足利学校鑁阿寺 と足利探訪の2大スポットを早々に回ってしまいましたので、
後は「へえ~、こんなことが?!」的な世界へ分け行っていこうかと。


鑁阿寺から織姫神社に向けて
メインストリートの一本裏手の道を自転車で快調に進んでいく途中、
道の左側のビルに「足利織物伝承館」なる看板を発見したのですね。


実のところ足利が織物の町であったという近代の歴史を全く認識してなかったんですが、
足利学校に先だってちょっと足をとめた「足利まちなか遊学館」という施設からして
足利学校遺跡碑と孔子像が並んだ写真 の奥に見えている建物です)
足利織物展示ゾーンが中心を占めて、大きな織機がどぉ~んと展示されていたという。


僅かながらもそうした予備知識を得ていたものですから、
「足利織物伝承館」の看板には「寄ってみるか…」という反応を起こしたのでありますよ。

「足利織物会館」という建物の2階にある伝承館は何とも重々しい扉が閉じられており、
「もしかして休館?」と思わせる入りにくさがありました。


恐る恐る扉を開けて覗いてみると、
入ってすぐ右側に受付らしきカウンターがあるのに誰もいない。
でも、奥の方で音がし、年配の女性(簡単に言うとおばあさんですが)が顔を見せましたので、
「見学できますか?」と聞いてみたところ、ウェルウェルウェルカム状態で迎えてくれました。


求められた住所と名前の記帳を済ませると、
「○○市からですか?いい町ですよね」とどうやらこちらの住まい近辺をご存じのようす。


半ば社交辞令、半ば本気で「いやいや、足利の方がいい町ですよ」と応じますと、
「いやいや、そちらの方が」、「いやいや、こちらの方が」とひとしきりダチョウ倶楽部的応酬が。


そうしたことから始まったこの館員さん(取り敢えずこう呼びます)との会話、そして説明の数々、
先の雰囲気でおわかりのとおり館内に来訪者はひとりきりだったわけですが、
誰にでもこうした説明をされるとしたら、それはそれで大変だなと思ったものの、
どうも語り口からすると「あなたには教えてあげるけど…」といった例外的親密感があったような。

(話をよく聞いてくれる人だと思われたかもですね…)


…と、ここまでのところでは
足利の織物がどれほどであったのかはちいとも分からないと思いますので、
ちと長いですが、まちなかの碑文からの引用で紹介させていただこうかと。

 古代の足利は各寺社の記録によれば、東大寺(奈良・平安時代)や伊勢宮(平安・鎌倉時代)へ織物を納めています。中世では「徒然草」二一六段に足利氏三代目左馬頭義氏が、鎌倉幕府執権北条時頼に毎年「染物」を贈ったとあります。糸を草木等で染め、織ったもので、量は「三十反」、女性着「小袖」仕上げです。
 中世後半では足利織物の生産量は、鎌倉の公方家、三河国の足利一族、京都の足利将軍家などの需要を背景に高まったでしょう。輸送手段は川・生みを利用した水運で、利根水系には大きな水運業者もできました。綿織物の発達は近世足利藩時代で、糸つむぎ、染め・撚り、織り、仕上げの妙は、魅力的な「足利織」を産み、江戸中期には全国に知れわたりました。
 近代には絹綿交織の発達を経、明治中期以降絹織物の生産が盛んとなり、世界に輸出されました。昭和戦前期、絹紡糸を入れた柄模様の素敵な「足利本銘仙」が日本中の女性を魅了しました。

「魅力的な」とか「素敵な」とか言う言葉が配されて、多分にお手盛りの嫌いを免れませんが、
足利織物が歴史と伝統に裏付けられたものであることが偲ばれますですね。


歴史的事実としては、明治35年(1902年)に殖産興業政策の下、

全国6カ所に作られた模範工場の内のひとつが足利にあったのは

盛んな織物業の裏付けにもなろうかと(他に京都、福井、富山、米沢、桐生の5カ所)。


ですが、先の館員さんの曰く

「でも、足利は何にも残していないんですよ」とかなりご立腹のご様子。

お隣の群馬県桐生市では模範工場事務所棟を市の近代化遺産として

記念館としているのに対して、足利では建物外壁はそのままながら、

中はスポーツクラブ(プールがあったり、エアロバイクがあったり)になってしまっているそうな。


伝承館が入っている建物も、

明治期に「足利織物同業組合事務所」として建てられた洋風建築であったものを、
名前は「足利織物会館」ながら何んつうことの鉄筋コンクリートのビルに立て替えてしまった…

と嘆く、嘆く。


いずれも保存されておれば、大きな観光資源になったろうに…と思うところながら、
今ではすっかり織物業から手を引いた足利にとって、

手を引かざるを得ない背景もあったろうことを想像すれば
難しいところだなぁとは思いますですね。

保護・保存・保全にはたいそうお金がかかりましょうし。


去り際に件の館員さんから「遠くから来ていただいたので」と

本来は売り物のポストカードを1枚、いただいてしまいました。


足利本銘仙ポスター画(昭和3年)をあしらったポストカード


「何やらビールか何かのレトロな宣伝ポスターに出てきそうですね」と言いますと、

足利銘仙の宣伝ポスターの図柄なんだそうですよ。

ひと頃は伊東深水などの有名画家にも依頼していたとのことで、

「足利は宣伝もうまかったんですよ…」と。


思いのたけをたくさん語って満足顔?の館員さんに見送られて、

足利織物伝承館を後にしたのでありました。