ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート -14ページ目

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。
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こんにちはガリッポです。

イースターの祝日がありました。前後には学校も休みになります。生徒が職場体験できていました。ヴァイオリンは習っていて、先生の勧めでうちの工房を紹介してもらったそうです。
ヴァイオリン職人になろうと真剣に考えているかわかりませんが仕事を体験していました。

横板の厚みを出す作業を私はやっていました。同じことを体験です。
横板にカンナをかけるのが難しいのは、裂けたり割れたりしやすいことと、厚みを均等かつ正確にだすことです。
当然ながら何をやってもうまくいかず1週間でつらい思いばかりです。とてもじゃないけど「楽しかった」と言えるような状況ではありませんでした。

カンナがうまく使えるようになるのは1日や二日では無理ですし、本来ならカンナの調整からやらないといけません。


そのようなことを職人は学ばないといけません。しかし、音についてはさっぱりわかりません。横板の厚さを何ミリにしたら音がどうなるかは教わりません。決められた寸法通りに加工するように教わるだけです。それが工房や先生によって微妙に違います。しかし、音がどう変わるかはわかりません。このことに疑問を持つどころか目の前の作業の難しさで精一杯です。考えてみても他の条件は同じで厚みだけを変えて実験することが困難です。

厚すぎると曲げるのが難しく、薄すぎると頼りないとしか言いようがありません。横板はカエデ材なので曲げると繊維のうねりが出て軽く波打ちます。これを削って滑らかにすると少し薄くなるのでちょっと厚めにしておく必要はあるでしょう。
もし波打ったものをそのままにしているとニスを塗るときに問題が生じます。音以外に多くのことを学ばないと楽器を完成させることができません。音について言えるのは楽器が完成しないと楽器として使用できず音が出ないということです。完成すればヴァイオリンのような音がするので、試奏して気に入った人が使えば良いということです。我々が学ぶことができるのはそんなことです。

「横板を厚くすると音が良い」という職人のうわさを聞いたことがあります。噂を聞いたところで信じて良いかどうかもわかりません。その人の言う「良い音」が何なのかもわかりません。
理屈で考えると板が薄いと多少なりともクッション性が生まれて穏やかな音になるかもしれません。明るくにぎやかなのを良い音とするなら可能性は無いことも無いでしょう。量産品ではかなり厚い横板のものがあります。それはプレス型みたいなもので曲げているのかもしれませんし、同じ作業ばかり繰り返すことで超人的な技量を身に着けているのかもしれません。

噂を信じるのか、分からないとするかどちらが良いでしょうか?
それをやってみたところで、出て来た音のどれくらいが横板の厚みによってもたらされているか分かりません。

これがバスバーくらいなら表板を開けて高さを変えてまた表板を接着するくらいはできます。わたしはやったことがありますが、前も後もどちらも期待した音ではありませんでした。バスバーの高さでは思ったような音にはできないと分かっただけです。つまり、思ったような音にする方法は分からないということです。

とにかく何もわからないです。
ああでもないこうでもないと考えることはできます。確かなことを求めれば分からないとしか言えません。

ヴァイオリンというものは不思議なもので分からなくてもそのように作るとヴァイオリンのような音になるものです。作る人が全く分かっていなくても結果的に音が気に入ればそれがその人にとって良いヴァイオリンということになります。そんなものです。

私は、過去に作られたヴァイオリンを調べることで理解を深めようと考えています。
現代の工業製品では新製品ができると、「従来の製品」よりも飛躍的に性能が向上したとアピールします。地道な研究や技術革新の努力が積み重ねられていることでしょう。しかし外観を変えるだけのトリックもあるでしょうし、改良型では同じ製品名で値段を上げて機能を追加しグレードを上げることもあります。そこでは過去の製品はもはや使い物にならない劣ったものだという建前になっています。

それに対して私は過去に作られた製品を悪い物とは考えていません。
実際に修理の仕事もしているので幻想ということは無いでしょう。

入門者は名工と言われるようなずば抜けた人だけが音が良い楽器が作れるという先入観を持ちがちです。しかし、実際に多くの中古楽器を体験していくと全く見当違いであることに気付きます。作者が有名ではない楽器でも誰が聞いても音が悪いということは無く、50~100年も経っていれば音も出やすく「鳴る」ようになっています。「音が良い」ということの定義は人それぞれなので好みでしかないことになります。

つまり問題なく作ってさえあれば数十年でよく鳴るようになってくるというわけです。じゃあその問題ないというのがどれくらいかということです。

横板の厚みもそのように考えています。
実験によって適切な厚みを割り出したり、音を作るために意図的に厚みを変えることは現実的ではないので、「これくらいだったら問題ないだろう」と感覚を身につけていきます。

何か有名な職人などの教えが広まっていって、業界として常識が出来上がってきています。そのような教育を受けたプロの職人であれば、そんなに大きな違いはないということです。これが全くの独学で作ろうと思ったら寸法を割り出すのは難しいでしょう。

このように横板の厚みだけでなく様々な寸法が事細かく定められています。「寸法表」というものがあり、リストになっていて、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、さらにヴァイオリンとチェロには1/4,1/2,3/4,7/8があり、ビオラにはサイズ違いがあります。これもヴァイオリン製作学校や工房ごとに微妙に違います。私はいくつかのものを持っていて総合的に考えています。コントラバスになると単位がmmからcmに変わります。

事細かく寸法が決まっているのが現代の楽器製作なのですが、寸法が計れない部分もあります。特にアーチのカーブなどは測定のしようがありません。

私はこのような現代の楽器製作で作られたものが間違っているとは思いません。そのように作られた楽器を愛用している演奏者もたくさんいますから。しかしもっと古い楽器を見ていると問題のない範囲が「狭すぎる」と感じています。もう少し正しい寸法から離れても大丈夫なのではないかと考えています。

モダン楽器でも現代よりもはるかに薄い板で作られていて、音響的にも優れていたり、低音が豊かに出るとすればそれを「問題のない範囲に含めてもいいのではないか」と考えています。
モダンの時代にも寸法表みたいなものがあったことでしょう。比較的大量に生産する場合に品質を安定させることができます。ヴィヨームなども独自の寸法表やリュポーの教えなどがあったことでしょう。細かい寸法が全部決まっていてその通り職人は作るだけでしょう。ヴィヨームの弓の設計法などは残っているようです。

さらにオールド楽器になると近代や現代よりも作風が定まっていません。それでも魅力的な音がすることがあって「このようなものは作ってはいけない」という現代の教えは狭すぎると考えています。どれくらいまで行っても大丈夫かというのも私の研究していることですし、オールド楽器のようなものを作ること自体が現代の教育を受けた職人には難しいものです。試作品を作って実験するだけでも「時代に縛られる人間」というものの限界に挑戦するようなものです。試作品が作れなければ実験のしようもありません。

それに対して職人以外の人たちが考えがちな有名な職人の高価な楽器だけが優れていて、それ以外がどうにもならない劣ったものだという思い込みも、「問題のない」範囲を著しくせばめているように思います。職人でさえもこのような考えから完全に脱却してはいないでしょう。私は可能性を広げることを考えているのに、ヴァイオリンのコレクターは可能性を狭めることを考えています。だから音楽として楽器を使う人はオークションで形成される値段などは関係ないと言っているのです。

つまり「普通に作ってさえあれば50年もすればよく鳴るようになる」のがヴァイオリンというものです。音はみな微妙に違うので好みに応じて実際に試して選ぶしかありません。この「普通」の範囲について工房内の普通が狭すぎて、もっと違ってもいいのではないかと古い楽器から学んでいるところです。

この前は、「仕上げの水準がヴァイオリン製作学校の生徒以下」のヴァイオリンを紹介しました。それでも音響的な構造では現代の普通の範囲内なので音は問題ないことでしょう。実際に演奏者に愛用されています。こうなると、職人の腕前などは関係が無く、誰でも十分なヴァイオリンを作れることになります。このような事例でも「名工神話」を否定しています。このためどこの誰が作ったものが自分の好みの音なのかは分からないので片っ端から試してみるしかないということです。

先日は台湾からチェロを買いたいという人が来ていました。電機産業の会社に勤めている人で仕事で時々こちらに来るので、チェロを買って帰りたいということです。
中国製のチェロならこちらよりも選択肢が豊富でしょう。中国で作って台湾から出荷されることもあるくらいです。台湾は特に文化芸術に力を入れているようです。弦楽器の取引も日本と似ています。
聞くと子供のためとかではなく本人が弾くためのチェロだそうです。
それなら自分で店にあるチェロを試奏して気に入ったものを選べぶのがヨーロッパのこちらの人ですが、どうも様子が違います。
エンジニアなのでしょうか、値段の違う二つのチェロの音の違いがなぜ生じてくるのか聞いてきました。我々は「チェロは一つ一つ音がみな違う」と事実を説明しました。それを良いと思うか悪いと思うかは相性です。鋭い音のものをその人は気に行っていました。こちらの方が音が楽に出ると我々も感想を言いましたが、弾く人によっては耳障りな音が出る人もいます。

弾いて気に入ったチェロはあったようで次の機会まで商談中として楽器を置いておきますが、自分で決めることに抵抗があるようです。
何かしら優れた楽器の理由や評価が欲しいのでしょう。師匠も説明には苦労していました。日本人と考え方が似ているのか、エンジニアだからそうなのか、その両方なのでしょうか?


高い品質のものを作るには時間がかかるのでコストがかかるというのが職人に言えることです。オークションで取引されるような楽器以外は品質によって値段がきまります。適切な値段で売るだけで、選ぶのは本人の自由です。オークションで競り合う場合には品質は関係ありません。

私は「普通」の範囲を広げることではっきりと音が違うものが作れないかと考えています。原理は分からなくても、オールド楽器のように作るとオールド楽器のような音が得られるというのがこれまで得たことです。

しかし「オールド楽器のような音」もまた人によってイメージするものが違うでしょう。オールド楽器を単によく鳴るとイメージする人もいるし、甘く美しい音がするとイメージする人もいるでしょうし、枯れた味のある音と感じる人もいるでしょう。
単によく鳴るならモダン楽器でも得られると思います。枯れた渋い音もモダン楽器でもあると思いますし、必ずしも耳障りな鋭い音とは限りません。演奏者によっては甘い美しい音を出している人もいます。本当にオールドでなければいけないのかにも疑問を持つべきです。特に数が少なく高価なチェロでは重要な問いかけです。


20世紀の楽器も鳴るようになってきています。今でも同じ作風の楽器を作っていてもそれらにかなわないでしょう。どれだけ工夫しても80年代に作られた何でもないようなものにもかなわないかもしれません。一方で「余計な工夫」にリスクを感じます。一般に「音が強い」と感じられる楽器が売れます。新品では音が強く出ないのが普通ですので、新品では「鋭い音」の方が強く感じられるでしょう。しかしそれが50年くらい経つと耳障りになってしまうかもしれません。だから新品の時点で音の強さを競うような評価の仕方を私は意に介していません。ユーザーはだんだん耳障りになって不満を感じ楽器の買い替えを検討することになります。鋭い音が良いのなら100年くらい経った楽器に強烈なものがあります。新作の鋭い音もたかが知れています。
それはとても安価なものにあり、音大教授が絶賛したものが20万円もしないものだったこともあります。音大教授が絶賛しようがザクセンの量産品の特徴があって品質が低ければそんな値段にしかなりません。

よく食品について健康に良いとか悪いとか言われます。それも数十年後には全く逆の説が言われるようになったりします。したがってその時代に言われていることを鵜呑みにするのはリスクとなります。
ルネサンス後期にイタリアの画家でヤコボ・ポントルモという人が日記を書いています。『ポントルモの日記』という本がおもしろいので読んでみると良いと思います。彼は健康や体調について様々な自説を語っていますが、現代人からすると納得できないものです。昔の人がどのようなものの考え方をしていたか参考となるでしょう。私たちも未来の人からしたらとんでもない説を信じていることになります。

「ストラディバリの秘密」というのも恐竜の絶滅などと同じように、10年に一回くらいメディアで新説が広まるものですが、それをいちいち信じていたら労力が無駄になるかもしれません。

ポントルモの考え方として書かれていることは、ルネサンスの当時はギリシャやローマなどの古代の芸術を尊敬し、自分たちの時代がその時代に肩を並べたと自負しているようです。それ以外ほとんどの記述は何を食べたとか、どこの部分の仕事をしたとか何でもないような記録ばかりで、自叙伝のような自分をよく見せようとする部分が何も無くて面白いものです。

私も食べて仕事してブログを書くという同じような暮らしです。


ちなみにピエトロ・グァルネリの横板の厚さは資料には0.8mmと1.1mmと書かれています。場所によってバラバラということです。
そんなものでしょうが、1mm以下なら薄めということになります。現代の職人が「厚めが良い」と考えるには何か理由があるのでしょうか?
古い楽器なので乾燥によって縮んだり修理などで削ったりしてるかもしれません。

さらに言うとストラディバリは横板の内側に布が貼ってあったと言われています。モダン楽器でもそのようなものが残っているものを資料で見たことがあります。ストラディバリも現在では修理によって取り除かれています。ストラディバリが神様のようにすべてを分かっているのならこれによって音が台無しになってしまったのでしょうか?実際にコンサートに行って演奏を聞いてみてください。























こんにちはガリッポです。

弓の毛について質問がありました。
こちらでは細い毛が上等とされていてモンゴル産が細いものとして卸業者によって売られています。モンゴルの毛にもランクがあり色が完全に白いものが高く、色がくすんでいたり、茶色い毛が混じっているものはランクが低くなります。低いランクでも他の産地よりは毛が細いそうです。
これは卸業者と職人たちとの間で広く共通の認識があり、卸業者が要望に応じて供給しているものです。

馬の飼育以上に毛の選別に手間がかかるのでコストがかかります。
このため所得水準が低い国ほどコストは安くなります。
伺った話では日本でランク付けは所得水準に応じているようにも思えます。
日本人は工業水準で国を見下すようなところがあって一致してるようですが、馬の毛は第一産業ですし、モンゴルでは馬頭琴の演奏が盛んで馬の毛の品質にもこだわりがあるようです。

ともかくこちらではあくまでも毛の細さが重要とされています。
特にプロの演奏者はモンゴル産の上級品を使っている人がほとんどのはずです。
うちでは初心者向けには中国産を使っていました。価格も安く太くて武骨だからです。

馬の毛は湿度の影響を受けるので日本で求められるものが同じなのかはわかりません。厚い板の新作楽器、硬く重い弓、強い張力の弦とともに弓の毛も太いものが好まれるのかもしれません。



先日は、プロのオーケストラ奏者でも珍しいヴィオリンマニアの方が弦を買いに来ていました。もう定年も近いベテランの方ですが新しい知見を得たようです。「ヴァイオリンの音と値段は関係ない」と熱弁されていました。今頃気付いたのかという話ですが、あらゆるストラディバリの伝説や科学的な研究などを信じて遠回りの人生でしたね。ヴァイオリンについて最初に教わるべきことでした。分かっている専門家が少ないのでしょうか?
弾いて音が良いとその人が感じれば音が良いのであって、それがたまたまザクセンのものならとても安いし、イタリアのものならとんでもなく高価だというだけのことです。音を評価して値段をつける仕組みはありません。

