音には差が出ない横板の加工 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

上下とコーナーのブロックを用意します。


内側のブロックを加工して横板を曲げます。横板を曲げるのが難しいのはカエデ材には杢があるからです。杢は繊維がうねっているので断面が光の当たり方で縞模様になって見えるものです。繊維のうねりのせいで曲げるのが難しいのです。木材は水分と熱で柔らかくして曲げることができます。木材を曲げて加工する製品では圧力釜の蒸し器のようなところに長時間入れれば柔らかくなるでしょう。しかし弦楽器では曲げるのに適しているという理由で木材が選ばれているわけではないのでそんなことをしたらうねりが出て波打ってしまいます。
このため正確に曲げるのが難しいのです。

とても古いベンディングアイロンです。おそらく西ドイツのものでしょう。昔のものは頑強で壊れる気配もありません。今は中国製のものしかありません。それは中国が世界最大の弦楽器生産地だからでしょう。
不思議なことに世界中で一つしか製品を見ません。すべての工房が同じ中国製のものを使っていることになります。改良型も出てきません。

これまでも中央の部分は誤差が大きかったので木枠の高さを増してあります。後で取り外しが可能になっています。ライニングという部材を取り付けないといけないからです。

このようにぎっちり抑えることで木枠と横板の隙間が生じないようにします。とはいえできる限り正確に曲げていないと治具を外せば開いてしまうでしょう。少なくとも接着時のずれは防げます。木材を削って加工する場合は少し削っては確認していけば、時間をかければかけるほど正確に加工ができます。
横板を曲げる仕事は一発勝負のところがあります。何度も同じところを熱していると曲がらなくなってくるからです。
さらに接着は完全に一発勝負です。位置がずれてしまうとそれまでの苦労が台無しです。

木枠に対して隙間なく曲げることができました。木枠の厚みを増してあるのでかなり正確になっています。これをしていないと木枠と隙間が無くても結構歪みが出ます。
この部分は接着するときにごまかしがきかない部分でもあります。


残りの部分です。
迷う要素があるとしたら、杢の向きです。杢は少し斜めに入っていることが多いです。どの向きにするかを考えなくてはいけません。今回は裏板が一枚板なので同じ向きで一周ぐるっと回るようにします。つまり左右は逆になります。
間違えて曲げてしまうと失敗です。
もちろん音には関係ありません。

このように曲げていきます。少し強めに曲げていくほうが良いでしょう。曲げてから接着するまでの間に多少戻ってしまいます。曲げ足りない所を曲げ増すよりも、曲げ過ぎたところを戻すほうが簡単です。

最終的に接着されるブロックのところで固定して隙間が無くなっていれば曲げは完成です。
木枠の穴を何に使うかと言えば…。

このように固定します。
曲げができても接着するときに緩んでしまうことがよくありました。緩んでしまうと隙間がずっと空いてしまいます。そうなると横板がわずかに大きくなります。

プラスチックの板を介して椹木をクランプでつけていきます。


一個ずつ順番に固定していけば横板が緩むことなく固定できます。

これで接着のミスが100%防げます。こんなのは初心者の職人が使えればずっと楽になりますが、20年以上やっている私はズルいですね。でもあくまで固定するときにずれないようにするためであって、正しく曲げていないのにこれで合うというわけではないでしょう。たいがい初心者が曲げたものは木枠との間に明らかな隙間があるものです。

これで横板が一周できました。
裏板や表板の接着面を平らにするのも重要です。量産品では裏板や表板との接着が不良のものがよくあります。ビリつく原因になります。表板が割れる原因にもなります。

ライニングを接着するときも同じシステムを使用します。これで変形も最小です。

出来上がるとこのような感じです。

部品の接着部分に隙間が無いこと、カーブが滑らかになっていると気持ちが良いですね。
もちろん設計に対して正確であることが重要です。

通常は左右半分の型を作ります、それを元に木枠を作ります。木枠にあわせて横板を曲げます。横板から一定のオーバーハングを取って表板と裏板の輪郭の形を決めます。
このためそれぞれの工程で少しずつ誤差が出て出来上がりにばらつきができます。
特に横板と木枠に隙間があると一回り大きく膨らんでしまうことになります。このため同じ木枠で作っても違うものができるかもしれません。

それに対して外枠式では、横板が膨らむことが決してありません。このため横板を基準に輪郭の形を決めるのではなく、設計通りの輪郭の形に加工することができます。

私も同様に先に裏板や表板を作ります。

横板の加工が正確なら裏板の形と横板の形が合うわけです。

オーバーハングの張り出し分は2.3~2.5mmです。アメリカでは端数を1/2、1/4で言います。その場合は2.25mmになりますが、ほぼ2.3mmです。これは小さすぎると肩当などがつけにくなります。裏板や表板の接着がうまくできなくなり横板を縮める修理が必要になるものもあります。
大きすぎるとニスが塗りにくくなりますし、実質的な楽器のサイズが小さくなることになってしまいます。素人が作った楽器にあるのがオーバーハングが大きすぎるものです。精力的に楽器を販売してプロとして生活していても、オーバーハングが異常に大きいとその作者は独学で自己流だと分かります。
料理なら、修行しなくても「家庭料理」と言って人柄などを売りに店をやっていくこともできるでしょう。イラストなら「ヘタウマ」なんてものもありますし、
壁をムラだらけに塗って「オシャレ」と考えている人もいるようです。染みだらけの塗装の木工品もおしゃれだそうです。今はそんなものが主流なのかもしれません。しかしオーバーハングがおかしいとすぐに素人が作ったものだと分かります。


