ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -21ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

寒くなってきました。秋が短くて急に冬という感じがします。

冬といえば焼き芋です。
日本のようなおいしいサツマイモは無いのです。ヨーロッパではあまり栽培はされておらずアメリカ産などが輸入されています。このためアメリカのスイートポテトと同じものです。
それも知らないかもしれませんが、中身がオレンジ色で甘みも弱く、火が通り始めるとすぐにべちゃべちゃになってしまう難しいものです。

それでも薪ストーブの中に入れて焼き芋を作ってみました。これまで何度もやって食べられないことは無いという程度でした。今回は転がって火に近づきすぎて焦げたところもありますが過去最高の出来です。べちゃべちゃにもならず味が濃縮してお菓子のように甘いものになりました。とくに女性陣には大好評でした。甘さや食感とともに焼けた風味が他の料理法では得られないものがあります。

ヨーロッパではジャガイモはよく食べられますが、サツマイモはあまり知られていません。寒冷で栽培に適していないことが大きいでしょう。アメリカでもサツマイモは粗末な食材とみなされ日本人ほどの情熱が無いようです。


ボヘミアのマティアス・ハイニケ

マティアス・ハイニケは戦前のチェコ・ボヘミアの作者では有名な人です。ドイツ各地でも働いていますが、イタリアのベネチアでもエウジェニオ・デガーニの下で働いています。このために日本でも輸入している業者があります。

同じ日本人として恥ずかしいですね、「イタリア人の弟子」という肩書に興味があるのですから。いつまでこのようなことを続けるのでしょうか?


しかし実際にはデガーニとは全く似ておらず影響もうけていないでしょう。むしろハイニケのほうが職人として腕が上で仕事を任されたり師弟に教えたりする立場だったかもしれません。
デガーニはかなり個性的な楽器を作っていて、イタリアでも当時最新のモダン楽器は理解していないようです。自己流か田舎風といった感じです。

それでもハイニケは他のボヘミアのマイスターたちと作風は似ているし、大量生産も含めてその後のボヘミアの楽器はみなよく似ています。戦後はチェコスロバキアとなりますがソビエトが崩壊してチェコとスロバキアが分離すると日本にも量産品が輸入されていて戦前の作風が残っていました。

ハイニケのヴァイオリンは見た目は美しいですが、音は力強く鳴るという感じではなく大人しいものです。他のボヘミアの楽器のほうが音量があってよく鳴るものがあります。作者の知名度や楽器の値段と音が一致しない例です。そんなイメージのハイニケですが

これなんかもいかにもハイニケというものです。以前紹介したことがありますがそれはハイニケらしくないものでした。

裏板は本当に美しい一枚板です。完全な柾目板ではなく板目気味になっていることでイレギュラーな模様になっています。
形もバランスよく仕事も美しいですね。
ニスは琥珀色で柔らかく、縁や角は丸みを帯びています。当時はイタリアでもこのようなものが流行りました。ドイツのミッテンバルトやマルクノイキルヒェン、ドイツの各都市、ハンガリー、プラハなどではフランスの影響が強いのに対してボヘミアはイタリア的だということが言えます。

ニスにはいろいろな色がありいずれもオイルニスではありますがこのような軟質で琥珀色のものは珍しいでしょう。パフリングも染めた黒色が褪せて灰色になっているものがありますが、この楽器では黒々としています。

f字孔は独特な形です。これはストラディバリモデルではいつも同じですね。上の丸い所が斜めに楕円形になっています。仕事自体もきれいなものです。
パッと見て気付くのはf字孔の左右の間隔が広いことです。上の丸と丸の間が広いです。独特の雰囲気になる所以です。

この楽器は1932年にチェコのヴィルドシュタインで作られたものです。

スクロールはやや小ぶりな感じがします。


分かりやすい特徴は

緑の線のようにペグボックスの端が丸くなっていることです。それからペグボックスの内側とf字孔の側面には赤茶色の顔料で塗られているのも特徴です。ハイニケの特徴でもありますがボヘミアの特徴とも言えます。

フランス的なカチッとした感じではなく柔らかい感じがイタリア風と考えたのでしょうか?かなりの早さで作ったということもあると思います。また渦巻きを専門に作る業者から買うのがボヘミアでは一般的だったかもしれません。自己満足のために楽器を作るのではなく産業としてヴァイオリン製作を機能させるには製造コストが安くないといけません。ハイニケは何度も見かけたことがあるので数は多いはずです。驚くべき速さで作ってこの品質というものでしょう。数が一定数あることで歴史に名前が残るのです。

このようなストラディバリモデルは弟子や他の職人や工場でも写されて真似た楽器が作られました。音はハイニケが一番良いわけではないことはさっきも書きました。

気になる音は?

板の厚みは20世紀の楽器としては普通くらい、19世紀のフランスのものよりは厚めです。
ボヘミアの楽器には裏も表も同じ厚さのものがよくありますが、これは裏の方が厚めになっています。それは一般的には普通のことです。ドイツのオールド楽器も表と裏が同じような厚さになっていることがよくあります。それに近いものが近代のボヘミアでも作り続けられたようです。
この楽器に至ってはオーソドックスな20世紀のものです。

アーチも教科書通りの近現代のものです。

ハイニケは仕事の割には値段が安くて過小評価されている代表のようなところがあって相場では150万円もしなかったりしますが、音が特別優れているという印象もありません。

たまたま音大卒の演奏者がいたので弾いてもらうととてもよく鳴って力強い物でした。イタリアのオールド楽器と弾き比べても明らかに音量で勝っていました。今まで知っていたものとタイプがだいぶ違います。良い方に驚きました、弾いていた人も褒めていました。

音色もごくごくまともなものだと思います。たまに「よく鳴る」楽器がありますが、まさにそれです。耳障りで鋭い音を力強いと言うのとは違います。でもすごく柔らかい音ではありません。

他のハイニケと違う理由もわかりませんし、板の厚みも20世紀の普通のものです。普通に作ってあるからということかもしれません。


ちなみに1932年製のこのヴァイオリンは大掛かりな修理はしていません。ネックも指板も作られたときのままです。駒と魂柱、ペグ、付属部品、弦を交換しニスの補修を行っただけです。ニスも傷を目立たなくしただけです。6~7万円程度の修理です。

音を出した感じでは特にバスバーの交換も必要ないでしょう。


同じ作者でも音が違う

見た目がよく似たハイニケはいくつも見たことがあり、ニスの色はいろいろありますがいつも同じ形で作っていた方です。

それなのになぜか音が違います。
同じ作者でも違う音の楽器があるので、作者名で楽器を選んでも意味が無いということです。やはり弾いてみないといけません。

楽器の値段は作者の名前で決まりますが音で決めているわけではありません。値段と音が一致しないわけです。値段は同じでも音はバラバラなのですから。

同じ作者でも兄弟や弟子が手伝ったり代わりに作ったりしたこともあります。時期によって変わるかもしれません。値段は名前で決まっても音は名前では言えません。


またよく鳴る楽器は流派に関係なく存在します。ということは木材の産地もバラバラでどこの産地の木材にもよく鳴る楽器があるということです。前回のフランスのヴァイオリンよりもこちらの方が良いと思う人は多いでしょう。国名を決めて楽器選びをするのが愚かだという例です。

結局弾かないとわからないという当たり前のことを思い知りました。音についてはウンチクは関係なく弾いてみるしかありません。
こんにちはガリッポです。

板の厚みを測定する器具の具合が悪くて混乱しています。マグネットを使うアナログ式で不正確なのです。
今はデジタル式のものもあります。値段は異常に高く厚みを表示するディスプレイがついていないのでスマホなどを使う必要があります。私たちの使う工具類はほとんど一生ものですから、10年後には使えなくなる物に4万円も出す気にはなれません。

何とか自己流で調整して今のところはアナログ式でいけそうです。



弦などは音を調整する目的でも使えます。弦にはそれぞれ振動の癖があるので、特定の音が弱かったり、強かったりする振動を楽器に伝えることで音の性格を変えようということです。

一つの例としては私が自分の楽器に施しているものです。以前も紹介しましたが、ピラストロ社の一番新しいヴァイオリン弦はパーペチュアルの「カデンツァ」といバージョンです。パーペチュアルは刺激的な鋭い音が強調されるので、音が柔らかすぎる楽器には手ごたえをもたらします。
うちではお客さんは古い楽器や量産品を使っている人が多く、そもそも荒々しい音を穏やかにしたいというニーズが大きいのでうちではあまり必要のない方向性です。

ところが日本ではおそらく新作楽器を使っている人が多いと思うので参考になるかもしれません。

ノーマルでも同様の効果がありますが、カデンツァの良い所は弦の張力が弱いせいか、腕に自信がない人でも音が潰れたり上ずったりしにくいかと思います。弱めの張力のほうがかえって楽器がうまく機能することもあります。

G,D,Aにパーペチュアル・カデンツァ、E線にはピラストロ共通の「No.1」を張っていました。No.1はとても柔らかい音のもので耳障りな音の楽器が多いこちらでは多くのユーザーに評判が良いものです。

以前にも言いましたが、珍しいと感じたのは低音は力強いのに高音が柔らかいことです。一般的に弦楽器は低音には力強さが足りず、高音は柔らかさが足りないものです。
また低音が力強いものは高音が耳障りで、高音が柔らかいものは全体的に音が弱いです。

私の楽器も高音が柔らかいので全体的に刺激が少ない音です。それはそれで繊細で好きな人もいますが、パワフルと感じにくいです。
パーペチュアルのG,D,Aを張るとその点が改善されますがNo.1のE線はとても柔らかいという落差がありました。
低音から引いてくるとE線で急に弱くなるのです。
そこでパーペチュアルのセットのE線を使ってみました。そうすると4弦の音に一体感が出て違和感が無くなりはっきりとしたE線の音になりました。

ピラストロではE線は他の3弦とは別の素材で作られていることもあって、開発は別なのです。セットとしては売られていてパッケージには銘柄のデザインがほどこされていても中身がほかのものと同じだったりします。
だからE線だけでいくつかの種類があれば良いと思います。
しかしセットで卸すほうが安くなるので必ずセットで売られているでしょう。


うちではカプラン(ダダリオ社)のゴールデン・スパイラル・ソロのヘビーテンションをよく使っています。それに変えるとより強さが出るとともに柔らかさもありのびのびとしてオールドの名器で感じるようなミラクル感が出てきました。地に着いた現実のような音ではなく、高音だけに天に昇るような音です。
他の3弦にも影響があり全体的に澄んだクリアーな音になりました。良いか悪いかは微妙です。

このように下の3本を選んでからE線を好みに合わせて詰めていくのがセオリーでしょう。



今度はチェロの話です。
うちでは珍しくガット弦を張っている教師の方がいます。ピラストロのオイドクサで、昔からずっと使っていて太さまで指定するほどのこだわりです。かつてはスチール弦はとても耳障りで高級弦はガットという時代がありました。
現在では99.9%の人がスチール弦を使っているでしょう。

低音のGとCはガット弦では角の丸い柔らかい音がします。しかしA線になるとひきつったような刺激的な音で決して柔らかい音ではありません。バロック楽器の裸のガット弦ではもっと顕著になります。
かつてジャラジャラした音のチェンバロが済んだ音のピアノに変わったように今ではスチールのA線のほうがクリアーな音になっています。

今ではガット弦が柔らかく、スチール弦が鋭い音とは言えません。
ガット弦のおもしろさは刺激的な音も含めて多彩な響きが混ざっている所でしょうね。合成繊維(ナイロン)でもガットよりも澄んだ音のように思います。

スチール弦が柔らかい音の方にどんどん開発されてきていてガット弦よりも柔らかい音になっています。ピラストロでもガット弦の魅力を現代の人にも使いやすいようにとパッシオーネというものが開発されました。ヴァイオリン用はガットでA,D,Gが作られましたが、チェロ用ではGとCだけがガットでAとDはスチールになっています。もちろん開発の段階ではすべての弦でガットを試したはずです。製品化したものはスチールのA、Dになっています。

