話せば尽きないニスのお話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

日本では12月は師走と言いますね。
こちらでも聞いてみると12月はクリスマスに向けてすることがたくさんあって忙しいそうです。「もういくつ寝るとお正月・・」みたいな感じで子供たちはクリスマスを心待ちにしているようです。
昔はクリスマスの前は質素な食事を心がけ、クリスマスにささやかなごちそうを食べる習慣があったそうです。現代はコロナが無ければ12月に入ったら連日パーティーだったりお菓子を持ち寄ったりしています。日本にはアメリカからクリスマスの風習が伝わったので商業色の強いものです。ヨーロッパでもバカにできなくなってきました。

弦楽器店はほとんどクリスマスは関係ありません。専門的すぎて演奏する本人じゃないとわからないし、音を自分で選ばないといけないので贈物には向いていません。

多くの人は休暇には練習もしません。
音楽好きの一家は行事があるごとに家庭で演奏会をします。そんな人たちは弦の交換やメンテナンスもあります。


チェロにニスを塗る作業をずっとしてきました。
塗るだけではなくて作業場の立ち上げからニスの製造まで含まれます。
オイルニスは塗れる環境を作らないといけません。チェロのニスを塗るのは大変な作業で誰もやりたがらないので私が一人でやらないといけません。ただでさえ大変なので環境が整っている方がはるかにましです。

ニスについての理解

ニスというのは基本的に西洋の木工技術で日本ではあまり伝統がありません。日本では漆が有名な塗料です。ニスは西洋から伝わったものでしょう。英語のバーニッシュが、ワニス、ニスとなったと聞いたことがあります。ともかく日本人にはよくわからないものです。現在でも日本の木工製品ではテカテカの光沢のあるニスが塗られているものは多くないでしょう。

それが余計な妄想を掻き立ててしまうわけです。
今回私が使っているのがオイルニスです。
オイルニスは古代エジプトの時代にはすでにあったと思われます。地中海沿岸の基本的な材料で作れるものだからです。ミイラを作るくらいですから科学ではないけども化学的な知見が相当あったはずです。

逆に言うと他のニスを作ることができませんでした。シンナーのような溶剤を使う場合にそれを精製するのが難しいです。アルコールも純度の高いものを作るのは難しかったようです。近代以降に可能になった技術です。

オイルニスは特別なものではなく、それしか作る技術が無かったのです。したがって工業の材料としてもっとも合理的なものだったはずです。当時オイルニスを作るのは合理性を求めていたはずです。作業がしやすく低コストで耐久性があり、見栄えがするということです。

音を良くするために秘密の調合を考えたとは私も職人になる前に抱いていたイメージです。


チェロにニスを塗るのはとても大変なのでいかに楽に塗れるかということが大事です。それが何百年も経って亀裂が入ったり汚れが付いたりはげ落ちたりしたのを今の人が見て「何と美しい!」と言っているのです。ニスなんてほとんど剥げていて100年以上前に塗り直しているかもしれません。それも汚れてはげ落ちています。修理するときは「古い楽器のイメージ」に合うようにアンティーク塗装で塗っているわけです。


私も初めは「ラッカーのような硬いニスは振動を妨げるので良くない」と教わりました。今でも職人の間では「正しい知識」として信じられているかもしれません。しかし多くの楽器の音を経験すると必ずしもそうは言えないということが分かります。それどころかラッカーが音が悪いのかどうなのかは全く分かりません。検証することができません。同じように作られた白木の楽器を何本も用意して異なるニスを塗ってみる必要があります。しかし私はラッカーは使ったことがありません。知らないのです。だから分からないです。

工具の柄などは楽器用のニスでは弱すぎるのでラッカーを使います。天然樹脂のニスは塗りたては光沢があっても触っていると指紋のような跡が無数について表面のツルツルした面が曇ってしまいます。ラッカーなら手で持っても光沢が失われません。ただし持った感触はプラスチックみたいです。


私が自分で作ったことが無いので本当のところは分かっていませんが、ラッカーというのは素材としてはセルロイドのようなものです。セルロイドは昔のプラスチックで卓球のボールなどもそうです。ニトロセルロースが成分なのですがそれ自体は綿を薬品で反応させて得られると本で読んだ記憶があります。そういう意味では天然素材ではあります。それで言うと石油から作られるプラスチックも石油自体は自然のものですけども。

