うんざりするほどに暑さが続いた2023年の夏。9月になっても日中は相変わらずですなあ。太平洋高気圧とチベット高気圧とやらの「おふとん2枚重ね」がなかなかはねのけらない。

 

まあ、そのおかげで関東は台風に見舞われずに済んでおるのかもしれませんけれど、そうはいっても、おふとん2枚重ねの陰ではじわじわと秋が暗躍してもおるような。夜中、寝入りばなこそ日中の暑さの名残に覆われているものの、窓全開で寝ておりますと、朝方にはすっかり冷えてきてしまったり。でも、すぐにお日様の勢力が再拡大してはしまいますが…。

 

ともあれ、そんなこんなで8月中はTVの天気予報でよく言われていた「外出を極力避けて云々」をあまりに忠実に守ってしまったものですから、すっかり体がなまってしまっておりますが、9月ともなれば!と朔日から早速に行動開始!というわけで、東京オペラシティに行ってきたのでありますよ。例によって、ヴィジュアル・オルガンコンサートというイベントでして。

 

 

7月のヴィジュアル・オルガンコンサートでは何と!最前列のかぶり付き(と言っても、ステージ上には誰もおらず、オルガン奏者は遥か上にいるわけですが)で聴いたのですけれど、抽選の結果、たまたまその席が宛がわれたのですな。対して今回はと申しますれば、上のフライヤーでも知れますように、電子チケットなるものが導入されたことで、席の埋まり具合を見ながら自分で座席指定できるようになったものですから、聴こえ方の違いを試してみようてな思惑もこれあり、1階席のかなり後方に構えて演奏に待ち受けることにしたのでありますよ。

 

今さら言うのもなんですが、やはり座席で聴こえ方は大いに異なるものですね。前回、最前列で聴いた時には相当に音が頭上を通り過ぎて行っていただなと改めて。これがステージ上で発せられる音であったならば、拡散の具合もまた違ったものになりましょうけれど、オルガンのパイプはホール空間の結構上の方にありますのでね。高音、低音、ブレンドされた音が座席に届けられるのに、後部席は悪くないなと思いましたですよ。次には2階席にトライしようかと、今から目論んでいたりして…。

 

ところで当日のプログラムですけれど、「時を超えた賛美」と題されておりまして、キリスト教における「賛美」がテーマの作品を集めたものであると。ただ、賛美の仕方にもいろいろとあるものだと聴きながら思ったものでありまして。ともにコラール(讃美歌)の「最愛のイエスよ、我らここに集いて」に基づくJ.S.バッハとジョージ・ウォーカー(20世紀の黒人作曲家だとか)だけをとっても、同じメロディーをベースにして違う雰囲気の曲ですしね。当然に20世紀音楽の方が尖った曲だろうと思えば、そうでもないというのが面白いところでしょうか。

 

また、締めくくりの20分ほど要する大曲、ラインベルガーのオルガン・ソナタ第4番はロマン派の音楽がだんだんと爛熟へと向かう中で、保守本流たらんとしたかのような感じの曲でしょうかね。おそらくは神への賛美の意識も変わりゆく中で、宗教感覚も音楽形式も古式に則ったものであるのかも。ま、そのあたりがラインべルガーを忘れられた作曲家にしているような気もしますが、少なくともこの曲はいい曲だと思えますな。

 

で、賛美の最も華やかな形であったと思われるのが、最初に演奏されたゲラルト・プンク(世紀末から20世紀中ごろまでを生きた作曲家であるとか。ラインベルガー以上に忘れれているかも)の「ハレルヤ」でありましょうかね。だいたい「ハレルヤ」という言葉ですぐと思い浮かぶヘンデルの「ハレルヤ・コーラス」なども賑々しい限りですしねえ。

 

と、そんな連想?からまたも脱線しますが、「そういえば、ハレルヤ~!」と歌う日本の歌謡曲があったなあと。1967年に黛ジュンが歌った『恋のハレルヤ』というのが。

 

ここで歌われるのはキリスト教的なるものとは無縁の、「ハレルヤ」という語感を取り入れただけ…というふうにも思えていたところながら、Wikipediaに曰く、作詞のなかにし礼自身の、満州引き上げ時に感じた「バビロン捕囚」と重ね合わせた経験がこの「ハレルヤ」に反映している…てな紹介があり、全く語感のみに頼った引用ではなかったのであるかと。まあ、妥当な表現かどうかは別ですけどね。

 

とまあ、余談はともあれ、パイプオルガンによる「ハレルヤ!」は「神をほめたたえよ」という晴れやかな気分が濃厚に横溢して、映える曲でしたなあ。高揚感が感じられたものでありますよ。