パフリングの仕事 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

音を自在に作るのが難しいという話をしています。私はそんなに顔が広いわけではありませんが、音を自在に作れる職人を一人も知りません。日本の職人も含めてです。職人10人のうち自在に音を作れる職人は0人くらいでしょうね。それくらいに考えてください。ヴァイオリン製作学校では決められた寸法に加工することを学ぶだけで、どうすればどんな音になるか習うことはありませんし、書かれた教科書もありません。音を変える方法は一般に知られていません。そもそも音を記述することすら共通理解がありません。モラッシの教え子というイタリア人の職人も知らず、私がわずかながら知っていることを教えたくらいです。何か作り方を変えて音の違いを試して実感するのは難しく、偉い人の言った作り方を守るのが典型的な弦楽器職人の世界です。私も初心者のころ経験豊富な職人に音について「はっきりしたことは分からない」と教わりました。同じことを皆さんにも伝える番です。

このため国などによって美意識や好まれる音が違ってもその音を職人は作ることができず生産国で選ぶことに意味がありません。私のところでは現代の職人が消費者の望む音を作れないため古い楽器に人気があります。
思い込みが激しくさもわかったかように理屈を言う大胆な人はたくさんいます。そういう人を目にすることが多いのでしょうかね?まあ、弦楽器に限らずできないことをアピールするメーカーの情報はあまり無いんでしょうけど。


音についての工夫は100年前にも考えている人がいました。100年もすれば楽器は鳴るようになっているので今から見ると「余計な工夫」に思えます。普通に作ってあればよかったのにと残念に思います。


また同じ人が作ったAとBのヴァイオリンがあるとします。それらを比較試奏すれば音は全く同じではなく違うことが分かります。違う音の楽器を作ったと言えます。しかし全く別の時代の別の人が作ったEやFのヴァイオリンはそれとははるかに違う音がします。そうなるとAとBは似たような音に感じられるようになります。どれくらいの音を知っているかも印象に違いが出るでしょう。世に存在するヴァイオリンの中で両極端な音を一人の職人が作り分けるのは難しいでしょう。

このようなことは魂柱を動かす調整した時にもあります。僅かコンマ数ミリ動かしただけで音が激変したと感じる人もいるし、全体としてはその楽器の音のままととらえることもできます。同じ結果について全く逆の評価ができるわけです。このため出来上がった楽器の魂柱をいじって機嫌を取るのが常套手段です。「弾き込んでいけば音が変わっていきます」と言うのもよくある言い訳です。

この前は横板の話でした。

このヴァイオリンは表板のオーバーハングに問題があります。オーバーハングが小さすぎてなおかつ均一ではありません。表板の輪郭と横板が合っていません。これはザクセンの戦前くらいの3/4の量産品でランクの低いものです。

ザクセンの量産品は外枠式で作られました。コーナーにブロックが入ってないのも安価な製品の特徴です。f字孔からのぞいた時にブロックが入っているように見えるように蓋されています。

横板は曲げに失敗して割れています。横板は1.7~1.9mmありとても厚いです。

横板の加工も失敗して割れています。
調子の悪いカンナを使うとこんなになってしまいます。
この頃は今のような機械は無かったはずです。

ライニングの幅もバラバラで、裏板との接着面に隙間があります。これではしっかり接着できません。

表板との接着面がグニャグニャになっているのが分かるでしょうか?

下のブロックのところが高くなっています。表板を押し付けるとバスバーの延長上で割れてしまうことがあります。

これが原因と断定はできませんが表板が割れています。品質の高い楽器に故障が起きないとは言えません。しかし低品質の楽器のほうが傷んでいることが多い印象があります。安価な楽器では修理代が楽器の値段を超えてしまうと価値がゼロとみなされてしまいます。

失敗しやすいことは決まっているので注意しないと誰がやっても同じことが起きます。このため注意深さが足りず、雑な仕事で作られた楽器は似ています。品質が低い楽器は個性的ではなく同じような雰囲気になります。厳しく師匠にダメ出しをされるような教育を受けないと身に着かないものです。

オールドの時代には大量生産の方法が確立されておらず、安価な製品はただただ雑に作られました。それが現在では1000万円を超えるようなものもあります。このため近代の安物の楽器で雰囲気が似て見えることがあります。そのような楽器には偽造ラベルが貼られて出回っています。しかしよく見るとアマティの基礎がありません。アマティやストラディバリ、シュタイナーなどはそのようなものとは全く違います。オールドの時代には名工は限られています。近代以降は腕の良い職人が多すぎて名前を覚えきれません。雑に作られたものでも修理を繰り返して現在まで伝わっているものは音が良いものがあります。壊れたほうが音が良くなるんじゃないかと思うくらいボロボロの楽器が良い音がして驚くことがよくあります。王侯貴族が家宝とするような楽器と単なる実用的な楽器があるというわけです。実用的に優れているだけの楽器は何千万円しても天才職人の仕事ではありません。


木枠、横板、オーバーハングと関連して表板や裏板の輪郭の形ができます。しかしオールド楽器では長年の使用で摩耗していてオリジナルの輪郭の形は狂っています。それに対してパフリングのカーブが残っています。パフリングは輪郭から一定の間隔で溝を掘って象嵌を埋め込むからです。
これらはすべて音には関係がないと言えるでしょう。

弦楽器においては何が音に影響あるかはよくわかりません。わずかな違いもあらゆる部分が音に影響することでしょう。しかし意図的に音を作ることができないなら音を作るという意味では選択肢にはなりません。
音をイメージして特定の音にするためにパフリングを変えることはできません。したがってここでは音には関係ないとします。