知識を求めたがゆえに理解するのに一生かかってしまいました。的外れの知識ばかりが魅力的に見えるものです。うさん臭い知識というのは、私は匂いで嗅ぎ分けています。知識自体が正しいかどうかではなく、取り組み方がおかしいのです。たとえばUFO研究家という人のおかしさは雰囲気で分かりますでしょうか?それと同じようなことですが、その一方で理系の人が飛びつきやすい知識もあります。理屈を信じる前にたくさんの楽器を試してみてください。音が良い楽器と悪い楽器の違いが、筋の通った理論で説明できれば楽器選びは楽ですが、もし頭が良いのであるならば、まずそんな便利な話はないかもしれないという可能性を考慮して下さい。音が良い楽器と悪い楽器を区別する理屈が本当に通用するかどうかをまず実際の楽器で試してみるべきですよね。安い楽器は音が悪いという決めつけをして、高い楽器の特徴を分析しても理屈の前提条件が間違っています。安くてよく鳴る楽器があるという事実を知らないといけません。それも説明できないといけません。


マニアやオタクの人たちがそういう知識に「案の定」虜になってしまうのを見て来ています。何も知らない人が選んだ楽器のほうが音が良いこともしばしばです。私は確かでない知識は無い方がましだと教えています。興味があって面白いというだけで、知識が役に立つかは全く別です。

相手が知らないことを知っていると自分が強く思え、自分が知らないことを相手が知っていると相手が強く見えます。しかし言葉をどれだけ知っているかは人間同士の力比べでしかありません。そのようなことは政治の力比べです。動物で言えば群れの中の順位付けです。

ヒトが偉いか偉くないかは楽器から出る音とは関係がありません。
マニアも初めは単に面白いからと熱中しただけだったのが、いつの間にか上級者と自負するようになりますし、業者の方もお客さんをビビらせて優位に立つために知識をひけらかすものです。私からすると矛盾していて滅茶苦茶な理論でも素人を相手に従わせるには十分通用します。特にヨーロッパではそのような傾向が強いです。特に男性は皆が学校の先生のようにものを言います。日本でも欧米化が進んで誰もが評論家気取りです。「まだわからないことがたくさんあるんですよ」と目を輝かせる研究者とは大違いです。


もう一つの出来事は、売りたいということで19世紀終わりのモダンチェロが持ち込まれたことです。値段は700万円くらいするものです。見てみると作者の特徴がはっきりわかって間違いなく本物だと分かるものでした。多くの場合、名のある作者のものでも、図鑑などの資料と見比べると何か違う所があるものです。「そうかもしれないし、違うかもしれない」という半信半疑なことが多いです。息子や弟子が作ったなどと解釈しだすと訳が分からなくなってきます。しかしそのチェロでは間違っているところが何一つありません。やはり本物というのはそういうものです。でないと鑑定する人によって意見がバラバラで財産としての価値はあやふやなままです。近代のものなのでおそらく寸法なども決まっていてf字孔の位置や傾きなども判で押したように同じです。
良いチェロを探している人は多いと思うので皆さんにもどうかと思いました。

ところが弾いてみると荒々しい嫌な音は無い物の、押さえつけられたように音の出方が重く、開放的に鳴ってきません。アーチは真っ平らで資料にあるものと同じです。ミッテンバルトのものと思われるオールドのほうが元気よく手ごたえがあります。
消耗部品の交換などでどの程度元気になるかわかりませんが、現状では「これは間違いない」と薦められるようなものではありません。やはり弦楽器は値段じゃないということが真理ですね。そもそも間違いなく薦められるようなものがあるのでしょうか?

チェロは作られた本数が少ないので、ちょっと安定して品質の良いものを生産していれば有名になるのでしょう。当然家族や従業員などを動員して、複数の人の手で作られています。そうでもしない限り名前が知られるほどの数のチェロを作れません。本では同じ年に作られた別のチェロが掲載されていて、当然そっくりでした。一年に2本以上作るのはやはりある程度の規模の態勢があったはずです。

特徴からするとフラットなアーチがチェロではもしかしたらそのような音の原因かもしれません。今後のテーマとして行きましょう。
ただし、良いチェロは少ないですから、フラットだからよくないと決めつけるとチャンスが減ります。欠点は多少はあるのが当たり前ですから、理想を求めるのではなく使い物になるかどうかというレベルで判断すべきでしょう。

間違いなく本物だと言える楽器は多くありません。しかし本物だからと言って音が良いとは限りません。そんなことを知るだけでも価値のあることです。




以前出てきましたが、ニスがはがされてしまったヴァイオリンがありました。楽器の質や材料の質は悪くありません。しかしニスが無いので売ることができません。不用品として持ち込まれたものですが、捨てるにはもったいないですね。もし売りに出すなら、まず持ち主が修理としてニスの塗り直しを施してから、売りに出すことになります。そうなると大きな金額を支払わないと売りに出すことすらできないということです。
効率を考えるなら面倒な仕事などしなければいいのに、師匠がとても安い値段で買い取って先方も不用品が少しでもお金になって良かったようです。

このままでは売れないので1ユーロにもならず安いと言っても払ったお金が回収できません。そこで簡単にニスを塗れる方法が無いかと考えるわけです。

やり始めると当初の思惑とはだいぶ違ってきました。これは途中経過なので結果が出るのはもう少し先です。

別の売り出すヴァイオリンです。


作者は存命で本人に問い合わせてみると作品についてメールやスマホアプリで写真を送ることはできず、現像して封書で送ってくれとのことでした。
もう高齢でヴァイオリン職人であればハイテク文明も一切なくやられているようです。
本人の確認を待つまでもなく見るからにきれいさはあると思いますので、量産品ではないでしょう。
しかしかと言って腕の良さを強調するようなことは無く角も丸くなっています。

軽いアンティーク塗装がなされています。



スクロールなどはやはり量産品よりもかっちりした感じがあります。

パッと見た感じでは塗装が凝ったような感じではないので量産品のようにも見えますが、よく見ると仕事自体はずっと丁寧なものです。買った時の領収書も残っています。30年以上前の領収書に書かれた電話番号が今でも通じました。
この時代ブーベンロイトなどの量産品も上級品ではこのようなものを目標として作られていたのでしょう。つまり工場のマイスターが一点物を自分で作ればこんなものができたはずです。その意味では雰囲気が似ています。今でもこのようなものはありそうなものです。

板は厚めでいかにも20世紀の楽器という感じです。

アーチも普通でごくオーソドックスなものです。現代的なアーチの高さですが、形自体はうまく造形されています。

あとは弾いて音が気に入れば良い楽器ですし、そうでなければ購入する必要はありません。あまり使われていなかったようですが、30年以上は経っているでしょうから新品よりは鳴る感じはあると思います。


裏板の下の方や表板の恥の方は色が薄くしてあります。使い込まれたオールド楽器のようなニスの剥がれ方をイメージしたものですが、全くそのようには見えません。しかしこのような手法はよく行われています。それ自体は問題ないのですが、やはり色が明るい所のニスの層が薄いです。この楽器はあまり使われていないので薄い層が保たれていますが、本格的に使うとすぐに剥げて地肌が露出してしまうでしょう。
このように塗り分けるなら、異なる色のニスを用意し、剥げた部分も厚く塗らないと耐久性が確保できません。
しかしいくつも異なる色のニスを用意して塗る人は多くないでしょう。ニスを塗る回数で色の違いを出しています。
私は最低3種類のベースのニスを用意します。さらに色を調整して使います。しかし私のような人は珍しいでしょう。このため、ニスが剥げている様子を模したところが本当にニスが薄いのです。メンテナンスは困ります。アルコールニスの場合10回くらい塗ってもそんなに厚みは稼げません。修理で10回以上塗るとなると期間が相当かかります。2~3日では絶対に無理です。
さっきのニスがはがされた楽器で全面塗り直しをやって勉強になっています。









こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを作っていく話です。

ノコギリで切り抜いていきます。

ヴァイオリンくらいなら簡単にノコギリで切れます。

縦に板を挟んで押して切れば良いということはいろいろ試してたどり着いたことです。このようなノコギリは刃の向きを変えることができます。


アーチを削りだしていきます。フリーハンドで大まかな形を出していきます。
はじめは荒く大雑把に形をとらえ、だんだんと正確にしていくのが最も効率の良い方法です。



カンナのような道具では同じところを何度も何度も行き来しないといけないため形を作る作業には向いていません。高いアーチを作るにはごっそりと削り取るのが一番効率がいいわけです。
この時に削る人のさじ加減一つで形が大きく変わってしまいます。低いアーチであるほど、違いが分かりにくく、高いアーチほど分かりやすくなります。
音の性格の違いも高いアーチのほうが強く出るかもしれません。
はじめから低いアーチを作る現代ではカンナを多用する方法を好む職人が多くなります。ヴァイオリン職人の仕事の中でもアーチを作る作業が最も絵になります。様々なところでそのような写真や映像が出ているとまず豆ガンナでゴシゴシと削っているシーンを見たことがあるかもしれません。カンナという道具は積極的に形を作るのではなく、でこぼこが無くなるようにならすものです。フラットな現代のアーチでは削りすぎて穴をあけてしまうリスクのあるノミよりも、カンナを多用するわけです。
レンズや反射望遠鏡の鏡のような歪みのない曲面を作ることが目標となって腕が良い職人のものは全くオールドとは雰囲気が違うものになります。それで安価な量産品と差別化され高精度で洗練された高級品だと分かります。それに対してこの前紹介した「ヴァイオリン製作学校以下のクオリティ」のようなものもそれ以上に多いです。量産品との違いは手作りの素朴さでしょうか。


特にアーチの形の違いは周辺からえぐられたマイナスのカーブに特徴が現れますが、20世紀の楽器では可も不可もない特徴のないアーチが多いです。
私の今回のものはマイナスのカーブは周辺の溝だけですぐに膨らみのカーブに切り替わります。これが「ぷっくりしたアーチ」になる理由です。
アーチの形が音にどんな影響があるかも規則性は分かりません。たくさんの楽器を見て音を聞いてきましたが、法則性のようなものはよくわかりません。

だから作る時に音がどうなるか予想することは困難です。少なくともヴァイオリン製作学校で音の違いを作り出す方法は習いませんし、広く知られていることもありません。音を自在に作る設計法は全く確立していません。職人は分からずに作っていると考えたほうが現実的です。分かっていると思い込んでいる人はたくさんいますよ。何かあると霊の仕業と考えるような物事の事実関係の認識の甘い人が世の中には多いものです。イメージなどで物を買う人が多いのでブランドや広告の戦略では具体性のないものが多いですね。職人も同じ人間です。


私は窮屈になりすぎないようにと考えています。
これも抽象的でおおざっぱなイメージでどの音程の音がどうとかそういうレベルではありません。

高いアーチでも個体差がとても多いので一口に語ることはできません。アーチの横の断面を見ても、富士山のような尖った3角形のものもあれば、上が平らで台形のような台地状のもの、丸く膨らんだ丘のようなものもあります。地形に例えていますが、地形も自然の造形だと考えると面白いものです。土砂崩れがしばらく起きてないとすれば安定した形ということになります。
それに加えて周辺部の溝の深さや幅も違います。オールド楽器ではエッジが摩耗しているのであまり深く見えないこともあります。

例えば三角形のアーチで周辺の溝が大きく深ければ、富士山のようにとても安定し中央付近の強度が高くなって、弓の荷重を受けると表板が全体的に沈み込むような動作をするでしょう。これでオールドらしく板が薄ければ跳ね返るというよりは沈み込むというイメージを私は考えます。一方台形のアーチなら周辺部分が硬くなり中央が相対的に弱くなります。駒のところがたわむようになることでしょう。

三角のアーチはノミを制御しきれないと自然とできる形です。イタリアのオールド楽器にもありますし、近代の楽器でもジュゼッペ・フィオリーニはそんな感じでしたし、クレモナの学校で学んだイタリア人の職人もそんな風になっていました。他の一緒に働いていた職人でもそうなっている人もいました。私は注意してそうならないようにしています。一方恐れすぎて現代の高さのアーチでも上が平らになっているものが多くあります。それでいて周辺に大きな溝が無いのが現代の楽器の特徴です。わたしは「攻め切れてないな」と思います。こちらの方が一緒に働いた人では多く、よくある現代の楽器の感じがします。1月に紹介した現代のイタリアの楽器もそうでしたしエンリコ・ロッカもそうでした。自分も初心者の頃そのように作ったので分かります。

最初にこんもりと丘のようなアーチを作ってから、周辺に深く大きな溝を掘ると上部は緩やかなカーブで斜面が急な異なるカーブから構成される台地状のものができます。ドイツ・ニュルンベルクのヴィドハルムはそんな感じでした。
シュタイナーは私はまだ理解していませんが、縦方向のアーチと横方向のアーチを同時ではなく分けて順番に作業していくと角のような部分ができてその名残があるような感じがします。丘の上から攻めるのと下から攻める部分がぶつかるところが角になるのです。その仮説が正しいかは何台も作って試行錯誤してみないといけません。

近代の量産楽器でシュタイナーモデルと言われるものは初めに板のセンター付近を上から下まで同じ厚さにします。それはアーチの高さです。厚みが一定の平らの板のようにします。それで周辺を彫ってエッジの厚さを出します。これだと縦方向のアーチが無い台地状になってしまいます。シュタイナーとは全く違いますし、オールド楽器とも違うのですぐにわかります。このようなものはザクセンで作られましたが、ミルクールのものでもあります。ギターのメーカーが作ったような感じのものあります。普通のフラットのアーチのほうが音響的にも無難でしょう。初めは意図があってそうしたのかもしれませんが、教育が伝わらなかったのか結果的にアーチのカーブを作らず周辺の厚みを出しただけのアーチなので中古品としては最も粗末なものの一つと考えています。

シュタイナー型と呼ばれるドイツのオールド楽器でもフュッセン、ミッテンバルト、ウィーンなどの南ドイツのものとマルクノイキルヒェンのものではアーチが違います。と言うよりも、アーチで見分けることができます。他に輪郭の形やスクロール、ニスの色や質感なども重要ですが、特徴がはっきりしないこともありますし、長く見ていると自信が無くなって分からなくなってくることがあります。一口にシュタイナー型と言っても、実際はそんなに形は決まっていません。それに対してアーチの方が確実に特徴があります。それで言うとマルクノイキルヒェンの方は板の柔軟性を妨げるような構造が溝からふくらみにかけてあるように感じます。あくまで視覚的なイメージです。南ドイツのほうが素直な感じがします。したがって、マルクノイキルヒェンのアーチには響きを抑えるような構造があるように感じます。これもモダン楽器のような自由さが無くなる反面、味のある音色を生み出す効果もあるでしょう。良い方に出るか悪い方に出るかは紙一重ですね、少なくとも一長一短です。そうなると南ドイツのほうが素直な感じがします。イタリア場合は台形のアーチではなく、丘のように丸くなっているか不用意に三角になっているかです。ニコロ・アマティでも注意深く丸くなっておらず三角に近いものです。南ドイツのほうがイタリアのものに近い感じもします。しかしながら南ドイツでも極端にアーチが高いものもあり、響きが抑えられすぎていわゆる室内楽的なものもあります。このほかベネチアのモンタニアーナは四角い感じだったりしますのでこのため産地で判断するのではなく個別の楽器で見ないといけません。

