アーチの仕事 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

音を自在に作ることがいかに難しいかということを説明しています。
楽器の作りと音の関係はよくわからないことが多いという話なのですが、同じ人が作った楽器が毎回全くデタラメな音になるということではなく、むしろ同じような傾向が出ます。モデルや板の厚み、ニスを変えてもある程度「その人の音」というのはあると思います。
一方同じ工房内で、同じ木枠、同じ寸法、同じところで買った木材、同じニスで作ったにもかかわらず作る人によってかなり違う音になることがあります。見た目がそっくりの師匠と弟子の楽器でも音が全然違うことがあります。

作り手によって音が違う、その原因が何なのかはわかりません。

コンピュータ制御の機械で作る現代の量産メーカーでも、メーカーに共通する音というのはあると思います。このため評判が良かったメーカーからまた仕入れます。またすぐに売り切れてしまいます。
量産楽器を仕入れる時は、ペグや駒、弦など付属部品がついていない状態で購入します。工場で仕上げたものは演奏上重要な部分が十分な水準に無いからですが、音を確かめないで買ってもすでに音が分かっているメーカーなら大丈夫です。

しかし、量産メーカーでもどのヴァイオリンも全く同じ音ということはありません。これがおそらく木材の個体差とか偶然みたいな要素だと思います。逆に言えば、量産メーカーのように木材をランダムに選ばれたとしても、それほど大きな個体差ができないという事でもあり、木材の差は正反対の性格の音になるというほどではないということです。ちなみにヴァイオリンよりもチェロのほうが木材の差が音に出るように思います。
異なる産地の木材を試したことがありますが、いつも私の音になります。

量産楽器では多少ばらつきがあっても、店頭でお客さんが試奏して好きなものを選べばいいです。この前はチェロをいくつも仕入れました。音はかなり近くてどれでも変な音や極端な音というのはありません。中でも微妙に柔らかい音やダイレクトな音、比較すると明るかったり暗かったりします。でもあらゆるチェロの中で考えるとどれも似ています。


つまり人の声が一人一人違うように、なぜかわからないけども作る人によって音が違うのです。声の出し方を変えることはできるかもしれません、しかしそれにも限界があります。

それが何なのかわかりません。
音楽家の人は「作る人の性格が音に出ている」と考えるかもしれません。そう指摘されるとなんとなく心当たりがあってそれはあながち外れてるとも言えません。でも技術者としてはメカニズムが分かりません。性格がどうして音になるのかその途中が分からないのです。また、古い楽器では作者の性格は分からないのでデータに根拠があるかもわかりません。

もちろん性格が仕事の仕方に影響することは十分にあり得ます。仕事の仕方に差が出るなら音に差が出てもおかしくはないです。
したがって仕事の質が音に影響するかもしれないということがあります。
現に荒々しい作りの楽器は荒々しい音がする印象があります。荒々しい音が好みなら、雑に作られた安い楽器でも良いということです。一方繊細な音を好むなら丁寧に作られた楽器のほうが良いということになります。しかし丁寧な楽器でも鋭いきつい音がするものがあります。仕事は丁寧でも性格にきつさがあるのでしょうか?性格特性の分類も占い師の語るような曖昧さがあります。



作者固有の音がする理由としてもう一つはアーチが考えられます。
アーチのふくらみの形は測定が難しいものです。人の声帯がみな違うように、それによって音の違いが生まれるのではないかということです。

私は高いアーチと低いアーチの話をしています。しかし、同じ人が高いアーチと低いアーチの楽器を作っても、同じ形のアーチが高さ方向に引き伸ばされたり、押しつぶされたりするだけです。このためアーチの高さを変えたことで音が変わる部分と変わらない部分があるというわけです。
ストラディバリやデルジェズなどはアーチの高さは毎度バラバラです。若い時にはどちらも高いアーチの楽器を習ったと思います。しかしフラットなアーチに作風を固定することは無く、晩年になっても高いアーチの楽器がランダムで見られます。それでは音が全く別になってしまうかというとそうではなく作者の音があるとしたら、アーチの高さを変えても変わらない部分があるというわけです。

現代の量産メーカーではコンピュータのデータでアーチが作られます。仕上げが手作業でも基本の形がどれも同じというわけです。


性格説なのか、アーチ説なのか、両方なのか、性格がアーチの違いを生むのか、両方とも見当違いなのかそれすらもわからないです。これが分からない以上は「作者の音」を超えて違う音の楽器を作ることができません。

