さてと、信州・北八ヶ岳の東側、松原湖の湖畔をひと巡りしました後には、さらにもそっと高所に上りまして、たどり着いたところは辺りに白樺の林が広がっておりましたなあ。

 

 

ちと電線が気にはなりますが、「高原の小枝を大切に」(もはや分かる人にしか分からない言い回しでしょうけれど)てなひと言を思い出して高原気分が弥増すという。そんなはところに、小海町高原美術館はありましたですよ。

 

 

では、涼やかな風の吹く高原でゆったりとアートの世界に…と思うところながら、到着したのはちょうどお昼どきでありましたので、まずは併設のカフェ花更紗とやらへ。ミュージアム併設のカフェやレストランは、まま妙に気張ったところが多いようで(庶民感覚での印象です)、「映える」メニューを提供する一方で、お値段はそれ相応(端的に言うと高め)であったりしますですが、ここは比較的妥当な線であるような(くどいですが、庶民感覚です。笑)。

 

 

ということで、このときは「フレッシュトマト&バジルとモッツァレラチーズのスパゲティ」をチョイス。かなりおいしくいただきました。

 

 

ところで、カフェの大きく開けたガラス張りの壁面の向こうには、なにやらコンクリート打ち放しの無機質な建物がぽつんと建てられてあったのですなあ。

 

 

なんとなしですが、ちょいと前に第五福竜丸展示館で核実験などの展示を見ていたせいか、どうも爆発物実験場を遠目に見る見学施設でもあらんかと思ったり。実のところは、美術館の建物そのものを眺めやるために建てられたものらしいですなあ。裏庭(というのかどうか…)の部分は完全にオープンですので誰でもここには上ることができますので、どれどれと眺めに行ったという次第です。

 

 

4階建ての見学建物に上るのはひと汗かくところながら、美術館の全体像が見えてきました。先に「美術館の建物を見るための…」と申しましたですが、実際には美術館のみならず背後に連なる八ヶ岳の山並みをも含めて眺める展望台となっているというのが適当でしたかね。訪ねたときには空一面を妖しげな雲が覆っており、すかっとした眺めではありませんでしたけれど。

 

ともあれ、美術館の建物の方、見学用の建物と同様にコンクリート打ち放しという、この印象はもしかして…と思えばやっぱり安藤忠雄の設計でありましたなあ。美術館本体は斜面が下る方向に建てられていますので、正面側からは全く建物が見えない造り。自然の景観に配慮した結果なのかもですね。

 

と、おそまきまがら館内展示の方ですけれど、「イン・ポライト・カンヴァセーション:礼儀正しい会話で ー社会的実践:アメリカの現代美術ー」という、実に実に長いタイトルの展覧会を開催中でありました。フライヤーから想像がつくところとは思いますが、こてこてのコンテンポラリーアートの展示でありましたよ。

 

この展覧会は、写真、映像、彫刻、インスタレーションアートを通じて、「どうすればアートはセンシティブな社会的/政治的な話題を明るみに出し、会話を生み出すことができるだろうか。」を問うものです。

フライヤーにはこのように紹介がありますですが、作家が扱う「国境問題、メンタルヘルス、環境、女性の権利など、さまざまな論点の作品」が展示され、それぞれに「これは…?」と思わせる仕掛けが思考を、そして会話を促すことを目しているにせよ、何に付け、簡単に説明に飛びついて納得してしまいがちの現代にあっては、立ち止まって思いを巡らせる仕掛け作りは難しかろうなあと。

 

そも現代アートというだけで近寄らない場合もありましょうし、いささかの興味から覗いてみた人に食いつきがどうかという点で。まあ、そんな中で比較的とっつきやすい(イメージしやすい?)のがこちらでしょうか。

 

 

この作品からは論点のひとつとして取り上げられていた国境問題を思い浮かべるのは容易ですし、狭い隙間(ザックを背負っていては通り抜けられない)をすり抜ける体験でもってなおのことイメージを膨らませてもらおうということですよねえ。

 

 

一方、こちらはただのチェス盤と思うところながら、よく見れば駒がすべて同じになっている。どの駒もクイーン(形としてはマリア像を象っていると)になっておりまして、解説文にはこのように。

このゲームのルールは誰が決めるのだろうか。どうすれば勝ち目のない議論に折り合いをつけ、互いを信頼し、和解に至ることができるのか、結局のところ、それは勝ち目のないゲームで、目標は、会話をすることである。

考えてみれば、世の中、会話(それも穏やかに)でもって折り合いを付けることがなおざりにされてきてもいるような。傍目でみれば「んなこたぁないだろうに」と伺えることに「一定の理解を得た」としておしまいにしてしまう。一事が万事とはいいませんですが、傾向として多くあることのように思えてしまうところです。

 

てなふうに、必ずしもすべての作品に「なるほどね」と思うところまでは至りませんでしたけれど、ひととき、高原の美術館で現代社会に思い巡らしたものでありましたよ。