それでも音についてはよくわかりません。
産地を判別する場合にはある程度役に立ちます。台形のアーチでイタリアの作者のラベルがあればまず偽造ラベルがドイツの楽器に貼られたものです。
中には例外的なものが必ずありイタリアの様な作風のドイツの楽器で、偽造ラベルが貼られて分からなくなってしまったものもあるでしょう。ドイツの楽器と明らかにわかるものでもアーチは台形のものばかりではなくイタリア的なものもありますが、幅がイタリアの小型のものよりもゆったりしていて期待できるものがあります。
フィレンツェの流派などはシュタイナーをお手本にしているのでドイツの楽器のような特徴があります。しかしフィレンツェの楽器にドイツの偽造ラベルを貼らないのは、それはお金のことを考えてするからです。逆にドイツのオールド楽器にフィレンツェの作者のラベルが貼られることはよくあります。

弦楽器業界では他の産業と同じかそれ以上に、「お金」を第一に考えて来たので知識の正しさは二の次で大混乱です。お金のことを切り離して客観的に理解するということはほとんど無かったと言っても良いでしょう。だから弦楽器についての知識などは学ばないほうが良くて、ただ試奏して楽器を選ぶ方がましなのです。

「あてになる知識など無い」ということを学ぶだけで十分です。


私がオールドとモダン楽器ではアーチが全く違うと説明すると、オールドのほうが良いと信じる人が出てくるかもしれません。私は口を酸っぱくしてモダン楽器が悪いなんてことは無いと強調しています。何でも良いと言っているだけです。つまり可能性としてこれまで評価されてこなかったマイナーなオールド楽器も排除するべきじゃないと考えています。もちろん無名な作者のモダン楽器も同じです。しかし「可能性」にすぎません、オールドのほうが理想的だと言っているわけではありません。

むしろオールド楽器のアーチには問題が多いと思います。
オールド楽器は数も少なく当たりはずれも大きいですが、有名なものは値段が高すぎます、マイナーな流派のものも候補に入れれば入手するチャンスは広がるでしょう。それでも品ぞろえという点ではモダンの楽器の比ではありません。モダン楽器のほうが10倍以上使っている人も店頭の在庫も多いでしょう。そして当たりはずれも少なく優等生的なものが多くて、レッスンを受けたり業務で用いるのに実用的です。

特にチェロではオールド楽器でまともなものを手に入れるチャンスはまずないと考えてもいいくらいです。オールドでなければだめと考えるとニセモノや、ひどく状態の悪いもの、元気よく音が出ないもの、寸法がチェロと言えないものを買ってあとで困ることになります。
今店に遺品のミッテンバルトのものと思われるチェロが入ったので今後ゆっくり調べていきます。それでも弦長はかなり短いものです。


話が脱線しましたが、例えばモダン楽器の作者でもアントニアッジやビジャッキのファミリーはアマティなどのオールドの作風を取り入れた楽器を作りました。外側をアマティモデルにしただけでなく、周辺の溝を大きく彫り特徴のあるアーチのものがありました。しかし音は抑え込まれたような感じで豊かに響きませんでした、普通に考えたら「鳴らない」です。音色も暗くて、「イタリア=明るい音」とはどう考えても逆の音です。別にアントニアッジの偽造ラベルが貼られたものがありました。生産国もわからない普通の上等なモダン楽器でバランスが良く、豊かな響きと柔らかさがありました。事実を言わなければニセモノのほうが音が良いと感じる人が少なくないでしょう。ウィーンのオールド楽器でももっと明るく豊かに鳴るものがあります。でも別のウィーンのオールド楽器はいかにも室内楽用というものもありました。暗い音色は私は良いと思いますので、オールドの作風を取り入れるというアイデアは良くても、やりすぎもしくはやり方がまずかったのかなと思います。だから私は抑え込み過ぎないように窮屈にならないようにと考えてるわけです。

そのようにとても微妙なものです。
だから理屈ではなくて実際に弾いてみないことには何とも言えません。
弾きこなすのも難しいとなれば良いかどうかもわかりません。そうなると上級者限定ですから、何とか難しくならないように作りたいものです。
そのくらいのことを考えて作っているだけで、どこをどう削れば音がどう変わるかなんてレベルでは全く分かりません。

ピエトロ・グァルネリはかなり昔に見たのでよく覚えていませんが、アンドレア・グァルネリを見たときのイメージで作ってみたら印象的な音のものができたので今回もそれを小型化して作ろうというわけです。アンドレア・グァルネリ自体は小型のモデルなのでそのままでも良いでしょうが、新作の不利さを考えるとピエトロ・グァルネリを改造することにしました。ちなみにピエトロも父のアンドレアの名前で作っていたものがあるはずです。

そもそも私の作る楽器はどんな形にしても音には特徴というか癖があって大きく傾向は変わらないものです。だから明らかに違う形のものを作ろうとしないと音にはっきりした違いが出ません。細かいことに夢中になって自分で工夫して音が良くなったつもりになっている職人になってはいけませんね。私の癖にあう楽器の形を見つけないといけないのでしょう。

こんなイメージでやっていますが、的を得ているかどうかも確信はありません。私の考えを覆すような楽器に出会うかもしれません。だから教科書ではなくてこのブログは研究ノートとしています。

考えていることを秘密にはせずに語ってみました。理解はできないでしょうが、職人がそんなレベルだということを分かってもらいたいものです。











こんにちはガリッポです。

オールドヴァイオリンというのは考古学みたいなもので説明が難しいものです。
単に中古品をオールドと言って売ってる悪質な業者もありますが、どれだけ古ければオールドなのかというと、私は作風で言っているのでフランス式のモダン楽器になる前のものがオールド楽器で時代には地域差がありますす。
各地に伝わっていたオールドの作風も次第に時代遅れの古臭いものと考えられるようになり1800年代になるとフランス風のモダンヴァイオリンが最新の優れたものだと考えられ、オールドの作風は途絶えてしまいました。

近代になって信じられるようになった最大の常識は「ストラディバリウスが最高のヴァイオリンである」という考えです。これによって、ストラディバリが研究され、その特徴を解釈したものがモダンヴァイオリンになります。特にフランスで組織的に製法が研究されたため、今日でも常識として残っています。現在のヴァイオリン製作コンクールでも同じような基準で楽器が評価されています。オールドの様な作風では点数が稼げません。グァルネリやマジーニなど違うモデルも作られましたが、輪郭の形を変えただけです。

現在ではそれがフランス起原であることも知らずに、正しいヴァイオリンの製作方法として職人の間で信じられています。フランスのヴァイオリンを見るとストラディバリをとてもよく研究し、作風を標準化していることが分かります。現代の職人はそれに比べるとなんとなく作っているだけのようです。「正しいヴァイオリンの製作方法で作ったので音が良い」と信じています。定められた寸法に正確に加工できるほど音が良いと信じていることもあるでしょう。ヴァイオリン製作学校で先生にダメ出しされるからです。

つまりかつては様々な作風があったオールドヴァイオリンの中からストラディバリを選別しその特徴を時には誇張したものがモダンヴァイオリンです。そのモダンヴァイオリンさえ忘れられ厳密さが無くなったのが現代のヴァイオリンです。近代以降はこのようなヴァイオリンばかりが作られました。このためオールド楽器の偽造ラベルが貼られていてもすぐにラベルが偽造だとわかります。まるで見た目の雰囲気が違うからです。

私が現代のヴァイオリンについて「個性がある」ということに違和感を感じるのは、このようなモダン楽器の根底から覆すものではないからです。モダン楽器について何も知らずその水準に遠く及ばないものを個性的と呼ぶのなら単なる勉強不足でしかありません。モダン楽器を理解したうえで、異なる哲学を打ち立てたわけではないからです。かと言ってみな全く同じではないので癖のようなものはあるでしょう。


「ストラディバリが高すぎて買えないので、代わりになるものは?」という関心がありました。グァルネリ・デル・ジェスが筆頭ですがこちらも高くなってしまいました。それからクレモナ派の他の作者が候補となりました。師匠とされるニコロ・アマティの一派です。さっきの考え方では古臭いオールド楽器をストラディバリが買えないから仕方なく使うということになります。今ではこれらも高騰し憧れの名器と考えられるようになりました。商人たちもこれをあおってきました。
最も雑な考え方は「イタリア製」というものです。このような粗雑な思考を信じている人がたくさんいます。

職人の側からすればストラディバリの特徴を研究した成果であるモダン楽器や現代の楽器がストラディバリと同等のものであるはずと信じています。このため他のオールド楽器よりも近現代のものの方がストラディバリに近いはずということになります。ストラディバリ研究の第一人者と考えられたシモーネ・サッコーニのヴァイオリンを見るとストラディバリとはだいぶ違って、フランス的な感じがします。サッコーニが教わったジュゼッペ・フィオリーニなどはフランスのガン家の影響があるようです。
このためサッコーニを見た職人仲間は口をそろえて「きれいな楽器だけどストラディバリとは違う」と言います。しかし、業界としてはサッコーニはストラディバリと同じであるという建前になっています。
このようなものはたくさん作られたのでストラディバリと同等の優れた楽器がたくさんあることになります。ごく一部のものを除いて中古品では新品よりも安いくらいで手に入ります。

ここに二つの矛盾する考えがあります。ストラディバリ以外のオールド楽器か近現代の楽器のどちらがストラディバリに近いのでしょうか?商人と職人のどちらの言い分が正しいかという事でもあります。

以上のようなことは頭で考えていることにすぎません。
人間の脳の神経細胞の反応として起きていることと、空気の振動として起きている音とは別の現象です。全く見当違いの物語を言葉で構築しているのかもしれません。私はそれを「ウンチク」と呼んでいます。
これは実際に楽器を試奏して各自が判断すべきことです。
その結果、音大教授くらいでも意見が分かれることです。

私個人としては、近現代の楽器は決して悪いものではなく優れたものです。音はみな微妙に違いますが、同じように優秀なものがたくさんあるので多くの中から試奏して気に入ったものを選ぶべきです。その時作者の知名度や値段で決めるのではなく音で決めるべきだと思います。



私が疑問を持っているのはかつての「オールドヴァイオリンが古臭い時代遅れのもの」という考えです。人々は新しいものが出て来た時に古いものの価値を過小評価しすぎるきらいがあるのではないでしょうか?失って初めて価値に気付くものです。
モダン楽器も決して音が悪いとは言いません。うまい演奏者が見事な演奏を聞かせてくれたときに文句を言う気は一切ありません。ただ、オールド楽器にはそれとは違う音があるように思います。そう考えると楽器を見る目が180度変わります。かつては価値がが無いと思われていたものが宝の山に見えるわけですから。それに対して常識のほうが古臭くなります。

私はこれがとても面白くて、胸が熱くなるような何かが沸き上がってきます。そのような面白さも知ってもらいたいです。

さらにハイブリッドという考え方もできます。モダン楽器の良さとオールド楽器の良さを併せ持つものもあるかもしれません。過渡期に作られたものがありますし、新作でもオールド的な要素を取り入れていくのも面白いです。そのためにもオールド楽器をよく理解することが必要です。

さらに言うとストラディバリもオールド楽器の一つだと考えることができます。オールド的なものとモダン的な両方の要素があるのがストラディバリと考えることもできます。



ナイフを新調しました。
池内刃物という会社のもので日本製です。
幅が6mmで刃渡りは1.5cmほどでです。
しかしこの製品は輸出用のようでメーカーのホームページにも出ていません。

普通の切り出し小刀と何が違うかというと、刃の両側の面が斜めに削れている両刃もしくは諸刃というものです。
日本で良く用いられる小刀は片側が平らになっています。竹トンボや鉛筆削りなど子供の頃に学校で使った経験もあります。それは押して使う物でした。
ヴァイオリン職人が使う両刃のものは引いて使うことがよくあります。またナイフの使い道はカーブをえぐって削ることが主です。平らな部分ならノミやカンナでもいいわけです。駒の脚を表板のアーチにあわせる時にも使います。アーチが膨らんでいるので駒の脚はくぼんだカーブになっています。ナイフを引いて使うのは西洋では食事でも一般的です。野菜や果物の皮をむいて食べる時などは引いて使います。このため彼らはナイフを引いて使うことはとても器用です。

柄がついていないので自分で作ります。柄も作れないような人には使えないのがプロの工具です。

貼り合わせるとこんな感じですが、四角くて持ちにくそうです。

カンナで角を取っていきます。

変わった模様が出ていますが、カエデ材の杢です。普通はヴァイオリン職人なら楽器を作った余りの部分で作ることができます。最初の頃は高級な木材がつかえないのでナイフの柄も低級木材で師匠になると高級材のナイフを持っているものです。
私はあまり木材にこだわらないので、楽器の修理には使わないような変な木材があったのでナイフの柄にしてみました。板目の向きに取ってあるので模様が不規則です。
肝心なのは刃の研ぎ方です。

刃はラミネート構造になっています。中央に鋼、両側に軟鉄で挟んだサンドイッチ構造になっています。日本刀とも似ています。これが片刃の場合には鋼と軟鉄の二枚重ねになっています。
刃先のところが色が違うのはこのためです。

両刃ですから反対側はこうなっています。

ポイントは黄色の線で示したようにわずかにカーブさせることです。こうするととても使い勝手が良くなります。しかし研ぐのはとても難しくなります。このような日本の刃物は熱に弱いので機械の研ぎ器には向いていません。水冷式のものなら大丈夫でしょう。熱に対応できるのはハイス鋼などで作られているものです。ハイス鋼は電動工具の刃として使い回転の摩擦で高温になっても良いようにできているからです。高回転の機械で使えるハイスピードスチールのことです。そのようなナイフもあります。とても丈夫なので先をとがらせたりパフリングの溝を切るために使っています。
私は機械で研ぐのがとても苦手です。今はダイヤモンド砥石というものがあり刃の形を修正したりするときは便利です。日本ではホームセンターに売っている安価なものでも、こちらでは手に入りません。べらぼうに高いか品質が最低のものしかないので帰国のたびに買って帰っています。藤原産業のものです。

とてもシンプルな刃物ですが研いだ面はきれいですね。日本刀のような美しさもあります。天然砥石で仕上げているので鏡面ではなく曇った仕上がりです。もっと目の細かい人造砥石で仕上げれば鏡のようになりますが、天然砥石ではざっくりと切れるのが気に入っています。刃渡りは1.5cmですがこれでも研ぐのはとても難しいです。初心者の刃を見ればガタガタです。

こちらは同じナイフですが20年使ってきたものです。刃がこれだけ短くなりました。使っていくうちに柄がどんどん短くなっていくので作り直しました。研ぎ直して使っているので短くなっていくのですが、実際には先が折れてしまって短くなります。刃先を鋭く研いでいくとだんだん弱くなっていっていつかポキッと先端が折れてしまいます。それでまた刃を研ぎ直して使うわけです。
このナイフだけを使っているのなら20年でもっと短くなるでしょうが、他にいろいろなものを試しに買ってみました。しかし結局最初に買ったこれ以上のものがないことが分かったので再び同じものを買いました。手に入らなくなってからでは遅いからです。かつては1000円もしなかったようですが今では2000円以上します。それでもべらぼうに高いということは無いですね。
男性の趣味の雑誌などにはよくナイフが出てきて男性の物欲をくすぐります。ナイフマニアみたいな人たちがたった2000円のもので満足することは無いでしょうが私がこれが良かったです。このナイフは刃が少し柔らかめです。切れ味が長続きしないので豆に研ぐ必要があります。このためもっと値段と硬度の高いものを試したのですがこれで十分ということが分かりました。豆に刃を研ぐという古典的な方法がベストです。下手な職人ほど刃を研ぐのをめんどくさがります。下手な人ほど切れ味の良い刃物を使うべきなのにです。