アーチがどれくらい音に影響があるのかそれすらもわからないという状況です。それに対して明らかに分かるのは「板の厚み」です。逆に言うとそれしか分からないということです。でも板の厚みだけで音が決まるわけではありません。
弦楽器の音に重要な要素として、フィッティングがあります。しかし、バスバーや駒、魂柱を交換し、ネックを入れ直してもやはりその楽器が持っている音というのはあると思います。それは胴体です。一番影響が大きい部品は表板、ついで裏板ということになるでしょう。表板や裏板には、輪郭の形、板の厚さ、アーチが主要な要素となります。輪郭の形は現在では寸法がわりと決まっていてストラドモデルかガルネリモデルがほとんどです。同じストラドモデルでも音は作る人によって様々で、別々の人が作ったストラドモデルやガルネリモデルに共通する音の特徴は分かりません。同じ人が作るとストラドモデルでもガルネリモデルでも似たような音になります。その範囲なら大きな違いは無いでしょう。

板の厚みはかなりはっきりした違いが出ると思いますし、数字で表すこともでき検証もできます。

アーチはそもそも設計を定めたりタイプを分けて分類することさえも難しいです。これが「ブラックボックス」であるとすれば作者の音の原因かもしれません。


一方でオールド楽器とモダン楽器を手に取ったときにすぐに見た目の印象が違うことに気付きます。考え方がガラッと変わるからなのですが、特に特徴的なのはアーチです。これもオールド楽器とモダン楽器の音の違いを生み出す原因ではないかと考えることができます。それに反論するなら、オールド楽器のほうがモダン楽器よりも古いからそのような音になっているとも考えられます。つまりモダン楽器もあと100年くらいすればオールド楽器のような音になるんだという説です。結果が出るまであと100年待たないといけません。でも私の経験では1800年頃のフランスのモダン楽器ではとても鋭い音がして、オールド楽器らしい柔らかい音はしていませんでした。板の厚みなどは初期のモダン楽器はオールドに近いものでアーチと幅の広いモデルがモダン楽器の特徴です。・・・まあ性格説だとフランスで出世するには気の強さが必要ということになるかもしれません。


そんな感じで私もよく分かりません。
よく分からないことが多いので、何かを聞いても話半分で聞いて真剣に考えすぎないほうが良いと思います。

楽器のタイプとしてどのようなものがあるでしょうか?
オールドヴァイオリンのようなもの、フランス的なモダンヴァイオリン、20世紀の常識的なヴァイオリン、自己流のヴァイオリン、量産楽器・・・大きく分けるとそんな感じです。それぞれの中間みたいなものもあります。結局は一つ一つ違うのですが、少なくとも国で分けるよりはリアリティがある分類でしょう。

20世紀の常識的なヴァイオリンはたくさん数があって、50年以上経っていれば鳴りは良くなっています。音も常識を超えるような感じではありませんがなぜかわからない微妙な音の違いがあるのでたくさんの中から選ぶことができます。
値段だけが常識をはるかに超えて売られていても、職人から見ると楽器自体は常識の範囲を超えないので音は好き嫌いの問題でしかないでしょう。
「常識的な良い楽器」でも一人前の職人が作ったものですから、それ以下の品質や手抜きのものの方がはるかに多いです。見た目は悪くても音は良いものもあるし、単なる粗悪品もあります。

ソリスト向きで優れているのはフランス的なモダンヴァイオリンです。しかし鋭い音のものが多い印象です。近代現代にはフランス的なものをちゃんと勉強していない自己流のものもあります。量産楽器も同様で品質がバラバラで音も一か八かです。量産品は数が圧倒的に多い上に値段が安いので音だけで選ぶと案外掘り出し物があるかもしれません。フランス的な特徴も世代を重ねるごとに徐々に薄れて行き20世紀になってくるとどこの国でも同じようなものになってきます。

フランス的なモダンヴァイオリンのようなものでなおかつ音が鋭くないものとなると店を何軒も回って探すことになるでしょう。穏やかな音のものとなると際立った性能は感じないでしょう。一長一短です。客観的にはとても鋭い音のものでも持ち主はコツが分かっていて信じられない柔らかい音を出すこともあります。弾く人によってどうにかなるのかならないのかもあります。

