まずはニスの続報から。
勤め先の初代の職人が作ったヴァイオリンは硬めのオイルニスが薄く塗ってあります。音は強くて50年くらい経っていることもあってよく鳴ります。90年代に別のニスに塗り直したものがありメンテナンスしました。それはとても柔らかいアルコールニスです。今でも同様のアルコールニスはストックがあって補修も同じようなニスでできます。
メンテナンスが終って弾いてみると強く鋭い音がしていました。初代の職人の他のものと同じような音です。
やはりニスでは楽器の音をまるっきり変えるほどの影響はないと思われます。音色はクリアーな感じがします。
ニスにはある種イコライザーのような働きがあるようです。ニスによって音が増強されることはないでしょう。むしろ特定の音が抑えられて、澄んだクリアーな音になったりすることがあり得ると思います。音響フィルターのような効果と言った方が正確でしょう。
さて、こんなヴァイオリンがありました。
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これはたばこの箱で作られたヴァイオリンです。素人が作ったものではなく一流のモダンヴァイオリンの作者のものです。長年使われずにあったので弾けるようにしてみました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20211224/17/idealtone/f6/8a/j/o0960128015050907921.jpg?caw=800)
ヘッド部には動物が彫られています。ジョークにしては手間がかかっています。売り物にならない珍品のヴァイオリンから移植したのかもしれません。
指板を削り直し、駒を新しくしてペグやテールピースは中古部品取り付けました。弦も中古のエヴァピラッチゴールドです。
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正面から写真を撮れば当然のように真四角です。
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木箱なのでアーチはありませんがプロの職人が作ったものなので演奏が可能な設計になっています。
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裏板も当然真四角です。ブラジルのタバコのようです。
どんな音がする?
面白いものだと思いますが音はどうでしょうか?弦を張って調弦するのも壊れそうで怖いのですが、音を出してみました。
意外にもヴァイオリンのような音がします。やや鋭さがあり、こもった様な感じもありますが、低音は豊かでビオラのような音がします。音量は十分にあり普通のヴァイオリンと変わりません。もっとギーギーとかすれたような音がするかと思いましたが意外と豊かな音が出ました。
カーボン製のヴァイオリンにも似た雰囲気です。
おそらく世界でもたった一回の試みでこれほどしっかりした音が出るとは驚きです。駒や弦などは「普通のヴァイオリン」にあわせて何百年も改良が加えられてきたのですから、この楽器には合わないかもしれません。エヴァピラッチよりもヴィオリーノの方が良いかもしれません。
この楽器に合わせて改良されればもっと良い音が得られるかもしれません。
寸法や板の材質、厚みなども研究を重ねれば十分に普通のヴァイオリンに対抗できるものができるかもしれません。むしろ音量では普通のヴァイオリン以上のものができる可能性を感じます。
この楽器には普通のヴァイオリンのようなバスバーがついていますが、ギターのような凝ったものも考えられます。
20年間やってきたことがバカバカしくなるような結果が得られました。
アマティが作り出したものとは?
もし500年前にこのようなものが作られて、数えきれないほどの職人が改良を加えたら今頃はオーケストラ楽器のメインになっていたかもしれません。作りが簡単なので少しずつ変えて試行錯誤がしやすいです。アマティが作り出したものは一体何だったんでしょうか?
楽器の機能はこのようなもので果たせるのに、複雑で凝ったものを作ったのでした。少なくともアマティが作り出したのは「音の質」であって音量ではないということになります。単に音量を得るだけなら四角い箱で十分です。
アマティやストラディバリ、そして現在のヴァイオリンが優れているのは音量ではなく音質です。音量だけなら特別凝った作りは必要なく、才能も必要ありません。
そのような経験はたくさんの楽器を扱っていると感じるもので、何でもないような平凡な楽器や安物で音が大きく感じるものがあります。この箱のヴァイオリンもミルクールのとても安いものに音が似ている感じもします。プレスで作られたものです。
音量のあるヴァイオリンを作るには特別な才能も凝った作りも必要が無いことになります。
例えば音量があると評判なのはステファノ・スカランペッラです。この人は素人のヴァイオリン職人でプロの教育を受けていません。見るとすぐに素人が作ったものだとわかります。ニセモノが多い作者ですが、プロの職人が作ったものでは「良くできているのでニセモノ」だとすぐにわかります。
素人の職人が音量のある楽器を作れるというのは、この箱のヴァイオリンと同じことです。音量のある楽器には特別な秘密は無いということです。
これはとても納得のいくものです。
アマティは音量を犠牲にして美しい音を生み出すヴァイオリンを設計したと言えるでしょう。グァルネリ・デルジェスのように適当に作ったヴァイオリンに音量があるというのはあり得ることです。
音量がある楽器を作るのは才能ではなく「運」ではないかと思います。無造作に作ったものになぜか音量があるものがあるのです。
名工だの巨匠だの言うのは全く的外れです。
少なくとも高価な名器だから音量があるのではありません。音量は凡人の職人でも生み出すことができるのに対し、美しい音の方が珍しいのです。
これは日々経験することです。
音にこだわる人は少数派?
