渡良瀬橋
の話は別として、
これまでは歴史に彩られた足利ばかりを訪ね歩いてみたわけですが、
実は足利にはこんなに近代的な施設もあるのですよ!というのが、
ここ足利市立美術館であります。
開催中だったのは(と過去形で言うのも会期が12月23日までだったもので)
「詩人と美術 ―瀧口修造のシュルレアリスム」展というもの。
なかなかに素敵な企画をやってくれるではありませんか。
ところで、先ほどの美術館入り口の写真で目に留まった方がもしかしておいでかもですが、
足利の「足」の字から作り出されたと思しきシンボルマークがなんとも可愛いではありませんか。
ちとクローズアップしてみます。
どうです?なんつうことないですが「足」ですよ。
こうした点では、かつて足利銀行が流したCMソング「アシカがよろしく」あたりのキャッチーさを
思い出させるところかと。「♪アっシカがよろしく!あっしかがぎんこお~」とね。
やはり織物伝承館
の方が言っていたように、足利は宣伝上手なのやもしれませぬ。
…と思い切り入り込んだ横道を抜けだして、「瀧口修造のシュルレアリスム」展の方へ。
日本のシュルレアリストといいますと、比較的初期の東郷青児とか古賀春江とか、
すぐにはその程度しか浮かばないところですが、瀧口修造を忘れてはいけん!ということのよう。
一般的にもシュルレアリスムを絵画の領域と見てしまうところがありますけれど、
そこはそれ、主導者たるアンドレ・ブルトンからして詩人でありましょうから、
詩人・瀧口修造がシュルレアリストであって何らおかしいことはない。
戦前から積極的にシュルレアリスムの紹介に努め、戦後には美術評論を多く手掛けつつ、
後に自ら美術の分野でシュルレアリスムの実践的創作活動を行った人だそうですから。
展示は瀧口の残した軌跡をたどりつつ、
評論で取り上げた画家たちの作品に瀧口の文章が添えられていたり、
瀧口自身の作品も見ることができるようになっていました。
添えられた文章と絵画作品とのコラボという点では「なるほどねえ」と思うことしばし。
例えば、とても印象的なのがルーチョ・フォンタナの「空間概念」でして、
(ルーチョ・フォンタナで画像検索をかけるとたくさん見られます)
キャンバス一面を一色で塗りこめ、そのキャンバスに鋭いナイフでいく筋かの切れ目を入れた…
だけといえば、それだけの作品。
「キャンバスに穴をあけただけで、切り込みを入れただけで平面が空間を作り出す」と
瀧口が言うように二次元の平面であるキャンバスが空間を生み出しているわけですが、
その余りにシンプルな手法には口あんぐりになってしまう。
和音を奏でようとしていたときに、中の一音が不安定でもやもや感を纏っていたものが、
ピタッと音が定まったとたんに、ぶお!っと音の世界が驚異的な広がりを見せる…
あの感じでしょうか(例えが分かりやすくないような気もしますが…)。
もそっと絵画作品のイメージを持ちやすいものとしては、
ミロの作品に付した瀧口の一文を引用してみるとしましょう。
ミロは実際に画面に塗らない空白を残すこともあるが、色彩で塗りつぶすことによって一種の余白をつくっているのである。色彩の余白ということは逆説であるが、西洋絵画の伝統にとってはやはり異質のものであって、むしろ東洋の芸術に近づいているといえるかもしれない。
ミロに対して、こういう見方は個人的にはおよそしたことがなかったですが、
塗りつぶすこと=余白との考え方は金箔を敷き詰めた屏風絵なんかを考えても、
東洋、さらには日本的なものなのかも。
ミロからは「瀧口修造へのオマージュ」といった作品が寄せられるほどの交友関係にあった
瀧口の視線はミロ自身にとっても鋭いものであったのかもしれませんですね。
他にも、いかにもシュルレアリスムと思しきマグリットやらダリやらの作品が並び、
単にシュルレアリスム展として見ても面白い内容だったと思うところへもってきて、
やおら登場するのが浜口陽三作品。
メゾチントの技法でもって、ちと寒さをなんとかしてほしいと感じるような静謐感を出している
版画家ですけれど、瀧口はこう言います。
黒いインクの深さは墨の色に特異な感受性をもつ日本人のつよみではないかと思われる。
黒の意識を強調しますと、アンフォルメルの作家スーラージュが浮かんだりするところですが、
墨ばかりか漆なんかも通じて「黒」を意識する日本人らしさを確かに思うところかも。
こんなことをあれこれ思いつつ、改めて浜口作品に目をやれば
「よく考えれば、シュールではあるな」と思えてきたりもしたのでありますよ。
と、瀧口自身の作品に触れてませんでしたけれど、デカルコマニーを試したり、
それこそルーチョ・フォンタナではありませんが穴を開けたり、切れ目をいれたりと
いろいろ試しているなという感じ。
技法の点でシュルレアリスムは「遊び」 の発想があって、
誰にもとっつきやすいものがありますから、自分にもできそうと思ってしまうところながら、
そこは素人とはいえ思考を深めた瀧口同様の成果は
簡単には出せないものだろうなとは多いましたですね。
これまで見てきた足利とは、
やおら別世界に迷い込んだような足利市立美術館でありました。