研ぎ直して使っているうちに鋼と地金の硬さが違うので角度が狂って来るのです。角度を直すとさらに柄が短くなって持てなくなってしまうので柄を新しくして角度も変えました。

今度は柄の材料に古いヴァイオリンのネックを使いました。ナイフの柄の木材が100年以上前のものです。安価なものは継ネックなどはしませんからそれなりのヴァイオリンのものです。リサイクルです。これも板目板になります。

この段階では刃の角度が寝すぎています。ナイフの刃というのは断面がV字になっているため切断が可能になります。鋭いほど切れ味は良くなりますが耐久性が落ちます。削った感じも刃先がぺらぺらする感じがしますし、木材に食い込んでいきすぎる感じもします。駒の脚などは削ぐような感じでごく薄く削り取る必要がありますが、刃が食い込んでしまうと穴が開いてしまいます。
したがってナイフに高価なものを使えば良いというものではありません。

このようなナイフはとても切れ味が鋭いものです。折り畳み式のナイフが切れないということで師匠の知り合いのナイフを預かったことがあります。私が研ぎ直してみると元に比べれば切れるようになりました。しかし私のしばらく手入れをしていないで切れ味が最低になっているものを比較のために同じ木材を削ってみるとざっくりと桁違いの切れ味でした。
一般的なナイフはステンレス鋼で錆びないとか何かをこじ開けたり、突き刺して穴を開けたりする用途にも使えるように、または危険すぎないようにするためか全然切れ味がよくありません。今回紹介したようなものは別に高価でも何でもありませんがレベルが違います。その代わり少しでも横方向に力がかかればすぐに折れてしまいます。濡れたまま放置すれば錆びてしまいます。柄はどんどん短くなっていくので単純な形状にしています。指の握りにあわせて形作ると用途も限られてしまいますし、短くなったら合わなくなります。

これがプロ用とホビー用との違いということです。刃渡り1.5cmのこのナイフでも研ぐのはとても難しいです。削るものの大きさや回転半径などによってはもっと大きなものも必要になります。これでチェロのネックなどを削っていたら仕事になりません。ヴァイオリン用の工具というのは一般の木工とはかなり違うようです。

このようなナイフは日常的によく使うものです。ノミ、カンナ、ナイフはヴァイオリン職人の基本中の基本の工具です。特にコーナーやf字孔、パフリングなど楽器の個性にも関わってきます。宅配物のダンボールを開けたりするときも使います、粘着テープなどは力を全く入れずに触れるだけで切れます。

新作楽器を作る前に見直した部分です。手持ちのナイフがいくつもあるので狂った角度を直して駒専用など常にいい状態を維持するために本数も増やしています。もう一本柄が短くなりすぎたのがあるのでそれも柄を交換しないといけません。短い柄ですが次の楽器を作る時までは持ちそうです。



こんにちはガリッポです。

いろいろなヴァオリンがあったので感想を語っていきます。
一人の職人の率直なものの感じ方を追体験してください。楽器店のセールスマンが言わないような意見も聞けることでしょう。


アンティーク塗装で作られたヴァイオリンです。1922年に修理されたとラベルが貼られていて、表板の内側にはいろいろ書いてあります。1922年に修理した職人によると「音を改善した」とのことです。作られたのはそれよりも古いことは確かでしょう。


これと言ってはっきりした特徴も無いのでどこで作られたものかもよくわかりません。
ニスは強烈なラッカーの匂いがします。となるとザクセンのような気もします。

また赤いニスが垂れた跡があります。おそらく上から赤いニスを塗ったのではないかと思います。この前もミルクールのヴァイオリンでありました。赤いニスを上から塗ることもそうですが、垂れてそのままになっているのも同じです。職人の仕事は失敗しやすいことというのが決まっていて気をつけないと誰でも同じ失敗をしてしまうものです。だから下手な職人の作るものは似ているのです。このため優等生と違う楽器を作っていても、よくある感じがします。個性的とは思いません。その匂いも1922年に修理した職人がラッカーを使ったのかもしれません。

アーチは結構高さがあります。

しかし周囲に溝が彫られておらず、オールドの感じとは違います。これはザクセンの量産品には多い特徴です。
アンティーク塗装の手法は量産品にしてはちょっと凝っています。不用品として出てきたものですが、ひどく傷んでいないので直せば売り物になるかということで買い取りました。しかし指板がひどく摩耗しており、材質も黒檀ではない正確な木材の名前ではなく「ハードウッド」と言われるものです。これは黒檀に比べるととても柔らかいもので摩耗が早いです。そこで交換しました。そもそも黒檀ではないものが使われている時点で量産品の比較的安い物でしょう。典型的なよく見る感じではありませんがザクセンのものでしょうか?アンティーク塗装がハンガリーかとも思いましたが、後から塗り重ねているようで元が分かりません。

はっきりは分かりませんが、なんか言わなければいけないならザクセンの大量生産品としておきましょう。
アーチの高さについても徹底して管理がされていなかったようです。普通はフランス風のフラットなアーチが一般的で、シュタイナーモデルではわざとらしい台地のようなアーチになっています。これはもともとのラベルにはシュバイツァーの偽造ラベルが貼ってあります。シュバイツァーはウィーンの流派のモダンヴァイオリンの作者でハンガリーでも活動しました。シュバイツァーがどういう物かよくわからずシュバイツァーモデルとして作られたのでしょうか?ドイツ語圏では有名な作者なので高いアーチにしておけばいいと思ったのかもしれません。シュバイツァーはイタリア的なアーチのモダン楽器ですから見当はずれです。

2番目


これはいくらくらいするヴァイオリンでしょうか?




新品のヴァイオリンです。メーカーから買った値段は4万円ほどです。それに駒や魂柱、弦などを取り付けて販売します。
たぶん中国製でしょう。それでも4万円でヴァイオリンを売れとなったら私なら何か月もかかります、ワーキングプアもいい所です。一日に60時間くらい働かないといけません。
戦前のザクセンの最低ランクのものに比べるとはるかにきれいにできています、機械の性能が向上しているようです。
そのうち機械のほうがキレイにできて、人が作る方が「味がある」なんて言うようになるかもしれません。でもスクロールなどは人が作る方が綺麗です。綺麗ではないのでハンドメイドだと言われればそのようにも見えませんか?

付属品の取り付けの費用の方が高くつき、販売価格は10万円以上にはなるでしょう。2台買いましたが、機械で作られているとはいえ、加工した駒や魂柱は2台で付け替えることはできませんでした。魂柱の長さと駒の脚のカーブが合いません。全く同じということも無いようです。やはり、ヴァイオリンというものは一台一台職人がセッティングをしないといけません。

3番目


今度のものはどうでしょう?



これはハンドメイドで2000年に作られたものです。10万円のヴァイオリンよりもむしろ汚らしいくらいです。
スマホの小さな画面ではわかりにくいかもしれませんが、現物を見れば一目瞭然です。ヴァイオリン製作学校の生徒のものよりも仕上げのクオリティが落ちます。作者について調べてみるとこの時点で20年近いキャリアがあるようです。

ヴァイオリン製作学校より質が落ちるということですが、どう考えますか?
学校という所はちょっと考え方が古かったり、現実離れした理想や建前を教えたりするものです。だから学校の方がレベルが高く、プロの職人が作る方が質が低いというのはありえるでしょうか?

チェロではそういう事がよくあります。ビジネスとして成立させるためには雑に作らないとやっていけないからです。学校では生徒に給料を払いませんから。

そうすると初心者が作ったヴァイオリンよりも低いレベルのものがプロの職人のものとして売られているということです。世の中はそんなもんですよ。子供に勉強を教えるとなると自信が無い人も少なくないでしょう。

それに対して、この手の職人は意見を言います。「ヴァイオリンは音がすべてで、見た目は重要じゃない」と。なるほど正しいですね。
この楽器を見る限りでは何か音が良くなるような工夫をしてあるようには見えません。最初に教わる現代風の作り方で仕上げの完成度を落としただけに見えます。見た目を軽視した代わりに音を重視してるわけではないようです。だから、はるかにきれいに作られた一流の腕前の職人の楽器と音は変わらないということです。音楽家は楽器の見た目は気にしない人が多いですし、違いが分からない人も多いです。したがってこの意見は正しいでしょう。
この人は常識のある「良い人」かもしれません。理屈では完全に正しいですから。なぜそこまでやるかというくらい異常なまでに完成度にこだわるのが変人です。アンドレア・アマティなどはド変人です。
このためこのような楽器を作る職人はとても多く、どこの国にでも大量に存在します。



学校では先生がちゃんと仕上がるまでダメ出しをするのに対して、独立した職人をチェックする人はいません。自分で良いと思ったら完成です。他人に厳しく自分に甘い人も圧倒的多数ですよね。

この楽器はよく見ると指板の下はニスが塗られていない所があります。「見えないから塗らなくてもいいや。」と考えたのでしょう。やたら手抜きをしたがる人ですね。自動車でもボンネットの裏は塗装してなかったりしますからその方が正しいのでしょう。

学校のレベルも国によって違います。悪名高い学校はいくつかあります。

ニスはムラだらけでまだらになっています。

かと言ってアンティーク塗装と呼べるようなものでもありません。何のモデルかもよく分かりません。しかしこれだけ手抜きをしたがる人が自分でデザインをするような面倒なことをするでしょうか?
おそらくストラディバリから型を取っているのではないかと思います。デルジェスのような特徴が無いからです。でも全然ストラディバリモデルにも見えません。ストラディバリの特徴も理解していなければ、クオリティも無いからです。ストラディバリはこんな形ではないです。
前回の話です。

f字孔の切り方もいびつです。

塗り方が汚いだけでなく表面もきれいに仕上げていません。表面に凹凸があるとニスを塗った後で研磨すると深くなっている所のニスの層が厚くなり色が濃く見えます。割れたような跡がいくつもあり、豆カンナで削った跡も残っています。オールド楽器ではこういう事もあるのですが、作風が全然違います。現代風の作風で単に仕上げが綺麗じゃないというだけです。

ニスを塗るときは初心者は必ずムラだらけになって汚くなってしまいます。それをどうやって克服するかが課題になるわけです。この職人は初心者がする失敗でそのまま自作の楽器を売っています。これは個性と言えるでしょうか?誰もが初めてやるとなってしまうことを個性と言えるでしょうか?

ハンバーグを焼くときに自炊初心者は火加減が分からなくて黒こげにして、中は火が通っていないという失敗をしがちです。玉ねぎの切り方は荒くはみ出ています。それを個性というでしょうか?ヴァイオリン職人もそのようなものです。初心者が誰もが通るしやすい失敗というのは分かりきっています。それを職人が見ればすぐにわかります。

裏板は着色していません。ニスの色ムラの方が大きいので杢の横縞模様がはっきり出ていません。着色しない場合はムラなくニスを塗らないと木材の美しさが出ません。

量産品などは木を染色してあることが多いです。このため染色してあるのは安物みたいに考える職人もいます。しかし、染色はとても難しく、上手くやるととても美しく見えます。モダン楽器ではフランスやイタリアでも着色はされていることが多いでしょう。ストラディバリでも着色しているように思います。私が初心者に教えるなら着色しないやり方を薦めます。綺麗に染めるのは難しく、失敗すると染みを取ることができず取り返しがつかないからです。中途半端な着色もかえって杢が弱くなってしまいます。
地肌が白いためにオレンジ色のニスのムラが目立ちます。オレンジのニスの層の薄い所は黄色く目立つからです。私は下地に色も付けますし、色はもう少し落ち着いた琥珀色を好みます。黄金色ではなく明るい所が黄色く目立つと目がチカチカするからです。またアルコールニスではこのようなムラができやすいです。この問題を解決するために私はオイルニスを開発しました。

間違いなく手作りですし、ニスも天然樹脂のアルコールニスです。手作りでニスも天然のものをスプレーではなく手で塗っています。スプレーではもっときれいになります。10万円のヴァイオリンのほうがニスはきれいに塗れいています。手塗りでもニスだけを担当し熟練した作業員がいるからです。値段をいくらで売っているか知りませんが、ハンドメイドということで150万円~200万円位つけてもおかしくありません。

私が経験したのは、学校よりも職場のほうがさらに完成の基準が厳しく学生よりも高いレベルが要求されました。工房によっても全く違います。学校より低いレベルの楽器を作る工房に弟子入りする意味があるのかわかりませんが…。

でもビジネスとして成功しているのは、親方の人柄が良いのかもしれません。腕に自信のない従業員も仕事が楽で良いですね。他の産業と同じです。仕事が楽で給料が良ければ最高です。
世にあるヴァイオリンの多くはこんなものです。
一般に職人は低学歴で他に能力が無い人が就くもので、楽器職人も演奏家になれなかった人がなんとなく応募します。だから手先が器用でも何でも無い人が多くいます。音のことばかりを言って演奏家のお客さんの信頼を得ますが、楽な方に流れる人が音について取り組んでいるかもわかりません。口でいかに音が良いか力説することでしょう。しかし作りが平凡なら音は好き嫌いにすぎません。必ず試してから判断してください。買った人は音が良いと思ったようです。しかし他の人も同じように感じるとは限りません。

現在は自由主義の社会のなのでどんなものを作っていくらで売っても自由です。各自が作りたいものを作るだけです。何の保証もありません。買う方も好きなものを買うだけです。世界一とかそういうものではありません。

4番目


これはどうでしょう?




