宗教じみた弦楽器の知識 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

この前の木箱のヴァイオリンの話などはバカにしておしまいにしてしまう人が多いかもしれません。他にはひし形を組み合わせてデザインしたチェロがありました。ネックが外れるようになっていて輸送には便利です。
表板にはピカソの絵が描かれていておそらく「キュビズム」のようなイメージをチェロの設計に取り入れたのだと思います。

アンドレ・アマティも当時の美的な常識に基づいて作ったのかもしれません。昔の建物や家具、建具などを見ると植物の模様や渦巻がついていたり装飾的です。機能性一辺倒で物を考えることが無かったのでしょう。だから弦楽器も現代の人が考える「高性能」というようなものではなかったのかもしれません。凝ったものを作って長い間大事にするという発想も現代とは全く違います。私はそれが普通ですから普段暮らしていると驚くことが多いです。

そのチェロが残念なのは弦楽器の基本を理解していないことです。それがこの前の木箱のヴァイオリンでは一人前の職人が作ったものでしたので全く違います。現代芸術のようなデザインをチェロに応用しようという発想は分かりますが、まず弦楽器というものを理解しないといけません。私でも最近木箱のヴァイオリンを知ったことで、「そんなもんなんだ」ということが分かりました。

我々職人は師匠から教わって比較的最近の伝統に基づいて楽器を作っているだけで理解はしていません。
弦楽器について学ぼうとすれば「答え」から入ります。師匠に「こういうふうにしなさい」と指示されても「はい、わかりました」とできる仕事ではありません。うまくいっていないことも自分ではわからないので毎度毎度師匠に見せて確認が必要です。とりあえずやってみたものに師匠が「ここがこうなっていないとダメだ」と初めて具体的な説明になります。いつしか十分な水準なものができるようになると分かっているとみなすことができます。「最近の若者は常識が無い」と新人を嘆くことは無く、できないのが当たり前です。品質管理というのはそういうもので、未熟な者が自分で判断することができません。一方で粗探しのような面もあります。とかく欠点は指摘しやすいです。

一般の人が良いヴァイオリンを買おうと情報を集めるとまた「答え」から入るでしょう。値段が高いものが良いものだという先入観がありますから、値段の高い楽器の特徴を学ぶのです。「値段の高い楽器の特徴=音が良い理由」と考えるでしょう。とんでもない勘違いが起きて大金が無駄になります。

しかし99.99%のユーザーは弦楽器購入の予算を無限に用意できるわけではないので現実的なことを知らないといけません。そのような情報は全くありませんでした。我々の落ち度です。
何千万円の高級車の情報ばかりで、実際に多くの人が購入する軽自動車や大衆車はどれが良いかというのは無かったのです。


とはいえ我々も師匠からの教えではわかっていないことが多くありました。
というのは代々、「答え」だけを教わって来たのでなぜその答えになったのかが分かっていません。我々が教わったことと、演奏者が選ぶ楽器が全く違うということを経験してきました。

それでも頑固な職人は「答え」を学んだことで、わかっていると思い込み自説を曲げることは無く「世の中がおかしい」と自分を慰めるのかもしれません。そのような強い信念はお客さんから見ると確固たる「専門家」と見えるかもしれません。そのような役割も期待している人はいるでしょう。それでは、職人もお客さんも自分を騙していることになります。
多くの職人は器用に異なる価値観を使い分けています。高い楽器を見たら素晴らしいと言い、音が良い楽器があれば絶賛します。しかしいざ自分が楽器を作る時には全く違うものを作ります。矛盾に気付いていません。

でも騙し続けていても使い続ければ楽器は鳴るようになってくるのでそれで墓場まで行っても悪くはありません。そう考えると何でもありです。


私は「答え」を教えることはあまりしたくありません。
私自身が分かっていないからです。
私が分からないくらいですから、世の中の職人の大半もわかっていないでしょうし、すでに作られた楽器ではわからずに作られたものに当たると思った方が良いでしょう。
分かっていると思い込んでいる人は大勢いますよ。弦楽器業界の人に特有のタイプです。




宗教への信仰心は日本でも欧米でも年々薄れて行っています。それで人々が完全に科学的、論理的に考えるようになるかといえば、私はそうは思いません。様々な分野に細分化された小さな「信仰」が至る所に存在しているのではないでしょうか?