それでも人工樹脂と言われます。
それに対して天然樹脂は植物の樹液の固形成分です。樹脂というくらいですから。ほとんどの天然樹脂は植物から取れます。琥珀(コハク)になるとはるか昔の植物の樹液が化石になったもので化石樹脂と言われます。

シェラックは昆虫が作るものです。カイガラムシは面白いものでメスは足もなく移動もせず、木の汁を吸って分泌したもので殻を作ってその中にいるんです。昆虫が作ってももともとの成分は植物由来というわけです。

他にはサッコーニがストラディバリのニスとしてプロポリスを挙げていました。これもミツバチが作るものでエサは植物の蜜です。でもプロポリスはアルコールニスに加えることはできてもオイルニスには適さないものです。サッコーニは自分とストラディバリを混同していたようです。プロポリスは樹脂と言えるかもわかりません。アルコールに溶かして冷却すると蜜蝋(みつろう)を取り除けます。アルコールニスに入れると柔軟性がでて甘い匂いがします。柔らかくなって乾くのが遅くべたつきやすくなります。色合いは落ち着いた茶色の風合いがあります。しかし蜂蜜と同じようにいろいろな色があります。集めた植物の蜜によって違うのかもしれません。


楽器用として代表的なものを言うと、天然樹脂のニスにはオイルニスとアルコールニスがあります。人工樹脂にはラッカーやアクリルのニスがあります。

音はどれが良いのかと言われると私は分かりません。
オールドやモダンの名器など高い楽器にはオイルニスが塗られて、近代の量産楽器にはラッカー、現代の量産楽器にはアクリルのニスが塗られてきました。アルコールニスの製法は現代の職人が習得しやすいもので個人の職人で使っている人は少なくないでしょう、修理では最も使います。

このため塗られている楽器の値段で言うと、オイルニス、アルコールニス、ラッカー、アクリルという順になります。

戦前の作りの粗い量産楽器にラッカーが塗られていて、耳障りな粗い音がすることが多いです。じゃあラッカーで塗ってあるから粗い音なのでしょうか?
それはラッカーのせいなのか作りの粗さのせいなのか、100年くらい経っているからなのかわかりません。

ラッカーが塗られていてやかましい音がする楽器はたくさんあります、このためラッカーは振動を止めてしまうというのはおかしいです。振動を止めてしまうなら静かな音になるはずです。

少なくとも鋭い音はするわけですが、このような音が良い音なのか悪い音なのかは主観の問題です。もしラッカーによって鋭い音がするのならそれを良い音だと感じる人もいます。なので絶対に悪い音だということは言えません。

特に100~200万円くらいの価格帯のチェロではラッカーが塗られた戦前の量産品を学生さんが使っていることがよくあります。私がオイルニスで塗ったチェロを試しても気に入らず、ラッカーで塗られたものを購入する人は珍しくありません。むしろ鋭い音を好んで選ばれているのです。

またラッカーで塗られている楽器でも音が鋭くないものがあります。一方柔らかいオイルニスが塗ってあるのに鋭い音のものがあります。
そうなると楽器本体の音の影響の方が大きいということになります。どんなニスを塗ってあるかで楽器を選ぶのではなく、弾いてみて音で選ぶべきなのです。


結局安い楽器にはラッカーが塗られていて、高い楽器にはオイルニスが塗られているという値段の話だけです。
音大教授ではラッカーが塗ってあることには気づかずその楽器を絶賛することもあります。

私はそんなものだと思います。
楽器を作る時にふつうは価格帯のランクで材料の質や加工の品質を分ける時に、ニスも使い分けられるということです。製造コストの問題です。

だからニスを見ると楽器の値段が分かるというわけです。

これを逆手にとって、安物の楽器に高級なニスを塗ると高い楽器に見えるわけです。だからニスだけで判断してはいけません。しかし見た目の印象に与える影響は大きいものです。我々がニスにうるさく言うのはこのためです。せっかく楽器を作っても、ニスが安っぽいと第一印象で「量産品じゃないの?」と思われてしまいます。職人としてはそう思われないようにしないと買いたたかれてしまいます。

本当にこっちの事情です。

こんなヴァイオリンも売ってほしいということで持ち込まれました。値段はいくらを付ければ良いでしょうか?アンティーク塗装が簡単で安価な楽器に印象が似ています。最高でも30万円くらいに見えます。

オレンジのニスに黒い汚れがついています。量産楽器によくあるようなアンティーク塗装に見えます。

裏板も新品のようなオレンジのニスに真っ黒な汚れがついていて違和感があります。もっと全体的に古くなっていくのが自然です。

ニスのせいでパッと見の印象で量産楽器っぽく見えますが、楽器自体は量産品よりはよくできています。形も整っていて手作り感があります。おそらくクレモナで修行したのではないでしょうか?


