山形県天童市に出羽桜美術館を訪ねたところで、まずは書画コレクションを振り返りましたですが、続いてはそもそもコレクションが始まるきっかけを作ったというやきものの関係を。昨2023年の秋に美濃や瀬戸のやきものの里に出かけて行ったりしましたけれど、それなりに興味はあるものの決して詳しくは無い。ましてや朝鮮陶磁となりますと尚のことでして。ま、素人なりの見た目勝負で見てまいった次第でありますよ。

 

 

大事なものはこちらの中に…ということになりますか、屋内でそのままつながった蔵が設けられています。万一の火災にも、この分厚い扉が守ってくれるのでしょう。で、蔵座敷の展示ケースには朝鮮陶磁が居並んでおりまして。

 

 

まあ、酒蔵が設けた美術館だからでもあるのか、並んでいる器には徳利が多いようですな。ただ、日本酒を容れるとして思い浮かべる徳利の姿かたちとはやっぱり違いますなあ。マッコリでも入れていたのですかね…。

 

 

 

 

いずれも朝鮮陶磁とはいえ、要するに磁器なのですよね。戦国末期に半島の職人が日本に磁器生産をもたらす以前、いわゆる「唐もの」として珍重されていたころのものになりますか。一番上は「高麗三島」と呼ばれるものでして、根本には「象嵌青磁」ということで。「三島」と言われる謂われは(やおら静岡県三島市HPから引きますと)、このようなことだとか。

日本では、茶碗に印刻(いんこく)された細かい筋状の文様が三嶋暦師の版行(はんこう)する三嶋暦に似ていたところから「三島手(みしまで)」「暦手(こよみで)」と名付けられたといわれています。
自由で素朴な中にも温雅なたたずまいを持つ三島茶碗は、桃山時代の茶人や数寄(すき)者に愛好されました。
時代や作行(さくゆき)、文様等の違いによって、「古三島」「花三島」「礼賓(らいひん)三島」「渦三島」「彫三島」「刷毛(はけ)三島」「絵三島」などに分かれています。

下の二つは李氏朝鮮時代のものということですけれど、ぱっと見、特に真ん中の徳利などはむしろ陶器であるかのように見えます。ま、これは個人的に磁器より陶器を好むところからの僻目かも。それでも、透明釉のてかりに包まれているような気がしてしまうのですよねえ…。

 

 

ということで、個人の好みから言えばこちらの展示コーナーになりましょうかね(蔵座敷の中ではありませんが…)。取り分け、真ん中に鎮座しております信楽焼の水指は枯淡の領域に入っておりますなあ。

 

 

自然釉が作り出した素朴な風景と、陶器らしい脆さを感じさせるところが実に愛いやつと思うところでして、つくづく「磁器より陶器であるな」と個人的思いを強くしたような次第でありますよ。

 

 

そんな具合で、予想していたよりは楽しく見て回ることのできた出羽桜美術館ですけれど、やっぱり運営母体が酒蔵となれば、そちらも気になることは必定でありますねえ。ただ、7月初旬に訪ねた当時は酒蔵見学は受け付けておらなかったような(2024年8月現在は見学ツアーを受付中のようですが)。

 

 

そこで酒蔵と関わりある酒販店がすぐお隣にありますので、そちらを覗くことに。創業安政二年という丸十仲野酒店は、仲野一族が三つの酒蔵を営んでいるこを整理した際、酒販店に転じ、今では「出羽桜専門店」としてここにあるということで。

 

 

もちろん試飲(有料)もできるところながら、酒販店を訪ねておいていうことではありませんが、先に天童そばを食しに行った折にご相伴に預かった冷や酒でもって、結構いい加減に出来上がっておりましたので、どうしようかなと…。さらに加えて、店の外観からは想像しにくいですが、たまたまにもせよ、ぞろぞろと客が入り込んでざわざわし、店の方も忙しなさそうでしたので、結局手ぶらで店を後にすることに…。

 

ですが、これをいささか悔やんでもおり、最後の最後、山形空港の売店では「出羽桜」を一本仕入れて帰ったものでありましたよ。純米大吟醸「出羽桜 雪若丸」という一本。当然にして持ち帰り、満を持して?この記事を書く頃まで温存しておいたものの封を切ったわけですが、思いのほかとは失礼ながら、旨い酒でしたなあ。出羽桜酒造HPの商品紹介には「さらりとした甘さ、かろやかでキレの良い甘口淡麗型」とありまして、ガツンと来る個性は無いですが、「さらり」、「かろやか」はその通り。飽きずに飲める酒になっているのではと思ったものなのでありました。