ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -16ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
お問い合わせはPC版サイトのリンクかアメブロのメッセージから願いします。

こんにちはガリッポです。

3年近くぶりの帰国で日本にいますが、慌ただしいスケジュールが終ってようやくゆったりしているところです。
コロナのこともあって最小限にさせていただきましたがそれでも3年ぶりのメンテナンスを待っている楽器も少なくありませんでした。

この間の世の中の変化としてはやはりネットが浸透し情報のとらえ方が変わってきていると思います。オタクや若者だけではなく多数派になって来たようです。ちょっとした雑談でも何か裏があるのではないかと勘繰るのが普通になっているのを感じます。
かつてはメディア、出版、広告、業界が手を結んで情報が発せられそれを「常識」として知ってるのが偉いという風潮でした。

しかしながら「ネットに出てるから正しい」と考えるのは危険でしょう。古い常識を否定して意見を言い人気を集める人がいます。しかし、その人が信用できるかどうかが分かりません。先にネットの記事を読んだだけかもしれません。
討論というのは駆け引きがあってなんか胸の内をさらけ出してないような印象を受けます。そういうのはうんざりです。


私はヴァイオリン業界に入って学んだ知識が実際の楽器に触れていると当てはまらないことが多いことに気付きました。しかしだからと言って「新しい常識」を構築するのは難しいです。これまで言われていたことが間違っていることは分かっても、新たな法則性を見出すことができないからです。何もあてにならないということが分かっただけです。

世の中全般のことについても「何もあてにならない」ということが分かっただけで、「ネットの論客の言う事が正しい」と考えるのは飛躍しています。仮に正しかったとしても、「言葉のゲーム」の中で圧倒するだけで実際に起きている事とはかけ離れていることかもしれません。

分からないという状態をそのまま受け止めるというのは人間にとっては難しいことなのでしょうか?

知識によって決めつけることで可能性を著しく制限しているというのが弦楽器の理解についても「未熟」だと思う所です。そういう人に限って自分は詳しく偉いと思っています。何も知らずに彼らよりもずっと音の良い楽器を選んでいる人もいます。知識が邪魔をした結果です。
ヨーロッパでは「たまたま家にあった」とか親戚から譲り受けたということがあるので偶然という要素も無視できません。こうなるとどちらかというと「縁」という概念に近いかもしれませんね。先代の親方は楽器選びを結婚に例えます。
日本でお会いする方も、別々にお会いした人が知り合いだったこともあります。まさに縁としか言いようがありません。

私は、とっつきにくい技術的な話も冗談も交えて読みやすいように考えていますが、真剣に読んでいる人もいるでしょう。真剣に読んでくれている人がいると思うと申し訳ない気持ちになります。しかし真剣に考える土台となるほどの知識が無いのが弦楽器です。深刻に考えず気楽に心で感じて欲しいものです。

私は歴史に興味があります。現代の常識が歴史を正しく理解しているとは言い難いものです。昔の人の常識が今とは違うため現代の人がどんなに新しいことを考えるよりも発想がぶっ飛んでいて面白いものです。結果的に出てくる音も独特です。オールド楽器を理解したいなら現代人の発想を捨てることです。現在信じられている知識をいかに捨てることができるかが問われると言っても良いでしょう。私が常識を捨てるために苦心している一方で、常識を集めることに必死になっているマニアはまったく正反対の行動ですね。

コントラバスやヴィオール族の古楽器などは寸法が定まっていないのでどうやって仕事をしていいのかわかりません。作るのはもちろん修理もよく分かりません。しかし、なんとなく「これくらいだろう」と山勘で仕事しないといけません。コントラバスで何もかも理想的な状態にしたければ修理代がべらぼうに高くなってしまいますので、「使えれば良い」とポイントだけを抑えて仕事をする必要があります。
ヴァイオリンもかつてはそうだったはずです。0.1mmまでこだわって作ったのではなくずっと大雑把に考えて作っていたはずです。そうやって作ったものがたまたま音が良かったということもあり得る話です。


そもそも「音が良い」とか「良い音」の定義が人によってバラバラで法律のような決まりが無いということをぜひ知ってもらいたいと思います。
「音が良い」ということが定まっていない以上、音が良い楽器を区別する方法はないということです。

全く法則性が見いだせないかと言われるとそれもまた極論のように思えます。
例えば大型のビオラの音も、何となくあります。鼻にかかったような独特の音でヴィオール族の古楽器のような感じもあります。ところが私が大型のビオラを作るとヴァイオリンの延長にあるような素直な音になります。それのどちらの音が良い音なのかもわかりません。
私が思うのは、柔らかい音と鼻にかかった音が相反する要素で、ヴァイオリンやチェロでも作者によって柔らかかったり鋭かったりします。鋭い音と鼻にかかった音が同じ傾向だと考えています。私が大型のビオラを作っても鼻にかかった音にならないというわけです。

量産ヴァイオリンの典型的な音も全く無いとは言えないでしょう。表板や裏板の隅っこに削り残しがあったり、全体が厚すぎることもあります。持ってみると重たいのですぐにわかります。板の厚みもばらつきがあり、各部の接着も強引で、アーチも何も考えずに作られています。
そのような楽器からは「雑音」が多いと指摘する人もいます。響きが多いことを音量があると解釈することもできますし、音階と関係ない余計な音が混じっていて不快だと感じる人もいます。
楽器全体が響いている感じがしないと感じたり、何か限界をすぐに露呈する硬さや単調さを感じることもあるでしょう。


また作りが荒い楽器と丁寧に作られた楽器で全く音の傾向に違いが無いかと言えば、あるような気もします。
作りの粗い楽器のほうが音も荒々しい感じがすることが多いと思います。良い悪いは別として桁違いにキャラクターの強い音がするものは作りに粗さがあるものが多いようです。丁寧な方が上品で奥ゆかしい感じで癖が少なく例えば低音から高音まで均一であるように思えます。

しかしながら丁寧に作られても癖が強いものもあるし荒々しい音のものもあるでしょう。

でも品質が高い楽器の音というのはある程度あると思います。ただしそれが「良い音」かと言われるとわかりません。オールド楽器では無造作に作られたもので酔いしれてしまうようなものがあるのです。
そういう意味では紙一重です。

はじめはよくわからなくて、たまたま使うことになった自分の楽器の量産楽器特有の音に不満を持っていた人が、上質なハンドメイドの楽器の澄んだ奥深さのある音に価格の差を感じるのも決して珍しいことではないでしょう。その違いに価値を感じるケースもあると思います。ですから数倍の値段の楽器を買う意味があります。特に日本人は繊細な感覚や美意識を持っている人が多いと思うので雑味が多く荒々しい音が好きでない人も少なくないと思います。


一方でとにかく「鳴る」ということを重視する人もいます。その場合は古い量産楽器にステップアップするのもあると思います。10~20万円くらいの安いものでもやたら音が強く感じられるものがあります。

ハンドメイドの上質なモダン楽器はその両方というわけです。このため私のところでは音大生などにも求められています。「イタリア以外」のものなら値段は下手すると新品より安いこともあると紹介しています。オークションで楽器を売買するような人たちは楽器としての実用的な価値を求めていないようです。そのようなものの価値が分かっていないと輸入さえされずに日本では買うことができないと指摘してきました。「世界的に認められる」ということが音楽家にとって良いこととは思えないのです。

その路線なら新作で様々な工夫をしても何でもない中古品にさえ勝ることは難しいと思います。


さらにモダン楽器の優秀さを認めたうえで、オールド楽器はまた別の世界であるというのも感じます。ただし魅惑的な音色はあっても理想的なものを手に入れるのは難しいものです。値段もさることながら楽器を購入するという意味でも上級者向きです。
私は数百年という月日は生み出せませんが、ハイテク技術もない昔の人がやったことができないはずはないと思うのです。私のような考えに共感するほど深く興味を持っている人は普通にお店をやっていたのでは滅多にやってくることはないでしょう。それが休暇で日本に戻っている間に何人かお会いすることができます。そのような方に会えるのはブログのなせる業です。勤め先の楽器店に来る客層とブログの読者でも全く求める楽器が違います。

考え方だけではなく実際に音で結果を出さないといけません。これまで作ったピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンやアマティ型のビオラでは独特の音と言えるのではないでしょうか?これはとても面白い発見です。
でも「従来の製品より音が良い」とかそういうものではないです。そもそも従来よりももっと昔のような製品です。

職人はみな様々な持論があったり創意工夫をしたりしています。ただし、やってることが細かすぎて音にはっきりした違いが分かりません。例えば木に染み込ませる下地の塗料でも私はいろいろ毎回変えていますが、音の違いが表れてきません。顕微鏡で名器に塗りこまれている材質を調べるようなことは興味は引くのですが、私は実感として差が出るとは思えないのです。また異なる産地の楽器でも「鳴る」ものが出てきます。何か特別な産地の木材とか特別な処理をしたとは思えないのです。

職人同士で話が通じないのは「音が良い」という概念がバラバラだからです。職人同士のほうがバラバラじゃないかと思うくらいです。

それに比べるとオールド楽器の見た目は現代の楽器と明らかに違うのです。見た目をマネすると音にも違いが出てくるのが私がやってきたことです。それらは「音が悪いので作ってはいけない」と習うものです。クレモナでもそのような教育がされているとイタリア人の職人に聞きました。
見た目を真似ただけですからなぜそんな音になるかは説明できません。

だから弦楽器を理解しようと思ったら不真面目なのはダメ、真面目すぎてもダメというものです。私はそのような「軽さ」を持って楽器を見ていくのが良いと思います。ブログでもそれを出していけたらなと思っています。
こんにちはガリッポです。

久しぶりに日本に帰ってきました。
休暇のためブログ更新も休んでいます。

暇があったら記事を書きたいと思います。もともと定期更新日が決まっているわけではないです。

こんにちはガリッポです。

いよいよ久しぶりの帰国です。


この前から音の話をしてきていますが、改めて考えると演奏者の方々が考えるのと職人が考えることにはギャップがあると思います。以前タバコの箱で作られたヴァイオリンを紹介したことがあります。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12717396417.html

要するに箱に駒を立てて弦を張れば音は出ます。
ペグで調弦すれば抑える位置によって音階を弾くことができます。
その時点で楽器としては機能します。

タバコの木箱ですらヴァイオリンになるわけですから、ヴァイオリンのような形をしたものに弦を張ればどんなものでもヴァイオリンになります。ペグやネック、駒や弦長が正しければ音階を弾き分けて音楽を演奏することができます。

つまり基音だけならどんなヴァイオリンでも同じです。
それに対してヴァイオリンは複雑な倍音を発生させます。それでどの楽器もみな違う音に聞こえます。それを良いか悪いか区別するのは至難の業です。

職人は品質や作業工程の仕方によってコストを考え、楽器の値段を考えます。
パッと楽器を見るだけですぐにそれが分かってしまいます。音が出るよりも先に基本的な「格」が分かってしまうのです。安い楽器で音が強く感じられると「安っぽい音」だと思ってしまいます。つまり先入観で考えています。それを自省し音が強いなら良い楽器なのではないかと考えると一転してコストパフォーマンスに優れていると考えることもできます。
完全に目隠し状態となったら、ヴァイオリンの音はみな違うということは分かるでしょうが、高い楽器の音なのか安い楽器の音なのか判別する自信は全くありません。

それに対して、演奏者の方は楽器を見ただけではどれくらいの「格」のものかはわかりません。ヴァイオリン教授が「これは素晴らしい」と言ったヴァイオリンが10万円くらいの量産品の最も安いものだったこともあります。だから、音だけで楽器を判断すると無秩序になります。高価な名器のニセモノでも音が悪いという理由でプロの演奏者も気づかないことがしばしばです。

それは楽器はみな違う音がしますが、何が理想の音かということは決まっておらず耳で聞いた人が個人的にどう思うかでしかありません。純粋に音だけなら値段は全く関係ありません。

唯一客観的に言えるとしたら「遠鳴り」だと思います。
ホールの一番後ろで聞いた時に豊かに聞こえるものが優れたヴァイオリンです。もちろん近代的な価値観です。室内楽だとか古楽とかになるとまた別の話ですが、主流の考え方ではそれだけが客観的な評価となるでしょう。

というのは遠鳴りしなくてもいいのなら、何でもありになってしまいます。耳元だけで楽器の優劣を判定するとさっきの教授のように最も安いランクの楽器を選ぶこともあると思います。でも自分に自信のある演奏家ほど自分本位で楽器を選びます。楽器店の側として真摯であるなら、お客さんが選んだものがその人にとっての良い楽器ということになります。

耳元だけで音を判断するなら、ヴァイオリンのような形をしていさえいれば、音が良いと感じる可能性があります。逆に悪い音とは何でしょうか?

遠鳴りを考慮しなければ、弾いた人が感じる音がひどく悪いヴァイオリンを作る方法を私は知りません。
教わっていませんし、ひどく音が悪いものを作ったこともありません。
作れと言われてもどうやったら音が悪いものができるのかわかりません。
他の多くの職人も同様で、私よりも不勉強なら私よりももっとわからないでしょう。
誰が弾いても聞いても音が悪いと感じる楽器を作るのは難しいのです。

職人から見てこれはひどい出来のヴァイオリンだと思っても、弾いてみると意外とそんなに音が悪くないということがよくあります。見た目の方が確実に違いが分かり、音はヴァイオリンっぽいものであればみなヴァイオリンのような音がするものです。音はみな違いますが、音が良いとか悪いという基準が無いので個人がどう感じるかだけです。

名工だろうと無名の職人だろうと誰も音の極端に悪いヴァイオリンを作る方法を知りません。だから無名で値段が安い職人でも音がひどく悪いものを作ることができません。逆に名工とされている作者の楽器でも客観的には「音が違う」というだけで、良い音か悪い音か判別できません。誰が作ってもそこそこのものができてしまうのです。みな微妙に音が違い言葉でも表現できず点数も付けられません。

初めて作ったヴァイオリンがひどく音が悪く、修行を重ねるごとに音が良くなっていくのではなく、初めて作った瞬間にまともなものができ、作り方を変えても好き嫌いの問題にしかなりません。聞いた人は最初のものよりも音が良くなったと感じる人もいれば悪くなったと感じる人もいる、そんなものです。

イメージとしてつかんで欲しいのは、未熟な職人が作ったものはひどく悪い音がして、熟練し研究を重ね天性の才能に溢れた名工だけが音が良いものができるようになるというようなものではないということです。誰が作っても「ヴァイオリンのようなもの」ならヴァイオリンのような音がします。その音を良いか悪いかふるいにかけるのは難しいです。

天才だとか巨匠だとかいうとらえ方は実際のヴァイオリンからはかけ離れています。


多くの人は初めに値段を聞かされて、それで高い楽器だから音が良いとか安い楽器だから音が悪いと決めつけてかかっています。またこちらでは古い楽器を求める人が多く、古そうな楽器なら音が良いと決めつけています。アンティーク塗装の新品でも音が良く感じるようです。

また音だけで楽器を選ぶと50万円のチェロを250万円で買ってしまったりします。その場合にも古く見える楽器を選んでいました。第3者の私が聞いても特別音が良いとは思いませんでした。状態が悪くて買った後で修理代が100万円を軽く超えてしまうような楽器を買ってしまう人もいます。

消費者が何を選ぶかは自由です。
しかし音で値段が決まっているわけではありません。この楽器は音が良いので高く売れるはずだと思っていても、他の人も音が良いと思うとは限りません。音には値段が付かないのです。

このため職人は音については深入りしません。
どうやっても「※個人的な感想」でしかないからです。
偉い先生が音が良いと言っても別の先生は違うことを言うかもしれません。

