「第九 」のことで時間を巻き戻し…といったのよりさらに巻き戻しますが、
これまた長引いてしまっている足利荘園紀行、
ほどなく最終のお話に至るのが見えてきましたので、今しばしお付き合いくださいませ。
先に訪ねた足利織物伝承館 の館員さんは「足利には何にも残っていない…」と
かつて華やかであった織物業の記憶が失われていることを嘆いていたのですけれど、
本当に何にもないのか…となれば、さすがにそんなこともないような…とは言えるかもですね。
貸自転車で動き回ったのを幸いに、
「こっちのがもしかして近いかも」などと地図にも依らずふらふら裏道に入ったりしたのですが、
そうしてみるとぽつりぽつりと蔵の残す家が目に留まるのでありますよ。
やはり蔵があるような家は資産家だったでしょうから、
「ああ、この家でもかつては機織りの音が響いていたのかな。あ、あの家でも…」
という想像をしながら通り過ぎたりしたものです。
ですが、「蔵のまち」を観光のキャッチフレーズにする町は
川越なんかのようにたくさんありますけれど、
どうもそうした観光を意識した街並みとは違って、足利の蔵は何ともさりげない。
ぽつりぽつりと点在し、しかも今でも普通の生活に使っているのだろうなと思われる姿、
つまりは蔵を「蔵」然とした姿かたちを留めることに主眼を置いてないといいましょうか。
これも件の館員さんにすれば「何にも残ってない」領分に入ってしまうのかもですが、
この普通に生活に溶け込んだあり様、へんに観光客に媚びてない自然体はある意味
好ましくもあるような気がしないでもないところです。
…というところで訪ねることにしたのが、織物による商工業で栄えた足利にあって、
その繁栄を謳歌した時代の豪商・豪農として活躍された方の邸宅を公開しているという
「松村記念館」でありました。
場所は鑁阿寺 山門へ続く道の途中で、左にちょこっと入ったあたり。
「松村記念館」の看板がなければ、大きめな家ではあるものの、
何ということもなく通り過ぎてしまいそう。
看板の脇、門前には受付と思しき小屋がありましたので中を覗くと
「観覧ご希望の方はボタンを強く押してください」と置手紙?が残され、
壁に付けられたチャイムのボタンを押すために手が差し込める分だけ、
ガラス戸が開けられていた…。
もしかしてボタンを押すとちっちゃくなったりして…と、
やおら「不思議の国のアリス」を思い出したりしつつ、チャイムを鳴らしてみる、
すると…。
母屋の方で音がしているのですね。「ピン、ポ~ン!」 返事なし。
ちょっと時間をおいてもう一度。「ピン、ポ~ン!」 返事なし。
と、あんまりやっていると「トム・ソーヤーの冒険」の始まりみたいな気がしてきますので、
「こりゃあ、留守かな」と諦めかけた…と、そのとき!
そんな大げさな話ではありませんが、
幽かに庭の方から竹ぼうきで掃いているような音が聞こえてきたのですね。
耳をすませば確かに竹ぼうきの音。
ですので、今度は母屋ではなく庭の方に向かって「ぴん、ぽ~ん!」と叫んだ…
としたら、桂文珍の落語に出てくるおばあさんになってしまいますから、
そこはやはり「すみませ~ん!」と声をかけたわけです。
すると現れたのは竹ぼうきを手にしたレレレのおじさん…ではなく
庭師然とした恰好で固めたおじさん。
どのような立場の人だかは俄かに判別しがたいものの「見学できますか?」と問うと、
「ちょっと待ってください」と言い残して立ち去っていく。
母屋へ近付きつつ、「○子さぁん!」、「○子さぁん!」と呼びかけていましたが、
どうにも返事がないことに、結局のところ「ママ~!お客さぁん!」と呼びかける。
これによって、庭師然のおじさんはどうやら松村記念館の、というより松村家の現当主であり、
「○子さん」という名前の「ママ」、つまりは奥さんがいて、基本的に奥さんが受付をするという
実に、実に家族的な運営(?)をしているのだなと分かったのでありますよ。
バタバタしつつも小綺麗にした奥様が文字通り奥からようやっと現れ、
その場で手ずから入場料300円なりを渡して玄関から上がり込むことに。
結局のところ、呼び出しチャイムは効果を示さず、
門前に立ったまま入場料を出して入場券があるわけでなく、
受付小屋くんの存在意義や如何に?と思ったりしてものでありますよ。
とまれ、玄関で靴を脱ぎ、奥様に導かれて部屋へと通り、しかも入った座敷では
「ビデオをご覧くださいましな」(という言葉遣いではないですが)とソファをすすめられるとなると、
どうも普通にどちらさんかのお宅を訪問した感覚になりますですね。
ローカルTVの観光スポット紹介で取り上げられたときのビデオを見て、
部屋部屋の位置関係をだいたい把握し、後は勝手にひとりで見て回るんですが、
やっぱりどこか廊下の曲がり角でふいに住まっているご家族と鉢合わせしそうな気がして
ならないのでありましたですよ。
内蔵(「ないぞう」でなくって「うちぐら」)という、
住居と一体化している蔵が興味深かったですねえ。
特に地下部分は望まれない家族の誰かしらが押し込められるなら、きっとここだなと
横溝正史のおどろおどろしい作品でありそうなようすを思ってしまいました。
母屋の部屋部屋も取り分けてもの凄い!というものではないにしても、
そこここに意匠が施してあるなど細かく手を入れたと思われる造りであると同時に、
何気なく東郷平八郎や伊藤博文、板垣退助の一筆を額装して鴨居に掲げてあったりするあたり、
松村家が足利の大立者だったのだなと偲ばせるところかと。
立ち去り際、先のご主人が相変わらず竹ぼうきを振るっていたものですから、
「大変ですね」と声をかけますと、ここでもまたひと仕切りのお話が。
「庭の手入れも大変でしょうけれど、建物の手入れも大変でしょう」と言ったところ、
「築90年(1925年築)にもなるとは思えないほど、しっかりしてるんですよ」とご主人。
「木造の建物がやわなんて、とんでもない」と引き合いに出されたのは法隆寺だったでしょうか。
(ちと飛躍しすぎかも…)
確かに手を掛けてしっかり(その分、建築費用も維持費用もかかりますが)造っておくと、
これだけ長持ちする…これに対して、今の家は…みたいな話をしてまいりました。
「住む」ということも含めて、かつてとは比べ物にならないくらいに
移り変わりの速い世の中になっては、むしろ何十年かで建て替えるようなタイプの方が
現実的なのかもしれませんねえ…てなことも。
松村記念館は足利の過去をさりげなく今に伝えている、ひとつの例なのだろうなと思いつつ、
館主ご夫妻に見送られて、暇を告げたのでありました。
なんだか最後の最後まで、
知人の知人のまた知人くらいのお宅を訪ねたような気がしたものでありますよ。