ヘッド部もオレンジのニスに黒い汚れが不自然ですが、形がいびつなところに手作り感があります。
もし手作りのヴァイオリンで30万円なら安すぎます。ニスのせいでそれくらいにしか見えません。
日本でもクレモナ製の同様のビオラを見たことがあります。

アンティーク塗装は個人の職人が安易にやると、量産工場の塗装の専門家よりもノウハウが無く安っぽく見えます。
ニスはオイルニスかもしれませんが色がオレンジすぎるので古く見えません。

オールド楽器と並べると色味が違い過ぎます。ドイツの楽器なので黒っぽいですが、アマティ派でもこのような色味のものはあります。
一番右のものはザクセンの量産品です。それでも黄金色になっています。

強いオレンジ色に黒い汚れを付けたものはハンガリーの量産品によくありました。現在では中国などでも作られています。クレモナで修行した職人がオイルニスで作っても量産楽器に似てしまいます。

私はアンティーク塗装が誰よりも嫌いです。完成度が低いものが許せないのです。


私が去年作ったものです。これでは手間がかかりすぎて産業にはなりません。

ニスの製造

楽器本体の製造に比べるとニスの製造法は明らかにされていません。楽器の製造法は多少の違いがあるものの世界のヴァイオリン製作学校でだいたい似たようなものです。世界中の新作楽器がそっくりなわけです。そこで教わったような作り方を本にしてアマチュアの制作か向けに出版されています。

それに対してニスの製法は現役の職人が先生をしていても、「学校のニス」を使うだけで自分のニスの製法は教えなかったり、弟子にも教えなかったりします。ニスの作り方がちゃんと書いてある本は私は知りません。ニスの製法について書いてある本は怪しいものばかりです。ヴァイオリン製作の入門者が誰しも教科書として読むべき本が無いのです。インターネットで見つかるでしょうか?
画材辞典からコピーして材料の説明を写してあるだけだったりします。画材辞典は絵画用のものですから、楽器用のニスを作る場合には的外れだったりします。
ニスに関係のある知識を語っているだけで、肝心の作り方が料理の本のように書いてないのです。

楽器の加工を学ぶと、従業員として使うことができます。そこまでは喜んで教えてもらえます。ところがニスの製法は教えてもらえないのです。噂などを同業者から聞くと本当に作ったことがあるのかとインチキ臭い物ばかりです。

私も料理のレシピのように完全なオイルニスの作り方は先輩や師匠も知っていなかったので教わることはできませんでした。そこで断片的な知識から、実験や失敗を繰り返してできるようになりました。
ニスを20回くらい作ったら十分に使えるようなものになって、さらに用途に合わせて異なるものを作れるようになってきました。アンティーク塗装ではまた違います。質が良くないとチェロのような大きなものは塗るのが難しいです。


私が作ったものでしか言うことができません。
ニスの硬さで言うとオイルニスのほうがアルコールニスよりも硬いものができます。アルコールニスはアルコールに樹脂を溶かして作るのですが、硬い樹脂はアルコールに溶けません。このため硬いアルコールニスが作れないのです。本には樹脂の種類で硬いとか柔らかいとか書いてありますが、それが抽象的です。言葉で物を考えて、「本に硬いと書いてあったから硬い」と考える人が多いです。そうするとその樹脂は硬いので単独で使ってはいけないと知識ではそうなります。でも実際に工具の柄などに塗ってみると全然強さが無くて使い物にならなかったりします。アルコールニスでどんなに硬い樹脂を使ってもそんなに硬くないと思います。瓶の口から垂れて固まったようなものをいじってみると硬いかどうかわかります。ぐにゃッとゴムみたいなものなら硬くないです。

ヴァイオリンなどは使っていると手が触れる部分のニスが剥げてきます。弓や肩当でこすれるエッジもそうです。そこだけは硬いニスで修理すれば良いわけです。面積が限られていて音には影響がないはずだからです。

