オールド楽器とモダン楽器、ナイフの話 | ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

ヴァイオリン技術者の弦楽器研究ノート

クラシックの本場ヨーロッパで職人として働いている技術者の視点で弦楽器をこっそり解明していきます。

こんにちはガリッポです。

オールドヴァイオリンというのは考古学みたいなもので説明が難しいものです。
単に中古品をオールドと言って売ってる悪質な業者もありますが、どれだけ古ければオールドなのかというと、私は作風で言っているのでフランス式のモダン楽器になる前のものがオールド楽器で時代には地域差がありますす。
各地に伝わっていたオールドの作風も次第に時代遅れの古臭いものと考えられるようになり1800年代になるとフランス風のモダンヴァイオリンが最新の優れたものだと考えられ、オールドの作風は途絶えてしまいました。

近代になって信じられるようになった最大の常識は「ストラディバリウスが最高のヴァイオリンである」という考えです。これによって、ストラディバリが研究され、その特徴を解釈したものがモダンヴァイオリンになります。特にフランスで組織的に製法が研究されたため、今日でも常識として残っています。現在のヴァイオリン製作コンクールでも同じような基準で楽器が評価されています。オールドの様な作風では点数が稼げません。グァルネリやマジーニなど違うモデルも作られましたが、輪郭の形を変えただけです。

現在ではそれがフランス起原であることも知らずに、正しいヴァイオリンの製作方法として職人の間で信じられています。フランスのヴァイオリンを見るとストラディバリをとてもよく研究し、作風を標準化していることが分かります。現代の職人はそれに比べるとなんとなく作っているだけのようです。「正しいヴァイオリンの製作方法で作ったので音が良い」と信じています。定められた寸法に正確に加工できるほど音が良いと信じていることもあるでしょう。ヴァイオリン製作学校で先生にダメ出しされるからです。

つまりかつては様々な作風があったオールドヴァイオリンの中からストラディバリを選別しその特徴を時には誇張したものがモダンヴァイオリンです。そのモダンヴァイオリンさえ忘れられ厳密さが無くなったのが現代のヴァイオリンです。近代以降はこのようなヴァイオリンばかりが作られました。このためオールド楽器の偽造ラベルが貼られていてもすぐにラベルが偽造だとわかります。まるで見た目の雰囲気が違うからです。

私が現代のヴァイオリンについて「個性がある」ということに違和感を感じるのは、このようなモダン楽器の根底から覆すものではないからです。モダン楽器について何も知らずその水準に遠く及ばないものを個性的と呼ぶのなら単なる勉強不足でしかありません。モダン楽器を理解したうえで、異なる哲学を打ち立てたわけではないからです。かと言ってみな全く同じではないので癖のようなものはあるでしょう。


「ストラディバリが高すぎて買えないので、代わりになるものは?」という関心がありました。グァルネリ・デル・ジェスが筆頭ですがこちらも高くなってしまいました。それからクレモナ派の他の作者が候補となりました。師匠とされるニコロ・アマティの一派です。さっきの考え方では古臭いオールド楽器をストラディバリが買えないから仕方なく使うということになります。今ではこれらも高騰し憧れの名器と考えられるようになりました。商人たちもこれをあおってきました。
最も雑な考え方は「イタリア製」というものです。このような粗雑な思考を信じている人がたくさんいます。

職人の側からすればストラディバリの特徴を研究した成果であるモダン楽器や現代の楽器がストラディバリと同等のものであるはずと信じています。このため他のオールド楽器よりも近現代のものの方がストラディバリに近いはずということになります。ストラディバリ研究の第一人者と考えられたシモーネ・サッコーニのヴァイオリンを見るとストラディバリとはだいぶ違って、フランス的な感じがします。サッコーニが教わったジュゼッペ・フィオリーニなどはフランスのガン家の影響があるようです。
このためサッコーニを見た職人仲間は口をそろえて「きれいな楽器だけどストラディバリとは違う」と言います。しかし、業界としてはサッコーニはストラディバリと同じであるという建前になっています。
このようなものはたくさん作られたのでストラディバリと同等の優れた楽器がたくさんあることになります。ごく一部のものを除いて中古品では新品よりも安いくらいで手に入ります。

ここに二つの矛盾する考えがあります。ストラディバリ以外のオールド楽器か近現代の楽器のどちらがストラディバリに近いのでしょうか?商人と職人のどちらの言い分が正しいかという事でもあります。

