よく知られた「シンデレラ 」の物語が何らか作品化されるにあたって、
改変なりが加えられたりする例をつい最近目にしたわけですが、
まあ、こうしたことは「シンデレラ」に限らず、よくあることで。
改変度合いも単に物語を面白くするためだったりすることもありますが、
先に読んだ「映画原作派のためのアダプテーション入門」 を思い返したりすれば
文章を映像化するにあたって「改変」が生ずるのはやむを得ない、当然なものであって、
それ以上に映像制作者の意図がむしろ改変を促すようなところもありそうですなあ。
とまれ、何かしらの元ネタありのものから別の作品を作り出すときに
往々にして「こんなんだったけ?」と思うこともしばし。
もしかしたらそんな作品なのかもしれませんですね、映画「ピーターラビット」は。
と言いつつ、「ピーターラビットのおはなし」を読んだことのない者が言えたことではないですが、
そもピーターはいたずらっこという想定ではありながら、この映画がその部分を、
CGやらVFXやらを駆使すればこんなことができちゃうけんね的に大盛りにしたのでしょうね。
ですが、これに加えて本来的にはピーターと対照的に描かれているであろう姉妹たち、
フロプシー、モプシー、カトンテールの3人もそれぞれ独自キャラで大暴れとなれば、
やっぱり「ここまでできる」を前提に話が作られたと思えるところです。
てな具合に、「ピーターラビットのおはなし」をさしてよく知らない者が「おやぁ」と思う反面、
よく知っている人たちはどうであるのか。
イメージしていた世界がぶち壊しと思う人がいても全く不思議には思わない一方で、
これはこれと楽しめるという人もまたいるわけですなあ。
登場するキャラクターたちの特徴はともかくも、こりゃあ違う話かと思うところながら
そもそもマクレガーさんの畑に忍び込むという元の話は生きており、
またところどころのエピソード(ピーターの上着がかかしのようになったり)が
ちょろちょろと出てくる…らしい。
とは聞いた話だもので、個人的は読んでないので気付けないわけですが、
そういう状況ですのでここではCGやらVFXやらの印象に触れるとしますかね。
実写とアニメの融合といった作りは昔からいろいろと試みられて、
即座に思い浮かぶのは「メリー・ポピンズ 」だったりしますけれど、
その頃から比べると技術的な向上は驚くほどでありますね。
「メリー・ポピンズ」でのペンギンとバート(ディック・ヴァン・ダイク)の絡みは
それはそれで頑張ってるわけですが、今回見た「ピーターラビット」での
ウサギたちの動きのリアルさには目を瞠るばかり。
「よくまあ、ここまで」と思うところです。
その他、たくさん出てくる動物たちはウサギたちと区別のためか?
いささか簡略に作っている気がしないでもないところで、
とりわけ鳥の動きを描き出すのは難しいのかなと思ったり。
映画では幕開けが鳥たちの歌い踊る姿で始まるのですけれどね。
そんなところを見るにつけ、ある程度リアルさがあると
とことんリアルでないと「う~む」と思わせてしまうようなところがあるような。
引き換え、そうした点では「メリー・ポピンズ」のようにアニメーションで描かれたものの方が
端から動物としてのリアルさを追求しているわけではないので、
かえって動きがリアルに思えるようなところでは「ほお~!」(「う~む」でなく)と
思わせることができるような。
実際のところ現実ではないものを限りなく現実のように見せようとすると、
反って細かいところで現実との違いが気になってしまうというわけで、
作品を送り出す側はその時々の技術を駆使して受け取る側に
「どうよ、現実に見えるでしょう」という勝負をかけているのでしょうかね。
この闘いとおそらくこの先もずっと続くことでありましょう。