全体としてはチェンバロからピアノに音が変化したその流れが続いているのだと思います。クリアーで澄んだ音も単調でつまらないというとらえ方もできます。作曲家の生きていた時代にはガット弦だったのでガット弦のほうが作曲家の意志を反映させられると考えることもできます。古楽器演奏のスペシャリストも多くなりました。私が面白いと思うのはモダンや戦前まで裸のガット弦が使われていたことです。バロックではなくロマン派や現代の時代にガット弦が使われていたことです。
金属巻のガット弦も戦前にはすでにあったようです。当時としてはハイテク弦という感じだったでしょう。今では伝統的な弦ですが作曲家の生きていた時代は無かったものですから、それが正しいと理屈で言うことはできません。趣味趣向とすればそれもありです。
スチール弦も戦前にはすでにありました。シルクなど他の素材もあったようです。

プロの人たちは仕事として楽器を弾くので個人的には好きでも業務用としてはガット弦は問題があって使用を断念している人もいます。


20世紀のフランスのヴァイオリン



前回も出てきたこのヴァイオリンですが、ミルクールのものとして紹介しました。

仕事はとても美しいもので、品質の高い楽器の例として紹介しました。
とはいえニスの感じも19世紀のフランスの名器というよりはミルクールの感じがします。このような明るいオレンジ色のニスはミルクールだけでなく20世紀にはよく使われるようになったと思います。

作者はルネ・バイイでルネという人物は記録が見つかりません。バイイ家自体はミルクールの流派のヴァイオリン職人でフランスの一流の作者です。
この楽器は1942年に作られたもので現代の教科書通りの見事なものです。

写真では平面のみですがアーチもきれいに立体的に作られています。したがってプレスのようなミルクールのものとは全く違います。

仕事は丁寧な感じです。

コーナーの角が丸くなっていますが、グズグズではなくきちんと作られていることが分かります。ニスもムラが無く均一に塗るのは難しいものです。先日も安価な楽器を買うためにメーカーの営業の方がたくさん楽器を持ってきましたが、どれも全くリアリティのないアンティーク塗装で普通に新品として作られたものの方が魅力的だと思いました。しかしスプレーを使った量産品はいかにも安物という感じがしてしまいます。手塗りできれいに塗られているものは逆に珍しいです。

スクロールにもフランスやミルクール独特の雰囲気があると思います。
カチッとした感じがします。
量産品ではもう少し急いで作った感じがありますから、立派なものです。


前回も話したことですが、ドイツの量産品とは違いきちっとしています。全体的にピシっとした感じがあります。

ニスの色などはミルクールの感じがありますが、量産品ではなく作者のハンドメイドの作品と考えて良いでしょう。

1942年といえば戦時中です。楽器を見る限りでは影響は感じられません。

気になる音は?

外観は量産品とは明らかに品質が違う美しい楽器です。見た目が綺麗すぎて新しく見えるのが損している所でしょう。

アーチの高さも19世紀のものよりは高くなっていて20世紀の標準的なものでしょう。あまりフラットだと美しい造形が難しいですから、高さがある方が造形的にも美しいものです。音の理論はいろいろありますが・・・・。

それに対して板の厚さはかなり厚いものです。表板は19世紀のようなものではなく20世紀の厚めのものです。裏板はさらに厚くチェロに近いくらいです。そういう意味でも19世紀のフランスのモダン楽器とは変わっています。
考えがあってそうしたのか、時代の流行だったのか、手を抜いてそうなったのかはわかりません。


実際に音を出してみるとギャアアアっとやかましい音がします。鋭い音は板の厚みとは関係がありません。厚い板の楽器にも薄い板の楽器にもあります。
音自体も安価な量産品のような感じがします。うちで2000年代に買っていた15万円くらいのドイツメーカーの量産品(中国製?)のような音です。
さすがにチェロに近い厚みの裏板は厚すぎるのでしょう。
音は好みの問題だと言っています。多くの人にとって極端によくないことはめったにありませんが、この楽器については言えそうです。

見た目の品質と音が全く逆であるばかりか、フランスのモダン楽器の音が全く感じられません。

20世紀初めのミルクールのハンドメイドの楽器はまだ値段が高くなっていないのでねらい目ではありますが、だからと言って何でも良いというわけではありません。やはり音を試さないとダメです。ヴァイオリン製作の伝統はすぐに失われてしまいます。クレモナだけでなくフランスでもそうだったようです。

このように「フランス製」と生産国でヴァイオリンを選ぶのは無理だという例です。

板が厚くてこんな音がするのはイタリアの戦後の楽器にもあります。ドイツメーカーの量産品(中国製)でもありますからどの国にもあるということです。

私は19世紀のフランスのモダン楽器はひいきにしているので、このようなものはがっかりするものです。フランスの楽器というよりも20世紀の楽器という感じがします。
我々の師匠の師匠の師匠、それくらいの時代の楽器製作でしょう。我々が勉強するのもこのような考え方です。

現在でもこのような考え方は我々の業界では教科書となっています。一般の人にはウンチクとして語られる内容です。専門家が正しい知識として語るのはこの時代のものです。

有名な職人の下で修行した優秀な職人の話を聞いていて違和感を感じた演奏者の人はいるかもしれません。言うことは立派で楽器もきれいなんだけど弾いてみるともう一つと感じたことがあるかもしれません。

それに対してアマチュアのような職人が板をコツンコツンと叩いて「俺は音が分かる」という自信過剰な職人が演奏家の支持を集めるかもしれません。

でも歴史を見ると過去には現代人の発想では思いつかないようなありとあらゆる試みがされたようです。私たちが名前を知っているのはほんのほんのわずかです。思っているよりもはるかに多くの職人がいました。我々が思いつくようなアイデアはすでに試されているでしょう。多くの楽器を見てくると「普通のもの」が古くなると十分音が良いことが分かります。人間は根拠もなく自分のアイデアは過去のものよりも優れていると考えるものです。過去のものは平凡なものと見下されて忘れられていきます。

しかし今になって古い楽器を見ていると「余計な工夫」がされている楽器は残念に思います。普通に作っておけば今頃は良い音になっていたはずです。


こんにちは、ガリッポです。
前回は品質が高い楽器を作る見事な腕前の職人だとしても、音は好みの問題でしかないという話でした。

早速ですが目利きに挑戦です。このヴァイオリンの値段はいくらくらいだと思いますか?


古びた感じで雰囲気も良いですね。木材の質も高さそうです。

これはマルクノイキルヒェンなど東ドイツのザクセン州の大量生産品です。時代は戦前より前のものでしょう。これくらいの品質なら40~50万円くらいでしょう。

この楽器はニスの雰囲気がとても良いのでそれよりも良い楽器に見えます。当然分業で多くの人が製造にかかわっていますので、塗装を担当した人が良い仕事をしたということです。もちろんそれから使われて100年近く経っていることもあります。現在では個人の制作者もアンティーク塗装で作る人が半分くらいはいるでしょう。その中でもうまい方です。

よく見ると裏板の真ん中についているひっかき傷は人為的につけられたものだとわかります。
エッジ付近も汚れがたまったように黒ずんだ感じにしてあります。オールド楽器でニスがはがれてミドルバウツのエッジ付近にのみ残っている感じです。

表板は指板と駒の間、f字孔の周辺が黒くなっています。これはヴィヨームがやった手法で松脂に汚れがこびりついた様子を再現したものです。この楽器ではさらに本当に汚れがついているのかもしれません。

横板の中央にもひっかき傷があります。この場所は実際の古い楽器ではあまり傷が無い所です。イミテーションを見分けるポイントです。ザクセンではイミテーションの手法がパターン化しているのでこのようになっている楽器が多いのです。本当の古い楽器を観察してやり方を学んだのではなく、手法を教わっているのでみな同じようなやり方になっています。現在でも、SNSやユーチューバー、コンサルタントなど、他の人のまねをしていますよね。それと同じです。流行りの手法があります。人間のすることは変わりません。
それに対して私のブログなどは独特でしょう。アンティーク塗装の手法も独自に編み出したものです。

ネックも同様にペグボックスに人為的な傷があります。いかにもわざとらしいですね。ここもペグで守られているので傷はつきにくい所です。

この楽器にはドイツのマイスターのラベルが貼ってあります。しかし私はザクセンの量産品であることが分かるので偽造だと考えました。しかしコーティングなど度重なるニスの補修を経たため、いかにもラッカーのような質感ではありません。
勤め先でも私以外はザクセンの量産品とは気づきませんでした。私は自分がアンティーク塗装をするので見分けがつくのですが、普通のヴァイオリン職人では見分けがつきません。専門家もひっかかるような雰囲気の良い楽器です。職人でも見分けがつかないものですから、営業マンに見分けがつくでしょうか?

説明しているように手法自体は他のザクセンの量産品と変わりません。しかし絶妙な色加減によって自然に見え、いかにもザクセンの量産品という感じがしません。
わざとなのか偶然なのかもわかりません。

ニスの雰囲気は偶然による部分もかなり大きいと思います。特に下地を着色した場合、それと上に塗るニスとの組み合わせなどは予想ができない効果が表れます。色の違いは微妙で、時間の経過によっても変色や色あせが生じます。したがって作者が意図したとは限りません。さらに多くの場合は流派のやり方を学んだだけです。本人もよくわからずにやっているものです。

この楽器も単なる量産品でありながら、絶妙な色の組み合わせによっていい雰囲気になっており職人をも騙せるほどのものです。材料や手法自体は他のザクセンのものと変わりません。

量産品を見分けるポイントとしてはっきりするのはこれです。

ザクセンの大量生産品特有のパフリングが入っています。パフリングは黒、白、黒の三色の木材を埋め込んであります。特徴は真ん中の白い所がとても細いのです。黒い部分は茶色い木を染めてあり、色が褪せて灰色っぽくなっています。その上にニスが塗られているので少し黒く見えますが、ニスが剥げている所では黒が薄くなっているのが分かります。

ストラディバリでは真ん中の白い部分が太く、黒い部分はとても細いです。ちょうど逆です。これははっきりした特徴です。

パフリングを大量生産する業者がありヴァイオリン製造メーカーはそれを買って使っていたということです。
ザクセンにも他のタイプがありますが、このタイプが使われていたらまずザクセンの量産品と考えて良いでしょう。さらにほかの特徴も見て行けば確実です。
マルクノイキルヒェンのマイスターもこれを使っている可能性もあります。しかし割合としてはわずかです。楽器全体の品質で量産品かマイスターのものか見分ける必要がありますが、いずれにしてもザクセンのものだとわかります。
このようなパフリングが入った楽器に貼られているのはほとんど偽造ラベルなので、高価な名器だと思ってはいけません。製造の段階から貼り付けられていました。
ストラディバリやチェルーティなどイタリアのオールドの作者のものならよくあるものです。今回はザクセンのモダンの作者の偽造ラベルが貼られていました。しかし時代から考えても明らかに新しい楽器です。塗装の雰囲気が良いので私以外なら職人でも「もしかしたら本物では?」と思ってしまうかもしれません。欲が強いと冷静な判断はできなくなるでしょう。

ヘッド部はこのような感じです。

前回のエルンスト・オットーのものを見てみます。

形のバランスが、より注意深く作られているのが分かると思います。きれいですね。

前からの角度です、量産品から

次はオットーのものです。


後ろも同様です。


オットーのものの方がきちんと作られています。
分かりやすい特徴は

一番下の内側の溝がきちんとほられていません。これはザクセンの量産品の特徴です。ただしスカランペッラやガッダもこんな感じですから、ザクセンの特徴というよりも細部まで注意が行かず雑に作られているということです。ストラディバリもきちんと彫ってありますから、それを知らないということでもあります。

スクロールについて「味がある」とか言い出すとザクセンの楽器でも味があると言えます。ただ高い楽器は味があると言い、安い楽器は安物だと言います。品質という点では同じです。



輪郭の形についてみてみましょう。形が綺麗に調和しておらず緑で示したところは直線に近くカーブが足りません。オレンジのところだけが曲がっているように見えます。均等に丸みを帯びていません。これを頭に入れてオットーのものを見てみましょう。

カーブがもう少し均等になっています。

今度はミルクールのヴァイオリンを見てみましょう。

カーブが滑らかになっています。

もう一度ザクセンの量産品です。いびつなのが分かると思います。

このようなわずかな違いは音に影響を与えることは無いでしょう。しかし人間の目には違って見えます。特に自分で楽器を作っている職人には大きな違いになります。職人でも修理や売買を主にしていて楽器製作から離れていれば見えなくなってしまいます。


同様の完成度の低さは裏板にも見られます。ニスや木材の質感で騙されてはいけません。

なぜこのような違いが出るかと言えば、作っている人が単に型を与えられて低い精度で加工したからです。本人は目で見たときの美しさに興味を持っていません。
現代の機械が作る楽器でも同様です。与えられたデータの通りに機械が加工するだけで、目で見て美しく見えるように加工していません。また量産工場の経営者も興味がないため設計自体にもこだわりがありません。型自体がそもそも美しくないのかもしれません。

ミルクールの楽器などは逆に楽器自体の出来は悪くても、そういう所はきれいに作ってあったりします。

このような理由からこの楽器はザクセンの量産品の中でも中級品だと思います。値段は40~50万円位だと思います。現在でも量産品の中級品ならそれくらいです。
ミルクールの場合はどうしようもない低級品でもそれくらいしますからザクセンのほうが相場が安いのです。

これは私が現役の職人でこういう質にうるさいので厳しい評価になります。職人でも無頓着な人も多いです。この量産品と変わらない質の楽器を作っている人も多いでしょう。そうなるとハンドメイドだというだけで品質も量産品と変わらないことになります。とくにアンティーク塗装ではこれよりもわざとらしいものが多いです。塗装だけを担当した「プロ」に比べてノウハウも不足しているのです。
とはいえマイスターのものと比べた差であって、イタリアのオールド楽器ではこれ以下の品質なんてざらです。


気になる音は?