セオリーにしたがって楽器を修理し理想的な状態にすると職人としては「最善を尽くしました…」ということになります。最善を尽くした結果が芳しくなければそれ以上にはならないでしょう。一方最善を尽くしてない楽器が山ほどあります。セオリー通りにするだけで楽器の能力が引き出せることは有ります。状態が悪い楽器ほどチャンスがあるわけです。

しかし、セオリーに従っている限りは最善を尽くしたさらにその上の音を得ることはできません。それを研究する大学や民間の機関がないからです。


客観的な優劣は遠鳴りするかどうかということになりますが、演奏者は自分の演奏を遠く離れて聞くことは一生できません。そういう意味ではお金を出して楽器を買う自分だけが良さをわからないものです。


音が分かった気になるのは自分に自信がある人です。
これは職人でも同じです。
日本人はそれが苦手でウンチクなど権威に流れやすいでしょう。
職人にも音が良いか悪いか言って欲しいでしょう。
自信に満ちた職人はカリスマ性として消費者には求められているかもしれません。

腕前は様々ですが我々職人もみな楽器を習った経験があり、これは良いとか悪いとか言っていますが、そのことは言わずにお客さんに選んでもらうと、我々が良いと思うものと違うものが選ばれるのはしばしばです。本当は謙虚であるべきなのです。


また音は相対的にしか分からないでしょう。
何かとの比較によってはじめてその楽器の音が分かります。普段聞いているものが基準となりますから、人によって感じ方が全く変わってしまうわけです。

国や地域によって普及している楽器の平均的な音が違えば良いとされる音や求められる弦の銘柄も変わってくるでしょう。
建物の影響もあると思います。

心理学的なことを言えば、自分の楽器を信じることができるかということになります。信じて弾き続け使いこなせばすばらしい演奏ができるというものです。
そのために余計に何百万円も払っている人もいるのが現実です。

素人の作ったヴァイオリン


こんなヴァイオリンがありました。

一見ヴァイオリンのように見えますが・・・

私が見ればすぐにプロのとして十分な教育を受けていない人が作ったものだとわかります。まずニスの色が薄すぎます。仕事の感じもプロのレベルにはありません。それにしてはヴァイオリンらしい形をしているようにも見えます。

もっとわかりやすいのはネックです。指板の先端の位置が間違っていています。ナットの先端のところに指板の先端が来なくてはいけません。
このためネックの部分の弦は5mmほど短くなっています。
持ってみるとネックの断面が綺麗な丸みを持っておらず四角い感じがします。

なんとなく汚らしい感じがします。

手作り感がありますが仕上げが綺麗ではありません。

ペグボックスの壁が厚すぎて窮屈になっています。ナットの溝がずれていて弦が指板の左に寄っているように見えます。

師匠からダメ出しを受けながら完成度を高めないとプロの水準に達するのは難しいでしょう。
粗い作風はオールド楽器にもありますが指板やネックを見ればわざとではなく素人の作ったものだとわかります。

板の厚みを調べると表板のエッジ付近が異常に厚いです。隅っこまで内側を彫っていないようです。こうなると実質的に子供用の小さな楽器のような面積しか振動できません。
実際に弦を張って調弦するためにはじいてみても子供用の楽器のような感じがします。
私たち職人はたくさんの楽器の弦を指ではじいて調弦して張っていますから感覚的に、名器とは全く違うことが分かります。

職人にはとんでもないひどい楽器に見えます。弓で弾いてみると低音が全く出ません。ヴァイオリンの音域と板の振動する音域があっていないようです。とはいえ子供用のヴァイオリンのように音は出ます。全く演奏ができないことはありません。耳元では意外と音がちゃんと聞こえます。この音を好きだという人がいたらそれを否定することはできません。

外見がこのくらいのレベルの楽器でメディアに取り上げられ、ストラディバリより音が良いと宣伝して300万円くらいで売っている素人の職人もいます。消費者は分からないのでパーティーでお金持ちを集めることができれば商売は成立することでしょう。

ミッテンバルトの量産ヴァイオリン



前回お話ししたミッテンバルトの量産ヴァイオリンです。これも板が厚くてひどいものでした。ニスはラッカーですが製品としての品質は十分なレベルにあります。

アンティーク塗装ではなく自然と古くなったようです。おそらく1800年代の終わりころのものでしょう。ニスの剥がれ方は興味深いです。よくアンティーク塗装で裏板を塗り分けてあるものがありますが、あまりにも模式的で実際とは全く違います。実際はこんなになるんですね。
裏板の材料のランクは低く当時は安価なものだったのでしょう。

渦巻は2週目の丸がいびつです、おそらく手元が狂って削りすぎてしまったのでしょう。

特に優れたものではありませんが弦は問題なく巻き取ることができます。
これは板を薄くし、バスバーを交換する修理をしたのでセオリー通りの状態になりました。私は板の厚みなどは現代のセオリーとオールドやモダン楽器の作風を知っていますのでそれらの中間くらいにしました。

弾いてみると低音から高音までバランスが中庸で整っているように思います。これも元の状態ならそうではなかったと思います。
ごくまともなヴァイオリンになりましたが、130年くらい経っていて音が出やすくなっています。こんなチープなヴァイオリンでも新作の高級品に対して優位な部分が相当あると思います。弦だけが振動している感じではなく細かい響きもフワッと広がる感じがします。

現代のセオリー

現代のセオリーでもこのような楽器に比べればはるかにましということが言えます。修理によってセオリー通りにすればまともな楽器になります。

セオリー通り作られればプロの作品として認められ、音は好き嫌いかの問題です。ただし、それ以上で誰もが音が良いと思うものを作るのは難しいです。

素人の作ったような楽器の水準のものでもイタリアのオールド楽器なら1000万円位にはなっています。天才でも何でもありません、誰でも作れるレベルです。後の時代による修理によって楽器として使えるようになっているのでしょう。見た目も汚れや損傷で立派に見えます。
同じようなクオリティのただの安物で古く見えるものは偽造ラベルが貼られて出回っています。きちんとしすぎていると近現代の楽器に見えるからです。

古くなることはそれだけ有利なのですが、古い時代ほどセオリーが確立しておらずオールド楽器では癖が強かったり窮屈なものが多いです。一方で魅惑的な音も備えています。古いから何でもいいのではなく一つ一つ精査する必要があります。究極の良いものは数が少なくべらぼうな値段がします。

その点セオリーが確立したモダン楽器では大ハズレするものは少ないでしょう。
2流以下のオールド楽器と1流のモダン楽器でどちらが良いかは演奏家の間でも意見が分かれると思います。

このようにモダンヴァイオリンはセオリーが確立しているため優秀なものがたくさんあって、作者が無名なら値段も安いものです。大半のものは「巨匠」の新作よりも値段が安くよく鳴ることもしばしばです。
現代のヴァイオリンでは巨匠と宣伝されている人でもセオリー通りの楽器を作っているだけです。その人たちの師匠かその師匠あたりの頃にセオリーができているからです。私たちが職人が見ると「普通のヴァイオリン」と思います。
今回修理したような安価なヴァイオリンでも音だけで言ったら「巨匠」の楽器と競合するでしょう。「鳴れば良いというものではない」と謎の言い訳をしなければ、その地位は怪しいものになります。いかにも新品のような音を「明るい音」と称賛するのもお馴染みのことですね。

オールドのような魅惑的なヴァイオリンとなると入手するのは難しいです。値段がものすごく高くなります。それでもマイナーな流派ならさほど高くはありません。マルクノイキルヒェンの系統なら100万円もせず、アーチもフラットで癖の少ないものがクリンゲンタールのホプフ家のものにはあります。各地には地元の職人にしか知られていないオールド楽器もあって典型的なシュタイナー型の高いアーチのものとは異なるものがあります。とはいえ数が少なくほとんど輸入されていないでしょう。

いずれにしてもセオリーに従っていれば優等生的なものができますが絶対ではありません。モダン時代のセオリーも今では忘れられてきています。修理ではその状態を維持することが大切です。傷んだり狂ったりしてきますので、100年もした楽器ではオーバーホールが必要です。特に安価な量産楽器はその時点で修理代が楽器の値段を超えてしまい、雑な修理がされるという悪循環です。

一方量産楽器なら今回のように改造することもできます。ハンドメイドの楽器なら作者のオリジナリティを尊重するのが修理の基本なので改造はできません。したがってそれほど多くのことはできません。セオリー通り作られたものならその状態に戻すだけです。ネックの取り付けなどは19世紀から20世紀にかけて変わっていきます。

修理では保守的にセオリーに従うのが精一杯です。人様の楽器で「実験的な修理」なんてやってリスクを冒すことはできません。

新作でも実験はリスクになります。しかし思っているほど音が悪いものはできません。基本を学んでいない職人のほうが個性的なものはできますが、最低限知るべきことさえ知らず、最低限の技能もありません。


本人が工夫したつもりになっていても、同じような工夫は50年~100年前の人も考えていて、古くなった分鳴りが良くなっていてかないません。

発想を根底から変える必要があります。我々が考えて思いつくことよりも昔の人たちの常識のほうがぶっ飛んでいます。
オールドヴァイオリンの時代は基本がモダン以降とは全く違うものです。現代のセオリーに染まった我々が理解するのはとても難しいものです。








こんにちはガリッポです。

この前ヴィヨームの話をしましたが、また続報です。
再び音大の教授がやってきて自分の楽器とヴィヨームを弾いていました。
この前はコンサートマスターの方と一緒でしたが、面白いのは楽器を試すのにコンサートマスターの方は主旋律のメロディーを弾いているのに対して、教授は超絶技巧の早いパッセージを弾きます。職業の違いが出て、音楽の奥深さを感じます。

教授の持っているヴァイオリンはモンタニアーナのラベルがついています。私が見るとf字孔は改造されていて原形が分かりません。スクロールも見るからに新しい感じがします。継ネックはされておらず後の時代に作られたものでしょう。コーナーの形やパフリングの先端がどう見てもモンタニアーナやゴフリラーなどのベネチア派の特徴と違うのです。ニスも薄く典型的なひび割れのしているものではありません。アーチも私のイメージとは違います。何一つモンタニアーナの特徴がみられません。モンタニアーナはかなり個性がはっきりしているだけにそれが感じられないのはどうなんだろうと思います。教授に「これはニセモノじゃないんですか?」と聞くわけにもいきません。
しかし胴体は明らかにオールドヴァイオリンで後世の人が作った複製ではないでしょう。モンタニアーナなら一億円以上そうでなくても数千万円はするクラスのものです。
コンサートマスターのアレサンドロ・ガリアーノは4000万円くらいです。
3000万円のヴィヨームと比べて音がどうかという話でした。

教授の弾き比べを聞いていても、明らかに音が違うことは分かります。それをどうやって言葉で表現できるかわかりません。この前印象の悪かったヴィヨームですが、弦をピラストロのエヴァピラッチゴールドから、トマスティクのペーター・インフェルトに変えました。音はきれいに整ったものになりました。これで違和感が無くなり本来の能力は出るようになったと思います。教授が弾いているのを聞いていてもちろん悪いところなど無くネガティブな要素を指摘することもできません。ヴィヨームを自分の楽器として弾きこんでいけば素晴らしい演奏もできるでしょう。それは楽器が良いのか演奏者が良いのかわかりません。それはヴィヨームに限らず他の楽器でもそうなのかもしれません。もっとたくさんの楽器を片っ端から弾き比べてみないと本当のところは分かりません。教授にその必要もないでしょう。

トマスティクは日本ではドミナントを使ったことのある人がほとんどでしょう。うちではあまり売れない弦です。ペーター・インフェルトをはじめて私が試したときにはあの懐かしい感じがしました。そういう意味では性能がどうだとか言う以前に「馴染み」というのがあるようです。一方ピラストロはそれ以前のガット弦で有名だったようです。安価なナイロン弦のドミナントが有名になった後も、年長の上級者やこだわりの強い人がガット弦を使い続けています。そういう意味ではピラストロもブランドとしては知名度があります。ガット弦に変わるものとしてオブリガートがこちらでは定番の人気があります。柔らかく暖かみのある音ということで、性能を極限まで高めたいというよりは心地良く楽しみたいと多数派の支持を得ています。日本や韓国アメリカではエヴァピラッチが有名でドミナントから張り替えると音量が増したとびっくりする体験をした方も少なくないのではないでしょうか。
まず考え方として乗り心地の良い高級車のようなオブリガートとレーシングカーのようなエヴァピラッチで高級弦に求められるものが違うのも面白いです。
こちらでもマニアックな人はいろいろな弦を試して、普通のユーザーは定番のオブリガートを使うわけです。日本でも高性能を求めるのはマニアックな人で、それ以外の人は皆が使っているドミナントを信じて使い続けるという保守的なものです。
日本の話で驚くのはやたら頻繁に交換することです。新しい弦の張り立ての音をベストと考えて変化すると劣化したと考えるようです。こちらでは張り立ての音はまだ本調子ではないと考えられていてしばらく弾き込んで馴染んだのがベストと考えています。考え方の違いは面白いです。
松脂が付着していくことも音が変化する原因です。アルコールで掃除するとフレッシュな感触が戻ります。


同じピラストロのヴィオリーノもオブリガートのように安い楽器をマイルドにして低い張力で扱いやすいものでコストパフォーマンスに優れています。
私は一番新しいパーペチュアルのカデンツァには、オブリガートとエヴァピラッチの両方の要素があるように思えるので個人的には注目しています。知名度は全く無く売っているところも多くないでしょう。
とはいえ大雑把な方向性の話で弓が触れて音が出る感触は個人のこだわりの強い部分です。ドミナントに慣れ親しんだ日本の人の方がトマスティクのユーザーが多いでしょう。ドミナントPRO、TIやロンドという新製品もありますが、トマスティクユーザーが少ないこちらでは経験が不足します。


話がそれましたが、なんとか「モンタニアーナ」とヴィヨームの音の違いを説明するのが難しいです。
弦楽器では音を評価する専門の職業がありません。演奏者が勝手に自分の感じた事を言うだけで客観的に記述するということはないでしょう。これがピアノなら学校やホールに備え付けられていて多くの人たちが使えるように最大公約数的に標準化されている部分はかなりあるでしょう。当然音を作り出すのはメカニズムの機構で誰が叩いてもピアノ自身が音を作ります。それでも弾く人によって音は違うでしょうが、ヴァイオリンはもっと演奏者が音を作る要素が大きいです。弾く人によって全く音が違うので楽器の音を言うのが難しいです。
そんなこともあって、これまでは業界としてヴァイオリンの音を記述してきませんでした。言葉で示されたことを実際に耳で聞いて、言葉と音の一致を体験するとはじめて記述を読んで音をイメージできるようになると思います。そのような共有が自動車やオーディオ機器ではもっとあるのです。

日産のカルロス・ゴーンという人が有名ですが、マツダにはマーク・フィールズというフォードの人が社長として日本にやってきました。フィールズはもともとテストドライバー出身で、マツダに来ると自動車の評価の基準を定めたそうです。それまでは開発担当者の個人的な好みで自動車の調整をしていました。操縦性や乗り心地などの感触を客観的に評価する基準を導入したのです。ユーザーの好みを分析してそれに合わせるという合理的なものです。


レコーディングやオーディオでは「ドンシャリ」という言葉があります。低音と高音を強調して中音が抜けているバランスのことです。オーディオ製品に音を調整する機構がついていれば、初心者はまず低音を強調します。それに合わせて高音も強調します。それがドンシャリです。音楽の大事な音域が損なわれるので玄人は嫌うのです。
そのような禁欲的な趣向を好まない人がファンに多い音楽ジャンルでは大いにドンシャリでやってくれということもあるでしょう。