職人の教えも聞いていると工業技術ではなくて「宗教じゃないか」と思うようなこともあります。なぜかわからない数字の0.1mmが絶対とされていたりします。工房によってその数字が違うのでその工房内では絶対のものです。私はフラットなアーチの楽器と高いアーチの楽器でネックを入れる時のやり方を変えています。しかし多くの職人は決められた寸法をどの楽器にも応用しようとします。新作の作り方で数字が決まっているからです。そもそも新作ではフラットなアーチや高いアーチの楽器を作ることさえ許されません。
決まった数字を信じている職人ほど「自分は正しい知識を持っている」と思っていますから厄介です。
逆にケースバイケースでこの時はこうすると細かくやり方を変えている人でも「本当に意味があるの?」と怪しいことが少なくありません。

師匠に忠実な厳格な人でなくても、今度は自分の頭の中で考え工夫したことに対して甘い評価になりやすいです。
自分がこうやったら音が良くなるんじゃないかと工夫しただけでそれが音が良いと思い込んでしまいます。
これは楽器の音を厳密に評価するのが難しいのでそう思い込んだらそう聞こえちゃうのです。大事なのは自分に甘くしないことです。演奏者などに試してもらって判断すべきです。全部自分で弾いて判断していると耳元だけの変な音になっていきます。これも思い込みの激しいタイプで業界にはよくいます。
工夫しても弦楽器というのは全面的に音が良くなるというのは難しく、一長一短になります。前の音のほうが好きだったという人も出てきます。そういうものです。職人は細かいことを気にしすぎるので思い切ってやり方を変えたつもりになっていても実際にはほとんど変わらないことが多いでしょう。




楽器の購入はこちらでは、試奏して自分が気に入ったものを選ぶという当たり前の方法が主流です。
しかし日本の話を聞くと「宗教じゃないか」と思います。ウンチクの理屈をゴジャゴジャ言うのです。
弾いて音がどうかに集中するべきで、それ以外は要らない情報です。そのような知識を集めれば集めるほど理解から遠のいていきます。お店の人は要らない情報しか言わないのですからまいったものです。


読んでいただいている方々には自分で答えを見つけてほしいという視点で記事を書いています。
私が書いたことを鵜呑みにしないでほしいです。
私は薄い板の楽器を作ったり高く評価したりしますが、厚い板の楽器が気に入ったならそれでいいですよ。私とこちらのお客さんの好みというだけです。厚い板の楽器でも小さな部屋の中では音量があると感じられるものはたくさんあります。古いものなら音色が深いものもあります。ホールでどう鳴るかは上級者でも意識しない人も多いです。

私が言うのは厚い板の楽器を作るのは薄いものを作るよりも作業量が少なく安い楽器に多いので、「厚いものが本物だ」というようなウンチクは忘れてくれということです。20世紀になると厚めの板の楽器が増えてくるのである種の流行だと思います。我々の師匠の師匠の師匠くらいの時代に流行したとすれば、我々はそれを「正しい知識」と思い込みがちで、専門家として教えて来てしまいました。しかし、楽器を選ぶ時はそんなことは気にしなくて良いということです。実際に板が薄めの19世紀の楽器には音量が多いものがたくさんあり知識が間違っていることが分かってきました。オールド楽器もしかりです。それに対してよくわからない理屈で反論をする人がいます。そもそも理屈なんていりません、実際に音がどうかです。

理屈に矛盾する楽器があったとき、その理屈を正当化するための理屈が作られます。その理屈に矛盾する楽器があるとまた更に理屈を考え出します。日本ではこの手の話が多すぎます。嘘をついたためにさらに嘘をつかなくてはいけなくなってしまいます。嘘だったと認めたほうが楽です。

私が作っているやり方が他のものより優れているということはできません。
音の良し悪しを客観的に評価することなんてできないからです。ある音大卒のヴィオリン奏者の人は現代の作者に興味があっていろいろなものを弾いてきたそうです。私の楽器に驚いて「こんな新作楽器は珍しい、まるで古い楽器のようだ。ヴァイオリン製作コンクールに出したらどうだ?」と言います。コンクールには工作技術の評価以外に音の評価があるからです。
しかし私の作風では出すことすらできません。普段作っている楽器をついでにコンクールに出して音の評価の点数だけ見れれば良いのですが、作風を変えないといけないので無駄な楽器を作ることになります。
音もその人が気に入ってるだけで審査員が別のヴァイオリン奏者なら別の評価になるかもしれません。もっと派手な音の楽器がほかにたくさんあることでしょう。

音の優劣を客観的に評価することはできません。



自分で答えを見つけるためには考える元が必要です。
多くの場合職人や楽器に幻想があり先入観が実際とはかけ離れています。


その辺の感覚を養ってほしいものです。
当ブログでは、私の日ごろの体験を書いていますので、それを通じて現実を知ってもらいたいです。




宗教は面白いもので、教会での演奏会の様子もお伝えしました。
クラシック音楽の基礎に教会の音楽があることは間違いありません。特にバロック芸術ではカトリック教会が大きな役割を果たしました。教会のための芸術と言っても良いでしょう。
「芸術家の仕事」と考えると職人に近いです。当時は芸術のための純粋な芸術ではありません。
近所の人たちがお金を出し合って神社を直すように、信者がお金を出し合って自分たちの教会に絵を描いてもらったりしたわけです。絵の内容も目的に応じて「聖人」が選ばれました。音楽家の組合があるなら聖チェチェリアが音楽の守護聖人です。ボローニャの画家が描いた絵ではヴァイオリンがリアルに描かれています。ボローニャ楽派からは優れたヴァイオリン奏者を輩出しました、コレッリやロカテッリなどです。

何かを信じることが悪いことだとは言えません。何でもありだと思います、自分で考えてください。