明らかに古い感じがします。しかしオールド楽器よりは新しい感じがします。アーチはフラットです。

フラットなアーチであれば鳴らすのが特別難しいことは少ないでしょう。
このヴァイオリンはウィーンの作者のラベルが貼られていますが、明らかに印刷と見らます。それもハンコのように活版印刷でラベルが作られているのではなく、本の写真をコピーしたような感じです。細かいドットが見えます。したがって何の情報にもなりません。
以前にもザクセンのモダン楽器として保険が掛けられていたようですが、それで合っていると思います。もっと詳しく見るとクリンゲンタールのホプフ家のものに似ています。ホプフでもダビット・ホプフのようなオールドではなく、見よう見まねでフランス風のモダン楽器の影響を受けているような感じです。しかしホプフはオールドの時代からフラットなアーチなので急激に作風が変わったとまではいきません。モデルはホプフ家の独特な四角いものよりもストラド的になっています。f字孔はもともと巨大でした。

ザクセンの楽器なら高くても100万円を超えることはなかなかないですが、大雑把に1800年代の中ごろのものでアーチはフラットで古い楽器の音がすると思います。これもクオリティは全然高くありませんが、新品よりははるかに貴重です。それで100万円もしないのですから。

これは面白い楽器です。フランスの楽器製作の影響をしっかりと受けていないので雰囲気が近現代の楽器と違います。
これから売りに出すものです。

表板は前の持ち主の時にうちで修理したものです。もちろんそれ以前にも修理されていました。
今回はコーナーを直します。

木片を取り付けます。

コーナーを整形しますがとても難しいです。
元々の形が独特ですし、エッジがかなり摩耗しているのでコーナーだけ新品というわけにもいきません。多少は摩耗したようにしないといけませんが、やりすぎると直した意味がありません。

ニスも補修するとこんな感じです。
少なくとも修理を任せるなら、さっきの職人に任せないほうが良いでしょう。楽な方に流れるからです。もともと修理されていたコーナーもクオリティがひどかったので私がやり直しました。プロの職人でもまったくクオリティがちがいます。

楽な方に流れる下手な職人というのはすることや考えることが似ています。このためよくあるような雰囲気になります。形がお手本とは違うものでも、珍しい印象は受けません。これも生産国によっては楽器店の営業マンが「個性がある」と良いように言って高い値段で売ることもできます。ウンチクなどはどうにでもなります。

私はこんな経験をしているので、「正しい意見を言う人」をうさん臭く思うようになってしまいました。一生懸命何かをやろうとしている人は、上手く説明できないもどかしさがあったとしてもおかしくありません。IT起業家などの「綺麗なプレゼンテーション」を聞くと一気に冷めてしまいます。ノーネクタイでスーツにTシャツ、白いスニーカーを履いて見た目も型にはまっています。上海のビジネスマンでも同じ格好です。


ともかくお手本通りきちっと作られた楽器でも全体の中では少なく多くの職人に堅実な買い物をしたなとは思われるでしょう。
しかし音については、好き嫌いでしかありません。10人中10人が音が良いと感じるわけではありませんし、音が悪いと感じることもありません。
科学的に測定することもむずかしいでしょう。測定する以前に「音が良い」ということを定義づけることが難しいでしょう。


絵画でも値段が何億円とかするというとすごい絵だと思う人もいるし、私はあまり好きではないと思う人もいます。どう思うかは自由です。同じように絶対の楽器の良し悪しの評価などはありませんし、従う義務もありません。こういう話は当たり前のことですが、企業が発する情報としては聞かない話でしょう。個人の心の中では思っている人も少なくないでしょう。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを作っていく様子をお届けします。音についても製作中にどれくらい考慮できるのか説明していきます。「音を作る」というのがいかに大雑把で漠然としているか分かってもらえると思います。

まずは設計から。
ビオラなどを作る時は、お手本とする楽器がちょうどあるとは限りません。ビオラは大きさがバラバラだからです。ヴィオリンの場合には豊富な中から選べるということもありますが、ちょっとマニアックな作者になると簡単ではありません。
そこでモディファイが必要です。今回はやや小型のヴァイオリンにするため以前作ったピエトロ・グァルネリのモデルを小型化しました。小型のオールド楽器は少なくありませんが、小さければいいというのではありません。
もともと355mm程度あるものを350mmほどにしました。その時横幅はほぼそのままです。
設計図をプラバンで挟んで釘で位置を固定しあてがってみて、木枠や裏板表板などが正しく加工されているか確認できるようにします。

ヴァイオリンは設計図に対して正確に作るのが難しいものです。表板や裏板は横板よりも数ミリ大きくしないといけません。オーバーハングと言って横板よりも張り出している部分があります。ギターにはこれがありません。
横板を曲げたときに誤差が出てオーバーハングが小さくなりすぎても大きくなりすぎてもいけません。このため内枠式では初めに横板を作ってからそれを基準に裏板や表板の形を決めます。横板を正確に曲げるのは難しいため最初の設計と誤差が出ます。チェロではとても大きな誤差となり、完成品にも歪みがはっきりと表れます。左右が違ったりするのはそのためです。

同じストラディバリやグァルネリのモデルで作っているのに全くそれに見えないのはこのような誤差が原因です。ヴァイオリンの「個性」とは同じ設計図で作っても違うものが出来上がってしまう事にもあります。だから加工の正確性が重視されます。加工が正確でないと設計の通りに作れないからです。狂いが出て変な形になったものを「個性」と貴んでいると職人からするとばかげた話です。個性では無く精度が低いだけなのです。量産品と変わりません。横板を完璧に加工することが職人の腕の高さを表すわけです。横板を曲げるのが不正確だと膨らんでしまい、木枠と隙間ができます。このため設計よりもだらしなく膨らんでしまうのです。またコーナーの部分も帳尻を合わせるのが難しいものです。微妙なカーブが出ずコピーではオリジナルと別物になってしまう原因です。

この問題を解決するのは簡単ではありません。一つの方法は外枠式です。これは19世紀のフランスの楽器製作の特徴でした。外枠式の場合には型に従って裏板や表板を作っても横板は枠以上大きくならないのでオーバーハングが不足することがありません。
このためフランスの楽器は完成度が高くきれいに見えるのです。量産品でさえ、他国のハンドメイドの楽器よりも輪郭の形が整って見えることもあるほどです。これが現在では災いすることもあります。ネットで写真だけを見ると安価なミルクールの楽器が高価な楽器に見えてしまうほどです。ネットで楽器を買う怖さです。

一方で外枠を作るのが大変で、違う設計のものを作るのに向いていません。同じものを完璧に作るのに向いています。このような木枠の違いもフランスの楽器製作の思想を物語っています。逆に言えば、フランスのように突き詰められた技術的な違いが無ければどこの国でも同じようなものができてしまいます。誤差が同じように出るからです。

これに対して私は内枠でも外枠と同じくらい正確に加工できる方法を考案しています。仕様を変えるに適しています。

今回作った木枠です、木枠を設計通り正確に作るのも難しく歪みが始まります。これを作る段階でもさっきの設計図にあてがって正しく加工できている確認しながら仕上げて行けます。周辺には穴が開けてありそこにクランプを固定して横板を抑えます。その時に紹介しますが、実質的に外枠式と同じように機能し、絶対に設計図よりも横板が膨らむことがありません。

私はやってみて誤差が出やすいのはミドルバウツです。ここはカーブの向きも逆なので厚みを増して横板の誤差が生まれないようにします。これなら、横板の誤差が最小なので、型に従って裏板や表板を加工しても横板と合わなくなることが無いというわけです。裏板や表板を正確に加工しているか確認するために、設計図にあてがえるようにしました。紙がむき出しだと擦れてしまうのでプラスチックに挟んであります。

オールド楽器のコピーを作る場合には正確性が普通の新作以上に問われます。新作なら歪んでも「俺の作風だ」と言い張ればいいのですが、誤差が出るとなんだかわからなくなってしまうからです。ストラディバリは誤差だらけですが、それをアドリブで整えて作ってあります。ストラディバリにとっては設計図は目安にすぎません。しかしそれのコピーを作るとなるとアドリブの結果を正確に再現しないと違うものになってしまうのです。

「設計図→型→枠→横板→輪郭の形」とすべての工程で少しずつ誤差が出ます。それを「設計図→輪郭の形」としました。これで誤差が著しく少なくなるはずです。

このような方法で横板を正確に加工しなくてはいけないというプレッシャーから解放されます。精神論ではなく技術で問題を解決するのです。
横板を正確に加工しなくてはいけないという教えは、楽器製作の態度にも影響するでしょう。0.1mmの誤差もなく作るのが至高という考え方では細かい所ばかりに意識が行ってしまいます。音に明らかな違いが出て来るには大きな違いが重要です。細かい所を「パーフェクト」に作っても全体としては的外れかもしれません。0.1mmまで正確に作ってもそれが正解かどうかわかりません。失敗したほうが音が良いかもしれません。実際には不真面目な職人の方が多く、いい加減に作られていて品質も音もバラバラでしょう。正確に作れば音のばらつきも少なくなるはずです。

そのような考え方では、好みによって音やスタイルを変えることができなくなるでしょう。工業製品としても硬直し創造性がありません。消費者に魅力的なものを作るという視点が欠けています。伝統工芸が衰退していく原因です。


裏板は一枚板です。2007年に購入したものですでに何年か経っていたはずです。当初は大きなノコギリの機械で製材したはずですが歪みが出ているのでカンナで削って平らな面を出します。

裏板には板目板の一枚板を用います。板目の一枚板は珍しい方ですが、私は多く作っています。材木の皮に近い方です。一般的な柾目板とは向きが90度違うので物理的な柔軟性も違います。野球のバットでも持つ方向が決まっていて、マークがついていて分かるようになっています。これを間違った向きに持てば飛距離も出ないというわけです。このように確実に物理的な違いがあります。つまり柔らかいということです。
これまでも板目板で作ったものは味のある音で印象深いものができました。柾目板で板の質にこだわっても違いは分かりませんが、板目板は違うようです。板目板の木目の不規則な様子が面白いものですが、几帳面で厳格な職人は嫌うかもしれません。このような板をチョイスする時点で目指すものが違うのかもしれませんが、本当に音が違うのかサンプルとなるでしょう。楽器の音が違う原因が何なのか特定するのは難しいですが、ひとつでも多く板目板の楽器を作って音に規則性があれば木目の向きの違いが有力な根拠となるでしょう。板による音の違いは法則性が分からないことの一つですが、板目板は違う音の楽器を作るためにできる数少ない選択肢の一つです。

一方オールド楽器では板目板はよく使われていましたが、アマティやストラディバリもランダムで用いたようで特に思想があったわけではなさそうです。ピエトロ・グァルネリも様々な木目の板を使っていて「らしい板」というのもありません。はっきり特徴があるのはヤコブ・シュタイナーのバーズアイメイプルで、鳥の目のような模様がたくさんあるものです。これも板目板の一種です。
一般論としては板目板はオールド楽器でよく使われ、近現代では少ないものです。一枚板自体がかつては珍重されていたようです。材木屋では一定数発生するので楽器も一定数作られてきたようです。今では好みです。少なくともヴァイオリン製作学校で教わる時には使わないでしょう。一般的ではないからです。

平面ではこんな感じですが、これにアーチが加わるとさらに場所によって木目の断面の向きが変わります。特に高いアーチでは面白い模様となるでしょう。


表板は2枚のものを張り合わせます。鉄製の大きなカンナは1950年代のイギリス製のもので調整に苦労したものですが、以前に使用したそのままで数回削るだけで接着面が完了です。ジョイント部分はトラブルの原因でもあります。指板やテールピースで隠れていて知らないうちに重大な故障が起きているものです。それがわずか数分の作業で完璧に加工できるのですから、道具の調整がいかに重要かということです。


表板は不規則で木目の幅が広い所と狭い所があります。これくらいの方が出来上がると表情が出るでしょう。一般論として木材は均質のほうがランクが高くなります。しかしきれいすぎて面白みがありません。

まだまだ続きます。
楽器の作風は気持ちや文化など精神論で決まるのではなく、技術的な根拠があるものです。今度は違うものを作ろうと思っても工程が終ってみるといつもと同じものになってしまいます。自分の意志ではなく作業の手順や使う道具によって決まるのです。加工精度が落ちるとゆがみが生じます。同じ原因で生じたものなのに、安価な製品では粗悪品と評価され、高値がついているものでは「個性」と評価されるのは技術者としては理解できません。我々にとってはそのようなウンチクは「たわごと」にすぎません。

今回の話で音について違いが出る可能性があることは、胴体のモデルと裏板の木目の向きです。
しかしながら何線のどの音がどうなるかまではわかりようがありません。小型のモデルでアーチが高くても窮屈にならないようにと設計したに過ぎないのです。音を予測して寸法を計算することなんてできません。木材の塊の段階では叩いても板が厚すぎて音は分かりませんし正確に音を予測することはできません。それを分かったような顔で語る人の方がはるかに危険です。

理屈では裏板が板目板のほうが柔軟性があり、過去の経験でも低音が出やすい「暗い音」になったイメージがあります。音も柔らかくなるでしょうが、アーチの高さによってダイレクトさを感じられるようになれば良いです。高いアーチと板目板の組み合わせがポイントです。予想通りになるのかは出来上がってみないことにはわかりません。可能だとしてもそれくらい大雑把にしかイメージできません。それでも高いアーチは作ってはいけないというのが常識ですし、板目板も珍しいものです。常識に比べたら違う音のものができる可能性がはるかにあります。













こんにちはガリッポです。

弦楽器はメンテナンスが必要なものです。日常生活で定期的に修理に出すようなものはあまり多くないかもしれません。普通は10年~20年もすれば新しいものを買うからです。
一つは500年前に設計されたものであること、製品の寿命が長いので手入れを続ければ何百年も使えるということでもあります。

弦楽器でも痛みや汚れ方には個人差がとても大きいです。1年でも「荒れ放題」になる人もいれば20年使っても新品のような人もいます。

音や演奏に関わる部分と見た目の美観に関わる部分があります。もし見た目を綺麗に保ちたければお金がかかります。それも長く放置するほど直すに余計にお金がかかるようになるわけです。


特にチェロのエッジは傷みやすいものです。横にして置くからです。しかしかと言って金具をつけたりゴムをつけたりすることはありません。壊れたら元のように直すだけです。

このヴァイオリンも修理しました。これは運よくマッチする古い木材があったのでうまくいきました。普通はこんなにうまくいきません。しかし新しくつけた木材も数年もすれば古くなっていくことでしょう。

特に難しいのはエッジの部分のニスが剥げているように作られたものです。新しくつけた木材が白すぎるのですが、ニスの色を他の部分と合わせることはできても、木材の色を合わせるのは難しいからです。

持ち主は壊れたエッジには自覚症状があってもニス全体が汚れていることには気づいていません。毎日少しずつ汚れや傷みが進んでいくからです。

せっかく壊れたエッジを直すなら、ニス全体もきれいにしたいところです。この作業がエッジの修理よりも手間がかかることがあります。お客さんはエッジが壊れたことに心を乱していて、ニスの汚れには意識が働いていません。

このためエッジの修理よりもニスのメンテナンスに手間がかかることがあります。

エッジの修理は予想外にうまくいきましたがこの楽器では裏板下の方ニスがはがれていました。1990年代にアンティーク塗装で作られたもので初めからこのように塗装されたものです。しかしニスがはがれた様子を模した部分のニスが薄くて層が無くなり地肌が露出しているのです。フルバーニッシュなら20~30年でこんなふうになることはないでしょう。
エッジの修理は3日も有れば十分でしたがこれは厄介です。

表板も横板も同様です。ニスがはがれたように塗装してある所のニスが薄くて地肌が露出しています。現代のハンドメイドのアンティーク塗装の楽器にはよく見られるもので、製品としての耐久性も考慮されていないようです。現代美術と同じでできた瞬間しか考えていないようです。
このようにニスの層が薄すぎるアンティーク塗装の手法があまりにもよく見られるので私は「流行の手法」と考えています。
理屈で考えればニスがはがれている部分を修復するには新しい楽器にニスを塗るのと同じだけ塗り重ねる必要があります。新作なら乾燥させるのも含めて1か月かかってもおかしくないでしょう。それくらい大ごとなのに持ち主は頭にありません。
すぐに演奏を再開したいようです。

そこで応急処置をするのですが、3日あるなら2日で数回ニスを塗って最後の日に磨き上げれば美観としては完成します。
ところがこの楽器では皮脂などが木の表面にこびりついているせいか、ニスを弾いてしまって塗っても塗れないのです。このためあの手この手で20年の経験で得たトリックをフルに投入します。試してはダメ、試してはダメで3時間作業をしても何も変化が無いどころかもとより悪くなっているのではないかということもあります。
何も進展しない作業時間も修理代金として請求すれば数万円になります。その末にできたニスの光沢もとても薄く危ういもので、すぐに失われるでしょう。また次に修理に持ってきてもまた同じことの繰り返しです。
はじめからちゃんとニスを塗って作っておくべきで、罰として作者本人に修理してもらって欲しいです。