ともかくこのようなことを経験するとドンシャリという言葉を聞いただけで音がイメージできるようになります。カーオーディオでズンズンと低音が漏れてくる車がありますね。と言えばだれにでもイメージできるでしょう。

個人のヴァイオリン工房なんてのはもっともっと個人的なもので客観性などは何もないものです。いくら職人が持論を熱弁しようと独りよがりなのか、実際に音が優れているのかわかりません。私はどれだけ見事な理屈を言おうと感化されません。

それどころか職人は楽器作りを通して、自分の意図を音に反映させることが非常に難しいです。何か工夫したことが本当に音の違いになって表れているのかよくわからないです。例えば音を調整しながら楽器を完成させるというような工程が無いのです。作ってみて初めてこんな音になったというものです。
自画自賛タイプの人は、目標があってそれに音が近づいたのではなく、自分が教わった方法や、自分で考えて作った楽器から出た音を後付けで優れている点を探しそれがヴァイオリンにとってさも大事なことであるかのように熱弁します。どんな作り方でもヴァイオリンは一長一短で良い所も悪い所もあります。つまりどんな作り方でも良い所を強調することができるというわけです。販売する営業マンでも同じことです。安く仕入れて高く売ることができる楽器の良さを強調した結果が日本特有の例の「神話」になって来たことでしょう。

だからユーザーは作者の言い分などは全く聞く必要が無く、試奏して結果として音が気に入るかどうかに専念すればいいのです。実際に単にいい加減で不勉強、やる気のない職人の作った楽器の音が良いこともあります。私などはとても悔しいですが、そんな経験も事実として受け止めないといけません。


弦楽器には音を客観的に評価する専門職が無いので、読者の中でそれを始めれば第一人者として成功できるかもしれません。教授やソリストなど偉い演奏家でも楽器や弦メーカーの思ったように動いたり考えてもらうのは難しいです。疑問点があれば何度も何度も弾き比べをさせられてうんざりするような仕事になるでしょう。さっきの話でも教授に気を使って、モンタニアーナが本物かどうか確認することすら難しいです。音楽家と技術者では頭の仕組みが違うのではないかと思うことがしばしばです。
例えばピアノなら技術者はすべての鍵盤を順番に鳴らしてメカニックが正しく作動するかチェックすることでしょう。演奏家はそんなことはしません。いきなり曲を弾き始めます。もちろん楽器の評価にはその両方が必要です。
小型のピアノならサイズの制約で難しい部分があって、それをいかに克服するかに技術者は苦心していることでしょう。でも演奏者はそんなことを考えているでしょうか?
演奏者は「なんだかわからないけど弾きやすい」とか「弾きにくい」と言うこともあります。なんだかわからないと言われると技術者にはどうしようもできません。弾きやすいと言ったものと弾きにくいと言ったものを分析して違いを探せば良いと思うでしょう?ところが弾きにくいと言われたものでも他の演奏者は難なく弾いてしまうのです。


読者の方で私とともにそんなことをしたいという人がいれば面白いなとは思います。
私が日本に帰って仕事をするなら、都会から離れたところに工房を作って熱心な人たちと実験を繰り返して研究していくなんてことも考えます。今まではあまり日本で仕事することに希望が持てませんでした。日本の弦楽器業界の話を聞くと帰りたくなくなるというわけです。しかし長年ブログを続けていると普通のユーザーとは違う熱心な人がかなりいるんではないかと感じます。それでも変な一派を形成して宗教の教祖のようになるのはゴメンです。マニアたちが特有の思い込みで狭い世界を作っても客観的な知見にはなりません。


話が脱線し過ぎてしまいました。
「モンタニアーナ」とヴィヨームの音の違いでした。
「モンタニアーナ」は乾いて音が反発し外に出てくる感じ、ペーター・インフェルトに変えたヴィヨームはしっとりと透明感のあって内側に引き込まれる感じがします。木材特有の響き、音の「カタチ」がはっきりしているのは「モンタニアーナ」、クリアーで透明感があるのはヴィヨームという感じでした。
木でできたアコースティックな味があるのが「モンタニアーナ」、透明感があってスムーズなのがヴィヨームでしょう。チェンバロからピアノに進化すると音はクリアーになっていきましたが、ピアノのようなクリアーさです。ガット弦とナイロン弦でもそんな感じです。
ヴィヨームはこれまでいろいろな人が弾いて音は鋭い傾向があることは分かっていました。しかし教授が弾けば滑らかできれいな高音も出てしまいます。それが楽器の音なのか、演奏者の技量なのかよくわかりません。教授ならどんな楽器でも滑らかな音を出してしまうのかもしれません。3000万円の音というのは分かりません。もっと安い楽器でも教授が弾けば同じような音が出るかもしれません。そのあたりをしつこくテストさせることができません。

理屈で言うと板が薄くなると低音が出るようになる代わりに中音の響きが減ります。ヴィヨームもそういうタイプの音です。作りが荒く板の厚みにばらつきがあって厚めな戦前の量産楽器はもっと響きが多くてごちゃごちゃした雑味の多い音であることが多いでしょう。雑音という人もいます。それに対して澄んだクリアーな音がするのが上等なモダン楽器というものですが、雑味も無さすぎると味気なさとも取れます。そのあたりは「モンタニアーナ」のほうがボディーがあるような感じがします。なんだよボディって思ったかもしれません。思い付きで「ボディー」と書きましたがそういう表現を皆が共有してないのです。

高いアーチのオールド楽器は板が薄くても複雑な響きも併せ持っています。
しかし楽器によって様々で一言で高いアーチの音ということは言えないでしょう。アーチが高い方が音がはっきりとしてより個性が強いでしょう。多かれ少なかれキャパシティが小さく窮屈な感じがします。魅惑的な音はより魅惑的に、細い音のものはより窮屈に感じます。

それに対してヴィヨームはフルサイズのグランドピアノのような楽器です。それは同様にして作られたフランスのモダン楽器全般の話です。

高いアーチでもコンサートマスターのガリアーノは、音に柔らかさがありヴィヨームのほうが音はかっちりしています。音の硬さが表現の限界を作っているように感じます。したがって必ずしもモダン楽器のほうが音楽を演奏する性能が良いとも言えません。

結局自分で聴いたり弾いたりしないと分からないということです。
自分で弾いてもわからないのはホールでの響き方です。私は幽体離脱に例えています。良い楽器は楽器から音が聞こえてくるのではなく、楽器から音が抜け出て広がっていく感じがします。そうでないものは音が楽器にへばりついて離れない感じがします。いろいろな角度から楽器を評価する必要がありますが、音楽家はそのような分析的な考え方をしない人が多いでしょう。


弾いている人にも表板の中央だけが振動している感じがしたり、もっと極端な場合では弦だけが振動しているように感じます。
板の厚い新品の楽器なら明るく表板の中央だけが振動している感じがするのに対して、ヴィヨームのようなものなら楽器全体が響いている感じがします。吸い込まれるような懐の深さを感じます。3/4など子供用の楽器のほうがはっきりと手ごたえがあります。
フランス風のモダン楽器は幅が広くアーチが平らで板が薄いとキャパシティとしては最大になるでしょう。演奏者が強大な太い音を生み出せばそれを妨げるものがありません。最大スケールのソリスト用のヴァイオリンというわけです。
それを再現して作ってうまく弾く人もいるし、扱いきれない人もいるでしょう。私はストラドやガルネリモデルよりさらに中央がワイドなものを設計したことがあります。キャパシティが大きいから鳴るというのではなく、弓で弦を擦ったエネルギーが吸い込まれるような感じで期待外れでした。

チェロではもっと顕著に表れます。それで板が厚めの楽器のほうがエネルギーが逃げなくて手ごたえが感じられることもあります。

高いアーチの楽器は窮屈になります。
その代わりはっきりとした手ごたえがあります。
これを雄大に鳴らすのも技量がいることでしょう。

究極のヴァイオリンは何かという話になっていくわけですが、自分の技量と資金力を考えると99.99%の演奏者には関係のない世界の話です。
鳴らしきれないという前提でどんな楽器が楽しめるか考えるのも良いでしょう。高いアーチの楽器は音色に味がありソリスト的に弾く必要が無ければ楽しいでしょう。モダン楽器でも実力の割に知名度が低ければ安くても有名な作者と作りの変わらないものがあるかもしれません。50~150年くらい経っている楽器は技量が無くても音が強く勝手に鳴ってくれる感じがします。そのようなものは中級者~オーケストラ奏者向きです。

全く演奏しないもっと多くの人には究極のヴァイオリンの話は興味を引くでしょう。
現実離れした話ほどずっと多くの関心を集めることでしょう。
ネットでもフェラーリだのロールスロイスだののニュースが勝手にニュースサイトのお薦めに入ってきます。私は表示させないようにしています。
日本語のサイトでもユーザー数の多い軽自動車のニュースが入ってきたことはありません。軽自動車でどれを選ぶかの方が多くの人にとって重要なのにもかかわらずです。そもそも車を今すぐ買わない人の方が多いのでしょう。限定何台の超豪華モデルを世界中の何億人もの人が見て情報が役に立つのでしょうか?
興味本位の役に立たない情報ばかりです。

職人の仕事の実際


職人は科学者ではないので微妙に少しずつ条件を変えて何百通りも試作を繰り返して統計的に有意差があることを証明するような時間がありません。お金にならないと暮らせません。

このためセオリーとして職人の間で信じられている理屈に従って仕事をしています。そのような業界の知識を学校や弟子として勉強した人がプロの職人で、教育を受けていない人がアマチュアの職人です。
こうやって私も学んだセオリーですが、実際の楽器で経験すると本当に正しいのか怪しくなってきます。セオリーからかけ離れたような楽器で良い音がすることを経験するからです。
セオリーに疑いの目を向けるだけでも師匠や社長、先輩社員とは軋轢を生みます。
クラシック音楽の世界は権威主義者が多く、目の前のことをそのまま受け入れることには抵抗感が強いのです。それだけでも地動説やダーウィン級の革命的なことです。

そんなセオリーでも何も学んでいない自己流よりははるかにましで、それでお金を取ることができるわけです。医者で言えば手術の腕前と医学の進歩の両方が必要ですが、医学の進歩のようなことが弦楽器の世界ではなく、手術の腕前くらいしか違いが無いのです。しかし手術の腕前は重要でしょう。弦楽器の場合にはセオリーは進歩しないので腕前だけが評価できるというわけです。

もちろん個人個人では職人が考えや試みをしてやっています。しかし音については宇宙のように分からないことの方が多いというイメージで良いと思います。天才職人のような人がいて、音について何もかも分かっていて自由自在に音を作り出せるという状況は現実からは程遠いです。全知全能の神のように職人を考えるのはやめたほうが良いと思います。


これはミッテンバルトで作られた大量生産品のヴァイオリンです。
ミッテンバルトではルドビヒ・ノイナーがヴィヨームのものとで働きフランスからモダンヴァイオリンの製法をもたらしました。大量生産品ではノイナー&ホルンシュタイナーという会社がありドイツの量産品としては異例の高値で40~150万円くらいします。ノイナー本人の作品なら300万円くらいして、見た目はヴィヨームとそっくりです。
ミッテンバルトでは地場産業としてヴァイオリン製造がおこなわれ、各家庭で部品ごとに分担して作り、工場で組み立てて塗装して製品にしていました。
自動車などの今日の産業と同じです。

ミルクールやマルクノイキルヒェン、シェーンバッハでも同様だったことでしょう。

量産品が悪く言われる一つの理屈として「部品ごとに別々の人が作っているので音のことを考えて作られていない」ということです。これはこの時代の量産品では確かにそうです。この楽器も表板や裏板の厚さが異常に厚いです。つまり楽器としての機能を知らずに、一枚いくらという単価で表板や裏板を作っていたなら、できるだけ作業を早く終わらせて枚数を稼ぎたいです。板は初め厚いものを削って薄くしていくわけですから、厚い方が手間が少ないというわけです。当然薄い方が慎重さが必要で厚みの差以上に時間がかかります。一段階注意深く作業すると倍のように時間がかかります。
今は機械化されているので厚みなどは設計通りに作ることができるようになっていますが隅っこのほうが正確に加工できず削り残しがだいぶあります。


しかしながら、一人ですべての部品を作っている職人が音を分かっているかと言えばそれも怪しいです。職人が意図して「音を作り上げているので作品として作家性がある」というのは期待し過ぎです。ただセオリーにしたがって作っているだけです。

そのセオリーが怪しいということは指摘してきました。職人が間違ったセオリーを信じている可能性があります。それならいっそのこと未完成の量産品をいじったほうが音が良いということも有り得ます。

これはチェロのような板の厚さなので薄くすれば面白いです。

ミッテンバルトの量産品は何となくミルクールのものに似ている感じがします。これは時代が1900年よりは前のものだと思います。1880~1900年くらいのものでしょう。よくあるザクセンの量産品はもうちょっと後の方の感じがします。1920,30年代の感じがします。そうするとこれでも130年くらい経っていると結構古いですね。

裏板を見てもミルクールの雰囲気にも似ていますが、ミッテンバルト独特の雰囲気もあります。ニスはラッカーでしょう。でもちょっと古いタイプでミルクールのものに似ています。アンティーク塗装ではなく本当に古くなったようです。よく聞くのはミッテンバルトでは亜麻仁油を木に塗りこんでいたというもので着色されていません。ミルクールやザクセンでは薬品のような染料で染められています。

分かりやすい特徴はロワーバウツの横板が一枚のもので真ん中で継ぎ合わせていません。これはアマティ派やシュタイナーで見られたもので、ミッテンバルトではオールドから続く伝統でした。

中を見れば仕事は粗く、どこの産地の量産品とも変わらないものです。だから私は産地名にこだわることは意味がないと言っています。安上がりにしようと思うとどこの国の人でも同じことを考えるからです。仕事が雑な職人は世界中に一定の割合でいるので、どこの国の楽器でも同じようなものがあるのです。
デルジェスでもアマティやストラディバリに比べれば仕事が雑です。

コーナーブロックの形にはミッテンバルトの特徴があります。


裏板の厚みを測ってみると少なくとも1mm以上は厚すぎると思います。それは過去のモダンやオールドの名器と比べた場合です。過去の名器について研究することが、セオリーに変わるものです。しかし「ストラディバリがこうなっているから正しい」と主張するのはまた新たなしきたりが生まれるだけです。その結果の音を試すべきでしょう。
そんなことを指摘するのは、そう考える人が多いからです。「ストラディバリと同じ」という理屈を信じて音が良いと思い込んでしまうのです。そんなことばっかりです。

板を削っていきますが、私は経験的にイメージがあります。しかしながら厳密なことは分かりません。

削ってみたところでそれで十分なのか、もっと削ったほうが良いのかわかる方法が無いのです。表板を取り付け楽器として完成させてから始めて音が出るからです。音が出たときにはもう板の厚みを変えることはできません。完全にあてずっぽうです。
私が楽器について言う時に「明るい・暗い」「鋭い・柔らかい」ととてもおおざっぱな説明をします。それは大雑把にしかわからないからです。
板を薄くして行けば暗い音になっていきます。でも細かく狙ったようにはなりません。0.1mmの差で出てくる音の違いを推測することなんてできません。
ざっくり薄くしないと違いが出ないです。

裏板をコツンコツンと叩いてみるのですが、新品のヴァイオリンを作っている時よりもはるかに硬い音がします。厚みもまだまだ厚いということもあるでしょう。もっと削って柔らかくしたほうが良いのか、硬さを音の強さとして残したほうが良いのかわかりません。そもそもその硬さが出てくる音の柔らかさにつながるのかもわかりません。


