3週連続で山陽路へ。
仕事納めの翌日の帰省は、果たして何年振りだろうか?
年末でもあるし、記憶整理方々古い手帳を取り出して辿ってみた。
1990年から定年退職した2010年までの年末年始は、途中数年の国内勤務もあったもののほとんどが海外駐在のため、年末のこの時期には帰省していない。従って、短く見積もっても30年?振り、ということになる。
今回は所用で年末だけの一泊里帰り。
始発の地下鉄、帰省ラッシュの「新横浜駅」始発の「ひかりは西へ」(古い?)で「福山駅」に着いたのは朝9時半すぎ。
異常に暖かい冬の朝陽を受けて今日の駅前「福山城」は特に美しい。
ローカル線「福塩線」に乗り変えて40分ほどで故郷の「府中駅」へ。
因みに、「府中市」は日本に2つあるが、「府中駅」はここだけ。「JR中央線国分寺」で「府中」行きの往復乗車券を申し込むと、「えっ、府中(お隣の府中市のJR武蔵野線府中本町の意)までですか!?」と聞かれたことがあった。(^L^)
定番の「古河食堂」の府中焼とおでんでランチ。
その後、これも定番の『Spingle Move』のショップ併設のカフェで一杯、と一枚。
ショップに飾られている色とりどりのスニーカーの新作を見るのも楽しみの一つ。カフェにはインテリアの一部として展示されているのも嬉しい。
私がいた頃(50年前)、「NICHIMAN」は、長靴、上履きメーカーとして有名だったが、2002年から皮スニーカー専門メーカー「Spingle Move Company」中心に事業転換して大成功したGLOBAL COMPANYだ。
本社ビル玄関屋上にはガリバーのスニーカーが!
よく見れば従業員さん達の作業靴も「Spingle Move」のようだった!
実家のお墓参りをした後は、少し足を伸ばして「芦田川」を上って「福塩線」を下って市内北部の「上下」へ行ってみることにした。実はこの町を訪れるのは今回が初めて。
2時間に1本しかないローカル線のワンマンカーディーゼル車はエンジンを唸らせて川沿いを上っていく。
20分程で、中学、高校時代によく遊んだ「河佐峡」が見えた。
流石にシーズンオフなので河原には誰もいない。
そして目的地、福塩線「上下駅」に着いたのは太陽が西の山に沈みかけた4時前。
初めての町なので、まずは駅前の観光案内板で計画を立てる。
「上下引く1引く二」の赤いロゴがユニーク。
「白壁のにあうロマンのまち」、いいね
(先週も西条の白壁だった)
一人旅だしちょうどイベントのないシーズンオフの時期なので、「銀山街道」、「上下教会」、「分水嶺」にターゲットを絞る。
江戸時代は天領として、当時世界の1/3の銀を産出した日本海の「石見銀山」(島根県)から「府中市」に残る「石州街道」を経て「瀬戸内海」の笠岡港(岡山)へ続いた「銀山街道」の宿場町、交易や金融で栄えたのが、天領地「上下宿」だ。
まずは、その「銀山街道」の白壁の街並みを見ることに。
昔ながらの商店にさりげなく飾られた一升徳利と大きな松笠、横にはメリークリスマス!
いいね
その先で通りは少しカーブして、有名な白壁の「ロマンの街」が始まり、あの教会が目に飛び込んで来た。
上手い具合に青空と西日に映える「上下教会」
これぞ、「ロマンの休日」
この教会の建物は「上下町」のシンボル的な建物。
元々は明治時代に造られた地元の財閥「角倉家」の倉庫で、1912年に設立された「角倉銀行」の本店建物となり、1920年には(旧)藝備銀行(後の広島銀行)設立時に合併されたもの。戦後はキリスト教として利用されている。いわゆる和洋折衷の建物だ。因みに少し手前には現「広島銀行上下支店」の建物がある。
日没を気にしながらの一枚、なんとか間に合った。
白壁や木造の建物が並ぶ緩やかな通りを上ると、見張り櫓が特徴的な「旧警察署」が目に付く。明治時代の建物だ
少し歩いた街道を左に曲がった所には、上下川にかかる翁橋がある。
まだ明るいので、すぐ先の丘の麓にある「翁座」まで行ってみた。
意外におおきな「翁座」
説明不要?
