思いがけず出くわし、それこそ思いもかけない命名理由であった信州・南牧村の「日本のおへそ」を後に(気を取り直して)向かいましたのは小海町、この辺りまでくると東京へと戻っていく方々の中には、中央道経由を採るか、上信道経由を採るかで分かれるところかもしれませんですね。ともあれ、途中から国道141号を外れてぐんぐんと山道を登っていきまして、たどり着くのは松原湖でありますよ。

 

 

妙に畠山重忠推しになってますが、大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放送されていた昨年来、立っている幟旗でしょうか。ともあれ、確かに旗にも「松原湖」と書かれてありますが、後ろに見えている湖の正式名称は松原湖ではないそうな。「信州style」という旅情報サイトによれば「北八ヶ岳の山麓に位置する猪名湖(いなこ)、長湖(ちょうこ)、大月湖など、20余りの湖沼の総称が松原湖です」と。で、中でも最も大きい猪名湖を指して、一般に「松原湖」を呼ばれているようで、この時目の前にしていたのも、実は猪名湖である松原湖ということに。ただ、まどろっこしいので、ここでは松原湖で通しておこうかと。

 

 

出かけたのは山の日がらみの連休最終日でしたので、観光で来られていた方も中にはすでに帰途についていたのか、まったくもって「静かな湖畔」でありましたよ。ボート遊びに興じている方はちらりほらり、ボートを出していたのはもっぱら釣り客のようで。釣り人は湖畔の桟橋にもたくさんおりましたなあ。

 

ともあれ、標高1123mという高原の湖ということで、木陰に入るとなかなかに心地よい涼風が吹いてくる。これに釣られて、湖畔1周約1kmという遊歩道を辿ってみることにしたわけでして(ま、歩き出せばそれなりにひと汗かくとは、歩き始めて思い知るところですが)。先に見た「畠山重忠ゆかり」という言われもにめぐるうちに出くわすかもしれん、というわけで。

 

 

どうやら水源(のひとつ?)はこの奥の岩の隙間に発しているようですが、しばらく水辺近くの平坦な道を辿っていたところ、やおら登りが現れてこれを一気呵成に。

 

 

登った先には休憩所…ではなくして、素朴なお社の稲荷神社であると。背後にせり出すような岩壁を抱えて、こうした自然への畏敬を感じられる場所に寺社が設けられることはままありますですね。

 

 

当然に登っただけあって湖面からは離れることになりますけれど、その分、湖の周囲を囲む木立の向こう側が見通せるようにもなるのですなあ。こんな感じです。

 

 

 

ところで、松原湖と畠山重忠との関わりですけれど、湖をすでに半周廻ってまた水辺近くに下りてきたところで、説明板に出くわしました。いやあ、頼朝も無茶振り、なんだかすさまじい話であったようで。

 

 

また畠山重忠伝説とは別に、松原湖はNHK『みんなのうた』で知られる童謡『北風小僧の寒太郎』の歌詞にインスピレーションを与えた場所であるとか。作詞をされた方が馴染みある地ということで、湖畔にはメロディーの五線譜を刻んだ碑が建てられておりましたよ。すぐそばにあるボタンを押すと、広場じゅうに『北風小僧の寒太郎』が流れるようになっていました(ということは、押してみたわけで)。

 

 

と、湖畔のひと巡りを終えようかという頃合い、こんな看板を発見。今は絶滅危惧種となっている信濃アキギリという花が発見された場所とあります。

 

 

開花時期が8~10月となれば、まだまだ咲き始めで数が少ないでしょうし、なにせ背丈を超えるような草各が生い茂る中ですので、判別にはひと苦労しましたけれど、おそらくはこの黄色い花がそうであろうかと。

 

 

 

なんでも1922年(大正11年)にこの地で発見され、(今、大いにクローズアップされている)牧野富太郎博士によって命名されたそうでありますよ。ということで、束の間の森林浴に興じた松原湖でのひととき。フィトンチッドの効果でも得られましたでしょうかね。