表板をつける前に指板をつけます。表板をつける時に微妙に指板の角度が動くのでそれを確認しながら接着するためです。指板を付けた後に叩いてみるとその前とは全然音が違いました。重さのバランスが変わるからかもしれません。だから叩くときの持ち方も何が基準となるのかわかりません。

表板を付けた段階でもどんな音が出るかはわかりません。弦を張って弾くまでわかりません。その時に何かしようと思っても手遅れです。作業がすべてやり直しです。
こんな量産楽器ではせいぜい4~50万円くらいです。何度も開けたり閉めたりを繰り返すと元が取れません。

しかし音が出てみれば何らかの個性があり、嫌いな人もいれば好きな人もいるものなので、どっちに転んでも良いのです。
修理でも製作でも適当に作っておいて、試奏してそれが好きという人に巡り合えばいいのです。

私たちの仕事はそんなものです。
作業の中に音を確認しながら調整する工程が無いのです。出来上がるまでどんな音になるかはわからないのです。様々な音のものができても、人によって好きな人がいればそれでいいのです。

仮に職人が完全に意図した音の楽器を作れたとしても、その人の意図する音を演奏者が好むとは限りません。だから一緒です。

音についてはそれくらい不確かなものとして考えています。しかし、コーナーの形やパフリングの先端がベネチア派のものでないとなれば、どんな音がしようとその楽器がモンタニアーナであるかは疑わしくなります。教授が見事な演奏をしてもパフリングの形が違えばモンタニアーナではないのです。
職人にわかることはそのようなものです。
弓職人ではネジがどうだとか言います。ネジの違いで演奏感や音に違いが出るわけがありません。見てるところがユーザーとは全然違うのです。


職人でも自分の楽器を作るばかりの人は自分の楽器の音しか知りません。販売や修理・調整をしていればいろいろな音を知ります。その中で大雑把にどれくらいと把握できます。しかし一つの楽器について持ち主ほど深く理解することはできません。それでも日本なら新しい楽器が多いでしょうし、こちらなら中古品みたいなものが多いでしょう。

楽器の音は人格のようなもので家族のように深く付き合っている人と、パッと見た第一印象で違うかもしれません。
我々は人生相談や占い師のように、多くの楽器を見ているとなんとなくこのあたりかなというくらいの大雑把な見方をします。持ち主は違いが他人には分からないような細かいことを気にします。とても鋭い音でも、本人はそれが普通です。その人が満足していれば、私たちが鋭いと思っても柔らかくしなくてはいけないという事ではありません。このため他の楽器と比べたときの印象も正反対になるかもしれません。


弦楽器の業界では「値段が高い=音が良い」とだけ語られてきました。
投機目的で値段が高騰し実態とはかけ離れたものになってきました。

実際にいろいろな楽器を試してみれば音についてとてもじゃないけども「良い・悪い」という世界中誰にでも共通の一つの物差しで測れないことが分かります。すべての楽器の音が違うのは分かっても言葉で表現もできず、0~100点に振り分けることはできません。
測定などは難しいです。
大学の音響工学の研究者が取り組んでいましたが、まず弓の加減を常に一定にすることができないので人ではなく電気モーターで作動するベルト式の装置を作っていましたが、うまくいきませんでした。かつてオルゴールに回転式の弓で音が出るヴァイオリンが内蔵されているものがあったようです。オルゴールはディスク式やシリンダー式など当時はハイテク技術でした。当時の技術ならできたかもしれません。

そのような理系の人が喜ぶような方法で点数をつけても音の良さと言えるでしょうか?
具体的にどんな音かは語られず、好みや目的、音楽性に応じて選ぶということもされてこなかったです。弦楽器に携わる人たちはもっとボキャブラリーを増やしていくべきだと思います。

普通文化や趣味であれば、同じジャンルの中の人でもさらに細かくジャンルや趣味趣向が分かれていくものです。それらが一緒くたになって語られ、個人個人が自由に心で感じることが許されないなら、インテリを気取っているだけはないでしょうか?


技術者的な考え方ではすべては一長一短で何を重視するかよって評価は異なります。
不動産に似ています。交通の便が良く日当たりが良く、敷地や部屋が広く、建物が新しく・・・あらゆる条件を求めると家賃が高くなります。決められた家賃の中で、昼間は家にいないとか、休みの日は外に出かけるというのなら日当たりはあきらめましょう。何か自分にとっては重要でないことを捨てることで重要なことを得られます。すべてまんべんなく要素を得ようとすると何もかもが中途半端なものになります。
楽器もすべての要素を中間にしてしまうと平凡なつまらないものになるでしょう。
逆に考えればつまらない平凡なものが実は「本当の良いもの」で飽きずに長く使えて、使っていくほどに鳴りが良くなって深みを増していくかもしれません。

高音と低音とか、音の柔らかさと強さ、音色と音量、耳元の音と離れて聞く音など相反する要素があります。全体的に力強い音がするのは良いけども、高音が耳障りという楽器が多くあって調整で何とかしてほしいという依頼が多くあります。ごまかすことはできても高音を柔らかくすることは難しいです。もはや高音の柔らかい音の楽器に変えるしかないのです。そうすると全体的にはおとなしくなります。職人は魔法使いではないので無理なものは無理だと分かっています。音楽家には「職人が心を込めて作ったから音が良い」と考える人がいますが、全くそういう問題ではありません。


弦楽器の世界は新しい考え方が必要だと思います。
これまでにセオリーとして信じられてきたことを知って全てを分かった気になって正解を決めてしまうよりも、音を自由に感じるほうがクリエイティブでしょう。私はそのように考えています。

こんにちはガリッポです。

帰国に向けて準備中です。
やるべきことが山ほどありすぎて果たしてどうなることやら。


私はどういうわけか、音が出るものに異常に興味があります。
なぜかは分かりません。

私が使っているパソコンなどはタブレット型でモバイル機器になります。内蔵スピーカーなどは最小限のサイズですから聞くに堪えません。本格的なオーディオのスピーカーもありますが、音楽を聴くわけでもなく音声などの音が必要なケースに簡単なスピーカーができないかと考えていました。ヘッドフォンでは邪魔くさいのです。

自分で作ろうかと調べると部品代で1万円以下ということはありえません。
音楽を聴くためのスピーカーはすでにあるのでちょっとした音を出すためにそこまで出す気にもなれません。作ったものを設置する場所もないです。

すでに出来上がっている小型のスピーカーが3000円位で売られているのでバカバカしいです。


このようなものです。
TribitというメーカーのXsound Goという製品です。

Bluetoothスピーカーというもので、パソコンやタブレット、スマートフォンなどと無線で接続でき、有線でも接続ができるものです。電源はバッテリーの充電式で防水になっていて風呂場でも使えるというものです。私は外に持って行くことは無いので防水も充電も必要がありませんが、キッチンなどに持って行くと意外と便利です。

20年前のソナスファベールのエレクタ・アマトールⅡと比べるとこんなに小さいです。値段は100倍くらい違いますから高級感も違うというものです。

このワイヤレススピーカーはアンプが内蔵されているアクティブスピーカーでもあるので別にアンプが必要ありません。

詳しくはリンクを見てください
https://www.tribit.jp/products-speakers-xsound-go
40mm口径のスピーカーユニットが左右二つ付いていて一応ステレオに対しています。しかし左右の間隔が近すぎるためほとんどステレオの意味がありません。中央にはパッシブラジエーターというオーバル型の振動版がつけられています。





これは技術トレンドとして世界中の多くの製品で採用されています。
パッシブラジエーターというのは動力を持たないスピーカーユニットで、コイルに電流を流して自分から振動する仕組みがありません。スピーカーキャビネットの空気圧の振動を受けて振動するようになっているものです。最近見るようになったのですが、私は80年代のカーステレオについていたのを覚えています。技術としてはアナログです。
なぜ今頃になって使われるようになったかと言えば、スピーカーのキャビネットを大きくしたのと同じような効果が得られるからです。つまり小型のスピーカーでは必要で、大型のスピーカーなら設計が難しく余計なものというわけです。

実は私の20年前のスピーカーにもパッシブラジエーターが使われています。スピーカーの背面に円形のパッシブラジエーターがついています。
パッシブラジエーターだけでもワイヤレススピーカーよりも大きいです。このスピーカーでも当時のオーディオの世界では小型と考えられていたのです。

そしてワイヤレススピーカーでも上級モデルになるほど大型化するので技術革新で大きなスピーカーが不要になったということはないでしょう。やはり大きな方が性能には有利であるということです。


内蔵されているアンプの出力は8W+8Wです。ネットなどを見るとオーディオ初心者がワット数が大きい方が音が良いかのような情報を流しています。基本的には電力の大きさですから音の質ではなく音の大きさに関係してくるものです。製品を比較して数字が大きいほど音が良いというのは素人です。

音の大きさについても、アンプだけでなくスピーカーの生み出す音の大きさが重要です。同じ電力からどれだけ空気の振動を生み出せるかということです。
スピーカー自体が大きな音を生み出せればアンプの出力は必要ありません。大型スピーカーなら1Wもあれば家庭で音楽を聴くには十分すぎます。大型スピーカーを持っているオーディオに詳しい人なら出力の8Wというワット数は十分すぎると考えるでしょう。私のアンプは10W+10Wでボリュームは9時の位置です。スピーカーはウーファー(低音用スピーカー部品)が18cm口径で88dB/W(8Ω)あります。これなら10Wでも十分すぎます。大型スピーカー全盛の時代には90dB/W以上あるのが当たり前で88でも弱い方でした。今の製品ソナスファベールLumina1では12cm口径で84dBしかありません。

それに対して超小型スピーカーでどれだけ音量が出るかというと話は違ってきます。

実際に音を出してみると高音、中音、低音のバランスが意外と取れていることに驚きます。これまでパソコンに内蔵されていたようなスピーカーではシャカシャカと耳障りな音が出ていたのでそれをイメージするとびっくりするほど音が良いということになります。それがたった3000円ほどですから驚いたものです。しかしそれでもコストが高くモバイル機器に内蔵するには大きく重すぎて電力を余計に必要とするので採用されません。

なぜこんなに小型のスピーカーでバランスがとれるかと言えば、おそらく電気的に高音を抑えて聞こえ無くしているからでしょう。普通はスピーカーは楽器と同じで大きいほど低音が出やすくなります。小さいほど低音が出にくくなります。バランスとして低音が不足するのでそれ以上に高音や中音を絞ってあげれば相対的に低音が強くなります。こうすると絶対的な音量が小さくなってしまいます。そこでアンプの出力が必要になるというわけです。


机の上に置けばバランスが取れていますが2mも離れて聞いてみるとバランスは崩れて低音がスカスカになります。ヘッドフォンも同じです。頭に装着していればバランスよく聞こえても頭から外してはなれて聞くとシャカシャカ言っているだけです。

このためかつて「ラジカセ」として使われていたように使用することは難しいでしょう。高級オーディオや小型スタジオモニターももう少し離れて聞くことを前提に設計されているはずです。やはりもう少し口径の大きなスピーカーが適していると思います。公共空間よりプラベートな使い方に適したものでしょう。

机の上に置いてオーケストラの曲を聴くとまるで机の上に鉄道模型のジオラマのようなミニチュアのオーケストラがあるように感じます。
このスピーカーは二つ買うと、それぞれを右用と左用にしてステレオ再生することができます。左右に離しておけばもう少しスケール感は増すかもしれません。しかし私は音楽を聴くときにはすでにスピーカーがあるのでその必要は感じません。むしろ一つを充電している間にもう一つを使用する運用に便利でしょう。

ヘッドフォンでは頭の中から音が聞こえてくるという違和感があるのに対して、ワイヤレススピーカーでは机の上から音が聞こえてくるという違和感があります。2m先にスピーカーを設置してもコンサートホールとは違いますが、遠近感がはっきりしなくなってそれほど違和感は感じません。さらに巨大なスピーカーを遠くに置くほど、実際のホールの感じには近くなると思います。80~90年代に「ハイエンドオーディオ」という概念が考えられるとそれまでの巨大なスピーカーは悪と考えられるようになってスリムなものになっていきました。でも楽器職人になって私はそのようなハイエンドの概念には嘘くささを感じます。大型スピーカーの欠点は値段が高いことと場所がいることと、一つ50㎏ともなると重すぎます。私もいつかそんなリスニングルームを持ちたいです。

私は自分のスピーカーが小型で「箱庭的な音」と思っていましたが、ワイヤレススピーカーでは机の上の模型の音です。



TribitのXsound Goとソナスファベールのエレクタ・アマトールⅡでスイッチを切り替えて聞き比べてみます。
ポピュラー音楽を鳴らしたとき、低音のリズムやベース音についてはほとんど変わらないと思うくらいです。むしろ低音の厚みはXsound Goのほうがあるくらいです。
それに対して中音域が厚いのがソナス・ファベールです。窮屈さが無く、ステレオで左右は1m50cmくらい離していますから音がスクリーンのように広がりより圧迫感がない音がします。弦楽器にはオールド楽器のような暖かみがあります。

Xsound Goは高音、中音、高音のバランスをとるところまではできても窮屈で息苦しい感じはします。音色も曇っていて暖かみはありません。2mも離れると低音もスカスカになります。直接壁などに触れていない限りズンズン響いて近所迷惑にもならないのではないかと思います。
しかし高い音は抑えらえているようで耳障りな感じはしません。窮屈で息苦しさはありますがはっきりと聞き取りやすく言っている内容を理解するには問題ないでしょう。スマホで撮影したYouTubeの動画なら性能的にぴったりです。

Xsound Goのためにスタンドを作ってみました。
角度と高さをつけることで「机の上感」は改善されたと思います。

値段が100倍以上違うことを考えると悪くないですし、実際に毎日で使用する時間が長いのはXsound Goの方でしょう。それが今の技術です。つまりIT機器と一緒に使いやすくなっています。一方ソナス・ファベールの方はCDを再生するのに使います。90年代の技術です。

電池が劣化した時点で製品は寿命を迎えることになります。
充電する製品は使用不可能になる時間があらかじめプログラムされているということです。このようなことを誰も指摘しません、少なくともネット上ではIT産業に甘い体質があります。

アンプやスピーカーなどは10~20年は平気だと思います。コンピュータの部分に危うさがあり、端子やスイッチなどもチープです。数年くらいの寿命を考えていることでしょう。20年前のスピーカーの方が今後も長く使えるでしょう。これがヴァイオリンになれば400年前のものでも使えていますから。

弦楽器の仕組み?


