セオリーが確立している近代、現代のヴァイオリン製作 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

いよいよ久しぶりの帰国です。


この前から音の話をしてきていますが、改めて考えると演奏者の方々が考えるのと職人が考えることにはギャップがあると思います。以前タバコの箱で作られたヴァイオリンを紹介したことがあります。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12717396417.html

要するに箱に駒を立てて弦を張れば音は出ます。
ペグで調弦すれば抑える位置によって音階を弾くことができます。
その時点で楽器としては機能します。

タバコの木箱ですらヴァイオリンになるわけですから、ヴァイオリンのような形をしたものに弦を張ればどんなものでもヴァイオリンになります。ペグやネック、駒や弦長が正しければ音階を弾き分けて音楽を演奏することができます。

つまり基音だけならどんなヴァイオリンでも同じです。
それに対してヴァイオリンは複雑な倍音を発生させます。それでどの楽器もみな違う音に聞こえます。それを良いか悪いか区別するのは至難の業です。

職人は品質や作業工程の仕方によってコストを考え、楽器の値段を考えます。
パッと楽器を見るだけですぐにそれが分かってしまいます。音が出るよりも先に基本的な「格」が分かってしまうのです。安い楽器で音が強く感じられると「安っぽい音」だと思ってしまいます。つまり先入観で考えています。それを自省し音が強いなら良い楽器なのではないかと考えると一転してコストパフォーマンスに優れていると考えることもできます。
完全に目隠し状態となったら、ヴァイオリンの音はみな違うということは分かるでしょうが、高い楽器の音なのか安い楽器の音なのか判別する自信は全くありません。

それに対して、演奏者の方は楽器を見ただけではどれくらいの「格」のものかはわかりません。ヴァイオリン教授が「これは素晴らしい」と言ったヴァイオリンが10万円くらいの量産品の最も安いものだったこともあります。だから、音だけで楽器を判断すると無秩序になります。高価な名器のニセモノでも音が悪いという理由でプロの演奏者も気づかないことがしばしばです。

それは楽器はみな違う音がしますが、何が理想の音かということは決まっておらず耳で聞いた人が個人的にどう思うかでしかありません。純粋に音だけなら値段は全く関係ありません。

唯一客観的に言えるとしたら「遠鳴り」だと思います。
ホールの一番後ろで聞いた時に豊かに聞こえるものが優れたヴァイオリンです。もちろん近代的な価値観です。室内楽だとか古楽とかになるとまた別の話ですが、主流の考え方ではそれだけが客観的な評価となるでしょう。

というのは遠鳴りしなくてもいいのなら、何でもありになってしまいます。耳元だけで楽器の優劣を判定するとさっきの教授のように最も安いランクの楽器を選ぶこともあると思います。でも自分に自信のある演奏家ほど自分本位で楽器を選びます。楽器店の側として真摯であるなら、お客さんが選んだものがその人にとっての良い楽器ということになります。

耳元だけで音を判断するなら、ヴァイオリンのような形をしていさえいれば、音が良いと感じる可能性があります。逆に悪い音とは何でしょうか?

遠鳴りを考慮しなければ、弾いた人が感じる音がひどく悪いヴァイオリンを作る方法を私は知りません。
教わっていませんし、ひどく音が悪いものを作ったこともありません。
作れと言われてもどうやったら音が悪いものができるのかわかりません。
他の多くの職人も同様で、私よりも不勉強なら私よりももっとわからないでしょう。
誰が弾いても聞いても音が悪いと感じる楽器を作るのは難しいのです。

職人から見てこれはひどい出来のヴァイオリンだと思っても、弾いてみると意外とそんなに音が悪くないということがよくあります。見た目の方が確実に違いが分かり、音はヴァイオリンっぽいものであればみなヴァイオリンのような音がするものです。音はみな違いますが、音が良いとか悪いという基準が無いので個人がどう感じるかだけです。

