前に来た時にさらっと一巡りしたからなあ…と、今回は山形城を見て回るつもりはなかったのですけれど、山形県立博物館を訪ねて霞城公園に立ち入る以上はどうしたって脇目にもその姿は留まることになるわけですなあ。で、前回訪ねた時に工事中であったところがすっかり完成していたりするとは、10年も経てば当然でしょうかね。例えば、こんなふうに。

 

 

 

上が2014年7月段階、下が10年後の今年、2024年7月段階。足場がとっぱらわれてすっかりきれいに整備されておりましたよ。「本丸一文字門復原」の事業がひと段落したようでありますね。で、今では橋を渡って中へ入れるようにもなっていたのですな。では早速。

 

 

山形城本丸という中枢への表玄関ともいうべき一文字門は、城の守りの最終ポイントとして重要視されていたのでしょう。本丸に至るには桝形の広場を通り抜けなければならないわけで。門の方を振り返ればこんなふう、見事に直角に折れ曲がっておりますな。

 

 

でもって、この先に本丸が…というところながら、広がっていたのは野っぱら?でありましたよ。本丸跡では発掘調査が行われたようで、ところどころ、ブルーシートで覆ってある部分が見受けられますのでね。

 

 


 

ちなみに正面の高層ビルが霞城セントラルでして、上層階の展望台から山形市内を見下ろしたのはあそこからであったわけですが、山形城の在りし日にはさぞお城が展望台になって…と思えば、さにあらず。本丸に広がっていたのは「藩主が生活する御殿」であったそうな。つまり、本丸には天守閣を設けず、「二ノ丸土塁上には6つの櫓ががあり、城下の見守りとし」ていたということで。

 

となれば、本丸御殿の復原を目指したいところながら、現実は厳しいということが、解説板に記載されておりましたですよ。

山形城については、もともと天守閣は存在せず、本丸内には御殿がありましたが、御殿の間取り図は存在するものの建物の形を確認できる立面図等の史料はこれまで見つかっていないことから、現時点では、御殿の復原は困難な状況です。

ま、なんとなくそれらしいものを造って、観光客を呼び込もうてな安直な発想でないのは「遊園地じゃないんだから」という意識の表れでしょうけれど、とりあえずの復原としては本丸広場には御殿の在りし日の姿を平面表示する方法が想定されているようです。

 

というところで、もうひとつの復原建物を見にいくことにいたしましょう。そも、霞城公園南門(かつて山形城の二ノ丸南追手門だったところ)から入る際、「東大手門櫓公開中 無料」という看板を見かけておりましたのでね。

 

 

で、こちらが、勇ましい騎馬姿の最上義光像を従えた櫓になりますが、この騎馬像、至って勇壮なのはいいものの、『ブラタモリ』でタモリがこぼしていたように、実にカメラアングルに収まりにくいものになっているのですなあ。正面から見上げると騎乗の姿が見えにくくなるという…。

 

 

 

中に入ってみますと、そこには復原工事の記録や歴代山形城主の紹介などが展示されておりました。戦国から江戸初期に掛けて、最上義光が最大版図を得て57万石を誇ったわけですが、義光没後ほどなく最上家は改易となってしまい、その後は徳川譜代を中心に藩主が入れ替わりつつも、せいぜい5~6万石の勢力になってしまった…のですから、やっぱり山形城に置かれるべき像は最上義光なのでしょうなあ…。