確実に違いがあるのに音は分からないアーチングの話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

ヴァイオリンを作っていく話です。

ノコギリで切り抜いていきます。

ヴァイオリンくらいなら簡単にノコギリで切れます。

縦に板を挟んで押して切れば良いということはいろいろ試してたどり着いたことです。このようなノコギリは刃の向きを変えることができます。


アーチを削りだしていきます。フリーハンドで大まかな形を出していきます。
はじめは荒く大雑把に形をとらえ、だんだんと正確にしていくのが最も効率の良い方法です。



カンナのような道具では同じところを何度も何度も行き来しないといけないため形を作る作業には向いていません。高いアーチを作るにはごっそりと削り取るのが一番効率がいいわけです。
この時に削る人のさじ加減一つで形が大きく変わってしまいます。低いアーチであるほど、違いが分かりにくく、高いアーチほど分かりやすくなります。
音の性格の違いも高いアーチのほうが強く出るかもしれません。
はじめから低いアーチを作る現代ではカンナを多用する方法を好む職人が多くなります。ヴァイオリン職人の仕事の中でもアーチを作る作業が最も絵になります。様々なところでそのような写真や映像が出ているとまず豆ガンナでゴシゴシと削っているシーンを見たことがあるかもしれません。カンナという道具は積極的に形を作るのではなく、でこぼこが無くなるようにならすものです。フラットな現代のアーチでは削りすぎて穴をあけてしまうリスクのあるノミよりも、カンナを多用するわけです。
レンズや反射望遠鏡の鏡のような歪みのない曲面を作ることが目標となって腕が良い職人のものは全くオールドとは雰囲気が違うものになります。それで安価な量産品と差別化され高精度で洗練された高級品だと分かります。それに対してこの前紹介した「ヴァイオリン製作学校以下のクオリティ」のようなものもそれ以上に多いです。量産品との違いは手作りの素朴さでしょうか。


特にアーチの形の違いは周辺からえぐられたマイナスのカーブに特徴が現れますが、20世紀の楽器では可も不可もない特徴のないアーチが多いです。
私の今回のものはマイナスのカーブは周辺の溝だけですぐに膨らみのカーブに切り替わります。これが「ぷっくりしたアーチ」になる理由です。
アーチの形が音にどんな影響があるかも規則性は分かりません。たくさんの楽器を見て音を聞いてきましたが、法則性のようなものはよくわかりません。

だから作る時に音がどうなるか予想することは困難です。少なくともヴァイオリン製作学校で音の違いを作り出す方法は習いませんし、広く知られていることもありません。音を自在に作る設計法は全く確立していません。職人は分からずに作っていると考えたほうが現実的です。分かっていると思い込んでいる人はたくさんいますよ。何かあると霊の仕業と考えるような物事の事実関係の認識の甘い人が世の中には多いものです。イメージなどで物を買う人が多いのでブランドや広告の戦略では具体性のないものが多いですね。職人も同じ人間です。


私は窮屈になりすぎないようにと考えています。
これも抽象的でおおざっぱなイメージでどの音程の音がどうとかそういうレベルではありません。

高いアーチでも個体差がとても多いので一口に語ることはできません。アーチの横の断面を見ても、富士山のような尖った3角形のものもあれば、上が平らで台形のような台地状のもの、丸く膨らんだ丘のようなものもあります。地形に例えていますが、地形も自然の造形だと考えると面白いものです。土砂崩れがしばらく起きてないとすれば安定した形ということになります。
それに加えて周辺部の溝の深さや幅も違います。オールド楽器ではエッジが摩耗しているのであまり深く見えないこともあります。

例えば三角形のアーチで周辺の溝が大きく深ければ、富士山のようにとても安定し中央付近の強度が高くなって、弓の荷重を受けると表板が全体的に沈み込むような動作をするでしょう。これでオールドらしく板が薄ければ跳ね返るというよりは沈み込むというイメージを私は考えます。一方台形のアーチなら周辺部分が硬くなり中央が相対的に弱くなります。駒のところがたわむようになることでしょう。