このような製造上の違いがあるので量産品であることが分かり、大量にあるために値段も中程度です。これが音となると必ずしも値段とは一致しません。


アーチは極端にフラットというよりは少し高さがあります。とくに中央が高くなっています。板の厚みは表板は20世紀としては普通で裏板はやや厚めです。19世紀のフランスのものに比べるとどちらも厚いです。裏板は作業を早く終わらせるため完全に薄くなるまで削らなかったのでしょう。

弦にはピラストロのエヴァ・ピラッチゴールドのセットです。これは以前の持ち主が張ったものでほぼ未使用だったのでそのまま使います。他には指板、ペグ、駒、魂柱、テールピースを交換し販売できる状態にしました。表板のコーナーも一か所直しました。

実際に音を出してみると枯れた乾いた音がします。やはり戦前の楽器という音がします。低音もカラッと乾いてこもりは無くギーっと角のあるはっきりした音で力強いと感じる人もいるでしょう。高音は決して耳障りではありません。
店頭で弾いたくらいならバランスも良く好印象です。

荒々しい音ではなく澄んだ感じもします。板が厚めでも渋く落ち着いた音です。私の板の厚みの理論とも違う印象です。深く考えればいろいろ考えられますが、言い訳がましいです。「音は弾かないとわからない」と言う方が正しいでしょう。

現代のハンドメイドの新作楽器と比べると良質な戦前の量産品のほうが格上と感じる人は多いかもしれません。
腕の良い職人が教科書通りきちんと作っても、出来立てホヤホヤの新作楽器では、ザクセンの中級品は単純に弾き比べたらかなわないものです。演奏者の多数決ならかなり厳しいです。

名工だの巨匠だの言っても、音だけで比べたらザクセンの量産品さえ厳しいです。
このためこちらでは新作楽器の人気が無く、みな古い楽器を求めています。

また偽造ラベルが貼られて流通しても音が悪いからという理由では気づかれないわけです。

職人にとっては都合の悪い事実です。値段が安くて音が良いとなれば、自分の楽器は売れません。私も良い音ではないと思いたいです。私には表面的な鳴り方で楽器全体が底から響いている感じがしません。明るい響きが少ないので板の厚みに関わらず暗い音になっていると思います。…職人の言い訳なのでしょうか?
演奏者はパッと弾いた印象で決めてしまってそこまで汲み取って考えてはくれないでしょう。私個人の意見でしかありません。

新しい量産品に比べると、ガサガサしたような感じがします。朽ちた木材の感じです。新しい量産品のほうがはっきりした単調な音に感じます。

追記
一旦訂正をしましたが、記事の通りで合っています。

こんにちはガリッポです。

さっそくヴァイオリンの写真から



これくらいのヴァイオリンなら「見事なものだ」と好感が持てます。世の中には安価な量産品や粗悪品が多いので、十分上等な部類に入ります。雰囲気も良いですね。良いヴァイオリンです。

エルンスト・オットーという作者がドイツのデュッセルドルフで1926年に作ったものです。デュッセルドルフは日系企業が拠点を置くことが多くヨーロッパでは日本人の多い所です。
作者についてはよくわかりません。特別有名ではありません。しかし楽器は十分マイスター作と言っても問題が無いレベルでニスもラッカーのようなものではなく柔らかいオイルニスが使われています。この時代のドイツのモダン楽器では定番のものです。
ニスが剥げたようになっているのも本当に剥げたのかはじめからイミテーションとしたのか判別がしにくい所もあります。その両方かもしれません。

ペグボックスも量産楽器の産地とは違う雰囲気です。指板よりも幅が広くなっていてオールド楽器やフランスのモダン楽器のようです。

かと言って極端にフランス的な特徴もなく20世紀初めの楽器としては教科書的なものです。

スクロールの角は丸くなっていて1900年頃のイタリアのモダン楽器にも頻繁に見られます。この時代の流行でもあります。

さほど有名ではないドイツの作者のラベルがついていて、品質がマイスターのレベルにあるのでおそらく本物だろうと思われます。
これでラベルがはがされれば全く分からなくなります。市場にはそのような作者が分からない楽器がたくさんあり、鑑定士でも分からないものが多くあります。素性が分かっているのは幸いです。

裏板は一枚の板目板で仕事自体は教科書通りのものです。厚みは表板は薄め、裏板は普通くらいでしょう。特に問題になるレベルではありません。

アーチもフラットでモダンのセオリー通りです。
まともな職人の工房に持って行けば「良いヴァイオリンですね」と言ってもらえるでしょう。

それでも音は弾いてみないことには全く予想がつきません

実際に弾いてみると硬く鋭い音がします。外見からは全く予想がつきませんでした。私が使うと板目板の裏板は柔らかい音の印象がありますが関係ありません。
技術者からすると「好みの問題」としか言いようがありません。このような音を好きだという人がいれば良い音ですし、嫌だと言えば悪い音です。人が感じることですから技術者としては価値判断を何も言えません。

お客さんの様子を見ていると、鋭い音の楽器を「力強い」と気に入る人もいるし柔らかい繊細な音を「美しい」と気に入る人もいます。お店としてはどちらも品ぞろえには必要なのです。音はどっちに転がっても好む人がいるかもしれないので、外見で高級品だと分かれば売りに出す価値があるわけです。我々が考えるのはそれくらいです。

商売人なら何が「売りやすいか」ということを敏感に察知します。しかし自分の好みと違うものを買ってしまうと後で後悔します。

我々はいろいろな楽器の音を知っているので全体の中でこれが鋭い音だとわかります。本人の好みは分かりませんが、点検を頼まれていたので勝手に多少でも音が柔らかくなるように調整しておきました。
後日持ち主の方から連絡があり、こんなに良い音になったのは初めてだと喜んでいるようでした。したがって我々の「鋭い音」という認識は持ち主の方と違っていませんでした。

そもそも論で言えばなぜ鋭い音のヴァイオリンを買ったのかおかしいですね。

ヴァイオリンを選ぶということがこういうことだという例です。実際には鋭い音の楽器は音が強く感じるので初めは力強いと思うのですが、そのうち耳障りな音が嫌になってくるというケースはよくあります。このためピラストロのオブリガートとNo.1というE線を張るのはうちでは定番です。さらに魂柱の位置をちょこっといじっては弾き比べるのを2回くらいやれば「これ以上は望めない」とい調整は終わりです。これ以上踏み込むとドツボにはまっていくものです。2回やってうまくいくなら確率は五分五分です。


モダン楽器や現代の楽器ではこのような鋭い音のものは多くあります。ハンドメイドの高級品だけでなく量産楽器にも多くあります。したがってこの楽器も、似たような音は量産楽器でも得られるかもしれません。
それに対して珍しいのは柔らかく繊細な音のものです。また現代になると「ビオラのような」深い低音のものは珍しくなります。

明るくて輝かしい音のものはありふれていて比較的安価な値段でも手に入ると考えています。わざわざイタリアの作者のものを買う必要はありません。

音の好みは個人の自由ですから、たまたまその人の好みが、安い値段でも簡単に手に入るものだったり、珍しくてめったにない物だったりするというわけです。


これ以外にも1976年に作られたハンドメイドの立派な楽器がありました。これも教科書通りに作られたもので、40年以上経っていて強い音がします。音自体は我々職人からすると「典型的な新作楽器の音」でやや鋭いものです。
職人は教科書通りの楽器作りを学ぶので、同級生や、同僚、師匠、同業者など他の作者の楽器の音を知っています。経験から「教科書通りの音」を珍しくは思いません。偉い師匠が作り方を教えたわけですから、師匠の楽器も同じような音です。
我々の感覚だと、有名な現代の職人の楽器は「普通の音」という印象を受けます。
それでも、安価な量産品から買い替えるなら上級品という印象を受けると思います。


このような「教科書通り」のものは割と音の予想ができるものです。腕の良い職人が作ったものなら似通っています。しかし時代が離れていたり、流派が違うとわかりません。品質が悪いものも全く予想ができません。量産品もそうです。このように音は完全にまぐれだとかデタラメで運任せということはありません。何かしらの構造上の根拠はあるはずです。

やや鋭い音だとは思いましたが許容範囲内だと思ってそのまま持ち主に返しました。本人はその楽器の弾き方を知っているのでうまく弾きこなしていました。


話を戻すと今回のドイツのモダンヴァイオリンは硬い音でキャラクターの方向性としては量産楽器にもありそうな音です。

量産楽器も様々な音がありますが、典型的なものもあります。音がとても鋭くはっきりした音でスケールが小さいものです。響きも豊かさもなく単純な音がします。漫画のような輪郭のはっきりとした強い音です。
一方教科書通りのハンドメイドの楽器ではもっと柔らかさがあり様々な響きが加わって繊細さがあります。もう少し自然で大人の感じです。

私が作るものはさらに繊細で柔らかさがあります。鋭い音に力強さを感じるなら量産楽器のほうが好みに合っていて音が良いと感じる人もいるでしょう。

つまり安い楽器ではギャーとやかましい音のものが多いのです。それを音量があると感じる人がいます。この前は安価な量産品をあるヴァイオリン教授が絶賛して保険のための査定をしたという話をしました。聞いている方からすると硬さがスケールの大きな演奏を妨げているように感じますが、本人の耳元ではむしろ音が強いと感じるので典型的な演奏家が選ぶ音です。その教授のように非常に安価な楽器を気に入る人もいるわけです。

本人の体験も影響するでしょう。昔は子供用の量産楽器でスチール弦を張っていてひどく耳障りな音がするもので育ってくれば、繊細な音のものは物足りなく感じてもおかしくありません。こちらでは戦前の量産品が大量にあり、手作業が多かったため品質も粗く古くなって音が強くなっているのでとんでもない鋭い音のものがゴロゴロあります。それで慣れてしまったらそれが普通です。

日本では新品の量産品が多く、そこまでのものは多くないでしょう。

楽器店の職人としてはお客さんの求める音を提供することでニーズにこたえることができるのです。営業出身の業者では発想が全く違いますし、職人は古い時代の職業で自分の流派の思い込みが激しくてこのような発想の人は多くないかもしれません。

印象としては安価な量産品のような荒々しい作りの楽器にはやかましい音のものが多いと思います。しかし今回のようにきちんと作られたものでも鋭い音のものがあります。したがって、特に鋭い音がする理由は無いのでしょう。鋭い音がするのが普通ヴァイオリンということです。

それに対して私の作るヴァイオリンは柔らかい繊細な音がします。これも理由は分かりません。板の厚みの研究をしているので、低音からちゃんと音が出ます。最近10年前に作ったものを調整していますが、高音までまんべんなく出るものです。明るい響きも加わって「ビオラのような」暗い音ではありません。しかし新作によくあるような低音が出なくて明るい音とは違います。相対的には暗い方です。
響きは純粋で澄んでいるとともに、様々な倍音が混ざって豊かな響きになります。漫画のようなはっきりした音とは反対です。

例えば修理で私がバスバーを交換すると耳障りな音は和らぎ柔らかくなります。やかましくて困っているなら修理ができます。
なぜかは分かりにくいですが、より正確に加工して取り付けていることで弦の力が表板にまんべんなくかかる「均一性」が高くなるからと考えられます。