私が作るものはなぜか鋭い音ではありません。私はそのようなものを作ることができますが、いかんせん新作ですから楽器が勝手に鳴るというようなものではありません。


オールドヴァイオリンのようなものがこの世に存在することは私は知っています。しかしソリスト的なモダンヴァイオリン以上の性能で、美しい音という理想的なものが限られた予算の中でいつでも買えるかというと分かりません。

オールド楽器を見ると近代や現代の楽器とは全く違う雰囲気があるので手に取れば一瞬で分かります。ラベルに書いてある作者名などはあてになりません。ヴァイオリン作りの考え方がある時期を境にガラッと変わったからです。しかしだからといってオールド楽器らしいものが必ずしも理想的な音とは限りません。私は典型的なモダン楽器と典型的なオールド楽器の中間的なものが「無難」だと思います。ストラディバリやデルジェスがまさにそんなものです。本当のオールドヴァイオリンがあっても、そんなにオールドらし過ぎないものの方が癖が少なくベターだと思います。そのようなものがこの世に存在することは知っていますが売っているかどうかは分かりません。オールドらしすぎるものはしばしバロック仕様に再改造されています。それも本当にバロックヴァイオリンとして良いのかもわかりません。

そのようなものを私は作るわけですが、第三者の専門家から見たときにオールド風に見えるのか、ただの自己流なのか、いまだに現代の常識の範囲内なのか分かりません。しかしオールド楽器のような「タイプ」の楽器を目指しています。同じようなタイプでも200年以上経ってはいないので同じ音ではありません。

そのように私はヴァイオリン製作の歴史の中で私が理想的だと思うタイプの楽器を作ろうとしています。その結果それっぽい音がしてるよねというそんな感じです。作ってみたらこんな音がしたということで、具体的な音を計算して作っているわけではありません。

以前紹介したザクセンのモダンヴァイオリンです。


完全に近代的なモダンヴァイオリンになる以前のもので、オールドとモダンの中間的なものです。こんな楽器に注目するのは私くらいかもしれません、オークションなどでは全く相手にされるようなものではありません。金銭的な価値ではただの安物としかみなされないでしょう。その後の調べでこれはおそらくクリンゲンタールのホプフ家のものではないかと思います。ホプフはオールドの時代からフラットめのアーチで、巨大なf字孔を持っています。近代化を目指してもまだホプフ家の作風も残っていています。フランスの楽器製作が完全に伝わる前のものですが、同時発生的にモダン化のトレンドはあったようです。オールドの時代でも1700年代の終わりごろにはすでにモダン楽器の先駆けとなるようなものがヨーロッパ各地で作られていました。その中でスタンダードになったのがフランス式のモダン楽器ということです。

面白い楽器と思っていましたが、修理を終えて今は商談中です。3/4のヴァイオリンを使っている子が、大人用のものを探していて店中のものから試奏して音が良いとすぐに選ばれました。ホプフというのも確かではないので100万円もしないものです。
現代のイタリアのマエストロのものよりもはるかに個性的な楽器で伝統もあります。商人の語るウンチクは理論が破綻しています。

それにしても、初めての4/4がこんな楽器だとしたら渋いですね。経験値が違いすぎます。日本の親が必死になって子供に良い楽器を持たせようと思ってもたどり着かないでしょう。それも一期一会で私も二度とこのようなものをお目にかかることは無いかもしれません。

さて現在作っているピエトロ・グァルネリ型のヴァイオリンを小型にしたものです。

今回は周囲の溝を小さくアーチはドーム状にぷっくらと膨らんだようにします。

アーチの立体感は仕上げると分かりにくくなります。ふくらみを削っていくときは多少のチェックポイントがあります。それ以外は感覚で作っていきます。仕上がっていない段階で測ってもデコボコがあるため正確な数字は出ませんし、測る箇所が少しでもずれると数字が変わってしまいます。5mmほど短いモデルではいつもよりその誤差大きくなることも感じます。縦方向の傾斜が急になっています。しかしおおよその目安があることは品質を管理する上で役に立ちます。これをストラディバリがすべて感覚だけでやっていたならアーチがバラバラである一つの理由でしょう。

感覚で作るというのは頭で考えるというよりは体が反射して邪魔なところを削り落としていく感じです。なんとなく不自然だなと思う所を削っていくのです。人によっては不自然さを感じないかもしれません。このため癖が加わることでしょう。ひと削りで音がどうなるかなんてわかるはずが無く、これも音を頭で計算していないという根拠です。

