ラーセンのチェロ弦イル・カノーネの続報と中級品チェロのその2 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです

新しいラーセンの製品でイル・カノーネのチェロ弦があります。以前は「DIRECT&FOCUSED」(以下D&F)の方を紹介しました。「WARM&BROAD」(以下W&B)も試してみました。
2台の同じメーカーの量産チェロに張って弾き比べてみました。同じチェロではないのですべてが弦のせいということではありませんがW&Bの方はかなり柔らかい音でした。微妙に違うバージョンというよりも別の製品のようです。スチールのチェロ弦では最も柔らかい音のものかもしれません。ピラストロのエヴァピラッチゴールドともに金属的で嫌な音のするチェロには頼りになる存在です。一番柔らかくしたいならラーセンのこの製品が良いかもしれません。
ただし、もともと普通の音のチェロでは柔らかすぎると感じるかもしれません。
チェロでは手ごたえがあまりにもないと反応が鈍く感じられます。

もう一方のD&Fはそれに比べると尖った角のある音です。音色が明るいということもありません。どちらもヨーロッパの人が好むような音で、特にヨーロッパ外向けに自分たちの感覚とは違うものをあえて作ったという感じではありません。普通はD&Fの方で良いと思います。特別耳障りなチェロではW&Bを使うこともできます。

前作のマグナコアのほうがトマスティクのスピルコアのような昔のスチール弦のような金属的な鋭さのある音なので、D&Fのバージョンでも十分に柔らかさがあり嫌な鋭い音は皆無です。オリジナルのラーセンの進化版として新しい境地に達したと考えて良いでしょう。

ラーセンで問題なのは寿命の短さです。もともとそのような設計になっているので張ってすぐにコンサートに出られる柔らかさがある反面、特にA線は次第に金属的な嫌な音になってきます。プロの人では数十日で変える必要がありますし、アマチュアでも1年くらいすると嫌な音になっているかもしれません。
それでも耳障りなチェロならW&Bが切り札になるかもしれません。他に無ければ寿命など言ってられません。耳障りな音のチェロは買わないように気を付けた方が良いです。

選択肢が豊富になって来たのは良いことでもありますが、値段も高いのですべて試すのは難しいのが困ったものです。弦メーカーはオンラインショップのような大量に販売する業者に安く卸してきたので我々のような弦楽器店は価格で太刀打ちできません。

一方オンラインショップの商品説明を見てもカタログの文言が写されているだけで何を買っていいか分からないでしょう。新製品は不安なので今まで使ってるのと同じものをいかに安く買うかになってきます。
かつては弦楽器店には新製品サンプルを送ってきてくれてテストすることができましたが最近は送ってくれなくなりました。

この結果新製品の浸透は難しくなったと思います。
我々がテストして好結果ならお客さんにも薦めます。その結果や感想を他のお客さんにも役立てます。今はそれが機能しなくなってきました。
新製品が出るとマニアがネットでパパッと買ってそれで需要が一巡して終わりになってしまいます。

そんなこともあってかちょっとはメーカーが業務をグローバル化・システム化して大量販売をするのではなく、小規模な弦楽器店にも融通を聞かせてくれるようになって来たかなあというメーカーもあります。どうなんでしょうね。

日本の楽器店では新製品をやたら絶賛して売り上げのために買い替えを促そうとする印象が強いです。しかし演奏者や楽器と相性の良い弦を見つけることが本来するべきことです。

チェロ弦は製品の数が少なかったのでキャラクターを把握できますが、ヴァイオリンはあまりにも種類が多すぎる上に、どれもそんなに悪くなく微妙すぎて個人の感じ方の差の方が大きいので難しいです。チェロ弦に比べると値段も安く寿命も短いので試してみるしかありません。そのメーカーの中級品を使い比べて好きなメーカーを見つけてさらにそのメーカーの高級品も試してみるのも手です。


チェロのニスを塗る設備を構築



勤め先の会社では何年か前に工房内を改装しました。まだ完成していないのがニスを塗るスペースです。かつては小部屋をニス室にしていましたが業務が多くなって来ると工房内が次第に手狭になり改装ではニス室を無くしてしまいました。ニスの仕事の多くを担当している私としてはひどい話です。
また火災防止の法律のために高温で加熱して作るニスを製造するのも難しくなってきました。オイルニスはもうできないんじゃないかという状況になってきました。