それが私の仕事の癖で、あらゆる部分でグラグラしているようなところを無理やり接着したような箇所が無くぴったりに加工されています。
アーチの形状でも目の感覚で不自然な部分を削り落とした結果、力が均一になるようになっているのでしょう。

特に高音で特定の音域だけが極端に強くなったりすると耳障りな鋭い音になるのではないかと思います。均一では無いということです。これは本当なところは分かりません。私が経験からイメージすることです。
少なくとも、寸法などの数字や外見の特徴で規則性を見出すことができません。このため弾いてみないと楽器の音は分からないのです。


このような話からほど良いバランスの楽器を選ぶのがその人にとって良い音の楽器ということになります。しかし成り行きでそうではないものを買ってしまった場合には音を調整したり修理したりする必要があります。原因があれば修理が可能です、状態が悪い楽器なら改善する可能性も高いものです。

職人は偉い師匠の教えに従って決められた通りにするのではなく、お客さんの求める音に近づけるように場合によってやり方を変えるべきです。このような考え方する職人は少ないでしょう。正しいと信じるやり方をどんな楽器にも施そうとします。

モダン楽器は音量があるけども鋭い高音のものが多く、それを調整するのはいつもの仕事です。まずはE線を巻き線のものに変えることです。ピラストロのNo1,カプランのソリューションなどがうちでは主流です。
演奏家の方でも生徒の楽器がなんであるかに関係なく先生が薦める弦を張って来たでしょう。職人と相談が必要です。
他には駒を厚めにするとか、駒のところに厚めの羊皮紙を張ったり、きめ細やかな材質の魂柱にするとか、あの手この手です。

相対的にものを考えられる人は職人でも先生でも少ないはずです。

最後は魂柱の位置で「ごまかす」のです。弾いている人は劇的に変わったという印象を受けます。何回かやればましになります。鋭い音の人は頻繁にこれが必要です。

特にチェロでは柔らかい音の弦と言えばラーセンが有名です。A線だけ、AとDにラーセンを張るのが流行しました。ラーセンの欠点は寿命が短いことで、プロや音大生なら数か月で劣化して金属的な耳障りな音に変わります。ピラストロでもA線から鋭くなっていきます。最近も何台もチェロが持ち込まれて同じことです。大きな楽器ほど季節の変化の影響を受けやすいということもあります。しかしA線が劣化していて交換が必要だというケースが多いです。


それに対して逆のパターンは少ないです。音が柔らかすぎて弱いというケースです。私が作ったヴァイオリンくらいです。この前ピラストロのパーペチュアルの張力の弱いバージョンであるカデンツァを張って、テールガットをチタンからカーボンに変えました。これでかなり力強さが出てモダン楽器のような感じも出てきました。比較せず単独で弾いていれば音が弱いという印象は無いでしょう。
カーボンは素材の音があって暗く力強い音です。これはカーボン製のヴァイオリンでも同様でした。しかしヴァイオリン全体がカーボンだと特徴が強すぎると思います。硬すぎるのです。テールガットくらいなら欠点が出ないほどの効果です。逆に音が鋭いならカーボンではなくプラスチックにすべきです。

面白いのは低音から音を順番に出していくとモダン楽器のような力強さがあるのにE線になったときに柔らかいのです。モダン楽器では珍しいです。鋭い音のモダン楽器のE線を調整でここまで柔らかくするのは難しいです。鋭い音の新作楽器でも同様でしょう。

今では私のヴァイオリンもかなり万人向きになったと思います。もちろん繊細な音の方ですが耳元での弱さを改善しています。他に良い楽器がたくさんあるので私のものだけが優れていると言うのは無理でしょう。しかし間違いはないものだと思います。

私の作るものは広いホールでの鳴り方は以前から定評があります。問題は店頭で大人しすぎることでした。量産楽器のほうが音が強く感じるほどです。しかし店頭で耳が痛くなるほどの量産品もホールに持って行けば細く蚊の鳴くような音です。
またチェロくらい厚みがあって明かに厚すぎるモダン楽器でも店頭では違いが分かりません。本当のところはホールで試さないといけません。


名工だとか巨匠だとかそいいう情報とは全く関係のない楽器選びをイメージしてもらえたかと思います。


品質が高いほど音が良いということはありません。音は好みの要素が大きいからです。
実際には外見はきれいなのに、中がひどい楽器が時々あります。外観を美しく作っても思い込みの激しい職人のものもあります。いかに美しい楽器でもダメです。外見は汚くて中もひどい楽器はそれよりも多くあります。
外見が汚くて中が問題なく作ってあるものは珍しいです。音が良くて値段が安いなら合理的ですが、残念ながらそのような考えで見た目は汚く中は問題なく作られたものはまずありません。ずるい人というのは考えることが同じで、見える所だけきれいに作って後は知らないというものです。グァルネリ・デルジェスのようなオールド楽器だけです。
自分で音が判断できない人は職人の言うことも総合的に判断すると良いかもしれません。
こんにちはガリッポです。
仕事一筋で20年やってきましたが、去年はコロナの流行が始まって体調管理のため仕事はセーブして自宅で待機する時間がも多くなりました。そこでひさびさに音楽鑑賞を趣味として復活させました。
今年はワクチン接種も進んで演奏会も許されるようになりました。
こんな時世に行われた演奏会に行ってきました。今回はそんな話題です。

まずは腹ごしらえから。本格的な石焼窯のピッツァです。普通のブログやSNSみたいな写真です。普通のブログならこれでおいしかったと書けば記事は終わりです。
私が日本にいた20年前は本格的なピザは日本では珍しかったです。東京に住んでいたころは住まいの近くでイタリア人がピザ屋を始めて驚いたものです。

店はかなり古い建築物でしょう。天井がアーチになっています。洒落ています。

若いお客さんが多いせいかディスコのような音楽が大音量でちょっと興ざめです。
これが現代のヨーロッパです。

今回演奏されるのはこの建物です。これはプロテスタントの教会で向かい側のカフェバーが屋外の座席を設けています。カフェと教会の妙な組み合わせです。
コロナの影響もあって外の座席に座る人が多いです。

正面にトラックが停まって残念ですが街の中の教会です。

中は座席が木製でバルコニーの席もあります。

演奏は古楽の楽団でヴェントゥリーニ、ヴァレンティーニ、J.S.バッハなどの器楽曲が演奏されました。演奏は短めで1時間ほどで終わりました。おそらくコロナのために時間を制限したのでしょう。

バッハはクラシックファンにはおなじみですが、他の作曲家の曲はもっとバロックらしい感じがしました。古い教会に古楽器の演奏でタイムトリップをしたようです。音楽の世界に引き込まれて時代をワープしたようでした。

演奏会後は夜になって冷え込んできたので向かいのカフェバーに入って感想を言い合ったりしましたが、また店にかかっていた音楽で現代に戻ってきたような気がしました。

教会で演奏された古楽器の音はとても柔らかく暖かい物でした。金属的な鋭さは感じません。90%が演奏者という理論を言ったばかりですが、弾く場所も重要であることを再認識しました。
なかなかこのような建物は日本には少ないでしょう。宗教施設という意味では、お寺で演奏するようなものですが、お寺は響きが違い過ぎます。音響工学によって設計した現代のホールとも全く違うでしょう。基本的に教会は来る人は拒まないので入るのに遠慮はいりません。

お客さんはやはり年配の方が多く、マニアックな曲目にもかかわらず、油断していたら発売後すぐにチケットが完売寸前になっていて慌てて購入したほどで、熱心なファンがいるようです。
20代以下の人はほとんどいないようでした。
今回はコロナ対策のためかチケットはペアでのみの販売となっていました。マニアックなバロック音楽のファンが二人そろうのはなかなかのことです。
ベテランの音楽ファンならこういう音楽に行き着いているのかもしれません。
年老いてからも楽しみがあるのは良いですね。若い時にクラシック音楽に親しんでおけば一生楽しめますね。

マイクも写っていますが、今回の演奏はラジオでも放送されるようです。もちろん演奏にはマイクは通しません。あいさつや冗談をちょっと喋ったりしていましたがマイクなどは無しです。教会では昔からそんな感じだったのかもしれません。

後で話をしていたのはバッハはクラシック音楽のルーツというようなものでしょう。他の作曲家は失われた芸術という感じがしました。
私は音楽を言語に例えます。音楽はジャンルごとに独特の醍醐味があってまるで言語のように親しんでいると「わかる」という感覚が得られます。それで言うとバッハは「クラシック」の言語の音楽かなと思いました。他のバロックの作曲家は別の独特の言語のようです。バロック音楽の言語です。私の造語なのか知りませんが「音楽言語」としておきましょう。

昔言われていたのはバッハはバロック時代を代表する作曲家でバッハさえ聞けば他は取るに足らないので無視して良いとそれくらいの感じでした。しかしそれは自分の知らない音楽言語を理解しようという態度ではありません。このようなことを音楽通が言っていたのですから、ひどい物でした。今でもそのような権威主義の人はクラシック界には多いでしょう。イタリアからイギリスまで共通する「バロック音楽語」があったようです。そもそもバロック芸術はカトリック教会の政策が発端ですから当然ローマが中心地なわけです。それがヨーロッパ全土に広まったのでどこの国のものでも似たようなものです。しかし方言のような地域性もあることでしょう。

素晴らしい体験ができたので、またこのような演奏会が無いかと探していると来年の夏のモンテベルディの演奏会のチケットが完売しているのですから驚いたものです。分かっている人もたくさんいるようです。


音楽も歴史があります。歴史というのは常にそれを書いている人たちを正当化するように作られるものです。徐々に進歩して現在が頂点だと仕立て上げるわけです。それに不都合なものは削除されます。人間とはそんなものです。
バッハを「音楽の父」なんて教わった人も多いでしょう。その言い方はとても視野が狭いと気づいていないとおかしいです。それより前にも音楽があったからです。また音楽はクラシックだけではありません。それだけ19世紀ころにはクラシック音楽界は自分たちの音楽が唯一絶対のものだと信じていたのでしょう。

そんなわけで忘れられた音楽がたくさんあるわけです。

また現代では著作権という概念もあります。しかし音楽が言語であるならファンのみんなが理解していないと言語として通じません。したがって同じジャンルの音楽なら似ているのは当たり前です。メロディを主体とした音楽なら著作権も成り立ちますが、メロディがはっきりしない音楽やアドリブで演奏されるものでは著作権も何もありません。これもまた文化を狭めているように思います。
「オリジナリティが重要だ」と言うと理屈では聞こえが良いですが、誰も聞いたことが無いような音楽を作っても人気は出ないでしょう。
オリジナルという言葉も全く違う意味が混同されていて、古典をできるだけ忠実に再現することも「オリジナル(原典)な演奏」になります。


私はヴァイオリン製作でも同じことを考えています。
近代や現代の楽器を見ていると忘れられたことがたくさんあるようです。イタリアのモダン楽器を見ていてもアマティのころのものは忘れられています。1900年前後には独特の流行があっていかにもイタリアのモダン楽器という感じがします。例外的にナポリの楽器にはオールドの雰囲気が残っているものがあるということもブログでは紹介しました。むしろそれは珍しいのです。
近代~現代の偉い職人たちが自分たちを正当化するための歴史を作って来たので、歴史から多くのことが抹消されています。現代において「正しい知識」を学ぶと偏った視点になってしまうのです。

文化人類学では歴史や文化に優劣を求めず、単にそういうものだと受け入れるのが大事だと本で読んだことがあります。弦楽器の世界でそのような視点を持っている人は本当に少ないです。だから本当の古い楽器を見てもそこから何も得られないのです。

失われたオールドヴァイオリンの製法を探求するのもとても面白いです。なかなか難しいです。それだけでなく今ではモダン楽器すら忘れられています。

必ずしも性能が優れているということではありません。
探求すること自体が楽しいです。わくわくするタイムトリップです。
たくさんの楽器を弾き比べてどれが優れているかというのとは違う価値を出していきたいと思っています。





こんにちはガリッポです。

前回のお話でもだいぶヴァイオリンというのがどういうものなのか分かってもらえたかと思います。音をテストして値段を決めるようなことが行われていないのでヴァイオリンの良し悪しが値段には表されていないという事でした。良いものが欲しければ高いものを買えば良いというほど単純でないことになります。

こう言うとヴァイオリンは奥が深いなと思うかもしれませんが、むしろは奥はとても浅いのです。初めて楽器としてのヴァイオリンに興味を持った時には奥に行き過ぎてしまっています。つまりヴァイオリンは修行すれば誰にでも作ることができ、なぜかわからないけどみな音が違う、このため好みのものを探さなければいけないということです。