パフリングの溝を彫ることで強度に影響があるかもしれません。しかし埋め込む木材も強度が高いものです。ぶかぶかでなくきっちり埋め込まれていると一つの木材と変わらないと思います。溝の位置もちょうど横板の接着面の上に来るので自由に振動する部分にはかかりません。一方溝とパフリングに隙間があるとビリつきが発生する原因となります。修理は大変でにかわを流し込んで隙間を埋めようとしますが、乾燥したらまた開いてしまうかもしれません。深く彫りすぎるとエッジがボロッと取れたりすることもありますし、裏板のネックとの接合部分のボタンが弱くなります。

パフリングは現存する最古のヴァイオリンにはすでに入っているし、それ以前の楽器にも入っていたことでしょう。表板は針葉樹のため衝撃を受けると竹を割ったように割れやすいものです。パフリングが入っているとそのような割れをある程度防ぐことができます。でも絶対にそれしか方法が無いかどうかは分かりません。

もし自分で弾くためだけに趣味でヴァイオリンを作るならパフリングを入れなくても良いでしょう。ミラノのテストーレやザクセンのオールド楽器には裏板にパフリングが入っていないものがあります。現代でもとても安価なものでは線が描いてあるだけのものがあります。パフリングが無いヴァイオリンでも機能には問題が無いでしょう。しかし職人に楽器を見せたら嫌な顔をされるでしょうし、演奏家同士でも冷たい目で見られることになるでしょう。それに耐えられるかという話です。

まあ塗装だって、ピンクとかシルバーとか他の色でも良いでしょうし、そうなるとパフリングも何でも良いんでしょう。スクロールも無くても良いし、何か動物や人の顔を彫っても良いでしょう。調弦するときに握りやすいようにスポンジでグリップを作ったほうが実用的です。
実際にイベントのために自動車の塗装工場に頼んで黄色と黒の縞模様で子供用のチェロを作ったことがあります。子供番組のマスコットを連想させ子供たちに大人気でチェロを習いたいという希望が殺到したそうです。良い意味でも悪い意味でも現代のビジネスには染まっていない業界です。

オーケストラによってはドレスコードみたいなことにうるさい所もあるようです。そうなると保守的なものを使うのが一般的です。


このように木枠から丁寧に仕事をすることでパフリングのラインが綺麗に出るようになるというわけです。そしてこれは音には関係がありません。現存する最古のヴァイオリンの一つであるアンドレア・アマティのパフリングはとてもきれいなカーブを描いています。現代のような合理主義の時代に作られたものではないのでなぜそのように作ったのか我々の常識では理解できないかもしれません。顧客もフランス国王だったりするわけで消費者の感覚も理解できません。
ヴァイオリンが現代に設計されたなら生産がしやすい、つまり機械で作りやすい構造に設計することでしょう。その時音を計算しやすいように単純な構造にするかもしれません。つまりヴァイオリンというのはそういうものではないということです。

パフリングは近代の量産品でもそれを専門に作る業者があったはずです。ザクセンでは産地に共通するパフリングがあります。パフリングは現在でも市販されていてほとんどの人が買って使っているでしょう。白い木を黒い木でサンドイッチして2本の黒い線ができます。安価なものは黒い部分は木ではなく人工的な繊維になっています。

一般に市販されているものは現代の流行があり、白い部分が太目のものです。その方が綺麗に見えるからです。それを買って使うと現代風に見えてしまうので私は自分で作ります。
機械で作られたものはそれぞれの厚みが均一です。オールドの時代にはそのような機械が無かったので厚みに微妙なムラがありました。と言っても黒い部分の厚みが0.2mmと0.3mmではたった0.1mmの誤差しかありませんが、厚みでは33%も違いますので肉眼ではっきりと厚みのムラが分かります。これが10cmのものなら0.1mm違っても肉眼では見分けがつきません。

そんなこともあって。自分で作るとオールド楽器のような雰囲気が出るというわけです。

同じものをたくさん作らないといけません。

パフリングカッターという道具で線を付けた後はナイフで溝を切り込んでいきます。

溝を彫っていきます。
現在の量産品はコンピュータ制御の工作機械で自動的に溝が彫られます。

このように埋め込みます。


現代の楽器やストラディバリモデルとはだいぶ違います。アマティ的な感じもします。隙間が無く切り込みの失敗がなく入っていれば仕事が正確だと言えるでしょう。ピエトロ・グァルネリもマントヴァの宮廷の楽器製作者でした。

コーナーの先端も難しい所です。

私も特別パフリングが得意というわけでもありません。しかしうちの工房にもたまに求職者というか弟子入り希望者というか、若者がやってきます。自作の楽器を見せるわけですが私のクオリティにもはるかに及ばないものです。パフリングは職人の能力を示すのに分かりやすいポイントです。それは能力を認めてもらうために努力でできることなのにそれすらしません。そのような人が「私は音が大事です」と言うことに説得力があるのでしょうか?

見た目は軽視して雑に作り、音に重要なところだけを丁寧に作られた楽器がどれくらいあるでしょうか?
そうではなく全体的に雑に作られた楽器が構造上問題が無く、また修理によってたまたま良い音になることのほうが多くあると思います。弦楽器とはそういうものです。論理的に間違った理屈を語っても結果的に音が良ければそれもまた構いません。ただし、意図してその音を作ったとは言えません。基本的に弦楽器の音はすべて「結果オーライ」なので理屈は無視して試してみるしかありません。

楽器を完成させるには音にしか興味が無い人が退屈に感じるような面倒な仕事がたくさんあります。そちらの方が現実にはメインの作業となるわけです。さらに刃を研ぐなど道具の整備に20%~25%くらい時間が取られる工程も珍しくありません。