ブログ上利きヴァイオリン会 2023年その1 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

物事には「大事」と「小事」があって、結果に大きな影響を与えるのは大事です。一方何かを学ぶ場合には細かなことから始めます。細かなことを知ると、以前の自分やまだ知らない人とはっきりとした差がつきます。
そこですべてを知ったと思い込むのは大間違いです。
大事は漠然としてつかみどころがなく、「なんとなく」という感覚に近いものです。小事は具体的ではっきりしているので自分は知っていると実感が持ちやすいものです。小事に意識が集中して頑なになっているさまが「こだわっている」状態です。こだわりという言葉はそのような悪い意味で使われることが多かったそうです。
小事も広くすべてのことを知っているのならいいかもしれませんが、たいていはごく狭い範囲のことに視野が限られています。詳しく知れば知るほどに井の中の蛙になっていくのです。
政治のニュースでも人の間違いを指摘するのは簡単です。自分の所属する組織や団体、地域などでどうやって困難を乗り越えて実現したかを語る人はいません。他人の間違いを指摘している自分を恥ずかしく思わないのでしょうか?


職人が初めてヴァイオリン作りを学ぶ時、0.1mm単位で寸法が決まっています。その通りに加工するのは難しく一握りの人だけが何年もかかってできるようになるものです。
しかし、それで天狗になっていてはいけません。なぜその数字が決められたのか疑問を持つべきです。そうなると古の職人たちが決まった寸法もなく楽器を作っていたことに驚かされます。
真に力があるというのは細かいことだけではなく大雑把につかんでいることです。
楽器を見ていても力の差があります。



でも細かいことなら努力で何とかなります。「高級品くらい」なら努力すれば作れるのです。見分けるほうも細部だけを見て丁寧に作られたかどうかくらいは分かるでしょう。

知識についても同じです。人と向き合ったとき相手が自分の知らないことを知っていると引け目を感じてしまいます。

そうやって演奏家のお客さんをビビらせて優位に立とうとするわけです。私が話を聞くとめちゃくちゃで説明としてはとても分かりにくいものです。知らないワードを畳みかけると混乱して圧倒されてしまいます。自分でも分かっていないのに知ってるワードを並べて自分を強く見せているだけです。教科書の隅の隅に書いてあることを覚える受験勉強と同じです。

本来なら「中学生にもわかるように」説明しないといけません。具体的な固有名詞を並べるのではなくて重要性の高い原理を説明しないといけません。

それがとても難しいです。

今回はいろいろな楽器が目の前を過ぎて行ったので、順番も考えずに見ていきましょう。値段については為替相場が不安定で分かりにくいです。ユーロを120~140円と幅を持たせて考えてみます。また税金も問題です。いわゆる消費税のようなものが国によって違います。日本人がヨーロッパで買う場合「免税」になることがあります。私はいつも税込みで値段を把握しているので日本に持って帰るならずっと安くなるわけです。欧州各国は20%くらいはあります。ブログ初期のころは税抜き価格で書いていました。日本の税金も上がったので最近は税込みで書いています。
つまり書いてる値段からおよそ20%を差し引いたのが税抜き価格になります。

楽器の写真から載せて、素性を後で説明します。目利きに挑戦してみてください。

一つ目のヴァイオリン





一見古そうで感じも良い楽器です。音が良いかもしれません。

ラベルはエンリコ・チェルーティで80年代にチェルーティ作のヴァイオリンとして買ったそうです。
チェルーティ家はアマティ以来のクレモナの最後の職人の部類になるでしょう。エンリコの時代にはアマティやストラディバリの面影はなく、イタリアでもフランス風の新しいヴァイオリンへと次々と作風が変わっていく時期です。クレモナが古い産地であるために時代遅れになっていたくらいです。エンリコもモダンヴァイオリンの影響を受けて仕事はクリーンになっています。形はストラディバリモデルとは違う独特のものです。親の影響もあるでしょう。

この楽器は全く逆で、仕事はクリーンではなく、形はストラディバリ型です。エンリコ・チェルーティよりも古い感じがするくらいです。スクロールもオールド的な感じがあります。

そういうわけで私はエンリコ・チェルーティと類似点を何一つ見つけることができません。この楽器をエンリコ・チェルーティ作と言う根拠がないのです。今のお金で500万円以上は出して買ったことでしょうが、残念ながらその価値は保証できません。