特別な才能を持った職人が何年も研究を重ねて極致に達するというのではなく、初めてプロのヴァイオリン製作を学ぶとそれで十分で、後は音の好みの問題です。そこから究極の美しさに仕上げようが、要所を抑えさて手を抜こうが音は好みの問題でしかないのです。演奏者は音にしか興味がないからです。

特にチェロになると、品質がヴァイオリン製作学校のレベルより劣るものが多くなります。今もちょうどイタリアのモダンチェロがありますが、ヴァイオリン製作学校の生徒が作ったかそれ以下のレベルのものです。でもイタリアのハンドメイドのモダンチェロなので最低500万円はするでしょう。チェロを作る場合には学校で教わったレベルでも採算を考えるときれいに作りすぎなのです。チェロを作る才能とは細かいことが気にならないことです。1000万円以上してもまじめに作られず学生以下のものはあります。それも楽器店で「イタリアの巨匠」として持ち上げられると、一般の人は分からないのでお金持ちは買ってしまいます。音は試してみないと何の保証もありません。

マルクノイキルヒェンの戦前のチェロも来ていました。メーカーの名前がついていて、東ドイツのマイスターの製品です。自身作のヴァイオリンとも作風に共通点がありそのマイスターの製品と言えるでしょう。でもおそらく分業で従業員などが作ったのかもしれません。
イタリアのモダンチェロなら500万円しても素人が作ったようなものだったり、200万円くらいのドイツのモダンチェロだと工場製という感じがするものです。いかに安く作るかということがチェロでは特に求められます。そうでないと産業として成り立ちません。

学校では建前の楽器製作を教えているというわけです。

つまり優れた職人とはそこそこのものを素早く作れるということで、そのような「優れた職人」によってイタリアの楽器がたくさんに日本で売られてきました。チェコやマルクノイキルヒェンでもそうでした。

私にとっては才能や情熱を使い切ることができない「つまらない仕事」です。そのように弦楽器製作は奥が浅いということを私はようやくわかってきました。

私は自分が納得するものをごく少数作るだけです。日々需要のある仕事もしてお金も稼がないと暮らしていけません。

よく考えてみれば当たり前のことで、道具はそういうものです。スマートフォンを見てもみな同じ形をしています。私からすればみな同じに見えます。ヴァイオリンも一般の人からすればみな同じに見えます。世界中の人たちが使う、現代の工業製品でも二つしかOSの方式が無いのですから、ヴァイオリンに個性が無いとしてもおかしくありません。みな同じになるというのは工業の世界では合理性があるのでしょう。



さて今回は音大の学生に弦楽器について教えている話です。
勤め先は観光地にあることもあって、工房見学のツアーも頼まれることもあるし、小学生くらいの子供たちが見学に来ることもあります。それはせいぜい1時間くらいのものですが、楽器を自分が弾いたり買ったりするわけではないので「木材は何を使っているか」とか作りかけの楽器を見せて話をすれば、得したと思って帰って行ってもらえるのです。
修行に何年もかかるものが1時間で理解できるはずがなく、ざっとした知識だけです。

それに対して地元の音大から授業を頼まれていて師匠が教えています。弦楽器を弾く音大の学生が工房に来て授業を受けるというものです。

何年か前からやっていますが、卒業生は教師として生徒に教えている人も少なくありません。楽器についての知識を未来の先生に持ってもらいたいというわけです。私はブログで同様の活動をしています。当ブログの方は熱心な人が多いと思いますのでそちらから古い知識を更新してもらいたいです。

先生は音楽の教育は受けても楽器自体についてはちゃんと教育を受けることがありません。しかし楽器の購入や扱いでも生徒にとっては重要な情報源になります。楽器の購入では先生の意見を参考にすることが多いのです。
このため日本の場合には、先生の立場のほうが楽器店よりも上になります。楽器店は先生に気に入られるように営業をして、嫌われてしまったら終わりということです。これが楽器店の営業マンの仕事です。うちでは営業職の人はいません。日本ほど営業努力は必死ではありません。その方がお客さんのためになるでしょう。
ともかく楽器のことをよくわかっていない先生に決定権があるのです。偉い先生が楽器のことはちんぷんかんぷんでも、楽器店の側は「先生の方が楽器の良し悪しを分かっている」という体裁で接しないといけません。これは悪循環です。

それに対して、こちらではお互いに専門家として対等です。
特にこれから先生になる学生には教えやすいです。とにかく若い人のほうが素直にものを学ぶことができるようです。



観光客の工房見学より時間があると言っても週に一回半年くらいの授業ではなかなか難しいです。また教えている師匠の知識も古いような感じもします。

ヴァイオリンの起原のような話から始まってガスパロ・ダ・サロ、アンドレ・アマティの名前が出て、ヤコブ・シュタイナー、ニコラ・アマティ、ストラディバリ、デルジェスまで行くと歴史の授業は終わりです。実際にはそれ以降が面白くて、実際に購入する楽器もそれ以降のものなのですが、知識はストラディバリ、デルジェスで終わってしまいます。それ以外の作者になるとマニアックすぎるのです。
その音大では古楽も教えているのでバロック楽器がどんなものなのかも教えています。現物を見せることもできますが、理解はできず知識だけのものです。


そしたら材料から楽器の作り方を一通り教えて、ニスの話になるととても難しくなりすぎます。工房にある材料を見せることもできますが、一つ一つどんなものが理解するのは無理でしょう。いくら説明しても頭に残っていはいないでしょう。
ニスは自分で作って塗ってみて初めて分かるようになります。

最後に楽器のメンテナンスについて教えます。これはとても実用的なものです。授業だということも忘れてみな熱心に取り組んでいました。自分の楽器を持ってきてメンテナンスを学びます。音大生といっても高価な楽器を持っている人はいませんでした。


これが教科書的な弦楽器の知識の内容です。
肝心なことが抜けています。楽器選びが無いです。しかし日本と違って誤った知識が広まっていないのでその必要はありません。知らない方が良いことが多すぎるのです。みなすでにコストパフォーマンスの良い楽器を持っています。
買う時は予算を決めて作者名は見ずに試奏して選ぶからです。

それでも弦楽器に起きることは様々なのですべて教えるのは難しいですね。ある時生徒のヴァイオリンの駒が割れてしまったと先生から郵便の封筒で割れた駒が送られてきました。同じものが欲しいというわけです。しかしヴァイオリンを送ってくれないと駒を作り直すことはできません。なぜなら、駒の脚を加工して表板にピッタリ合うようにすることと、弦と指板との間隔を正しくする必要があるからです。先生は自分が駒の交換をしてもらう時に少しそのような話を聞かないといけません。先生になってからでも工房に頻繁に足を運んでおくと理解度も深まってきます。先生でさえも全く何もわかっていない人が多いのです。
音楽家には木工技術的なことに興味がない人も多いですから。


当ブログではむしろ熱心な人たちが「現実」からかけ離れた知識を集めてしまっているのでそれを忘れてもらうためにいろいろな角度から話をしています。

このような実用的な楽器の理解だけではなく、趣味として楽しむ方法も考えています。オールド楽器の魅力なども伝えています。でもあくまで趣味趣向の話であって、神格化してそれ以上のものだと勘違いしないようにくぎを刺すようにしているのです。

これまでの時代に無かった弦楽器の楽しみ方を考え出しても良いでしょう。
そのような模索をやっています。


こんにちはガリッポです。


先日はとても面白い試みがありました。なじみのヴァイオリン教授の方が自身のSNSでヴァイオリンの弾き比べを掲載するため工房内でやりたいということで協力しました。

あらゆる名器を弾いたことがあるとおっしゃる教授ですが、今回は2万ユーロ(250万円)くらいまでということで10本ほど弾き比べるという企画です。その10本の候補を選ぶためにそれ以上の数を試していました。

若い学生さんも参加しました。

どの楽器がどんな音がするかということは頭から飛んでしまいました。それ以前に思い知らされることが多すぎたからです。今回はそんなお話から、ヴァイオリンがどんなものなのか知ってもらいたいです。

当ブログでは日本ではなじみの薄い弦楽器について先入観や思い込みを取っ払ってもらうためにいろいろな角度から説明しようと試みています。

今回も何から話していいかわからないほどの経験でした。

ヴァイオリンの音の良し悪しを判定できるか?

最も興味深いのはこのことでしょう。
音大教授でも楽器自体に興味を持っている人は多くなく、自分の楽器以外は手に取ることもない人が多いでしょう。その意味ではこの教授は「ヴァイオリンマニア」という例外的なケースです。

この人が、これは良いとか悪いとか順位を付けたらそれがヴァイオリンの音の順位となるでしょうか?

250万円以下くらいですから、モダン楽器が中心となります。産地はいろいろです。ご自身で借りて来たり、コレクションしているもの、うちの工房にあるものなどをいろいろ弾いていました。
見ているとわりとあれも良い、これも良いと何でも褒めているのです。
一方で未熟な人のほうが、これもダメ、あれもダメと厳しい評価をすることがあります。

これもよくあることです。「あるある」と言っても良いかもしれません。

私がよく言う「ひどくなければなんでもいい」ということの一つです。それも私が、これは量産品並の出来ではないかと思うようなものでも「これは良いね」と言っていました。音だけで楽器を評価すると、私のような職人が考えるのとは全然違う評価になります。
私が言うよりももっと「ひどくなければなんでもいい」のです。

実際に、弾いた中にはドイツのモダン楽器の偽造ラベルが貼られた量産品がありました。しかし教授は偽物だとは気づきませんでした。またフランスの作者のラベルが貼られたニセモノもありました。これは実際に音が良かったです。量産品ではないでしょうが、フランスのものではありません。

ニセモノでも音は変わらないレベルにあるのです。


他の教授の例では、「とても音が良いヴァイオリンを見つけた、絶対に保険をかけなきゃいけないから査定してくれ」と依頼がありました。とても安価なドイツの量産品で1000ユーロ(約13万円)を付けるのもためらうくらいのものでした。

教授が音だけで楽器の価値を評価すると市場価格はめちゃくちゃになります。

私がこれまでブログで紹介していたものも音が良いと言っていました。紹介しているのは十分合格レベルにあるものばかりです。私があまり気に入っていないものでも、褒めていました。
「究極の一台」を探している人にはその考え方自体が間違っていることになります。


これが別の教授になればまた別の評価になります。なので、音の良さを値段に反映させるのは無理なのです。

なぜこんなことが起きるのか考えてみる必要があります。

ヴァイオリンの音は演奏者が9割?


まず初めに感じたことは、教授がどの楽器を弾いてもその教授の音だということです。これは当たり前のことで、長く音楽活動をしていれば、私たち楽器屋よりも皆さんのほうが経験していることでしょう。
しかし、親御さんや初心者が初めて本格的なヴァイオリンを買おうとしている時には分からないことでもあります。

特にこの教授は自分の音を持っている人です。何を弾いてもこの人の音になってしまいます。
一方でヴァイオリンの方は、職人は自分なりの考えがあって音を作っているのではなく、ただ知っている方法でヴァイオリンを作っていただけです。その流派に伝わる方法でヴァイオリンを作っていただけです。
モダン楽器の時代には常識が統一されて地域による差もあまりありません。
同じものを作ろうとした結果、なぜかわからないけどみな音が違うという程度のものです。
このため、楽器の方も明らかに違う理想を目指して作られたというほどの違いはありません。

結果的に楽器の音にそこまでの差が無く、弾く人の音のほうが強く出るのです。

これがモダン楽器に対して、オールド楽器くらいになるとさすがに音に違いが出てきます。見るからに全く違うからです。それに対してモダン楽器は個体差のような音の違いがあります。

教授が弾き比べてもみな教授の音になり、大きな差も無いというのであれば順位を付けられません。言葉に表せない違いが微妙にあります。良いとか悪いとかいうのは難しいです、聞いている人の間でも意見は分かれるでしょう。
音で値段を付けるのは難しいです。
このような経験からイタリアのモダン楽器が1000万円以上しても、100万円もしないものと同じレベルだとしても全く驚きません。
ヴィヨームでも抜きんでているとは思いません。

明らかに音が違ったのは勤め先で90年代に作ったヴァイオリンです。現代の楽器だけが違う音でした。私が作ったものは古い楽器の中に馴染んでいました。つまり現代の新しい楽器の音はかなり特殊だということも言えます。100年以上経つとだいぶ渋い枯れた音になってくるのです。一方弟子の私が作り方を変えた結果、古い楽器の中に入っても違和感のないものになったのでした。

客観的な演奏?


