横板の厚みから見える、弦楽器製作の実際 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

イースターの祝日がありました。前後には学校も休みになります。生徒が職場体験できていました。ヴァイオリンは習っていて、先生の勧めでうちの工房を紹介してもらったそうです。
ヴァイオリン職人になろうと真剣に考えているかわかりませんが仕事を体験していました。

横板の厚みを出す作業を私はやっていました。同じことを体験です。
横板にカンナをかけるのが難しいのは、裂けたり割れたりしやすいことと、厚みを均等かつ正確にだすことです。
当然ながら何をやってもうまくいかず1週間でつらい思いばかりです。とてもじゃないけど「楽しかった」と言えるような状況ではありませんでした。

カンナがうまく使えるようになるのは1日や二日では無理ですし、本来ならカンナの調整からやらないといけません。


そのようなことを職人は学ばないといけません。しかし、音についてはさっぱりわかりません。横板の厚さを何ミリにしたら音がどうなるかは教わりません。決められた寸法通りに加工するように教わるだけです。それが工房や先生によって微妙に違います。しかし、音がどう変わるかはわかりません。このことに疑問を持つどころか目の前の作業の難しさで精一杯です。考えてみても他の条件は同じで厚みだけを変えて実験することが困難です。

厚すぎると曲げるのが難しく、薄すぎると頼りないとしか言いようがありません。横板はカエデ材なので曲げると繊維のうねりが出て軽く波打ちます。これを削って滑らかにすると少し薄くなるのでちょっと厚めにしておく必要はあるでしょう。
もし波打ったものをそのままにしているとニスを塗るときに問題が生じます。音以外に多くのことを学ばないと楽器を完成させることができません。音について言えるのは楽器が完成しないと楽器として使用できず音が出ないということです。完成すればヴァイオリンのような音がするので、試奏して気に入った人が使えば良いということです。我々が学ぶことができるのはそんなことです。

「横板を厚くすると音が良い」という職人のうわさを聞いたことがあります。噂を聞いたところで信じて良いかどうかもわかりません。その人の言う「良い音」が何なのかもわかりません。
理屈で考えると板が薄いと多少なりともクッション性が生まれて穏やかな音になるかもしれません。明るくにぎやかなのを良い音とするなら可能性は無いことも無いでしょう。量産品ではかなり厚い横板のものがあります。それはプレス型みたいなもので曲げているのかもしれませんし、同じ作業ばかり繰り返すことで超人的な技量を身に着けているのかもしれません。

噂を信じるのか、分からないとするかどちらが良いでしょうか?
それをやってみたところで、出て来た音のどれくらいが横板の厚みによってもたらされているか分かりません。

これがバスバーくらいなら表板を開けて高さを変えてまた表板を接着するくらいはできます。わたしはやったことがありますが、前も後もどちらも期待した音ではありませんでした。バスバーの高さでは思ったような音にはできないと分かっただけです。つまり、思ったような音にする方法は分からないということです。

とにかく何もわからないです。
ああでもないこうでもないと考えることはできます。確かなことを求めれば分からないとしか言えません。

ヴァイオリンというものは不思議なもので分からなくてもそのように作るとヴァイオリンのような音になるものです。作る人が全く分かっていなくても結果的に音が気に入ればそれがその人にとって良いヴァイオリンということになります。そんなものです。

私は、過去に作られたヴァイオリンを調べることで理解を深めようと考えています。
現代の工業製品では新製品ができると、「従来の製品」よりも飛躍的に性能が向上したとアピールします。地道な研究や技術革新の努力が積み重ねられていることでしょう。しかし外観を変えるだけのトリックもあるでしょうし、改良型では同じ製品名で値段を上げて機能を追加しグレードを上げることもあります。そこでは過去の製品はもはや使い物にならない劣ったものだという建前になっています。

それに対して私は過去に作られた製品を悪い物とは考えていません。
実際に修理の仕事もしているので幻想ということは無いでしょう。

入門者は名工と言われるようなずば抜けた人だけが音が良い楽器が作れるという先入観を持ちがちです。しかし、実際に多くの中古楽器を体験していくと全く見当違いであることに気付きます。作者が有名ではない楽器でも誰が聞いても音が悪いということは無く、50~100年も経っていれば音も出やすく「鳴る」ようになっています。「音が良い」ということの定義は人それぞれなので好みでしかないことになります。

つまり問題なく作ってさえあれば数十年でよく鳴るようになってくるというわけです。じゃあその問題ないというのがどれくらいかということです。

横板の厚みもそのように考えています。
実験によって適切な厚みを割り出したり、音を作るために意図的に厚みを変えることは現実的ではないので、「これくらいだったら問題ないだろう」と感覚を身につけていきます。