ここまでは、ITガジェットファンでも読んでもらえることででしょうが、当ブログは弦楽器が専門です。

面白いのは、パッシブラジエーターの働きです。
例えば裏板そのものがパッシブラジエーターかもしれません。
裏板が薄く作られていればそれ自体がパッシブラジエーターのような役割を果たしサイズを超えた豊かな音が出るというのはあり得る話です。実際にチェロで裏板が薄いとビリビリと振動しているのが感じられます。
特に小型のビオラを作る場合にはヒントになります。

パッシブラジエーターは特定の周波数で振動しやすくなっているようです。その設計がうまくいくと効果的になるというわけですから、裏板の音響特性がぴったりはまるということが重要だと考えられます。なぜかわからないけども音が良い楽器ができる理由は各部の組み合わせがぴったりはまったという説です。

小型スピーカーではやはりより多くの試作品を作っている大手メーカーが技術ではリードしているようです。しかしこのような安価な中国メーカーの製品もバカにできません。スピーカーの根本的な技術は何十年も前にわかっています。いかに小型でつかいやすいか、次元の違う低価格で実現するかということに投資した会社が下剋上的に一躍有名メーカーになっていきます。ブランド名に驕りのある老舗メーカーは太刀打ちできません。

弦楽器の場合は振動版とキャビネットが未分化で一つになっているので一つ一つの要素に分けて物事を考えるのが難しいです。しかしイメージとしてパッシブラジエーターのようなものはつかみやすいのではないかと思います。


また近くで聴く場合と、遠くで聴く場合の音の違いも面白いですね。
弦楽器でも近くでは音が強く感じられるのに、離れて低音の厚みが無くなるとカチャカチャと線の細い音に感じられるということもあるかもしれません。


板が薄くなると低音が増える代わりに中音が痩せます。
アコースティックの楽器ではアンプが無いので音が小さく感じられるでしょう。このため板が薄い方が店頭て鳴るとか音量があると私は考えていません。

しかし板が薄い楽器の方が全体的に柔軟性があり、楽器が一回り大きなことと同じような効果が得られるでしょう。耳元では板の厚い楽器も強さを感じさせます。ところが離れて聞けば子供用の楽器のような音です。

楽器全体に柔軟性があり窮屈さを感じさせないことが重要でしょう。この時板の厚さのほうがアーチよりも大きな影響があるのではないかと思います。柔軟性に優れているのはフラットなアーチです、しかし板が厚ければフラットなアーチでも遠鳴りしません。一方高いアーチでも板が薄ければフラットで板が薄いものに豊かさではかなわなくても十分遠くまで音が届くのではないかと思います。

高いアーチのものは耳元でも音がはっきりと聞こえます。フラットなアーチではっきり聞こえるものは音が鋭いもので離れて聞いている人には耳障りに感じられます。

私の個人的な考えです。
いずれにしてもこのようなものは何かを考える着眼点となるものです。








11月に日本に滞在することになりました。
御用のあるかたはPC版の右側に問い合わせがあるのでそちらから申し付けください。スマートフォンからはうまくいかなかったという報告もあります。お問い合わせのプログラムは他社のものでスマホに対応していないようなのでPCでお願いします。すでにEメールアドレスをご存知の方はそちらでお願いします。



日本に入国するためにワクチンを接種してきました。それまでに3回接種していれば手続きが簡素化されます。ファイザーのオミクロンMA.4/5対応の最新のものでした。翌日に熱が出て以前オミクロンに感染した時と同じような初期症状が出ました。その後は熱も一日で下がりました。本当のコロナの時と違って症状はすぐに収まり咳などは出ていません。

そういうわけで今回の記事は控えめにします。

先日は音大のヴァイオリン教授とコンサートマスターの人が同時に来店していました。前の週にJ.B.ヴィヨームの修理を終えたところでした。このヴィヨームは持ち主が亡くなって遺族の方が誰か弾く人に使ってほしいということで購入者を探しているものです。今は為替が不安定で日本円で言うのは難しいですが、値段は今では3000万円くらいになっています。

教授の持っているヴァイオリンはモンタニアーナと言っていました。私が見ても本物かどうかは分かりません。少なくとも高いアーチのオールドのイタリアの楽器であることは間違いないでしょう。
コンサートマスターの人が弾くとすごく味のある音でオールド楽器独特の音です。ちょっと窮屈な感じがしてフラットなモダン楽器のようなゆとりはないです。

そのあとヴィヨームを弾くと私は一聴して「普通のヴァイオリンの音」という印象を受けました。弾いている人も明るくはっきりした音だと言っていて、一同が期待外れという印象を持ちました。
張ってあった弦がエヴァピラッチゴールドで相性が良くないだのそんな話になりました。魂柱の調整をしても満足いくものにはなりませんでした。

教授が自分の楽器を弾くと、窮屈さは感じず豊かに鳴らしていました。これが演奏技量だけではなく「自分の楽器」というものです。

弦の選定の間違いはあるのかもしれませんが、それは最後の詰めの話であって良い楽器ならもっとポテンシャルが感じられるはずです。

私はオールド楽器はやっぱり音が全然違うということを実感しました。ヴィヨームはストラディバリのコピーでしたがそれでも教科書通りのモダン楽器です。教科書通り作られたモダン楽器は他にもたくさんあるので「普通のヴァイオリンの音」という印象を受けたのでしょう。それは有名になりすぎて値段が上がりすぎてしまったことでヴィヨームにとってはハードルが上がり過ぎていたのではないかと思います。1000万円以下のクラスなら優秀なヴァイオリンかもしれません。若い才能のある学生が腕を磨くには良いかもしれません。オールドのようなものは難しいでしょうし、好みも渋すぎます。それにしても値段が高すぎます。

またヴィヨームはフランスのモダン楽器の中でも時代が後の方で19世紀後半です。本人が作ったのではなく、弟子や下請けの職人が作っていました。これが1800年頃のものならもうちょっと違ったかもしれません。つまり過大評価の弊害です。同じ人が作った楽器が本人の名前ならもっと安く買うことができます。

コンサートマスターのアレサンドロ・ガリアーノはもっと豊かに柔らかく響きます。モンタニアーナが本物なら値段は1億円以上しますからもっと高いものです。

ヴィヨームなどは近代以降楽器製作を志す者にとって教科書となるものです。ヴァイオリン製作コンクールで高得点を得たいならストラディバリよりも完成度の高いヴィヨームをお手本にした方が高得点が得られるでしょう。実際には自分の師匠を過信して、ヴィヨームなどに無知な職人が多いでしょう。フランスの楽器に敬意を持っている人はよく勉強している人です。それでもオールド楽器とは全く別物というのを今回感じました。

私も高いアーチの楽器を作って同じようなキャラクターの楽器を作ることに成功しています。ストラディバリのコピーでは「普通のヴァイオリン」という印象を受けてしまいます。高いアーチの楽器は音量が無いので作ってはいけないと怒られてしまうためほとんど誰も作ったことがありません。しかし高いアーチの楽器を作っても音が小さいという印象はなく、私の作った異なる高さのアーチのものを弾き比べて、高いアーチのものが一番音量があるというヴァイオリン教師もいました。弾いてる本人には音がダイレクトに感じられます。作ったことがないのに、音量が無いので作ってはいけないと知識で信じられています。


弦楽器業界で現在知識として知られている「理想のヴァイオリン」というのはヴィヨームのようなものです。しかし実際にはそれから全くかけ離れたようなものが魅力的な音がするものです。私も初めのころ本で読みました。高いアーチのヴァイオリンは音量が無く、フラットになるほど音量が増すというものです。実際にはそのような単純な法則性は実感できません。いい歳して評論家ぶって初心者が初めに知るようなレベルの知識にとどまっている職人や楽器店員がふんぞり返って偉そうにしているのは呆れます。

どうかウンチクのような知識に惑わされずに音を耳で聞いてもらいたいものです。

教授がヴィヨームに注目したのは以前マジーニモデルのものを使っていて魅力的なものだったそうです。「ビオラのような」魅惑的な音が出るのかもしれません。名前ではなく一つ一つの楽器自体を試さないといけません。

もともとの持ち主の方はグァダニーニなどオールド楽器を試して高音が弱すぎるということでヴィヨームの方を気に入ったそうです。高齢で耳が衰えていたようです。


なおヴィヨームが欲しいという人には販売できます。ただし休暇で持って帰ることはできません。こちらに来てください。

「普通のヴァイオリンの音」が悪いということもありません。モダン楽器で見事な演奏をする人もいます。今回はたまたまオールドヴァイオリンのファンが集まっただけかもしれません。プロの間でも意見が分かれるものです。それをどちらかに決めることはできません。

ただし普通の音のヴァイオリンが普通じゃない値段で売られていると期待値が上がりすぎてがっかりしてしまうということはあるでしょう。







こんにちはガリッポです。

まずは帰国のことから。
今回はとにかくに問題なく帰国が実現できるということを最優先で考えています。時期も多くの人が休みの時期が良いですがそうも言ってられません。
今から準備すると11月中に休暇を取って日本に滞在するというのが現実的です。
早すぎても用意ができませんし、遅くなると事態がどうなるか予測もできません。
ロックダウンや国境封鎖のようなことは久しく起きていませんから大丈夫だと思います。
8月の段階ですでに考えていましたがその頃日本では感染が多くどちらに転ぶか予想もつかない状況でした。

イベントのようなものを企画するのは難しいかもしれません。私の楽器を使っている方のメンテナンスを中心に行いたいと思います。そのため楽器を預かることになり持ち主の方の協力によっては興味のある方が試奏もできる可能性があります。

また以前より連絡をいただいている方には順次連絡を差し上げたいと思っています。

私の都合で一方的に予定を立てて申し訳ありませんがお考え下さい。

ヴァイオリンの価格


最近は基本的なことを記事に書いてきました。具体的な話は日常的に起きます。

勤め先に電話がありました。「資産にしたいのでヴァイオリンを買いたい」とのことです。店には数千万円のヴァイオリンもあります。その男性がやってくると自分はギターをやってきて、ヴァイオリンを始めたいとのことでした。
一通り説明を聞くと最終的に35万円ほどのヴァイオリンを買うことに決めたようです。
残念ながら資産としてはあまり期待できないでしょう。
ギターの価格帯なら35万円でも結構な高価な方でしょうが、ヴァイオリンでは希少と言うほどのものではありません。ヴァイオリンの世界がいかにクレイジーかということです。

当然将来売ろうと思うなら、この前話したように卸値以上にはなりませんし、整備に5万円くらいかかってしまったら大損です。物価スライド分以上得をするのはまず不可能でしょう。

一方で名の知れた作者の楽器をずいぶん昔から持っていて売ろうとなると名前だけ見ればとんでもなく値上がりしています。問題は本当にラベル通りの作者の楽器なのかどうかです。

全く無いことはありません。ウィーン出身の人でアンサルト・ポッジのヴァイオリンを新作でお父さんが買って使っていた人がいました。当時は無名ですから普通の新作の値段だったでしょう。それが1000万円以上になっているわけですから。
でもそんなことはめったにないです。日本ではモダンの作者の生きていた時代にはまだ輸入されていなかったでしょう。

ポッジは家にあったので使っていただけですが、音が気にいらないということで買い替えました。割とすぐに売れました。知名度が高い楽器に目がくらむ人は結構います。

フランスのモダン楽器も半世紀前ならまだ価値が認められていなくてかなり安かったかもしれません。特にミルクールの量産品などはただのガラクタという扱いだったことでしょう。
逆に言うと当時は鑑定書なんてつけるほどのものだと考えられていなかったかもしれません。

それに限らず、昔は鑑定なんていい加減で売り手が「私は本物だと思う」ということで売っていました。今でもそういう業者が現役でやっていることでしょう。

ミルクールの楽器は私のところではあまり持っている人は多くありません。量産品としては高すぎて、それより安いハンドメイドの楽器がたくさんあるからです。日本の方が「フランス製」というイメージを重視して多く売っているのではないかと思うほどです。この時「これは量産品ですよ」とお店の人は言いません。それも勘違いの原因になります。



このヴァイオリンはいくらくらいするものだと思いますか?
当然作者名を書いてないので分かるはずが無いというのが正解です。楽器の値段は名前で決まると話しました。
楽器がどんな姿をしているかなどは関係ないのです。
名前が確かであることを示すには鑑定書しかないのです。

私なら、多くの場合量産品くらいは分かります。量産品に偽造ラベルが貼られたものなら鑑定に出す価値も無いということが分かります。

職人の腕前としてみると、ものすごく完璧なわけでもなく、ひどく粗雑でもありません。プロとしては並以上のレベルです。ニスはラッカーのようなものではなく量産楽器の特徴もはっきりありません。
高価な値段の有名な作者でも全員が人並外れた腕前というわけではありません。これくらいの作者もゴロゴロいます。これ以下の人もたくさんいます。じゃあ何が違うのかと言えば「名前」が違うとしか言いようがありません。だから鑑定書だけが有名な作者と無名な作者の違いを言えるのです。その違いとは楽器にあるのではなくアルファベットの並びです。

私たちは量産楽器をよく見ているとこれくらいの楽器でも「一人前の職人の楽器」ということが分かって、それでも割合としてはずっと少なくなるので「まあまあいい楽器だね」ということになります。
ラベルにはヨゼフ・ルジチカとあります。文字がチェコ語なのでチェコの作者だろうとはすぐに思いました。チェコの作者を調べてみるとオパヴァという所で仕事をしていた職人のようです。修行したところはプラハだそうです。ラベルに書かれている製作年は1940年です。

作風は角が丸くなっていていかにもボヘミアの流派の影響が感じられます。このような作風は当時イタリアでも流行していたものです。つまり、19世紀のフランスの楽器ではもっと角がカクカクとしています。
これはオールドイミテーションの手法の一つで使い古したように角を丸みを持たせるやり方です。しかしボヘミアではみながこのように作っていたので何世代かするとそれがオールドイミテーションの手法であることを知らなくなり、当時はこれが正当な楽器の作り方だと思っていたことでしょう。
傍から見ると流派の個性に見えるものも当時はそれが普通だったということです。

現在はチェコ共和国になりますが、もともとプラハとボヘミアは流派が違います。プラハはどちらかというとウィーンとかブダペストとかそっちに近い流派だと思います。ボヘミアは東ドイツの流派の一つです。当時は国境が違ったからです。チェコ・スロバキアという時代もありましたから国境なんて定かなものではありません。島国の日本人には理解しにくいところです。
このため私のところではプラハの系統の作者は「チェコのモダンヴァイオリン」、ボヘミアの系統は「ボヘミアのモダンヴァイオリン」と呼んでいます。

それでもプラハにはボヘミアからも職人が仕事を求めて来ていたようです。
この楽器にもボヘミアの特徴があるのでそのような人に教わったのでしょう。

ペグボックスの内側の突き当りが赤線で示したように丸くなっていることがボヘミアの楽器にはあります。


このようなことからボヘミアの影響がある楽器だとわかります。しかし完全にボヘミアの典型でもありません。エッジの仕事には注意深さもあります。角を丸くすることを良いことに雑に作られることが多いのです。この楽器ではきちんと彫ってから丸くしたのが分かります。

スクロールもボヘミアの他の楽器と同じように角が丸くなっています。E線のペグ(上から3番目)の穴が写真でも左側に寄っているように見えます。これもボヘミアの楽器でよく見ます。ペグボックスにあわせて穴をあけたのではなく、型(テンプレート)があってどの楽器でも同じ位置に穴をあけたのではないかと思います。もしくは、作図法としてA、D、Eの穴を一直線上にしたのかもしれません。その両方も考えられます、その作図法で作った型をあてがって穴の位置を決めたと考えられます。いずれにしてもボヘミアの楽器にはよくある雰囲気を醸し出しています。
一方アマティの場合には穴の位置を最初に決めてペグボックスを設計したのではないかと思うくらいにしっくりきます。つまり機能性で形を決めたということです。

しかし正面から見るとかなり変わっています。分かるでしょうか?
渦巻の中心の部分が左右に突き出て見えます。一般的なものよりもスクロール部分の最大幅が大きいです。こうなるとボヘミアのシェーンバッハなどの渦巻だけを作る職人のものではなく、本人が作ったのではないかと思われます。前回の指板の話でもそうでしたが初めの角材の段階で板の厚みが必要になります。木材の値段は板の厚みによって大きく違います。安価な楽器やコントラバスでは木材を張り付けて足してあるものがあります。スズキヴァイオリンでは渦巻の中心だけプラスチックになっているものがあります。

なぜ渦巻の幅を広くしたのかはわかりません。それが素敵だと思ったのか、何か考えがあったのか、寸法を間違って覚えてしまったのか、キリの良い寸法にしただけなのか、師匠が間違って覚えていたのか・・・本人にしかわかりません。ストップやネックの長さなどは間違えて覚えると使い物にならないことがありますが渦巻は「個性」です。

