個性的?  5弦のヴァイオリン | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

よく聞く整合性のないウンチクに「個性が大事」というものがあります。

こんな楽器が持ち込まれました。胴体の長さはヴァイオリンの大きさで5本弦を張れるように設計されています。

ペグの穴も5個あります。

個性があるのが良いという論理ならこのような楽器はかなり高価だということになるでしょう。しかしそのようなウンチクはその場しのぎの場当たり的なもので、原理原則のようなものではありません。ウンチクのようなものを真に受けると視野が狭まります。

実はこの楽器は5弦のヴァイオリンとして中国で作られたもので上海のメーカー名のラベルが貼られています。中国のメーカーがこれを作るということはそれなりの投資になったことでしょう。機械で加工するには機械のプログラムが必要だからです。

革新的な製品として売り出そうという社運を賭けたような試みでしょう。実際こうやって売れたのですから興味を持つ人もいたというわけです。

5弦のヴァイオリンについてはうちの店のお客さんでは弾いている人を一人も知りません。かえってヨーロッパのほうが新しいものを受け入れにくいのかもしれません。

5弦のヴァイオリンが流行っている実感は全くありません。調べてみるとエレキヴァイオリンなどにはあるとのことです。主にクラシック以外でヴァイオリン用として作曲されていない曲を弾いたりするのに良いのでしょう。これはアコースティックですがピックアップやマイクをつけて使用することも考えられます。
ピラストロ社からはエヴァピラッチのC線が新発売されました。

クラシック音楽の世界だけが音楽ではありません。家族や友人で音楽を楽しむという場合にも第一ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロと楽器が揃うわけではありません。曲もみなで楽しめるポピュラーなものになるかもしれません。

地方新聞に出ていて面白かったのが家族でクリスマスコンサートをやっている記事です。ヴァイオリンが5人、ピアノ、ドラム、木琴という組み合わせでした。ほのぼのした感じです。それぞれが好きな楽器を選んだのでしょう。

クラシックのオーケストラでこんな楽器を使っていく勇気のある人は少ないでしょう。個性的すぎる楽器は売れないです。

しかしヴァイオリンを習った人がギターやドラム、ヴォーカルなどともにバンドをやりましょうとなったら、専門外の他の人の目線は冷たくないでしょう。

仕事の依頼は、4弦の普通のヴァイオリンとして使えるようにしてほしいという物でした。

個性的なヴァイオリン

一見変わった形のヴァイオリンですが音はどうでしょう?

以前タバコの箱のヴァイオリンを紹介しました。これは多くの示唆を与えてくれるものです。
https://ameblo.jp/idealtone/entry-12717396417.html

真四角のヴァイオリンでも意外と音はよく出ていました。そうなるとこれも音が悪いと断定できません。ものの見方が変わります。

変わった形のように思うかもしれませんがそれも人が感じる印象です。全く無いものではなく何かを元にしています。それを知らない人には斬新に見え、知っている人はあれかと思うのです。

それは何かといえば、ヴィオラ・ダ・モーレなどの古楽器です。ヴィオラ・ダ・モーレは弦の数がやたら多く、調弦するだけでも骨の折れる楽器で、ヴァイオリンよりは大きなものです。このヴァイオリンでは大きさも小さくなっていて、弦の数も5本に減って、作りも少し簡素になっています。

それと象眼の装飾です。これはストラディバリの装飾付きの楽器に見られるものです。
そうなるとアイデアはもとがあるということになります。

しかしf字孔はガルネリモデルで、ヴィオラ・ダ・モーレはfですらないことが多いでしょう。

裏板はアーチがあります。古楽器ではアーチが無いものが多くあります。木材の着色がきつすぎていかにも現代の量産品という感じがします。これが戦前のザクセンのものならもっと古い木のような感じがします。
ニスも人工的な感じがします。