何か有名な職人などの教えが広まっていって、業界として常識が出来上がってきています。そのような教育を受けたプロの職人であれば、そんなに大きな違いはないということです。これが全くの独学で作ろうと思ったら寸法を割り出すのは難しいでしょう。

このように横板の厚みだけでなく様々な寸法が事細かく定められています。「寸法表」というものがあり、リストになっていて、ヴァイオリン、ビオラ、チェロ、さらにヴァイオリンとチェロには1/4,1/2,3/4,7/8があり、ビオラにはサイズ違いがあります。これもヴァイオリン製作学校や工房ごとに微妙に違います。私はいくつかのものを持っていて総合的に考えています。コントラバスになると単位がmmからcmに変わります。

事細かく寸法が決まっているのが現代の楽器製作なのですが、寸法が計れない部分もあります。特にアーチのカーブなどは測定のしようがありません。

私はこのような現代の楽器製作で作られたものが間違っているとは思いません。そのように作られた楽器を愛用している演奏者もたくさんいますから。しかしもっと古い楽器を見ていると問題のない範囲が「狭すぎる」と感じています。もう少し正しい寸法から離れても大丈夫なのではないかと考えています。

モダン楽器でも現代よりもはるかに薄い板で作られていて、音響的にも優れていたり、低音が豊かに出るとすればそれを「問題のない範囲に含めてもいいのではないか」と考えています。
モダンの時代にも寸法表みたいなものがあったことでしょう。比較的大量に生産する場合に品質を安定させることができます。ヴィヨームなども独自の寸法表やリュポーの教えなどがあったことでしょう。細かい寸法が全部決まっていてその通り職人は作るだけでしょう。ヴィヨームの弓の設計法などは残っているようです。

さらにオールド楽器になると近代や現代よりも作風が定まっていません。それでも魅力的な音がすることがあって「このようなものは作ってはいけない」という現代の教えは狭すぎると考えています。どれくらいまで行っても大丈夫かというのも私の研究していることですし、オールド楽器のようなものを作ること自体が現代の教育を受けた職人には難しいものです。試作品を作って実験するだけでも「時代に縛られる人間」というものの限界に挑戦するようなものです。試作品が作れなければ実験のしようもありません。

それに対して職人以外の人たちが考えがちな有名な職人の高価な楽器だけが優れていて、それ以外がどうにもならない劣ったものだという思い込みも、「問題のない」範囲を著しくせばめているように思います。職人でさえもこのような考えから完全に脱却してはいないでしょう。私は可能性を広げることを考えているのに、ヴァイオリンのコレクターは可能性を狭めることを考えています。だから音楽として楽器を使う人はオークションで形成される値段などは関係ないと言っているのです。

つまり「普通に作ってさえあれば50年もすればよく鳴るようになる」のがヴァイオリンというものです。音はみな微妙に違うので好みに応じて実際に試して選ぶしかありません。この「普通」の範囲について工房内の普通が狭すぎて、もっと違ってもいいのではないかと古い楽器から学んでいるところです。

この前は、「仕上げの水準がヴァイオリン製作学校の生徒以下」のヴァイオリンを紹介しました。それでも音響的な構造では現代の普通の範囲内なので音は問題ないことでしょう。実際に演奏者に愛用されています。こうなると、職人の腕前などは関係が無く、誰でも十分なヴァイオリンを作れることになります。このような事例でも「名工神話」を否定しています。このためどこの誰が作ったものが自分の好みの音なのかは分からないので片っ端から試してみるしかないということです。

先日は台湾からチェロを買いたいという人が来ていました。電機産業の会社に勤めている人で仕事で時々こちらに来るので、チェロを買って帰りたいということです。
中国製のチェロならこちらよりも選択肢が豊富でしょう。中国で作って台湾から出荷されることもあるくらいです。台湾は特に文化芸術に力を入れているようです。弦楽器の取引も日本と似ています。
聞くと子供のためとかではなく本人が弾くためのチェロだそうです。
それなら自分で店にあるチェロを試奏して気に入ったものを選べぶのがヨーロッパのこちらの人ですが、どうも様子が違います。
エンジニアなのでしょうか、値段の違う二つのチェロの音の違いがなぜ生じてくるのか聞いてきました。我々は「チェロは一つ一つ音がみな違う」と事実を説明しました。それを良いと思うか悪いと思うかは相性です。鋭い音のものをその人は気に行っていました。こちらの方が音が楽に出ると我々も感想を言いましたが、弾く人によっては耳障りな音が出る人もいます。

弾いて気に入ったチェロはあったようで次の機会まで商談中として楽器を置いておきますが、自分で決めることに抵抗があるようです。
何かしら優れた楽器の理由や評価が欲しいのでしょう。師匠も説明には苦労していました。日本人と考え方が似ているのか、エンジニアだからそうなのか、その両方なのでしょうか?


