裏板の魂柱傷の修理 (後編) | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンの世界では馬鹿にされる量産楽器ですが、現代の世界では何でも量産品が普通です。ロールスロイスやフェラーリのような高級車でも同じ型のものがいくつも生産される量産品です。高級ブランドのバッグも量産品です。アップルの製品も量産品です。量産品という理由でバカにされるとしたらこれらもバカにしなくてはいけません。もし「独創性」が重要で、コンピュータのシステムが一つの製品でしか使えないと使い方を知っている人が誰もいないものになってしまいます。

それが量産品であるかどうかではなく品物それ自体がどうかという事ではないでしょうか?

職人が「音を作る」というようなことは難しいです。美音を聞き分ける優れた耳を持った職人が音が良い楽器を作ってるのではありません。作っている段階ではどんな音になるかはわからず、出来上がってはじめて音が出るからです。

郵便物をポストに投函するなら郵便番号や住所を書く必要があるでしょう。番地まで正しく書かれていれば家まで届きます。
職人が音をどれくらいの精度で狙えるかと言えば、「西日本」「東日本」くらいできれば良い方です。それくらいの的の大きさです。とてもじゃないけどもピンポイントで狙った音の楽器を作り出すことはできません。そのため職人が耳が良かろうが悪かろうが関係ないのです。出来上がった楽器で〇線のこの音がうまく鳴らないなどと言われても作る段階では全く想像もつきません。

そして東日本を狙ってもなぜか西日本にしか行かないような職人のほうが多いでしょう。西日本と東日本を狙い分けられるだけでも職人としてはレアでしょう。日本地図にダーツを投げるような感じですが、てんでばらばらというよりもいつも同じ地方に飛んでしまうことが多いでしょう。かと言って完全に同じ番地に当たることもありません。

我々の感覚はそれくらいです。
郵便配達員ならとんでもないです。
これが音ではなく、見た目になるとはるかに精度は高くなります。
見た目なら作った職人の腕の良し悪しがランク付けできますし、量産品や産地や時代などもある程度わかります。しかし耳で音を聞いただけでは全然わかりません。

だから耳が良い職人が作ったから音が良いなどとということはありません。
工場で分業で作っても同じことです。


一方弦楽器業界で評価する方は音に基準などはなく「高い楽器から出る音が良い音」と信じられています。だから西日本でも東日本でもどちらに行っても音はどうでもいいのです。値段が高くなるためには知名度が重要で、どうやって知名度を高めるか、知名度の高い楽器を仕入れるにはどうしたらいいかそれが弦楽器業界で成功するために努力していることです。

だから、楽器を仕入れる時も作る時も狙った通りの音をピンポイントで当てる必要はありません。値段が高い楽器の音を耳にすると「これが良い音なのか?」と思ってくれるからです。

高級品の話になったときに私は「消費者が自分の好きなものを選べばいい」と分かっていますが、こんな簡単なことを理解できない人が圧倒的に多いです。自分は素人で良し悪しは分からないので、判断するなどは畏れ多く、「定説」を求めるのです。ある程度経験が無いと当然そうです。でもマニアのような人がそんなことを言っていると笑ってしまいます。
そのような人たちには「自分が好きなものが良いもの」というのは完全に真逆の概念、逆転の発想というくらい画期的なものでしょう。天と地がひっくり返るほどのことです。

オールド楽器について言えば、当時は製法が確立していなかったので、プロの演奏者がまともに業務用として使える機能性を備えたヴァイオリンは多くありません。
1800年代に作られたモダン楽器なら優れた機能を備えているものが多くあります。
しかし音は好き好きでオールドヴァイオリン特有の音が好きだとなれば数少ない中ら理想の楽器を見つけなくてはいけなくなって値段も高騰します。
オールドの時代にはまともな楽器を作れる人が少なかったのが、20世紀にはヴァイオリン製作の流行があり、結果として出てくる音はオールド楽器とは違う方向性のものになっています。したがって現代の職人の方が優れているとも言えません。

音は自分が弾いた時に耳で聞こえる音やレスポンスなどの感触と、広いホールでどう聞こえるかということがあります。違いはホールの最後列で試さないとわかりません。


自分がどんな音を求めているかがまず重要です。
オールド楽器のような音が良いなら値段は高くなり、現代の楽器のような音が良いならそこまで高価ではありません。同じような音のものがたくさんあるので無名な作者なら安く買えます。機能性を求めるなら鳴りが良くなっている50年以上経っているものが良いでしょう。鳴りの良さは量産品でも例外ではありません。50年以上前に作られた量産品なら新品の手工品よりも優れているでしょう。

