「ああ、これ、映画になっていたのであるか…」と、早速見てみることに。元々の戯曲『Taking sides』として上演されたのを、しばらく前に加藤健一事務所公演で見たことがあったものでして。

 

 

映画版は『テイキングサイド ヒトラーに翻弄された指揮者』という邦題になっておりまして、その指揮者がヴィルヘルム・フルトヴェングラーだと示したところで、一般的には「誰?それ」となりそうな気配を感じて捻りだしたタイトルでしょう。そのあたりにかかわる余談は『Taking sides』を見た折にも少々思い出し話をしたですが。

 

ともあれ、話としては「第二次世界大戦後に行われたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの「非ナチ化」裁判の裏面史を描いた作品である」(以前と同じWikipedia引用)ということになりますけれど、芝居で観たときには、いささかフルトヴェングラーに肩入れするような見方をしていたような気がしていたような。

 

なんとなれば、全く容赦無しに追及していく米軍少佐アーノルドの姿に「うむぅ」とも思ったからでしょうか。映画ではアーノルド(ハーヴェイ・カイテル)がフルトヴェングラー(ステラン・スカルスガルド)に相対する姿を見ていたドイツ人女性秘書が「ゲシュタポから受けた尋問を思い出す」とまで言うほどですし。

 

と、映画を見ても最初は芝居で観た印象が新たに上書きされるふうでもなかったのですが、だんだんと自分の中で受け止め方が変わっていくのを感じたのでありますよ。以前の繰り返しになりますけれど、フルトヴェングラーは音楽の持つ力を信じていた、とんでもない状況にドイツは陥っているも音楽を通じて人々になにかしら喚起できるはず、といったことを信じて疑わなかったのですよね。

 

そのためには他国へ亡命するのではく、ドイツにとどまることが必要ですし、積極協力ではない(と自身は思っている)にしてもある程度の妥協なくしてはドイツで演奏活動もできないわけで、その外見はあたかもナチの広告塔にさえ見えてしまうというあたりには気が回らなかったのでしょう。

 

まあ、ここまでのところは以前の印象と同様ながら、ふっと思い浮かんだのはアイヒマン裁判に臨んだハンナ・アーレントが言った「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る」というひと言でありますよ。もちろん、フルトヴェングラーをアイヒマンと同列に置くわけではありませんが、やっぱりここにも「思考停止」があったのだろうなあと。

 

仮に、ドイツに残ってドイツ人のために音楽を奏でることはいいとして、そんなドイツが他国に対してどんなことをしているか、ユダヤ人をどう扱っているのか、追及する側は知らないでは済まされないでしょうというのですな。ドイツと音楽に奉仕するという、フルトヴェングラーなりの大義の前に他のことには積極的に目を向けなかったわけで。

 

ただ、このことは広くドイツ人一般に対しても言えてしまうことであるわけながら、ある種、特権的な立場(戦時中にも関わらず贅沢な暮らしぶりを含め)にある者とだんだと日々を生きていくことに汲々とする庶民とを同じにはできないでしょうなあ。その点でも、あまりにもフルトヴェングラーは無自覚に過ぎたのかもしれんなあと思い至ったのでありますよ。

 

戦時中といえば、必ずしもドイツ人のこととばかりも言っていられないところのある日本人にも考えさせられるところはありますなあ。ここへ来て、現実的な戦火があちこちであがるようになってしまってますが、くすぶりを煽って火をつけようとしているかのような動きもまたちらほら。やっぱり、国ありきの世の中のありようは「なんだかなあ」度合いを増しているような気もしておりますよ。

トッパンホールに出かけたなればやっぱり立ち寄ってしまう印刷博物館…といっても、今回はちとケツカッチンだったもので博物館本体の展示には立ち入れず、無料の併設施設であるP&Pギャラリーを覗いただけなのですけれど。余談ながら、この「ケツカッチン」という言葉は映画などの撮影現場で使われていた業界用語だそうですねえ。