このような正確性は一般的な木工とは全く違うものです。今回使った小さなクランプでも一つが3000円~4000円とかします。普通の木工用のものは大きすぎるからです。弦楽器製作専用となると高くなります。この感覚の違いから私はDIY木工を趣味にしようとしましたが断念しました。

弓になるとさらに精密な加工が必要になるでしょう。加工の正確さによる美しさは見た目のためというだけではありません。品質の高さの表れです。弓であれば加工が甘ければ安物と考えます。極限まで行けばそこまで正確である必要がないということになりますが、基本的に無駄がない弓は高い精密さが求められるものだと思います。弦楽器の音はそうでもないという話をしてきています。

通常は横板を基準に裏板や表板の輪郭を決めるので正確さが重要になってきます。例えば横板よりも2.3mm大きくしたのが輪郭の形です。
それに対して横板を無視して裏板や表板の形を作ると、オーバーハングがバラバラになります。どちらが重要かと言えば私は多少オーバーハングにばらつきがあっても裏板や表板の形のほうが重要だと思います。誰も楽器を手に取ったときにすぐにオーバーハングを見ないからです。意地悪な師匠ならオーバーハングを測って「お前これなんだ?」と指摘することができるでしょう。しかし楽器の輪郭の形を見た目で美しいかどうか指摘するのは美的センスがいります。寸法をチマチマ指摘する方が簡単です。

オールド楽器の場合にはすでにエッジが摩耗してオーバーハングは小さくなっていますが、場所によって摩耗が違います。
修理によって何度も表板や裏板を開けて接着するとその時にもずれていきます。古い楽器ではめちゃくちゃになっています。
オールド楽器の複製を作る場合はそこまで神経質になる必要はありません。このような治具を使えば大失敗することは無いので何も考えなくてもできるという点で楽だということです。
ストラディバリなどは左右や裏表もかなり横板に誤差があることでしょう。しかし何となくうまくまとめ上げてしまうのです。これが意地悪な師匠との違いです。


しかしこれだけのことをやっても設計図と見比べると誤差が出ています。ということは並以下の品質の楽器では精度が出ないというわけです。こうなるとストラディバリのモデルで作ってもそう見えなくなってしまいます。それを「作者のオリジナリティがある!」と神妙な顔で語っていたら笑ってしまいます。本人はストラディバリのつもりかもしれません。

一方デルジェスなどはコーナーなどに癖があって、例えばアンドレア・グァルネリなど家にあった木枠を使って作っても見た目はデルジェズらしい楽器になったことでしょう。木枠が同じでもブロックの部分で形が変わる可能性もあります。デルジェズなら上端と下端は丸みが無く平らになっています。上下のブロックを丁寧に作っていなかったのかもしれません。コーナーも独特です。一方でデルジェズがただのヘタクソな作者と違うのはグァルネリ家の基礎があるからです。ピエトロ・グァルネリはグァルネリ家でも中核の役割を果たしたことでしょう。デルジェスを研究するにはピエトロがとても重要です。デルジェスで不思議に思っていたのは現代的な感覚では仕事が粗く見えます。しかししばらく見ていると全くのデタラメではないことに気付きます。それが不真面目な現代の職人や素人の作ったただ雑なだけの楽器と違うのです。デルジェスはストラディバリと違って近代の楽器製作のスタイルに落とし込むのは難しいものです。「ガルネリモデル」では品質が高くても全くデルジェスを理解していないものが多いです。

横板のクオリティはまずうまく曲げないと割れてしまう事が一番大きな問題です。ひびが入ってるようなものはあります。高級な木材ほど杢が深く加工が難しくなります。安いものなら簡単です。曲げに失敗していてもイタリア製なら1000万円なんてこともあります。
接着や加工が不完全だとビリつきや故障の原因となります。昔のザクセンの量産品のチェロではコーナー部分の損傷が多いです。高さが揃っておらず無理に表板を接着すると割れの原因になります。特にブロックのところが他よりも高くなっていることが多いです。

そして表板や裏板の輪郭の形に影響が出ます。ただし、これも音に影響が出るレベルではありません。
この仕事にはヴァイオリン弓一本分くらいの時間がかかることでしょう。しかし音には差が出ません。横板の厚みくらいでチェロになれば影響は少なくないかもしれません。かと言って薄くし過ぎると故障の原因になって、厚すぎると曲げにくいので「音のため」に寸法を自由に決めるわけにはいきません。少なくとも意図的に音を作るような余地はありません。

あとはブロックやライニングの材質には、表板と同じスプルースのほかに柳が使われることがあります。私はその時々で半々くらいでしょうか?音の違いは分かりません。ライニングの幅も異なるものを試したことがありますが分かりませんし、過去の楽器に作られた極端に特徴があるものでも音の違いは分かりません。

音にしか興味がない人は読み飛ばしてしまう記事かもしれません。それでも弓一本くらいのコストがかかっているということです。

逆に言うと音に直結するような仕事は全体のほんのわずかでしかありません。
私たちは品質が高く、極端におかしなところが無く普通の設計で作ってあれば良い楽器だと思います。音は好き好きで選べばいいというくらいに考えています。