フランクフルトで「Klang im Kloster 」の会場となっていたカルメル会修道院。

その「建物を利用して置かれている博物館など」と言いましたですが、

ひとつは「Institut für Stadtgeschichte」という施設であります。


日本語では都市史研究所とでもなるようですけれど、

建物の入口を入って(右手が演奏会場でしたが)左手の階段を上って2階、

ここで小さな展覧会が開催されていたものですから、覗いて見たのでありますよ。


Politische Plakatkunst@Institut für Stadtgeschichte


「Politische Plakatkkunst」という展覧会、訳してみれば「政治ポスター芸術」となりましょうか。

上のリーフレットの左側は、地球と見立てられる円の中に北半球にはパンの上に

肉やら野菜やらチーズなどがてんこ盛りであるのに対して、南半球では

土台のパンそのものまで食べつくされてしまっている…何をかいわんやでありますね。

あまりの状況差に、右側の自由の女神も目を覆わずにはいられなくなって…。


本来、上の左右の作品は別個のものですので、

右側の方は単独の作品として「アメリカよ、いったいお前はどこに行こうとしているのか」、

危なっかしくてとても見てはおられない…という自由の女神像の嘆きなのではと思われます。


ヴィルヘルム・ツィンマーマンというドイツのグラフィック・デザイナーの作品展ですけれど、

特段、言葉が添えられていないため、見る者は示された図柄からストレートに意味するところを

汲もうとすることになりますが、こういう形であれば世界中どこに対してもメッセージは可能ですね。


他には例えば、正面から大写しに捉えた一頭の豚のあたまにはたくさんの注射針がささり、

だらんと開いた口は無数の薬剤ピルが押しこまれてふさがらない…という作品。

誰もが口にする豚肉の現状たるや…とは、これまた言うまでもないことでありましょう。



そして、このような作品も。

牢獄に押し込められ、鉄玉と鎖で繋がれた白い鳩が

小さな鉄格子の窓ごしに外の世界を眺めやっているという。

もはや説明は蛇足でありますね。1980年のアムネスティ・ポスターだそうで。


ちなみにドイツ語の同じく「Plakat」がポスター(屋外広告)の意を持つポーランドでは

ポスターは芸術であるとの認識が高いということを、

以前武蔵野美術大学の展覧会 で知りましたですが、

そこにはやはり非常に強いメッセージ性が同居しているのですね。


ポスターという媒体を使って、そこに世界にも響くようなメッセージを載せていくという

やり方は当然にあるのでしょうけれど、そうした方法を実際に使用する人の裾野は

おそらく日本あたりよりも多いのではなかろうかと思ったりも。


もちろん、その多い少ないがいい悪いではありませんで、

そこには伝統(必ずしも良い、あるいは心地よい伝統ではないこともありますが)に

根差したものであるかどうかの違いということになるのではなかろうかと。


実際にヨーロッパの街角ではポスターが景観の一部となっているのをよく見かけます。

それは、日本での廃屋の塀とみればべたべた無軌道に貼られてしまうようすとは

全く異なるものでありますね。


…と、カルメル会修道院に連なるもう一つの博物館のこともまとめて書こうと思っていたですが、

書いているうちに差し当たりここはこれで区切りとしておいた方がいいような気がしてきました。

だもんで、今日のところは展示で見たポスターを反芻することにいたそうかと。


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