戦時中のフランスのヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

板の厚みを測定する器具の具合が悪くて混乱しています。マグネットを使うアナログ式で不正確なのです。
今はデジタル式のものもあります。値段は異常に高く厚みを表示するディスプレイがついていないのでスマホなどを使う必要があります。私たちの使う工具類はほとんど一生ものですから、10年後には使えなくなる物に4万円も出す気にはなれません。

何とか自己流で調整して今のところはアナログ式でいけそうです。



弦などは音を調整する目的でも使えます。弦にはそれぞれ振動の癖があるので、特定の音が弱かったり、強かったりする振動を楽器に伝えることで音の性格を変えようということです。

一つの例としては私が自分の楽器に施しているものです。以前も紹介しましたが、ピラストロ社の一番新しいヴァイオリン弦はパーペチュアルの「カデンツァ」といバージョンです。パーペチュアルは刺激的な鋭い音が強調されるので、音が柔らかすぎる楽器には手ごたえをもたらします。
うちではお客さんは古い楽器や量産品を使っている人が多く、そもそも荒々しい音を穏やかにしたいというニーズが大きいのでうちではあまり必要のない方向性です。

ところが日本ではおそらく新作楽器を使っている人が多いと思うので参考になるかもしれません。

ノーマルでも同様の効果がありますが、カデンツァの良い所は弦の張力が弱いせいか、腕に自信がない人でも音が潰れたり上ずったりしにくいかと思います。弱めの張力のほうがかえって楽器がうまく機能することもあります。

G,D,Aにパーペチュアル・カデンツァ、E線にはピラストロ共通の「No.1」を張っていました。No.1はとても柔らかい音のもので耳障りな音の楽器が多いこちらでは多くのユーザーに評判が良いものです。

以前にも言いましたが、珍しいと感じたのは低音は力強いのに高音が柔らかいことです。一般的に弦楽器は低音には力強さが足りず、高音は柔らかさが足りないものです。
また低音が力強いものは高音が耳障りで、高音が柔らかいものは全体的に音が弱いです。

私の楽器も高音が柔らかいので全体的に刺激が少ない音です。それはそれで繊細で好きな人もいますが、パワフルと感じにくいです。
パーペチュアルのG,D,Aを張るとその点が改善されますがNo.1のE線はとても柔らかいという落差がありました。
低音から引いてくるとE線で急に弱くなるのです。
そこでパーペチュアルのセットのE線を使ってみました。そうすると4弦の音に一体感が出て違和感が無くなりはっきりとしたE線の音になりました。

ピラストロではE線は他の3弦とは別の素材で作られていることもあって、開発は別なのです。セットとしては売られていてパッケージには銘柄のデザインがほどこされていても中身がほかのものと同じだったりします。
だからE線だけでいくつかの種類があれば良いと思います。
しかしセットで卸すほうが安くなるので必ずセットで売られているでしょう。


うちではカプラン(ダダリオ社)のゴールデン・スパイラル・ソロのヘビーテンションをよく使っています。それに変えるとより強さが出るとともに柔らかさもありのびのびとしてオールドの名器で感じるようなミラクル感が出てきました。地に着いた現実のような音ではなく、高音だけに天に昇るような音です。
他の3弦にも影響があり全体的に澄んだクリアーな音になりました。良いか悪いかは微妙です。

このように下の3本を選んでからE線を好みに合わせて詰めていくのがセオリーでしょう。



今度はチェロの話です。
うちでは珍しくガット弦を張っている教師の方がいます。ピラストロのオイドクサで、昔からずっと使っていて太さまで指定するほどのこだわりです。かつてはスチール弦はとても耳障りで高級弦はガットという時代がありました。
現在では99.9%の人がスチール弦を使っているでしょう。

低音のGとCはガット弦では角の丸い柔らかい音がします。しかしA線になるとひきつったような刺激的な音で決して柔らかい音ではありません。バロック楽器の裸のガット弦ではもっと顕著になります。
かつてジャラジャラした音のチェンバロが済んだ音のピアノに変わったように今ではスチールのA線のほうがクリアーな音になっています。

今ではガット弦が柔らかく、スチール弦が鋭い音とは言えません。
ガット弦のおもしろさは刺激的な音も含めて多彩な響きが混ざっている所でしょうね。合成繊維(ナイロン)でもガットよりも澄んだ音のように思います。

スチール弦が柔らかい音の方にどんどん開発されてきていてガット弦よりも柔らかい音になっています。ピラストロでもガット弦の魅力を現代の人にも使いやすいようにとパッシオーネというものが開発されました。ヴァイオリン用はガットでA,D,Gが作られましたが、チェロ用ではGとCだけがガットでAとDはスチールになっています。もちろん開発の段階ではすべての弦でガットを試したはずです。製品化したものはスチールのA、Dになっています。

全体としてはチェンバロからピアノに音が変化したその流れが続いているのだと思います。クリアーで澄んだ音も単調でつまらないというとらえ方もできます。作曲家の生きていた時代にはガット弦だったのでガット弦のほうが作曲家の意志を反映させられると考えることもできます。古楽器演奏のスペシャリストも多くなりました。私が面白いと思うのはモダンや戦前まで裸のガット弦が使われていたことです。バロックではなくロマン派や現代の時代にガット弦が使われていたことです。
金属巻のガット弦も戦前にはすでにあったようです。当時としてはハイテク弦という感じだったでしょう。今では伝統的な弦ですが作曲家の生きていた時代は無かったものですから、それが正しいと理屈で言うことはできません。趣味趣向とすればそれもありです。
スチール弦も戦前にはすでにありました。シルクなど他の素材もあったようです。