数少ない資料ですが、本で調べてみるとやはり同じようなスクロールになっていました。古い本の白黒写真の小さな画像でも分かるくらいの特徴です。本に出ていたのはガルネリモデルですが、エッジやコーナーの仕事の感じや、f字孔の雰囲気も似ています。こちらはストラドモデルということになるのでしょうか?ストラドモデルということは「普通のヴァイオリン」ということです。

オパヴァという街の小さなところでたくさん職人がいたような産地ではないので量産楽器のようなものではなく、自分で楽器を作っていたのではないかと思われます。自分の楽器ばかりを見ていると見慣れてしまいそれが普通に見えてきます。普通の楽器を作っているつもりでも作者の癖がだんだんできてきます。この楽器もそんな感じがします。ヴァイオリンの個性とはそのようなもので「私は今まで誰も思いつかなかったものを作ろう!」というようなものではありません。音もそれと同じように作り方に違いがあるわけでなくてもなんとなくその人の音というのがあります。このため知られていない作者の楽器の音が良い可能性もあります。

鑑定はありませんが、私が本で見ても似ているし、偽造ラベルが作られるほど有名でもないし、職人としても一人前なのでおそらく本物だと思います。私のところで値段は80~90万円くらいでしょうか。こうなると新作の楽器よりも安くなります。
でも明らかに量産品とは違うし、一人前の職人が作った立派な楽器だと思います。

常識的に考えれば80~90万円というのは相当高価ですから修理して使う値打ちは十分にあります。

仮にこれが偽物だったとしても楽器の質だけから値段をつけると7~80万円にはなるでしょう。本物として売っても裁判を起こす気にならないでしょう。これくらいなら鑑定に出す必要はありません。
つまり10~20万円くらいが「ブランド料」ということになります。作者の素性が分かっているという事にはそれくらいの価値があっても良いでしょう。実用品としてコストパフォーマンスを最優先するなら作者不明の楽器から選んだ方が得です。

見た目は明るいオレンジ色で、木材も着色されていません。ニスはラッカーのような硬いものではなく80年ほど経って剥げて濃淡が出ています。

つまり一人前の作者の立派な楽器であるということが職人からは言えます。音については好き好きとしか言いようがありません。
私が500~1000万円するイタリアの同じ時代のヴァイオリンを見ても同じような感想を持つでしょう。しかし値段は10倍ほど違います。その違いを職人の観点からは説明できません。

修理が終わって弾いてみると見た目同様に明るい音がします。新品よりは音が出やすくよく鳴る感じもします。

明るくてよく鳴る楽器です。
日本の楽器店は「イタリアの楽器は明るい音がする」と思い込ませて楽器を売ってきましたが、チェコの楽器でも明るい音がします。

明るい音がする理由は、基本的には板の厚さが重要です。実際に実験をしてみればわかることですが、厚い板の楽器のほうが明るい音になります。極端に厚すぎると重く音自体が出にくくなることがあります。正常な範囲内で厚めや薄めということです。
オールドの17~18世紀とモダンの19世紀には薄い板の楽器が作られていました。20世紀になるとなぜか厚い板の楽器が作られるようになってきました。この楽器もその典型です。20世紀的な明るい音の楽器でよく鳴るようになっています。

ただし、厚い板でも明るい音が響かないものもありますし、薄い板でも暗い一辺倒ではないこともあります。また古くなると厚い板でも暗くなってきます。他の要因もあるということです。

しかしこれは弦楽器について数少ない技術的な法則性が言えることです。

典型的な20世紀の作風で明るい音がするというものです。その中では鳴りも良く優秀なものです。それで値段は100万円もません。
それに対してオールド楽器を弾き比べてみるともっと深い渋い味の音がします。これは好みの問題です。


したがって明るい音の楽器はイタリア人だけが作れるのではなく、板を厚くすれば誰でも作れるということです。20世紀には厚い板で作るのが広まったのでどこの国でも明るい音の楽器が作られました。

先日は、音が明るくて不満だと訴えてきたお客さんがいました。明るい音よりも深みのある音が好みなのでしょう。魂柱で調整して欲しいという話でしたが、まあ無理でしょう。見るとその楽器は特に安いものにありがちな明るい音のものでした。そうなると魂柱では無理ですし、厚みを薄くする改造は費用が掛かり過ぎます。

明るい音が好みなら特別高価なものを買う必要はないことになります。だいたい何千万円もするようなオールド楽器は渋い音がするものですからそれらは問題外ですね。
実際は価格帯が違うので素人を相手に商売文句を言っているだけです。しかしオールド楽器にも100万円もしないものがあり、ちゃんとオールドらしい音がします。
もちろんオールド楽器の中で状態が良く健康的なものは傷んだものや窮屈なものよりも明るい音がするということはあります。しかし明るいほど音が良いという事ではないでしょう。語られた文脈から言葉だけを切り取って信じるのは危険です。

古い量産楽器では板の厚みに関わらず暗い音のするものもあります。新しい楽器でも薄く作られているものやたまたま暗い音がするものもあるので買い換えるしかありません。
最近は機械で作るようになったので薄い板の楽器も量産されるようになりました。かつては、板を薄くするにはより手間がかかるので安い楽器では珍しかったのと20世紀には厚い板が流行したこともあります。明るい音の楽器のほうが多いというわけです。

このヴァイオリンは使わなくなって放置されていたものを譲り受けたそうです。お金はかかりましたが修理すると現役バリバリで使える楽器になりました。修理を終えると持ち主の方は大満足だったようです。

貰い物に10万円以上の修理をしたわけですがその値段で楽器を買うよりは格上でしょう。音は好みとしか言いようがありません。音がよく出るという点においては優れた楽器だと思います。明るい音のほうが中音が豊かに感じます。散々明るいだの暗いだの話しましたが、そのようなことに興味がある人は多くはないでしょう。楽器によって音色の明るさに違いがあることを聞かされなければ、単に音がよく出るかどうかにしか興味がない人の方が多いです。このため明るい音が好みというよりは、音色には興味がなく、音楽に集中し音がよく出るかどうかだけで楽器を選ぶ一般的な人にとって優秀な楽器ということです。楽器自体の音色にこだわる方がマニアックということです。


また別のヴァイオリンもありました。作風はこれに似ていてハンガリーの作者の手書きのラベルが貼られていました。私はボヘミアの楽器だと思っていましたが、持ち主が言うには名門オーケストラの奏者が使っていたもので良い楽器なのだそうです。でも私が見ると仕事が雑で、その後に行われた修理もひどいものでした。私が直そうと何かをすると他の欠陥箇所が見つかるというひどいものでした。いずれにしてもボヘミアの影響のある楽器で今回紹介したものよりはずっと粗雑なものに見えます。「名門オーケストラの演奏者が使っていた」と言えば、音楽家の人たちはすごい楽器だと思うかもしれませんが私にとってはただの粗悪品です。

同じようなことは値段にも言えます。500万円しようが1000万円しようが職人が見るとそれにビビって惑わされることはありません。

職人は楽器の値段を製造コストで考えています。安上がりにするための手法が用いられて作られたものは安いと評価しますし、手が込んで丁寧に作られていれば高く評価します。
このヴァイオリンの流通価格が100万円にも満たないとなるもうちょっと高くても良いと思います。少なくとも現代の生活水準なら厳しい値段でしょう。このため新作のほうが高くなってしまいます。

同じように明るい音で新作楽器よりもよく鳴るのなら新作楽器よりも高くあるべきです。

このような楽器が新作より安いというのは全く値上がりしていないということです。売買している人の中に楽器の違いが分かる人が少ないということです。ほとんどの楽器はこのような状況です。

それでも80~90万円というのは普通の感覚では高価な立派な楽器です。さらにマルクノイキルヒェンのマイスター弓があれば最低20万円以上で、合わせれば100万円を超えます。100万円を超えるような家宝がある家なんてそんなに多くは無いでしょう。

イタリアのモダン楽器の取引がいかに楽器そのものからかけ離れているかということに気付いてもらいたいものです。

今回紹介したような楽器は業者にとってはうま味の少ないものです。輸入する人がいない日本で入手するのは難しいでしょう。しかしそういうものだと知ってもらいたいものです。
こんにちはガリッポです。

最近の話で続報があります。

夏にうちの工房でヴァイオリンの駒を新しくしたプロのオケ奏者から「音が良くなった」と感謝されました。これは、知らないうちに徐々に駒が劣化していて、新しい駒にしたことで元気な音を取り戻したということです。

駒の取り付けの工程を紹介し、特に「秘密」が入り込む余地は無いということが分かってもらえたでしょうか?
現在ではほとんどの人が市販の駒を使っているので変わったものにはなりません。

そのオケ奏者はドイツとイタリアのモダン楽器を使っています。
楽器が100年以上経っているので新し木材の部材が加わることで、フレッシュな音が歓迎されることは想像がつきます。古い楽器の修理では傷んで弱っていた楽器を補強することで明るい健康的な音になります。


楽器によっては駒が弱ってマイルドな音になった方が良いかもしれません。
その場合は楽器が好みに合っていません。


自分の楽器の駒がどのメーカーのものか見分ける方法について述べます。
普通は駒は「半製品」として厚く作られているので、取り付ける時に加工します。その時にマークを削り落としてしまうのでマークは残っていないのが普通です。このためわかりません。作業した人に聞くしかありません。

これに対して商人という人たちは、ブランドというのを何よりも大事にするため「マークを削り落とすな」と職人に指示をする人がいます。この場合テールピース側にマークが残っています。私も韓国の業者に修理を頼まれたときに、そのような指示を受けました。

ヨーロッパではマークを残しているというのはあまり見たことがありません。中国製の安い楽器ではメーカー名を誇らしげに残しているのを見たことがあります。マークが残っていても、他の作業のクオリティが低いので職人が見るとただの粗雑な仕事だとわかります。

マークを残している業者は、何を考えているか想像してみてください。
商業的な「聞こえの良さ」を重視している考え方が分かります。


金属疲労のように徐々に劣化が進んでいくので自分では気づきません。新しい駒に変えると初めて劣化していたことに気付くのです。つまり弦楽器は徐々に劣化していく箇所がたくさんあって定期的に見直しが必要なのです。他には弓の毛や弦、松脂も数年すると油分が揮発し粘性が落ちてしまいます。
一方で楽器本体が古くなって音が良くなることもあります。駒や魂柱を新しいものに変えると前回交換したときの音に戻るだけでなく、弾きこんだり古くなることで以前よりも一段階レベルアップしていることでしょう。
部品の交換で狙ったような音に持って行くというよりは、健康な状態を維持し使い込んでいくことで音が良くなっていくということです。

チェロの駒

今度はチェロの駒についてもお話ししましょう。
チェロの場合には市販されている駒でもフランス型とベルギー型があります。ベルギー駒はちょっと前に流行したものです。低音の2弦をトマスティクのスピルコア、高音をラーセンにしてベルギー駒、さらに新作でモンタニアーナモデルとくれば一昔前の流行です。

フランス駒のほうが構造が柔らかく、音も柔らかくて反応もゆったりしています。ベルギー駒のほうがダイレクトで鼻にかかったような音になると思います。その中間くらいを設計すると面白いなと思います。そのあたりの可能性があると私は思っています。
それも初心者は知らないことかもしれませんが、もっと専門的な話をします。

チェロに駒をつける場合まず初めに見るのはネックの角度です。指板の延長線上が駒の位置(ストップ)でどれだけの高さになっているかというものです。これをプロジェクションと言います。今ついている駒の高さを測ることもできます。弦高をマイナスすれば求められます。

駒が低くなりすぎていると音が元気よく出なくなってくるので問題です。修理は簡単ではなく駒の交換だけでは済みません。大きな問題ですから初めに確認が必要です。


その上で駒を選ぶ時は弦を張ったときに駒の高さが足りる必要があります。チェロでは問題ありませんが5弦のコントラバスでは注意が必要です。
一方ネックの角度が低い場合は駒のデザインで脚が短いものにしないとバランスがおかしくなります。デスピオなどのメーカーでも微妙にデザインが違うものがいくつもあります。

こちらは一般的なフランス駒です。

これにも種類がたくさんあります。足の幅が選べます。デスピオの場合には88mm,90mm,92mm,94mm,96mm,98mm,100mmとサイズ違いが選べます。
90~96がほとんどです。100mmなんて使ったことがありません、5弦のチェロに使えるのかもしれませんが、5弦のチェロなんてのを見たのは数回しかありません。

幅を選ぶ時に何を見るかというと一つはf字孔の左右の間隔です。それと同じ幅にするのが一つの目安です
こちらは89mmです。かなり狭いので90mmの駒が考えられます。

もう一つはバスバーの位置から考えます。

外側から定規を入れるとバスバーの位置が分かります。

バスバーは駒の脚のちょっと内側に来る必要があります。駒は指板の延長上に立てます。左右に寄ってしまうとA線かC線が指板の隅っこに来てしまうからです。正しい位置に駒を設置したときのバスバーとの位置関係から考えます。

これも諸説あってどこにあるべきかというのはよくわからないことではあります。セオリーとしては駒の脚のちょっと内側にバスバーの端っこが来るというものです。

この楽器では90mmで良いと思います。

このようにチェロの駒の幅は楽器ごとに選ばないといけません。
このようなことを全く考えていない店があったとしてもおかしくはありません。どんなチェロでも同じ駒を使っているかもしれません。

新作楽器を作る場合はこの逆になります。
まず駒の幅を決定します。それに合わせてf字孔の位置を決めます。f字孔の幅より外側にバスバーをつけることはできません。バスバーの位置も駒やf字孔の間隔に左右されます。

新作では教える人によっては駒の幅が90mmとか92mmとか決まっているかもしれません。そういう修行すると駒の幅が楽器によって違うということを学ぶ機会がありません。修理の場合は違う考え方で作られた楽器にあわせないといけません。そういう意味では我の強さとも関係します。

いつも言っているように新作は「これが俺の作風だ!」と言い張っていればいいのに対して修理では楽器にあわせて柔軟に対応しないといけないのです。多くのことを考えて配慮しないといけないのです。

チェロの場合には弦の力で足が押し広げられます。そうなると表板と脚が合わなくなってしまうので、あらかじめつっぱり棒を入れて広げて表板に合うように加工します。90mmの駒でも広がって91mmくらいになります。

それ以外はこの前のヴァイオリンと同じようなものです。

ビオラも楽器のサイズが定まっていないので駒の幅もいろいろあります。46mm~50mmまで1mm刻みであります。これもいろいろな考え方があって、わかっていない人も多くいます。


じゃあヴァイオリンはどうかと言えば、寸法がかなり定まっているので楽器によって駒の幅を選ぶ必要はあまりありません。ただし厳密に考えるとチェロやビオラと同じで楽器によって駒の幅を変えることもできます。
デスピオでは38mm,39mm,40mm,41mm,41.5mm,42mm,43mm,44mmのバリエーションがあります。1mm刻みであるのですがちょっとずつ広がっていく傾向にあり今では42mmが標準でしょうか。保守的で厳格な工房では41.5なんて寸法にこだわっているところがあるのでしょう。0.5mmで音が違うなんて考えられません。

私は新作ヴァイオリンを作る時に42mmの駒にあわせてf字孔の丸の間隔も42mm。バスバーの位置はそれより0.5~1.5mm内側につけるように学んだものです。
43や44mmの駒は使うことはありません。超小型のビオラか大型の3/4ビオラかもしれません。

38mmは3/4のヴァイオリンです。
3/4と4/4の間には7/8というサイズもあります。私はほとんど見たことがありません。ヨーロッパでは体が大きいので必要が無いのでしょう。作られた数が少なければ音が良いものを探すのは至難の業となってしまいます。

私もいつも42mmでどんな楽器でもやっていました。しかしアマティ型のオールド楽器では40mmのほうがおさまりが良いのです。楽器の幅が狭いだけでなくf字孔の間隔がとても狭いのとアーチが高いからです。