現在ではスマホやパソコンの音を聞くのにワイヤレスのBluetoothスピーカーが人気です。私からすればそんな音質で満足している人が多いことに驚きです。
しかし私のように音にこだわる人は少数でBluetoothスピーカーに対する否定的な意見が無いのに驚きます。
同じようなことはヴァイオリンでも言えます。Bluetoothスピーカーに満足するような多数派の人がヴァイオリンを選ぶと音質には無頓着です。こうなるとヴァイオリンは腕の良い職人が作ったものである必要はなく、何でも良いことになります。
幸いにも音にこだわりが無いなら、ヴァイオリンは高価なものでなくても十分です。予算の中で弾いてみて鳴るものを探せばいいだけです。
新品よりも50~100年経っているものの方が有利なので、大量に作られた中古品から選んだ方が良いでしょう。
これは人によって大きな違いがあります。
少なくとも多数の人に認められるには音質は二の次で音量があると感じられるものです。
アマチュアでヴァイオリン作りをしている人は、プロが作るようなものを目指すのではなく、木箱のようなものを作ったほうが超えられるかもしれません。冗談ではありません。素人の人が木箱のヴァイオリンを作って、高価なヴァイオリンを打ち負かすことができそうです。誰にも共通の評価基準が音量だからです。
音が良いとはどういうことか?
最近はモダン楽器の需要があり、ブログでも多く取り上げています。お客さんの反応を見ていると新品よりも音の大きなものが多いのでモダン楽器が人気なのです。作者名がはっきりしているものは高価なのですが、それでも日本で「クレモナの名工」と売れらている新品のものよりは安く音量でも勝っています。作者不明となるともっと安くなりますが、音量は劣っているとは限りません。品質が荒くなるとさらに値段は安くなります、掘り出し物があるかもしれません。ラッカーのニスも音が小さくなるとは言えません。
このような現実をブログでは紹介してきました。
現代の人たちがどんな音を「良い音」と考えるか、感じるかということによって楽器の評価は全く変わってくることでしょう。
先日もヴァイオリンを探してお客さんが来ました。50~100万円くらいで予算です。普通なら、それくらいになれば作者名に関する「ストーリー」が無いだけで、作りに大きな問題が無いものがいくらでもあるので試奏して気に入ったものを選べばいいはずです。良く鳴る楽器もありそれ以上ヴァイオリンにお金を出す必要があるのかと思うこともあります。その価格帯はコストパフォーマンスが最も優れていて需要もあるので在庫もたくさん用意しています。うちの師匠が「良いヴァイオリン」と言うのはガラクタのようなものの中らまともなヴァイオリンを見つけることです。私はこだわりが強く究極の美しいヴァイオリンでないと平凡なものに思えてしまいますが、お客さんのニーズをよく理解している師匠です。
しかしその人は楽器選びに難航していました。
本人が持っていたのがオールドヴァイオリンだったからです。作者も流派もよくわからず、サイズや弦長が明かに小さい物でした。それでもオールドヴァイオリン特有の音があり、サイズの小ささもそれほど感じさせないものでした。
それよりももう少し良いオールドヴァイオリンが欲しいとなると値段が一気に上がってしまいます。南ドイツのものでも作者が分かっていれば300万円~500万円と一気に上がっていきます。イタリアのもので数千万円出したからと言って完璧ではありません。そうなると億単位です。
100万円以下で作者不明のドイツのオールド楽器があります。私も時々修理して売っていますが、すべて売り切れでした。少数派でも需要が確実にあります。
私が作っている楽器もそのような方向性です。アマティが考え出したようなヴァイオリンです。でも多くの人が「音が良い」と考えるかはわかりません。このため間違っても私が作っているヴァイオリンが優れているとは言いません。美しさは分かる人にだけ分かるものだからです。
何が珍しく何が平凡か?
