山形城が最上氏 祖である斯波兼頼の築城と伝えられていることは先に書きましたけれど、
1357年の築城当初に比べ、「もっとも大きい規模に構築したのが山形城主最上義光」とのこと。
1601年以降のこととされているようのですので、関ヶ原の結果としてなった
五十七万石の大大名に相応しいようにということでありましょうか。


で、これが実にでかいというか、広い城でありましてですね、
「東西1480m、南北1881mに及んだと言われ…まさしく平城としては全国有数の大きさ」
であったそうな。


ですから、今ではすっかり町中となっているところにも、
城の一番外側に当たる三の丸土塁跡が、実に唐突に出現したりもしているのですね。

山形城三の丸土塁跡


ちなみにどのくらい唐突かと言いますと、山形駅前近辺の地図ではこんな具合。
下方右寄りの赤丸、赤矢印をつけた辺りが、この三ノ丸土塁跡になります。

山形市街図(Google mapより)


そして、その上方左よりが今の霞城公園で、二の丸堀に囲まれているのが分かりますから
三の丸のエリアがやけに広いことが想像できようかというものです。
(ただ、今に残る二の丸堀などは最上家改易後の整備によるものとか)


ちなみに、今や霞城公園と言われるようになっているのは、
山形城の別名が霞ヶ城であったところから。
(お城は「かすみがじょう」ですが、公園は「かじょうこうえん」と読むようです)


会津・上杉との熾烈な戦いであった長谷堂合戦の折り、
まさに山形城に矢の雨を降らせんとした上杉軍の視界を奪うように
城に霞が掛かったと言い伝えられているそうな。
元寇の神風伝説みたいな感じでありますね。


ところで、今年2014年は最上義光の没後400年に当たるそうなのですね。
そうした周年行事絡みの一環でありましょうか、
山形城の復元工事が着々と進行している模様でありました。

山形城本丸一文字門復元工事


こちらは工事中の本丸一文字門ということですけれど、
先に完成しているところとしては二の丸東大手門があります。

山形城二の丸東大手門


この橋の下には当然に二の丸堀があるものと思うところですが、まあ堀もありますけれど、
それと並行して奥羽本線(今では山形新幹線と言うべきか)が通っているのでありますよ。


橋の手前側には最上義光歴史館、そして山形美術館がありますので、
この橋が無かったら簡単に行き来ができず、観光にも不便だったでしょうねえ。


と、そんなことよりもこの、山形城二の丸東大手門ですけれど、
ぬぁんと!あの「超高速!参勤交代 」のロケ地であったそうな。


無理難題と思しき参勤交代を押しつけられた湯長谷藩の一行が
刻限ぎりぎりで江戸城に駆け付ける…その江戸城の城門シーンはここで撮影されたのだと。


「超高速!参勤交代」のロケ地は山形城だった


この桝形になった門の側から見える櫓を背景に

湯長谷藩の一行がズラリ並ぶと、ほれ、このとおり。


「超高速!参勤交代」ラスト@山形城


個人的にはかなり気に入った映画ですので、

期せずして「ここでか!」という遭遇には心躍るものがありましたですよ。

湯長谷藩ご一行に劣らず、はるばる来たなぁ!の感を抱きつつ。