プロの人たちは仕事として楽器を弾くので個人的には好きでも業務用としてはガット弦は問題があって使用を断念している人もいます。


20世紀のフランスのヴァイオリン



前回も出てきたこのヴァイオリンですが、ミルクールのものとして紹介しました。

仕事はとても美しいもので、品質の高い楽器の例として紹介しました。
とはいえニスの感じも19世紀のフランスの名器というよりはミルクールの感じがします。このような明るいオレンジ色のニスはミルクールだけでなく20世紀にはよく使われるようになったと思います。

作者はルネ・バイイでルネという人物は記録が見つかりません。バイイ家自体はミルクールの流派のヴァイオリン職人でフランスの一流の作者です。
この楽器は1942年に作られたもので現代の教科書通りの見事なものです。

写真では平面のみですがアーチもきれいに立体的に作られています。したがってプレスのようなミルクールのものとは全く違います。

仕事は丁寧な感じです。

コーナーの角が丸くなっていますが、グズグズではなくきちんと作られていることが分かります。ニスもムラが無く均一に塗るのは難しいものです。先日も安価な楽器を買うためにメーカーの営業の方がたくさん楽器を持ってきましたが、どれも全くリアリティのないアンティーク塗装で普通に新品として作られたものの方が魅力的だと思いました。しかしスプレーを使った量産品はいかにも安物という感じがしてしまいます。手塗りできれいに塗られているものは逆に珍しいです。

スクロールにもフランスやミルクール独特の雰囲気があると思います。
カチッとした感じがします。
量産品ではもう少し急いで作った感じがありますから、立派なものです。


前回も話したことですが、ドイツの量産品とは違いきちっとしています。全体的にピシっとした感じがあります。

ニスの色などはミルクールの感じがありますが、量産品ではなく作者のハンドメイドの作品と考えて良いでしょう。

1942年といえば戦時中です。楽器を見る限りでは影響は感じられません。

気になる音は?

外観は量産品とは明らかに品質が違う美しい楽器です。見た目が綺麗すぎて新しく見えるのが損している所でしょう。

アーチの高さも19世紀のものよりは高くなっていて20世紀の標準的なものでしょう。あまりフラットだと美しい造形が難しいですから、高さがある方が造形的にも美しいものです。音の理論はいろいろありますが・・・・。

それに対して板の厚さはかなり厚いものです。表板は19世紀のようなものではなく20世紀の厚めのものです。裏板はさらに厚くチェロに近いくらいです。そういう意味でも19世紀のフランスのモダン楽器とは変わっています。
考えがあってそうしたのか、時代の流行だったのか、手を抜いてそうなったのかはわかりません。


実際に音を出してみるとギャアアアっとやかましい音がします。鋭い音は板の厚みとは関係がありません。厚い板の楽器にも薄い板の楽器にもあります。
音自体も安価な量産品のような感じがします。うちで2000年代に買っていた15万円くらいのドイツメーカーの量産品(中国製?)のような音です。
さすがにチェロに近い厚みの裏板は厚すぎるのでしょう。
音は好みの問題だと言っています。多くの人にとって極端によくないことはめったにありませんが、この楽器については言えそうです。

見た目の品質と音が全く逆であるばかりか、フランスのモダン楽器の音が全く感じられません。

20世紀初めのミルクールのハンドメイドの楽器はまだ値段が高くなっていないのでねらい目ではありますが、だからと言って何でも良いというわけではありません。やはり音を試さないとダメです。ヴァイオリン製作の伝統はすぐに失われてしまいます。クレモナだけでなくフランスでもそうだったようです。

このように「フランス製」と生産国でヴァイオリンを選ぶのは無理だという例です。

板が厚くてこんな音がするのはイタリアの戦後の楽器にもあります。ドイツメーカーの量産品(中国製)でもありますからどの国にもあるということです。

私は19世紀のフランスのモダン楽器はひいきにしているので、このようなものはがっかりするものです。フランスの楽器というよりも20世紀の楽器という感じがします。
我々の師匠の師匠の師匠、それくらいの時代の楽器製作でしょう。我々が勉強するのもこのような考え方です。

現在でもこのような考え方は我々の業界では教科書となっています。一般の人にはウンチクとして語られる内容です。専門家が正しい知識として語るのはこの時代のものです。

有名な職人の下で修行した優秀な職人の話を聞いていて違和感を感じた演奏者の人はいるかもしれません。言うことは立派で楽器もきれいなんだけど弾いてみるともう一つと感じたことがあるかもしれません。

それに対してアマチュアのような職人が板をコツンコツンと叩いて「俺は音が分かる」という自信過剰な職人が演奏家の支持を集めるかもしれません。

でも歴史を見ると過去には現代人の発想では思いつかないようなありとあらゆる試みがされたようです。私たちが名前を知っているのはほんのほんのわずかです。思っているよりもはるかに多くの職人がいました。我々が思いつくようなアイデアはすでに試されているでしょう。多くの楽器を見てくると「普通のもの」が古くなると十分音が良いことが分かります。人間は根拠もなく自分のアイデアは過去のものよりも優れていると考えるものです。過去のものは平凡なものと見下されて忘れられていきます。

しかし今になって古い楽器を見ていると「余計な工夫」がされている楽器は残念に思います。普通に作っておけば今頃は良い音になっていたはずです。