フランクフルトの「Museumsuferfest 」の一環で開催される音楽イベント、

Klang im Kloster 」を聴きに訪ねたカルメル会修道院の建物には

「Institut für Stadtgeschichte」(都市史研究所)が入っており、

そこでのポスター展 を見たところまで進んできましたですね。


続いては、同じカルメル会修道院の建物に併設されているもう一つの施設、

フランクフルト考古学博物館(Archaeologisches Museum Frankfurt)に立ち寄った…というお話。


入口を入ってすぐ右手が「Klang im Kloster」の演奏会場でしたですが、

この玄関ホールをまっすぐ突っ切ると中庭に面した回廊部分に出、

これを半周廻って行った先に博物館の入口があるという。


カルメル会修道院@フランクフルト


回廊に出てみるまでは(演奏会場は別として)

あんまりキリスト教の施設らしさを感じることがなかったですが、

中庭のようすを見、また回廊部分にある壁画を見るにつけ、「なるほど」と思ったようなわけでして。




特別な由緒があるわけではなさそうながら、

ドラマティックな描写がなかなかに目を誘う壁画でありましたですよ。


てなふうに回廊を巡って、たどり着くのが考古学博物館の入口ですけれど、

ずいぶんと地味な入口だと思ったところが、実際には博物館そのものの立派な?入口は

ちゃんと別に通りに面してあったようす。そりゃ、そうでしょうね…。


とまれ、一歩館内に足を踏み入れてみますと、

やっぱりこの建物は本来的に修道院の一部なのであろうということが分かる、

実に天井の高い空間に出るのですね。


フランクフルト考古学博物館の館内


この高さを活かした石柱の展示はまさに見上げてばかり。

古代ローマ帝国の遺物が展示の中心でもあったろうかと思うところです。


古代ローマ との関わりでは先に訪ねたマインツが対ゲルマニアの前線基地であったことからも、

マインツ からライン川の向こう岸になるフランクフルトであたりでも

ローマの遺物はたくさん見つかるのでありましょう。


ローマ帝国の版図(ヴェスパシアヌス帝の時代)


ちと分かりにくいとは思いますが、展示にあった地図を引用してみますと、

これはヴェスパシアヌス帝の時代、紀元69~79年頃のローマ帝国の版図を示しています。


まさしく地中海を内海にする大帝国であったわけですが、

地図の右上方面(ライン川・ドナウ川の向こう側)には

「Germania」との文字があるだけで空白地帯化していることが分かりますですね。



で、フランクフルトはどの辺り?となると、こちらの拡大した地図上で黒丸を付したあたり。

ちょうど右手からマイン川が流れ、ライン川に合流していることからも想像できますが、

文字通りの辺境の地、フロンティアではありませんでしょうか。


こうした地域柄でもありましょうか、ローマの威光を十二分に示さねばならん。

てなこともあってか、考古学博物館館内に聳え立つ石柱の数々に話は繋がるのかもしれません。



展示は他にも考古学博物館というその名のとおりに、

いわゆる博物館のギリシア・ローマ・コーナーでお馴染みの壺の類いやらも

たあんと陳列されておりました。



そしてこちらが、ローマ支配下にあった当時の街のようすを再現したもの。

建物の高さこそ今とは違うものの、こうしたショッピング・アーケード然とした町並みは

例えば日本の江戸時代と比べてもさして変わることがないような。大八車があったりしますし。



とまれ、ヨーロッパといいますと、

どこもかしこもひっくるめて「歴史と伝統あり」みたいに考えてしまいますが、

文明の発祥とその伝播は確実にあったわけで、

フロンティアの北進、東進といったことを改めて思うのでありましたですよ。


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