真剣に考えてもしょうがないこと | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

3年近くぶりの帰国で日本にいますが、慌ただしいスケジュールが終ってようやくゆったりしているところです。
コロナのこともあって最小限にさせていただきましたがそれでも3年ぶりのメンテナンスを待っている楽器も少なくありませんでした。

この間の世の中の変化としてはやはりネットが浸透し情報のとらえ方が変わってきていると思います。オタクや若者だけではなく多数派になって来たようです。ちょっとした雑談でも何か裏があるのではないかと勘繰るのが普通になっているのを感じます。
かつてはメディア、出版、広告、業界が手を結んで情報が発せられそれを「常識」として知ってるのが偉いという風潮でした。

しかしながら「ネットに出てるから正しい」と考えるのは危険でしょう。古い常識を否定して意見を言い人気を集める人がいます。しかし、その人が信用できるかどうかが分かりません。先にネットの記事を読んだだけかもしれません。
討論というのは駆け引きがあってなんか胸の内をさらけ出してないような印象を受けます。そういうのはうんざりです。


私はヴァイオリン業界に入って学んだ知識が実際の楽器に触れていると当てはまらないことが多いことに気付きました。しかしだからと言って「新しい常識」を構築するのは難しいです。これまで言われていたことが間違っていることは分かっても、新たな法則性を見出すことができないからです。何もあてにならないということが分かっただけです。

世の中全般のことについても「何もあてにならない」ということが分かっただけで、「ネットの論客の言う事が正しい」と考えるのは飛躍しています。仮に正しかったとしても、「言葉のゲーム」の中で圧倒するだけで実際に起きている事とはかけ離れていることかもしれません。

分からないという状態をそのまま受け止めるというのは人間にとっては難しいことなのでしょうか?

知識によって決めつけることで可能性を著しく制限しているというのが弦楽器の理解についても「未熟」だと思う所です。そういう人に限って自分は詳しく偉いと思っています。何も知らずに彼らよりもずっと音の良い楽器を選んでいる人もいます。知識が邪魔をした結果です。
ヨーロッパでは「たまたま家にあった」とか親戚から譲り受けたということがあるので偶然という要素も無視できません。こうなるとどちらかというと「縁」という概念に近いかもしれませんね。先代の親方は楽器選びを結婚に例えます。
日本でお会いする方も、別々にお会いした人が知り合いだったこともあります。まさに縁としか言いようがありません。

私は、とっつきにくい技術的な話も冗談も交えて読みやすいように考えていますが、真剣に読んでいる人もいるでしょう。真剣に読んでくれている人がいると思うと申し訳ない気持ちになります。しかし真剣に考える土台となるほどの知識が無いのが弦楽器です。深刻に考えず気楽に心で感じて欲しいものです。

私は歴史に興味があります。現代の常識が歴史を正しく理解しているとは言い難いものです。昔の人の常識が今とは違うため現代の人がどんなに新しいことを考えるよりも発想がぶっ飛んでいて面白いものです。結果的に出てくる音も独特です。オールド楽器を理解したいなら現代人の発想を捨てることです。現在信じられている知識をいかに捨てることができるかが問われると言っても良いでしょう。私が常識を捨てるために苦心している一方で、常識を集めることに必死になっているマニアはまったく正反対の行動ですね。

コントラバスやヴィオール族の古楽器などは寸法が定まっていないのでどうやって仕事をしていいのかわかりません。作るのはもちろん修理もよく分かりません。しかし、なんとなく「これくらいだろう」と山勘で仕事しないといけません。コントラバスで何もかも理想的な状態にしたければ修理代がべらぼうに高くなってしまいますので、「使えれば良い」とポイントだけを抑えて仕事をする必要があります。
ヴァイオリンもかつてはそうだったはずです。0.1mmまでこだわって作ったのではなくずっと大雑把に考えて作っていたはずです。そうやって作ったものがたまたま音が良かったということもあり得る話です。


そもそも「音が良い」とか「良い音」の定義が人によってバラバラで法律のような決まりが無いということをぜひ知ってもらいたいと思います。
「音が良い」ということが定まっていない以上、音が良い楽器を区別する方法はないということです。

全く法則性が見いだせないかと言われるとそれもまた極論のように思えます。
例えば大型のビオラの音も、何となくあります。鼻にかかったような独特の音でヴィオール族の古楽器のような感じもあります。ところが私が大型のビオラを作るとヴァイオリンの延長にあるような素直な音になります。それのどちらの音が良い音なのかもわかりません。
私が思うのは、柔らかい音と鼻にかかった音が相反する要素で、ヴァイオリンやチェロでも作者によって柔らかかったり鋭かったりします。鋭い音と鼻にかかった音が同じ傾向だと考えています。私が大型のビオラを作っても鼻にかかった音にならないというわけです。