それで硬いニスを作ろうとするのですが、できないです。相対的には硬いものができます。塗って時間がたつごとにアルコールが蒸発してだんだん硬くなっていきます。硬めのニスなら30分でも指で触ってもくっつかないくらいの硬さになります。それでも絶対にはげないようなニスではありません。

また硬い材質でニスを作るとガラスのようなものができます。衝撃やゆがみが加わるとパリンッと割れてしまうのです。このためゴムのような弾力がある方が丈夫なのです。アクリルのニスは合成ゴムやプラスチックのようなものなのでこの点で優れています。量産楽器では店頭で扱っているだけで傷が付いたら困りますので耐久性のあるニスが塗られています。それでも何年か使ったものは損傷を受けています。

ニスとして成立させるには柔軟性も必要でアルコールニスでは人工樹脂のような丈夫なものはできません。

オイルニスはアルコールニスよりも硬い樹脂を溶かすことができます。溶剤で溶かすのではなく、温度で溶かすからです。それでも油があることで粘りがあります。やはり硬い樹脂ではガラスのようになってしまいます。それでもアルコールニスよりは硬いものが作れます。

人工樹脂のニスはそれとは別次元に硬いものができます。このため天然樹脂のニスなら何でも音が悪くなるほど硬いものは無いというわけです。


私が作る楽器はそもそも音が柔らかく刺激的な音がしません。さらにアルコールニスを塗るとゴムでコーティングしたようにダンピングされるようです。オイルニスのほうが硬いので刺激的な音も出て明るい音になります。私の楽器にはオイルニスのほうが合っています。ラッカーの方がもっと良いかもしれません。人によってはそもそもの楽器が明るく刺激的な音がするならアルコールニスの方が良いかもしれません。

オイルニスもその他のニスも柔らかい成分を混ぜることで柔らかくすることができます。やったことはありませんがアクリルの量産品でも柔軟成分を入れれば柔らかくすることができるはずです。実際にニスが柔らかすぎてケースの跡がついてしまう量産楽器もあります。

つまりニスの柔らかさについてはどのニスでも柔らかくすることができます。アルコールニスでは硬くするのが難しいです。

オイルニスというのは油性のニスというだけで、作り方が広く知られていないくらいですから定義なんてありません。製法は全く違うものがあります。ベネチアテレピンのようなものを油と混ぜただけのようなものではぐにゃぐにゃです。1900年頃にはラッカーの楽器と差別化するためによく使われました。100年経った今でも固まっていません。しかし古代以来の伝統的な製法ではしっかりとした硬いものできます。
19世紀にはコパールなどの天然樹脂を使ったオイルニスが工業用として量産されたようです。近代的な生産方法で、最新の化学の知識用いて大量に生産され工業用に使われたはずです。アルコールニスは塗るのがとても難しいので生産性がよくありません。それがラッカーが作られるようになると無くなってしまいました。人工樹脂のほうが目的を実現したからです。


量産楽器のニスをはがして塗り直したり、白木の楽器を買ってきて自分でニスを塗って完成品と比較することができます。アルコールニスを塗ればアクリルのものよりも音が柔らかくなりました。量産楽器にはやかましい音のものが多いので、上品な音が良いという人には白木の楽器を買ってきて自家製のニスを塗ったものがコストパフォーマンスに優れています。とにかく刺激的な強い音を求めるなら、完成品そのままの方が良いというわけです。

私が作ったものではアルコールニスよりもオイルニスのほうが明るく刺激的な音が加わります。

他の人が作ったニスでも同じかどうかは分かりません。とにかくアルコールニスは柔らかい音だという経験があります。しかし他の職人が作った楽器でアルコールニスが塗られていても鋭い音のものがよくあります。

ニスを見分ける

ニスによって値段のランクが違うというわけです。見た目でどのニスかわかるのでしょうか?