このように彫っていくと意外と削り過ぎが起きやすいものです。ですからあまり大胆に行くよりも注意深くいく必要があります。もちろんオールドでも注意深さが足りない作者もあるし、注意深い作者もあります。現代では削り過ぎが怖いので小さなカンナを多用します、そうなると形を作るというよりはデコボコなく表面を滑らかに仕上げるという発想になります、平らなアーチを作るために進化してきた作り方とも言えます。

デコボコをならしていきます。

さらに小さなカンナを使って表面をならします。

表面をスクレーパーで仕上げます。

アーチが仕上がった後で周囲をもう一度彫り直します。

これはオールドの時代にはパフリングを入れるタイミングが違ったのでその結果を再現するためです。これによって周囲の溝が強調されます。特にグァルネリ家の楽器ではエッジ周辺だけ仕上げのクオリティが低い場合があります。おそらくこのような作業の後、仕上げが甘かったのでしょう。
ドイツのオールド楽器にも周囲の溝が全体のアーチとは不自然なほど深く彫り込まれているものがあります。これは作業の手順によって起きる特徴で、音を考えてそうしてるとは思えません。

溝も仕上げると


こうなると写真では写らなくなります。
写真だけでなく肉眼でも白木では明るく光ってしまい立体感は分かりにくいです。このため立体感を作るにはノミで削る作業が重要になるわけです。デコボコができてあまり精密には作業はできません。ちょこちょこ彫っていると効率が悪いのである程度まで来るとカンナでザーッとならすようになるはずです。基本的にはノミを使うと削れすぎてしまうくらいなのでカンナのほうがチマチマして作業は時間がかかります。


ちょっとずつ違うアーチを作る中で今はこのようなものが好みです。実際にアンドレア・グァルネリを見たときの印象が元になっています。ドーム状で高めのアーチなので力が分散して強度が高くなるでしょう。これで板が厚いとカチコチになってしまうでしょう。高いアーチの楽器はオールドの時代に作られ板が薄いものが多いです。高いアーチで板が厚いようなものはあまり見たこともないかもしれません。

それに対してフラットなアーチで板が厚めなら現代風になります。音も現代的なものになるでしょう。

台地状のアーチの場合には硬い所と柔らかい所に差が出るでしょう。周囲の溝があまりにも大きくてもアーチの丸みが小さくなり響きは抑えられすぎるかもしれません。
それに比べるとぷっくらとしたアーチなら癖が少なくて窮屈さや抑え込まれた感じがしにくいのではないかと思います。

アーチの高さ自体は板の柔軟性に影響してきます。音がどうというよりも、演奏スタイルへの影響が大きいでしょう。

板をタッピングしてみるとフラットなアーチでは長く響くのに対して、高いアーチではすぐに音が消えます。つまり高いアーチのほうが歯切れが良く、フラットな方がブワ~ッと響いて量感が出るわけです。しかしフラットなアーチでも尖った音のものでは豊かな量感は無く、歯切れも良いものです。この時、高音はかなり鋭い音になります。単純に規則性を言えないほど複雑です。

高いアーチのオールド楽器は見た目の丸っこさや貴族時代のイメージで甘く優美な音がすると思うかしれません。職人でさえ自分で作ったことが無いので、イメージ先行で勘違いしている人も少なくないでしょう。
少なくとも高いアーチの楽器はフワッと柔らかい音というよりは細くはっきりした音になりやすいでしょう。それでも高音は金属的な鋭さを感じないことがよくあります。モダン楽器では全く得られない柔らかい高音もあります。逆に鋭い音のオールド楽器もあります。



音についてはこんな漠然としたイメージがあるだけです。
つまりオールドの時代にも作者の音があって全て同じではありません。

私は何を作っても柔らかい音になりますが、それがオールド楽器のイメージに近いように思います。ちなみに特に柔らかいのはストラディバリをイメージして作ったものです。音はフワッと豊かに柔らかく響きます。それに比べるとこのような高いアーチのほうが締まった音になると思います。アーチの形はある程度違います。その影響でしょうか?

今回のようなアーチの基本的なルールはデルジェズ型に応用ができます。

しかし全体としてはどれも柔らかい音になります。他の人が作った場合も同じようになるかはわかりません。ストラド型が特に柔らかい音になるのは私だけで、一般には耳が痛くなるような近現代のストラド型のヴァイオリンがたくさんあります。