アーチが高い上に駒も高いとトータルで弦がまたがる所がとんでもなく高くなってしまいます。高いアーチのオールド楽器では何をやってもモダン楽器の理想の状態にはなりません。つじつまを合わせるのに40mmの駒が使えるというわけです。

40mmの駒の場合には低めの高さでも縦横比の関係であまり低く見えません。わずかな差でも見た目の印象は大きな差になります。
一方機能面や音ではさほど違いは無いと思います。左右でたった1mmずつしか変わらないからです。

このため、オールドの名器用に40mmの駒を特別に注文して用意しています。
先ほどのようにデスピオでは寸法違いを製造していますが、商社や輸入代理店ではサイズ違いを選べない所がほとんどです。40mmの駒の入手ははるかに困難です。
ヨーロッパでもマニアックな業者しか扱っていないのです。うちではデスピオに直接注文しています。

意外に使えると分かったので安い楽器用にも注文しようかと思っています。これを応用すると、(安物すぎて)ネックの修理をするまでもないちょっと低めの駒の楽器にも使えます。バスバーの位置には注意が必要ですが。安価な楽器で細かい寸法の違いが問題になることは無いでしょう。


41mmの駒は42mmとほとんど変わらないので使う意味を感じません。数字にこだわっても意味が無いと思います。

量産チェロの指板

指板の話もしていましたね。
ルーマニア製の量産チェロを仕入れました。

工場で加工されてそのまま売るわけにはいかないので指板を削り直します。
節もあって材質も安いものです。

駒のカーブの型(テンプレート)と比べると指板が平ら過ぎます。これを正しいカーブにすると指板の厚さが薄くなりすぎてしまいます。このチェロでは理想通りの指板にすることはできません。もし丸みが強すぎれば平らにすることはできますが、平らすぎるものを丸くすることはできません。

何度もメーカーには文句を言っていますが改善されないのは指板を仕入れる段階で機械で加工されてすでにこうなっているのでしょう。
つまりコストを下げるために厚みが足りない材料で指板を作っているのです。量産品とはそんなレベルです。

私が量産品を改造しているチェロでは、このような指板を取り換えています。外したこの指板の使い道がありません。もったいないですね。

理想通りではありませんが初心者が練習するなら問題にはならないでしょう。

メンテナンスが必要なわけ


弦楽器はとても微妙なもので職人の技術が必要だということが分かっていただけたでしょうか?

買って終わりでは無く買った後のことも考えると良いと思います。無理して高すぎる楽器を買ってメンテナンスの費用を出せないなら、平凡な楽器を買ってメンテナンスをしっかりした方が良いと思います。

商人と職人のどっちにお金を落とすかという話ですから当事者が言うと説得力がありませんね。考えてみてください。

こんにちはガリッポです。

今ヨーロッパはひどいインフレに見舞われています。世界中がそうでしょう。
コロナでの供給不足やウクライナ侵攻の影響が出ているものとみられますが、それを金儲けのチャンスととらえる動きもあるでしょう。木材価格も上昇していました。

以前から弦楽器の業界では商社やメーカーのカタログで、楽器や付属品などの値段が毎年改定されていました。ついにカタログには値段は掲載されなくなりオンラインで業者向けの価格が開示されたり、その都度問い合わせが必要です。この前は上級の駒が4000円位という話でしたが、10年くらい前は3000円位でした。でも質が落ちていないだけましです。値段が上がって質も落ちるというのが少なくありませんから。

昔はヴァイオリン用にアジャスターが4つ付いたテールピースは初心者用の安物の楽器につけるものという感じでした。今では中国製の粗悪品がありウィットナー社の「本物」は高級品という印象すらあります。
というのはウィットナーのアジャスターは品質が良く機構がちゃんと機能するのです。古い楽器のメンテナンスをすると西ドイツと書いてあるものがあります。30年以上前の製品が使えているのですからビックリです。
チェロではスチール弦のため、ほぼ全員がアジャスター付きのテールピースを使っています。木製のものはトラブルが起きて急遽ウィットナーに変えてそのままという人も少なくありません。

かつては金属製でしたが、今はプラスチック製のテールピースがあります。プラスチックは素材としては安物ですが、表面はマットに加工され特に嫌な音がする素材ではありません。メカの機能性については木製のものよりも優れています。

ヴァイオリンのケースなどもものすごく安物が多くなって、レンタル用に貸し出すとすぐに壊れてしまったり、以前買っていた初心者用の安いものの値段が一気に上がったりしています。

そんな中で珍しく朗報なのは安価なチェロ弦が発売されたことです。ピラストロのフレクソコア・デラックスでブログでも紹介しています。多くの楽器に使ってきましたが、特にネガティブなところは出ていません。

値段が上がることも問題ですが、供給が追い付かないことも困った問題です。これから先もあご当てが買えるかどうかさえもわかりません。高級品どころの騒ぎではありません。普通の実用レベルのものですら入手できるかわからないのです。


楽器の値上がりについて

初めて楽器を購入する場合にはいろいろなイメージを持っています。

弦楽器は中古品になっても値段が下がることは無いとか、むしろ価値が上がるとかいろいろなイメージがあります。
いつも倉庫を整理したり遺品として弦楽器が出てきて価値を見てほしいという依頼があります。

ある方は学生の頃に父に買ってもらったヴァイオリンの価値が買った時の値段に比べて今ではずっと上がったということで、自分の子供にもチェロを買いたいと店に来ました。チェロは高い楽器ですが、後で価値が上がるなら買うことをためらう必要はありませんね。弦楽器は今の世の中の工業製品の中では驚くほど高価なものです。ところが価値が右肩上がりなら今のうちに買っておけというものです。

しかしそのように思い込むことは危険でもあります。後でトラブルのもとになります。


よくあるのがヴァイオリンを購入して、しばらくすると練習に耐えられなくやめてしまう人も少なくありません。そうすると買った値段で再び買い戻してくれるとい思い込んで店にやってきます。値上がりすると信じているなら買った値段よりも高い値段で買い戻してくれると考えるでしょう。

そのような全く儲けが無かったり赤字になるようなことを楽器店がなぜ喜んでやるのでしょうか?
そんなはずはありません。

もし新品の楽器をメーカーから仕入れるほうが安いなら、そちらを選びます。つまりメーカーから仕入れるのと同じかそれ以下で無いと買い戻すことは無いわけです。したがって小売価格ではなく卸売価格にしかどうあがいてもならないのです。どの家庭にもあるような電気製品などの工業製品に比べるとユーザーが少なく売れるチャンスは少ないので原価率はそれらよりもずっと低くなっています。薄利多売するほど消費者がいないのです。

更に中古品を販売するなら多かれ少なかれ消耗品の交換、掃除やメンテナンスが必要です。楽器の修理代のほうが楽器の値段より高くなれば、買い取ることはしません。

つまり、新品の卸価格より安く買って弦などを交換し傷の補修などをして店頭に再び並ぶ時の値段が元の値段になるということです。


またその中古楽器を買い取るかは店主の自由です。有価証券とは違います。その楽器を自分の店の顧客に販売したいと思わなければ買い取る必要はありません。日本ではゲームソフトを買い取る店があるようですが、数10円とか安い値段になるのはもう誰も古いゲーム機を持っていなくて買う人がいないからです。二つ以上在庫があるなら買わなくても良いはずですが断ることをせず全部買うなら数十円とかになるのでしょう。

先日もチェロを売りたいと持ってきた人がいました。どこかのチェロ教授が音が良いと絶賛しただの言っていましたがそんなことは関係ありません。我々が見ると「手作り感」のあるチェロでした。それは機械で作られた量産品の品質基準にも達しないような意味での手作り感です。それを「手作りの味がある」と取るのか、素人が見よう見まねで作った粗悪品と取るのか解釈の余地があります。複数の解釈ができるとなると値段のつけようがありません。値段を決められないと売ることはできませんし、お客さんにそのようなものを薦めて良いのかもはっきりしません。うちではわからないものは手を出さない方が良いと考えます。以前に痛い目にあったことがあるからです。良く調べずにぱっと見で立派なハンドメイドのチェロだと言ってしまったばかりにまともに演奏ができるように欠陥の修理を無償ですることになってしまいました。
それを「作者の個性のある楽器だ」と考える業者は販売するかもしれません。気を付けてください。


つまり欲しいという人が現れて初めて楽器は売れるのであって自動的に評価額で引き取ってもらえるわけではないのです。

評価額とは売った人が手にする金額ではなく消費者に売る時につけることができる値段だと考えてください。自分でお客さんを見つければその値段で売っても高すぎると言われないということです。全額を求めるなら自分で買い手となる演奏者を見つけて売ってください。
委託販売という方法ではその中間です。いつ売れるかはわかりませんが売れたときに消費者からお金が支払われ、楽器店に手数料が引かれます。

価値の下がることのない工業製品

通常ほとんどの工業製品では開封済みの中古品は新品よりも安くないと買い手が付きません。何年か使用したものはさらに安くなります。
未使用でも新型モデルが出れば値段を下げて販売します。広告で激安で売っていたら古い方の製品だったということがあります。

それが常識であることを考えると弦楽器は奇跡の商品です。今月仕入れた楽器でも5年間売れ残っている楽器でも値段は同じです。10年前に作られたものでも20年前に作られたものでも新品と同じ値段で販売されます。それは技術革新や流行の変化が無いからです。耐用年数は何百年もあり、劣化するどころか音が良くなる、つまり性能が良くなるのです。

こんな工業製品は他に滅多にないでしょう。なぜそうなっているかと言えば、市場規模が小さく、大手企業が少なく研究開発や流行を生み出すために業界が手を結び広告宣伝費用を投じられていないからです。服飾のように流行色で今年は赤いニス、来年は黄金色のニスとなってくれれば毎年楽器が売れます。またコンピュータや自動車のように数年で故障すると修理するよりも買い替えたほうが安いと言われたり、インクを買うよりプリンターごと買い替えたほうが安いというようなこともあります。電気シェーバーの替え刃も異常に高いです。外刃は薄いほど髭を根元で刈ることができるので高級品ほど弱いというわけです。同じように弦が切れただけで楽器を買い替えてくれれば我々も儲かります。

そのようになっていないのは弦楽器業界がものづくりについて昔ながらの最後の良心を持った産業であるということです。もっと頭の良い最新のビジネスを学んだ人たちが主流になればこれもなくなるでしょう。

全く現代の常識は通用しません。

しかしそのことと骨董品として値上がりするのは違います。

買った時よりも高く売れるか?


このように買った値段よりも多くの金額を受け取るのは難しいと言えます。新品同様でも無理なら、長年使用するほど修理やメンテナンスの費用がかさんでいくからです。大きな損傷を受ければ修理代が楽器の価値を超えてしまい価値はゼロになってしまいます。

それに対して骨董品として値上がりするのは基本的に「戦前より前の作者」と考えてください。作者が戦争後まで生きていて戦後に製作したとしても戦前から活動していた作者に限られます。それ以降のものは骨董品ではなく中古品と考えるべきです。

戦後の作者でも当時の値段はびっくりするほど安かったはずです。それは物価が変わっているからで物価変動分の値上がりはしています。生活に必要な費用も上がっているかもしれません。それが値段に反映されます。しかし新品よりも高いことはありません。

戦争より前の作者でも現代の作者の新品よりも高くなっているのはごく一部です。特別有名な作者を除くとほとんどのものは新品よりも安いくらいです。

また作者名が分からなかったり鑑定がされていないものが多くあります。そのようなものはさらに値段が安くなります。


つまり値上がりを期待して買うなら戦前より前の作者で知名度がある有名な作者ということになります。ただし、そのような作者のものはすでに値段が高くなっています。子供が楽器を始めるからと買うようなものではありません。

ただし有名な作者の楽器にはニセモノが多いです。たまにニセモノをつかまされる人がいて不運だというのではなく、ほとんどが偽物を買っています。ブログの読者でも被害者は何人もお会いしました。1000万円近い金額がパーです。

このため重要なのは鑑定です。我々職人やユーザーがどう思うかは関係なく権威のある鑑定があるかどうかです。職人として疑わしく思っても権威のある鑑定書があれば良いのです。楽器自体はどうでも良いのです。

テレビなどで骨董品などが出てくると古物商は「〇〇の作品には力強さがある」とか「ニセモノは弱い」とか言って意識を作品の方に向けようとします。それは彼らの思惑でしょう。実際は作品がどうであるかは関係なく権威のある鑑定があるかどうかです。権威ある鑑定士以外の人が作品をどう思おうが関係ないのです。楽器商やコレクターが「これは鑑定書は無いですが、私はラベルの作者の作品だと思っています。」とかどうでも良いです。心の中にしまっておいてください。ましてや音大教授が弾いて「音が良い」とかは全く関係ありません。

作者の名前で値段が決まるので作者が誰かという鑑定が値段を決めるすべてです。

値段については生産国や流派も重要です。
流派によって基本の値段が決まっていると言っても良いでしょう。楽器の値段と職人の腕前は同じ流派の中でならある程度関係があるということです。例えば1700年頃のクレモナの作者ならどんなにヘタクソが雑に作った粗悪品でも1000万円以上して腕の良いストラディバリやアマティなら1億円以上します。しかしヴィヨームの代わりにヴィヨームの楽器を作っていた本人でもドイツ人がベルリンで独立すると300万円くらいにしかなりません。クレモナの1000万円の楽器はどうしようもないヘタクソの作ったものでベルリンの300万円の楽器は超一流の作者のものです。ストラディバリに引っ張られてヘタクソな作者まで値上がりするのです。別の流派同士では値段に作者の腕前は反映されてないということです。

作者が不確かでも流派が分かっていればその流派の最低の値段くらいにはなると考えられます。


量産品の場合には現代の量産品とさほど値段は変わりません。古さではなく品質のランクによって値段をつけます。
ただしミルクールの楽器に限るとかなり高めの値段になっています。とんでもない粗悪なヴァイオリンでも40万円くらいはします。チェロはその2.5倍くらいと考えて良いでしょう。

最近意見が分かれるのは戦前の東ドイツ・ザクセン地方のチェロです。新品の量産品よりもずっと高い値段でも買い手がついてしまいます。現実的に値段が高くなっています。この辺は最新の動向です。


一方ネームバリューの無い流派の楽器や現代の楽器については職人が楽器の質を見て評価すれば大きく外れることはありません。この場合は「楽器の品質=値段」となります。つまりマイナーな流派の楽器は値段が品質を表していることになります。それでも品質と音は直結しません。

混とんとしてきた?