知識として有用なのは、どうしたら限られた費用で自分の求める音の楽器が手に入るかということです。現代の楽器のような音が良いなら、様々な現代の作者の楽器を弾き比べて選べばいいでしょう。

問題はオールドのような音が好きという場合です。
どうしたら安い値段でオールド楽器のような音のものが手に入るかということですが、それでは先ほどの「値段が高い楽器の音が良い音」と矛盾します。「自分が好きな音」を求めているのではなく「値段が高い楽器の音」を求めているのなら、お金をどうやって稼ぐかを知ったほうが良いでしょう。考え方が全く正反対です。


弦楽器業界の人たちはいかに知名度を高めるか、知名度を利用するかを考えてきましたし、ユーザーは高い値段の楽器を買うためにいかにお金を稼ぐかということを努力してきました。

しかし私が勤め先で現実の演奏者が楽器を探す様子を店頭で見ているとこのような業界がしてきた努力とは全然違うように思います。それはヨーロッパの人たちが当たり前のように「自分が好きなもの」を選んでいるからです。どこでそれを教わるのか、どうして知っているのか謎ですね。

基本的に自己中心的であるということが言えるでしょう。
コロナの流行でも高齢者を中心に次々と死者が出ても自分は関係ないとマスク着用を拒否してデモ活動までしていました。それがヨーロッパの人たちです。日本では法律で義務付けられることがなくてもみなマスクを着用していました。帰国して驚きました。
それとは全く関係なく単に顔が隠せるというプライバシーでのメリットがあるのではないかと思います。日本人は恥ずかしがりやでマスクはアイテムとして心地良いのではないでしょうか。

物事を全面的に称賛したり、嫌悪したりするのは技術者としての考え方ではありません。何もかも一長一短と考えています。見方が変わると長所も短所になり得ます。長所や短所は文脈での意味づけで、客観的にあるのは特徴だけです。


でも一方で階級意識を作ってきたのもヨーロッパの人たちです。
階級については当たり前のように信じているので、高い地位の人が有利になっていることも非難されません。日本のほうが平等意識が高く「高い地位の人ほど民衆のために尽くすべき」と考えられています。現在の日本ほど「偉い人」が尊敬されることがなくやり玉に挙げられる国は珍しいでしょう。会社の社長の給与も外国では桁違いですね。カルロス・ゴーンなんて犯罪者になってしまいました。日本でオリンピックのバッハ会長が非難されるのもヨーロッパに住んでいる感覚ではわかりません。

このため高級品のビジネスはヨーロッパで発達し、ビジネスマンは独特の嗅覚を持っています。階級社会では高いものを買って地位を誇示するのが当たり前で、品物の性能が優れているわけではありません。庶民はビジネスマンの言いなりになってそれに対抗しないと財産を失ってしまいます。階級によって差があるのが当たり前なら自分をわきまえて「他人は他人」と割り切って考えることも身についているでしょう。

それが日本に入ってくると不慣れな日本人は踊らされてしまうわけです。


骨董品のような話になるとそれは音楽とは別の趣味です。
音楽が好きというだけなら骨董の世界に足を踏み入れる必要はありません。道具として優れたものか、ちゃんと作られたものかどうかだけで十分でしょう。音楽を始めたが最後、誰もが骨董の世界に入れられてしまうのはおかしいのです。

骨董も品物自体の話なのか、財産の話なのか分かりませんね。
私は弦楽器については、風情や情緒も人よりはずっと分かると思います。複製を作るという行為では桁違いに観察をしているからです。営業マンが品物を見てるのは視野に入っているにすぎず、職人が同じものを作ることができるにはよく理解していないといけないからです。細かい一つ一つの部分を正確に再現しても「得も言われぬ風情」が再現できなければそれが何なのか追及するのです。

安物を高価な名品と信じ込んで買った人がたくさんいます。
それがヴァイオリンが大好きで自分では詳しいと思っているコレクターだったりします。自分は良し悪しが分かると思っている人ほどガラクタを集めています。

また楽器を見て欲しいと持ってきても、分からない楽器ばかりを持っている人もいます。怪しげな楽器というのは名器にも安物にも見えなくもないというもので、偽造ラベルが貼られて出回っているものです。本当の作者も腕がいい職人なら品質で分かりますが、安物とクオリティが変わらないような作者だと「かもしれない」となってしまいます。腕が良くない作者でも何百万、何千万円もすることがあるので似た楽器に偽造ラベルが貼られたものが「化ける楽器」というものです。金を儲けたい業者には一番求められるものです。そういううさん臭いものばかりを買っている自称「違いの分かる」人がいます。またオールドの時代に単に「楽器」という実用品を作っていただけのものが今では何千万円もします。美術品でも何でもありません。ただの実用品に審美眼なんて関係ありません。そんなつもりで作ってありませんから。鑑定書がないとただの古道具です。王様や貴族が買っていたアマティやストラディバリとは違います。