名工だろうと無名の職人だろうと誰も音の極端に悪いヴァイオリンを作る方法を知りません。だから無名で値段が安い職人でも音がひどく悪いものを作ることができません。逆に名工とされている作者の楽器でも客観的には「音が違う」というだけで、良い音か悪い音か判別できません。誰が作ってもそこそこのものができてしまうのです。みな微妙に音が違い言葉でも表現できず点数も付けられません。

初めて作ったヴァイオリンがひどく音が悪く、修行を重ねるごとに音が良くなっていくのではなく、初めて作った瞬間にまともなものができ、作り方を変えても好き嫌いの問題にしかなりません。聞いた人は最初のものよりも音が良くなったと感じる人もいれば悪くなったと感じる人もいる、そんなものです。

イメージとしてつかんで欲しいのは、未熟な職人が作ったものはひどく悪い音がして、熟練し研究を重ね天性の才能に溢れた名工だけが音が良いものができるようになるというようなものではないということです。誰が作っても「ヴァイオリンのようなもの」ならヴァイオリンのような音がします。その音を良いか悪いかふるいにかけるのは難しいです。

天才だとか巨匠だとかいうとらえ方は実際のヴァイオリンからはかけ離れています。


多くの人は初めに値段を聞かされて、それで高い楽器だから音が良いとか安い楽器だから音が悪いと決めつけてかかっています。またこちらでは古い楽器を求める人が多く、古そうな楽器なら音が良いと決めつけています。アンティーク塗装の新品でも音が良く感じるようです。

また音だけで楽器を選ぶと50万円のチェロを250万円で買ってしまったりします。その場合にも古く見える楽器を選んでいました。第3者の私が聞いても特別音が良いとは思いませんでした。状態が悪くて買った後で修理代が100万円を軽く超えてしまうような楽器を買ってしまう人もいます。

消費者が何を選ぶかは自由です。
しかし音で値段が決まっているわけではありません。この楽器は音が良いので高く売れるはずだと思っていても、他の人も音が良いと思うとは限りません。音には値段が付かないのです。

このため職人は音については深入りしません。
どうやっても「※個人的な感想」でしかないからです。
偉い先生が音が良いと言っても別の先生は違うことを言うかもしれません。

セオリーにしたがって楽器を修理し理想的な状態にすると職人としては「最善を尽くしました…」ということになります。最善を尽くした結果が芳しくなければそれ以上にはならないでしょう。一方最善を尽くしてない楽器が山ほどあります。セオリー通りにするだけで楽器の能力が引き出せることは有ります。状態が悪い楽器ほどチャンスがあるわけです。

しかし、セオリーに従っている限りは最善を尽くしたさらにその上の音を得ることはできません。それを研究する大学や民間の機関がないからです。


客観的な優劣は遠鳴りするかどうかということになりますが、演奏者は自分の演奏を遠く離れて聞くことは一生できません。そういう意味ではお金を出して楽器を買う自分だけが良さをわからないものです。


音が分かった気になるのは自分に自信がある人です。
これは職人でも同じです。
日本人はそれが苦手でウンチクなど権威に流れやすいでしょう。
職人にも音が良いか悪いか言って欲しいでしょう。
自信に満ちた職人はカリスマ性として消費者には求められているかもしれません。

腕前は様々ですが我々職人もみな楽器を習った経験があり、これは良いとか悪いとか言っていますが、そのことは言わずにお客さんに選んでもらうと、我々が良いと思うものと違うものが選ばれるのはしばしばです。本当は謙虚であるべきなのです。


また音は相対的にしか分からないでしょう。
何かとの比較によってはじめてその楽器の音が分かります。普段聞いているものが基準となりますから、人によって感じ方が全く変わってしまうわけです。