テールピースも珍しい5弦用のものなので、4弦の普通のウィットナーのものに変えます。
表板の汚れの表現も現代の染料の感じがします。

仕事の内容としては、ナットの溝が5弦用なので4弦用に変えなくてはいけません。駒がチープなものがついていたので交換します。

ナットを交換するとお客さんには説明しましたが、よく見ると指板が深くえぐれていました。ほとんど使われていないのにそうなっているということは製造時の問題でしょう。指板をかなり削ったので相対的にナットも高くなり加工しなおしたため交換は不要になりました。

ペグは4本のみ使用します。ペグ同士の距離が近いので使いにくいです。ヘッド部は普通のヴァイオリンのものを使っているでしょう。しかしアジャスター付きのテールピースで微調整が可能になります。

気になる音は?


弦はもともとはられていたドミナントの4弦で弾いてみると、意外と普通のヴァイオリンの音がします。直接弾き比べてはいないですが、G線の音もちゃんと出ます。5弦として下にC線を追加した場合にはもちろんビオラとして十分ではないかもしれません。しかしヴァイオリンとしてはいたって普通です。
持った感じは奇妙です。表板の形のせいかネックの長さの感じがよくわかりません。

同じような中国製の4弦のヴァイオリンと同じような音の印象を受けます。古い楽器のような音はしませんが、ヴァイオリンとしては機能しています。

離れて聞いたり大きなホールでどうかは分かりませんが、自分で弾いた限りでは普通のヴァイオリンと変わらない印象でした。

それも私は驚きませんでした。煙草の箱のヴァイオリンの経験もあります。私が特に面白いと思うのは胴体の駒の周辺がくびれているどころか少し膨らんでいるのです。私は駒周辺の形が特に重要ではないかと考えています。そうなると普通のヴァイオリンよりも幅が格段に広くゆとりさえあります。

ヴァイオリンは中央がくびれた形をしている必要はないかもしれません

この持ち主はこのヴァイオリンの音が良くて気に入っているそうです。それで4弦用として本格的に使えるように調整して欲しいという依頼でした。

それくらいヴァイオリン製作の常識は狭くて誰もやったことがないようなことがたくさんあるのではないかともいます。もちろんコーナーのないヴァイオリンなどは19世紀にも作られています。とても合理的でデザインもモダンでおそらく音も悪くないと思います。でもそれが広まらなかったのはクラシックの世界の保守性でしょう。

だから、ストラディバリの何年のモデルがどうだとかそういう細かいことを語っていかにも分かっているような顔をしている人が怪しいのです。実際は何もわかっていないのに、神妙な顔をしていかにも分かっているかのように語るのです。それが一番怖いと思います。それを避けるために私は、にこやかに笑っているくらいの感じで楽器に向き合うようにしています。喜劇は人間の真の姿を誇張したものですから、そのほうがヴァイオリン職人のリアルに迫れると思います。
私はオールド楽器を見てると笑みがこぼれます。人間らしさが伝わってくるからです。神様を崇拝するような見方はしません。

もっとはるかに大雑把に考えて良いと思います。ただこの会社の製品が爆発的にヒットしたわけでもなく今でも製造しているかもわかりません。広めるのも難しいでしょう。

この楽器のメリットとしては、高いポジションを弾く時に表板が手の邪魔をしません。それはそれで慣れないとやりにくいかもしれませんが、演奏しやすさに特化した形にしても、音は犠牲にならないのではないのでしょうか?
コントラバスではヴァイオリン型ではとてもじゃないけど弾けないのでヴィヨール族のようになで肩になっています。

ヴァイオリンの形や寸法は、音にとって重要な部分とそれほど影響しない部分があると思います。私は特に中央付近はとても重要ではないかと考えています。駒から遠ざかるほどあまり重要ではないと考えています。

例えば7/8のチェロを作る時、4/4をそのまま縮小するのではなくてミドルバウツは4/4のままで上と下の端を切り詰めれば良いのではないかと思います。下はチェロの場合には切り詰めることもありませんが。