この教授はヴァイオリンマニアではありますが、あくまで自分の趣味趣向があるということです。マニアやオタクというのはそういうものでしょう。自分のこだわりがあるものです。

したがって楽器の音を客観的に評価する「テスター」「テストプレイヤー」とは程遠いです。これについては学生さんのほうがまだ、それに近い印象を受けました。「正しい演奏法」を学んでいる最中で、より常識的な、最大公約数的な演奏です。私もヴァイオリン職人としてはじめは現代の楽器製作の常識に沿ったものを作るように教育を受けましたし、実際にそれを完全に作れるように努力していました。
それがオールド楽器をいくつも体験すると考えが変わって私の音になって来たのです。

学生さんのほうが楽器の音の違いがはっきり表れていました。

ヴァイオリン職人で自分も演奏するという人は皆、「この楽器はどんな音がするか?」ということに興味があってそんな弾き方をします。楽器の持っている音を探りさぐり弾くのです。
でも音楽家は、いつも自分が弾いているのと同じ弾き方で、初めて手にする楽器を弾きます。楽器にあわせようなんて気はありません。

だから調整でも、私たちが弾いて調整しても持ち主が弾くと全く違う音の問題が出るものです。

自分の楽器が一番音が良いという人もいます。以上の理由から当然のことです。
それ以上に西洋の人は自分に自信があり、自分に帰属するものは何でも優れていると考える(えこひいき)ことが全然違います。

客観性とは離れていきますが、人間としては幸福なのかもしれません。一方日本人は自分に自信が無く、高価なものを前にすると「うまく音が出ないのは自分が未熟だから」と考えてしまいます。それは高いだけで音が良くない楽器かもしれません。

客観的に評価するのは難しいです。それが人間です。音楽家は科学者ではありません、才能がある人ほど客観的な視点が備わっていないのが普通です。

楽器の能力を引き出す演奏

ヴァイオリンの音はみな違って、どれがどうだとか言葉にするのも難しいものです。そのうえでどれが良いのか悪いのかになると人によって全く感じ方が違ってしまいます。自分が聞いているのと他人に聞こえているのが同じ音なのかさえもわかりません。

それに対してまだ客観的なのは音量です。それさえくせ者だということはブログでも言ってきました。

私が仕上げた楽器を買った人は、単にアマチュアと言うのは失礼なくらい良く弾ける人でした。買ってすぐはいかに鳴らすかということに意識があって、数年後にメンテナンスのためにやってくると、すごい音量に驚きました。誰が聞いても「音量がある」と感じるものでした。
私の楽器でも音量が無いということはないのです。

それ以降は音量を出すということには興味を失って特別大きな音で弾いていませんでした。ゴルフでもドライバーでどれだけ飛距離を出せるかに熱中する人もいるでしょう。それに近いものがあります。一流のゴルファーが飛距離を飛ばすのは当たりまえですが、現実的に自分のスコアを改善するなら他に手があるでしょう。

それがその教授くらいになるととっくにそんな段階ではありません。高齢のヴァイオリン奏者にはよくあります。


ヴァイオリンの弾き方には、腹の底から声を出すように楽器全体を大きく使う人もいるし、指先のニュアンスで弾く人いるでしょう。楽器屋のほうがいろいろな人が弾くのを聞くことができます。

家で練習していて、小さな音で満足している人は全く楽器を使いきれていません。それで言えば楽器を大きく使える人を私は「スケールの大きなソリスト的な演奏」と言っています。

一般的には上級者ほどそのような演奏ができるはずですが、この教授は特別にそのような弾き方ではありません。しかしヴァイオリンの難曲というようなものを何でも弾きこなして教授として教えています。

この時に道具として優れているものを良いヴァイオリンと評価しているのでしょう。
我々がハンマーを手に取ったとき、何だか知らないけど使いやすいものとそうでないものがあります。材料に高級なものを使っているとか、高名な鍛冶屋が作ったとかそんなことはどうでもいいです。使いやすいかどうかだけです。偶然バランスが良かったのかもしれませんがそれが愛用品となります。
そんな感じですね。

先日もジュゼッペ・グァルネリ(フィリウスアンドレア)を弾いたそうですが、値段がバカげていると言っていました。
オールド楽器ファンの私ががっかりするコメントですが、そんなものです。
そのため私が良い楽器としてイメージするものでなくても、絶賛していました。もっと下剋上で考えるべきです。

様子を見ていると、わりと耳元ではっきりした音を求めているようです。細くて強い音のものが高評価でした。離れて聞いていると豊かには鳴りません。そうなると量産楽器でも良いんじゃないかと思うほどです。
以前にはG.B.ロジェリやヤコブ・シュタイナーを使っていました。高いアーチの楽器もそんな感じです。そんな楽器で慣れているのでそんな弾き方になったとも考えられます。今では作者不明のモダン楽器を使っています。


その意味では学生さんのほうが楽器を大きく使っていました。ソリスト的なモダン楽器のほうが合っているように思います。

この前ブログで紹介したヴァイデマンという作者のモダンヴァイオリンを購入したばかりです。自分の楽器が弾きやすいのはもちろんですが、この前弦を換えた私のヴァイオリンでも空間に響くような演奏をしていました。
聞いている分には音に豊かさがあり音のボリューム感はありました。教授も絶賛していましたが、他の楽器もみな褒めているのであてになりません。若い頃なら教授に自分の楽器が褒められたらうれしいものですが、今は真に受けないようにしています。

こんなことでも、明治時代に日本人が作ったヴァイオリンがヨーロッパの教授に絶賛されたと新聞に出れば一躍巨匠ですよ。ヨーロッパで働いていればよくあることです。ついこの前も他のコンサートマスターの人もとても美しい音で弾いていて、褒められました。

でも、私の楽器だけが優れているのではなくてたくさんの他のヴァイオリンも悪いことはありませんから。

弦を鋭い音がするパーペチュアル・カデンツァに変えてもたくさんあるモダン楽器の中に入ればまだまだ柔らかい音でした。
私はモダン楽器のほうが私の楽器や新作よりもはるかに強い音がするということを言ってきましたが、この二人の演奏者ではそのような差はありませんでした。それは弾く人の技量によるもので、楽器が勝手に鳴るというものではありません。

新作の中では暗く落ち着いた音色でも、モダン楽器の中に入れば明るく豊かな響きがあるヴァイオリンです。
楽器の音は他のヴァイオリンがどんな音がするものが周りにあるかも重要です。日本では全く違う音に感じるでしょう。
不思議なことではありますが、このような弾き比べでは私の感性や人柄が音に出ていることに疑いようがありません。

一般的な傾向として演奏者は耳元で強さを感じるものを求め、聞いている人は豊かに響くものを求めるでしょう。偉い立場になると人から意見されることも無くなり、学生は聞いてもらうという立場ですからそのような違いもあります。

しかしいずれにしてもよほどひどい楽器でない限り、演奏が上手く聞こえたり、下手に聞こえたりすることはありません。無理に高い楽器を買う必要はないように思います。


ヴァイオリンの音に格付けはできない


私がいつも言っていることは他にもあります。3者のプロの話です。
楽器商、演奏者、職人は全く違う楽器の評価をします。
今回も教授は音でニセモノには気付きませんでした。
職人が流派の仕事の特徴を見ることで分かるのです。

演奏者の中でも評価は人それぞれです。
高名なヴィオリン奏者が「ストラディバリに限る」と言った場合、その人は量産楽器から試奏して選んだのでしょうか?高級店に行けばそんな楽器は出して来ません。
ヴィヨームを試しても、音に力強さはありますが柔らかさがありません。上級者が弾くと硬さが演奏を妨げてリミットがかかっているように感じます。じゃあ、もっと高い楽器を買わないといけないのかとなります。小型のオールド楽器ならそれでも窮屈です。そうなると消去法でストラディバリです。
他に目を向ければ柔らかさのあるもっと安い楽器を見つけられるかもしれません。

一方今回の教授は窮屈な楽器を好むタイプの人ですから理屈が通らなく困ったものです。


年長の偉い演奏者が楽器のことが全く分かっていなくても、立場上、我々はなかなか説教するわけにもいきません。プライドも高く苦労した話はそれぞれの店に伝説として伝わっていることでしょう。気難しい人ばかりではありませんし、より客観的な人もいます。
当然演奏者の方でも、偉い先生に教わってちんぷんかんぷんということはあるでしょう。

今回は二人ともアマチュアの「並」の演奏者よりははるかに腕があります。それだけでも「鳴るかどうか」という楽器の選び方とは基準が変わってきます。
お店としてはお客さんが何を気に入るかはわからないものとして、いろいろなものを揃えておく必要があります。店長が良いものを選び抜いたという場合は、店長と好みが合わないときはどれもダメだということです。

我々は品質や作者名で値段を決めるのです。音は関係ありません。
選ぶのは自由です。

今回のような話は演奏者として経験が多い人の方が私よりも知っていることだと思います。偉そうに説教することではありません。
初心者や親御さんは参考にして欲しいです。

ヴァイオリン製作の修行中の人は作りの良し悪しが楽器の音を決めると思い込んでしまいます。決められた通りちゃんと作らないとダメだと指導されるからです。さらに一般の人たちは一生かかっても修行のレベルで楽器のことを勉強するのさえ難しいです。

しかし店頭でお客さんを目の当たりにしていると学んだことが間違っていることに気づきます。後輩は驚いて私に「ヴァイオリンの音って演奏者の占める割合が50%くらいじゃないの?」と聞いてきました。私はそうじゃない「演奏者が90%くらいだ」と答えました。
今回はまさにそんな体験でした。ヴァイオリンが10%ならどの弦を張っているかなんて1%以下の要素です。どんな弦を弾くかよりも誰が弾くかの方が音が違うのです。

演奏者にとっては自分自身を交換することはできないし、楽器もそう簡単に買い替えるわけにもいきません。弦だけが変更できるポイントで一喜一憂しているわけです。
我々も音を聞いてどの弦を弾いているか当てることはできません。

特に離れて聞くと余計にその違いも分からなくなります。一方で耳元での手ごたえは無視できないと思います。そのあたりが最近の記事でもあります。


最大の問題は自分の演奏をコンサートホールの最後席で聴くことができません。
このため演奏のプロでも、ヴァイオリンのテストプレイヤーとしては一流とは限りません。
職人が演奏者のことを考えるように、演奏者は聞く人のことを考えないといけません。これは忘れがちなものです。




こんにちはガリッポです。

パーペチュアル・カデンツァのヴァイオリン弦ですが、その後も別の人が試しました。
以前のチタンのテールガットに比べてカーボン系のテールガットに交換すると、音にはずっと力強さを感じるようになりました。それはカーボンが鋭い音を持っていて音の鋭さが強さに感じられたようです。音を強くしたいのであればカーボンのテールガットが良いということが言えます。柔らかくしたいならプラスチックのものが良いでしょう。チタンは明るい音がします。

私の作った楽器は現代の楽器では珍しく柔らかいきれいな音がしますが、モダン楽器のような強さはありません。
パーペチュアル・カデンツァならモダン楽器のような感じも出てきました。当然好みの問題で、柔らかい音が好きなのでという人には必要ありませんが、強さも欲しいという人には選択肢ができたと思います。音が柔らかすぎるとか、新作で寝ぼけたような音の楽器には良いかもしれません。

弦楽器というのは、音の鋭さを「音が強い」とも「耳障り」ともどちらでも評価することができます。したがって好みの問題になります。値段が高い楽器では「力強い」と評価して安い楽器では「耳障り」と評価するのはえこひいきです。同じ傾向の音です。

楽器を買う時に音の強さを求めて鋭い音のものを買うと後で耳障りだと嫌になることがよくあります。特に気になるのはE線でこれをごまかすような調整の依頼は多いです。試奏して良く鳴ると思って買った楽器ではよくあります。
あくまでごまかしているだけですからちょっとしたことでまた鋭さが出て常に調整を繰り返すというものです。柔らかい音のE線の開発に依存することになります。

一方で柔らかい高音の楽器では全体が弱い感じがします。これは構造的なものです。技術というのはそういう関係になるものです。ヴァイオリンは魔法で作られているわけではありません。