私はオールドからモダン楽器に切り替わるころに作られたものではないかと思います。チェルーティよりも古いかもしれません。しかし作者や製作地を予想することは困難です。このようなよくわからない楽器がたくさんあります。作者を偽って売る以外に商業的には価値があると考えられませんが、楽器としては良さそうです。もし音が良かったとしてもおかしくありません。19世紀半ばくらいには作られていて、形はストラディバリ型でフラット目のアーチです。かなり貴重です。

でもオークションで注目されるようなものではありません。作者名が分からないものに1万ユーロ(120~140万円)以上つけるのは難しいです。品質も高くないので1万ユーロつけるのもためらいます。しかし楽器の作りと古さはよくあるものではありません。ただ年代特定が難しいのは職人が長生きしていたり、状態によって古く見えたり新しく見えたりすることがあるからです。

逆に考えると音楽家には魅力的な楽器です。

80年代には弦楽器店の店主は、「自分が思う」くらいの感じで売っていました。確かに雰囲気の良い楽器です。チェルーティについてもクレモナの名器と頭で学んだ知識なら作風もあっているように思えます。実際のエンリコはもっとモダンの作者です。だまそうという意図が無くてもこれくらいの確かさで売っていたのです。

私は鑑定士ではないので私が思ったことなんて何の効力もありません。私にわかるのは鑑定に出す価値があるかどうかくらいです。この楽器を鑑定に出してもエンリコ・チェルーティ作と書いてもらうのは難しいでしょうね。真の作者名が分かればモダンの良品なのかもしれませんが、特定は難しいでしょう。仕事は決して美しくはありません、道具としての可能性です。

ともかく今でもその時代のワンマン社長がやっている店も残っています。気を付けてください。

次の楽器





こちらは、ラベルにポール・マンジェノーと書いてあります。この作者はさほど有名ではなくミルクール出身でパリでも修行し、ミルクールで生産をしていたようです。
楽器を見る限りでは一人前の職人のもので時代は1900年過ぎくらいでしょうか。

パッと見て楽器のクオリティから一人前のフランスの作者のハンドメイドであることがすぐに分かります。おそらくこの作者のものであっているでしょう。相場は最大で180~210万円ほどになっています。
間違いなくフランスの楽器であり、クオリティと古さなら、別の作者でもそれくらいするでしょう。それ以上鑑定しなくても十分です。
一人前の職人でも有名になっていない人もいるのでお買い得ですね。
ミルクールの職人でも高品質のものがあります。
さっきのチェルーティよりもこっちの方が財産としての価値が確実です。
ちょっと弾いた感じでもよく鳴る感じがします。

アーチは19世紀の初めのフランスのものよりは高さがあります。駒を中心に高くなっていて、ストラディバリのようにセンターの稜線が横から見て平らになっていません。

見るからにフランスという感じです。

ネックの入れ方も典型的なフランスのスタイルです。一度も修理されていないのかもしれません。今のものよりも角度が急になっています。19世紀後半のモダン楽器のスタイルです。

ニスはオレンジ色の柔らかいものです。オレンジ色は1900年過ぎのフランスのものによく見られます。パフリングのコーナーの合わせ目に特徴があります。

パフリングの外側からの距離が上と下の矢印で違います。つまり普通はいっしょになります。これはヴィヨームにも見られるものできれいに見えるテクニックです。


いかにもフランスの楽器の雰囲気があります。量産品ではないことが分かります。

次はこれ




これもミルクールの20世紀初めのヴァイオリン。しかしラベルはついていません。
以前にも出たことがあるかもしれませんが、一度売れたものがステップアップの買い替えで下取りしました。さっきのものに比べるとクオリティは落ちます。量産品の上級品または無名な作者のハンドメイドくらいです。各部に統一感があるので一人の人が作った可能性はありますが、フランスで一人前と呼べるレベルではありません。他の国なら十分ですが。
写真ではわかりにくいですがアーチの立体造形に違和感があります。形をとらえきれていないのです。アーチは板から削り出しますが、平らな板の名残が感じられるのです。

