山形駅近くのホテルで一泊ののち、朝早々に出かけたのが霞城公園でありました。入口からして城跡であることがありありですけれど、明治になって陸軍の駐屯地となりまして、城内数々の建造物は破却され…とは、あちこちのお城によくある話(群馬の高崎城とか大阪の高槻城とか千葉の佐倉城とか枚挙に遑なし)。軍隊が退いた後、市民のための公園として整備されるとともに、体育館や武道場、山形市郷土館などが設けられて現在に至ることになりますな。

 

 

丁度10年前の2014年7月、ここを訪ねて城の名残や郷土館は見て周りましたので、今回立ち寄ったのは前回訪ねもらしたこちらの施設、山形県立博物館を覗くというのを主目的としていたのでありますよ。

 

 

県立の、いわゆる総合博物館ですので、山形県の歴史や自然などを網羅的に紹介・解説する施設なわけですけれど、館内に一歩足を踏み入れますと、薄暗さとともに「老朽化しておるなあ…」との印象をぬぐい切れず…。昨今、多くの自治体が博物館を観光資源と考えてか、個性的なテーマ設定でいくつもの博物菴を抱え、それもだいだい新しく建てられたか、大幅なリニューアルを施しているケースが多い中、見劣りすること必至なような。

 

 

それでもひとわたり見て回った限り、館内展示はなかなかに興味深い。郷土の歴史を語るとして、太古の時代から振り返るのはどこにもあるものの、ここほどに地学的見地に立った詳細解説は他との差別化になっているとも言えましょうか。本来、ここに立ち寄ったお目当ては特別展にあったのですけれど、ともあれ、順路に従って第1展示室で「山形のなりたち」を振り返ってみるといたしましょう。

 

 

と、山形のなりたちといって、「ここから始める?」というくらい古い古い古生代、5~2億年前の三葉虫が這っていたような時代、アジアのもと(その後の大陸らしい面影は全く無し)は南半球にあったのであると。

 

 

それが中生代(およそ2億~6600万年前、恐竜の時代とも言えましょうか)になりますと、アジアは大陸の体を成してきますが、その後に日本列島となるのはその大陸のへりにへばりついた岩石が分離して…ということになるようで。

 

 

新生代新第三紀の中新世(約2300万年~700万年前)には大陸のへりが分離した大小の島々が点在するようになります。大陸との間が日本海の始まりということになりましょうね。

 

 

ですが、今の日本列島として思い描く姿になるのはまだまだ先のようですな。1500万年ほど前の段階では、「山形はほとんど海におおわれ、…深海では、泥や石油のもとになった微生物が堆積し」たということで、秋田のあたりに油田があったりするのは、そういうことだったのでしたか。山形でも庄内地方に余目油田というのが油田由来のガス採掘を行っておるようですなあ。

 

 

今は深い山塊となっている出羽山地も当時は「水深が数千mにもな」っていたそうですけれど、500万年頃には太平洋のプレートに押されて、まず奥羽山脈が、やがて出羽山地が隆起して、だんだんと今に近い形が見えてきます。といっても、南の方では朝鮮半島を通じて大陸とひっついてますけれどね。

 

 

大陸と繋がっていたなれば、この頃にナウマンゾウなども渡ってきたのであるか?!と思ったものですが、それはもそっと後の話のようで。むしろ列島南部が大陸(朝鮮半島)から分離してからだそうですけれど、「では、海を渡る術は?」となりますと、折しも新生代第四紀の100万年前くらいになりますと氷期が繰り返され、その度に海水面が下がることで大陸との行き来が可能になっていたのですなあ。

 

 

これが完新世の1万年前くらいには気候が温暖に落ち着いて、「最上川は、湖沼や海のなごりの内陸盆地と庄内平野をむすんで、日本海へ流れるようになり」、現在のような山形の大地が出来上がったということで、めでたしめでたし。

 

 

ではありますが、狭い山あいをひたすらに縫って流れる最上川だけに、先日の大雨のようなことがあると氾濫しやすいのでもありましょう。めでたしめでたしとばかりも行っておられない山形の地形でもあろうかと。

 

ともあれ、この後はかようにして出来ていった山形の大地に人が住まうようになってからのお話となっていきます。うっかりしていて、ふいに出くわした国宝土偶のことにも、この次に触れることになりましょう。