それに対してこのパーペチュアル・カデンツァには面白い可能性を感じました。あまり浸透はしないと思いますが、個人的には気になる製品です。柔らかい音の楽器にG,D,A線を張れば強さを感じることができるとともにE線は柔らかいままです。
選択の幅ができることが私にはうれしいです。






今はチェロの仕事が続きます。
チェロの問題点は値段が高いことです。量産品でもちょっとまともなものは軽く50万円は超えます。
それ以上のものとなるとハンドメイドのものですが、まじめに作ったら値段がいくらになるかわかりません。300~400万円は当たり前です。それでも他に仕事があれば喜んで作らないかもしれません。
さらに難しいのは作ったら必ず音が良いかと言うとそうでもない所です。あくまで好き嫌いの範疇にしかなりません。

60~70万円くらいのものでは満足せず90~100万円くらい出したらその分音が良いかと言えば別にそんなこともありません。30万円余分に出したことが音の良さに直結しません。
お客さんにはチェロ教師の方もたくさんいますが、我々の値段の設定に納得しない人もいるでしょう。我々は音で値段を決めているわけではないからです。新品なら製品の製造にかかっているコストを値段に反映させます。

量産品よりももうちょっと良いものが欲しいとなったとき300万円400万円では急に値段が上がりすぎます。求められているのは150~200万円くらいのゾーンです。主流なのは古い量産品で修理代に100万円くらいはかかるものです。

それに対してできることは工場で途中まで作られたものを改造することです。量産品は安く作るために隅々まできちっと作りきっていないのでそれを直してあげることでワンランク上の音を目指そうというものです。
これまでもたびたびやっています。

一方でとても雑に作られたハンドメイドの楽器も安くあります。このような中途半端なものは音が量産品以下ということがあり得ます。「ハンドメイド」という聞こえの良さだけです。実際はただの粗悪品です。粗悪品でなくても芳しくないものがあります。作者や流派でチェロのノウハウが分かっていないということもありますし、好みに合わないということもあるでしょう。作者自身も不本意な音になることもありえます。手作りなのに音がイマイチの残念なハンドメイドの楽器はよくあります。それならたくさん作られた量産品の中から音が良いものを探した方が良いかもしれません。

量産品は一般にスチューデント楽器と呼ばれハンドメイドの高級品はマスター楽器と言われます。
ヴァイオリンの場合には量産品の上級品とハンドメイドの安上がりなものは「オーケストラヴァイオリン」という言われ方をします。
このクラスのものをチェロでも目指そうというわけです。

去年からコロナでヨーロッパではロックダウンなどが行われルーマニアの製造業者たちが困っていた時がありました。情けのようなところもあっていつもとは違う業者のものを購入しました。
いつもは多く完成品を購入している業者のもので、こちらが注文すればそれに合わせて作ってくれたりもしました。
音もわかっているのでどんな改造するかもイメージしやすいのですが、今回は全くどんな音なのかわかりません。

見た目もいつもの業者はストラディバリやモンタニアーナなど決まったモデルがありますが、今回のものはなんだかわかりません。ストラディバリ的な普通のモデルでf字孔はモンタニアーナのようなものです。したがって仕上げるにしても何かの特定のモデルというよりは、モダンや現代の作者が自分のオリジナルのモデルで作ったような感じに仕上げようと思います。
見た目にはハンドメイドの楽器に近いものが無いと、手間をかけて改造するのに見合った価値がありません。見た目が量産楽器と同じなら量産楽器と同じ価値になります。

手作りに近いものにはしていきたいと思います。そうでないとワンランク上の製品になりません。音だけならもしかしたら完成品を買ってきて表板を開けて改造しても良いかもしれません。それで90~100万円程度というわけです。ただし見た目は60~70万円のものと同じです。それも提案はしたいと考えています。ハイエンド弦を張りウィットナーのプラスチックのテールピースではなく黒檀のものを使ったら100万円の値段を付けても納得できるのでしょうか?少なくとも中古品として売りに出すと60~70万円の価値の楽器になってしまいます。改造したことは他社にはわからないからです。

今回は見た目も音もワンランク上を目指します。

アーチは機械によって作られています。すでに内側がくりぬいてあるのでアーチのふくらみの形を変えるほど削ることはできません。削りすぎると板が薄くなりすぎるからです。できるのは表面のゆがみや凹凸をならすだけです。それでもハンドメイドのような「高品質感」が出ます。これは前回話した通りの内容です。


だいぶきれいな感じにはなったと思います。さほど造形センスがない職人の高品質な楽器くらいにはなったでしょう。

立体造形的には見事と言えるものではありません。アーチは真っ平らというよりはちょっと高さがあるようです。

肝心なのは音なのですが、全く見当もつきません。むしろ形はあまり変えずに表面をならすだけにとどめてこの業者の音を知りたいと思います。エッジ周辺をもっとえぐり取ったりすることもできますが音や弓への手ごたえが柔らかくなりすぎる恐れもあります。
今回は全体的に板を薄くするのではなくてエッジ付近は薄くなりすぎないようにしようと思います。エッジ付近を薄くとると板の柔軟性は相当増して柔らかい構造になります。楽器のキャパシティとしては大きくなりますが、普通このクラスの楽器を買う人にとってはスケールが大きすぎることが考えられます。試奏で楽器を選ぶと離れて聞いている方は空間に豊かに響くことが分かりますが、弾いている本人は地味な印象を受けます。

あくまで予想ですから、実際にやってみましょう。同様のことはヴァイオリンでは良いことがありませんでした。ビオラでは効果がありました。それを受けて今回はチェロでもやってみようというわけです。とはいえもともとのものよりも厚くすることはできません。ここは手を付けないというだけです。


裏板は厚めでした。外側をならすので薄くなっためそんなに削る所は多くありません。しかし随所に削り残しがありました。チェロの場合には面積が広いのでこのようにゾーンに分けて厚みをチェックしていきました。チェスのようなゲームをやっているわけではありません。量産品はここまで厳密に品質チェックはしていないでしょう。

表板はすでに厚みがそれほどなかったので最小限にしか作業はできません。

本当に表面をきれいに仕上げるだけです。それでも難しい作業ですから見違えるようになるはずです。
f字孔も丸の部分が歪んでいたので直しました。あまりやりすぎると太すぎるf字孔になってしまいます。これは幸い細めです。ストラディバリ的なモデルに似つかわしくない形ですけども、「個性的」と解釈しましょう。
個人の職人でもストラディバリをちゃんと理解していない人は多いものです。それを「マネでは無く個性だ」とウンチク言えばそんなように聞こえてしまいます。

演奏者は音にしか興味ないのでこのような作業に意味があるのか疑念もあります。しかし超高品質とまではいかなくても、そこそこ高品質感は出せるでしょう。「高品質」は才能では無く努力でできるものです。がんばります。

より実用的に考えるなら中古の量産品です。新品よりも音が強くなっていることが多いです。10年以上前に同様に白木のチェロを買ってニスを塗ったものも戻ってきて売りに出されています。かなり才能のある子が弾いていてさらに良いチェロにステップアップしました。
この時はただニスを塗っただけで改造はしていませんでした。ニスだけでもラッカーやアクリルの人工ニスに比べて音に違いがあります。才能がある子に引き込まれたチェロは良く鳴るようになっています。このためチェロの作りなどはさほど重要ではないのです。しかし新品は難しいです。半年かかって作っても「いまいち」と言われて売れなければ仕事が無駄になります。

しかしながら改造のノウハウもこの10年以上の間でどれくらい分かって来たかも試されるでしょう。それをさらに十年弾き込めばもっと良くなる可能性はあります。
こんにちはガリッポです。

この前の続報から
パーペチュアル・カデンツァのヴァイオリン弦を張ってやや明るい音だという印象を受けましたが、依然交換したチタン製のテールガットの影響もあったでしょう。そこでカーボンのものに戻してみると、明るさが落ち着いて枯れた味のある音になりました。チタンのテールガットは明るい音でした。
明るい響きが抑えられ痩せて尖った音になりました。チェロ弦でも感じたパーペチュアルらしさというのはこんな所でしょうか。柔らかいというよりは鋭い音です。


餃子を作ったりシュウマイを作ったり、今度は絵を描いてみました。

(画像をクリックすると拡大)

ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻作品の写真を描き写したのです。ベルニーニはバロックの芸術家として最も重要な人でしょう。しかしあまり一般には知られていません。カトリック教会の総本山ローマで活躍した人です。

これはダビデを彫ったもので、巨人のゴリアテに石をぶつけてやっつける少年の話です。有名なのはミケランジェロのものです。当然それを知っていて後の時代の人はそれを超えるというより困難な課題に挑戦したはずです。したがって姿勢も複雑で眉間にしわを寄せた厳しい表情で作られています。バロックらしいものです。とても少年には見えませんがもともとの石像がそうです。

この絵は10年以上前に途中まで描いてほったらしてあったものを人にあげようかと思って見つけ出したものです。あまりの出来の悪さに描き直したものです。

とくに人間は人の顔を見て個体を識別する能力を持っていて、また表情によって感情を理解できるようになっています。このため人の顔についてはとても敏感です。

人の顔を描くのはとても難しいです。胴体から描き始めて最後に顔を描こうとするとうまく描けないことが多くあります。単にリアルに描くだけならできるのですが、哀愁が漂う生活感が出てしまい古代やルネサンス、バロック彫刻のように「美しく」描くのはとても難しいものです。漫画のように誇張するのもできますが、リアルで美しく描くのはとても難しいものです。これは運のようなものでうまく行かないときは何が原因なのかわからないので初めから描き直したほうが良いかもしれません。何枚も大雑把に描いて良いものを選んだ方が良いです。
10年前はそれで力尽きていたのです。胴体のほうが未完成でした。

整形手術などがリスキーだと思うのは、美しさは他の部分との調和やバランスによって生まれるものです。例えば鼻だけを作り変えると全体とマッチしなくなってしまうかもしれません。優しく感じの良かった人がどぎつい感じになってしまうかもしれません。

それに対して胴体や手足などは努力で何とかなります。

こんなのがパッと描ければ私も才能があるということなのですが、何度も何度も描き直して苦労しました。そんなことを言うと「これで才能が無いなんて冗談じゃない」と言われてしまいました。でもフレスコ画などは壁が乾くまでの短時間で仕上げなくてはいけないので早く描かないといけません。また何かを写すのではなく自分で創造するとなるとはるかに難しいものです。
比べる相手が高すぎるのかもしれません。

このような能力が無くてもヴァイオリンを作ることはできます。しかしその人の造形センスを表すにはこのようなデッサンというのが分かりやすいでしょう。
ストラディバリならハープに彫刻を彫ったり、チェロの横板に装飾を描いていたりしますので当然このような能力はあったはずです。アンドレア・アマティの楽器には絵が描かれています。本人が描いたかはわかりません。チェンバロにも絵が描かれるのは普通でした。したがって絵を描くのは美的なものを作るうえでは基本的な能力です。しかしそうでなくても音が良い楽器は作れます。このため必須とは言えません。むしろそのような能力があっても発揮しきれないのが弦楽器製作です。楽器は道具であって芸術作品ではないからです。

ヴァイオリン職人を目指す人には弦楽器を習ってきて演奏ではものにならなかったので何か関連する職業は無いかと入ってくる人が多いです。全く絵を描いたりする能力が無い人が多くいます。一方で職人として見事な仕事をする人は絵くらい当たり前のように描きます。描く絵は芸術とは限りませんが・・・。

造形センスと仕上げの完璧さ


私は当ブログでもたびたび「造形センス」がどうだとか書いています。楽器を見たときにその作者に造形センスがあるかどうかを感じ取るのです。造形センスが無ければ高い値段がついていようが巨匠とされ有名になっていたとしても作った人は別に天才でも何でもなく、普通の楽器だということが分かります。値段が1000万円以上しても私には「並の楽器」であることが分かります。もし音が良いなら工芸品として魅力的なものではなく機能的に優れたものだということです。
たくさんの人たちがヴァイオリンを作ってきて、音はなぜかみな違います。音が良い楽器を求めるなら、天才的な作者を探すよりも、たくさんある楽器を試奏してなぜかわからないけども音が良いもの、個人的に気に入るものを探すほうが合理的でしょう。

造形センスは物の形をつかむ力、すなわち「デッサン力」と言えるでしょう。


これに対して加工の正確さや仕上げの完璧さがあります。造形センスとは必ずしも一致せず、まじめに修行して楽器を作れば努力によってできるもので才能は必要ありません。このようにして作られたものを私は「高品質」と説明しています。才能は無くてもまじめに作れば高品質な楽器ができるというわけです。