国や地域によって普及している楽器の平均的な音が違えば良いとされる音や求められる弦の銘柄も変わってくるでしょう。
建物の影響もあると思います。

心理学的なことを言えば、自分の楽器を信じることができるかということになります。信じて弾き続け使いこなせばすばらしい演奏ができるというものです。
そのために余計に何百万円も払っている人もいるのが現実です。

素人の作ったヴァイオリン


こんなヴァイオリンがありました。

一見ヴァイオリンのように見えますが・・・

私が見ればすぐにプロのとして十分な教育を受けていない人が作ったものだとわかります。まずニスの色が薄すぎます。仕事の感じもプロのレベルにはありません。それにしてはヴァイオリンらしい形をしているようにも見えます。

もっとわかりやすいのはネックです。指板の先端の位置が間違っていています。ナットの先端のところに指板の先端が来なくてはいけません。
このためネックの部分の弦は5mmほど短くなっています。
持ってみるとネックの断面が綺麗な丸みを持っておらず四角い感じがします。

なんとなく汚らしい感じがします。

手作り感がありますが仕上げが綺麗ではありません。

ペグボックスの壁が厚すぎて窮屈になっています。ナットの溝がずれていて弦が指板の左に寄っているように見えます。

師匠からダメ出しを受けながら完成度を高めないとプロの水準に達するのは難しいでしょう。
粗い作風はオールド楽器にもありますが指板やネックを見ればわざとではなく素人の作ったものだとわかります。

板の厚みを調べると表板のエッジ付近が異常に厚いです。隅っこまで内側を彫っていないようです。こうなると実質的に子供用の小さな楽器のような面積しか振動できません。
実際に弦を張って調弦するためにはじいてみても子供用の楽器のような感じがします。
私たち職人はたくさんの楽器の弦を指ではじいて調弦して張っていますから感覚的に、名器とは全く違うことが分かります。

職人にはとんでもないひどい楽器に見えます。弓で弾いてみると低音が全く出ません。ヴァイオリンの音域と板の振動する音域があっていないようです。とはいえ子供用のヴァイオリンのように音は出ます。全く演奏ができないことはありません。耳元では意外と音がちゃんと聞こえます。この音を好きだという人がいたらそれを否定することはできません。

外見がこのくらいのレベルの楽器でメディアに取り上げられ、ストラディバリより音が良いと宣伝して300万円くらいで売っている素人の職人もいます。消費者は分からないのでパーティーでお金持ちを集めることができれば商売は成立することでしょう。

ミッテンバルトの量産ヴァイオリン



前回お話ししたミッテンバルトの量産ヴァイオリンです。これも板が厚くてひどいものでした。ニスはラッカーですが製品としての品質は十分なレベルにあります。

アンティーク塗装ではなく自然と古くなったようです。おそらく1800年代の終わりころのものでしょう。ニスの剥がれ方は興味深いです。よくアンティーク塗装で裏板を塗り分けてあるものがありますが、あまりにも模式的で実際とは全く違います。実際はこんなになるんですね。
裏板の材料のランクは低く当時は安価なものだったのでしょう。

渦巻は2週目の丸がいびつです、おそらく手元が狂って削りすぎてしまったのでしょう。

特に優れたものではありませんが弦は問題なく巻き取ることができます。
これは板を薄くし、バスバーを交換する修理をしたのでセオリー通りの状態になりました。私は板の厚みなどは現代のセオリーとオールドやモダン楽器の作風を知っていますのでそれらの中間くらいにしました。

弾いてみると低音から高音までバランスが中庸で整っているように思います。これも元の状態ならそうではなかったと思います。
ごくまともなヴァイオリンになりましたが、130年くらい経っていて音が出やすくなっています。こんなチープなヴァイオリンでも新作の高級品に対して優位な部分が相当あると思います。弦だけが振動している感じではなく細かい響きもフワッと広がる感じがします。