 

 

と、余談はともかくP&Pギャラリーの展示のお話。7/6まで「GRAPHIC TRIAL 2025 -FIND-」展が開催中でありまして、「第一線で活躍するクリエイターとTOPPANが協力して新しい印刷表現を探るプロジェクト」を紹介するものの19回目だそうな。たびたび覗いている施設ながら、知りませなんだなあ。

 

 

ともあれ、第一線で活躍するクリエイター4人(たぶん、その筋では超有名人なのでしょう)が「次世代の印刷表現を追求」するという試みがどんなものであるのか、とくと拝見いたした次第です。

 

 

壁面に最終形のポスター作品が展示されて、手前のテーブルではその制作過程を紹介しているという形でして、まず一人めはアートディレクター・妹尾琢史。TOPPAN株式会社所属とは少々手前味噌感がありますですが、とりあえずこの方が目指したのは「透明な層の中で積層感のある空間表現の可能性を探」ることと。

 

 

単純に言ってしまいますと、印刷したアクリル板を何層か重ねて奥行き感を出そうということになりますか。サンプルに示されたのが錦鯉だったものですから、どうしたって金魚絵師・深堀隆介の作品を思い出してしまい、あちらの方が層が深いからなあと、つい彼我の差を比べてしまったりも。ま、こちらは金魚、でなくして錦鯉を描いたものばかりではありませんで、それぞれ実に綺麗な仕上がりでしたけれど。

 

 

お次はグラフィックデザイナー・関本明子作品ですが、お隣が色鮮やかなものだっただけに地味感が漂うような。狙いは同じく積層感ながらも、塗り重ねていくことで生まれる微妙なグラデーションを求めたようでありますよ。

 

 

制作過程の紹介を見れば、その「びみょ~」な積層感がなんとか見てとれ、「ほお~」と思いながら眺めていたですが、大雑把な写真からはその欠片も感じられませんでしょう…。

 

 

続いてはまた派手系の作品ですな。デザイン・エンジニアの吉本英樹が手掛けていますけれど、この方、もともと東大で宇宙工学をやっていたところがロンドンでデザイン工学を学ぶ方向に…という背景を知ると、だからロケットの発射場面なのね!とは、短絡にすぎましょうか。

 

打ち上げの際に生ずる「ダイナミックな爆煙の迫力を、印刷表現でどこまで迫れるか探っ」て、さまざまな技法を試みたようでありますよ。制作過程紹介では、いろいろ試行錯誤をして、これは採らない、あれは採るといったことをしていて、これも実験なのであるなと。

 

 

結果として、印刷平面とは思われないほどに白煙のもくもく感が生まれることになったと、遠目に見たときには思ったものの、寄ってみればみるほどに「洗顔用に泡立てたシャボン?」のような気がしてきてしまって…(個人の印象です)。

 

 

さて最後、4人目となるのがアートディレクター・大貫卓也ですけれど、これまた写真では分かりませんが、「ああ、これ!昔よく見たあれじゃないけんね?」と思うことに。どうやら、技法の正式名称はた「レンチキュラー」というのだと初めて知りました。

レンチキュラーとは?
細長いカマボコ型の凸レンズが並んだ透明なシート(レンチキュラーレンズ)を絵柄の上から貼って、絵柄の変化や立体感をつくりだす特殊印刷技術

要するに見る位置が変わると画像が動いたように見えたりする「あれ」ですね。ブラッシュアップされたレンチキュラー技法によって生まれたのが、例えばこのような。

 

 

 

ちとモノクロ作品は見栄えが今ひとつながら、昔見たレンチキュラーはどうしても画面に滲みのようなものが見られるわけですが、そうしたあたりの解消を突き詰めていったもしたようです。子供のおもちゃのようなものでも、クリエイターの発想源になったりするのですなあ。

 