ニスのメンテナンスについてはうちの工房では、駒や魂柱交換などの修理があるとサービスで行ってきました。しかし実際には駒や魂柱交換よりも手間がかかることがあります。代金としてすべての作業を請求するととんでもなく高価になります。駒が傷んで交換を依頼した場合にとんでもない高額な代金が請求され騙されたと思う事でしょう。
この辺があやふやなのが問題です。サービスが無償になってしまう温床です。

「ちょっとニスを綺麗にして」と指示されてもちょっとだけきれいにするというのができません。汚れを擦るとニスの質が悪かったり、風化しているとニスごと剥がれてしまいます。

ニスには見た目に限っても主に「色」と「厚み」と「光沢」の3要素があります。修理する場合にはこの三つを他の部分とマッチするようにしないといけません。
厚みを稼ぐのは耐久性のためにも必要ですが、ヘコミなども穴となりますで、厚みを稼がないといけません。これはとても時間がかかる一方、古い楽器では無数にヘコミがあるのが普通なのでそれほど気になりません。メンテナンスで特に問題なのは光沢です。弦楽器は表面がピカピカに磨かれていることで完全な状態となります。なぜそうなのかははっきりしませんが、紳士靴と同じです。同様の上流階級の文化だったはずです。つまりピカピカに磨くのは個人の趣味だけでなく礼儀作法のようなものでしょう。ウィーンフィルのニューイヤーコンサートでは楽器がピカピカになっています。その日に向けて手入れが行われているからです。

光沢があるのはニスの表面が滑らかであることで、光が反射してそう見えます。ニスが無くなっていれば光沢は無くなってしまいます。ニスがあっても表面が細かい凹凸で覆われているとすりガラスのようになります。その原因はいろいろあります。ニスが風化したり、しわができたりして光沢が失われることがあります。新しい楽器のアルコールニスなら一度は滑らかな表面に仕上げたものもアルコールが蒸発して痩せ、下地の凹凸や研磨した跡が浮かび上がってくることもあるでしょう。皮脂や松脂などの汚れが表面に付着していることもあるでしょうし、水分と反応して曇ってしまうこともあります。柔らかいニスなら手で触っただけで光沢が無くなるものもあるでしょう。

再び光沢を取り戻すには表面を「研磨する」、「溶かす」、「上から何かを塗る」などが考えられ、またそれらを組み合わせることができます。アルコールニスならアルコールで表面を溶かすことで滑らかさを取り戻すことができます。しかしアルコールが蒸発するとまた光沢が無くなってしまうかもしれません。
研磨する場合は丈夫でしっかりしたニスほど効果があります。ラッカーやアクリルのようなニスではアルコールではあまり溶けないため研磨剤の方が効果がある場合があります。スプレーで分厚くクリアーが塗られた安価な楽器では塗りたてのようなピカピカにすることができます。そうなるとかえって安っぽく見えてしまうもので困ったものです。
オイルニスも成分によってはアルコールに溶けないことがあります。ニスの質が丈夫なら研磨すれば光らせることができますが、もろくなっていると研磨剤で擦ってもボロボロと剥がれていくだけです。消しゴムの様な表面をイメージするのも良いでしょう。この場合は上から何か塗らなければいけません。モダン楽器ではこのようなケースは多く、オリジナルのニスがむき出しになっているのではなく何かが塗られていることが多いです。それも年月が経って剥がれ落ちていることもよくあります。

一つの例としてはまず汚れを取り、細かい研磨剤で下地をできるだけ滑らかにすること、その上にごく薄いアルコールニスをフレンチポリッシュという手法で塗布するなどが考えられます。完全にニスが失われているところは塗って厚みを稼がないと使用中や次に掃除したときになくなってしまいます。
もっと多がかかりな修理では上から全体にクリアーのニスを塗ります。一度塗っておけばしばらくは新品の楽器のようにメンテナンスも楽です。


さっきのチェロは戦前にシェーンバッハ(現在のチェコのルビー)で作られたもので300万円はするなかなかのものです。15年は放置され荒れ果てていてました。エッジがボロボロになっていたので師匠が今直さないともっと修理代が高くなると説得して修理を開始しましたが、ニス全体の方が手間がかかります。これも無償のサービスになってしまうのでしょうか?
このチェロではニスを弾くことはなく剥がれた部分に薄い層で塗って磨き上げるだけで光沢が戻りました。しかしニスが残っている部分で汚れがひどくこれを取るのに時間がかかりました。汚れがこびりついているのに激しく擦ればニス自体がはがれてしまいます。このため優しく長い時間擦らないといけません。チェロは面積も大きいですから、作業時間は莫大になります。

メンテナンスの方法は楽器によって違い、その都度いろいろ試してみないといけません。自分の会社の製品ではないからです。やり方をマニュアル化することができないのです。そうなるとやった作業が無駄だったことも出てきます。

このチェロでも行ったのは応急処置でしかないのでまた次も同じことの繰り返しです。

皆がニスのメンテナンスを甘く見てきたせいでビジネスとして成立していないのです。これを成立させるためには、長い修理期間と金額をかけてしっかりと修復すること、修理のノウハウや材料を開発することが必要だと思います。私が東京でその専門店を作っても仕事は十分にあるでしょう。しかし現状では何かの片手間にやっているにすぎません。
一方量産楽器ではもっと簡単な方法も必要でしょう。現状では量産楽器用に特別な修理法は無く骨董品のような高級楽器と同じような修理を施しています。何台も一度にスプレーでバーと吹き付けておしまいとするような作業場が必要です。


90年代にハンドメイドで作られたヴァイオリンですが、物は悪くはありません。アマティのような丸みとストラディバリモデルのようなサイズ感もあります。何かのコピーではなく作者自身のモデルと言ってもいいかもしれません。現代の職人が形を整えていくとこうなるでしょうね。逆に言うとこうにしかなりません。今の腕の良い職人がデザインすると欠点が無く整っていくだけで、オールドのようなへんてこなものはできませんね。
しかし問題はニスの薄さです。荒い木目の表板に年輪の凹凸が残る仕上げになっているので擦れてはがれやすいのですが、陰影をつけるという手法色分けしてぬられています。

ニスがはがれたところも突然そこだけ剥がれているようで不自然です。作風も現代的でおよそオールド楽器には見えません。

何か実際のオールド楽器を観察して塗装したのではなく、手法としてのアンティーク塗装を頭で考えたからでしょう。

私はこのようにニスがはげたところを薄く塗る「陰影をつける」というのとは違います。オリジナルのニスが残っている所のほうが少なく、ニスがはがれたところの方が多いという設定です。このため剥がれている部分もちゃんと塗っています。そっちがメインのニスです。

ニスは薄い方が音が良いという人もいますが、そのような楽器を買う場合メンテナンスの代金を確保することを忘れないようにしてください。「3時間作業しても進展なし」という修理を毎回やることになります。その分の代金を貯金しておいてください。

これはモダン楽器などでも言えることです。100年くらいすると風化してもろくなっていたりして、汚れを取ろうとするとニスまで剥げてしまいます。このためこれ以上オリジナルニスが損なわれないためと、光沢を保つためにコーティングを施す必要があります。このような処理をすれば音が多少は変わります。音がどうなるかなどは分かるはずがありません。美観を保つために施す作業だからです。これで「以前より音が悪くなった」と職人の腕を低く評価されたらたまったものではありません。以前より音が悪くなってもトータルとしてはまだまだ新作楽器よりも鳴りが良いと考えるべきです。物事が一長一短であるというのが「技術的な思考」というものです。

このためにも、音は関係ない弦楽器の美容整形として営業できればいいのですが。

一方フルバーニッシュのニスでは修理はとても大変です。新しいうちは傷がとても目立つのです。表面が滑らかに仕上げられているとヘコミが目立ちます。へこんだところにニスを塗るとそこだけ濃く見えてしまいます。穴を埋めるのは容易ではありません。作業がシビアであるだけでなく日数もかかります。フルバーニッシュでニスの層が薄いと「沼」です。そういう意味ではアンティーク塗装のほうが楽です。人工的に傷をつけた楽器では、その傷が一つ増えるだけだからです。しかしアンティーク塗装でもニスの層が薄く、すでに「100年経った状態」ではメンテナンスもアンティーク楽器並みに大変です。肩当無しで弾く場合もメンテナンスの修理期間を覚悟しておく必要があります。

誰もがニスを軽く見ている事が大きな問題です。正当な修理代を請求すればあまりに高額でヴァイオリン工房に訪れることすらためらわれるかもしれません。一方職人の仕事は複雑多岐にわたりニスの補修だけに専念することも難しいです。また同時にたくさんの楽器の補修をしようとすれば、頭の許容量を超えてしまいます。一つ一つ全部やり方が違うのですから。どれのどこをどう直していたかも忘れてしまいます。





こんにちはガリッポです。

カルトというと日本では新興宗教が大きな事件を起こすなどイメージの悪い言葉ですが、趣味の世界では熱心な愛好家を意味することがあります。映画、音楽、ファッションなど様々な分野で熱狂的なファンがグループのように集まることもあります。工業製品などが若者を中心に大ヒットし伝説的な名品となることがあります。80年代に日本メーカーの電子楽器がミュージシャンの間で人気となり沢山の名曲が作られました。そのような製品はカルト的な人気と言われるものです。製品はメーカーによって改良され新製品ができても、その時のモデルが定番となり使いこなしや改造の仕方なども定着します。
自動車に詳しい人ならトヨタの「ハチロク」などは名車というよりもカルト的な車と言えるばわかるでしょう。1983年に発売されたもので単に中古車の値段が高くなっているだけでなく、修理や改造の部品が作られ今でも愛好家がいます。他の国にも同じような対象になっているものがあります。性能ははっきり言ってたいしたことはないでしょう。もちろん重役や政治家が乗るような高級車ではありません。しかし漫画や映画にも登場し文化の域に達しています。ハーレーダビットソンのバイクでもレースをやるような人からは「性能が悪い」と切り捨てられるでしょう。しかし改造部品などがたくさんあって文化になっているようです。日本の場合には車検制度があるので好き勝手なことはできませんが。単に名車というのなら製造当時のコンディションにできるだけ近づけることがクラシックカーの趣味です。そうではなくて遊び方も追及されているものです。究極的に優れているのではなくその時代に「ちょうどいい」というのもヒットの所以です。

そのようなことも趣味である以上無視することはできません。楽しければいいのが趣味ですし、部品や使いこなしのノウハウがファンの間で蓄積されていることは製品以上の魅力です。未完成だからこそ遊べるということもあります。むしろ趣味の世界はそのようなことが多く、客観的に製品が優れているかどうかではなくひいきのブランドやメーカーが決まっているという人も多いでしょう。何かしらのあこがれや外国への憧れもあるでしょう。全く製品そのものについては語られていないことも多いです。

このため私が、値段が高いのに特に優れたことが無いという理由で近代以降のイタリアの楽器を悪く言うならそれもまた偏った視点となってしまいます。イタリアの楽器の良さは素直に作られていることもあります。どの街にもヴァイオリン職人がいて作ればイギリスやアメリカに輸出することができたようです。ヨーロッパ大陸の人たちとは違いイギリス人やアメリカ人の趣味が「カルト」というわけです。フランスならミルクールで職人が選抜され、腕の良い職人だけが一流として認められたのに対して、仕事が無くてぶらぶらしていたような人でも街のヴァイオリン職人に教わればたちまちマエストロとして輸出され生計を立てることができたわけです。人よりも優れたところを見せようという部分が無いのがイタリアの楽器です。ミルクールなら予選落ちするような楽器も作ることが許されたのです。現在では作者について書かれた本も多く、作者の素性や作風の特徴も分かるようになっています。これがイタリア以外の作者ではほとんど資料もなく知識として知ることもできません。お金にならないので誰も興味を持たないからです。
流派の系譜や作者の歴史なども本によって読むことができます。これが趣味として楽しめるのならそれもまた趣味でしょう。同じように作られた楽器でもイタリア以外の作者なら素性が全く分かりません。このように「モノ語り」を楽しむのが趣味としては主流なことです。本当にわかっている人から見れば邪道にすぎませんが人生は人それぞれで大きなお金を動かすストレスの多い仕事をしている人もいるでしょう。私はそういう本の文章はほとんど読まず楽器の写真を見るだけです。皆さんの方が詳しい人がいるでしょう。誰かの弟子だという文章も、作風を見比べて何を学んだか判断するようにしていますが、一般の人は文章だけがよりどころになります。演奏家でも有名な演奏家のサマーレッスンを数日受けただけで「〇〇に師事」とプロフィールには書いてあるものです。

そういう意味で「カルト趣味」というわけです。
このようなことがあってもいいとは思いますが、あくまで特殊なマニアの世界という事であって音楽を勉強しようとか子供に教育を受けさせるという人では関係のないことです。誰もがカルト趣味に興じる必要はありません。それがスタンダードになっているということは日本の弦楽器業界は新興宗教のような「カルト」に陥っていないでしょうか。およそ良識があるとは言えないものです。一方カルト趣味なら道楽として楽しめるほどのノウハウもないことも私が失望しているところです。

一般論としてはカルト趣味はアンダーグランド、サブカルチャー、カンターカルチャーなど、社会の主流である大人の上流階級の趣味に対抗するようなものです。多数派を占める伝統的な宗教に対する新興宗教のように、文化の世界でもクラシック音楽などは彼らに憎まれる存在です。社会通念として良しとされる「クラシック音楽」の世界ではカルト的な人気なんてのはおかしな話です。そういう意味では本当にイタリアのモダン楽器に熱狂的なファンがいるかどうかも不明です。

しいて言うなら90年代の古楽・バロック音楽などは伝統的なクラシック音楽に対してカルト的な動きだったでしょう。かつての優雅な上流階級の趣味、モダン楽器での演奏は否定され、甘やかされた装備のないバロック仕様の楽器で過激な演奏がされました。
今ではかなり認められるようになり、指導者が増え徐々に音大などでもバロック奏法が教えられるようになってきました。
今でも古楽演奏がマイナーであることには変わりはありません。演奏会でも尖ったファンというよりはお客さんは高齢者ばかりです。真の古楽マニアはさらに少数ということです。

ヨーロッパでは中世をテーマにしたイベントやお祭りがあります。ドラゴンクエストのような世界観の格好をしたり、ケルト文化とかよくわかりません。弓矢や剣などは子供にも人気です。日本ならファンタジーのコスプレです。ただ中世とバロックは全然違います。


私は主義主張は持たない主義です。…矛盾してますね。臨機応変であることが可能性を生み出すと思っています。ともかく長期的に何かの熱狂的なファンになるということがありません。だから私には理解しにくいこともあるでしょう。

カルト的な人気の作曲家はJ・S・バッハですね。私はバロック音楽のファンなのでバッハがほかのバロックの作曲家に比べて特別だという違いが分かりません。特に鍵盤楽器を弾く人にとっては特別なものがあるのかもしれません。最近は古典派と呼ばれている時代の音楽に興味があります。これもどの作曲家も同じような曲調でモーツァルトだけが違うということは分かりません。ベートーヴェンにクリソツな知られざる作曲家もどうもたくさんいるようです。これから発掘が進むのでしょうか?

