唐突ながら職場の同僚に「フルトヴェングラーという指揮者を知っているか?」と問いますと、

「知らない」と。相手は50代前半ですから、若者なので知らないというわけではないのでして。


ちなみにフルトヴェングラーという名前だけで問うのでは無しに

「指揮者」とまで事前情報を付加したのは、昔々のことになりますが、

(今とは別のかつての職場で)大学生アルバイトの青年に

「マーク・レスターを知っているか?」と訊いたときのことを思い出したからでして。


このときの青年の回答は「マーク・レスター?車ですか?」というもの。

知っているか、知らないかを問うときに単に人名だけをもちだしても

(それが尋ねる方には人名であると自明であるとしても)相手方にそれが人の名であると

判るとは限らんなあ、結果的に答えが知らないということなればそれこそ、

「なんのことやら?」でもありましょう。


と、かような思い出し話はともかくも、フルトヴェングラーという指揮者の名を

誰もが知っているわけではないということが分かったのですなあ。

クラシック音楽を聴く方々の中には、それこそ「神でもあるか」というふうに

受け止められているにも関わらず…。


と、やおらフルトヴェングラーの話を持ち出しましたのは

「Taking sides」という芝居を見て来たからなのでありまして。

どんな話かを簡単に記すにはWikipediaの引用が簡にして要であろうかと。

曰く「第二次世界大戦後に行われたヴィルヘルム・フルトヴェングラーの

「非ナチ化」裁判の裏面史を描いた作品である」ということになるのですね。


加藤健一事務所公演「Taking Sides ~それぞれの旋律~」@本多劇場

第二次大戦前のドイツではナチスの勢力拡大に伴って、

音楽家も含めた数多くの人たちが亡命しましたですね。

ユダヤ人である人たちはもちろんのこと、

ナチスと対立する姿勢からドイツにいられなくなった人たちも。


そんな中で当時の音楽界のカリスマともなっていたフルトヴェングラーは

ドイツに居続け、ドイツの音楽を指揮し続けたのですよね。

(ま、ドイツ音楽ばかりではないにしても、真骨頂はやはりドイツ音楽の系譜でありましょう)


そして、ナチス政権下における音楽の総元締めのような帝国音楽院の副総裁にも就任する。

(総裁はリヒァルト・シュトラウスで、こちら関係の戯曲も加藤健一事務所が上演しましたな)

まさにナチス政権の広告塔でもあろうかという活動が見られた…というところから、

「フルトヴェングラーはナチだったのではないか」と審問に呼ばれ、

それこそ当時にあってもフルトヴェングラー(の音楽)を一切知らない、

すなわち必要以上にこの指揮者を有難がらないという米軍少佐アーノルドが尋問することに。


ある意味、尋問相手を知らないというのは偏りをなくすことにはなりますけれど、

一方でアーノルドは審問前に、解放直後のベルゲン・ベルゼン収容所を見てきており、

悲惨というにはあまりに悲惨な状況の名残をつぶさに目にしたことから、

ナチスへの憎悪を燃やすあまりに、相手を端から言い逃ればかりをするナチくずれと見ている。

この決めつけは「十二人の怒れる男」に出てくる陪審員の一部でもあるような…。


そんなアーノルドとフルトヴェングラーとのやりとりはおよそ噛み合わないのですよね。
フルトヴェングラーは「音楽の力」を信じている。
そして、自分がその力を最大限に引き出せるということも。
ですので、不穏な時勢にあってこそ自らはその場に踏みとどまり、
迷えるドイツの人々に勇気を与え、あるべき方向に導くには音楽を提供し続けることこそ
自らに課された至上命題であると考えたのでありましょう。


そのためには、決してナチに与するわけではないものの、
ある程度のところまでの折り合いを付けなければならなかったことも事実で、
そうしたところを傍目にみれば、ナチに加担しているようにも映るところながら、
フルトヴェングラーはその辺りには思いが及ばないのですなあ。


話の中には、その頃に勢いに乗じた感のあるカラヤンの名前が出てきますな。
オーストリアでナチに入党し、ドイツに来てから改めてまた党員になったらしい。
2度も入党記録のあるカラヤンに公的活動が認められるようになっているときに
フルトヴェングラーにはアーノルドの追及が止むことはない。なぜ?


単純な想像として、カラヤンは謝ってしまったんではないですかね。
ご時勢として党員にでもなるようなことをしなければ、何もできなくなっていたはずで、
それでは困るからつい手続きを。弱い人間が我が身を守るすべだったのですが、
間違ってました、ごめんなさい…とでもいうように。


ところが、フルトヴェングラーは信念に基づいた行動をしてきただけで、
頑として自説を曲げるところがない。これでは「しかたがない、勘弁してやろう」てな
ふうにはなりようがないのですよね。


結果として(この部分は芝居の後日談となりますが)フルトヴェングラーは
「非ナチ化」裁判で無罪判決を得て、音楽界に復帰を果たすことになります…が、
フルトヴェングラーにとって戦前の身の処し方をどう受け止めたらいいのでしょうかね。


音楽に人を動かす力が全く無いとは言えないものの、
フルトヴェングラーほどに音楽を絶対視することがどうしてできましょうか。
芝居の中でも似たような表現があったように思いますけれど、
あたかも音楽という神に仕える宗教者のようであるなと思ったものでありますよ。


宗教を奉じる者は戦場にあっても信者を放り出して逃げるようなことはしない。
それと同じような思いだったのではと想像するところです。
音楽に対してそれほどの打ち込みようがあるからこそ、
今でもフルトヴェングラーの古い録音に有難く耳を傾ける人たちが
たくさんいるのだとも思ったものでありますよ。
(個人的にはのめり込めないタイプですので、さほどでもありませんですが…)