来た道を「銀山街道」方向へ戻る。
先ほどの長さ20mほどの小さい「翁橋」の下を流れる川は三次から「江の川」となって日本海へ流れる「上下川」。
「府中駅」からの下り列車で「上下駅」まで上ってきた時の川は、瀬戸内海へ流れる「芦田川」。
そして、次の目的地は、その名の通り「分水嶺」だ。
見慣れないマークが「日本列島(中央)分水嶺認定」?の証だろう。
反対側の東方向に振り返る。
先ほどの「上下川」はこの山の左裾を流れている。
曲がった坂道が「銀山街道」
日本でここ以外の分水嶺を見たのは、2014年に「浅間山」近くの標高の高い「地蔵峠」だが、ここは日本でも珍しい街の中にある分水嶺で、これは予期しなかった貴重な経験だ。
大雨の時ならその現象を体験できるらしいが雨は降りそうにないので、先を急ぎ、再び、「銀山街道」へ戻る。
すると先ほどの「旧警察署」前の時代物の毛糸店(左側)の店先を眺めていると、中から気さくなご主人が出てこられて店の中に案内される。
この店は今は毛糸(手芸)店になっているが、昔は和菓子店だったそうだ。
壁にかけられたレトロなホウロウ看板や往時の菓子用の木型を紹介された。
また、かなり観光PR活動に使い込まれたと思われる店の前辺りの往時のモノクロ写真のコピーで特別NPO観光ガイドも。(^L^)
(左:昭和初期の上下警察署前)
(右:昭和10年福塩線開通記念の余興、左が店先)
幼い頃の情景や、「銀山街道」の建物の建て方、軒先の不自然さ、石見銀山世界遺産指定後の街の大きな変化、電線の地中化等々、特別NPO観光ガイドの話は止まらない。時折、手芸家の奥さんも、店先の井戸端?会議の合間の臨時参加で、実に楽しいひととき。本当にありがとうございました。
因みに、店主は昭和9年生まれだそうだ。
お元気なご夫婦に再会を約して失礼する。
5時を過ぎると日も沈み外は大分暗くなってきた。
2時間に一本の帰りの電車を乗り過ごしては大変なので、少し早いが駅に向かう。
実にロマンのある風景だこと。
駅前で夕食を取ろうと思ったが、シーズンオフのせいか何も無いので、「上下駅」の待合室へ。
暖房のない冬の無人駅は寒い。体感温度は確実に0度だ。
来た時には気がつかなかったが、向かいの下りホームに浮かび上がるもの発見。
ここは標高383.71m、「福塩線」で一番高い駅だそうだ。
(分水嶺との標高差3m程、道理で歩いた割には疲れなかった)
因みに、「上下」の由来は、水の上下(分水嶺)でもある峠から山を取ったとされる。
見上げれば、西の空には一際輝く宵の明星。
これは、ロマンだ!
「福塩線(府中〜塩町区間)」の中間にあたる峠に位置するこの上下駅では、単線故の上り下りの列車のレール交換が行われるので、2番線に入って来た下り列車は10分ほどの待ち時間がある。その時間を利用して、下車して連絡橋を渡って待合室まで飲み物を買いに来る人、寒いホームで記念写真を撮る人、ロマンだな。
17:55の上り列車と同時刻に下り列車も出発した。
府中についたのは、すっかり夜の18時半過ぎ。
乗り遅れていたら最終列車で20時半だった!
冷えた体を、地元広島の銘酒「賀茂鶴」の熱燗で暖める。
地元のミュージシャンらしき常連の先客と、広島市からの出張客らしいこれまた常連後客3人に挟まれ、初対面同士が、暖かい鉄板の前で、地元出身(多分高校の後輩?)の店主を交えて楽しい話が進む。もちろんカープの話題も。
店主が揚げてくれたばかりの美味しいカレイの唐揚げに、もちろんお代わりもう一杯!
久々の一人ぶらり小さな旅。
ロマンだな。