たまたま日本映画専門チャンネルで映画「おろしや国酔夢譚」をやっており、
「見たんだったかな、どうだったかな…」と思ったものですから、見てみたところ、
凍傷で片足を失う庄蔵を演じた西田敏之に、やっぱり見たことあったと…。
ですが、映画で再三出てくる言葉に「おや?」と思ったものですから、
これはひとつ井上靖の原作を(映画以上に久しぶりに)読んでみるかと
手にとったのでありますよ。
1782年(天明2年)、伊勢国の白子から荷を満載した神昌丸が江戸を目指して出帆するも、
冬の嵐の大時化に舟は翻弄され、帆柱を切らざるを得なくなってしまうのですね。
もはや潮の流れに任せる以外なく、漂流すること数カ月。
辿りついたのは当時ロシア
領(現在はアメリカ
領)、
アレウト(アリューシャン)列島のアムチトカ島でありました。
そこでの滞在数年の後、帰国への方便を求めて船頭の大黒屋光太夫は、
カムチャツカ半島に渡り、これを横断、その後シベリアの大地に降り立った後も
オホーツク、ヤクーツク、イルクーツクと旅を続け、
最後にはサンクト・ペテルブルクにまで赴いて皇帝エカチェリーナ2世に直訴することに。
遂には願いを聴き入れられ、ロシアの仕立てた船によって蝦夷地へと送還されますが、
伊勢を離れたときの17人のうち、蝦夷の地を踏んだのは光太夫を含め3人になったいた…
というお話。
ここでも「帰国」という言葉を用いましたけれど、
映画の中での違和感というのが、登場人物たちが「日本に帰りたい」とつぶやくことなのですね。
光太夫たちが酷寒のシベリアを往復するという過酷な旅の果てに戻ってきた頃、
徳川将軍は11代家斉の時代。
家斉で思い出すところと言えば、比較的最近触れた伊能忠敬
ではなかろうかと。
本来は天文学オタクであった忠敬が関連事業として作成した日本地図が将軍の目にも止まり、
その精巧さは多くの人たち(といっても、まだまだ上層部でしょうけれど)に
「日本の形」を意識させることになったわけですが、
ごく一般の人たちに「日本」という意識がどれほどあったのかと考えてしまいますですね。
ですから、アムチトカ島に着いて早々「日本に帰りたい」というような映画の中でのつぶやきは
何とも異なものであって、それを言うなら「くにに帰りたい」「故郷に帰りたい」ではなかろうかと。
ここでの「くに」「故郷」は当然にして伊勢国でありますね。
まさにこうした部分、原作では「日本に帰りたい」てな物言いはされておりませんでしたですよ。
そして、むしろ旅を進めていった挙句、ロシアの大きさ、人種の違い、言葉の違い、景観の違い…
などなど初めて見聞するものばかりの中にあって、光太夫は「日本」を意識し始めるわけで、
こうした辺り、「おろしや国酔夢譚」が単なる冒険小説で終わらないものであると言えましょうか。
ですが、こうした微妙な描き方を積み残した感のある映画の方は、
どうもシベリアを横断する大冒険に比重が置かれているのやもですが、
本来的にはそれも映像の特性として訴えるものであろうはずがどうも…。
時間を追うのに忙しくなってしまっているからかもしれませんね。
同じ映像でも、今を去ること30年ほど前にTBS開局30周年記念として制作された
「シベリア大紀行~おろしや国酔夢譚の世界を行く」の方が
断然、シベリアの厳しさとそこを通り抜ける光太夫の旅の過酷さを偲ぶものになってやに思われ、
これも当時ビデオに録画して後にDVD化したものを探し出して見てみましたですよ。
まだ十分に若い椎名誠が登場し、
零下50度にもなるシベリアでメークではない凍ったまつ毛で語りかける姿は何よりも雄弁ですし、
また当時はソビエト体制下であったあたりも、帝政ロシアで光太夫が経験した
帰国嘆願がまともに取り上げられない官僚機構や何とはなしの威圧感に繋がってもいるように
感じたりもしたものです。
とまれ、光太夫たちはたったの3人になって日本に戻ってきたわけで、
(しかもその内の一人は蝦夷地にたどり着いた所で亡くなる)
ハッピーエンドなのかという点ですけれど、映画ではまさにそうしたふう。
これによって日露の通商関係の糸口にもなったかのように結んでいたりするのですね。
ですが、松前藩に引き取られた光太夫たちは江戸送りになった後、
結局のところ伊勢に戻って後世を送ることはできなったのですね。
そればかりか、ほとんど誰も見聞したことのないようなことをたくさん知って帰ってきただけに
やたら他人と接触されたりすることも、幕府としては有難からぬことだったのでしょう。
こうなってくると、送り帰すかどうかという点ではロシアの国情に翻弄され、
戻ってくれば幕府(日本という国)の都合で故郷にも帰れない光太夫たちにとって
「国」とは故郷のことであって、日本もロシアも関係ないのに…と思ったりもしますですね。
光太夫たちの考える所とは違う、
そして後に光太夫もいささか意識することとなった「国」というものがあったがために、
船が漂流したという災難を上回る苦難にも繋がっていこうとは…。
果たして昔の話と言っていていいのかなと思ったりもするところでありますよ。