以上のようなことは頭で考えていることにすぎません。
人間の脳の神経細胞の反応として起きていることと、空気の振動として起きている音とは別の現象です。全く見当違いの物語を言葉で構築しているのかもしれません。私はそれを「ウンチク」と呼んでいます。
これは実際に楽器を試奏して各自が判断すべきことです。
その結果、音大教授くらいでも意見が分かれることです。

私個人としては、近現代の楽器は決して悪いものではなく優れたものです。音はみな微妙に違いますが、同じように優秀なものがたくさんあるので多くの中から試奏して気に入ったものを選ぶべきです。その時作者の知名度や値段で決めるのではなく音で決めるべきだと思います。



私が疑問を持っているのはかつての「オールドヴァイオリンが古臭い時代遅れのもの」という考えです。人々は新しいものが出て来た時に古いものの価値を過小評価しすぎるきらいがあるのではないでしょうか?失って初めて価値に気付くものです。
モダン楽器も決して音が悪いとは言いません。うまい演奏者が見事な演奏を聞かせてくれたときに文句を言う気は一切ありません。ただ、オールド楽器にはそれとは違う音があるように思います。そう考えると楽器を見る目が180度変わります。かつては価値がが無いと思われていたものが宝の山に見えるわけですから。それに対して常識のほうが古臭くなります。

私はこれがとても面白くて、胸が熱くなるような何かが沸き上がってきます。そのような面白さも知ってもらいたいです。

さらにハイブリッドという考え方もできます。モダン楽器の良さとオールド楽器の良さを併せ持つものもあるかもしれません。過渡期に作られたものがありますし、新作でもオールド的な要素を取り入れていくのも面白いです。そのためにもオールド楽器をよく理解することが必要です。

さらに言うとストラディバリもオールド楽器の一つだと考えることができます。オールド的なものとモダン的な両方の要素があるのがストラディバリと考えることもできます。



ナイフを新調しました。
池内刃物という会社のもので日本製です。
幅が6mmで刃渡りは1.5cmほどでです。
しかしこの製品は輸出用のようでメーカーのホームページにも出ていません。

普通の切り出し小刀と何が違うかというと、刃の両側の面が斜めに削れている両刃もしくは諸刃というものです。
日本で良く用いられる小刀は片側が平らになっています。竹トンボや鉛筆削りなど子供の頃に学校で使った経験もあります。それは押して使う物でした。
ヴァイオリン職人が使う両刃のものは引いて使うことがよくあります。またナイフの使い道はカーブをえぐって削ることが主です。平らな部分ならノミやカンナでもいいわけです。駒の脚を表板のアーチにあわせる時にも使います。アーチが膨らんでいるので駒の脚はくぼんだカーブになっています。ナイフを引いて使うのは西洋では食事でも一般的です。野菜や果物の皮をむいて食べる時などは引いて使います。このため彼らはナイフを引いて使うことはとても器用です。

柄がついていないので自分で作ります。柄も作れないような人には使えないのがプロの工具です。

貼り合わせるとこんな感じですが、四角くて持ちにくそうです。

カンナで角を取っていきます。

変わった模様が出ていますが、カエデ材の杢です。普通はヴァイオリン職人なら楽器を作った余りの部分で作ることができます。最初の頃は高級な木材がつかえないのでナイフの柄も低級木材で師匠になると高級材のナイフを持っているものです。
私はあまり木材にこだわらないので、楽器の修理には使わないような変な木材があったのでナイフの柄にしてみました。板目の向きに取ってあるので模様が不規則です。
肝心なのは刃の研ぎ方です。

刃はラミネート構造になっています。中央に鋼、両側に軟鉄で挟んだサンドイッチ構造になっています。日本刀とも似ています。これが片刃の場合には鋼と軟鉄の二枚重ねになっています。
刃先のところが色が違うのはこのためです。

両刃ですから反対側はこうなっています。

ポイントは黄色の線で示したようにわずかにカーブさせることです。こうするととても使い勝手が良くなります。しかし研ぐのはとても難しくなります。このような日本の刃物は熱に弱いので機械の研ぎ器には向いていません。水冷式のものなら大丈夫でしょう。熱に対応できるのはハイス鋼などで作られているものです。ハイス鋼は電動工具の刃として使い回転の摩擦で高温になっても良いようにできているからです。高回転の機械で使えるハイスピードスチールのことです。そのようなナイフもあります。とても丈夫なので先をとがらせたりパフリングの溝を切るために使っています。
私は機械で研ぐのがとても苦手です。今はダイヤモンド砥石というものがあり刃の形を修正したりするときは便利です。日本ではホームセンターに売っている安価なものでも、こちらでは手に入りません。べらぼうに高いか品質が最低のものしかないので帰国のたびに買って帰っています。藤原産業のものです。