アーチの上が平らになっていて周辺の厚みを出しただけです。丸みができておらず台地にのようになっています。一流の作者との違いです。

今度は





イタリアの現代の作者のものです。
私はこの楽器を見たときに普通の現代のヴァイオリンによくあるものだと思いました。軽いアンティーク塗装で薄めのニスです。擦るとすぐに色が剥げてしまう流行のものです。
そのためイタリアの作者のラベルが貼られていますが、どこの国のものか全くわかりません。前の持ち主が直接作者から買ったという話を信じるならイタリアの作者のものだと分かります。しかし楽器を見ただけではイタリアのものとは全く分かりません。何もイタリアならではの特徴が無いからです。それもそのはずで、イタリアの作者もほかの国の作者と違うものを作っているわけではありません。

つまりイタリアには独特の哲学や歴史があり他の国とは違う考え方や好みで作られているというようなことが無いのです。イタリアの作風も他の国と何も変わらないのです。ストラディバリモデルで太いパフリングが入ってるのも現代の流行です。

板の厚みも標準的で、弾いてみると明るく鋭い音がします。現代の楽器ではよくあるもので、「イタリアの音」というのは分かりません。
完成度がフランスのモダン楽器より低いのは分かります。それに対して特別哲学があるようにも思えません。

「イタリアの作者には個性がある」とか商売人が言いますがこの楽器にはありません。個性がある楽器を作るようにマエストロが指導しているわけでも無いようです。他の国と教育も変わりません。

これもアーチが台地状になっています。でも量産工場のものではないのでハンドメイドです。このようなものはよくあります。立体造形力が無いとやりがちなパターンの一つです。でも本人が気づかないくらいですから職人でも分かる人にしかわからない違いです。

今回の最後




これはすごい色です。
これもミルクールのヴァイオリンでとても安価なものとして作られたものです。メーカーはJTLです。ジェローム・ティブヴィル・ラミーの略でミルクールでは大きなメーカーでした。木材はましなものを使っていますが、見るからに安いものです。90年代に一番安い鈴木のヴァイオリンがこんな感じだった記憶があります。当時5万円もしなかったと思います。
これにフランス製だからと言って何十万円も出すのはバカげています。

SARASATE ARTISTEと書いてあります。製品やシリーズ名ということでしょう。

次回に続きます


ミルクールの楽器が多くありましたがランクの違いが分かったでしょうか?
そのランクに現代やイタリアの作者が入ると必ずしも通用しないレベルです。

しかし音は関係なく、最初のものでも可能性があります。
楽器の根本的な作りには問題が無いのです。そして古さがあって音にも違いが出ます。古い時期ほどストラド型の定番のモデルが大量に作られてはいません。このため何でもないようなものでも興味深いです。作者、流派不明である限り値段はずっと安くて1万ユーロ以上つけるのは無理です。

なぜ商売人が個性を大事と言うかですが、一つは個性がある方が鑑定がしやすく高く売れるからです。値段が高いだけでなく日本のユーザーは産地や名前によって食いつきが全然違うのでしょう。このため流派の特徴も重視します。個性が無くて作者が特定できないと安くしか売れません。産地も同じです。したがって大事なのは有名な作者の個性であり、高いランクの産地の特徴です。個性的でも安い楽器の個性は興味ありません。
中古品は何でもそうで、有名メーカーのものでなければ全く売れず、ひとまとめでワゴン行きです。ユーザーも興味を示しません。全く無知ではなくブランドを知ってるくらいの人がバカにするのです。良い製品が分からず不安だからブランドを頼りにするのですが、そのブランドより良いものがあるとまずいのでバカにするのでしょう。

でもユーザーにとっては安くて音が良い楽器があれば良いですね。商売人が儲けるほどユーザーは損するというわけです。楽器の良さが分かるということがどういう事か考えてみてください。

商売人という立場で苦労して努力して死活問題を人生観として学んだものも、音楽家に必要なものではありません。

近代の作者について日本語でない本で調べると、ストラディバリやガルネリモデルの作者は、「古のマエストロをお手本として」とプラスに評価されて書かれています。独自のモデルの作者のほうが高く評価されていることはありません。お手本としてると本に書いてあっても実際は普通のストラドモデルやガルネリモデルで作ってあるだけで誇張して書かれています。さらにオールド楽器を模したものはずっと高い値段がついています。いずれにしてもマイナスには評価されていません。「個性が大事」と日本人だけの趣味趣向で外国の作者について考えるのは実態の理解とは遠いものです。