私は「物の良し悪しが分かるのが格上の人間」という価値観は馴染めません。
それは、訓練を受けないと見分けられないというだけです。人間の値打ちは関係がありません。プライドをかけるのはやめた方が身のためです。ユーザーのレベルでは難しいです。

量産品の中の品質の良いものが見分けられる方がよほど目が利くということになります。上級品と低級品ではコストダウンの仕方に違いがあるからです。その差が分かることこそ人気ではなく本当に目で見て「違いが分かる」ということです。量産品の上級品は鑑定に左右されず値段が安定しています。楽器としても機能的に優れています。

魂柱傷の修理


魂柱傷を修理するには魂柱パッチというものを埋め込まなければいけないと前回話しました。他にもっと安上りな方法があればいいのですが、難しいです。

図の上のように新しい木を埋め込まないといけません。
その時裏板が歪まないように型を取る必要があります。昔は木を削って型を作っていたそうです。サッコーニの時代です。その後石膏で型を取るようになりました。石膏自体は素材として古代からあるものですが修理の手法として新しいものです。

接着するときはオリジナルの板が薄くなっているのでくっつける時にアーチが変形しないためにも型が必要です。

全面を型取りする必要はありません。石膏でも使いますがニスを痛めないように薄い錫箔を貼ります。空気を抜いて油の粘性ではりついているだけです。アルミ箔よりも薄いものです。金属箔も古代からあったでしょう。

型取りは歯科用のものです。60℃のお湯で柔らかくなるプラスチックのもので何度でも利用できます。
メリットは石膏よりも短時間で硬くなることです。石膏は乾くのに10日くらいは必要ですが、これは温度が下がれば良くて数時間で十分です。

逆に言うと、大きな面積は難しくて部分的にしか使えません。それから熱に弱いのも弱点です。表板のアーチが陥没している場合、石膏で型を取った後、削って型を理想のカーブに直します。それに表板を熱した砂袋を押し付けるなどで陥没を直すことができます。魂柱傷の箇所だけを直すこともあります。

この歯科用のものでは砂袋は使えません。熱を加えると柔らかくなってしまうからです。

今回のケースでは十分です。
この場合問題になるのは型を取った時と同じ場所に型を持ってくるのが難しいです。表板ならf字孔があって。f字孔ごと型を取るとそこに表板を合わせることができます。このためコーナーのところを基準となるようにしました。

表板は駒の脚と魂柱を支えないといけませんが、裏板の場合には魂柱だけを支えれば良いです。魂柱が来る場所に取り付ければ良いということです。

ラベルにはアントニウス・ストラディバリウスですね。これは日本の業者は面白くないでしょうね。さすがに騙される人はいないからです。仕入れるならもうちょっとマイナーな作者でないといけません。そうすると勘違いするお客さんが出てくる可能性があります。それがほかのことよりも優先されるのが日本の業者です。

とても難しい作業ですが数をこなす必要があります。

しっかりと接着します。この時型がないとアーチの表面を変形させてしまうかもしれません。表板くらい柔らかいと型をあてがって力で押し付ければパッチが潰れて0.1mmくらいの隙間は余裕で埋まります。裏板はそれが効きません。でも空気が入るほど隙間ができることはないでしょう。

取り付けてから削り落とします。

元と同じ厚みかできればそれよりほんの少し厚くします。

さらに木片で補強します。魂柱が来ない部分はこれだけで十分です。

安価な量産品では裏板を最後まで削らずに厚すぎるものが多くあります。隅っこの方も削り残しがありますがこの楽器では、むしろ薄すぎるくらいです。真ん中でも3.5mmもありません。それが割れた原因と断定はできません。また裏板に変形も見られません。

際まで加工されているというよりも、横板を取り付けてから隅っこを削ったようです。縁取りになっています。
板が厚すぎることがなければ音響的に問題があるとは言えません。
アーチは量産品とハンドメイドで美しさが違うかもしれませんが、音の違いは説明できません。でも本当に美しいアーチを形作れる職人はほんの一部です。職人も営業マンも見えていないのです。職人でも見える人にだけ見える違いですから、業界内でも少数派の意見にすぎず価格などの作者の評判には影響しませんね。