とてもシンプルな刃物ですが研いだ面はきれいですね。日本刀のような美しさもあります。天然砥石で仕上げているので鏡面ではなく曇った仕上がりです。もっと目の細かい人造砥石で仕上げれば鏡のようになりますが、天然砥石ではざっくりと切れるのが気に入っています。刃渡りは1.5cmですがこれでも研ぐのはとても難しいです。初心者の刃を見ればガタガタです。

こちらは同じナイフですが20年使ってきたものです。刃がこれだけ短くなりました。使っていくうちに柄がどんどん短くなっていくので作り直しました。研ぎ直して使っているので短くなっていくのですが、実際には先が折れてしまって短くなります。刃先を鋭く研いでいくとだんだん弱くなっていっていつかポキッと先端が折れてしまいます。それでまた刃を研ぎ直して使うわけです。
このナイフだけを使っているのなら20年でもっと短くなるでしょうが、他にいろいろなものを試しに買ってみました。しかし結局最初に買ったこれ以上のものがないことが分かったので再び同じものを買いました。手に入らなくなってからでは遅いからです。かつては1000円もしなかったようですが今では2000円以上します。それでもべらぼうに高いということは無いですね。
男性の趣味の雑誌などにはよくナイフが出てきて男性の物欲をくすぐります。ナイフマニアみたいな人たちがたった2000円のもので満足することは無いでしょうが私がこれが良かったです。このナイフは刃が少し柔らかめです。切れ味が長続きしないので豆に研ぐ必要があります。このためもっと値段と硬度の高いものを試したのですがこれで十分ということが分かりました。豆に刃を研ぐという古典的な方法がベストです。下手な職人ほど刃を研ぐのをめんどくさがります。下手な人ほど切れ味の良い刃物を使うべきなのにです。

研ぎ直して使っているうちに鋼と地金の硬さが違うので角度が狂って来るのです。角度を直すとさらに柄が短くなって持てなくなってしまうので柄を新しくして角度も変えました。

今度は柄の材料に古いヴァイオリンのネックを使いました。ナイフの柄の木材が100年以上前のものです。安価なものは継ネックなどはしませんからそれなりのヴァイオリンのものです。リサイクルです。これも板目板になります。

この段階では刃の角度が寝すぎています。ナイフの刃というのは断面がV字になっているため切断が可能になります。鋭いほど切れ味は良くなりますが耐久性が落ちます。削った感じも刃先がぺらぺらする感じがしますし、木材に食い込んでいきすぎる感じもします。駒の脚などは削ぐような感じでごく薄く削り取る必要がありますが、刃が食い込んでしまうと穴が開いてしまいます。
したがってナイフに高価なものを使えば良いというものではありません。

このようなナイフはとても切れ味が鋭いものです。折り畳み式のナイフが切れないということで師匠の知り合いのナイフを預かったことがあります。私が研ぎ直してみると元に比べれば切れるようになりました。しかし私のしばらく手入れをしていないで切れ味が最低になっているものを比較のために同じ木材を削ってみるとざっくりと桁違いの切れ味でした。
一般的なナイフはステンレス鋼で錆びないとか何かをこじ開けたり、突き刺して穴を開けたりする用途にも使えるように、または危険すぎないようにするためか全然切れ味がよくありません。今回紹介したようなものは別に高価でも何でもありませんがレベルが違います。その代わり少しでも横方向に力がかかればすぐに折れてしまいます。濡れたまま放置すれば錆びてしまいます。柄はどんどん短くなっていくので単純な形状にしています。指の握りにあわせて形作ると用途も限られてしまいますし、短くなったら合わなくなります。

これがプロ用とホビー用との違いということです。刃渡り1.5cmのこのナイフでも研ぐのはとても難しいです。削るものの大きさや回転半径などによってはもっと大きなものも必要になります。これでチェロのネックなどを削っていたら仕事になりません。ヴァイオリン用の工具というのは一般の木工とはかなり違うようです。

このようなナイフは日常的によく使うものです。ノミ、カンナ、ナイフはヴァイオリン職人の基本中の基本の工具です。特にコーナーやf字孔、パフリングなど楽器の個性にも関わってきます。宅配物のダンボールを開けたりするときも使います、粘着テープなどは力を全く入れずに触れるだけで切れます。

新作楽器を作る前に見直した部分です。手持ちのナイフがいくつもあるので狂った角度を直して駒専用など常にいい状態を維持するために本数も増やしています。もう一本柄が短くなりすぎたのがあるのでそれも柄を交換しないといけません。短い柄ですが次の楽器を作る時までは持ちそうです。