師匠は興味もないようなので「オイルニスが無いなら、アルコールニスを塗れば?」となりそうです。私が一人で開発してオイルニスが使えるようなったのですが、オイルニスとの違いが分かっていない師匠は、オイルニスが使えなければ昔のアルコールニスに戻るだけです。アルコールニスでチェロを塗るのははっきり言って地獄です。生産コストもべらぼうに増えます。

自分の工房なのに考えもなくニスを塗る設備を無くした師匠は何もやってくれないので私がやるしかありません。

工房から徒歩5分くらいのところに地下室を格安で借りていて倉庫になっています。しかし地下室は湿度が高すぎて楽器や木材を保管するには向いていません。結局使われていないのでそこをニス室にすることにしました。毎日利用すれば換気もできますし、ニスを塗っている期間は小窓を開けっ放しにもできます。地下室でも窓のところは溝が彫ってあって光や空気が入ります。人が入れないほどの小窓は常時開けていられますし、一つだけのまともな窓も柵がついていて防犯上問題ないでしょう。セントラルヒーティングの暖房もちゃんとついていてただでさえ地面の中にあるので保温効果は抜群です。暖房を使えば空気が乾燥して湿気も減らせるはずです。

一般的にこちらでは地下室を作るのが普通で「日本では地下室は無い」と言うと、そんな家は想像もできないと言われました。ワインを保管するワインセラーが家にあるのが当たり前です。日本では温暖化以前から水害が多くて湿度も高いので床を地面より高く作るのが常識です。

これを作業場にするというのも欧米ではよくあることです。アメリカでは特に一般的なようです。私が東京で暮らしていたころ両親がアメリカに住んでいたことがあるので地下室があって洗濯機と乾燥機が置いてありました。

ガレージや地下室は作業場として使われることも多いでしょう。自宅にそのようなスペースがあることはうらやましいですね。今なら職人もテレワークができます。
IT企業の創業者などもガレージから始めたなんて逸話はよく聞きます。同じような起業家は東京からは出ないでしょう。
逆に言うと製品や技術者の質が悪く企業のサービスも悪いため、自分でいろいろなものを直さないと暮らしていけないのです。典型的な「お父さん」は家の設備を直すのも仕事です。お父さん同士で情報や道具を貸し借りするのも当たり前です。ホームセンターなども品ぞろえが日本とはだいぶ違います。労働時間が短い分だけ余暇の時間に作業をしないといけないのです。


オイルニスを乾かすには太陽光が必要でその点については地下室は最悪です。このため人工的な紫外線のライトを使います。しばらくの間、設備を作っていました。いつもの楽器製作とは全く違いDIYの世界です。市販されておらず以前に見たことが無いものを作るわけですから創造力が必要です。私の先輩が15年くらい前にUVライトを取り付けた戸棚を作ったのですが実際に使ってみると欠点も多く、地下室の入り口から入りません。そこで改良版を作るというわけです。

問題点の一つはUV-Cを発生するライトが取り付けられていました。
実際にやってみてもニスが全く乾きません。そこでUV-Aを発生するライトに交換しました。そうするとニスが完全に乾いたのです。
先輩は職人仲間から情報を仕入れてわざわざ入手が困難なUV-Cライトを購入し使えないものを作っていたのでした。職人の世界の典型的な例です。我々の間で共有されている知識はだれもやったことが無いものが多いのです。知識やウンチクにはくれぐれもお気を付けください。

よく考えてみれば当たり前で、太陽光で乾くのだから太陽光を再現すれば良いはずです。それが24時間季節や天候に関係なく照射できれば十分です。それをほとんど地表には届いていないUV-Cを照射しても太陽光の代わりにはなりません。

UV-Cは人体にとても危険なので光が漏れないようにするためにしっかりとした戸棚を作ったのです。UV-Aのライトに交換してもライトが熱を持つため密閉された庫内の温度が上昇してしまいます。この時湿度が下がり乾燥してしまうので板の割れなどの原因になります。オイルニスは乾くときに縮むので余計にひびが入りやすくなります。このため湿度が高めの地下室に目を付けたのです。UV-Aなら危険性も少なく光が漏れないように密閉しなくても良いはずで人気のない地下室なら一晩中つけていても誰も気づかないでしょう。埃もたちません。外したUV-Cライトを付ければウィルス完全殺菌のテレワーク室ができます。地下牢のような雰囲気ではありますが。