この時に、あまりにも造形センスが無いと非常におかしなものができます。先ほどの絵なら、手足や胴体の大きさのバランスがおかしければ、表面の陰影のグラデーションなどがいかにきれいに仕上げられていてもおかしなものです。こうやって見るとまだおかしな感じもしますが、これは相当直しを入れました。
仕上げは完璧なのに形が取れてない人のものは凡人が努力して作ったものだとわかります。
絵画でも昔は世襲制で職業選択の自由がありませんでした。絵の才能が無くても画家として職業を全うすることができました。そのような絵はヨーロッパの地方の美術館や教会に行くとたくさんあってきれいに描かれています。しかし才能が無いことはすぐにわかります。このようなタイプの親方はむしろ多数派で師匠として偉そうしているものです。才能にあふれた人のほうが少数派でマイノリティです。それでも強く訴えたいものがあると伝わるものです。災害や伝染病の教訓を伝える絵などはまさにそうです。カッコつけたいだけの絵とは違います。


現代の楽器製作では欠点のない完璧さが求められる反面、個人の感性が表面に出ないように作られたものが多いです。偉そうにしたい職人が才能が無いことがバレないように作ってあるようです。格好つけているのはすぐにわかります。弟子が作っている楽器を見ると欠点を指摘してダメ出しするのです。寸法を測って不正確なら怒られます。
立体物を作ろうというはっきりした意図が無く、おかしさが出ないように無難に作って表面をきれいに仕上げてあるというものです。そうやって作られたものでも高品質な楽器と言えるでしょう。このようなものも作られた楽器の中では珍しいもので見れば「お!」と注目するものです。さすが偉い師匠だと。


オールド楽器が面白いのは隠そうとか、ごまかそうというのが無くて素直に作ってあるところです。私もケチを付けられるのを恐れて空気を読んでしまいます。才能がある人はものすごく才能が出てるし、無い人は呆れるほどヘタクソさを隠していません。味わいがあるのです。


量産楽器には当然、造形センスを感じません。
品質管理をいかに厳密にしても、表面的なものです。
しかし品質管理をしっかりやれば先ほどの「偉い師匠」のものと変わらないものができます。

特に安価な量産品ほど品質をチェックするポイントだけそのように作って、チェックしにくいポイントは無頓着なものです。自分は完璧だと思っている「偉い職人」でも見逃しているところがあるものです。


造形センスが無ければいかに有名な作者でも、偉い師匠でも私は凡人の楽器だとわかります。一方、無名な作者の場合にはまじめに頑張って作ったなと印象を受けます。私は有名な作者、値段が高い作者ほど厳しい見方をしてしまいます。


古代ギリシャの神殿はそれが美しく見えるようにち密な計算がされていることは有名です。面白いのはダ・ビンチなどは人体の各部分の大きさの割合を数学的に理解したのに対して、ミケランジェロは感覚的です。ミケランジェロの絵は身体のバランスが滅茶苦茶です。それでも圧倒される迫力があります。その直後の時代の人はミケランジェロに習ってあえて身体バランスをおかしく描くのが良いと考えられたほどです。

だからそんなに厳密に考えなくても良いということでしょう。
ストラディバリも近代の楽器のような完璧さはありません。

感性と音?


人が描いた絵を見ても上手いか下手かしか感想が出ないのは残念です。
その人の感性が現れるからです。

人によっては殺気立った恐ろしさを感じることがあります。私の場合には力強さというよりは繊細な優美さが出てると思います。バロックの彫刻なのにルネサンスのボッティチェリのようです。
またあやふやなところが無く、雰囲気で見せる「絵画的な」表現ではなく物の形を正確にはっきりと描いているのは職人の目がなせる業です。

一般にデッサンと言えばもっと汚らしいものです。立体感をいかにつかむかが重要な課題だからです。私は白い大理石のように見えないといけないというこだわりがあります。色の濃さは鉛筆という画材の限界もありますが、白いものを描いている以上は黒く汚くなってはいけません。そもそも、古代ギリシャ以来の西洋の美意識も日本人には無いものです。ただ描くのではなくて、美しさに感動して描かないといけません。


なぜ優美なものを描くかと言えば、そうでないと、気になってしょうがないからでしょう。人よりもいろいろなことが気になります。これは楽器を作っていても同じです。作業をしている中でいろいろなことに気づきます。削って物を作っていくので不自然なところがあると取り除いていくのです。またわずかな量感でも削りすぎないように注意が必要です。
これに気づかない人はそのままです。そもそも荒く削っていく段階から違います。定規で測れるところだけ正確に作って満足する人もいます。

このような違いが音に現れるかどうかは分かりません。
でもそれ以外考えようがないのです。

同じ工房で同じ設計に従って、同じストックの木材を使い、同じニスを使っても人によって音が違ってきます。特に理由がわからないのは鋭い音がする場合と柔らかい音がする場合です。
普通は、職場なら採用の基準があって誰でも入社するというわけにはいかないのですでに偏りはあります。それに対して工房に出入りして趣味で作ったおじさんのヴァイオリンは2台ともとても鋭い音になりました。

作り方がマニュアル化され正確に加工できる弟子であれば工房内で作られたものは似たような音になります。それでも多少違いはあります。
技術が不正確な場合にはどうなるか全くわかりません。下手くそな職人の楽器のほうが一か八かです。腕の良い師匠や兄弟弟子よりも音が良いかもしれません。


私がこのような絵を描きますが、音もこのイメージとぴったりと一致しています。
やかましいにぎやかな音ではなく、きめ細やかできれいな音がします。


別のことも考えられます。
人柄が絵に出るとしたらどうでしょう。

そうなると人柄が音に出るということになります。
これについてははっきりした答えは分かりません。
技術者としては否定したいです。
技術的に考えると音響現象に作った人の人柄が現れるメカニズムがないからです。
どちらかと言うと音楽家のほうが考える理屈でしょう。

私が気にいらない所をすべて納得がいくように仕上げると私の音になっていくのでしょう。

だとすれば高圧的なカリスマ職人の楽器の音が嫌いという人がいてもおかしくありません。私もまったくカリスマ性が無いという事でもないでしょうが、優美なものが分かる人には分かるかもしれません。




こんにちはガリッポです。


餃子に続いてシュウマイづくりに挑戦しました。これもなかなか難しく5回作ってようやくそれっぽいものができるようになりました。

とはいえ、日本の中華料理屋でも注文した記憶がありません。正解が分かりません。
崎陽軒のシウマイ弁当くらいしかイメージがありません。
東京から新幹線に乗るときはわりと買います。
出来立てはフワッとしていて冷えると硬くなります、にかわと同じです。

まずはチェロの弦から

ラーセンのイル・カノーネです。
うちで販売する新品の量産チェロ(ルーマニア製)に張ってみました。バージョンは「DIRECT&FOCUSED」です。

明るく音がポーンと外に出てくる感じがします。金属的な嫌な音は無く柔らかいものです。
それが弦の音なのかチェロの音なのかわかりません。しかし嫌な部分は無かったので問題のある製品ではないでしょう。

金属的な音がしないのでスチール弦のような感じがしません。楽器に音がへばりついているようではなくて開放的に音が出ます。

かつてはラーセンのA,D線とトマスティク・スピルコアのG,C線を使うのが流行しました。
前の製品マグナコアではスピルコアに変わる製品として昔のスチール弦の金属的な音をあえて持たせていたのでしょう。楽器によってはバタバタ変な振動が出ることがあります。

イル・カノーネでは古いスチール弦は意識せず最新の理想を追求した製品のようです。

ピラストロのエヴァピラッチゴールドも明るく柔らかい音です。エヴァピラッチゴールドのほうがフワッと豊かな響きがあるようで、イル・カノーネが能書きの通りならもっとはっきりした音でしょう。いずれにしても柔らかい音であることには変わりません。

もう一つ別のWARM&BROADというバージョンがあります。こちらは試していませんがさらに柔らかく暖かみのある音でしょう。
これがピラストロのパーペチュアルとはだいぶ性格が違うかもしれません。パーペチュアルは筋肉質な尖った音で鋭さがあります。
それに対して全体的に柔らかいのかもしれません。やかましすぎるチェロには良いかもしれません。またA線が鋭すぎる場合も期待できます。

またとにかく柔らかい音が好きという人にも良いでしょう。金属的な音を敏感に感じすぎる繊細な人もいるでしょうから。


ヴァイオリン用のパーペチュアルのカデンツァです。この前紹介しましたが現物が届きました。

オリジナルのパーペチュアルに比べて減の張力が弱めに設定されています。よくあるようなミディアム、ソフトのようなものではなくかなり違います。ピラストロのナイロン弦ではトップクラスの張力の強さを誇ったパーペチュアルに対して、初心者用のヴィオリーノに近いくらい弱めの張力になっています。

私が2010年に作ったヴァイオリンに張ってみました。チェロで問題だったのは同じ楽器でテストしないと弦の音が分からないです。この楽器はテストに使うために手元に残しています。
弾いてみるとまずパーペチュアルのキャラクターがあることが分かります。刺激的な音が含まれていて音の強さを感じるものです。ただし、ノーマルでは弓が弦をつかむグリップ力がありすぎてギャーッと音が出る感じがありましたが、だいぶマイルドになっています。新品で弦に松脂がついていないので最初は強く感じても馴染むでしょう。
マイルドになったとはいえ、耳元では音が強く感じます。私の楽器はホールではよく響きますが耳元では弱いということもありますので合っていると言えます。
他の人が弾いているのを聞いても、キャラクターとしての力強さがあるので音量は十分にあると思います。気持ち良く鳴らせると思います。

音色はオブリガートほど深みのあるものではなく明るさは中間くらいでしょうか。ドミナントPROのほうが味があるように思います。
したがって音色を変えるというよりも、正統派の弦と言えるかもしれません。

張力の低さが響きの豊かさを生み出し明るさが出ているのかもしれません。

「柔よく剛を制す」といった感じで弱い張力にもかかわらず音量がある感じがします。力で無理やり鳴らそうとしてもうまくいくとは限りません。弱い張力のほうが機能する楽器や演奏者もあるということです。
そんな印象です。

このため楽器がもともと魅力的な音色を持っていて柔らかすぎるのなら良いと思います。もちろん弾きこなせるならノーマルのパーペチュアルでも良いですけども。
やかましくて鋭い音の楽器にはどうかと思います。
かなりくたびれて元気が無いオールド楽器にも良いと思いますし、新作楽器でモダン楽器に比べて音に芯が無く弱くきれいすぎる音に感じるなら面白いと思います。

なにがなんでも強い音を求める人も良いかもしれませんが、それならさらに強いテンションのノーマルバージョンがあります。A線にはスチールもあってさらに強い張力です。

ちなみにこれは私がデザインしたモデルです。アマティとストラディバリの間という感じですが、全長は短めなのに幅はゆったりと取ってあり窮屈になっていません。それできれいな丸みを持たせるのには苦労しました。
四角いストラディバリモデルとははっきり違いがありますが、アマティの濃いキャラクターはありません。
整い過ぎているという点で現代的な感じもします。

スクロールはアマティのものをベースにしています。繊細な丸みがあります。

渦巻は前から見るとストラディバリのようなピシッと堂々とした感じがあります。ペグボックスはアマティのようです。
軽いアンティーク塗装でモダン楽器のような雰囲気もあります。フルバーニッシュでベタ塗するよりも変化がある方が面白みがあります。
私が何かのオールド楽器のコピーではなく、新作として自分のモデルで作ったヴァイオリンは珍しいものです。
コピーじゃなくてもヴァイオリンは作れるんですよ。

ペグなどの付属品にはタマリンドという木材を使っています。テールガットにはチタン製のものを使っています。もともと柔らかい音の楽器でしたが、強さも出てきました。
この辺りは好みの問題です。

多くの人に好まれる方向になったとは思います。一方個性的な音ではなくなってきています。テールガットをカーボンに戻そうかな…。

このような感じだとお客さんに薦めることもあるかもしれません。他の楽器でも様子を見れば弦の特性がより分かって来るでしょう。
いずれにしても弓を通じて指先の感覚となるものです。自分の楽器で試さないと最終的には分かりません。


追記
テールガットをチタンのものからカーボンに戻しました。
明るかった音がいくらか落ち着いて枯れた渋い音が出てきました。音はやせて尖った感じになりました。