私でも分かる場合もあるし分からない場合もあります。
戦前のザクセンの量産楽器なら同じようなものがたくさん作られたので一目見るとわかります。自動的にそれはラッカーということになります。ザクセンのラッカーは―独特の匂いがあり間違いなくザクセンのものだとわかります。
ラッカーの中では質が良く100年経っても風化しているものが少ないです。一般的にラッカーのニスは50年もすると溶剤が蒸発して乾ききり細かく割れて来たり、ぼろぼろと表面が欠けてきたりします。それに対してザクセンのものは今でも磨くと光沢が出ます。目の細かい研磨剤で磨くと光沢が出ます。これが表面がボロボロのものでは磨いても光りません。塗料の耐用年数は数十年から50年くらいですから、上質なラッカーです。ギターの世界ではザクセンからアメリカに移住して工場を作ったそうです。そのようなものは歴史のある高級なニスとされているようです。

風化してしまったラッカーのニスは修理のしようがないです。シンナーのような溶剤を上から塗れば溶けたものでひびは埋まりますがすぐにまた乾燥してひびが入ってしまいます。そうなったものはいかにも安物という感じがします。
ザクセンのものなら見た目では上等なものとわからない場合もあります。
まだ入社して間もない頃、先輩に「これはオイルニスだ」と教えてもらったヴァイオリンがありました。私も初めは分からなかったので「これがオイルニスなのか」と学びました。お店に数年あった後に買った人がさらに楽器を買い替えるため10年以上して下取りしました。再び売り出すために手入れをすると匂いや作業性でラッカーであることが分かりました。でも見た目も音もよく加工やニスの色合いなどもまったく安っぽくありません。作業の経験でそれがラッカーだと分かるようになりました。

弦楽器業界では先輩に教わるとそんなもんです。
だから一般の人は知識を学ぶよりも単に弾いて音に耳を傾けるべきなのです。

お店の人もその楽器がラッカーなのかオイルニスなのか分かっていないかもしれないと考えた方が良いです。

当時の人たちがどう考えていたかは人それぞれでしょう。ドイツでは安物にはラッカー、マイスターの高級品には特に柔らかいオイルニスが使われました。しかし生業として考えると自作の楽器にラッカーを塗った人もいるでしょう。手作りだとか天然素材などにこだわる人ばかりではありません。作業が大変なので少しでも仕事が楽になると喜ぶ人の方が多いです。皆さんの職業でもそうでしょう、わざわざ大変な作業法をするのは頭のおかしな人です。ニスで面倒なのは自分で作ることです。ラッカーのニスは売っていたので注文するだけで入手できます。色も人工染料が量産されているので安く買えて着色できます。困難なのはニスの製法を学ぶことですが、若い頃は天然のオイルニスなのに晩年は市販されたものを使っていた人もいます。歳とともに生活も忙しく「仕事」になっていきます。エアブラシやスプレーを使えば塗る作業も簡単になって試す人もいます。ニスを塗る作業は嫌になるほど難しいのです。19世紀のフランスの楽器はニスが似ているので市販されていたと考えると自然です。極限まで加工技術を高めてもニスは買ってきて使うのが常識だったのかもしれません。

これはまたまたマティアス・ハイニケのヴァイオリンです。この前のものは音が良くて驚きましたが、これはガルネリモデルで形が違います。同様のものを他に見たことがあるのでこれがハイニケのガルネリモデルなんでしょう。
アンティーク塗装で塗られています。

f字孔の縁に特徴があります。このようなものはボヘミアの楽器には見られることがあります。毎回決まっていたというよりはその時の気分でばらつきがあります。

このハイニケの特徴はニスがラッカーです。においや質感でラッカーであることが分かります。普通ハイニケはオイルニスを使っています、なぜでしょうか?

スクロールもきれいで安物には見えません。ハイニケは様々な経験を積んでいてアンティーク塗装では量産工場の技術を用いたのかもしれません。

板の厚みはかなり厚めです。この前のものとは違います。音は鋭く耳元で強い音がします。弾いた人は「力強い」と思うかもしれません。聞いている方では音が開放的に出てくる感じではなく重く鳴っていないように思います。明るい響きが抑えられて暗く感じます。板が厚くても暗い音になることがあります。しかし私のように感じる人は一部でしょう。
普通は鋭い音なら「力強い」と感じる人が多いでしょう。それはプラスに評価されることが多いです。

これがラッカーのせいなのか板厚のせいなのかもわかりませんが、ハイニケにはもっと上品な音のイメージがあったので最近の2本ではイメージが変わりました。結局作者の名前と音には統一性があるとは限りません。値段は名前で決まるので同じ値段でも音は様々ということになります。