量産ヴァイオリンの典型的な音も全く無いとは言えないでしょう。表板や裏板の隅っこに削り残しがあったり、全体が厚すぎることもあります。持ってみると重たいのですぐにわかります。板の厚みもばらつきがあり、各部の接着も強引で、アーチも何も考えずに作られています。
そのような楽器からは「雑音」が多いと指摘する人もいます。響きが多いことを音量があると解釈することもできますし、音階と関係ない余計な音が混じっていて不快だと感じる人もいます。
楽器全体が響いている感じがしないと感じたり、何か限界をすぐに露呈する硬さや単調さを感じることもあるでしょう。


また作りが荒い楽器と丁寧に作られた楽器で全く音の傾向に違いが無いかと言えば、あるような気もします。
作りの粗い楽器のほうが音も荒々しい感じがすることが多いと思います。良い悪いは別として桁違いにキャラクターの強い音がするものは作りに粗さがあるものが多いようです。丁寧な方が上品で奥ゆかしい感じで癖が少なく例えば低音から高音まで均一であるように思えます。

しかしながら丁寧に作られても癖が強いものもあるし荒々しい音のものもあるでしょう。

でも品質が高い楽器の音というのはある程度あると思います。ただしそれが「良い音」かと言われるとわかりません。オールド楽器では無造作に作られたもので酔いしれてしまうようなものがあるのです。
そういう意味では紙一重です。

はじめはよくわからなくて、たまたま使うことになった自分の楽器の量産楽器特有の音に不満を持っていた人が、上質なハンドメイドの楽器の澄んだ奥深さのある音に価格の差を感じるのも決して珍しいことではないでしょう。その違いに価値を感じるケースもあると思います。ですから数倍の値段の楽器を買う意味があります。特に日本人は繊細な感覚や美意識を持っている人が多いと思うので雑味が多く荒々しい音が好きでない人も少なくないと思います。


一方でとにかく「鳴る」ということを重視する人もいます。その場合は古い量産楽器にステップアップするのもあると思います。10~20万円くらいの安いものでもやたら音が強く感じられるものがあります。

ハンドメイドの上質なモダン楽器はその両方というわけです。このため私のところでは音大生などにも求められています。「イタリア以外」のものなら値段は下手すると新品より安いこともあると紹介しています。オークションで楽器を売買するような人たちは楽器としての実用的な価値を求めていないようです。そのようなものの価値が分かっていないと輸入さえされずに日本では買うことができないと指摘してきました。「世界的に認められる」ということが音楽家にとって良いこととは思えないのです。

その路線なら新作で様々な工夫をしても何でもない中古品にさえ勝ることは難しいと思います。


さらにモダン楽器の優秀さを認めたうえで、オールド楽器はまた別の世界であるというのも感じます。ただし魅惑的な音色はあっても理想的なものを手に入れるのは難しいものです。値段もさることながら楽器を購入するという意味でも上級者向きです。
私は数百年という月日は生み出せませんが、ハイテク技術もない昔の人がやったことができないはずはないと思うのです。私のような考えに共感するほど深く興味を持っている人は普通にお店をやっていたのでは滅多にやってくることはないでしょう。それが休暇で日本に戻っている間に何人かお会いすることができます。そのような方に会えるのはブログのなせる業です。勤め先の楽器店に来る客層とブログの読者でも全く求める楽器が違います。

考え方だけではなく実際に音で結果を出さないといけません。これまで作ったピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンやアマティ型のビオラでは独特の音と言えるのではないでしょうか?これはとても面白い発見です。
でも「従来の製品より音が良い」とかそういうものではないです。そもそも従来よりももっと昔のような製品です。

職人はみな様々な持論があったり創意工夫をしたりしています。ただし、やってることが細かすぎて音にはっきりした違いが分かりません。例えば木に染み込ませる下地の塗料でも私はいろいろ毎回変えていますが、音の違いが表れてきません。顕微鏡で名器に塗りこまれている材質を調べるようなことは興味は引くのですが、私は実感として差が出るとは思えないのです。また異なる産地の楽器でも「鳴る」ものが出てきます。何か特別な産地の木材とか特別な処理をしたとは思えないのです。

職人同士で話が通じないのは「音が良い」という概念がバラバラだからです。職人同士のほうがバラバラじゃないかと思うくらいです。

それに比べるとオールド楽器の見た目は現代の楽器と明らかに違うのです。見た目をマネすると音にも違いが出てくるのが私がやってきたことです。それらは「音が悪いので作ってはいけない」と習うものです。クレモナでもそのような教育がされているとイタリア人の職人に聞きました。
見た目を真似ただけですからなぜそんな音になるかは説明できません。

だから弦楽器を理解しようと思ったら不真面目なのはダメ、真面目すぎてもダメというものです。私はそのような「軽さ」を持って楽器を見ていくのが良いと思います。ブログでもそれを出していけたらなと思っています。