三角のアーチはノミを制御しきれないと自然とできる形です。イタリアのオールド楽器にもありますし、近代の楽器でもジュゼッペ・フィオリーニはそんな感じでしたし、クレモナの学校で学んだイタリア人の職人もそんな風になっていました。他の一緒に働いていた職人でもそうなっている人もいました。私は注意してそうならないようにしています。一方恐れすぎて現代の高さのアーチでも上が平らになっているものが多くあります。それでいて周辺に大きな溝が無いのが現代の楽器の特徴です。わたしは「攻め切れてないな」と思います。こちらの方が一緒に働いた人では多く、よくある現代の楽器の感じがします。1月に紹介した現代のイタリアの楽器もそうでしたしエンリコ・ロッカもそうでした。自分も初心者の頃そのように作ったので分かります。

最初にこんもりと丘のようなアーチを作ってから、周辺に深く大きな溝を掘ると上部は緩やかなカーブで斜面が急な異なるカーブから構成される台地状のものができます。ドイツ・ニュルンベルクのヴィドハルムはそんな感じでした。
シュタイナーは私はまだ理解していませんが、縦方向のアーチと横方向のアーチを同時ではなく分けて順番に作業していくと角のような部分ができてその名残があるような感じがします。丘の上から攻めるのと下から攻める部分がぶつかるところが角になるのです。その仮説が正しいかは何台も作って試行錯誤してみないといけません。

近代の量産楽器でシュタイナーモデルと言われるものは初めに板のセンター付近を上から下まで同じ厚さにします。それはアーチの高さです。厚みが一定の平らの板のようにします。それで周辺を彫ってエッジの厚さを出します。これだと縦方向のアーチが無い台地状になってしまいます。シュタイナーとは全く違いますし、オールド楽器とも違うのですぐにわかります。このようなものはザクセンで作られましたが、ミルクールのものでもあります。ギターのメーカーが作ったような感じのものあります。普通のフラットのアーチのほうが音響的にも無難でしょう。初めは意図があってそうしたのかもしれませんが、教育が伝わらなかったのか結果的にアーチのカーブを作らず周辺の厚みを出しただけのアーチなので中古品としては最も粗末なものの一つと考えています。

シュタイナー型と呼ばれるドイツのオールド楽器でもフュッセン、ミッテンバルト、ウィーンなどの南ドイツのものとマルクノイキルヒェンのものではアーチが違います。と言うよりも、アーチで見分けることができます。他に輪郭の形やスクロール、ニスの色や質感なども重要ですが、特徴がはっきりしないこともありますし、長く見ていると自信が無くなって分からなくなってくることがあります。一口にシュタイナー型と言っても、実際はそんなに形は決まっていません。それに対してアーチの方が確実に特徴があります。それで言うとマルクノイキルヒェンの方は板の柔軟性を妨げるような構造が溝からふくらみにかけてあるように感じます。あくまで視覚的なイメージです。南ドイツのほうが素直な感じがします。したがって、マルクノイキルヒェンのアーチには響きを抑えるような構造があるように感じます。これもモダン楽器のような自由さが無くなる反面、味のある音色を生み出す効果もあるでしょう。良い方に出るか悪い方に出るかは紙一重ですね、少なくとも一長一短です。そうなると南ドイツのほうが素直な感じがします。イタリア場合は台形のアーチではなく、丘のように丸くなっているか不用意に三角になっているかです。ニコロ・アマティでも注意深く丸くなっておらず三角に近いものです。南ドイツのほうがイタリアのものに近い感じもします。しかしながら南ドイツでも極端にアーチが高いものもあり、響きが抑えられすぎていわゆる室内楽的なものもあります。このほかベネチアのモンタニアーナは四角い感じだったりしますのでこのため産地で判断するのではなく個別の楽器で見ないといけません。

それでも音についてはよくわかりません。
産地を判別する場合にはある程度役に立ちます。台形のアーチでイタリアの作者のラベルがあればまず偽造ラベルがドイツの楽器に貼られたものです。
中には例外的なものが必ずありイタリアの様な作風のドイツの楽器で、偽造ラベルが貼られて分からなくなってしまったものもあるでしょう。ドイツの楽器と明らかにわかるものでもアーチは台形のものばかりではなくイタリア的なものもありますが、幅がイタリアの小型のものよりもゆったりしていて期待できるものがあります。
フィレンツェの流派などはシュタイナーをお手本にしているのでドイツの楽器のような特徴があります。しかしフィレンツェの楽器にドイツの偽造ラベルを貼らないのは、それはお金のことを考えてするからです。逆にドイツのオールド楽器にフィレンツェの作者のラベルが貼られることはよくあります。