高い品質のものを作るには時間がかかるのでコストがかかるというのが職人に言えることです。オークションで取引されるような楽器以外は品質によって値段がきまります。適切な値段で売るだけで、選ぶのは本人の自由です。オークションで競り合う場合には品質は関係ありません。

私は「普通」の範囲を広げることではっきりと音が違うものが作れないかと考えています。原理は分からなくても、オールド楽器のように作るとオールド楽器のような音が得られるというのがこれまで得たことです。

しかし「オールド楽器のような音」もまた人によってイメージするものが違うでしょう。オールド楽器を単によく鳴るとイメージする人もいるし、甘く美しい音がするとイメージする人もいるでしょうし、枯れた味のある音と感じる人もいるでしょう。
単によく鳴るならモダン楽器でも得られると思います。枯れた渋い音もモダン楽器でもあると思いますし、必ずしも耳障りな鋭い音とは限りません。演奏者によっては甘い美しい音を出している人もいます。本当にオールドでなければいけないのかにも疑問を持つべきです。特に数が少なく高価なチェロでは重要な問いかけです。


20世紀の楽器も鳴るようになってきています。今でも同じ作風の楽器を作っていてもそれらにかなわないでしょう。どれだけ工夫しても80年代に作られた何でもないようなものにもかなわないかもしれません。一方で「余計な工夫」にリスクを感じます。一般に「音が強い」と感じられる楽器が売れます。新品では音が強く出ないのが普通ですので、新品では「鋭い音」の方が強く感じられるでしょう。しかしそれが50年くらい経つと耳障りになってしまうかもしれません。だから新品の時点で音の強さを競うような評価の仕方を私は意に介していません。ユーザーはだんだん耳障りになって不満を感じ楽器の買い替えを検討することになります。鋭い音が良いのなら100年くらい経った楽器に強烈なものがあります。新作の鋭い音もたかが知れています。
それはとても安価なものにあり、音大教授が絶賛したものが20万円もしないものだったこともあります。音大教授が絶賛しようがザクセンの量産品の特徴があって品質が低ければそんな値段にしかなりません。

よく食品について健康に良いとか悪いとか言われます。それも数十年後には全く逆の説が言われるようになったりします。したがってその時代に言われていることを鵜呑みにするのはリスクとなります。
ルネサンス後期にイタリアの画家でヤコボ・ポントルモという人が日記を書いています。『ポントルモの日記』という本がおもしろいので読んでみると良いと思います。彼は健康や体調について様々な自説を語っていますが、現代人からすると納得できないものです。昔の人がどのようなものの考え方をしていたか参考となるでしょう。私たちも未来の人からしたらとんでもない説を信じていることになります。

「ストラディバリの秘密」というのも恐竜の絶滅などと同じように、10年に一回くらいメディアで新説が広まるものですが、それをいちいち信じていたら労力が無駄になるかもしれません。

ポントルモの考え方として書かれていることは、ルネサンスの当時はギリシャやローマなどの古代の芸術を尊敬し、自分たちの時代がその時代に肩を並べたと自負しているようです。それ以外ほとんどの記述は何を食べたとか、どこの部分の仕事をしたとか何でもないような記録ばかりで、自叙伝のような自分をよく見せようとする部分が何も無くて面白いものです。

私も食べて仕事してブログを書くという同じような暮らしです。


ちなみにピエトロ・グァルネリの横板の厚さは資料には0.8mmと1.1mmと書かれています。場所によってバラバラということです。
そんなものでしょうが、1mm以下なら薄めということになります。現代の職人が「厚めが良い」と考えるには何か理由があるのでしょうか?
古い楽器なので乾燥によって縮んだり修理などで削ったりしてるかもしれません。

さらに言うとストラディバリは横板の内側に布が貼ってあったと言われています。モダン楽器でもそのようなものが残っているものを資料で見たことがあります。ストラディバリも現在では修理によって取り除かれています。ストラディバリが神様のようにすべてを分かっているのならこれによって音が台無しになってしまったのでしょうか?実際にコンサートに行って演奏を聞いてみてください。