熱狂的なファンというのは自分の暮らしの中で目にしたものに深く感動してたちまち虜になってしまうというようなプロセスなのでしょう。わたしはいったん立ち止まって世界の全体像を把握したくなってしまいます。

ミルクールのヴァイオリン



こんなヴァイオリンが持ち込まれました。いわゆる倉庫に眠っていてヴァイオリンをやりたいというので整備したものです。

見てすぐにミルクールの量産品と分かるものです。しかし時代は結構古くて1800年代の中ごろでしょうか?形も19世紀初めの一流のフランスの作者と違います。しかし何か違うものを目指したのではなく単に品質が低いだけです。このためf字孔も個性的になっています。

スクロールも個性的です。一流の職人の品質が無ければ個性的になります。このような楽器が多いので個性的な楽器のほうがありふれていて、没個性のストラドモデルの楽器の方が珍しく感じます。



品質は高くはありませんが、ミルクールの量産品の中でも古い方ですから最低50万円はすることでしょう。こんなものが物置から出てくるというのはさすがヨーロッパです。初心者が使うには格式があり過ぎです。
あごが当たる所のニスが剥げて摩耗しています。あご当てが使わるより前に使われていたようです。

特徴的なのはニスの色ですね。とても濃い色をしています。このような色はフランスの19世紀の楽器にはあります。特にチェロなどで見たイメージがあります。


しかし裏板は赤いニスを上から塗ったようです。下のニスと違いが分かるでしょうか?
縦方向に刷毛を動かした跡も見えます。色が気にいらないので上から塗ったのでしょうか?

横板にはその時に余ったニスが垂れたような跡があります。ヴァイオリンは形が複雑で立体感があるので塗りにくいのです。隅っこで刷毛がしごかれて垂れてしまったようです。
それを良しとしてそのままにしてあるのが不思議ですね。

反対側の横板は赤い丸がたくさんついています。表は赤いニスが塗ってありません。表は指板があったりして塗りにくいからぬらなかったのでしょうか?

それにしてもいい加減ですよね。色が気にいらないからとべちゃッと赤いニスを塗ったようです。昔の持ち主がDIYでやったのか商売人がフランスなら赤いニスということで塗ったのかわかりません。いずれにしても完成度の低さが気にならなかったとすれば、人によってあまりにも違うものです。

今回の修理では、エッジが壊れていたので新しい木をつけました。新しい木では白いので塗装が必要です。

私なら特別凝らなくてもこれくらいにニスの補修をします。

この失敗した赤いニスを取り除いて修復することができるかもわかりませんが、したとすれば大変な作業になるでしょう。これをやった人は楽器に大きな損害を与えたことになります。窃盗のような犯罪では数万円でも逮捕されますが、数万円の損害では済みません。でも気にならない人は気にならないみたいですね。私には信じられません。

ものの感じ方には、何もかも個人差があるものです。
やたら細い指板がついていて、ネックの角度も高すぎます。

指板を削って1mm以上下げましたがそれが限界です、駒はビオラのような高さです。
そのせいか表板も陥没気味です。
あとで行われた処理が何もかも間違っています。とても残念な楽器です。横板も赤いニスの斑点がたくさんついています。なんなんでしょう?

前回の話ですが胴体はメジャーで測って360mm程度です。典型的なフランスのものです。直線距離では数ミリ短いはずです。
ストップは192mmで短いですし、ネックも短くなっています。期せずして私が前回話した15/16の弦長になっています。胴体は大きいですが。

ともかくニスの色が気にいらないからと言って上から別の色を塗るのはやめたほうが良いという教訓です。やはり変な感じがします。分かる人がどれだけいるか知りませんが・・・。

これは売りたいということで持ち込まれたマルクノイキルヒェンの量産品ですがなぜかf字孔の外側以外のニスがはがされています。

裏板も同様です。ヴァイオリンとしての品質も木材の質も悪くありません。しかしニスが無くなっていては売り物になりません。これにニスを塗るのは簡単なことではありません。何十万円もかかるでしょう。
量産品ならほとんど残りません。買い取るならこんな面倒なヴァイオリンはゴメンです。

歴史のある楽器ならオリジナルのニスをはがしてしまえば価値が激減してしまいます。もともとオリジナルのニスが無くなっていたとしても刻まれた歴史が残っていますから、ニスを全部剥がして塗り直すような修理はしないほうが良いです。

ニスについてはいじらないのが鉄則です。だからこそ職人はニスについては高いハードルが課せられると思います。もし変なニスを塗ってしまえばその楽器は救いようが無いのです。ハンドメイドの楽器ではニスの品質に問題のあることがよくあります。ニスも手作りで品質が安定していないのです。

ミルクールのヴァイオリンですが、板の厚みを測ってみると19世紀のものにしてはやや厚めで現代のものに近いようです。木材も古くなっているので20世紀のものよりは深い渋い音がすることでしょう。しかし一流のフランスの作者はもっと薄く作っていますから、安価な楽器ではそこまで管理されていなかったようです。厚い板の楽器、個性的な外観のものはありふれているのです。公平に良い個性や悪い個性と判定することができるでしょうか?

世の中には私には理解できないことがたくさんあるものです。何もかも分かった気にならないほうが良いでしょう。
こんにちはガリッポです。

分かりやすくするために何かに例えると完全には同じではなくて誤解を招きかねません。
どうやってヴァオリン作りを習得するかを上手く例えられると良いのですが…。

炊き込みご飯を作るとします。
決められた材料と調味料の分量を教わって、正確に計量して具をほど良い大きさに切って炊飯器にセットしスイッチを押せばあとは炊きあがるのを待つだけです。これでおいしい炊き込みご飯ができます。これを全く教わらずに自己流や計量せずにやれば、味が薄すぎたり、濃過ぎたり、ご飯がべちゃべちゃになったり芯が残ったりして失敗することがあるでしょう。途中で調整することができないので最初に入れた分量を間違えると取り返しはつきません。

これと同じように寸法を教わって正確に加工すればヴァイオリンができます。初めて作っても十分な音のヴァイオリンができるのはこのためです。一方、途中で音を調整するような工程が無いので、最初の寸法が音を決めます。寸法は師匠もその師匠に教わったものです。どうやってその寸法が決まったかはよくわかっていませんが、その寸法に正確に加工するのが腕の良い職人です。

現実には計測をめんどくさがる不真面目な人が多いです。ヴァイオリンを作るのは炊き込みご飯と違って、はるかに手間がかかり面倒な作業が多いからです。決められた寸法に正確に加工するのさえ面倒で守られないこともしばしばです。

「正解を教わる」のが最短の教育法でしょうが、それでも正確に加工できるようになるのに何年もかかります。店頭で目にするヴァイオリンはこんな感じで作られてきました。

このためプロの教育を受ければ誰でも「プロの音」のヴァイオリンが作れるので個人の差が出ません。音の違いはあっても優劣を客観的に評価するのは難しいためそれ以上音が良いと「誰もが」思うようなものはできません。音を客観的に評価して有名になるような仕組みはありません。

先日も音大生がモダンヴァイオリンを弾き比べていました。さすがにどれを弾いても良い音を出します。自分が使っているのもモダンヴァイオリンで音の出し方も十分に習得しているようです。
代わる代わる違うヴァイオリンを弾いても音が違うことは分かりますが言葉では表せないもので明らかな優劣の差は感じられません。特徴がはっきりしているとあるものは豊かに響き、別のものは高音がクリアーで全体としてはこじんまりとしていたり、一長一短です。多くはもっと微妙な違いです。興味が無い人が聞けば「違いがあるのか?」というレベルかもしれません。ヴァイオリンの音は弾く人が9割、楽器が1割くらいのものです。

プロの教育を受けた人が作ったものなら大抵100年くらいすればよく鳴るようになっていてうまく弾きこなせば良い音が出るものです。皆さんがどんなイメージを持っていようとも現実のヴァイオリンとはそういうものです。巨匠や天才などは幻想です。日本人が見よう見まねで西洋の楽器を作っていた時代なら個人の差が出たでしょうが、過去に西洋で作られたヴァイオリンは全くそのようなものではありませんでした。今では日本でも西洋で学んだ人が楽器作りを教えて広まっています。

決められた寸法も流派によって微妙に違いますが、それに対して正確に加工しなくても好き嫌いがあるので音にばらつきがあってもたまたまそれを好む人に出会えれば良いわけです。
また寸法には表れない部分もあります。何がどう作用しているかはわかりませんが、音も微妙に違います。同じ寸法で作っても音は微妙に違いますので試奏して好みの楽器を選ばないといけません。方式や仕組みの違いはなく個体差のような音の違いがあります。

それに対して職人は、木材がどうだの、加工精度がどうだの、ニスがどうだの、ストラディバリがどうだの語るかもしれません。そのようなものも聞く必要はありません。自分が面倒な作業で作った楽器の音をえこひいきにしがちだからです。

音は優劣を決めることが難しく好き好きでしかありませんが、何かのきっかけで有名になった作者の値段はヨーロッパ大陸の外でどんどん上がり、値段が高いから音が良いだろうと勘違いしてさらに値段が上がります。したがって職人が成功するための努力で誰もが真っ先に思いつくのは、楽器作りではなく有名になるためにどうするかということです。製作コンクールで賞を取ったり、有名な職人の弟子になったりすることです。人間は社会性の強い生物なので技術的な関心のほうが低いのが普通です。製作コンクールでも審査員が誰だとかウケの良い作風がどうだとかそんなうわさ話ばかりです。音の採点もよく分かりません。新作楽器だけでなく中古楽器も混ぜてやらないと評価する意味がありませんね。このようなヴァイオリンの現実を知らない記者によって新聞やテレビに取り上げられて有名になることもあります。

つまりお手本通り作られたものなら大ハズレは少なく、なぜかわからないが音は個体差のような違いがあり、知名度や理屈ではなく実際に試して楽器を選べば良いということです。プロの教育を受けていないと音以前に楽器としての使い勝手さえあやしいものです。

50年くらい経つと楽器はよく鳴るようになります。同じようなレシピで作るのなら古い楽器のほうが優れているでしょう。無名な作者のものはたくさんあり、値段は新品よりも安いので多くの中から選べば良いでしょう。職人は自分の楽器を作るよりも、このような中古品を修理する方が少ない労力で消費者の役に立つことができます。

これが現実です。
音楽のため、お子さんの教育のために楽器を選ぶならこのことをよく理解して欲しいです。でないと練習に費やした時間を無駄にしてしまいます。
音が良い楽器が欲しいなら作者の人物像などはどうでもいいです。人づてに語られてきたことは信ぴょう性もないし、私が楽器を見ても人格は分かりません。結果としての音がすべてです。


それに対して好き嫌いが音の差であるなら、分かる人にだけでもはっきりと「好き」という感情が沸くようなものを作ろうというのが私の考えていることです。つまり目指す音を表明してその作り方を見つけることで、偶然に頼らずに好みの音の楽器を購入することができるというわけです。

このような理解がなかったので、音の趣味趣向についてあまり語られてきませんでした。職人も師匠に「こうやると音が良い」と作り方が伝えられてきましたが、どんな音になるのか具体的には全く教えられませんでした。お客さんにもこうやって作ると音が良いと説明しますが、どんな音になるかは言いません。職人同士でも「こうやると音が良い」とうわさ話が回ってきます。しかし、「音が良い」というだけでどんな音なのか言いません。こうなると具体性の全くない「音が良い」という発言さえ根拠があるのか疑わしいです。
ある人は柔らかい音を好み、別の人はダイレクトな音を好みます。そうなると評価は正反対になることもありえるからです。およそ知的な考えとは思えません。到底エンジニアリングとは呼べないものです。


それに対して日本では「明るい音」という謎のワードで個人の趣味趣向を許さず、店主が音を強要してきました。好きなものを自由に選択するという当たり前のことが弦楽器の世界ではできなかったのです。うちでは「暗い音」の方が売れます。前提としている「良い音」がクラシックの歴史のある国と正反対なのですから、語られているウンチクなどは何も信じられません。

ヴァイオリンのサイズ


ヴァイオリンの大きさは現在では標準が決まっているようです。胴体の長さは3/4が33.5cm、7/8が34.5cm、4/4が35.5cmです。1cm刻みですからわかりやすいですね。しかし、過去にはいろいろな大きさで作られていました。19世紀初めにフランスで作られていたモダンヴァイオリンは36cmを超えるものでした。その後ドイツなどで大量生産されるようになっても大きさはさほど厳密には考えられておらず36cmを超えるものがあります。大きさを測るのが難しいのはアーチがあることです。アーチがあることで直線距離よりも少し長くなります。設計で35.5cmにしてもメジャーで測ると35.6~7mmくらいになります。これはアーチが高いほど長くなります。
一方オールド楽器では長年使われていたためにエッジが摩耗して小さくなっています。2mmくらいは小さくなっていてもおかしくありません。
そういう意味で数字にこだわっても意味がありません。
36cmを超える楽器を悪く言いたければ、「ビオラのような暗い音になってしまう」とウンチクを語ることができます。しかし音についてはその程度の違いは意味を成しません。音の明るさについては板の厚みの方が重要です。そもそもこちらではそのような音の方が好まれるのですから、ウンチクを語ることがどれだけ害悪か分かるでしょう。

こちらでは人々の体が大きいので36cmを超えていたからと言って何も気にしません。しかし体が小さな日本人であれば問題になるかもしれません。胴体の長さが長い場合、駒の位置が体から遠くなります。弓の先端を弦に触れるようにする場合に腕が届きにくくなります。もちろん左手も遠くなります。
それよりも弦長を気にする人が多いでしょう。駒の位置が正しくない楽器で弦長が長すぎると左手の弦を抑える間隔が広くなります。小指が届きにくくなることが感じられます。このためビオラでは胴体の割に弦長が短めになっていることがあります。

オールド楽器の相場では、サイズによって値段が違うことがあります。
これはサイズの数字が問題なのではなくて、作風も関係あります。オールドの時代にはサイズが定まっていなかったので標準よりもずっと小さなものがあります。アマティ家でもいくつか異なるサイズがあり、イタリアの職人でもどの時代のアマティの作風を受け継いだかによってもサイズが違います。1600年代には「小型のアマティモデル」のオールドヴァイオリンも多く作られました。このタイプのものはいわゆる「室内楽用」と考えられ値段も安くなります。それでも標準サイズで作られた新作楽器に比べて音が小さいとは限りません。オーケストラなどで使っても自由です。

35cm以上あれば極端に小さいとはならないでしょう。むしろ幅が狭くてアーチが高いと長さ以上に窮屈な楽器になります。一方デルジェスなどは小型のものが多いのに、値段が安くなりませんね。寸法というよりも作風の問題です。

だいたい長さを決めずにフリーハンドでヴァイオリンを設計すればたいていは細くなります。紙などに描いてやってみてください。オールドの時代には寸法など決めずに適当に作っている人もいたでしょう。大概細くなってしまいます。少なくともきれいな丸みを作ろうとすると細くなってしまいます。幅を広く取ると四角くなります。アマティ的な丸みで作ると特にミドルバウツの幅が狭くなります。駒の来る楽器の中心の幅が狭くアーチが高ければ構造は窮屈になります。
楽器の上下の丸みを綺麗に出そうとしても数ミリ長くなります。デルジェスはそのあたりが無神経です。