当ブログでも最初の頃に書いていたのと今では値段が全然違います。はっきり言って今の相場がどうなのかわかりません。流行に敏感な店ならどんどん値上がりしてるかもしれません。時流に鈍感な店ならまだ昔の値段がついているかもしれません。
下町の商店街のおもちゃやで何十年前から売れ残って定価で売っていたゲームソフトが外国でものすごい値段になることがあるそうです。

2008年のリーマンショック以降様々なものが投資対象になりました。その後も急速に値段が上がっています。しかしイタリアのモダン楽器が倍近く上がっている時にウィーンのモダン楽器は据置だったりしました。誰もウィーンのモダン楽器を投機対象に考えていないのです。
こうなるとますます音と楽器の値段がかけ離れていきます。
イタリアの作者は「この値段でこの程度の音?」と言われ天国で悲しんでいることでしょう。

弦楽器以外の動きではもっと新しいものが値上がりしていますから、西ドイツ時代の量産楽器なども中国製の現代のものより値上がりしててもおかしくありません。西ドイツ・ブーベンロイトの量産品は見た目に特徴があります。それに対して現代の量産品は中国製でも東欧製でも、アメリカやヨーロッパのメーカー名がついていても見た目が変わりません。そうなると産地の特徴がある西ドイツの楽器の価値は上がっても良いように思います。

ともかく買った時より高い値段ですぐに現金化できるというのはかなり難しいと考えた方が良いと思います。若い頃にお父さんに買ってもらった楽器なら自分は払ってないので物価上昇分で高くなったと思うでしょうが。
その場合は「投資」という目的を優先して自分が演奏のために使うとは別に考えた方が良いかもしれません。


未来のことは私には分かりません。
こんにちはガリッポです。

この前は駒の話だったので指板の話です。
駒は弓がほかの弦を触ってしまわないように上部がカーブしています。それに合わせて指板もカーブしています。弦を抑えると他の弦よりも低くなるので指板もカーブしていないといけません。

指板は黒檀という木材で作られています。とても硬く密度が高いので耐久性があります。安価な楽器では本当の黒檀は使用されていないことがあります。製品仕様には「ハードウッド」と書かれています。木の種類ではなく「硬い木」の総称です。しかし黒檀に比べるとはるかに柔らかく全く硬くありません。
白や茶色の木を黒く着色しています。

黒い色が好まれるのは19世紀の趣味もあるでしょうね。バロックの時代にはいろいろな木材が使われたようです。黒檀はアフリカなど南洋の木材なのでヨーロッパでは貴重だったはずです。バロック仕様のまま残されたオールドヴァイオリンでは地元の木材を黒く染めたものが残っています。
またうすい黒檀の板を曲げて張り付けたものもあります。現在バロック用の指板でうすい黒檀の突板にしてあるものがあります。あご当て無しでは不安定ですが、そのような指板なら軽量にできます。先端の重量を軽くすることは重心において大きな意味があります。それが本当の昔のやり方というわけですが、指板を削りなおして使うことができないので私はやりません。業界特有の考えすぎの「こじつけの理由」で、私は単に黒檀が貴重だったからだと思います。

バロックの時代はテールピース(弦を留める部分)と指板の色をセットにしたようです。例えば白木の指板と白木のテールピースをセットにします。茶色の指板ならテールピースも茶色にしたようです。

それがモダン以降は黒檀に統一され、テールピースはペグやあご当てと同じ色の木材にするのが普通です。正装なんていうと身につけるものの多くは黒が正式ですね。西洋でも民族衣装ではそんなことはありません。やはり19世紀の趣味でしょう。

つまり高級楽器ならまず黒檀がつけられ、価格を抑えるために茶色や白い木を黒く染めて使われているということです。それが常識ですが、個人的には茶色の指板でも良いように思います。
白い木を染めるのは難しく表面に染料が残っていると指が黒くなってしまいます。

ただし黒檀は材質として優れたもので、代用品は出回っていません。

黒檀には質があって、やはり真っ黒でキメの細かいものが上等です。ところどころに茶色いものが混ざっていたり、灰色だったりブツブツ穴が開いているようなものは質が落ちます。また節や穴、割れなどがあるものはダメです。
裏板のようなカエデ材で好まれる杢模様も黒檀でも見られることがありますが、黒檀では低級品です。カンナをかけたときにボロボロと割れてしまうので作業は大変です。杢まで行かなくてもボロボロ割れてくる材料は低級品で、安価な楽器に使われています。これをカンナで削るには職人の高度な腕前とよく調整されたかんなが必要です。それでもどうにもならない時は技があります。
安価な楽器でそんな高度な加工がおこなわれるはずがありません。カンナは使えずサンディングマシーンでごまかしてあります。
安い指板ほど加工が難しく作業にコストがかかるので量産楽器ではちゃんと加工されていないということです。

私たちは工場で出荷されたものをそのまま販売することは無く指板を加工しなおします。それが職人が常駐する店と、総合楽器店の違いです。日本では輸入商社が東京などに工房を持っている場合もあります。

うちの初代の職人が1960~70年くらいの間に作った楽器の指板を削りなおす仕事をすると質の良さに驚きます。カンナの感触で分かります。年々上等な指板が手に入りにくくなってきているようです。急に輸出入禁止ということは無いかもしれませんが上等な産地のものが手に入らなくなってきています。大きな材料を必要とする木管楽器やコントラバスではさらに深刻です。


指板だけでも重要なことはたくさんあります。黒檀は難しい素材で指板にカンナが上手くかけられれば職人としてなにかしら仕事ができるということになります。工房では職人の採用試験として指板削りを課題にしているところもあるそうです

まずはカーブです。私は両端はあまり丸みを持たせていません。丸みが少ない方が指で押さえたときに安定するからです。つまり弦よりも外側が平らになっています。内側は駒のカーブと一致させないといけません。実際には両端の弦のところが丸く、間の2弦が平らになっているものが多いです。
さらに上端の方(駒から遠い方)になってくるとやや平らなカーブにします。駒から離れるほど影響が少なくなってくるからです。

縦方向はどこもかしこも完全な弧を描いたカーブで僅かにえぐれている必要があります。中央の部分で直線定規との隙間は0.5mmほどです。直線定規はドイツ工業規格DIN874/00と一番精度の高いもので普通の定規ではありません。厳密な直線定規の規格は他の国には皆無です。
このため隙間が1mm以上あると摩耗して来たとわかります。全体的に摩耗してくれば異常は発生しにくいのですが場所によって違います。あるヴァイオリンではG線は下の方、D線は上の方、E線は下の方が摩耗していました。
そうなると指板が波打ってきて、弦が振動するときに指板に触れてしまい異音が発生してしまいます。駒が高めのほうが異音は防げます。

長く使っていると弦のところに溝ができてきます。

また深くえぐれてくると弦を抑える時により深く抑えないといけなくなります。前々回説明した弦高が体感上高く感じます。

つまり、より快適な使用感を得るためにはより精密に加工する必要があるのです。このようなメンテナンスが必要になって、腕の良い職人でないとできないというわけです。

指板をカンナで削るのが難しいのはいろいろありますが、カーブした面を削る時に、指板のどこがカンナの刃に当たっているかわかりにくい所もあります。カンナは刃が平らなので細かいガタガタができます。小さな角ができるのでその角を削らないといけないのですが、そこに刃を当てないといけません。細かな角があると直線定規を当てても測れないです。私も未だに完全に理解はしていません。それくらい奥が深いもので、どちらかというと修理技術で楽器製作の技術ではありません。作られた楽器を仕入れて販売するときに指板を削り直すからです。日ごろからユーザーの楽器のメンテナンスをしていればフィードバックやこなす量が違います。楽器製作では「これがオレの作風だ!」と言っていれば良いのですが指板の仕事では正確さが求められます。

指板のカーブに近い丸い刃のカンナを考えた業者があります。どうやって刃を研げばいいのかわかりません。丸い砥石がありません。

黒檀は他の木材に比べて刃を酷使しすぐに切れ味が鈍くなってしまいますが、割れやすい素材で正確に加工するには切れ味が必要になり、豆に研ぎ直す必要があります。ハイス鋼のような丈夫な刃では、研ぐのに時間がかかり結局同じです。

工場で出荷された量産品はサンディングマシーンでぐずぐずになっているというわけです。指板がうまく加工できるくらい熱心な職人なら他の仕事も任せられるというわけです。

指板交換

このように指板を何度も削りなおすと薄くなっていきます。薄くなりすぎると交換が必要になります。初心者は考える必要はないことで、交換が必要になるまで続くと大したものです。先生になると薄くなっている人が多いでしょう。

指板は現在では駒と同じように機械でかなり正確に加工されたものが入手できます。それでも大きめになっているので仕上げ直さないといけません。
まずはネックとの接着面で、ここをカンナで削るのはとても難しいです。職人でも初心者では誰もできませんし、カンナの刃も研ぎたてでないといけません。一発で決めないと何度も削っていると切れ味が落ちてもう無理です。
ここがすべての基準となります。

次に両サイドを削ります。今までなんかうまくいかないので保持するための治具を今回作ってみました。

この小さな面でも正確に加工するのは難しいです。未だによく分かりません。治具を作っても完全にはうまくいきません。でも不確実な要素が減ったことで原因が見えたように思います。

新作の場合はこの面にネックを合わせて加工しますので、ここが完全な弧を描いたカーブになっていれば職人の腕が良いということになります。指板を見れば職人のレベルが分かります。

修理の場合には古いネックに指板を合わせなくてはいけません。初めは標準のサイズにしておいてネックにあわせて加工する必要があります。理想通りにはいかないのでつじつま合わせが必要なのです。

サイドが決まると上の面を加工して指板の厚みやカーブを決めます。私はネックに接着してから最終的に仕上げます。接着するときにわずかに歪むからです。この段階では少し削り残しがあります。
長さを決めて両端を仕上げるのも難しい作業です。今のものは機械で正確に加工されているので助かります。

外側のカーブが決まったら内側をくりぬきます。余分な材料を削り取ることで軽くする効果があります。それで音が良いかははっきりわかりません。しかし音響工学の専門家が測定すると指板のこの部分も振動しています。またチェロではここに重りをつけてウルフトーンを軽減できたこともあります。
いずれにしても買った指板は未加工ですから何かしらの基準で完成まで加工しないといけません。

ノミだけで彫っていくとこんな感じです。

内側まで仕上げてあると丁寧な仕事です。量産品は最後まで削ってありません。両端の余白はネックにあわせる時に細くなるので余裕を持たせておかないといけません。

あとは古い指板を取り外してネックに接着すればいいわけです。
この時気を付けることがいくつもあります。
まずは接着面がお互いに完全な平面に加工されていることです。曲がっている面と曲がっている面で接着してもくっつきませんし、曲がっている面にもう一方を加工して合わせるのも至難の業です。したがって完全な平面と完全な平面を合わせるのが一番簡単なのです。しかし黒檀の側もネックの方も加工はとても難しいです。

次に大事なのは駒の高さです。
指板を交換すると駒の高さに影響します。駒が正しい高さになるようにしないといけません。前の指板より2mm厚ければ自動的に2mm駒が高くなります。それがちょうど正しい高さなら良いですがそうでないなら合わせないといけません。あの手この手でいろいろなことをしないといけません。

さらに駒が楽器のセンターに来るように指板を取り付けないといけません。駒は指板の延長線上に置きます。そうしないとE線とG線が指板のどちらかによってしまいます。指板に駒を合わせると楽器のセンターからずれてしまうかもしれません。バスバーと駒の位置関係が狂ってしまいます。
とはいえもともとのネックがあるのでそんなに動かせません。しかし何も考えずに接着すればセンターが狂ってしまうかもしれません。

更にネックの長さです。
指板の取り付け位置でネックの長さと弦長が変わります。これも正しい位置につけないといけません。古いネックやかつてつけられていた指板が正しくないこともあり頭を悩ませるところです。


指板を取り付けたらネックと段差が無くなるようにしないといけません。多かれ少なかれネックも加工が必要です。

先端にはナットを取り付けないといけません。指板を削りなおした場合相対的にナットが高くなるので低く削らないといけません。

高さは微妙です。高すぎると弦高が高く感じられます。低すぎると次第に溝が深くなり弦と指板の隙間が無くなってビリついてしまいます。特に食い込みやすいのは高音のE線ですから、低くし過ぎてはいけません。ヴァイオリンでは0.6mmチェロでは0.8mmくらいにしています。


最終的な指板の仕上げです。
日本の人で演奏すると指が黒くなると訴える人がいました。指板を黒く塗っているのでしょう。安い指板では本物の黒檀を使っていなかったり、低級な黒檀を使っているため、黒くするために何か塗ってあったようです。表面に塗ってあると指に着くというわけです。

それで私が指板を削りなおすと特に低級な黒檀ではなく、黒く塗る必要はないようでした。その工房では黒檀のランクに関係なく常に黒く塗っていたようです。少しでも楽器を高級に見せようとする企業努力でしょうか?日本人がやりそうなことです。

私は亜麻仁油を塗りこみます。油が染み込むことで光の屈折の関係で「濡れ色」になります。これで黒々と濃い色になるのでそれで十分だと思います。ことさらに真っ黒にするために塗るのはやり過ぎだと思います。サンドペーパーや研磨剤もものすごく細かい目で磨けば黒檀はつやが出てきますが、私はそこまでしません。つや消し黒で終わりにしています。
更にかつてはニスを塗っているものもありました。

ネックも同様です。ネックにニスを塗ると触った感触がすべすべになりすぎてプラスチックのように感じられます。なにも塗らないと汚れが染み込んでしまうので、ニスを染み込ませてから表面を溶かして剥がします。面が乾いてしまうので亜麻仁油を塗ったり薄いニスでポリッシュしたりします。亜麻仁油を擦り込んでも汚れを防ぐ効果はあります。

指板の加工は荒い方から
カンナ>スクレーパー>やすり>サンドペーパー
と仕上げに近づいていきます。
やすりやサンドペーパーが多いほどグズグズになっていきます。最初にカンナで作ったカーブが崩れていくのです。だからできるだけカンナで完成に近いところまで持っていけるかが重要です。量産品ではサンドペーパーどころかサンディングマシーンで削りすぎているので精度が低いのです。

職人のいる店なら削り直してから売ります。失敗した加工をごまかすためのサンディングマシーンですでに指板が薄くなりすぎているので余計な仕事はしないでもらいたいものですが、それがクオリティの低い仕事です。新品なのに交換の時期も近くなっていますが、初心者用の楽器ということで最後まで使うことは無いという前提でしょうか。
オンラインショップや総合楽器店ではそのまま売られてるかもしれません。


まだまだたくさんある指板の話

指板は故障というのはあまりないかもしれません。あるのは剥がれて取れてしまうことくらいです。過去の修理では自己流に木工用ボンドなどでつけてあることもあります。やはりちゃんと接着するには接着面を加工しないといけません。そうするとネックを削ったことで指板の角度が低くなり駒も低くしないといけなくなってしまいます。駒が低いと音が弱くなってしまいます。ちゃんとやろうとすると簡単なことではないので適当な修理をするわけです。

指板の幅も持った時の感触に影響します。ネックの太さとも関係があります。
バロックの時代には今よりもとても幅の広い指板が取り付けてありました。それがフランスでモダン楽器が成立すると細くなりました。1900年頃からドイツやチェコではさらに細い指板のネックで楽器が作られたり修理されたりしました。手の小さな人にももちやすいように配慮したためです。これは楽器を見分けるポイントでもあります。
太さの正解は演奏者が決めることです。ただし販売するには標準的な状態であることが求められます。カスタマイズしすぎると売る時に継ネックの改造が必要になります。


それからチェロの指板ではC線のところだけ指板をカーブさせずに平らになっているものがあります。かつて流行したもので、現在は量産品でも見かけなくなりました。現在ではメリットが無い上に加工も難しく正しく加工されていることは皆無です。平らな面をカンナで加工するのは抵抗が大きいので難しいです。

現在のスチール弦ではヴァイオリンと同じような指板で問題ありません。
弦は低い音を出すためには重量が必要で、裸のガット弦ならとんでもなく太くなくてはいけません。金属を巻いて重さを増したガット弦でも今見ると太さにびっくりします。太い弦を抑えやすくしたり、張りの弱いプランプランのC線で異音が出ないように特別配慮した工夫でしょうがうまく加工されていれば普通の指板でガット弦でも問題ありません。
現在ではチェロ教師やプロの演奏者でもそれじゃなくてはダメだとリクエストする人もいないのでメリットが分かりません。


特に機械で加工できないのが指板です。演奏上とても重要で、プロの人なら2年に一度くらいは削り直す必要があるというものです。今は金属を巻いた弦を張っているので摩耗しやすいです。

当然人によって摩耗の仕方は全く違います。我々が指板を見るとどれくらい練習しているかわかるくらいです。