また旧システムではライトの設置個所が十分ではなく光が当たらない所がありました。そこだけ乾燥しません。追加でライトを増やす必要があります。これが自然光なら回り込むもので影になっている所でも乾くのです。やはり太陽光は偉大です。逆に言うと紫外線は思っているよりも広く部屋の中にも入っているということです。


新たに紫外線ライトのシステムを構築するわけですが、厄介なのは時代が蛍光灯からLEDに変わっているという点です。紫外線ライトは蛍光灯ととして作られていました。ヨーロッパのメーカーのものでも「Made in Japan」と書いてありおそらく日本のメーカーが作ったものをOEMとして売っていたのだと思います。今ではLEDを買おうとすればみな中国製です。LEDの照明には3年保証と書いてあっても1か月で切れたりします。安く買った中国製のものはどんどん切れていきます。ヨーロッパの大手メーカーのロゴがついていても中国製で同じです。
照明業者向けならべらぼうな値段でとりあえず切れないものが手に入るでしょう。しかし目的に合ったものとなるとマニアックで業者に頼めばいつできるかわかりません。全く職人とは違う「人種」のハイテクビジネスをやっている人に求めているものを説明するだけでも骨が折れるでしょう。

もう一つの問題はLEDの場合発生する光の波長の幅がものすごく狭いことです。これは性能としてはピンポイントで波長を設計できるので良いのでしょうが、私の場合には太陽光を再現するのが目的です。実験が必要でどの波長がニスに適しているのか分からないです。蛍光灯タイプは発生する光の波長が大雑把なのでよくわからないけども機能しています。
植物の人工栽培、植物工場で使うようなものがおそらく適しているのではないかと思います。これも実験が必要です。「オイルニス用」として作られているものが無いため研究が必要です。一般向けに市販されているものは波長の違う小さなLED発光体をいくつか組み合わせて取り付けてあるだけのようです。結局特定の波長の光しかないということです。それなら波長ごとに部品だけを入手して電子工作でライトを作ることもできるでしょう。ただしその手のものは中国製ですぐにつかなくなってしまいます。


そんな暇はないし紫外線の蛍光灯はすでにあるので蛍光灯を取り付けるソケットのついた器具を買うのが一番安く上がります。ホームセンターで一本10ユーロ(1300円)ですから4本買えば良いだけです。年々LEDタイプに押されて売り場が小さくなってきていますから今やらないと買えなくなってしまうでしょう。普通は天井に付けるものでコンセントがついていないので電源コードを自分て取り付けました。チェロにまんべんなく光が当たるために取り付けるスタンドを廃材で自作すれば良いだけです。業者に頼まなくてもDIYもできてヴァイオリン職人は便利です。


それからニスを加熱して作る場所も困ったところです。
油を加熱するので天ぷらを作るようなものですが、室内でやれば匂いもひどいし火事の時のような有毒な煙も出ます。換気扇も職場には無いし中庭も店舗からは遠くてやりにくいです。以前は店の前が歩道で場所が無かったのが広場に改装されたので外でやっても十分なスペースがあります。隣のレストランはそこに座席を設けて営業しています。これも初めての試みでした。

ヴァイオリンやビオラくらいなら工房内の空いたスペースでやれていましたが、チェロになると専用の設備が必要です。


おそらくチェコのボヘミアの職人などは地下室などを工房として自宅で、かなりの早さで楽器を作っていたのだと思います。したがって弦楽器店でもないし工場でも無いのです。お客さんとはやり取りはほとんど無く製造したものは卸すだけで名前もついていないものがたくさん作られました。これはドイツのブーベンロイトでも量産品とハンドメイドの間くらいのものがあります。工場ではなく一人かせいぜい数人でせっせと楽器を作っていたのです。一方大都市では店として営業する傍ら工房で職人が作業するという形だったでしょう。いろいろな形式があります。

地下室を改装しているとそんなイメージがわいてくるものです。
殺風景で牢獄のようでもあります。時計が無かったら何時かもわからず頭がおかしくなりそうでもあります。

実際にニスを塗ってみて、乾き方を検証して再調整が必要でしょう。ニスの作業をしている中で問題点を探していく必要があります。今のところは仮のバージョンを作っているだけです。
職人にはいろいろな能力が求められます。