ニスを塗る場合にはフルバーニッシュとアンティーク塗装の2種類があります。フルバーニッシュはすべて均一にニスを塗ることでとても難しいです。ニスは厚みがあるので厚みにむらができると色むらになって現れます。すべてを均一にするのは至難の業です。木工製品では銘木のように木材自体に色がついていれば無色透明のニスを塗るだけできれいになります。しかし楽器用に使われるのは軽い木材ということもあって白いものです。それにニスを塗るので難しいのです。
ヴァイオリン製作コンクールではこの技術が競われます。技術が高い職人は完璧に近く塗ることができます。表面は研磨して凹凸が無いように仕上げます。このように完ぺきに仕上げるとどのニスが使われているかはわかりません。オイルニスでも、アルコールニスでも分からないのです。
完璧に近づくほどスプレーで塗ったものに似てきます。一番高度な職人が塗ったものと一番安いスプレーで塗られたものが似ているというわけです。

何年も修行して腕が上がってきてついに高い水準に到達すると、安物の楽器とそっくりになってがっかりするのです。そこまで行く人はわずかな割合でしょう。アンティーク塗装に行くのはそれが一つの理由です。

ほとんどの場合はムラなくニスを塗るのが難しいので「アンティーク塗装に逃げる」のです。塗り方が汚くてもバレないだろうと安易にアンティーク塗装を始めるわけですが、当然全く古い楽器に見えません。

量産楽器のほとんどがアンティーク塗装

うちのお店でも量産楽器を仕入れて販売します。メーカーの営業マンが持ってきて師匠が私に「選べ」と言うのですが、私は下手なアンティーク塗装が誰よりも嫌いのなので、普通に塗ったものはないのかと思います。昔はスプレーで塗ったものがありましたが、今はほとんどアンティーク塗装で手塗りです。中国や東欧など賃金が安いからです。日本やかつての西ドイツならスプレーで塗ったものです。
全く古い楽器を見たことが無いような人達が塗っているのでそれだったら、フルバーニッシュの方が良いと思うのですが、スプレー以外では塗るのが難しいので無いのです。

うちで買っているチェロも多かれ少なかれみなアンティーク塗装です。そこで今回は手塗りのフルバーニッシュにしようと思います。その方がプレミア感があります。

完璧に塗るのは手間暇がかかりすぎます。そこでいかに効率よくチェロにニスが塗れるかです。たまにこれはスプレーでは無くて手塗りだとはっきりわかる楽器があります。塗り方が汚いからです。それではいけません。

そこでオイルニスなのです。アルコールニスでは刷毛で塗ったときに刷毛の通った跡の筋が線になって残るのです。何層も塗っていくと線だらけになっていきます。最後は小さな筆で線が分からなくなるように筆を入れていきます。チェロは面積が広いのでその作業が地獄になります。立体的にも筋ができます。筆の跡を消すために表面を耐水ペーパーや研磨剤で平らにしないといけません。表面が真っ平らになるとニスが薄く見えます。実際にアルコールニスは成分の大半がアルコールのなので蒸発すると厚みが薄くなります。何年もするとペッちゃんこになってしまいます。

オイルニスは刷毛の跡が残りません。完全に均一に塗れなくても刷毛の跡ではないのでそんなに見苦しくありません。むしろそのボヤボヤした雰囲気がオイルニスらしさなのです。これを完全にしてしまうとスプレーのようになってしまいますから、あえてボヤボヤを残すわけです。それがうまくできるようにニスを作って塗り方もテクニックがいるわけです。またオイルニスはそこまで研磨しなくてもいいのでぼってりとした厚みのあるような質感になります。

このため高級品として売れるのにオイルニスは量産する場合に作業性が良いのが利点です。ただし乾くのに時間がかかるのが難点でおよそ22時間以内に次の層が塗れないと一日に一回ニスを塗ることができません。それで設備が必要なのです。アルコールニスは置いておくだけで乾きます。しかし本当にアルコールが抜けきって乾くのには何年もかかります。

そんなことを研究していくと「楽器製作のプロ」ということになります。楽器を効率よく作るのがプロです。こだわって作るのは遊びです。
修理ばかりで「最後に自分で楽器を作ったのはいつだっけ?」という人のほうが多いでしょう。
私は、アンティーク塗装が多いのでフルバーニッシュの方は忘れています。それが問題です。

いきなり大失敗

というわけで今回の中級品のチェロは「きれいなチェロ」を目指します。

と思っていたところで表板の一層目で大失敗です。
覆水盆に返らずで修正は不能です。

20年やってても初めてのことでこんな失敗があるんだなと驚きです。残念ながらきれいなチェロではなくなってしまいました。アンティーク塗装ばかりやっていたので忘れてしまったのもありますが、同様の失敗は1000万円以上するイタリアのモダン楽器でもよくありますからチェロではよくあることですね。プレッセンダよりはましです。でも誰もプレッセンダには文句を言わないのでそれが違うところです。写真でも一般の人にもわからないようレベルですが、悔いが残ります。