小型のヴァイオリンを作る

かねてから小型のヴァイオリンが欲しいという依頼がありました。それをこれから作ろうというわけです。特殊な注文だとも言えますが、体の小さな日本人にとっては例外ではなく理想のヴァイオリンとも考えられます。音が犠牲にならないのであればどうせ作るなら小型である方が望ましいヴァイオリンと言えるでしょう。西洋の人にとっては全く問題にならないことでもありますが。

私はオールド楽器を研究して作るのをよくしています。何かお手本となる理想的なオールド楽器が無いか探していました。オールド楽器にそっくりに作るとしても、値段が高い楽器を真似れば良いというのではなくて、自分が作りたいと思うものにあったモデルを探すのです。これがビオラになると作られた数も少ないし、作るサイズもいろいろなので、オリジナルに忠実に作るのではなく、多少のモディファイをしなくてはいけません。例えばアマティのモデルではf字孔がとても小さくヴァイオリンのようなサイズだったりします。そこでアマティとして違和感がないように拡大したものを私がデザインしたりします。弦長や胴体の大きさも変えたりするのもしばしばです。
ヴァイオリンでも、ストップの位置が正しくなく弦長がおかしなものはそのまま作るわけにはいきません。多かれ少なかれモディファイが必要になります。

さっきも言ったようにいわゆる「小型のアマティモデル」では窮屈な構造になります。1600年代風のアーチではフラットなものよりも成功する条件は厳しいでしょう。小型のモデルを作るならデルジェスを基にするのが一番手堅いでしょう。



これまでに私はストラディバリ、デルジェスを元にしたものを作りましたが、定番のものです。それに対して第3のモデルを探して来ました。これまで作った中でも有力なのがマントヴァのピエトロ・グァルネリです。これはアーチが高いだけでなくぷっくらと膨らんでいます。1600代のスタイルではゆったりしていて窮屈さのデメリットは少ないでしょう。それに対して音はとても暖かみがあり弾いてるだけで思わず楽しくなるようなものです。濃い味のある音で魅力的なものです。前回作ったアマティモデルの小型のビオラでもアーチではこのような構造を心がけると独特の味のある音になりました。
それと同じような構造の小型のヴァイオリンがあればいいのですが、ピエトロ・グァルネリ以外ではなかなかありません。そこでピエトロ・グァルネリのモデルをモディファイして小型化しようと思いました。当然父親のアンドレア・グァルネリはアーチの特徴が似ていて小型のモデルですが幅が狭すぎるのです。その他にはあまり思い当たりません。フランチェスコ・ルジエリも面白いですが、特徴がアマティに似すぎていてアマティモデルに見えることでしょう。質はアマティよりも落ちるので下手なアマティのコピーに見えてしまいます。
当然デルジェスにも高いアーチのものがありますし、お兄さんのピエトロも高いアーチですが、マントヴァのピエトロのほうが調和して美しいです。ぷっくらしたアーチに丸みを帯びたモデルで全体的に球のような美しさがあると思います。現代の楽器とは全く印象が違います。また荒々しい作風よりも丁寧な方が私の感性にも近いものです。アマティ、ストラディバリに次いで美しいクレモナの作者と言えるでしょう。そのためマントヴァの宮廷楽器製作者になったのですから、単に実用品以上の魅力があると思います。

ピエトロのモデルが音響面で優れているのは、基本的にデルジェスとほとんど同じだからです。デルジェスは特に新しいモデルを考案したわけではないようです。家にあった木枠で作っていたのかもしれません。

ヴァイオリンのサイズは絶対?


現在では標準とされる胴体の長さや弦長が決まっています。胴体の長さは以上に述べたのが実用上のことです。しかし弦長には標準が決まっています。これは別のヴァイオリンに持ち替えても違和感なく弾けるためです。
いくつかのヴァイオリンを所有することも少なくありませんし何かと便利でしょう。弦長が違うと他人に譲ったり貸したりするのにも困ります。
コンサートマスターであれば演奏中にトラブルがあれば楽器を借りるなどという話も聞いたことがあるでしょう。しかしナイロン弦が主流になった現在でも考慮すべきかはどうでしょう?
この辺りは覚悟しておく必要があります。

モディファイですが、以前に1704年製をモデルにして作ったものは胴体の長さが356mmくらいありました。5mmほど縮小しますが、幅はそのままです。f字孔の位置はオリジナルはストップが長すぎてどちらにしてもモディファイが必要です。今回は標準より3mm短い192mmとします。19世紀のフランスのヴァイオリンが193mmくらいですから、4/4としても使えるはずです。ネックは通常よりも2mm短くし弦長も5mm短くなります。それでも指板の位置をずらせば標準の130mmにすることができるようにします。これで音はもとのピエトロ・グァルネリのモデルとそん色なく気持ち小さく感じるでしょう。7/8のサイズでは胴体が1㎝小さいため明らかに小さく見えます。これなら楽器が次の演奏者に移る時には4/4として考えることもできます。楽器の寿命は人間よりも長いので。
7/8の弦長はフルサイズより10mm短くなります。このためこれから作ろうとしてるものは胴体と弦長が4/4と7/8の間になります。いわば15/16というわけです。
なお、7/8のヴァイオリンは西洋ではほとんど作られておらず、滅多に見ることはありません。うちのお客さんでは東南アジア出身の女性の方が一人いるだけです。3/4を使っていた子供が成長すると4/4に移行します。
弦も7/8用は無く「1/2+3/4用」のものがありますが、それでは短すぎるでしょう。一方4/4用では設計された張力が得られません。その辺も苦労する所です。

このため正確な複製というわけではありません。一方ストラディバリモデルと言われるものも、ストラディバリをモディファイしたり、ストラディバリ風にデザインされたものです。それで言うとピエトロ・グァルネリモデルで作るのは非常に珍しいと言えます。このようなモディファイのノウハウはビオラ製作で培った部分も多いです。

ピエトロ・グァルネリモデルで作ったということが作者の特徴になるでしょう。高いアーチは珍しく21世紀前半の楽器としてはレアなものとなるでしょう。





こんにちはガリッポです。

1月はわりと暖かったのですが、2月になって氷点下10℃近くまで下がったりしました。ペグが緩んでしまって楽器が持ち込まれることが多くありました。温度よりも湿度の影響です。暖房により空気が乾燥するとペグの穴が大きくなってペグの方は縮みます。ほんのわずかですが摩擦が足りなくなり弦が緩んでしまいます。ペグは円錐状になっていますから緩くなっても押し込むことで締まるはずです。それでもペグが緩む場合は、黒板で使うチョークを接触する部分に塗りこむとブレーキになります。これは応急的な処置です。また夏になるときつく動かなくなるかもしれません。
ペグが摩耗していたり、テーパーが正しくないとチョークだけでは無理でペグを削り直したり交換する必要があります。

よく今日のチェロ奏者はスチール弦でテールピースのアジャスターだけで調弦しペグを使用しないために季節の変化に対応できないことが言われます。しかしバロックチェロまで持ち込まれたくらいで気温の変化も大きかったです。

温度によるもう一つの問題はニスです。
夏に熱い車内などに楽器を置き忘れて、ケースにべっとりくっついてしまったり気泡が生じたりすることがあります。冬にも暖房の近くに置いたせいでニスにトラブルがありました。


これは天然樹脂のアルコールニスで熱くなったため気泡ができてブツブツが生じたものです。

気泡はニスの一番下まで膨らんで穴になっています。これを修理するのは大変です。
なにしろ直し方も確立してないのですから。
やってみたのはアルコールを刷毛で薄く塗りました。そうすると溶けて穴が埋まっていきました。しかし完全には埋まらず穴のところを狙って筆でニスを塗っていきました。大きな穴は埋まりますが、細かい穴が無数にあるため気が遠くなります。そうなると全体にニスを塗って研磨することになります。この楽器はうちの会社で作ったものなので同じニスがありました。それでもなかなか穴が埋まりませんでした。研磨するとニスの層が薄くなり色が薄くなっていきます。裏板の微妙な凹凸によってニスの削れ具体に差が出てまだらになっていきます。それを直しながらニスの層を足してまた研磨するというのを繰り返して3週間はかかったでしょうか?
ニスを塗ってから研磨して穴が埋まったと思っても乾くとニスが痩せてまた穴がもどってしまいます。そのため完全には直せてはいません。
修理後は・・・


良しとしましょう。未熟な人が仕上げたものだったので、全体としては新品の時よりもきれいになっています。修理したところだけきれいになりすぎてしまうと違和感があるので他の部分も仕上げ直しました。それは自社製品に対するサービスであり保険会社には請求できません。


でも多少は名残があって、完全に新品にはできません。研磨したときに研磨剤が穴に入ってしまって歴史が刻まれています。同じはずのニスもちょっと違うような気もします。本当にそのニスだったのかも怪しいです。
6万円位は修理代がかかっています。

このような気泡はかつては作業場の照明に白熱電球を使っていたころはやってしまっていました。チェロで魂柱を交換するときに中を照らそうと照明を近づけすぎると電球の熱でf字孔の周辺に気泡が出てしまうのです。
新しくニスを塗っている時には日向に置いただけで気泡が出てしまうこともありました。それはニスにアルコールが多く含まれていてそれが気化して気泡になったからです。
私が今使っているオイルニスではそこまで熱に対して弱くありません。作る過程で数百℃に加熱しているからです。塗りやすくするために油性の溶剤は入れていますが揮発性のニスとは溶剤の分量が全く違います。オイルニスは真夏の直射日光を受けて固まるものです。

ニスの質によっても耐熱温度が違うということになりますが、一般的に温度が高いとニスは柔らかくなります。身体が触れたり息がかかったりしますのでそれくらいには耐えられる材料でニスを作らないといけません。

裏板の割れ


温度は関係ありませんが裏板に割れが生じたヴァイオリンがありました。

放置しておけば傷が広がって被害が大きくなります。早いうちに直したほうがきれいに仕上がります。

割れた箇所を接着し木片で補強すれば良いです。修理法としては確立していて作業の費用が掛かるだけです。
裏板か表板を開ける必要があります。もちろん補強するためですが、接着するときも段差ができないように両側から作業できるとしやすいです。
この前は魂柱パッチをつけましたが、魂柱とは関係のない所なので修理はずっと簡単です。
しかしこの楽器は音楽学校の所有で修理代をどうするかが問題でした。
保険の手続きが完了したようなので修理を開始しました。時間がかかったのはおそらく楽器の保険ではなく学校全体の保険でしょう。

ラベルにはマックス・バーダーが所有するJ.A.バーダー&Coという会社の製品であることが書かれています。年号は1904年で、バイエルン王国のミッテンバルトの工場です。

明らかに工場製品、つまり量産品ではありますが、修理して使うだけの価値は十分にあります。

修理後にも傷はかすかにわかります。しかしそこに傷があると知らなければ気付かないでしょう。その部分のニスを全部剥がして塗り直せば傷は目立たなくなるでしょうが、そこだけニスの質感が変わってしまいます。

マルクノイキルヒェンに比べるとミッテンバルトの量産品は数が多くありません。20世紀初めの楽器でニスはオレンジ色です。

コーナーの四角い感じにはフランスの影響が感じられます。クロッツ家など伝統のミッテンバルトのオールドとは全く作風が違います。こうやって見ると傷はほとんど分からないでしょう。

アーチもフラットです。

スクロールは繊細な感じがしますが渦巻の外周の形は歪んでいます。
市営の音楽学校がこんな楽器を所有して生徒に貸しているというのは贅沢な話ですが、これは寄付された楽器なのだそうです。


開けてみると中は外観よりは汚い感じがします。

バスバーは過去の修理で交換されているようです。しかし仕事が汚らしくはみ出た接着剤は木工用ボンドのように白いものです。


表板は過去の修理も汚かったので木片を新しくしました。新たな割れも発見し接着しました。

板の厚みは厚めでこれも20世紀を先取りしたような楽器です。流行のようなものがすでに始まっていたようです。作業した人が面倒なので薄くするところまで仕事をしなかったのか、上からの指示でそうしたのかはわかりません。作業員の手抜きもありますし、コストの計算から手抜きをするように上が指示する可能性もあります。厚めの板厚が良いと考えて指示したかもしれません。いずれにしてもどうしようもないほど厚くはなく「厚め」というギリギリの感じです。20世紀の楽器ではハンドメイドのものでも見られるものです。職人ごとに考え方が違うため、厚いものが良いと言う人がいますし、「普通」も人によって違います。考え方は人それぞれです。私は音が気に入ったものを選べば良いと思います。正解を決めるのではなく選択の幅があることが消費者にとって望ましいでしょう。少なくとも厚いものは珍しくはありません。

値段は難しい所ですが量産品では上級の扱いになると思います。裏板の材料などは上級ではなく決して高級品とは言えないでしょう。4~50万円位でしょうか。
後日全く同じラベルで年数がわずかに違うものが来ていました。これも見た目がそっくりで自社工場でちゃんと製造していたようです。音は明るく豊かに響いていました。こんなものでも新作楽器より鳴る感じはすると思います。明るく豊かな響きの中に刺激的な音も含まれているという感じでした。ひどく荒々しい音ではなくすごく柔らかい音でもありません。どこの国の楽器でも板が厚ければ明るい音がします。政府が厚みを強制することはできませんので音も国によって定めることはできません。

駒の割れ


別のヴァイオリンでは駒を新しくしてほしいと依頼がありました。

こんな楽器です。いくらくらいするものでしょうか?フランスのような決まりきったストラドモデルではなく個性があります。f字孔も独特で印象深い「顔」があります。ニスもスプレーのような感じではなく手で塗った感じがします。

フランスのようなカチッとした感じではなく全体に柔らかな印象です。ニスは赤茶色で落ち着きがあります。コーナーは先が細く外側に向いていています。


スクロールも完璧すぎず手作りの味があるように見えます。


正解はマルクノイキルヒェンの大量生産品で、1900年よりもちょっと古い感じがします。完品なら25万円位はするでしょうか?ただしネックが下がっていて修理が必要で10万円はマイナスしないといけません。表板のコーナーも大きな損傷を受けています。数万円はかかるでしょう。価値は10万円も残らないでしょう。
お手本通りにストラドモデルが作れていなかったようです。さっきのミッテンバルトのほうが品質が高いのが分かるでしょうか?だから修理する価値があると言えるのです。



作業を始めるとA線とE線の弦が逆向きに巻いてありました。このため弦を緩めようとすると逆に張ってしまうのです。ペグの回す向きが逆になっていました。D線とG線は通常でした。弦を交換するときに間違えてしまったのでしょう。それが駒が割れてしまった原因なのかは聞きませんでしたが誤って駒を倒してしまい割れてしまうことがあります。

ともかく様々なトラブルがあるものです。

また、市営の音楽学校というものがそもそもあるということですけども、楽器を所有してレンタルもしているというのは教育環境が日本とは違いますね。
年々経営は厳しくなり別の学校では中国製の安価な製品を購入し、ペグの具合も悪くレッスンの時間の多くを調弦に費やすなど失敗したケースもあります。