値段と音、オーソドックスな20世紀のヴァイオリンなど | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

弓の毛について質問がありました。
こちらでは細い毛が上等とされていてモンゴル産が細いものとして卸業者によって売られています。モンゴルの毛にもランクがあり色が完全に白いものが高く、色がくすんでいたり、茶色い毛が混じっているものはランクが低くなります。低いランクでも他の産地よりは毛が細いそうです。
これは卸業者と職人たちとの間で広く共通の認識があり、卸業者が要望に応じて供給しているものです。

馬の飼育以上に毛の選別に手間がかかるのでコストがかかります。
このため所得水準が低い国ほどコストは安くなります。
伺った話では日本でランク付けは所得水準に応じているようにも思えます。
日本人は工業水準で国を見下すようなところがあって一致してるようですが、馬の毛は第一産業ですし、モンゴルでは馬頭琴の演奏が盛んで馬の毛の品質にもこだわりがあるようです。

ともかくこちらではあくまでも毛の細さが重要とされています。
特にプロの演奏者はモンゴル産の上級品を使っている人がほとんどのはずです。
うちでは初心者向けには中国産を使っていました。価格も安く太くて武骨だからです。

馬の毛は湿度の影響を受けるので日本で求められるものが同じなのかはわかりません。厚い板の新作楽器、硬く重い弓、強い張力の弦とともに弓の毛も太いものが好まれるのかもしれません。



先日は、プロのオーケストラ奏者でも珍しいヴィオリンマニアの方が弦を買いに来ていました。もう定年も近いベテランの方ですが新しい知見を得たようです。「ヴァイオリンの音と値段は関係ない」と熱弁されていました。今頃気付いたのかという話ですが、あらゆるストラディバリの伝説や科学的な研究などを信じて遠回りの人生でしたね。ヴァイオリンについて最初に教わるべきことでした。分かっている専門家が少ないのでしょうか?
弾いて音が良いとその人が感じれば音が良いのであって、それがたまたまザクセンのものならとても安いし、イタリアのものならとんでもなく高価だというだけのことです。音を評価して値段をつける仕組みはありません。

知識を求めたがゆえに理解するのに一生かかってしまいました。的外れの知識ばかりが魅力的に見えるものです。うさん臭い知識というのは、私は匂いで嗅ぎ分けています。知識自体が正しいかどうかではなく、取り組み方がおかしいのです。たとえばUFO研究家という人のおかしさは雰囲気で分かりますでしょうか?それと同じようなことですが、その一方で理系の人が飛びつきやすい知識もあります。理屈を信じる前にたくさんの楽器を試してみてください。音が良い楽器と悪い楽器の違いが、筋の通った理論で説明できれば楽器選びは楽ですが、もし頭が良いのであるならば、まずそんな便利な話はないかもしれないという可能性を考慮して下さい。音が良い楽器と悪い楽器を区別する理屈が本当に通用するかどうかをまず実際の楽器で試してみるべきですよね。安い楽器は音が悪いという決めつけをして、高い楽器の特徴を分析しても理屈の前提条件が間違っています。安くてよく鳴る楽器があるという事実を知らないといけません。それも説明できないといけません。


マニアやオタクの人たちがそういう知識に「案の定」虜になってしまうのを見て来ています。何も知らない人が選んだ楽器のほうが音が良いこともしばしばです。私は確かでない知識は無い方がましだと教えています。興味があって面白いというだけで、知識が役に立つかは全く別です。

相手が知らないことを知っていると自分が強く思え、自分が知らないことを相手が知っていると相手が強く見えます。しかし言葉をどれだけ知っているかは人間同士の力比べでしかありません。そのようなことは政治の力比べです。動物で言えば群れの中の順位付けです。

ヒトが偉いか偉くないかは楽器から出る音とは関係がありません。
マニアも初めは単に面白いからと熱中しただけだったのが、いつの間にか上級者と自負するようになりますし、業者の方もお客さんをビビらせて優位に立つために知識をひけらかすものです。私からすると矛盾していて滅茶苦茶な理論でも素人を相手に従わせるには十分通用します。特にヨーロッパではそのような傾向が強いです。特に男性は皆が学校の先生のようにものを言います。日本でも欧米化が進んで誰もが評論家気取りです。「まだわからないことがたくさんあるんですよ」と目を輝かせる研究者とは大違いです。


もう一つの出来事は、売りたいということで19世紀終わりのモダンチェロが持ち込まれたことです。値段は700万円くらいするものです。見てみると作者の特徴がはっきりわかって間違いなく本物だと分かるものでした。多くの場合、名のある作者のものでも、図鑑などの資料と見比べると何か違う所があるものです。「そうかもしれないし、違うかもしれない」という半信半疑なことが多いです。息子や弟子が作ったなどと解釈しだすと訳が分からなくなってきます。しかしそのチェロでは間違っているところが何一つありません。やはり本物というのはそういうものです。でないと鑑定する人によって意見がバラバラで財産としての価値はあやふやなままです。近代のものなのでおそらく寸法なども決まっていてf字孔の位置や傾きなども判で押したように同じです。
良いチェロを探している人は多いと思うので皆さんにもどうかと思いました。

ところが弾いてみると荒々しい嫌な音は無い物の、押さえつけられたように音の出方が重く、開放的に鳴ってきません。アーチは真っ平らで資料にあるものと同じです。ミッテンバルトのものと思われるオールドのほうが元気よく手ごたえがあります。
消耗部品の交換などでどの程度元気になるかわかりませんが、現状では「これは間違いない」と薦められるようなものではありません。やはり弦楽器は値段じゃないということが真理ですね。そもそも間違いなく薦められるようなものがあるのでしょうか?