それはあくまで分かる人にだけ分かる造形美の話であり、物理的な構造の違いを説明はできません。なんでもないアーチの楽器に音が良いものが実際ありますから。

したがって音について特に悪くなる原因は指摘できません。

量産品の特徴としてはコーナーです。外枠式で作られていてコーナーブロックはきちっと合っていません。しかし裏板を張り付けてしまえば見えません。
横板のコーナーの合わせ目は弱いので衝撃が加わると割れてしまいます。ただし音が悪くなる原因とは言えません。このようなコストダウンがあります。

裏板を接着すれば元通りです。

何事もなかったように修理ができました。

典型的なザクセンの手法で行われたアンティーク塗装です。すぐにマルクノイキルヒェンの量産品だとわかります。ストラディバリのラベルもお約束です。戦前で生産数が多かった時代です。

ただしニスは質感や匂いから典型的なラッカーではないようです。おそらくラッカーよりも上等なものでしょう。ニスも製品のランクにあわせて仕様が違いました。

裏板でもオレンジのニスの部分と地肌の2色に塗り分けられています。もしオレンジのニスで全面を塗れば高級楽器のニスと変わらないでしょう。地肌は着色されています。おそらくかつては化学反応で着色する染料を使っていたと思われます。現代の量産品は普通の合成染料で染めているのでもっとインクのようにはっきりと染まっています。このような着色はザクセンの量産品の特徴ではありますが、現在のものに比べると控えめで上品に見えます。かつては安物と考えられていたアンティーク塗装の手法も、現代のものに比べると上品な感じすらします。それもこの楽器に魂柱傷の修理をする値打ちがあると判断する材料となりました。
現代の量産品は機械で作られていて産地の違いも判りません。見ても中国なのかどこなのかわかりません。そうなったときこのような「ドイツ製」は産地を見分ける特徴もあるしもう少し高く評価されても良いように思います。しかし品質は様々で粗悪品は機械で作られている現代のものよりもひどいものです。

この楽器に至っては木材のランクも量産品としては上等なものです。つまりハンドメイドの高級品と比べて音が悪くなる原因は見当たらないということです。音は弾いてみるしかありません。

しかし表板のバスバーを見ると異常に短いです。これで音が悪くなっているのかはわかりませんが、残念なところではあります。それが量産品です。フルレストアはされていません。
しかし表板の厚みも十分薄く際まで丁寧に加工されていて、楽器としてのポテンシャルはかなりあると思います。次に事故が起きるとすれば表板の故障でしょう。その時にはバスバーも交換したらと思います。保険に入っておいたほうが良いかもしれません。バスバーは故障個所でなければ有料になりますが他の修理が重複します。

ネックの角度は裏板を接着するときに修正しました。指板の高さが変わったため元の駒は使えず交換が必要となりました。

まだ弦は張っていませんが、すでに裏板に割れがあればエネルギーのロスがあったかもしれません。ネックの角度も修正したので場合によっては故障前よりも音が良くなることも十分考えられます。
経験上このような致命的な損傷もきちんと修理すれば音響的に問題はないと思います。実用上は問題がないということです。現実にはきちんと修理されていないものが多いです。
見てすぐにずさんな修理だと分かるものや、魂柱パッチの修理すらされていないものが多くあります。

ほんとうにうまくパッチが接着されているかは削り落としてみないとわかりません。私の場合にはきれいなオーバル型になっていると思います。そういう部分をきちっと作る人は精度も高いだろうと予測します。いびつな丸だったりすると怪しいということになります。それは職人の仕事に対する取り組みが現れるからです。

あまり大きすぎるものをつけると次にもう一度やる場合にさらに大きくしないといけなくなってしまいます。あまり小さいとカーブが急になって合わせるのが難しくなります。何が理想かはちょっと課題点かなと思いますが、次に衝撃があったら表板の方が先に壊れるでしょう。

良し悪しがわかる?


楽器の値段を考える時、安いものはコストダウンの手法を取り入れてあるもので、その度合いによってランクがあります。
その違いを見分けられるとかなり目が利くことにになります。

ザクセンの量産品をフランスの一人前の職人の作品と偽って売っている話を聞いたこともあります。それは一般の人には違いが分からないからです。値段は普通のザクセンの量産品の値段ですから、業者はザクセンの量産品だと分かっているはずです。後で裁判になっても賠償する必要はないでしょう。
なんでそんなしょうもない嘘をつくのかとあきれてしまいますが、日本の楽器店で営業の仕事をすると今月の営業目標のためにそんな「企業努力」をしないといけないのでしょうか?

ニセモノなら音が悪いから気付くはずだ?
と思うかもしれません。気付かないのはザクセンの楽器の音が悪くないからですよ。
「本物のザクセンの量産楽器です」と説明を受けて納得して買う時代は来ないのでしょうか?