現代のセオリー

現代のセオリーでもこのような楽器に比べればはるかにましということが言えます。修理によってセオリー通りにすればまともな楽器になります。

セオリー通り作られればプロの作品として認められ、音は好き嫌いかの問題です。ただし、それ以上で誰もが音が良いと思うものを作るのは難しいです。

素人の作ったような楽器の水準のものでもイタリアのオールド楽器なら1000万円位にはなっています。天才でも何でもありません、誰でも作れるレベルです。後の時代による修理によって楽器として使えるようになっているのでしょう。見た目も汚れや損傷で立派に見えます。
同じようなクオリティのただの安物で古く見えるものは偽造ラベルが貼られて出回っています。きちんとしすぎていると近現代の楽器に見えるからです。

古くなることはそれだけ有利なのですが、古い時代ほどセオリーが確立しておらずオールド楽器では癖が強かったり窮屈なものが多いです。一方で魅惑的な音も備えています。古いから何でもいいのではなく一つ一つ精査する必要があります。究極の良いものは数が少なくべらぼうな値段がします。

その点セオリーが確立したモダン楽器では大ハズレするものは少ないでしょう。
2流以下のオールド楽器と1流のモダン楽器でどちらが良いかは演奏家の間でも意見が分かれると思います。

このようにモダンヴァイオリンはセオリーが確立しているため優秀なものがたくさんあって、作者が無名なら値段も安いものです。大半のものは「巨匠」の新作よりも値段が安くよく鳴ることもしばしばです。
現代のヴァイオリンでは巨匠と宣伝されている人でもセオリー通りの楽器を作っているだけです。その人たちの師匠かその師匠あたりの頃にセオリーができているからです。私たちが職人が見ると「普通のヴァイオリン」と思います。
今回修理したような安価なヴァイオリンでも音だけで言ったら「巨匠」の楽器と競合するでしょう。「鳴れば良いというものではない」と謎の言い訳をしなければ、その地位は怪しいものになります。いかにも新品のような音を「明るい音」と称賛するのもお馴染みのことですね。

オールドのような魅惑的なヴァイオリンとなると入手するのは難しいです。値段がものすごく高くなります。それでもマイナーな流派ならさほど高くはありません。マルクノイキルヒェンの系統なら100万円もせず、アーチもフラットで癖の少ないものがクリンゲンタールのホプフ家のものにはあります。各地には地元の職人にしか知られていないオールド楽器もあって典型的なシュタイナー型の高いアーチのものとは異なるものがあります。とはいえ数が少なくほとんど輸入されていないでしょう。

いずれにしてもセオリーに従っていれば優等生的なものができますが絶対ではありません。モダン時代のセオリーも今では忘れられてきています。修理ではその状態を維持することが大切です。傷んだり狂ったりしてきますので、100年もした楽器ではオーバーホールが必要です。特に安価な量産楽器はその時点で修理代が楽器の値段を超えてしまい、雑な修理がされるという悪循環です。

一方量産楽器なら今回のように改造することもできます。ハンドメイドの楽器なら作者のオリジナリティを尊重するのが修理の基本なので改造はできません。したがってそれほど多くのことはできません。セオリー通り作られたものならその状態に戻すだけです。ネックの取り付けなどは19世紀から20世紀にかけて変わっていきます。

修理では保守的にセオリーに従うのが精一杯です。人様の楽器で「実験的な修理」なんてやってリスクを冒すことはできません。

新作でも実験はリスクになります。しかし思っているほど音が悪いものはできません。基本を学んでいない職人のほうが個性的なものはできますが、最低限知るべきことさえ知らず、最低限の技能もありません。


本人が工夫したつもりになっていても、同じような工夫は50年~100年前の人も考えていて、古くなった分鳴りが良くなっていてかないません。

発想を根底から変える必要があります。我々が考えて思いつくことよりも昔の人たちの常識のほうがぶっ飛んでいます。
オールドヴァイオリンの時代は基本がモダン以降とは全く違うものです。現代のセオリーに染まった我々が理解するのはとても難しいものです。