腕が良くない作者の平凡なヴァイオリンにはなぜか音量があるものがあります。有名だろうと無名だろうと関係ありません。たくさんの中古楽器の中から弾き比べればそのようなものが見つかるでしょう。我々も戦前に作られた楽器をたくさん修理していてそのような実感があります。
ただし、それらの中にうっとりとするような美しい音、思わず笑みが出るような心地の良い味わい深い音のものはめったにありません。オールド楽器にはそのようなものがあります。しかし使いにくかったり、窮屈で鳴らなかったりします。良いものは極めて少ないです。
それでも多くの人は弾いた時に音が強く感じられると「おおお、鳴るな!」と高く評価します。それが現代人の音の好みなのです。そのような音の好みなら意外と安い楽器でも得られるかもしれません。
高価な楽器を買うなら、音の美しさが無いと高いお金を払う意味が無いと思います。
耳元でやかましい音がするものを高価なものでは「さすが名工の作品」と評価し、安価なものでは「耳障りな音」と評価しているだけで同じような音かもしれません。
アマティの生きていた時代と現代では美意識が変わっています。
木箱のヴァイオリンで技術革新が起こせるかもしれません。
それから本人が感じるだけでなく聞いている人にどう聞こえるかも重要です、特にホールでは全く違う響き方になります。
少なくとも我々が、ヴァイオリンというのはこうでなくてはいけないというのはそれほど確固たるものではないかもしれません。我々の業界で「見事なヴァイオリン」と言われているものは音量は大したことが無いものなのかもしれません。
技術的に考える
箱というのはもともと音が響きやすいものです。叩けば音がします。
現代のもので似たものはスピーカーです。スピーカーは振動版が前後に動くことで音波を作り出します。このとき振動版の前後で逆の波を作り出します。これらが干渉すると音を打ち消しあってしまいます。そこで裏側から出た音が前に出ないようにする必要があります。壁や天井に穴をあけてスピーカーパーツを取り付けこともできますが、不便なので箱に取り付けます。
この時箱の強度が低いと箱が響いてしまい雑音となります。そういう意味では楽器とは全く逆でいかに響きを抑えるかということになります。
ただし木材が響いて出る音はそんなに嫌な音ではなく、特に昔は音源の音が悪くそれで音を作っていました。大型スピーカーになると強度が不足して、チェロやコントラバスのようにそれ自体が音を出すのです。
ネックが折れて壊れたコントラバスの胴体にスピーカーを取り付けてサブウーファーを作った人がいます。録音内容を忠実に再現するという現代のスピーカーとは原理が違いますがジャズなどのベース音にリアリティが出るでしょう。
そのようなことは今でも全くないこともなく木材で作られることが多いのです。
この時響きをコントロールするのに直方体ではなく曲面で作られているものがあります。平らな板よりも曲がっている方が響きを抑えられるからです。
同じことはヴァイオリンのアーチにも言えます。というよりも弦楽器から着想を得たのです。
このことを知っていればただの箱よりもヴァイオリンのほうが響きが少ないことは予想ができます。
アマティが凝ったアーチの楽器を作ることでただの板よりも音量が抑えられるはずです。
レベックのような古い擦弦楽器ではアーチが無いものがあります。それをわざわざなら鳴らないようにしたのがヴァイオリンなのかもしれません。またブレシア派のヴァイオリンが淘汰され、クレモナ派のヴィオリンが残ったのもその時代の人の趣味でしょう。現在なら逆かもしれません。
技術的に考えても、何も考えず簡単に作れば音量が出るものができ、工夫を加えることで音色をコントロールするということになります。絶対的な音量は決まっていて引き算の「音響フィルター」で個性的な音を作るのが職人が作り方によってできることというわけです。それを腕の良い演奏者が鳴らすと最高の音になるというものです。
自由経済の社会ですから、今は消費者が選ぶものが「良いもの」です。そうすると伝統的に高級とされたものが好まれないこともあり得ます。職人は芸術家ではないので消費者の求めるものを作らないといけません。