楽器のサイズは胴体の長さとスリーサイズが計られます。一番大事なのはミドルバウツの幅ではないでしょうか?それ以外は割とどうでもいいのでは無いでしょうか?
ミドルバウツの寸法はアーチをまたいて測定する場合と、直線距離で測る場合でかなり違うので混同してはいけません。それと幅が広くなりすぎると弓がぶつかって演奏しにくくなります。

この楽器ではアッパーバウツがすごく細いです。でも音に影響が感じられません。物理的にはあまり関係が無いようです。

それから通常は表板や裏板の駒の来る位置は表板や裏板の重心になっています。ヴァイオリンならボタンを含めずにセンターの上端から195mmの地点を指一本で支えると裏板がヤジロベーのように釣り合いが取れます。数学が好きな人はこれがヴァイオリンの音の良さの秘密だと思うかもしれません。しかし今回のようなものなら全く違うバランスになるでしょう。でもそれほど音が悪くなってはいないのです。
195mmの地点でバランスが取れていなかったら厚みを調整するのが良いと考えるかもしれません。こういう考えの持って行き方は見当違いなのです。

アマティやストラディバリが作ったヴァイオリンは素晴らしいものでありますが、極限までぜい肉を落として機能性を追求したものでもありません。そういう可能性はあるのではないかと思います。特に演奏しやすさを求める小型の楽器には重要です。そのまま小さくするのではなく大事なところはそれほど小さくしないということです。子供用の楽器でも、手の小さな大人用の楽器でも音が犠牲にならなければ弾いていて楽しいでしょう。またビオラでも重要な理解の仕方です。

神様のように崇拝してそれから少しでも外れたら音が台無しになってしまうという考え方は浅はかだと思います。弦楽器の設計にはもっともっと自由な可能性があると思います。

難しいのは技術よりも世の中に認めてもらう事でしょう。
それと、しっかりと修行するほど常識から抜け出すのが難しく、修行していない人が作ると基本的な機能や品質すら理解していないことです。そういう意味では中国からこのような楽器が出てくるのは有り得る話です。
違うものを作ろうという意欲があって、頑固すぎる常識もないということです。

表向きは「個性があるのが良い」と言っている業者も頑なにこのようなものを認めないでしょう。ヘッド部にドクロが彫られたチェコのヴァイオリンにオークションで高値がついたなんてニュースは流れたことがありません。「高い楽器の個性」だけが良いとされ「安い楽器の個性」は良くないものとされるのです。結局高いものが良いと言っているだけです。そうやって高いものが良いと信じられるとまたオークションで値段が上がります。お金の話ばかりです。


業界の常識をぶち破るのはオンラインショップなど違う業態かもしれません。そうなるとまともに演奏できるかも補償もされませんが。


特に私が言いたいのは、滅茶苦茶に作ってもヴィオリンの音になってしまうということです。
ヴァイオリンというのは誰にでも作れて、初めて作ってもいきなりヴィオリンのような音がします。音は言葉で表せず、みな微妙に違い優劣を言うのは難しいものです。達人とか天才とか巨匠とかそのような世界ではないというのがヴァイオリンのリアルです。

誰が聞いても変な音のヴァイオリンというのは作れと言われても作る方が難しいです。どれも極端に悪い音にはならず、良い所もあります。見方や人によって長所にも短所にも解釈できます。
音を客観的に評価することも難しいです。
このため無名な職人の楽器でも量産品でも音が良い可能性が十分にあります。

このようなことが知るべき正しい知識です。ウンチクはいりません。
「個性」を高い楽器では長所ととらえ、安い楽器では短所ととらえるのはフェアではありません。少なくとも大金をはたいて買うのに納得できるほどの知的な論理ではありません。真剣に聞くようなレベルの話ではないのです。

実は業界の人たちも人から聞いた話ばかりで自分で実験したことはなく無知です。
私もはるかに未知の可能性があるかもしれないと気づき始めたくらいです。