チェロは作られた本数が少ないので、ちょっと安定して品質の良いものを生産していれば有名になるのでしょう。当然家族や従業員などを動員して、複数の人の手で作られています。そうでもしない限り名前が知られるほどの数のチェロを作れません。本では同じ年に作られた別のチェロが掲載されていて、当然そっくりでした。一年に2本以上作るのはやはりある程度の規模の態勢があったはずです。

特徴からするとフラットなアーチがチェロではもしかしたらそのような音の原因かもしれません。今後のテーマとして行きましょう。
ただし、良いチェロは少ないですから、フラットだからよくないと決めつけるとチャンスが減ります。欠点は多少はあるのが当たり前ですから、理想を求めるのではなく使い物になるかどうかというレベルで判断すべきでしょう。

間違いなく本物だと言える楽器は多くありません。しかし本物だからと言って音が良いとは限りません。そんなことを知るだけでも価値のあることです。




以前出てきましたが、ニスがはがされてしまったヴァイオリンがありました。楽器の質や材料の質は悪くありません。しかしニスが無いので売ることができません。不用品として持ち込まれたものですが、捨てるにはもったいないですね。もし売りに出すなら、まず持ち主が修理としてニスの塗り直しを施してから、売りに出すことになります。そうなると大きな金額を支払わないと売りに出すことすらできないということです。
効率を考えるなら面倒な仕事などしなければいいのに、師匠がとても安い値段で買い取って先方も不用品が少しでもお金になって良かったようです。

このままでは売れないので1ユーロにもならず安いと言っても払ったお金が回収できません。そこで簡単にニスを塗れる方法が無いかと考えるわけです。

やり始めると当初の思惑とはだいぶ違ってきました。これは途中経過なので結果が出るのはもう少し先です。

別の売り出すヴァイオリンです。


作者は存命で本人に問い合わせてみると作品についてメールやスマホアプリで写真を送ることはできず、現像して封書で送ってくれとのことでした。
もう高齢でヴァイオリン職人であればハイテク文明も一切なくやられているようです。
本人の確認を待つまでもなく見るからにきれいさはあると思いますので、量産品ではないでしょう。
しかしかと言って腕の良さを強調するようなことは無く角も丸くなっています。

軽いアンティーク塗装がなされています。



スクロールなどはやはり量産品よりもかっちりした感じがあります。

パッと見た感じでは塗装が凝ったような感じではないので量産品のようにも見えますが、よく見ると仕事自体はずっと丁寧なものです。買った時の領収書も残っています。30年以上前の領収書に書かれた電話番号が今でも通じました。
この時代ブーベンロイトなどの量産品も上級品ではこのようなものを目標として作られていたのでしょう。つまり工場のマイスターが一点物を自分で作ればこんなものができたはずです。その意味では雰囲気が似ています。今でもこのようなものはありそうなものです。

板は厚めでいかにも20世紀の楽器という感じです。

アーチも普通でごくオーソドックスなものです。現代的なアーチの高さですが、形自体はうまく造形されています。

あとは弾いて音が気に入れば良い楽器ですし、そうでなければ購入する必要はありません。あまり使われていなかったようですが、30年以上は経っているでしょうから新品よりは鳴る感じはあると思います。


裏板の下の方や表板の恥の方は色が薄くしてあります。使い込まれたオールド楽器のようなニスの剥がれ方をイメージしたものですが、全くそのようには見えません。しかしこのような手法はよく行われています。それ自体は問題ないのですが、やはり色が明るい所のニスの層が薄いです。この楽器はあまり使われていないので薄い層が保たれていますが、本格的に使うとすぐに剥げて地肌が露出してしまうでしょう。
このように塗り分けるなら、異なる色のニスを用意し、剥げた部分も厚く塗らないと耐久性が確保できません。
しかしいくつも異なる色のニスを用意して塗る人は多くないでしょう。ニスを塗る回数で色の違いを出しています。
私は最低3種類のベースのニスを用意します。さらに色を調整して使います。しかし私のような人は珍しいでしょう。このため、ニスが剥げている様子を模したところが本当にニスが薄いのです。メンテナンスは困ります。アルコールニスの場合10回くらい塗ってもそんなに厚みは稼げません。修理で10回以上塗るとなると期間が相当かかります。2~3日では絶対に無理です。
さっきのニスがはがされた楽器で全面塗り直しをやって勉強になっています。