その目の付け所と結果において、「おお!」というものばかりではなかったですが、新しいものごとのタネが実はそこらに転がっているものなのだなとも。それを(コロンブスの卵でなくして)いち早く見出せるのがクリエイターなのであるかと思ったものでありましたよ。

かなり前にはなりますけれど、『伝説の企業家~アメリカをつくった男たち』というアメリカのドラマを「ヒストリーチャンネル」で見ましたけれど、「これも同趣向であるか…」と。

 

ヴァンダービルト、ロックフェラー、カーネギー、J.P.モルガン、そしてフォードという5人を取り上げて、アメリカの基幹産業の礎を扱った先のドラマの本来のタイトルは『The Men Who Built America』だったわけですが、このほど見てみたのは『The Food That Built America』、邦題としては『ザ・フード ~アメリカ巨大食品メーカー』となっておりましたし。

 

ま、アメリカ食品業界の立志伝といいますか、そういう内容であると想像していたわけではありませんで、つい先日に「食品ロス」のことに触れたことからしますと、さぞや酷いことになっている状況が出てきたりするのかも…という空恐ろしさを予感していたりも。結局は偉人伝みたいなところで、(ステレオタイプな見方ながら)「アメリカ人って、本当にアメリカン・ドリームに憧れているのであるなあ」と思ったものでありますよ。

 

とはいえ、描かれるのは食品業界ですので、そこで成功を収めるというのは大量生産・大量消費に邁進することなわけで、それこそ当時は成功神話だったのでしょうけれど、その流れでずっと経済を回すのは環境やら何やらの点で無理があるてなことになりましょう。そこは敢えて触れずなのかもですが、番組内ではアメリカン・ドリームを成し遂げた先達へのリスペクトが強調されるようなところもあり、「う~む」とも…。

 

まあ、そんなこんなの悩ましさはあるものの、ケロッグのコーンフレーク、ハインツのトマトケチャップ、ハーシーのチョコレート、ケンタッキーフライドチキンやマクドナルドのハンバーガーチェーンなどなどの誕生物語には興味深い点がないわけではない。そもそも、彼らが大量生産を目した背景には、南北戦争が終結して産業革命化が進むと、都市部に大量の人口流入があり、その人たちの食を賄うこともあったそうな。大量生産することそのものには意味があったということで。

 

逸話として面白い点もいくつかありましたですが、例えばコーンフレークはケロッグ博士による独特の治療法が話題(眉唾もの?)の病院で出されていた療養食だったそうですなあ。

 

個人的には子供のころに、ケロッグ・コーンフレークにアメリカというか、新しさというか珍しさというか、そのあたり綯交ぜになったものを感じて、親にねだって買ってもらったものの、結局持て余して叱られた…ということが思い出されるばかりですが、それが他社が類似商品を出したりするほどに売れたのでしたか。こういってはなんですが、よほど食糧事情がよろしくなったのでありましょう。

 

マクドナルドの方はもっとよく知れらた話かもしれませんですね。品数を限って、手早く提供、しかも客の側が自分で料理を運んでいくというスタイルを考案したのはマクドナルド兄弟なるも、彼らは全く全国制覇、果ては全世界制覇など考えてもおらなかったようですな。彼らの店を見て「いける!」と考えた人物に看板と運営スタイルを使う権利を譲ってしまいましたので、今や世界中で見かける「MacDonald's」の看板はマクドナルド兄弟とは無縁のものと。この話はアメリカン・ドリームとは逆の話かもしれませんですね。

 

もひとつ、ハーシーのチョコレートに関しては、アメリカで考えられるほどに日本ではメジャーブランドと意識されていないように思いますですね。むしろマーブルカラーの「M&M's」の方がアメリカのチョコっぽいというか。ですが、MとMという商号の元は、方やハーシー社に、方や「スニッカーズ」などのいわゆるチョコバーで知られるマース社に、それぞれ裏切られた感を持った二人の頭文字であったようで。

