…バッハと言えば古臭く、また有名曲である「主よ、人の望みの喜びよ」などと言われた日には些か手垢が…などと思ってしまうものの、伴奏音型でこれだけ聴かせる曲も珍しいのではないですかね…てなころと、3月のオルガンプロムナードコンサート@サントリーホールを聴いてきた折に漏らしてしまいましたですが、あの有名な旋律を「伴奏音型」と言ってしまったあたり、バロック音楽に対する知識不足を露呈してしまっておりましたなあ。
そのことに気づかされたのは先に読んだ『ヴェルサイユの祝祭』でしたけれど、このほどランチタイムコンサート@トッパンホールを聴いてきて、改めて「そうなんだよねえ」と思ったものでありましたよ。
ピアノ独奏による演奏会のプログラムは武満徹、シューマン、バッハと年代的なバリエーションを設けつつ、大江健三郎の「雨の木(レインツリー)」を通底させるという高遠な思惑?を持たせたものでしたですが、それはともかく(失礼!)バッハの曲で取り上げられたコラール前奏曲『目覚めよと呼ぶ声あり』BWV645(個人的には『目覚めよと呼ぶ声が聞こえ』のタイトルに馴染んでしまってますが…)を聴いて、冒頭のような思いraが湧いてきたのであると。
「グレン・グールドのJ.S.バッハ《ゴルトベルク変奏曲》に衝撃を受け、以来バッハの音楽に魅了され続けている」とプロフィールに紹介のあるピアニスト本堂竣哉はバッハ弾きでもあるのでしょう。アンコールには、思いがけずも『主よ人の望みの喜びよ」が演奏されて、一層思いを深めることになったものでして。
で、ご存じの方にはまさに今さら…ですけれど、バロック音楽に対する知識不足の中身のこと。Wikipediaの項目「バロック音楽」にある「バロック音楽から古典派音楽への推移を、対位法的なものからホモフォニックなものへの転換と見るならば…」という一節が肝要でありましょうかね。
バロック音楽は対位法的なるものであって、その後の古典派がホモフォニック的なるものという点で違いがある。ではまた改めて「対位法」と「ホモフォニック(ホモフォニー)」とを用語解説的にWikipediaから引いてみますと、こんなふうであるのですなあ。
対位法:複数の旋律を、それぞれの独立性を保ちつつ、互いによく調和させて重ね合わせる技法
ホモフォニー:単一の旋律要素のもとに、複数の声部が和声を構築する音楽
バロック音楽の曲によく「トリオ・ソナタ」というのがありますですが、これは複数の最小限、ふたつの独立性ある旋律を調和させながら、かつ底支えに通奏低音が配されているという、まさにバロックに特徴的でかつミニマムな演奏形態であったのですな(もちろん、オルガンなどどではすべての旋律線も通奏低音も一人で操るわけですが)。
それにも関わらず、古典派以降のイメージが染みついて、主たる旋律線以外は(和声にもせよ、対旋律にもせよ)あたかも伴奏であるかのように思ってしまい、先にふれた『主よ…』にしても『目覚めよ…』にしても、いわゆる主旋律がコラールによると思い込んだところから、それ以外を単純に「伴奏」と言ってしまったようなわけで…。いやはや、ではありました。
ともあれ、そんなことも知らずにバロック音楽をかなり好んで聴いていたわけですが、この後は少々これまでと違った耳の傾け方ができるかもしれませんですなあ。なにより、なにより(笑)。