弦楽器業界では他の産業と同じかそれ以上に、「お金」を第一に考えて来たので知識の正しさは二の次で大混乱です。お金のことを切り離して客観的に理解するということはほとんど無かったと言っても良いでしょう。だから弦楽器についての知識などは学ばないほうが良くて、ただ試奏して楽器を選ぶ方がましなのです。

「あてになる知識など無い」ということを学ぶだけで十分です。


私がオールドとモダン楽器ではアーチが全く違うと説明すると、オールドのほうが良いと信じる人が出てくるかもしれません。私は口を酸っぱくしてモダン楽器が悪いなんてことは無いと強調しています。何でも良いと言っているだけです。つまり可能性としてこれまで評価されてこなかったマイナーなオールド楽器も排除するべきじゃないと考えています。もちろん無名な作者のモダン楽器も同じです。しかし「可能性」にすぎません、オールドのほうが理想的だと言っているわけではありません。

むしろオールド楽器のアーチには問題が多いと思います。
オールド楽器は数も少なく当たりはずれも大きいですが、有名なものは値段が高すぎます、マイナーな流派のものも候補に入れれば入手するチャンスは広がるでしょう。それでも品ぞろえという点ではモダンの楽器の比ではありません。モダン楽器のほうが10倍以上使っている人も店頭の在庫も多いでしょう。そして当たりはずれも少なく優等生的なものが多くて、レッスンを受けたり業務で用いるのに実用的です。

特にチェロではオールド楽器でまともなものを手に入れるチャンスはまずないと考えてもいいくらいです。オールドでなければだめと考えるとニセモノや、ひどく状態の悪いもの、元気よく音が出ないもの、寸法がチェロと言えないものを買ってあとで困ることになります。
今店に遺品のミッテンバルトのものと思われるチェロが入ったので今後ゆっくり調べていきます。それでも弦長はかなり短いものです。


話が脱線しましたが、例えばモダン楽器の作者でもアントニアッジやビジャッキのファミリーはアマティなどのオールドの作風を取り入れた楽器を作りました。外側をアマティモデルにしただけでなく、周辺の溝を大きく彫り特徴のあるアーチのものがありました。しかし音は抑え込まれたような感じで豊かに響きませんでした、普通に考えたら「鳴らない」です。音色も暗くて、「イタリア=明るい音」とはどう考えても逆の音です。別にアントニアッジの偽造ラベルが貼られたものがありました。生産国もわからない普通の上等なモダン楽器でバランスが良く、豊かな響きと柔らかさがありました。事実を言わなければニセモノのほうが音が良いと感じる人が少なくないでしょう。ウィーンのオールド楽器でももっと明るく豊かに鳴るものがあります。でも別のウィーンのオールド楽器はいかにも室内楽用というものもありました。暗い音色は私は良いと思いますので、オールドの作風を取り入れるというアイデアは良くても、やりすぎもしくはやり方がまずかったのかなと思います。だから私は抑え込み過ぎないように窮屈にならないようにと考えてるわけです。

そのようにとても微妙なものです。
だから理屈ではなくて実際に弾いてみないことには何とも言えません。
弾きこなすのも難しいとなれば良いかどうかもわかりません。そうなると上級者限定ですから、何とか難しくならないように作りたいものです。
そのくらいのことを考えて作っているだけで、どこをどう削れば音がどう変わるかなんてレベルでは全く分かりません。

ピエトロ・グァルネリはかなり昔に見たのでよく覚えていませんが、アンドレア・グァルネリを見たときのイメージで作ってみたら印象的な音のものができたので今回もそれを小型化して作ろうというわけです。アンドレア・グァルネリ自体は小型のモデルなのでそのままでも良いでしょうが、新作の不利さを考えるとピエトロ・グァルネリを改造することにしました。ちなみにピエトロも父のアンドレアの名前で作っていたものがあるはずです。

そもそも私の作る楽器はどんな形にしても音には特徴というか癖があって大きく傾向は変わらないものです。だから明らかに違う形のものを作ろうとしないと音にはっきりした違いが出ません。細かいことに夢中になって自分で工夫して音が良くなったつもりになっている職人になってはいけませんね。私の癖にあう楽器の形を見つけないといけないのでしょう。

こんなイメージでやっていますが、的を得ているかどうかも確信はありません。私の考えを覆すような楽器に出会うかもしれません。だから教科書ではなくてこのブログは研究ノートとしています。

考えていることを秘密にはせずに語ってみました。理解はできないでしょうが、職人がそんなレベルだということを分かってもらいたいものです。