 

そんなこんな、歴史の逸話を見てきましたが、改めて思い返してみますと「あんまりアメリカの食品にはお世話になったことはないなあ…」という気がしてきました。おそらく親が新しもの好きでは全くなかったということと、自分が大人になってからはアメリカは憧れの的ではなくなってしまったからでもありましょうか。そう考えると、やっぱりアメリカにはメッキが施したあったか…と(冒頭のドラマに擬えて)思ったりしたものなのでありました。

バッハと言えば古臭く、また有名曲である「主よ、人の望みの喜びよ」などと言われた日には些か手垢が…などと思ってしまうものの、伴奏音型でこれだけ聴かせる曲も珍しいのではないですかね…てなころと、3月のオルガンプロムナードコンサート@サントリーホールを聴いてきた折に漏らしてしまいましたですが、あの有名な旋律を「伴奏音型」と言ってしまったあたり、バロック音楽に対する知識不足を露呈してしまっておりましたなあ。

 

そのことに気づかされたのは先に読んだ『ヴェルサイユの祝祭』でしたけれど、このほどランチタイムコンサート@トッパンホールを聴いてきて、改めて「そうなんだよねえ」と思ったものでありましたよ。

 

 

ピアノ独奏による演奏会のプログラムは武満徹、シューマン、バッハと年代的なバリエーションを設けつつ、大江健三郎の「雨の木(レインツリー)」を通底させるという高遠な思惑?を持たせたものでしたですが、それはともかく(失礼!)バッハの曲で取り上げられたコラール前奏曲『目覚めよと呼ぶ声あり』BWV645(個人的には『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』のタイトルに馴染んでしまってますが…)を聴いて、冒頭のような思いraが湧いてきたのであると。

 

「グレン・グールドのJ.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》に衝撃を受け、以来バッハの音楽に魅了され続けている」とプロフィールに紹介のあるピアニスト本堂竣哉はバッハ弾きでもあるのでしょう。アンコールには、思いがけずも『主よ人の望みの喜びよ」が演奏されて、一層思いを深めることになったものでして。

 

で、ご存じの方にはまさに今さら…ですけれど、バロック音楽に対する知識不足の中身のこと。Wikipediaの項目「バロック音楽」にある「バロック音楽から古典派音楽への推移を、対位法的なものからホモフォニックなものへの転換と見るならば…」という一節が肝要でありましょうかね。

 

バロック音楽は対位法的なるものであって、その後の古典派がホモフォニック的なるものという点で違いがある。ではまた改めて「対位法」と「ホモフォニック(ホモフォニー)」とを用語解説的にWikipediaから引いてみますと、こんなふうであるのですなあ。

対位法:複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ、互いによく調和させて重ね合わせる技法
ホモフォニー:単一の旋律要素のもとに、複数の声部が和声を構築する音楽

バロック音楽の曲によく「トリオ・ソナタ」というのがありますですが、これは複数の最小限、ふたつの独立性ある旋律を調和させながら、かつ底支えに通奏低音が配されているという、まさにバロックに特徴的でかつミニマムな演奏形態であったのですな(もちろん、オルガンなどどではすべての旋律線も通奏低音も一人で操るわけですが)。

 

それにも関わらず、古典派以降のイメージが染みついて、主たる旋律線以外は(和声にもせよ、対旋律にもせよ)あたかも伴奏であるかのように思ってしまい、先にふれた『主よ…』にしても『目覚めよ…』にしても、いわゆる主旋律がコラールによると思い込んだところから、それ以外を単純に「伴奏」と言ってしまったようなわけで…。いやはや、ではありました。

 

ともあれ、そんなことも知らずにバロック音楽をかなり好んで聴いていたわけですが、この後は少々これまでと違った耳の傾け方ができるかもしれませんですなあ。なにより、なにより(笑)。