楽器作りは「完全試合」とはいかず一つや二つは失敗があるものです。悔しい思いを持ったまま、あきらめないで完成に持って行かないといけません。慎重に慎重を重ねる必要がありました。やはり効率よくきれいなものは作れないですね。


ピカピカなニス

ウィーンフィルのニューイヤーコンサートを見ると弦楽器がピカピカになっています。おそらく直前に専属の職人たちが磨き直していると思います。
光沢があるのが良いのか悪いのかは好みの問題ではあります。しかし一応職人としてはピカピカに磨き上げると仕事が完了ということになります。しばらく使っていると汚れがついて光沢が失われて行くので、掃除して磨き上げると「きれいになった」と仕事をしている方も喜びがあります。受け取った持ち主も同様でしょう。

私はアンティーク塗装の新品の楽器ではピカピカすぎるので敢えて光沢を抑えます。古い楽器ではできるだけピカピカにします。
古いニスは光沢が出にくくなっています。修理でも新しく塗ったところだけ新品のような光沢では困ります。新しく塗ったところをつや消しにするか、全体をピカピカにするかどちらかです。

最も光沢が強いのはスプレーで分厚くクリアーのラッカーやアクリルのニスが吹き付けてあるものです。つまり一番安いものです。スプレーで吹き付けてそのままの「塗りたて」の状態が一番光沢があります。何年が使ったものでもこのようなものはコンパウンドを使うとピッカピカになります。しかし同じコンパウンドでも楽器によっては全く役に立たないことがあります。

アルコールニスはアルコールに溶けやすい性質なので布をアルコールで湿らせてこすってあげるとニスの表面が溶けて滑らかになり光沢が出ます。ユーザーが乾拭きをした時に細かいゴミなどでひっかき傷をつけてしまいます。アルコールニスなら傷を溶かして消すことができます。アルコールニスの便利なところです。しかし何か月か何年かすると光沢が無くなってしまいます。定期的にメンテナンスが必要です。補修ではアルコールニスを使うのでやりやすいものです。一方アルコールニスは表面を滑らかに研磨して仕上げるので、傷やへこみが目立ちやすくフルバーニッシュのものでそれを直すのは至難の業です。アンティーク塗装では傷がついたことはプラスになります。むき出しになった白木が目立つのでトーンを落としてやればOKです。

オイルニスはアルコールに溶けない成分が多いとアルコールで磨くことは難しいです。フランスの軟質系のものはどうやっても光沢が出ません。
フランスやイタリアのモダン楽器では多くの場合オイルニスの表面に何かが塗られています。おそらくアルコールニスでしょう。修理の時に上から塗ったのではないかと思います。油性のものやラッカーが塗られていることもあります。
ドイツの軟質系のオイルニスはアルコールで磨き放題です。軟質系の樹脂が使われているからでしょう。


楽器によって塗られているニスや古さが違うので毎回やり方が違います。厄介なのは水溶性のもので、掃除するときに水分を使うと剥げてしまいます。
磨き粉や溶剤、コーティング、フレンチポリッシュなど様々な方法があって楽器によって違います。全く違う時代やメーカーのものを修理するのですから塗料の性質が分かりません。




ニスには①樹脂②溶剤➂色素の三つの要素があります。
溶剤は徐々に蒸発し、ニスは弾力を失い厚みが薄くなります。何十年か経った楽器がよく鳴るようになる一つの要因かもしれません。色素があれば色がついて見えます。しかし樹脂が十分にないと厚みが無く透明感が出ません。一方色が少ないと良い色になりません。厚すぎるニスも音には良くないでしょう。

メンテナンスで厄介なのは色が強くて、厚みが薄いニスです。ちょっとこすると色が剥げてまだらになってしまいます。塗った直後は溶剤で厚みがあっても、蒸発すると厚みが無くなってしまいます。自分でメンテナンスをするならそんなニスは使うべきではありません。現代の有名な職人の楽器でもそんなニスが塗られていることもあります。

音以前に難しいことがたくさんあります。製品の品質を安定させることが先決です。